こんにちは〜。北のほうからは雪の便り。 だんだんとぴしーぴしに(寒く)なってきましたね。
ぱだーぱだうらまずなー(お元気ですかー)?
さて、今号は、宮古島市の歌(今年7月に一般公募で決定)や遠くは、アメリカの「ハロウィーン」、蜂ぬぱなす、伝統的なクイチャーの話しまでもりだくさん。お楽しみくださいー。
宮古島市の歌 〜黎明の空に〜
作詞:砂川健次(平良出身)
一、群青の波間 ひときわの光 島建ての神の 降り立つところ みどりを縁取る 潮の花白く 天女の来たりて 水に遊ぶ ああこれがあなたの美しきまち これが私の宮古島市 二、白銀の甘蔗(かんしょ) 降り注ぐ真太陽(まてぃだ) 黒土に根ざす 結(ゆい)の心 湧きいずる泉 豊穣の印 撓(たわ)まぬ魂 子への宝 ああこれがあなたの豊かなるまち これが私の宮古島市 三、選ばれしものよ 博愛の民よ 導く若鷹 平和の使者 手を取り飛び立て 愛しきものたち 黎明の空に 赤星見ゆ ああこれがあなたの希望のまち これが私の宮古島市 (方言版) 一、藍染みぬ海ぬ まさり色変り (あいずみぬ いんぬ まさりいるがあり) 島建ぬ大神ぬ 定みとぅくる (すまだてぃぬ しゅうぬ さだみとぅくる) 島つつむ浜や 潮ぬ花白み (すまつつむ はまや すぅぬぱなっすぅみ) 天女降りてぃ 若水浴み (てぃんぬかん うりてぃ すでぃみずあみ) 二、甘蔗ぬ花咲き 真太陽あ照りゃがり (ぶーき゜ぬ ぱなさき まてぃだあ てぃりゃがり) 黒土ん生いや 結いぬ心 (っふんたん ぱいや ゆいぬ くくる) 湧き出でぃ水や ゆがふ世ぬしるし (ばきいでぃみずや ゆがふゆーぬ しるし) わいてぃぬ肝や 子ぬ宝 (わいてぃぬ き゜むや っふぁぬたから) 三、きたてぃ者達あや 情深者達 (きたてぃむぬたあや なさきぶかむぬたー) 供す若鷹や 泰平見当てぃ (とぅむす わかたかや たいへいみあてぃ) 手ゆ取い飛ばや 愛す島人達 (てぃゆといとぅばや かなすすまぴとぅたー) 黎明 天ぬ頂 赤星見事 (しゃーか てぃんぬぱな あかぶすみぐぅとぅ)
(解説)
作詞する際、琉歌の韻律(8.8.8.6)を意識しました。琉歌の韻律は以前から知っていて、その奥深さに興味がありました。ただ宮古には琉歌の文化がないので、宮古方言の琉歌も面白いかもと思っていました。
歌のイメージは「宇宙の中の宮古島の存在」です。
天地創造から始まった地球の神話はこの島にもしっかりと受け継がれていて、奇跡的に数千年もの間人々が生を営んできた・・・。
天の大神が選んだ場所に宮古島がある。そこは緑に包まれ白い波が花のように打ち寄せる美しい島。そこに生まれ育った私たちは、このかけがえのない聖域に食物を植え、助け合って生きていこう。我々の豊かさは「不撓」(ふとう)の精神に支えられている。その心を子ども達に伝えたい。
世界で頻発する紛争と殺戮。しかし我々の先祖は見知らぬ漂流者をけなげに介抱し、本国に送り届けた。その精神を持って人類の平和に貢献しよう。朝焼けの頭上には(我々の行く手には)航海安全の神「響む赤星」が輝いている。
詩の原型は3日で完成しましたが、言葉を慎重に選んで1ヶ月掛けて完成させました。最後に選んだ言葉は「撓まぬ」です。あららがまを日本語で表現するにはどの言葉がいいかを考え「音のやわらかさ」から「撓まぬ」にしました。「へこたれない精神」と解釈してもらえばいいと思います。
最後の「赤星」は狩俣の「ウヤガン」の中で歌われるニーリ(神歌)にでてくる神様。明星・金星のことです。
ハロウィーン
みしん(池間出身カンザス州在住)
