第2章 – マイナスのクセと人間関係
第7節 人間関係をこじらせる「思い込み」の正体
人間関係が嫌で仕事を辞めたい人
鑑定に来るお客さまから多く聞くのが、
「職場の人間関係がつらいので、仕事を辞めたい」
という悩みです。
そのような相談を受けるたびに、私はこうお話ししています。
「自分自身が変わらない限り、場所を変えても同じことが起こるかもしれませんよ」
もちろん、本当に環境が悪く、離れたほうがよい職場もあります。
けれども、どこへ行っても同じような人間関係のトラブルを繰り返しているのであれば、相手や環境だけではなく、自分の言動や考え方にも目を向ける必要があります。
なぜか毎回、同じ人のもとへトラブルが集まってくることがあります。
けれども、よく見てみると、本人がトラブルのきっかけをつくっていることも少なくありません。
言わなくてもよいことを言う。
頼まれていないことに手を出す。
相手の問題へ深く入り込みすぎる。
まるで、自分で自分に火の粉を振りかけているような状態です。
見守るには勇気がいる
自分に直接関係のないことなら、無理に口や手を出さず、見守ることも大切です。
けれども、見守ることには意外と勇気がいります。
困っているように見える人がいれば、助けなければならないと思う。
自分が手伝ったほうが早いと感じる。
間違った方向へ進んでいるように見えると、つい口を出したくなる。
その気持ちは、悪意から生まれているわけではありません。
むしろ、相手のためを思っていることがほとんどです。
ただし、相手が助けを求めていない場合、その行動は「余計なお世話」や「ありがた迷惑」になってしまうことがあります。
最初は黙って受け入れていた相手も、そのうち、
「もういいです」
「放っておいてください」
「いい加減にしてほしい」
と、嫌がるようになるかもしれません。
すると、手伝った側は戸惑います。
「どうして怒るの?」
「あなたのためにしてあげたのに」
「感謝されると思っていたのに」
そのようなときには、相手の態度だけを責めるのではなく、
「もしかすると、自分にも原因があったのではないか」
と考えてみる必要があります。
その手助けは頼まれたものですか
相談を受けたとき、私はよく尋ねます。
「その人から、手伝ってほしいと頼まれましたか?」
すると、
「頼まれたわけではないです」
「でも、私がやったほうが早いと思って」
「困っているように見えたので」
という答えが返ってきます。
けれども、
「自分が手伝ったほうが早い」
というのは、その人自身の考えです。
相手も、同じように感じているとは限りません。
相手には、自分のやり方で進めたい気持ちがあるかもしれません。
時間がかかっても、自分で経験したいと思っているかもしれません。
だからこそ、手を出す前に一言尋ねることが大切です。
「手伝ったほうがいいですか?」
「何か私にできることはありますか?」
「必要なら声をかけてくださいね」
先に相手の意思を確認するだけで、多くのトラブルを避けることができます。
断れないことで相手を怒らせる人
反対に、相手からの好意や申し出を断れず、人間関係を悪化させてしまう人もいます。
誰かが満面の笑みで、
「私がやってあげるよ」
「任せて、任せて」
と近づいてくると、断れなくなるそうです。
断ったら、相手の好意を無駄にするような気がする。
冷たい人だと思われるかもしれない。
相手を傷つけるかもしれない。
そのように考えて、本当は嫌なのに、
「ありがとう」
「お願いします」
と受け入れてしまいます。
けれども、心の中では、
「本当はしてほしくない」
「そこまで関わってほしくない」
「自分でやりたい」
と思っています。
自分の正直な感情を無視しているのです。
最初にイエスと言うから揉めてしまう
私は、そのような人に尋ねます。
「本当はノーと言いたいのですよね。それなのに、どうしてイエスと言うのですか?」
すると、
「最初から断ると、揉めそうだから」
という答えが返ってきます。
けれども、実際には最初にイエスと言うから、あとで揉めているのです。
相手からすれば、一度は受け入れてもらったと思っています。
ところが時間がたってから、
「やっぱり嫌です」
「もうやめてください」
「そこまでしてほしくありません」
と言われると、
「最初はいいと言ったじゃない」
「どうして急に変わったの」
