「小さく準備して、早く動く。」氷屋から「島の物流ハブ」へ
今回のOWNERSは、有限会社下地商事の代表取締役、下地盛智氏です。
1975年、町の商店として始まった下地商事は、製氷、飲料、アイスクリーム、自動販売機、ウォーターサーバー、冷凍倉庫へと事業を広げてきました。そして今、子会社の物流会社・マルセイとともに、宮古圏域の「総合商社」を目指して次の段階へ進もうとしています。
下地氏の特徴は、考え抜いてから動くことではありません。地域や取引先のニーズを感じたら、まず小さく試す。反対されても、やって見せて結果で納得してもらう。その積み重ねで、法人化前に年間4,500万〜5,000万円ほどだった売上は、現在では約4億円規模まで成長しました。
一方、その道のりは決して「出来上がった家業を継いだ」ものではありません。23歳で戻った時には、約6億円の負債を抱え、社員も10人に満たない状態。朝は氷を配達し、昼は自販機を回り、手探りで会社を作り直してきました。
氷という生活インフラを守りながら、水、飲料、物流へ。下地盛智氏がなぜこれほど動き続けるのか、その原点を聞きました。
【企業情報】
有限会社下地商事
1975年創業。製氷事業を中心に、飲料水、ウォーターサーバー、アイスクリーム、自動販売機、冷凍倉庫、不動産などを展開。現在は子会社・マルセイとともに物流事業の拡大にも取り組んでいる。
「儲かるから」ではなく、地域に必要だから動く
――現在、下地商事ではどんな事業を展開していますか?
メインは製氷です。
そこに飲料水、ウォーターサーバー、アイスクリーム各種の卸販売、自動販売機のベンダー事業があります。ほかに冷凍倉庫のレンタル、一部不動産もあります。
今、一番力を入れているのは子会社のマルセイです。下地商事が製造メーカーとしての立ち位置を強くして、マルセイは物流会社として独立した柱にする。この2本をしっかり確立したいと思っています。
――新しい事業を始める時、何を基準に判断していますか?
一番は地域やお客様のニーズです。「これを運んでほしい」「こういうものが必要だ」という声があるなら、そこには仕事が生まれる可能性があります。
ただ、動くことは投資することでもあります。だから最初から大きくやらない。まず小さな投資で、小さく動いてみる。そこから徐々に、自分たちの丈に合った形に広げていきます。
新しいことを提案すると、当然「本当にできるのか」と止められます。でも、待っている間にも時間は過ぎる。だから僕は、ある程度見えたら先に動きます。やってみせて、結果で納得してもらう。思い立ったら、とりあえず動いてから考えるところはありますね。
――人脈の広さやフットワークの軽さも、その動き方につながっていますか?
かなりつながっていると思います。利益になるか分からなくても、まず会いに行く。百聞は一見に如かずで、実際に会って話すと、聞きたかったことの倍以上の話が出てきます。そこからまた別の人を紹介してもらったりする。
自分で見て、聞いて、感じる。成功するかは分からなくても、まず動く。そこはずっと変わらないですね。
「たかが氷」ではなかった。台風で知った、生活インフラとしての責任
――下地商事の原点でもある氷について、今はどんなこだわりがありますか?
昔は一般的なキューブアイスから始まりました。僕の代になってからは、どうすればもっと溶けにくい氷を作れるかを考えて、製法を変えてきました。
氷を「締める」工程を入れたり、製氷時間を長くしたり、水そのものにもこだわっています。ブラックシリカやトルマリンを通した水を使い、その水がそのままウォーターサーバーの水にも氷にもつながっています。
「どうせ氷屋が水を作るなら、他にはないものを作りたい」。そういう思いでやっています。
――氷が「地域インフラ」だと強く感じた出来事があったそうですね。
20年くらい前の大きな台風です。2週間近く電気の供給が安定しなかった時がありました。どこにも氷がなくて、うちにも車の列ができました。
でも停電しているから、そのままでは氷を作れない。発電機を準備して、出てくる氷を手で取り出し、アイスピックで割って袋に詰める。1週間くらい徹夜に近い状態で対応しました。
コンビニに氷を持っていけば、その場で取り合いになる。それを見て、「たかが氷じゃないんだ」と初めて実感しました。水と同じように、地域の生活に欠かせない。そこから、作ることだけではなく、安定供給することへの意識が大きく変わりました。
今は製氷機も4台、冷凍庫も6室まで増えました。需要予測をしながら製造計画を組んで、台風や繁忙期にもできるだけ供給を止めない体制を作っています。
――観光客が増えたことで、氷の需要も変わりましたか?
以前は夏と冬で1.5倍くらい差がありました。今は観光客が増えたことで冬場も底上げされ、その差は少し縮まっています。
ただ、夏はやはり需要が大きい。そこで設備投資が必要になります。でも1億円規模の機械を入れても、冬に仕事がなければ返済が苦しくなる。だから水事業のように、年間を通して安定する売上を作ってきました。
氷だけを伸ばすのではなく、飲料や水、自販機、倉庫などを組み合わせる。多岐にわたって事業をやっているのは、そういう理由もあります。
23歳で渡されたのは、完成した会社ではなかった
――下地商事に入った時から、将来は継ぐつもりだったのでしょうか?
