くまから・かまから vol.445

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 こんにちは〜。
 台風27号(こんな時期に!)の影響か、風が強く雨が降り、ぴしーぴしぬ(寒い)宮古です。
 vol.445お届けです。お楽しみくださいね〜。

首里城の魅力

ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)

 先月末未明、首里城正殿で発生した火災は、瞬く間に正殿他主要な建物7棟を焼き尽くし、翌朝11時過ぎに漸く鎮火しました。

 B.サラは朝のTVニュースで首里城火災を初めて知りましたが、もうその時には、既に首里城正殿は焼け落ち、その姿はありませんでした。さらに燃え広がるのを食い止めようと懸命の消火活動が行われていました。
 
 「あがんにゃよーい!だいずなくとぅどー!」(なんて大変な事だ!)いま目にしている光景が俄かに信じられない気持ちでした。龍潭池のほとりでは、大勢の市民が燃え盛る首里城を心配そうに見つめていました。うさまり ふぃーる てぃ(なんとか鎮火してくれと)手を合わせて祈っている人、涙ぐんでいる姿もありました。
 
 B.サラと首里城の ぱずみぬ(最初の)接点は、NHK全国合唱コンクール沖縄県大会に宮古島代表として参加した中学3年生の時(1966年)でした。当時、大会が行われた琉球大学の体育館は、首里城跡地に有りました。もちろん、首里城は、さき°ぬ いふさしー(先の大戦で)焼失し跡かたも有りませんでしたが、キャンパス周辺には、うまかまん(ところどころに)瓦礫の様な城壁の一部があり、キャンパスのはずれに守礼門がさびすきなり(寂しそうに)ぽつんと建っていたのを記憶しています。

 中学3年のB.サラには、かってそこが琉球王の居城であり壮大な首里城がそびえたっていたなんてことを思い描けるほどの知識も想像力も有りませんでした。
 
 その後、琉球大学が移転し、本格的に首里城の たてぃのーす(再建)が始まり1992年に首里城正殿が完成します。本土で暮らしていたB.サラは、本島を素通りして宮古島に帰省するため、なかなか首里城を訪れる機会が有りませんでした。再建後の首里城を初めて訪れたのがいつ頃だったか覚えていませんが、初めてその姿を見たときその美しい姿にいたく感動したのを覚えています。沖縄の文化や美がまさに首里城に結集していたからです。
 
 B.サラが本土に出てきた頃は、沖縄差別こそ有りませんでしたが、沖縄の事についてはほとんどの人が無関心でした。自分自身も沖縄人としてのアイデンティティーや誇りを持てないまま、大和に同化しようともがいていました。そんな時、再建された首里城の存在は、大げさにいえば、私の沖縄人としてのアイデンティティーを目覚めさせたといえます。それは、私だけでなく首里城再建をきっかけに多くの沖縄の人々が自分たちの文化に誇りを持った瞬間だったと思います。
 
 2008年には、池上永一氏の琉球王朝を舞台にした小説「テンペスト」がベストセラーとなり、2011年には、NHKBSプレミアムで仲間由紀恵さん主演で放送されると、首里城は一躍注目を集めました。このドラマには、史実に忠実でないとの一部批判も有りましたが、このドラマをきっかけに沖縄の文化や歴史に興味を抱いた人も多かった事を考えると、池上氏の功績は大きかったと思います。
 
 B.サラは、6年前に再度首里城を訪れました。その時は、ドラマ「テンペスト」の影響もあり「京の内」(きょうのうち)と呼ばれる場所を中心に見て回りました。「京の内」は城の南西部の城壁で囲まれた一帯のことで、聞得大君(きこえおおきみ)が祭祀等を執り行った神聖な場所です。沢山の沖縄特有の樹木が鬱蒼と茂った迷路のような小路を辿ると、所々に神に祈りを捧げる小さな拝所が現れ、とても神秘的です。樹木や草花には丁寧に名前のタグが付与されているので、一回りする頃にはちょっとした植物博士になります。B.サラが訪れた4月下旬は、丁度、月桃の開花時期でもあり、月桃の かばすかざ(甘い香り)が周辺に漂っていました。
 