10月31日、てぃだぬ うち〜くいば(日が暮れ始めると)っふぁたが(子供たちが)仮装して近所の家々をまわり、「Trick or treat(いたずらか、お菓子か)」決まり文句を言いながら か〜し(お菓子)をもらいます。
最近はハロウィーンを楽しむ御近所さんが日本でも増えているらしいですね。
ハロウィーンは、元は古代ケルトの祭りで 死者の霊や、悪霊、妖怪がさまよう日とされています。日本のお盆に近い感じでしょうか。
くま(ここ)カンザスは10月の終わりに近づくと 夜は、ひぐるみきるさ〜(冷え始めます)。上からはおるジャケットでせっかくの仮装が見えません。モールの中のお店や商店街がお菓子を配るようになってからは暖かいモールのほうへ子供たちも移動して、近所を回る子供たちが ひ〜ちゃがまになり〜にゃ〜ん(少なくなりました)。
今年のハロウィーンの夜は気温2度!あっぶないひぐる!(とてもさむい)そのせいもあってか、うちにきたのは12人。ちょっとさびしい人数でした。
娘たちが幼い頃は、ハロウィーン用のかごでは間に合わず、枕カバーでおかしをもらいに回ったものでした。枕カバーは がんじゅう(丈夫)で、しかもいくらでも入ります。家にもどると好みでないお菓子は私に。おかげでハロウィーン後日は、うだみきたさーね(太ってしまうわけ)。
10月に入ると がばしゃー(大きな)ディスカウントストアーは、コスチューム、お菓子、飾り、ハロウィーンの商品が売り出されて、お客さんでにぎわいます。
10年前と変ったと言えば、大人用のコスチュームが多くなったこと。大人が楽しむ行事になりつつあります。
ハロウィーンの定番、魔女、ドラキュラ、こわいものから、スーパーマン、お姫様、ディズニーキャラクターのかわいいものまで種類が豊富です。忍者、芸者、空手人、日本のアニメキャラクターなどの日本物も人気があります。
ハロウィーンになくてはならないのは、オレンジ色の西洋かぼちゃちょうちん。かぼちゃに目、鼻、口を切り抜いて、中身をくりぬき、ろうそくをいれて玄関前にかざります。取り出した種は、オーブンで焼いたあと、塩をまぶすと んまい(おいしい)おつまみに。
コスチューム、かぼちゃのちょうちん、お菓子(ハロウィーン3必需品)がそろえば準備完了。来年は皆さんもハロウィーンを楽しんでください。
無駄話:もし昔から沖縄にハロウィーンがあったとしたら、きじむなー、耳ちり坊主、伊江島はんどうぐわー、逆立ち幽霊、ハンドバッグ女、口裂き女、そして、宮古島は片足ぴんざのコスチュームが売り切れしゃ〜し。(なんてね)
がやんだ(オキナワチビアシナガバチ)
宮国勉(城辺町出身)
子供の頃の通学コースには4パターンほどあり、その時誰が一緒かで決めていた。だが、朝寝坊の時は学校と自宅がほぼ直線になる最短コースを使うことで時間稼ぎをした。その道は学校から帰ってからも草刈りや畑に行くにもよく通る道でもあった。
北側は一段高くなって ぴさたーてぃぬ ぬー(平らな野原)だった。そこには、まかや(チガヤ)に混じって がーなぬむでぃまら(ナンゴクネジバナ)がよく咲いていた。葉は3、4枚地面に ふいつき(付き)、花は15センチほどの花茎(かけい)の上部に可憐なピンク色の花が捩れるように付いて私の好きな花であるが人に言いにくい名前である。
南側は一段下がって畑が広がり、その地境には畑から出た石が投げ捨てられて広い石垣のようになっていた。その石の上に さんむっさ、まかや、ぽーんぎー、そうたつ(タマシダ、チガヤ、クロイゲ、セイロンベンケイソウ)などが生えていた。その先には とんべん、んぎ、さるかぎー(リュウゼツラン、アダン、サルカケミカン、)などがぎっしり生えていた。それらが両方から道を塞ぎジャングルのような狭い畦道だった。時にはんなまあまち(ちょっとまて)と山巡査に掴まることもあるのだが、遅刻するよりマシである。山巡査とは、さるかぎー(別名:やまじゅんさ、和名:サルカケミカン)のことである。
