こんにちは〜。んにゃ9月やー(もう9月ですねー)
まだまだ台風の季節のようです。関東に台風9号が接近しています。進路にあたる方は、気をつけましょうねー。
さー、三週間ぶりのくま・かま、ぱずみっとー(始めますよー)
雑感 〜かむ(神様)〜
宮国優子(平良市出身)
今年はだいず暑かった。
たぶんこんなだったからだと思うけど、かむ(神様)になる人が続く。宗教が違うと若干違うけど、宮古では死んだらみんな かむだ。だいたいね、だいたい。
夏に宮古でお葬式があったさーね。だいず暑かった。ぴしーぴし(寒い)よりましだけど、暑すぎるってばよ。
でも、みんな、だいずすごい。あつさんかーき(暑さにやられながらも)よく働く。結婚式やお葬式に行くと宮古の人はなぜかスマートに見える。立ち振る舞いが分をわきまえているし、自分の仕事がちゃんとわかっている感じ。なれているんだはずね。ちゃんとした大人に見えてかっっこいいゆーと思う。私は今でもだいず なまたらーん(おかしい)ので挙動不審者です。
都会のそれとは違って宮古のお葬式はたいていにぎやかだ。友人、知人、親戚。さまざなひとがさまざまなところから集まる。一堂に会してみると、自分が やらび(子供)の頃の思い出のまんまの親戚のにぃにぃもいる。そんなにぃにぃも違う顔を見せてくれる。大人と大人で大人の話ができる。人間関係リセットだ。連絡先も交換するが、きっと必要なときにしかかかってこないはず。それも親しげに。お願い付きで。自分も ゆぬぐー(同じ)なので、頼られるとうれしい。そんな宮古風なつきあいが気持ちいいゆと思う。
人が亡くなるのは悲しい。当たり前だけど。泣ける。墓前で泣きじゃくる私に「あがい、あれの運命よ」とおばさんたちは言った。ちなみに宮古では運命は多用される。運が悪かったくらいのノリだ。でも重くない。明るい気さえする。「明日はどんなにしたらいいかねー」とおばさんは言う。明日の自分の段取り確認だ。こうして運命を乗り切るのだなぁ。なんだか死に対する恐怖が薄らぐ。あのお墓の環境がそうさせるのかもしれない。
平たい島が夕焼けで染まって行く。おばあもおじいもオレンジに染まる。私の足下も宮古の夕日であふれていく。
よく友達同士でシャレで「宮古の神様に呼ばれる」という言葉をつかう。それは特定の亡くなった人ではないけど。神様はその人に合わせて宮古に帰らせる、と勝手に思っている。私のような行ったり来たりもしかり。
今回も宮古の神様にたくさん何かを教えてもらった気がする。その「何か」が微妙にわからんけど。だから長期で呼ばれんのかなぁ。あびりふぃーさまち(呼んでくださいませ〜〜〜)。ってぃーすっす。(なんちゃって)
新里教室2年生 (投稿)
武島玄正(平良西仲出身)
宮古方言マガジン「くま・かま」掲示板の書き込みに誘われて、旧伊良部町長浜出身新里博さんの講義を受講して2年目を迎えた。
新里さんにはじめてお会いしたのは4年前2003年東京新宿で開かれた関東南秀同窓会である。そこで新里さんはできたばかりの分厚い『宮古古諺音義』を示され購読を訴えられた。タカダイ(高価)な本だが同窓会員には割引するといわれ買っても損はない。何よりも新里さんの宮古方言への熱い思いに感動して早速購入した。
「論語と百人一首」
その後「くま・かま」掲示板に東京渋谷で新里さんが「論語と百人一首」の講座を開かれていて、それに参加した方の感想の書き込みがあった。「論語」については宮古高校の応援歌で「論語・孟子は読んでは見たが、、、、」と歌ったし、漢文の素養が先輩たちよりも薄い世代だということをいやというほど知らされて何とかしなくちゃと考えていたところだし、「百人一首」も一度話を聞くのも悪くはないと、昨年の7月から信州は伊那盆地から月1回上京して受講して2年目に入る。
「論語」は講師のほうで準備された「論語抄」が配布され、とくに百人一首は新里博著「小倉百人一首新注釈」をいただき、書き取り予習して受講に備えてきた。
心の隅で折角購入した『宮古古諺音義』が宝の持ち腐れになるのはもったいない、解説してもらえるとありがたいが、と考えていたところ、幸い『宮古古諺音義』の解説講座開始の知らせがあり、「論語・百人一首」は参考書で自習することにして、このチャンスを逃がすまいと『宮古古諺音義』の学習に集中することにした。