 更に、「京の内」を いずんかい(西側に)進むと、外郭の一番西に「西のアザナ」(イリのアザナ)と呼ばれる物見台が築かれた高台に出ます。ここからは那覇の町や那覇港を一望に見下ろすことが出来、当時は港に賑わう交易船の様子が手に取るように見えたといいます。ここに旗を立て鐘で時刻を報じたとも言われています。「京の内」一帯は、幸いにも今回の火災を免れているので、首里城に行かれた際は、是非散策していただきたいと思います。
 
 今回の火災で残念ながら、首里城は、正殿を含め主要な建物を失ってしまいましたが、幸いにも今年1月、正殿の裏側に完成した「御内原」(おうちばら)と呼ばれるエリアは、火元である正殿の風上側に有ったため難を逃れています。その他にも、火災を免れた城郭や城門等が数多く残っています。首里城正殿は焼け落ちてしまいましたが、城内およびその周辺には、見るべきスポットがまだまだ沢山あると思います。
 
 再建には、木材の調達や技術者不足等乗り越えなければならない多くの問題があるようですが、B.サラは急ぐ必要はないと思っています。技術を習得し人材を育てながら、じっくりと再建に取り組んでいくのがベストだと思います。やまかさぬ(幾多の)困難を乗り越えてきた沖縄です。再建に向かって沖縄の心がまたひとつになればいいなと思っています。

◇あの話をもう一度

あったぼう(平良・西仲出身)

えー、家康と信長、太っていたのはどっち?答え、信長。ウダ信長だから。(ウダは、太っているの意)

沖縄では母音の「あ、い、う、え、お」は、「あ、い、う、い、う」になる。本島、宮古、八重山どこでも、方言はそうなっている、とのことです。例えば、前は、まい、 親は、うや、 声(ko e)は、くい(ku i) と言うように。

又、「万葉集」に出てくるような、古い言葉が、沖縄のあちこちの島に残っていると言います。宮古の例だと

  • うぐなあり(集まる)
  • すとうむてい(朝)
  • まぐ(エッチする)
  • かなす(愛す)
  • なす(産む)
  • まる(排便)
  • まずむぬ(魔物)
  • こぞ(去年)
  • ない(地震)
  • つと(土産)

など。

同じ沖縄でも、歴史的によその地域との交流が頻繁にあった所と、そうでなかった所とでは、方言がかなり変わって来たとのことで、その例が、ハ行の発音。例えば、「花」の発音で一番古いのが、「ぱな」その次が「ふぁな」そして「はな」。というように、ぱぴぷぺぽ ⇒ ふぁふぃふうふぇふぉ ⇒はひふへほ、と発音が、変わって来たとのことで、そうすると、

  • ぱなす(話)
  • ぴい(屁)
  • ぷす(星)
  • ぷに(骨)
  • ぽ(帆)等

未だに盛んに発する宮古は、遅れている分だけ、古語が多いかも知れない。

あるいは、もっと考えると、日本にまだ文字がなかった頃、邪馬台国とかの時代には、ミヤークフツみたいな言葉が、使われていたのではないか…。

ミヤークフツ(宮古方言)が、ヤマトフツ(大和言葉)から来ていることは、次の対応関係からもわかります。

< わ(w)は、ば(b) になる >

  • われ(我・吾)→ ばん
  • 私達 →ばんた
  • 忘れない →ばっしん
  • 若い → ばかあばか
  • 別れ → ばかあり
  • 喚く → ばみく
  • 渡る → ばたず
  • 悪い → ばず
  • 割ってしまう →? ばりかいし
  • わた(腸)→ ばた

< く(k)は、ふ(f) になる >

  • くち(口) → ふつ
  • 食う →ふぉお
  • 黒い →ふふおっふ
  • 暗い → ふっふぁっふぁ
  •  臭い →ふさあふさ
  • くわ(鍬) →ふっふぁつ
  • 釘 → ふぎ
  • くし(櫛)→ ふす
  • 汲む → ふむ
  • 呉れる → ふいいる

それじゃあ「苦労」は?  ん…ふくろう…とは言わないし…。んなまあらくしい ういば くろお ゆばあ すさん!(今は 楽しているから苦労は知らない )

チャン チャン!