ある休みの日に兄弟そろってその道を辿り遊びに出かけた。道端から20歩ぐらい進み、がじまーら(風車)を作るためにあだんぎー(アダンの木)に手を延ばした時である、がやんだ(オキナワチビアシナガバチ)が編隊を組んで一直線に攻撃してきた。
あだんの葉の裏に がやんだの巣が隠れて有ったのだ。その場で うすんび(伏せる)、だが蜂の集団に思うがままに刺された。うつ伏せになると蜂は刺さない!と誰かに嘘の情報を教えられていた行動である。一緒にいた2つ下の弟に思わず「ういぴらし(追い払ってくれと)」と叫んでいた。しかし、攻撃は止まず、これでは埒が明かんと判断して立ち上がって逃げた。初夏の蜂は子を守るために特に攻撃的で容赦しないのである。
1、2、3・・、あば うままいどお〜(あれ、ここもだよ〜)はーい11カ所だよ、と刺された箇所を数えた。家に帰って2つ上の姉が家族に一部始終を吹き出しながら報告、照れ笑いするしかなかった。
話の筋はこうである「弟は口で「しっしっ」と、小さい手ではハエを追うような仕草をしたらしい」今でもその様子が浮かぶようだ。後で考えれば木の枝を折り叩くとか、ジャンパーを脱いで追い払えばよかったではないかと思うが経験の少ない子供には考え及ばなかった訳である。
その悔しさの矛先を向けるところが、とんべんの葉に書き残すことであった。誰かに読まれて恥をかくはめに成るとも予想しないで書き、とんべんの葉が枯れるまで恥は続くのであった。当時は うすんきゃ んにゃ(引っ込み思案な性格)だったから、今考えてもなぜ書き残したか理解不能である。
その路も間もなく電話工事をするために車が通れる幅に広げられ見通しの良いただの道に成ってしまった。しかし、まだ、とんべんには電柱のような花茎が立ち、花を咲かせ、てっぺんにはカラスが留まり何かを話しかけていた。ぬー(野原)には、まかや(茅萱)が、ほんの少しだけ伸び朝露が光る、自然がいっぱいの風景が浮かんでくる。現在はアスファルト舗装され車がよく通り、排水溝が敷設された道になってしまった。
※がやんだ(オキナワチビアシナガバチ)体長が8〜10ミリほどの小さい蜂で攻撃的、刺されるとチクリと強烈に痛い。巣は細長く中央から反り返る形をしており、タンパク源として巣ごと食べた。
※さんむっさ(タマシダ)根には直径2〜3cmほどの玉(塊茎)が出来るので弥次郎兵衛を作ったりした。また、鉛筆の芯を突き刺すと舐めたように濃く書ける。
「荷川取のクイチャ−」と「ユヌスカニ」
カニ(平良出身)
今から恐らく30年以上も前の事、平良市の夏の行事に「宮古祭り」が現れました。カニはこの行事が始まった年の夏に、丁度、宮古島に帰省していました。
この行事の魅力のひとつに、各字の演出する引き踊りのパレ−ドがありました。池間のクイチャ−、西原のクイチャ−、荷川取のクイチャ−、実世のクイチャ−、漲水のクイチャ−などがいつも披露されていました。カニの家の前にあるマクラム通りを各字の代表らが引き踊りをしながら行進します。カニは30年以上も前から、宮古祭りのクイチャ−に触れてきました。
その中でも、荷川取のクイチャ−とその踊りは好きでした。荷川取クイチャ−は、リズムの軽快さも心地よいですが、踊りの爽快さもこのクイチャ−にみることができました。
必ず蛇皮線弾きの叔父さんらが3名ほど道路に立ち、荷川取クイチャ−を爽快に弾き始めます。そのクイチャ−ア−グに乗り、荷川取字の叔父さん、叔母さんらの荷川取クイチャ−踊りが始まります。そうして荷川取字の皆がクイチャ−踊りをしながら道路を行進していきます。