『宮古古諺音義』
昨年12月から今年5月まで4回基礎学習に当てられ、6月から本文に入った。
基礎学習は『宮古古諺音義』の付録「宮古方言概説」が取り上げられた。宮古方言の文法上の特色や音声の特色、表記の約束事などがまとめられており本文理解のための手引きの役割を果たす位置にあるし、本文から抽出されたエッセンスにもなっていて、相互に補完しあう関係にある。
本文の学習
6月は3番まで、7月は台風のため8月に延期され夏休みを返上しての講義があり、6番まで講述された。本文は文法上(語釈)音声学上(音釈)からの検討がメインであり、「古諺」本来の意味が例証を伴って解き明かされる。
たとえば6番の「 後だまど 大だま (アトダマド オコダマ)」
「残り物には福がある」あわてて手を出すな。と考えていたが本来はそうではない。共同作業の収穫物を平等に分ける人を「玉打ちゃー」といい、めいめい取り分をとった後に残った割り前は結果的に幾分小さめになるので、これを防ぐためあらかじめ残しておいてその差を補う習慣があり、後からとったものがかえって大きめになる場合が多かったところから生まれた諺だとのことである。
玉打ちゃーの例証として すうらびる(空広、後のなかずうにとぅみゃ)幼少時の利発さで有名な話があげられている。
もう一つ、今月の学習になるであろう9番
「 歌謡は(アーゴー) 声の下衆(コイノギス) 声は(コイヤ) 肝の下衆(ツモノギス) 」
この古諺の例証として「たうがに」が取り上げられている。「たうがに」が即興の歌であることは本で見覚えがあるが、宴会で「宮古たうがに」は宮古の「君が代」みたいなものである。それを歌えば後は何を歌ってもよいなどといわれそのような歌だと考えてきたが、思い違いであることが分かった。
「たうがに」は「唐叶い」であり「外国航路安全祈願の歌」として発生した歌である。旧伊良部町長浜に伝誦されている「唐叶ひ兄者が 歌謡(タウガニ ソザガ アーゴ)」が紹介されている。
引用文献
引用されている文献についてできるだけ入手して理解したいと考え引用の頻度を当たってみた。万葉集からの引用が圧倒的に多く日本書紀、古事記と続いている。平安中期の辞典だといわれる「和名抄」からの引用もたくさんあるが、初心者が手に入るような代物でなさそうなのでこれはべつとして、万葉・記・紀は岩波文庫にあり大助かりである。
久しぶりに万葉集をめくり「憶良」の「、、勝れる宝子にしかめやも」「瓜食めば、、、まして栗食めば、、、」「家持」の「、、、、、夏痩せによしというものぞ むなぎ取り召せ」「、、、賢しらおすと酒飲のまぬ、、、、猿にかも似ん」を見つけて喜んでいる。
終わりに
『宮古古諺音義』の学習会はたびたび「菜の花さん」がお伝えしているように毎月第3週の日曜日13時から16時30分まで開かれている。8月の例会で新里講師の提案により名称を「宮古方言研究会」にきめ、入会申し込み書を各自記入し事務局に提出した。
研究会員などおこがましい初心者であるが、そういうレベルを目指してゆく、前途洋洋たる目標ではないかと、自分を励ましていくのが新里さんの期待に沿うものではないかと考えている。
つな(縄)
宮国勉(城辺町出身)
沖縄の民家には門という概念はあっても、玄関という概念がないらしい。子供の頃の我が家を思い浮かべると、ほんとに玄関らしくなかった。
みなか(庭)から右が1番座へ、左側が2番座に向かう出入り口であった。座敷の手前に奥行き3尺の土間があり、間口1間の入口で左側の2番
座の方が玄関の役割を果たしていた。
2番座への入り口の両脇は物置で、キビを結わくための縄を毎日おばー(祖母)が ぎすき(すすき)を取ってきて かんさ(葉の付け根)を棒で叩き天日干しして、かやづな(茅縄)を綯うのが日課であったことから干した茅や縄の置き場だった。その茅類を鶏が巣にして卵を産んだ時には、卵が乾いていく様子を間近で観察することもあった。右の1番座の方は行事や会合などの臨時の出入り口、時には化学肥料が山積みされた倉庫となった。
40年前は身近に在る材料の ぎすき(すすき)、まかや(茅萱)、あだなす(アダンの気根)、するがあ(くば=ビロー、しゅろ=棕櫚、まーに=クロツグ)、さにん(月桃)などがいずれも縄の材料であった。それらの自然材料を使った縄が様々な用途に多く使われていた。