参考資料:『古琉球』伊波普猷/著

※「うぐなあり」や「まずむぬ」も古語でしたかー。あったぼうさんの解説は、とても分かりやすく、勉強になります。たんでぃがーたんでぃ。

うぱーさぬ くとぅす(いろいろあった今年)

ワタリマリ(上野・宮国出身)

 今年も泣き笑いのうちに過ぎていこうとしている。ぴゃーぬがー(はやいなー)。

 人々はもの(者、物)を得た喜びや、失ったやりきれない気持ちとで今年を振り返るだろう。私にとってのこの1年は喜怒哀楽びっしりの日々でした。なので特に命が繋がることの尊さをいまさらのように思いふけりながら一年をふりかえろう。もうすでに一つ目の忘年会も終わっていることだし。

 平成31年正月。母が最後に抱くことになったひ孫が産声をあげた。命の木にまた一つ花が咲いたのだ。万々歳と血縁,他縁の者たちは集い、大いに歓喜し、重ね重ねのめでたさに正月が明けてもおめでとう、おめでとうと宴の夜は終わらない。みんなは大笑いしているのに赤ちゃんだけが泣いていた。その泣き声は1月の空いっぱいに広がり皆を喜びの声で包んだ。あちどぅ ぷからすかー(とても喜んでいます。)

 春が近づく頃
 同級生の息子さんがご結婚。式、披露宴は宮古島。何年かぶりにあったその息子さん、幼いころの面影を残したまますっかりイケメンになり、ン十年ぶりの再会にも関わらず私を名前で呼んでくれたのには感極まってウルウルした。まいふかがま(ありがとうね)その子が幼い頃、私はしょっちゅう同級生の家で寝泊まりし、その息子兄弟とよく遊んだ。その家族には、さんざんお世話になったにもかかわらず、そのお恩返しもできないまま、どぅごう、どぅごう(心苦しく)今日まで来たので、せめてものお返しにと宴会の場でサプライズ登場する場を設けた。同級生はあまり方言は使わないのでおごえ!!(びっくり)とはいわず、うわ〜!!とびっくりしてとても喜んでくれたのでサプライズ成功。私も幸福感に包まれた。しかも、その息子さんの名前と正月に生まれたベイビーちゃんの名前が同じだったこともあり、ゲンの良いつながりも感じたものでした。ここにもまた命の木に花が咲くであろう。

 うりずんの頃
 「母ちゃん」と呼ぶと「なう(なーに)」と答える母の声はもう聞けない。時代は令和と変わりここで命の木の花がひとつ枯れ落ちた。母を知る人たちは近くからも遠くからもお悔やみに来てくれて母を偲んだ。あー、やれやれと言っているかのように母だけが笑い、周りのみんなは泣いた。丁寧に言えば、故人をしのんで さきゅう ぬみゅう ぴとぅぬきゃーや なきいや うらったん(酒を飲んでいる男どもは泣いていなかった)夏に向かう空には母の思い出がびっしりと広がっていた。命はつながりっている。誰もが確信しながら弔いの夜は続いた。

 梅雨になり
 ここは京都の西京極サッカー競技場。紫色に染まった地元サッカーチームの応援スタンドに対して我らが応援するFC琉球のスタンドはベンガラ模様がちらほら。いやアウェイにしてはまあまあなサポーターだったかもしれない。ましてや土砂降り。そう、今年はFC琉球の応援にも熱がかかった。クラブの関係者に親戚がいる。これこそわれら一族の誇りとばかりに鼻を天狗にして雨にもめげず、遠方にもめげず移動した・・・といっても行けたのは2回だけだが。残念ながら来期はJ1昇格はかなわなかったが、しかしながら、宮古島出身のリーガーと妻は宮古島出身の社長がいる限り、クラブの命は強くあららがまと登り行くことでしょう。野球以外のスポーツとも熱くつながったものでした。

 夏本番
 生まれ育った集落の伝統行事の一つ。盆の綱引きに数年ぶりに参加した。数年前にはその行事の大役を担う男子だけの中学生グループに女子が入っていたのに時代の変化を感じたが、今回もビックリ。たった一人の生徒がみんなに見守られながら大役を務めていた。少子高齢化と人口減少はここでも止まらない。大綱引は集落にとって、昔と今を結ぶ大切な行事。いつかふるさとを離れることがあったとしてもご先祖様と自分をつなげてくれる。してまた自分を原点に返してくれる貴重な行事だと思う。集落の命は大役の中学生にかかっている。荷が重いかな?