その踊りメンバ−のリ−ダ−的存在に、一人の滑稽踊りをする70歳前後の叔父さんがいました。先頭に立ち楽しそうにがに股でクイチャ−踊りを舞うのです。表情は常に笑顔で、独自の振り付けで踊るのです。その舞う姿を見ているだけで、何だか「ユ−=幸せ」が来そうな感じです。右に左にがに股でゆれて、揺らぎの中でまた上下に跳ねてクイチャ−を踊るのです。
この方は、もっぱらクイチャ−踊りが好きで好きでたまらない、という方でした。自分の親父から荷川取クイチャ−を習い、荷川取地域のクイチャ−踊りの後継者として活動していました。カニの家のひしばら(北側の家)に住むカメアンガの弟でした。童名は「ユヌスカニ」と云いました。このユヌスカニとカメアンガもまた宮古民謡が大好きで、しばしばカニの家に来ては宮古民謡を歌って帰ります。カニもカメアンガから何曲か宮古民謡を習いました。こんなア−グも習いました。
にしゃい とぅ んまりてぃ あっつぁん ふすまず みどぅむがま−つん かつみかによ ヤイヤヌ ヨーイマーヌ かつみかによ さっさ ハイハイ ハイハイ 青年となっても 道路の脇に糞をしている 彼女さえも触ることもできないね まったく・・・ うぬすく ぶどぅりゃ−まい のぞまんな−しょじょ のぞみどぅうずど− なゆりどぅうずど− さっさ ハイハイ ハイハイ 私が何度も踊っても 私のこと認めてくれませんか ねぇ彼女よ 私はあなたのこと、こんなにも望んでいますよ。 身体はもういてもたってもいられないぐらいだよ
そのカメアンガの弟・ユヌスカニが荷川取クイチャ−踊りの後継者だったのです。カニはユヌスカニと出会い話しをしました。ユヌスカニはカニのことを「ふたま−りあぐ=【24歳年下の友(十二支の生年が一緒)】」といい、まるで昔からの知り合いのように「荷川取クイチャ−」の踊り方について熱っぽく話してくれました。
ユヌスカニは踊りに生き甲斐を感じ、荷川取字の伝統芸能を絶やさず繋げていく・・・そんなことに命を燃やしているようにも思えました。
3年前の宮古祭りからユヌスカニの踊る姿が見えなくなりました。「どうしたのだろう」とカニは思いました。カニはひしばらのカメアンガに聞きました。ユヌスカニは病気で歩けなくなっていました。久しぶりに出会ったユヌスカニは残念そうに言いました。
「もう一度、荷川取クイチャ−を踊りたい」・・・・。
ユヌスカニが最後に踊りを披露したのは、天皇陛下ご夫妻が御来島されたときです。
昨年の11月の第4回クイチャ−フェスティバル大会のことでした。カニはクイチャ−踊りを見ている観衆の中にユヌスカニを見つけました。久しぶりです。ユヌスカニは楽しそうに観ていました。「なぎゃ−ふ み−やみ−んや」(暫くぶりだね)と軽く挨拶し、カニはユヌスカニと一緒にクイチャ−踊りを見学しました。
荷川取クイチャ−踊りが始まりました。その時です。ユヌスカニが小さな声で荷川取クイチャ−ア−グを歌い始めました。囁くような微かな声です。そうして立ちながらも自然に手足でクイチャ−を踊っていました。嬉しそうでした。ユヌスカニは幼い頃からこの荷川取クイチャ−を踊り、このア−グはユヌスカニの身体の隅々まで染み込んでいたのでした。そんな感じがしました。カニも何だか嬉しくなりました。そうしてユヌスカニと一緒に荷川取クイチャ−を歌い、こんな感じでカニはユヌスカニと踊りたくなりました。
