「意識+行動=実績」。友利博明が描く、宮古島から次の10年へ
今回のOWNERSは、ホテル、不動産、重機リース、飲食など複数の事業を展開する先嶋産業株式会社の代表取締役、友利博明氏です。
【企業情報】
先嶋産業株式会社は、宮古島でホテルサザンコースト宮古島を中心に、不動産、重機リース、飲食など複数の事業を展開している。現在、友利氏が会社の事業を一つの言葉で表す際に意識しているのが「快適な空間を提供する会社」という考え方だ。ホテルという宿泊空間だけでなく、不動産やさまざまな事業を通して、人が心地よく過ごせる場をつくる。その先には、地元企業として地域の中でお金や仕事を循環させるという役割も見据えている。
ホテルサザンコースト宮古島は2007年に開業。ホテル業の経験がほとんどない状態から立ち上げに携わった友利氏は、総支配人を経て2017年に先嶋産業の代表に就任した。一方で本人は、社長になった当初について「なんとなく社長になった感じだった」と振り返る。そこから中小企業家同友会で学び、数字と向き合い、自分自身の経営の軸をつくってきた。現在は、地域の人材育成、宮古島観光の未来、さらにインドネシアへの進出まで、次の10年を見据え始めている。
地元で生まれた売上を、もう一度地域へ。先嶋産業が考える「快適な空間」
――ホテル、不動産、重機リース、飲食など複数事業を展開しています。先嶋産業を一言で表すと、どんな会社なのでしょうか?
今まさに、その言葉を社内でも探しているところなんです。
社員も含めて、先嶋産業で働いている自分たちは何を目指しているのか。そこを改めて整理しています。現状ではホテルが事業の中心なので、今は「快適な空間を提供する会社」という言葉に寄せていこうとしています。ホテルもそうですし、不動産もそう。全部「空間」というところでつながるんですよね。
――大型リゾートや島外資本のホテルが増える中で、地元企業がホテルを運営する意味をどう考えていますか?
これは、ここ数年ずっと考えるようになりました。県外資本や大きなリゾートホテルがどんどん入ってくる中で、「自分たちの存在価値は何なんだろう」と。資本力だけで比べたら、正直どうあがいても勝てません。
でも、地元企業がお客様からいただいた売上は、地域の中で循環する可能性が一番高い。社員の給与になり、地元企業への仕入れになり、税金として地域に戻っていく。だから、地域循環を生み出していること自体が、地元企業である我々の大きな存在価値なんじゃないかと思うようになりました。
ホテルの仕入れについても、できるだけ地元企業と付き合いたいと思っています。我々一社だけが強くなるのではなくて、地元の企業同士で連携しながら、地域全体で強くなっていく。そこはこれからもっと意識していきたいですね。
――ホテルサザンコースト宮古島は、高級リゾートでも格安ホテルでもありません。その中間の価格帯で、どんな価値を出していきたいですか?
そこは今、社員と一緒に改めて議論しているところです。高級なリゾートホテルではない。でも、安さだけを求める宿でもない。8,000円から1万円ぐらいの価格帯の中で、「ここに泊まりたい」と思ってもらえる理由を何にするのか。
価格だけで競争するのではなく、自分たちだから提供できる心地よさや安心感を、もう一度言葉にしていきたいと思っています。観光が一度大きく伸びて、コロナを経て、今また次の観光の波が来ている。その中でホテルとしての立ち位置も、もう一度考え直す時期に来ていると思います。
「甘えん坊でしたね」。剣道少年から、ホテル立ち上げの責任者へ
――ここで少し原点に戻ります。友利さんは、どんな子どもだったのですか?
小学校の頃は、結構甘えん坊でしたね(笑)。父は祖父が創業した会社の役員で、母も化粧品販売を自分でやっていました。
何不自由なく育って、欲しいものを言えば買ってもらえるような環境だったので、自分で切り開いていくという意識はあまりなかったと思います。平良第一小学校に5年生までいて、6年生の1年間だけ南小学校の第1期生として通いました。その後は平良中学校へ。小学3年生から高校2年生まで、ずっと剣道をやっていました。
ただ、剣道でも甘えは出ていました(笑)。合宿がきついと仮病を使って休んだりして。毎回やっていたので、そのうち先生にも何も言われなくなりましたね。今振り返ると、本当に甘えん坊だったと思います。
――一方で、今の友利さんにつながっている部分も、学生時代にあったのでしょうか?