高校を卒業したら、親から「大学じゃなくて働け」と言われて、佐川急便に入りました。
毎日13時間くらい働くような環境を5年ほど経験して、その間に宅建などの資格も取りました。
23、24歳くらいで宮古へ戻って下地商事に入りました。戻ったら父は「待ってました」みたいな感じで、「お前がやれ」と(笑)。
当時は父がゴルフ練習場もやっていて、6億円くらいの負債がありました。会社も10人いるかいないかくらい。普通なら先代から仕事を教わりながら引き継ぐと思うんですけど、僕の場合はそれがほとんどなかった。完全に手探りです。
朝は氷を配達して、昼は自販機を回る。社員が休めば自分がカバーする。相談する上司もいない。実質、自分で全部考えて動くしかありませんでした。
――そこから会社の形を変えようと思ったのはいつ頃ですか?
27、28歳くらいの時に、「このままずっと自分が動き続ける会社でいいのかな」と思うようになりました。自分が動かなくても回る組織を作りたい、と。
ちょうどその頃にJCに入って、他の経営者と出会いました。同じように悩んでいる人がいると知って、「自分だけじゃないんだ」と安心したのを覚えています。そこから、組織の作り方や人の育て方を学ぶようになりました。
今は役職を持つ人たちにも、「自分も経営者だ」という感覚で動いてほしいと思っています。社長一人の考えだけで会社を動かすと限界があります。自ら動く人が増えれば、その人自身の気づきも増えて、会社も強くなる。
――お父さまから受け継いだ考え方はありますか?
「人様に迷惑をかけるな」と、「何をやるにも相手の立場になって考えなさい」ということは言われていました。
今の社訓や会社の考え方にも、そういう昔から言われてきたことを入れています。直接たくさん教わったというより、自分でやりながら形にしてきたという感覚の方が近いですね。
「失敗だった」で終わらせない。小さく動き、改善を積み重ねる
――過去に、挑戦したけれどうまくいかなかった事業もありますか?
あります。
1994年頃に、父と一緒に水を作る事業を始めました。当時の宮古では、水道水より少し良い水を作って売ろうという発想自体が早すぎたんです。
営業に行っても、「なんで水にお金を払うの?」と言われました。「あいつ、水を売ってるらしいよ」と笑われることもあった。スナックやホテルなど一部のお客様には使ってもらいましたけど、事業としては回らず、5年くらいで一度やめました。
でも2000年代になると、ペットボトルの水を買うことが当たり前になった。「ほら、言っただろ、水を買う時代が来た」と(笑)。
だから、あの時は失敗だったとしても、その経験は今の水事業につながっています。失敗したと思って終わりたくないんです。やってみたから分かったことがある。それが後から返ってくる。
――会社の成長を数字で見ると、かなり大きく変わっています。
法人化する前は、年商4,500万〜5,000万円くらいでした。今は約4億円です。
設備投資もずっと反対されました。「なんでこんな機械を入れるんだ」と。でも、自動包装機や製氷機など、必要だと思ったものを少しずつ入れてきた。その積み重ねが今につながっています。
時代の波に乗れた部分もあります。でも、流れを見て対応できるかどうか。そして改善、改善、改善。そこはずっと意識しています。
――これから10年、どんな会社を目指しますか?
下地商事グループとして、宮古圏域の総合商社になりたいと思っています。
下地商事が製造を担い、マルセイが物流を担う。この2本柱がしっかり回れば、自社商品だけでなく他社の商品も運べる。宮古島の物流のハブ機能を持つ会社になれると思っています。
本土から来た荷物をここに置いて、台風などの災害時にもすぐ出せるようにする。将来的には石垣島への氷の出荷も見えてきています。宮古だけで終わらず、離島の中で必要な物流をつなげる会社になりたいですね。
――若い人に伝えたいことはありますか?
「小さく準備して、早く動こう」です。
完璧な計画ができるまで待っていたら、何も始まりません。実際に動いてみないと、お客様の反応も現場の状況も分からない。
もちろん不安はあります。苦労もします。だから最初から大きく投資する必要はない。できる範囲で小さく始めて、やりながら考えて、改善していけばいい。
僕自身、ずっとそうやってきました。自分を信じて、まず動く。そこから次につなげていく。それが一番大事だと思っています。
【プロフィール】
有限会社下地商事 代表取締役 下地 盛智
生年月日:1979年2月生
出身:平良
経歴:高校卒業後、佐川急便に入社。約5年間勤務しながら宅地建物取引士などの資格を取得。その後、23〜24歳頃に宮古島へ戻り、下地商事へ。長年、製造・配送・自販機など現場の実務を担いながら会社を立て直し、2016年前後に代表へ就任。
大切にしていること:小さく始める/まず動く/改善を続ける
【編集後記】
下地盛智社長の話を聞いていると、「行動力」という言葉だけでは少し足りないと感じます。
動くのは早い。でも、無謀ではない。地域やお客様のニーズを確かめ、小さく投資して、まず試す。うまくいけば少し広げる。反対されたら、言葉だけで説得するのではなく、やって見せて結果を出す。
それを何度も繰り返してきました。
23歳で戻った時、そこにあったのは完成された会社ではありませんでした。約6億円の負債、少ない社員、教えてくれる人もほとんどいない。朝は氷を運び、昼は自販機を回り、自分が止まれば会社も止まる。
だからこそ、「自分がいなくても回る会社を作りたい」という思いが生まれました。今は、社員一人ひとりが自ら考えて動き、役職者が経営者のような視点を持つ組織へ変わりつつあります。
そして、氷屋から始まった会社は、水、飲料、倉庫、物流へと広がり、今では宮古圏域の総合商社を目指しています。
1990年代に一度失敗した水事業も、今では重要な柱になりました。あの時の挑戦を「失敗」で終わらせなかったからこそ、今があります。
「小さく準備して、早く動く。」
その言葉は、下地社長の若者へのメッセージであると同時に、この会社が50年間続いてきた理由そのものなのかもしれません。