ばんた− ぷりむぬど− (私らはばか者ですよ) ばんた− ま−んてぃ ぶどずぷりむぬど−や (私らはほんとのばか者ですよ) ばんた− みゃ−くずまぬ あ−ぐんど ぷりうずど− (私らは宮古島の歌に惚れていますよ) ぷんだいし−ぶどらでぃ (自由自在に踊ろうよ) どぅかってし−なゆらでぃ (自分の意のままに踊ろうよ) クイチャーし あすぱでぃ (クイチャ−踊って遊ぼうよ) てぃし− まぬかでぃ (手でまねくように こねろうよ) ぱずし− とぬがでぃ (足で地面を蹴ろうよ) いつがみまい ばか−ばかし−うずど− (いつまでも若々しいんだぞ) しゅうみうずど− なゆりどぃうずど− (踊りたくてうずうずしているんだ こころはこんなに踊っているんだ) かんちぬきゃ−ぬ みゃ−く ニノヨイサッサイ (こんな宮古だよ) あんちぬきゃ−ぬ みゃ−く ニノヨイサッサイ (そんな宮古だよ)
カニもユヌスカニと同様、クイチャ−踊りが好きなのです。時代が同じでしたら、カニも公民館で村芝居を演じ、多くの沖縄から宮古、八重山にある民謡を歌い踊っていたかもしれません。血が騒ぐのです。カニはユヌスカニの自然に出てくるクイチャ−ア−グと踊りをみて感動していました。病気しても自分の身体に染まった故郷の歌と踊りは忘れることなく、こころの奥から自然と地下水が湧いてくるように、歌の詩とリズムが沸き上がってきていたのでした。
カニもまた、病で倒れても、自然に宮古の言葉や民謡が、こころの底から沸き上がってくるようになりたいな、とユヌスカニを見ていて、そう思いました。滑稽な踊りのできるユヌスカニのお陰でカニは荷川取クイチャ−が好きになりました。今回はここに荷川取クイチャ−を紹介します。ユヌスカニありがとう。
荷川取クイチャ−は、平良の荷川取一帯で、豊作祈願、雨乞い、男女の娯楽として、昔から踊り継がれてきました。昔は1日の仕事を終えた村の若い男女が、夜毎、「んみゃ−がにや−ぬうぷゆまた」(宮金屋の東方大四辻)に寄り集まって明け方まで踊り明かしたといわれています。豊年祈願、雨乞い、恋情、世の中を風刺した内容が荷川取クイチャ−ア−グに盛り込まれています。
荷川取のクイチャ−について地元では「地煙りを立てるほどに踊らないと雨は降らない」「くいちゃ−ぶどぅずや どぅ ぷんだい(クイチャ−踊りは自由に体で表現するものだ)」と言い伝えられており、「ずならど・ずなら(地響きを立てろ)」と囃子ながら大地を蹴り、地煙りを立てるように大胆に跳ね踊る姿はまことに豪快です。人頭税時代に、過酷な自然と社会状況の中で、明るく逞しく生きた宮古島・荷川取村の村人たちの姿を彷彿させてくれるクイチャ−なのです。
「荷川取クイチャー」 (1)クイチャーぬ いでぃたりゃどぅ くとぅす ゆ−や なうれ や−にがゆ−やまさり なうらし ばたんたし− ソー ニノヨイサッサイ すぅらきぬ クイチャー ソー ニノヨイサッサイ このクイチャーに出会ったのなら 今年は豊年だよ そうして来年はもっと豊年となり 腹一杯になってしまうほど満ち満ちしているよ 賑やかな クイチャーだよ (2)あがりんみゃうず つきがなす や−ぬ くびぃどぅ てぃらさまず まんみんうらまず つきがなっさ まんみどぅ てぃらさまず ソー ニノヨイサッサイ てぃしや まぬかでぃよ ぱぎしや とぅぬがでぃ 上ってくるお月様は 家の壁を照らしている 真上におられるお月様は 真上を照れされておられるね 手で手招きし舞おうよ 足で飛び跳ねようよ (3)んきゃどぅらや すまがまどぅ やりゃ−まい ヤイヤヌ ヨーイマーヌ やりゃばまいよ ソー ニノヨイサッサイ 荷川取村は小さな村ですがね そうであってもね・・・・ (4)あぱらぎあにたが すまどぅやりば うぷずまだきよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌ うぷずまだきよ クイチャー ゆ−かずよ ずならどぅ ずなら 美人の姉さんたちが住む村ですよ 大きな村ですよ 大きな村ですよ クイチャ−は毎夜ですよ 地響きを立てろ 地響きを (5)うぷゆまたぬ うぷどぅふぎ ゆ−なうらでぃぬが−ら すまや ふたぱら うすぃい なゆずかぎさ ソー ニノヨイサッサイ すぅらきぬクイチャー 大四辻の大きなデイゴの木は 豊年をもたらしてくれそうだね 村の2大字を覆い くねくねと曲がりくねっているのが綺麗だな 賑やかなクイチャ−だよ (6)うう゛ぁた−あにがま びじゅらでぃてぃな たちうらでぃてぃな んみゃ−たいばぬよ ヤイヤヌ ヨーイマヌヨ んみゃ−たいばぬよ うぷちび しばさぬよ どぅ−るぬ しばさぬよ ソー ニノヨイサッサイ お姉さん達よ 坐っていようと 立っていようと思って いらっしゃたのかね 大きなお尻のお姉さんたちよ 道路の狭いことよ (7)あらんゆたんでぃ びじゅうらでぃてぃがみゃ− たちうらでぃてぃがみゃ− くっだたんよ ヤイヤヌ ヨーイマヌユ くっだたんよ クイチャーぶどぅいやよ どぅぷんだいどぉ ソー ニノヨイサッサイ そんなことはないですよ 坐っていようとは 立っていようとは 思っては来なかったよ クイチャ−踊りは 自由に好き勝手に踊るものだ (8)みゃ−くん ぴぃてぃ−つ あずぬむよ てぃらぬ ぼ−ずぬ つきがによ ういからやらしばみりば うう゛ぁ−ぶぬ かざばたよ ソー ニノヨイサッサイ てぃ−しや まぬかでぃよ ぱぎしや とぅぬがでぃ ソー ニノヨイサッサイ 宮古にひとつあるものは 寺の坊主が突く鐘よ その鐘を鳴らしてみれば 高貴な香りのすることよ 手では舞おうよ 足では飛び跳ねようよ (9)うぷどぅま−らぬ がばぱどぅら あむむ なぎりば とぅぬぎ びきりゃうてぃ みりば まいざとぅ やいぶなよ ソー ニノヨイサッサイ にぬすま あにたが するいぬ かぎさぬ ソー ニノヨイサッサイ 大泊の大きなパドゥラ(魚名) 網を投げれば飛び跳ねる 男の人がいると思い 行ってみると 前里の痩せた女ばかりだよ 根の島(荷川取)のお姉さんたちが揃うと美しいね (10)ぬ−ずぬゆ−ぬ あみや とぅかぐいや ながさ いつかぐい むいかぐい ふりどぅ みぐとぅ ソー ニノヨイサッサイ くぬすく ぶどぅらばよ しゅ−まんな すぅざ しゅ−みどぅうずど なゆりどぅうずど 豊穣をもたらす雨は 十日越しでは長すぎる 五日越し 六日越し 降るのが望ましいね これほど踊ればね 小満だよ(雨が必ず降るよ) 潤ってくるよ 豊年になるよ
荷川取のクイチャ−の紹介でした。カニはクイチャ−の響きが好きです。
※[荷川取]とは、漲水漁港から市街地に向かって左手の方向へある集落です。漲水漁港から左手の方はやや小高い丘になっております。昔はこの小高い丘が政治の中心地でした。宮古島特有の小さな丘脈(嶺)が東南−北西に方向へ走っています。
その丘脈を仲宗根と呼んでいるようです。仲宗根は西仲宗根と東仲宗根に別れています。祥雲寺から北西に伸びる道があります。この道は以前は西仲宗根の中心地を通り狩俣の方向へ向かう道だったようです。
祥雲寺からはやや坂道になっています。坂道を上ったところが西仲宗根の中心地です。この西仲宗根の集落から海側に向かって西側になるのでしょうか、そこが荷川取の集落です。西側にあるので「いずさと」とも呼ばれていたようです。また低地なので「いずぬすく」=「西の底」とも呼ばれていたようです。荷川取は海に向かって下り坂の集落です。
#参考文献
・『御嶽由来記』(1705年)
・『南島歌謡大成 宮古編』 外間守善・新里幸昭(昭和53年)
編集後記
松谷初美(下地町出身)