と、混乱します。
イエスと言うのであれば、最後まで受け入れる覚悟が必要です。
それができないのであれば、最初の段階でノーを伝えたほうが、お互いのためになります。
自分の本音を曖昧にしない
日本では、はっきり断ることを失礼だと感じる人が少なくありません。
相手の気持ちを考えるあまり、自分の気持ちを曖昧にしてしまいます。
本当は嫌だけれど、完全に断るのも申し訳ない。
受け入れたいわけではないけれど、相手を傷つけたくない。
そのようなグレーゾーンが増えるほど、言葉と本音が一致しなくなります。
すると、相手にはこちらの本当の気持ちが伝わりません。
自分では遠回しに断っているつもりでも、相手は了承されたと思っていることがあります。
人間関係を円滑にするためには、相手を思いやることと同じくらい、自分の意思を正直に伝えることが大切です。
「お気持ちはうれしいのですが、今回は大丈夫です」
「ありがとうございます。でも自分でやってみたいです」
「今は必要ありません」
このように、感謝を伝えながら断ることもできます。
ノーと言うことは、相手を否定することではありません。
自分の気持ちと境界線を、正直に伝えることなのです。
マイナスのフィルターが出来事を変えてしまう
人間関係に悩む人の多くは、出来事そのものではなく、その出来事にかけたマイナスのフィルターによって苦しんでいることがあります。
誰かが席を立った。
返事がなかった。
誘いを断られた。
話しかけても反応が薄かった。
これらは、本来はただの出来事です。
けれども、心の中に不安や孤独感があると、その出来事を、
「避けられた」
「嫌われている」
「わざと無視された」
「仲間外れにされた」
と、マイナスに解釈してしまいます。
同じ出来事でも、どのような感情を通して見るかによって、その意味は大きく変わるのです。
友人が次々と学校を辞めた娘
宮古島では、高校を途中で辞める子が少なくありません。
私の娘が高校二年生から三年生へ進級するころ、いつも一緒にいた友人たちが、次々と学校を辞めていきました。
仲のよかったグループの子が全員いなくなり、娘は一人になってしまいました。
娘は別のグループへ入ろうとしましたが、高校生活の途中から、すでにできあがっている人間関係の中へ入るのは簡単ではありません。
私自身の中学や高校時代を振り返っても、女の子は小さなグループをつくり、その中で固まりやすい傾向があります。
高校三年生になってから、新しいグループへ入るのは大変だろうなと思いながら、私は娘の様子を見守っていました。
「みんなに嫌われている気がする」
夏休みが終わってしばらくたったある日、娘が突然言いました。
「私、みんなに嫌われている気がする」
「友だちになりたいのに、誰もグループに入れてくれない」
私は、
「これはまずい。この子も学校を辞めるかもしれない」
と思いました。
そこで娘と本気で向き合い、何があったのかを一つひとつ聞いていきました。
娘は言いました。
「私が雑巾を洗いに行ったら、流しにいた子がサッといなくなった。絶対に避けられている」
けれども、その子は用事が終わったから、その場を離れただけかもしれません。
娘はさらに言いました。
「一緒に調理室へ行こうと声をかけたのに、無視して先に行ってしまった」
私は尋ねました。
「あなたの声が小さくて、聞こえなかったのではないの?」
すると娘は、
「あ、緊張してモゴモゴ話していたから、聞こえなかったかもしれない」
と答えました。
断られたことを拒絶と受け取っていた
娘は、別の出来事も話しました。
「トイレへ行こうと誘ったのに、今は行きたくないと断られた」
「でも、しばらくしたら、その子は別の子とトイレへ行っていた」
娘は、その行動を、
「私とは一緒に行きたくなかった」
「私は嫌われている」
と受け取っていました。
けれども私は、
「さっきは行きたくなかったけれど、あとから行きたくなっただけではないの?」
「あなたにも、そういうことはあるでしょう?」
と聞きました。
すると娘は、
「あ、そうだ」
と気づきました。
娘は、出来事そのものではなく、自分の不安を通して相手の行動を見ていたのです。
自分から動けないというマイナスのクセ
娘には、自分から新しい友人をつくることが苦手というクセがありました。
話しかけられるまで待つ。
誘ってもらえるまで動かない。