生活に密着して重要な役割を果たしていた縄も現在では影がうすくなった。また、包装なども丈夫な化学繊維のナイロン紐やガムテープなどにとって代わってしまった。
<かやづな(茅縄)>
かやづなは2分した茅の硬い部分を折り曲げて がんぷ(こぶ)を作り、足の親指で挟み、手のひらで擦り合わせて撚(よ)る、時にはペッペッと唾を手につけると滑ることなく撚りの強い かやづなができる。かや(すすき)、まかや(茅萱)は容易く手に入り、長持ちしないので専らサトウキビを縛ることに使った。茅萱は時に縄ではなく まぐ(篭)、なびぬふた(鍋の蓋)などの生活用品になることもあった。
<あだなすづな(アダナス縄)>
あだなすはアダンの気根で先端に帽子をかぶって下方へ伸びる。それが地面に着く前に切り取り、3ミリほどの厚みに引き裂いて天日に干して、更にそれを適度に引き裂いて縄の材料にする。あだなすは干すことによりすぴにがー(強靱)になる。それを綯うと すぴにーすぴに(千切れにくい状態)で手触りのよい縄となる。
縄も太さにより利用する用途が変わる。すぴにがー(強靱)な材料は細くすることが出来るから長くて丈夫さが必要な用途に使われ、細く綯うことで水くみの くばずー(釣瓶)用の縄にしていた。芋掘りのとき芋を入れて運ぶ あむでぃら(縄で網目状に編んだ入れ物)も あだなすづなであった。肥料や石を持ち運ぶ おーだ(もっこ)もあだなすづなであった。
<するがあづな(棕梠縄)>
するがあづなは くば(ビロー)や まーに(クロツグ)などの外皮の毛を縄にするのだが、水に強く長持ちすることから牛の鼻緒や茅葺家のぎすき壁(すすきの壁)を結わくのに利用していた。
<さにんづな(月桃縄)>
さにんづなは葉の部分は取り去り、幹の方を叩き潰し干して使う。あだなすづなほど強くはないが、くばずー(釣瓶)用に使われていたらしい。余談だが縄は左利きの人が綯う綱が解けなくて良いなどと云われていた。
縄は結ぶことや編むことが容易で無ければならない。役に立つ結びを列記すると「ほんむすび、もやい結び、なんきん結び、8の字結び」などが有る。子供の頃はよく がじまーら(風車)を作って、風が何時でも吹いているような んみ(峰)で遊んだ。その結びは表が口の字で裏が十の字に成るところから叶結び(かのうむすび)と呼ばれている。
結びは職業に深く関連して残っており、登山、アウトドア、釣りなどのレジャーにも健在である。船乗り、とび職、運搬屋さんは知っていなければ成らない技である。緊張機などの出現で南京結びなども余り見かけないが知っておくとかなり使える結びだ。
むかしの人は身近に珍しい岩があれば縄で結び、聖域として祀り、注連縄(しめなわ)などにも聖なるものが宿っているような扱いをしている。縄を日常生活のなかで数多く使用していた時代は縄の神秘性を感じていたのかも知れない。
慶祝事に用いられる結びも未だに残り、昔の記憶が刻まれているかのようである。紳士の身だしなみであるネクタイも結びの一つであるが、未だに満足に結べない。
おしらせ
松谷初美(下地町出身)
■下地勇「おばぁ」発売
下地勇さんの名曲「おばぁ」の新録音バージョンが昨日9月5日に全国発売となりました。もう手に入れた方も多いと思いますが、まだの方は、お近くのCDショップにGO!先着順にポスターのプレゼントもありますよ。ばんまい(私も)昨日、ゲットしました〜。
「おばぁ」は、これまで何回か聞いたか分からないけど、何回聞いても、き゜む(心)に染みますね。ほんとに名曲中の名曲だと思います。「おばぁ」の他に、新曲「Yapai Yapai(嬉しくてたまらない)」と「アタラカの星」(ライブバージョン)も収録されています。「Yapai Yapai」は、まーんてぃ 嬉しさがあふれでていて、踊りだしたくなるほど軽快で楽しい曲です。
「おばぁ」のシングルCD発売によって、よりたくさんの人に聞いてもらえることになりそうですね。まーんてぃ ぷからすくとぅやー(本当にうれしいことですね)マスコミからもいろいろ注目を集めていて、NHKテレビにも出演が決まったそうです。パチパチパチ〜〜。だいず楽しみですね。みなさん、ぜひお聞きのがし、お見逃しなく!