高校時代を思い返して、今も変わっていないと思ったのが、人の意見を聞いて整理することです。理系のクラスだったんですけど、社会科の授業で賛成と反対に分かれてディスカッションする機会があって、その時に人の立場を聞き出したり、話をまとめたりする役割を自然とやっていました。
今、中小企業家同友会でもグループ討論の進行役をすることがありますが、ファシリテーションは結構得意なんです。今回の質問をもらって昔を振り返ってみて、「あ、これ高校時代からやっていたんだな」と初めて気づきました。
――高校卒業後は、どのような道を考えていたのですか?
本当は九州大学の法学部へ行って、法律家になりたいと思っていました。弁護士って格好いいな、ぐらいのところからですけど(笑)。福岡で1年間浪人もさせてもらいました。
ところが、そこでも甘えが出て全然勉強しない。。予備校には行くけど、帰って勉強せずに遊んでしまって、センター試験で失敗しました。それでも経済学科へ進める点数はあったので、方向転換して大学では経済を学びました。卒業後は宮古島へ戻り、1999年に祖父が創業した先嶋建設へ入りました。総務部で、国や県、市町村に提出する許認可関係の書類などを担当していました。
――そこから、ホテルサザンコースト宮古島の立ち上げに関わることになります。
ホテルを建てようという話が具体的になったのは2006年です。
今のホテルがある土地は、祖父たちがずっと以前から「いつかホテルができたらいいね」と考えていた場所だったそうです。当時の宮古島は、今ほど観光客も多くなく、ホテルの選択肢もまだ少なかった。それでも「これから観光は伸びるんじゃないか」という話になって、「それなら、お前が準備室の室長をやれ」と言われました。
ホテル経験は全くありません。先嶋建設から先嶋産業へ出向して、準備室長として開業準備を進め、2007年7月のオープン時に総支配人になりました。何も分からない土建屋がホテルを始めたわけですから、最初は本当に大変でした。旅行会社との契約も、お客様にホテルを知ってもらうことも、一つずつゼロからでした。
「なんとなく社長」から、数字を見て未来を語る経営者へ
――2017年に代表になります。当時、経営者としての意識はどのようなものでしたか?
今だから言えるんですけど、かなり低かったと思います。
「今度から社長ね」と言われて、そのまま社長になったような感覚でした。身内の会社ということもあって、社長としてどうあるべきか、自分は何を目指すのかという軸がないまま、ふわふわしていました。
――そこから意識が変わったきっかけが、中小企業家同友会だったのですね。
入会自体は2009年頃なんです。でも、最初は全然参加せず、会費だけ払っていました(笑)。本気で学ぼうと思ったのは2018年です。御菓子御殿をつくった多田克子会長の講話を宮古島で聞いたんです。今では誰もが知る大きな会社ですけど、そこにも小さな店から始まった創業の歴史があって、社員を育てながら会社を大きくしてきたプロセスがある。その話を聞いて、「こんな大きな会社でも、こうやって一つずつ積み重ねてきたんだ」と衝撃を受けました。
その時に、「自分は社長なのに、何も学んでいない。これはまずいな」と思いました。そこから経営指針書を作ったり、経営者仲間と未来を語ったりして、少しずつ自分の軸をつくってきました。今、自分が大切にしているのが「意識+行動=実績」という考え方です。まず「どうなりたいか」という意識がある。そして、それに行動が伴って初めて実績になる。会社だけじゃなく、自分の人生もそうありたいと思っています。
――経営の数字についても、見方が大きく変わったそうですね。
そうですね。これまでは数字を意識しなさすぎました。先嶋建設の総務も兼任しながらだったことを、どこかで言い訳にしていた部分もあります。今、一番意識しているのは粗利です。もちろん、これまでも売上や利益、キャッシュの動きは見てきました。ただ、最近はそこからさらに一歩踏み込み、数字をできる限り細分化して改めて見るようになっています。
そして、その数字を経営者だけが把握するのではなく、社員とも共有することを大切にしています。会社が今どんな状態にあり、どこを伸ばし、どこを改善すべきなのか。数字を共通言語にしながら、社員と一緒に経営を考える会社へ変えていこうとしています。
――人材については、地元で採用し、育てることを特に意識しています。
地元企業として、働く場所として選んでもらえる会社にならないといけないと思っています。給与や休みはもちろん大切です。でも、それだけではなくて、「ここで働くことで自分はどう成長できるのか」「どんな人生を描けるのか」が見える会社でなければ、長く働き続けるのは難しいと思います。
だから、サザンコーストで働いた経験が、将来もっと大きなリゾートホテルや別の宿泊施設へ進む時のステップアップになってもいいと思っています。もちろん長く一緒に働いてくれたら嬉しい。でも、その人の人生ですから。一緒に働いた時間が、その人にとってプラスになればいい。人が育って、また地域や業界で活躍する。それも地元企業としてできる地域貢献の一つだと思っています。
宮古島から世界へ。次の10年も「行動する」
――これから10年、先嶋産業をどんな会社にしていきたいですか?