自分から、
「仲間に入れて」
「一緒に行ってもいい?」
と言うことができません。
とても受け身だったのです。
そのため、私が何かを提案しても、
「行けない」
「誰も呼んでくれない」
「しょうがないじゃん」
という答えが返ってきました。
けれども、まったく誰とも話していないわけではありません。
休み時間に、気を利かせて声をかけてくれる子もいたようです。
それでも娘は、「誘われなかった時間」ばかりに意識を向けていました。
学校だけが人生のすべてではない
私は娘に言いました。
「授業中は、どのみち友だちとは話さないでしょう」
「休み時間に誘ってもらえたら一緒に過ごして、誘われなければ寝ていればいいんじゃない?」
娘は、
「そうしようと思うけれど、悲しくなる」
と答えました。
そこで私は、さらに尋ねました。
「高校のクラスメイトと、一生付き合っていくの?」
「卒業したら、宮古島を出るつもりでしょう?」
「それなら、今だけのことじゃない?」
「冬休みや就職準備の休みもあるし、卒業までに学校へ行く日は、あとどれくらいあると思う?」
「一生このクラスの人とだけ付き合うわけではないのだから、今は一人でもいいんじゃない?」
娘は、
「そっか」
と、気持ちを切り替えることができました。
そして学校を辞めず、無事に卒業しました。
事実ではなく感情が物語をつくっていた
娘は、クラスメイトから悪口を言われたわけではありません。
いじめられたわけでも、明確に仲間外れにされたわけでもありませんでした。
仲のよかった友人たちがいなくなり、寂しさや不安でいっぱいになっていたのです。
そのマイナスの感情が、クラスメイトの何気ない行動にマイナスの意味を与えていました。
席を立っただけなのに、避けられたと感じる。
声が聞こえなかっただけなのに、無視されたと思う。
そのときはトイレへ行きたくなかっただけなのに、自分だけ断られたと受け取る。
こうして一つひとつの出来事が、娘の中で、
「私は嫌われている」
「私はいじめられている」
という物語へ変わっていったのです。
人間の気持ちは、本当に不思議であり、怖いものでもあります。
「嫌われている」は本当なのか
人間関係に悩んでいるときには、一度、客観的に状況を振り返ってみてください。
「避けられている」
「嫌われている」
「わざと嫌がらせをされている」
そう感じていることは、本当に事実でしょうか。
相手は、実際にそのような言葉を口にしましたか。
それとも、自分の不安や過去の経験から、そう解釈しているだけでしょうか。
もちろん、本当に嫌がらせやいじめがある場合には、我慢する必要はありません。
周囲の人や学校、職場へ相談し、安全を確保することが大切です。
けれども、事実がはっきりしない段階で、すべてを悪意として受け取ると、自分自身が苦しくなります。
出来事と、自分の解釈を分けて考えてみてください。
狭い世界がすべてに見えてしまう
娘はその後、専門学校へ進み、同じ夢を持つ一生の友人と出会いました。
さらに大人になった今では、中学や高校が同じだった人たちとも遊ぶようになっています。
高校時代には、
「私は嫌われている」
「誰とも友だちになれない」
と思っていたのに、時間がたつと人間関係は変わりました。
学校という場所は、驚くほど狭い世界です。
その中にいると、今のクラスやグループが人生のすべてに感じられます。
そこでうまくいかなければ、自分の人生そのものが失敗したように思うこともあります。
けれども、学校を出れば、もっと広い世界があります。
自分と同じ価値観や夢を持つ人とも出会えます。
今いる場所だけを見て、自分の未来を決めつける必要はありません。
言葉に勝手な意味を加えない
何かを言われたとき、その言葉をそのまま受け取れず、隠された意味を探そうとする人がいます。
「これは私を責めているのではないか」
「本当は別の意味があるに違いない」
「遠回しに嫌味を言われている」
そして、
「誰のせいなのか」
「自分が悪いのか」
「相手が悪いのか」
と、責任の所在を明らかにしようとします。
けれども、誰も責めていないこともあります。
怒ってもいないのに、自分で、
「責められている」
「否定されている」
と思い込んでいるだけかもしれません。
人の言葉を否定的に受け取るクセがあると、普通の会話まで攻撃に聞こえてしまいます。
