二代目社長が語る、宮古島初の家電量販店の舞台裏と未来

インタビュー

第1回は、宮古島初の家電量販店フランチャイズ「ベスト電器」の二代目経営者、川満正人氏です。

【企業情報】

1972年に川満正人氏の父である川満吉昇氏が、サンヨー電気の個人電気店として川満電器を下里通りに開業。その後、1982年に株式会社ベスト電器のフランチャイズ店舗「ベスト電器宮古店」として東仲宗根にリニューアルオープン。宮古島初の家電量販店となる。平成12年(2000年)に現在の西里に新築移転し、2022年の今年、川満電器として50年目、ベスト電器宮古店として40年目を迎えた。

父の後を継いでから変えた「“知り合い割引”をやめること」

――ベスト電器に勤めたきっかけは?

2014年、大学の卒業と共に福岡のベスト電器に就職しました。1982年から父がベスト電器宮古店を営んでいたわけですが、大学3年の就職活動を始める時まで、後を継ぐということを特に意識したことはありませんでした。就職活動を始める時に初めて父ときちんと話しをしたんです。でも、きっと意識下では継ぐことを考えていたのだろうと思います。

 

子どものころは父は忙しく仕事をしていて、関わる時間は短かったんですよね。大手量販店のフランチャイズ店のオープンなので、人口規模的に許可が簡単には下りなくて、オープンまで大変だったそうです。

福岡の本社に3度ほど通って熱烈な交渉したことでオープンにこぎつけたんです。そんな状況なので、当時の宮古島には家電量販店はベスト電器の1店舗。それまで、本島に家電を買いに行く人も多かった宮古島の家電環境が変わりました。宮古島初の家電量販店として、島民が珍しい家電や豊富な品揃えを楽しみながら購入できる店舗として、大切な役割を担っていました。

当然お客様はうちの1店舗に集中しますし、販売・配達・修理・工事など少人数で色々と対応していたから、忙しかったのだと思います。もちろん、夜はよく仲間と飲みに行ったりはしていたようですけれど・・笑。

――代表を引き継いでから意識して変えたことはありますか?

会社の経営を引き継いだ後も、離島ならではの大変さは変わりません。台風が来たら商品が入荷しない、お客様が急ぎで入手したいと思われる商品があっても時間がかかることもあります。

それはしかたのないことですが、私が代表となって意識して変えたのは「知り合いだからといって特別扱いしないこと」です。

島内は横のつながりが強く、店頭に立って接客をしていると、商品のスペックよりなにより、「知り合い割引はどのくらいなのか?」を一番知りたいという方が多いのだなと強く感じました。知り合いだからと特別扱いしていると、従業員も増えていく中で、当然私の知り合いだけでなく全従業員の知り合いすべての人を特別扱いしなくてはならなくなり困ってしまうんです。なので、お客さまは平等に対応するという基本に立ち返ることにしました。

――いつも店頭に立たれているのですか?

あまり立たないようにしているんです。私の今の主な役割は法人営業と商品の価格設定ですね。今は自分が店頭に立って売上を上げていくのではなく、従業員が売上を上げる環境づくりをすることに比重を置いています。

従業員が商品を理解できるようメーカーの勉強会の受け入れをしたり、あと、在庫補充は全国的に一般的な自動発注ではなく、実は担当者それぞれが自分で確認して発注するようにしているんです。

これによって、例えば今どの商品が人気かとか、ウクライナの戦争の影響などもあって品切れになって入荷しない商品があるとか、この店舗の環境や家電を取り巻く環境を体感することができているんです。

“電器屋さん”としてお客さまに寄り添いつつ、島外企業ともうまく関わりたい

――2013年のヤマダ電機さんの参入で変わったことはありますか?

変わったことの一つ目はもちろん売上です。そして、とても大きかったのは二つ目のお客さまの住み分けですね。ありがたいことに、お得意さまがちゃんと残ってくださいました。

今の時代、安く買うための方法はネット通販も含めていろいろあります。ベスト電器宮古店は、家電店が1店舗しかない時代から宮古島の方々と歩んできました。

先ほどもお話ししましたが、以前は本島まで購入しに行く人もいた時代があったわけですが、それが地元で買えるようになり、さらに価格やサービスについて「特別扱いしない」で平等に対応してきたことが誠実さの証となって、結果としてお得意さまがベスト電器宮古店に引き続き足を運んでくださることにつながったのではと思います。

――今年(2022年)はエディオンさんが参入しますが、どう受け止めていらっしゃいますか?

