後発だからこそ、人で勝つ。新里政作がつなぐ、島の商い
今回のOWNERSは、株式会社新里商店の代表取締役、新里政作氏です。
新里商店は、食品・雑貨・たばこ・酒類などの卸売を中心に、自動販売機事業、学校給食の牛乳配送など、宮古島のさまざまな商いを支えています。現在の得意先は300〜400社ほど。自動販売機も約240台を展開しています。
ただ、新里氏が23歳で宮古島へ戻った頃、家業は決して順風満帆ではありませんでした。昔ながらの小さな商店を相手にする卸売は縮小し、同業者も次々と姿を消していく。本人も当初は「この仕事はもう無理だろう」と考えていました。
そこから業務用食材、自動販売機、学校給食などへ仕事を広げ、今の新里商店をつくってきたのは、派手な事業計画ではなく、目の前のお客様の要望に一つずつ応えることでした。
「頭でっかちにならず、行動してなんぼ」。一見すると人付き合いが得意そうに見えて、実は本人いわく「ネクラの人見知り」。そんな新里政作氏が、なぜ人とのつながりを何より大切にする経営者になったのか。話を聞きました。
【企業情報】
株式会社新里商店
食品・雑貨・たばこ・酒類などの卸売を中心に、自動販売機事業、学校給食の牛乳配送などを展開。新里政作氏は2014年の法人化以降、代表を務めている。
船が来なくても、できるだけ困らせない。それが島の卸屋の仕事
――新里商店は、現在どんな事業を中心に展開していますか?
メインは卸です。
卸の中でも、たばこ、食品、雑貨、それから酒類。食品の割合が一番大きいですね。ほかに自動販売機の部門と、学校給食の牛乳配送もあります。
得意先は、重複しているところも含めて300〜400社くらいあると思います。自動販売機は240台くらいです。
――宮古島で卸を続ける上で、特に大切にしていることは何ですか?
一つは、在庫です。台風などで船が止まっても、最低でも1週間くらいは得意先に不便が出ないような品揃えを意識しています。もちろん毎年状況が違うので、どうしても欠品することはありますけど、日々調整しながらやっています。
今年みたいに台風が多い年は大変ですよ。ロスというより、機会損失がかなり出ます。自然現象に左右される仕事なので、そこは島で商売をする難しさですね。
ただ、面白いのは同業者同士の関係です。台風で商品が足りなくなった時に『これ1ケース貸して』とお願いしたり、逆に貸したりする。宮古ではそういうやり取りがあります。
得意先の取り合いも、基本的にはあまりしません。普段うちから買っていないお客様が急に来た時は、『いつもどこから買っているの?』と聞くこともあります。小さい島なので、商売は競争だけでは成り立たない。困った時にはお互いに助ける。そういう関係性は宮古らしいと思います。
――商品や価格以外で、新里商店が選ばれる理由はどこにあると思いますか?
うちは、何をやるにしても後発だったんです。たばこにも先に専門の会社がいる。酒にもいる。食品にもいる。だから同じことをやって、価格だけで勝負しても難しい。
その分、お客様が『この時間に持ってきてほしい』『こういう商品を探してほしい』と言えば、できるだけ応える。鹿児島でも本土でも、とにかく当たって探します。
自動販売機をやっているから、配達のついでに両替もできます。『100円玉をこれだけ、500円玉をこれだけ、千円札をこれだけ持ってきて』と言われたら、それも商品と一緒に届ける。
一つひとつは小さなことですけど、いろいろな事業をやっているからこそ、組み合わせてできるサービスがあります。そういう「細かいところまで手が届く」部分は、大事にしてきました。
「この家業はもう無理だと思った」。そこから始まった二代目の仕事
――最初から家業を継ぐつもりだったのでしょうか?
全然です。23歳で宮古に戻ってきたんですが、親も『やるな』という感じでしたし、自分もやるつもりはありませんでした。
当時は、市内の小さな「まちや」に商品を卸すのが中心でした。でも、そういう商店がどんどんなくなっていた時代です。卸屋も10何社くらいあったのが次々となくなっていって、『これはもう無理だな』と話していました。だから『じゃあ俺はやらんでおくね』と。
大学を卒業して宮古に戻った後は、児童養護施設で1年間働いて、その後は介護系の仕事にも就きました。
――それでも新里商店に入ることになったのはなぜですか?