まずは、言葉を言葉どおりに受け取ることが大切です。
夫の言葉からドラマをつくる人
鑑定でも、
「言葉どおりに受け取ってくださいね」
とお話しすることがよくあります。
相談者は、
「夫がこんなふうに言いました」
「きっと、こういう理由があって、そのように言ったに違いありません」
と話します。
そこで私は尋ねます。
「ご主人は、本当にそこまで言ったのですか?」
すると、相談者は不思議そうな顔をします。
「いいえ、そこまでは言っていません」
「でも、きっとそういう意味です」
「私にはわかります」
そのとき私は、
「そこには、あなた自身の感情が入っていますよね」
「ご主人の言葉を、そのまま受け止めてみてはいかがですか」
と伝えます。
そこで、
「あ、本当だ」
と気づく人もいます。
けれども、どうしても気づけない人もいます。
「でも、その言葉を言ったということは、こういう理由があって、その裏にはこういう気持ちがあって……」
と、さらに物語をつくり続けます。
自分でつくった物語に苦しめられる
相手が言っていないことまで想像し、その想像を事実だと思い込む。
これは、自分でドラマの脚本を書き、そのドラマによって自分が苦しめられている状態です。
浮気を疑う場合にも、同じことが起こります。
もちろん、実際に不審な事実がある場合もあります。
けれども、すべてではありません。
たとえば、
「夫がスマートフォンの画面を見せないようにした」
「だから浮気しているに違いない」
と考えます。
そこから物語が始まります。
「目をそらした」
「私から少し離れた」
「帰宅時間が遅かった」
一つひとつの行動を、自分の思い込みを証明する材料として集めていきます。
そして、まだ確認できていない浮気を、頭の中では確定した事実にしてしまいます。
疑われ続ける側の苦しさ
疑われる側からすれば、身に覚えのないことで責められている状態です。
どれだけ否定しても、
「それは言い訳でしょう」
「隠しているから否定するんでしょう」
「私はだまされない」
と言われます。
そうなると、何を話しても信じてもらえません。
家の中にいても息苦しくなり、話すこと自体が嫌になってしまいます。
疑いによって相手を追い詰め続ければ、二人の関係は少しずつ壊れていきます。
そして皮肉なことに、疑い続けた結果、本当に相手の心が離れてしまうこともあるでしょう。
妄想から始まったドラマが、現実の関係を変えてしまうのです。
私も浮気を決めつけられた
私自身も、結婚したころに、何もしていないのに夫から浮気を疑われた経験があります。
夫は、
「俺はだまされない」
「お前は絶対に浮気している」
と決めつけました。
私が何を説明しても、
「そんなのは言い訳だ」
と言って、聞こうとしません。
最初から私が浮気をしているという前提で話しているため、会話がまったくかみ合わないのです。
事実を説明している私と、頭の中でつくられた物語を信じている夫。
二人は、まったく違う世界で話していました。
そのうち私は、
「何を言っても無駄だ」
「もう、どうでもいい」
と、投げやりな気持ちになりました。
疑われていることよりも、自分の言葉を信じてもらえないことが苦しかったのです。
妄想のドラマを手放す
人間関係を苦しくするのは、相手の言葉や行動だけではありません。
そこへ、自分がどのような意味を加えるかによっても、苦しさは大きく変わります。
相手が言ったこと。
実際に起きたこと。
自分が想像したこと。
この三つを分けて考えてみてください。
「相手は、本当にそう言ったのか」
「自分は、何を事実として確認したのか」
「どこからが自分の想像なのか」
そう整理するだけでも、被害妄想のフィルターは少しずつ薄くなっていきます。
想像だけで相手を責めない。
頼まれていないことに手を出さない。
嫌なことには、最初からノーを伝える。
言葉に勝手な意味を加えず、そのまま受け取る。
人間関係のトラブルを減らすためには、相手を変えようとする前に、自分の考え方や行動のクセに気づくことが大切です。
妄想でつくったドラマは、もう必要ありません。
事実を見て、自分の本音を伝え、相手の意思も尊重する。
その積み重ねによって、人間関係はもっと軽く、穏やかなものへ変わっていくのです。
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