今、一番ワクワクしているのは、東南アジアへの進出です。まだ構想段階ですけど、10年スパンで実現したいと思っています。
きっかけは、3〜4年前から受け入れている東南アジアの大学生のインターンシップです。日本語とホテル業務を学ぶために1年間働いてもらっていて、その1期生の子が帰国して大学を卒業した後、「またサザンコーストで働きたい」と言ってくれました。宿泊分野の試験にも合格して、また宮古島へ戻ってくる予定です。
それを聞いた時に、「この子をきっかけに、東南アジアで何かできないか」と一気にイメージが広がりました。日本国内だけを見れば人口は減っていく。でも、東南アジアには若い人が多くて活気がある。そこで、日本で培った建物や観光におけるサービスの考え方を活かしたホテル事業ができたら面白いですよね。
まだ誰にもあまり話していない構想です(笑)。でも、そういうワクワクする未来を社員と共有したい。「東南アジア、面白そうだね」と言いながら、一緒に次の10年を描ける会社にしたいと思っています。
――一方で、宮古島の観光については、どんな未来を描いていますか?
観光業はこれからも絶対に必要ですし、宮古島が観光の島であることは変わらないと思います。ただ、観光でこれだけ島が潤っている一方で、地域の皆さんが「観光によって自分たちの暮らしも支えられている」という実感を、まだ十分に持てていない部分もあると思います。
今、観光協会の副会長も務めていますが、まずは島の人たちが観光の価値を理解して、来てくれた方を歓迎できるような島にしたい。そうすればリピーターも増える。宮古島には世界的な観光地になれるポテンシャルが十分にあると思っています。
外から来る企業を否定するのではなく、地元企業も自分たちの価値を磨いて、地域の中で連携して強くなる。その両方が必要なんだと思います。
――最後に、これから会社を継ぐ人や、宮古島で起業する若い世代へ伝えたいことはありますか?
「自分がどういう人生を歩みたいのか」を、できるだけ早く明確にしてほしいですね。自分の人生の目的、生き方、自分の核になる軸を、本を読んだり、人の話を聞いたりしながら、自分の中に落とし込んでいく。
僕自身、もっと早くそれができていたら、人生はかなり違っていただろうなと思います。だからこそ、若い人には早いうちから考えてほしい。そして、考えるだけではなく行動する。本を読んでも、話を聞いても、実践しなければ何も変わりません。意識して、行動して、それが実績になる。結局はそこだと思います。
友利氏がコロナ禍から続けているランニングも、その考え方とどこか重なる。朝、空腹のまま走ると頭が冴え、仕事のアイデアが浮かぶという。そして、走り続けることで「行動した」「継続できた」という小さな自信が積み重なっていく。まだフルマラソンのゴールは切れていない。だからこそ、次は完走したいと笑う。会社も人生も、目指す場所を決め、まず一歩を動かすところから始まる。
【プロフィール】
先嶋産業株式会社 代表取締役 友利 博明
出身:宮古島市平良
生年月日:1975年8月生
趣味:ランニング
大切にしている考え方:意識+行動=実績
【編集後記】
友利博明社長の話で印象的だったのは、「完成された経営者」として自分を語らなかったことです。代表になった当初を「なんとなく社長になった」と振り返り、数字についても「意識しなさすぎた」と率直に話す。その一方で、気づいたことを学び、行動へ変えていくスピードがあります。
地元企業がホテルを経営する意味を「地域循環」と捉え、社員が次のステージへ進むことまで含めて人材育成と考える。そして、宮古島のホテルを経営しながら、次は海外まで視野に入れる。話は大きく広がっていきますが、その根っこには一貫して「人」と「地域」があります。
少年時代は、自分で道を切り開くタイプではなかったという友利社長。社長になってからも、最初から経営の軸があったわけではありません。それでも、学びながら一つずつ自分の軸をつくってきた。その過程そのものが、「意識+行動=実績」という言葉を一番よく表しているように感じました。
宮古島で利益を生み、地域へ循環させ、人を育てる。そして次は、島の外へ挑戦する。先嶋産業の次の10年は、すでに友利社長の中で動き始めています。