実家の店のスタッフが酒を飲んで仕事に来なかったり、休みが多かったりして、僕が夜勤明けに配達を手伝うことが増えていったんです。
そのうち『これではらちがあかないな』となって、だったら父ちゃん、母ちゃん、僕と従業員一人で、細々とでも家族でやるかと。
実際に中へ入って数字や仕事を見たら、『これ、本当に潰れるな』と思いました。やるなら中途半端ではなく、ちゃんとやらないと一瞬でなくなる。そこからですね。
――そこから、昔ながらの卸売からどう事業を広げていったのですか?
今までと同じように小さな商店だけを相手にしていたら終わると思っていました。そんな時に、施設の栄養士さんから『業務用の食材を扱わないか』と声をかけてもらったんです。
最初は一つの施設からでした。『こういうものが欲しい』と言われて、それを探して納める。そこから業務用食材を扱うようになって、病院や施設へ営業に行き、自動販売機も始め、学校給食の仕事にもつながっていきました。
今振り返ると、こちらが大きな計画を立てて一気に広げたというより、目の前に来た話を一つずつ形にしていった感じですね。
――一方で、子どもの頃から今のように人前に出るタイプだったのですか?
根本はそんなに変わっていないと思いますけど、人付き合いは本当はそんなに得意じゃないんです。
小中学校では野球をして、高校からはバンドをやっていました。人から見ると何でも受け入れて前に出るタイプに見えるかもしれませんが、プレッシャーがかかる場面は本当は嫌です(笑)。
妻にも『ネクラの人見知りのくせに、あんなに外に出て回るから家で疲れているんだよ』と言われます。たぶん、いつの間にか周りが作った「新里政作というキャラ」を、自分でも演じているところがあるんでしょうね(笑)。
でも、仕事をする以上は外に出ないといけない。YEGやJCなどに誘ってもらって、いろいろな人と出会ったことは大きかったです。人を見ながら、『こういうふうにしたらいいんだな』『これはやったらダメだな』と学んできました。
後発だから、人で勝つ。トラブルから逃げず、社員には利益を返す
――島の会社として、お客様との信頼で特に大切にしていることはありますか?
社員とお客様の間でトラブルが起きた時は、絶対に自分が行って解決します。
社員には『そこで揉めないで、一回持ち帰って。俺が解決するから』と言っています。その場で言い合いを続けても、お互い熱くなるだけです。一度離れれば相手もクールダウンするので、その後に僕が電話を入れて、必要ならすぐ行く。大体それで解決できます。
小さい島で商売をしている以上、一回のトラブルで関係を終わらせるわけにはいかない。だから最後は社長が出る。それは自分の仕事だと思っています。
――経営で一番意識している数字は何ですか?
利益率ですね。この業種はもともと粗利が薄くて、大体15〜20%くらいです。
だから、売上を上げるだけではダメなんです。利益率を見ながら、でも上げすぎると今度はお客様に選んでもらえなくなる。そのさじ加減が本当に難しい。
きちんと利益を残して、それを社員にも還元できるようにしたい。でも価格だけ上げればいいという話でもない。ずっとそこを考えています。
――人材を見る時、今はどんなところを大切にしていますか?
人材育成は難しいですよ(笑)。でも、何人も見てきて思うのは、朝来て大きな声で『おはようございます』と言える社員は最高ですね。
疲れているはずなのに、ちゃんと大きな声で挨拶する人がいる。その一言で、その場の空気が一瞬で変わるんです。
自分は、社員に全部任せて現場から離れるような社長に憧れはあります。でも性格的に無理ですね(笑)。体が動く限りは、一緒に汗をかいて働きたいと思っています。
――地域活動にも多く関わっています。仕事との両立をどう考えていますか?
時間もお金も使います。でも、誰かが頼んでくるということは、自分が引き受けることで何かしら丸く収まるということだと思っています。
『呼ばれているうちが花』だと思っているので、できる範囲では引き受ける。もちろん会社があってこそなので、何でもというわけではありませんけどね。
仕事だけしていたら出会わなかった人と出会えるし、それが巡り巡って仕事や考え方にも返ってくる。今の自分があるのは、外へ出て人と関わってきたことも大きいと思います。
「自分の力の及ぶことだけ悩め」。日々を積み重ね、残せる会社へ
――これから10年、新里商店をどのような会社にしていきたいですか?