 秋になり
 台風や大雨で今年も各地で被害が相次いだ。そんな中、これも自然災害?首里城の火災。ショックと落胆と涙。のーちぬばー?(なんで?)脳裏にはなぜか歴代の知事たちが集まっていた。でも全国の人々は早々に動き出し再建を願って募金を募っている。ここでも、なにくその あららがま(不屈の精神)で繋がっている。素晴らしい。悲しみはある意味人々を一つにしてくていれる。きっと再建間違いなしであろう。

 で、最後はこれ!
 くまかま幕を閉じるです。あちどぅ さびすかー(あまりにもさびしい)宮古(方言)を想う、語る、案ずる、それがこの場所でありとても居心地の良い ぬふう ぬふうぬ(暖かい)一番座ーでした。仕方ないさ。と自分に言い聞かせている。泣きながらありがとう、くまかま。

 2019年
 平成から令和に移った年、母ちゃんが逝った年、台風が大雨で大変だった年。首里城が焼けた年。くまかま終了の年。オリンピックの前の年。振り返れば濃かったこの1年。また一つ年を重ねるけれど、振り返って思うのは、いいも悪いも全部ひっくるめてこれが自分史になるんだなあと。

 あと少しの今年。どうぞ穏やかに過ぎていきますように。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 11月も下旬。今年も残り一ヶ月と少し。まーんてぃ ぴゃーむぬやー(本当に早いですね)

 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

 首里城につての想い出はそれぞれあると思いますが、B.サラさんは、中学生の頃、再建前の首里城跡も見ていたんですね。当時の様子は貴重なお話ですね。『テンペスト』は私も印象深く残っています。京の内や御内原は、残っているとのこと!読んでいて明るい気持ちになりました。

 あの話をもう一度は、あったぼうさんの「宮古方言のひみつ」でした。あったぼうさんは、ひさぼうさんです。一番最初の投稿では、あったぼうさんでした。くま・かまが始まった当初、まさに方言のひみつを知り、衝撃を受けたのを覚えています。

 ワタリマリのこの一年は、いろいろなことがあったんですね。お母さんの話は、くま・かまでもよく書いてくれました。向こうでお兄さんと会っていろいろ話をしていることでしょうね。ご冥福をお祈りいたします。

 ワタリマリの「くまかま幕を閉じる」を読み、驚いている方が多いと思います。突然のお知らせで申し訳ありません。vol.442の編集後記で、このメルマガの発行元のmelma!が来年1月でサービスを終了する連絡があったことをお伝えしました。突然のことで驚きましたが、ここ一ヶ月あまりいろいろ悩み、考えました。違う配信会社を利用して発行を続けることも考えましたが、くま・かまは、2019年12月19日(vol.447)をもって、終了することにいたしました。

 今や個人でSNSなどで発信する時代。melma!が終了するのも時代の流れなのかもしれないと思うと、melma!が終わるのに合わせ、くま・かまも終わるのが良いのではないかという思いになりました。それだけが理由ではなく、自分自身が忙しくなっていることもあります。せっかく、新しく若いお二人がライターになってくれたのですが、続けることができず心苦しく思います。大変申し訳ありません。

 2001年4月に創刊して18年8ヶ月。父が他界した際に3回休みましたが、それ以外は月2回発行し、今回445回目となりました。これもひとえにライターをはじめ、くま・かまをお読みくださり、応援してくださる皆さんのお陰です。まーんてぃ き゜むぬ すぅくから たんでぃがーたんでぃ。すでぃがふー。(真に心の底から感謝申し上げます。)

 くま・かまはあと2回の発行となります。12月の1回目は、これまでのくま・かまを振り返りたいと思います。そして、最後の回は、宮古や宮古方言への想い、くま・かまの想い出や印象に残っていることなど、皆さんに書いていただいたものを掲載したいと思います。どうぞ、お気軽にお寄せください。400字程度で(それ以上でもOKです)締切は、12月15日です。お待ちしています。

 今号の貴方の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待っていますよ〜)12月15日締め切りの投稿もお気軽にお寄せください。

 今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー。
 (今回も最後までお読みくださりありがとうございました)

 次号は、12月5日(木)の発行予定です。
 がんづぅかり うらあちよー(お元気でー)!
 あつかー、またいら〜。