●「おばぁ」9月5日全国発売
●NHK総合テレビ「歌謡コンサート」出演: 9月11日午後8時〜生放送
詳しいことについては勇さんのオフィシャルサイトをごらんくださいね。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
すとぅがつ(お盆)に宮古に帰って、29日に東京に戻りました。ほとんど毎日上等わーつき゜(天気)でしたが、やっぱり東京より暑くなかったさー。
25日のオフ会@宮古には13名の参加があり(ちょうどお盆のころだったので沖縄本島や内地から帰省中の方もいました)、楽しいひとときを過ごしました。一次会は、和風レストラン「たまよせ」で、んまーんまぬ(おいしい)料理に舌鼓をうちながら、いろいろな話に花が咲き、そして、二次会は、JANG JANGで盛り上がりました。参加してくださったみなさん、たんでぃがーたんでぃでした〜〜。またお会いできるのを楽しみにしています。
さて、vol.155や のーしがやたーがらやー?
優子さんの「雑感 かむ(神様)」の話に、そうそう、とうなずいた方も多いのではないでしょうか。「神様」と「運命」という言葉は、宮古では、よく使われますよね。私も宮古の神様に呼ばれたいひとりです。
武島さんの投稿から新里先生のみゃーくふつへの思いとそれを学習して自分のものにしている武島さんの熱心さが、伝わってきましたねー。ほんとにみゃーくふつについて、ここまで教えてくれる先生は他にいません。とてもとても貴重な講義です。興味のある方は、ぜひご参加くださいね。
申込は、菜の花 nanohana617@hotmail.com か、松谷 kumakama@mbp.nifty.com まで。
一口にに つな(縄)と言っても、いろいろな つながあるんですねー。昔の人の知恵にも、またそのことをよく知っている宮国さんにも脱帽です。あなたの知っている つなはどれくらいありましたかー?今また昔の つなを見直してみるのもいいのかもしれませんね。
今号を読んでのあなたの感想もぜひお聞かせください。まちうんどー(お待ちしています)
あと、宮古での話を んなぴっちゃがま(もう少し)
26日から3日間の すとぅがつ(お盆)は、あざが(兄の)奥さんとまーつき(一緒に)んーぱんびん(芋てんぷら)や魚てんぷらを揚げ、煮ものや しーむぬを作りました。でも、てんぷらの くー(粉)を作るのは、やっぱり母ちゃんじゃないとダメで、魚てんぷら(細長い形の)も、上手に形よくできなかった。両手で交互に こんなにこんなにとやるには、まだまだ修行が必要のようです。トホ。
今回は、あしゃーだずだず(汗だらだら)となることもなく、台所にいるのも比較的、楽でした。親戚の人たちの顔もたくさん見れて、従姉妹たちとは、やらびぱだ(子どものころ)の話に花が咲き、楽しいお盆でした。かんたな(仏壇)のおじいも楽しかったかねー。ぶーき゜(サトウキビ)の ぐしゃん(杖)を手に帰っていったさー。また来年いらー、おじい。
おじいの とぅず(妻)、数え100歳になる カナおばぁは、だいず がんずぅ(元気)で、まーつき(一緒に)、宮古民謡を歌って遊びました。おばぁは、「狩俣のイサミガ」などの長い歌詞をもよーく覚えているさよ。いぎゃん(すごい)おばぁだよ、まーんてぃ。歌詞の内容に笑ったり、次は何を歌うかーと相談したり、このささやかな時間がうれしくて、なだ(涙)がこぼれました。
宮古での時間は、ホントにアッという間。でもまたそれだから、帰ってきたくなるのでしょう。
お盆で賑やかな部屋の窓から見た、静かな丸い月。保良に行く途中に見た水平線。空に大きくかかる てぃんばう(虹)・・・宮古にいると、毎回、宇宙を地球を実感します。
今回も、たくさんのものを胸に東京に戻りました。
さー、また頑張るぞ〜。
さて、次回は、9月20日(木)の予定です。
18日が中秋の名月十五夜に当るので、十五夜特集を予定していますよ。どうぞお楽しみに。がんずぅやしー うらあちよー(お元気で)あつかー、またいら!