開業時は目新しさもあり、皆さんエディオンさんに足を運ばれると思います。それは当然。その後、当店の良さを分かってくださっている方が、引き続き来店してくださるようにしなくてはと思っています。私たちがすべきことは「変えないことと変わること」です。

3店の量販店が島内にあるわけで、やはり差別化は必要です。ベスト電器宮古店は今までもこれからも変わらず、いわゆる“電器屋さん”であり続けたいと思っています。ベスト電器宮古店としては今年で丸40年。今までご愛顧くださったお客さまと一緒に年を重ねてきました。

ベスト電器のグループスローガンは「くらしのベストパートナーへ。」なのですが、この精神は変えず、宮古島の皆さまの“家電のお困りごと”を引き続きサポートしていきたいと思っています。これはお客さまを守る、つまりはお客さまの生活を守ることであり、ひいては宮古島の住みやすさを守ることにつながると考えています。

また、どんどん新しいお客さまにもご来店いただきたいと思っています。そのためには、ベスト電器宮古店のよいところをもっと磨き、知っていただくことが必要です。知っていただくための一環で、実は少し前から女性スタッフが中心となって、インスタグラムでの情報発信も始めました。まだまだ手探りですが新しい取り組みです。

――島外の企業が参入することをどう受け止めていますか?

島外の企業が宮古島に入ってきていることで、職種の幅に広がりが出たり、宮古島出身で宮古島に住んでいる人には当たり前のこと・当たり前の景色などの宮古島の魅力に気づかされる点も多々あるので、そのこと自体に否定的な気持ちはありません。ただ、二代目の経営者として、島外の企業に負けないように元気で居なければと思っています。それには、島外企業とつながりを持ち、うまく関わっていけるのがいいですね。そしてそれが独自性となっていくのがベストです。

仕事を大切にすることが宮古島を大切にすることにつながる

――幼いころの宮古島と今はどんな風に違いますか?

実家は平良・下里で妹と二人兄妹です。幼少期は空地も多く、今と比べて子どもが遊べる場所がたくさんありました。学校は、今の子ども達とは違って、保護者が車で送迎するなんてこともなく、暑い中徒歩で通う時代でしたよ。

小学校までは宮古島で過ごしたのですが、その後の中学・高校は福岡の学校に進学して寮生活でした。言葉や食べ物など、宮古島とは全く異なる環境にとても驚きました。

今の宮古島は、私たちの時代と違い、ハンバーガーチェーンなどの色々なお店ができてとても便利になってきましたが、どこの地方とも変わらない同じような景色になりつつあるのが少し寂しいですね。

そして、私たちの頃にはあった遊び場が減ったことで、子どもたちが集まることができる場所が少ないと感じています。子どものお祝いごと、高校入試のお昼に家族で食べるお弁当、旧十六日など、宮古島の守るべき文化や美しい場所は守りつつ、子どもたちの健全なたまり場があるといいのになあと感じています。

――最後に、この記事を読んでくださった方にメッセージをお願いします

仕事には絶対に人がいます。それが宮古島の方であっても、宮古島にかかわる方であっても、今の仕事・お客さまに真剣に取り組むこと、大切にすることが、宮古島を大切にすることだと考えています。経営者として、この会社が一日でも長く存続するよう方法を工夫していきたいと思います!

株式会社川満電器  代表取締役 川満正人
出身:宮古島市平良
生年月日:1975年8月20日
座右の銘:素直な心(松下幸之助さんの言葉)
趣味:楽器(ベース)、音楽鑑賞(パンクロック)

編集後記

島外の量販店を誘致し、宮古島の家電環境を変えたベスト電器の次の時代を担う川満正人社長。宮古島の歴史において、ベスト電器が宮古島にあることの意義はとても大きなものです。二代目の川満正人社長は、島内ではいまだ一般的な “知り合い割引”を止める決断をしました。長年続く文化を変えるのはとても勇気の要ること。しかしながら、この決断をすることで、よりサステナブルな企業経営、経済活動への歩みを進めている姿がとても素敵でした。