今月14日付けの朝日新聞の朝刊に宮古出身の作曲家「金井喜久子」さん(1906年〜1986年)のことが「クラシックに沖縄の「体温」」と題して紹介されていました。ぷからすむぬやー(うれしいですねー)
金井喜久子さんのことは、くまかまの掲示板でも時々話題になりますが私の中では、「宮古の人」という実感がなかなか湧かず、(なんでだろうね。宮古にいる頃にぜんぜん知らなかったからかねー??)あがたーぬ(遠い)人でしたが、以前、掲示板でおなじみの武島玄正さんが金井喜久子著の『愛のトゥバルマー』について書き込みしてくださり、最近読み始めました。歌い手として有名だったお姉さんのことが中心に書かれていますが、当時の宮古、沖縄の時代背景もよく描かれていてだいず興味深いです。文才もすごくあったのですね。
新聞には、今年9月に名古屋で生誕100年を記念してコンサートが開かれたことや、東京でも彼女の曲が紹介される催しものがあったこと、そして、今月25日には、沖縄でも生誕100年を祝う音楽祭が開催される予定であることなども書いてありました。
そして、「金井喜久子の「新しさ」に、ようやく私たちの耳が追いついたことではないでしょうか」と結ばれています。
さてさて、vol.136です。読み応え十分の内容だったと思いますが、のーしが やたーがらー(いかがでしたかー)?
宮古毎日新聞に掲載された宮古島市の歌「黎明の空に」を読んで感動し、作者の砂川健次さんにくまかまでも紹介したい旨を話したところ、とても快く応じて下さいました。方言バージョンは宮古島市一周年記念式典で披露し、こちらも好評を博したそうです。
どちらも言葉がきれいで、リズムもここちよく、宮古を浪々と歌い上げた歌詞は、心に深く入り込んできますね。この歌を作るときに気にかけたこと、どういうイメージで作られたのかなど、その想いも書いていただきました。砂川健次さん、たんでぃがーたんでぃでした!
曲のほうも一般公募で、伊良部在住の三浦禄さんのが選ばれたそうです。
宮古島市ホームページの「宮古島市の紹介」の中に歌詞、楽譜とも紹介されています。どうぞご覧ください。
「宮古島市HP」
http://www.city.miyakojima.lg.jp/site/view/index.jsp
日本でもなじみ深くなってきた「ハロウィーン」ですが、みしんさんとこのは、さすが本場という感じがしますね〜。みしんさんは、各地の妖怪にもいろいろ詳しいらしいです。
今回も懐かしさいっぱいの宮国勉さんのエッセイでしたね。「がやんだ」には私も やらびぱだ(子どものころ)刺されました。宮古の草花の方言名もやまかさ(たくさん)でてきて、勉強になりますね。確かに「がーなぬむでぃまら」とは、言えないなー。(笑)
今年もクイチャーフェスティバルが行われましたが、ぱにぱにっとした踊りで有名な荷川取のクイチャーは、人気だったことでしょうねぇ。受け継がれていく理由は、ユヌスカニさんのようにクイチャーを心から愛し、それを身をもって伝える人がいるからかなーとカニさんのを読んで思いました。
今号の感想ぜひお寄せくださいね。まちうらっちばー(待っていますよ)
くまかま本は、下地勇さんが沖縄タイムス(10月28日)で書評を書いてくださったり(勇さん、たんでぃがーたんでぃ〜)、JTAの機内誌「Coralway」新北風号の本の紹介コーナーでも掲載してもらったり(JTAさん、ありがとうございます〜)と、まだまだ頑張っています。どうぞ皆さんもいろいろなところで紹介してくださいね〜。よろしくお願します。
さ、次号は、三週間後、12月7日(木)の予定です。
がんずぅさーしー うらあちよー(お元気でいてくださいね)あつかー、またいらー!