昔は新しい社屋を建てようと思っていた時期もありました。
でも、今は考えていません。もう50歳が見えてきて、今から大きな借入をして倉庫を建てて、そこから何年走るのかと考えると、自分が責任を取りきれないと思うからです。
新しい事業についても、自分から『これを絶対やりたい』と取りに行くことは基本的にありません。
こちらから『欲しい』と言えば、相手の条件で買わないといけない。でも向こうから『やってほしい』と話が来れば、『この条件だったらやるよ』とこちらの条件も言える。だから、今は話が巡ってきた時に、自分たちに合うかどうかを見て判断しています。
次の代については、まだ明確に決めていません。子どもに継がせると決めているわけでもない。でも、自分ができる限り続けた先で、子どもでも社員でも、あるいは別の人でもいい。せっかくここまで続いてきた会社と取引先があるので、何らかの形で残していけたらと思っています。
――若い世代に伝えたいことはありますか?
頭でっかちにならず、行動してなんぼだと思います。今はスマホで何でも調べられるけど、それだけでは足りない部分もある。
昔は、飛び込みで『これ困ってるから少し貸してくれない?』『こういう商品を探しているんだけど売ってくれない?』と直接会いに行っていました。そうやって人と人のつながりを作ってきた。
自分がやりたいことも、周りに言っておいた方がいいと思います。『俺、こんなことやりたいんだよね』と言っておけば、誰かが別の場所で話を聞いた時に、『そういえばあいつが言ってたな』とつないでくれることがある。そういうものが商売では意外と大きいんです。
――仕事が苦しい時、支えになっている考え方はありますか?
あります。32歳くらいの時にトライアスロンに挑戦したんです。宮古に帰ってきた頃はかなり太っていて、『このままの人生は嫌だな』と思って運動を始めました。
『1年間で完走できる』というスクールに入って、たばこもやめて、1年後に完走しました。
その時、コーチに言われた言葉が今でも残っています。
『完走した未来の自分がいると想定して、その自分が今の自分を見たら、何が足りないか分かるはずだ』と。
仕事も同じだと思うんです。うまくいっている未来の自分から今を見たら、『これが足りない』『ここはやらないといけない』と分かる。自分の実力は、自分が一番分かっていますから。
もう一つ言われたのが、『自分の力の及ばないことは考えるな。自分の力の及ぶことだけ悩め』ということです。
天気が悪くなることを自分が悩んでも、天気は良くならない。でも、自分が今日できる準備はある。仕事も同じです。環境が変わることは自分ではどうにもできない。だったら、自分が動かせるところを一つずつやる。
年間計画をきれいに紙にするようなタイプではありません。聞かれたら、『日々を一生懸命やる』と答えます(笑)。でも結局、それが一番自分らしいんだと思います。
【プロフィール】
株式会社新里商店 代表取締役 新里 政作
生年月日:1977年8月生
出身:平良
経歴:平良第一小学校、平良中学校を経て進学。大学卒業後、23歳で宮古島へ帰郷。児童養護施設、介護関連の仕事を経験した後、家業である新里商店へ。2014年の法人化以降、代表を務める。
学生時代:小・中学校は野球、高校からはバンド活動
挑戦:32歳頃にトライアスロンへ挑戦し、1年後に完走
【編集後記】
新里政作社長を外から見ると、人付き合いが得意で、地域活動にも積極的で、次々と人の輪の中へ入っていく経営者に見えます。ところが本人は「本当は人見知り」「周りが作ったキャラを演じている気がする」と笑います。
そのギャップこそ、新里社長らしさなのかもしれません。得意だから外へ出るのではない。会社を残すため、お客様に必要とされるため、人とのつながりが必要だと分かっているから動く。
家業は継がないつもりだった。中へ入れば『このままでは潰れる』と思った。だから、昔ながらの商店への卸だけに頼らず、業務用食材、自動販売機、学校給食へと仕事を広げた。しかも、自分から大きな夢を掲げて事業を取りに行くのではなく、目の前に来た相談に応え、条件を整えながら一つずつ積み上げてきました。
台風で商品が足りなければ同業者同士で貸し借りをする。お客様とのトラブルが起これば社長自身が出向く。商品の配達ついでに釣り銭まで届ける。そこには、数字だけでは測れない島の商売があります。
一方で、経営では粗利を見て、きちんと利益を残し、社員へ還元する。その現実感も強い。人情だけでも、数字だけでも続かない。その間の「さじ加減」を探しながら、新里商店は続いています。
そして最後に残ったのは、トライアスロンのコーチから教わったという言葉でした。『自分の力の及ぶことだけ悩め』。先のすべてを決めるのではなく、自分が今日動かせることを一つずつやる。
新里社長が言う「日々を一生懸命やる」は、計画がないという意味ではありません。変化の大きい島で商売を続けるために、目の前の人と仕事に向き合い続けてきた、その経営そのものなのだと思います。