こんにちは〜。3月に入って、春らしくなってきましたね〜。
3日は「ひな祭り」でしたが、旧暦の3月3日に宮古で行われるのは?
今回も、いろいろなぱなす(話)お送りしますよ〜。
サニツの風景
ビートルズ世代のサラリーマン(平良下里出身)
宮古島では、旧暦の3月3日は「サニツ」と呼ばれる行事が行われる。その日はご馳走をお重に詰め、隣近所誘い合わせて海にピクニックに行き、一日中海で遊んで過ごす。
元々は女性の祭りで、浜に下りて うぷす(潮水)に手足を浸し、身を清め健康を祈願したのが始まりだという。そのため はまうり(浜下り)ともいう。
子供の頃、サニツの日には下地の与那覇湾へ出掛けた。旧暦の3月3日は干満の差が大きく、特に与那覇湾は潮が引くと、そこには広大な干潟が出現した。多分、東京ドーム100個分ぐらいの広さがあったと思う。
その広大な干潟に、大人も子供も嬉々として下り立ち、かけっこをしたり、角力をして遊んだ。急激な引き潮で岩礁に取り残された魚やタコを捕ったり、岩に貼り付いた「アーサ」(海草)を採ったりした。砂浜では「しな」という、あさりに似た薄ピンク色の貝がいくらでも取れた。
「しな」や「アーサ」は、その日の晩には「しな汁」や「アーサ汁」、「アーサの天ぷら」として食卓を賑わし、あずーあずで(出汁がきいて美味しく)、潮の香りが混ざったそれらの味は、サニツの記憶として私の頭にインプットされ、今でも懐かしく思い出したりする。
当時、浜では ぬーまぬ(馬の)ぴゃーすみゃー(競争)や、すまーとぅす°(角力)大会が催されたりしていた。その他にも、オートバイ競争が催された年もあった様に記憶している。
みゃーく角力は、土俵が無く、腰に布を巻き、四つに組んだ状態から始め、先に肩が地表に触れた方が負けとなる。腰の すぴにさ(粘り)や、腕の たや(力)が要求されるスポーツで、腕が丸太のように太く筋肉隆々な ずみぎにしゃい(格好いい青年)達が、相手を うたいつきる(放り投げる)のを羨望の眼差しでみていたものだ。
モクマオウの木陰などに むっす(ゴザ)を敷き、その上で皆思い思いに過ごした。たいがい父ちゃん達は ぴすにう”(昼寝)をし、母ちゃん達は、世間話に花を咲かせた。遊び疲れた子供達は、時折戻ってきてはみっずゆぬみ(水を飲み)、こーすゆふぁい(お菓子を食べたりして)、また沖の干潟の方に じゃんみかして(一生懸命走って)行った。あしてぃ(そして)おじい、おばあ達は、そんな子供達を優しい目で眺めていたものである。
浜で遊び興じた人々が三々五々家路に着く頃、干潟にはひたひたと潮が満ち、いつの間にかあの広大な干潟が満々と海水を湛え、また、いつもの与那覇湾に戻って行くのであった。
今思い返すと、海の自然と共に一日を過ごすというサニツの風習は、海の豊かな環境があればこそ出来る行事なのだなと、改めて思う。
この宮古島のサニツ浜下りの風景は、まーんてぃ(ほんとに) いつがみまい、いつがみまい(いつまでも、いつまでも)、残しておきたい風景だと思う。これからも親から子へ、子から孫へと代々続いていく事を祈りたいものだ。
※サニツぱま(三日浜)
※いむうりぴとぅぬ(浜下り人の)
※っふふてぃんてぃん(黒点々と)
※しなかじぴとぅん(貝採る人に)
※すまゆとぅす°ぴとぅ(角力取る人)
虫釣り
宮国勉(城辺町出身)
草が生えて土の表面が踏み固められたような場所に、直径3ミリほどの丸い巣穴を掘って生きている虫がいる。
その住人は結構どう猛なやつで地表を歩いている蟻や虫などを待ち伏せし生活している。天気の良い日には、穴から頭を出していたりもする。動くものにはけっこう反応し、子供の頃よく釣って遊んだ。
釣ると云っても草の茎を穴に差し込んでくわえるのを待つだけ、動きが有ればゆっくりと引き上げる。黒い頭で背中にコブを持ち体は白くて だずま(皺:しわ)がある体長3センチぐらいの虫が食らいついてくる。
ただ釣って遊ぶだけのちょっと可愛そうな うんみゃーにゃーん(運のない)虫であった。それの成虫にも無関心で見たことさえなかった。
最近思い出されたのでインターネットで和名を探してみることにした。インターネットはやはり凄い、甲虫類のハンミョウ(斑猫)の幼虫と判明した。
インターネットによると『ハンミョウ(斑猫)の成虫は足が長く、身軽な甲虫で、青や赤に輝いた美しい羽の色をしている。渓流沿いの砂利道を歩いていると、足元から小さな虫が飛び立ち、数メートル先に止まったり、飛んだりを繰り返す。そんな行動で、「道おしえ」「道しるべ」という俗称が付いている。』と書き込んであった。
私は成虫の姿を初めてインターネットの写真で見たが、今までに出会ったことのない昆虫である。帰郷の際にはぜひ出会えるよう心がけている。ただ道の舗装の影響などで巣になる穴が掘れなくて数が減ってないか気になる。何種か存在するらしいので、体の美しい種類を想像して楽しみにしている。
いま住んでいる埼玉の高台の空き地にも何年か前、同じような巣穴がたくさん開いているのを見つけた。さっそく草の茎を穴に差し込んでみたら昔からよく出会ったあの格好をした虫である。子供より熱中してしまい、のどかだった子供時代に戻っていた。
これを書いていて思ったことが、芋虫嫌いと蛙嫌いについてだった。私は蛇やトカゲはしぐさにも表情があり可愛いいと思うのだが、芋虫は見ただけで鳥肌が立ち、肩の力が抜け、もし触れたならば半狂人になるぐらいの感情を持ってしまう。
うぷむすぎー(テリハノブドウ)は蔦類で、よく茅萱の上に載るように生えている。その草の芋虫は緑色に白い小さな斑点が付いて、親指大できめ細かいビロード状の肌をしている。うっかりその辺りの草刈りをして、茅萱に付いた芋虫を左手でギュッと握りしめた、あの何ともいえない手触り感はいまも忘れられない。
えげ〜 んなままい さんぎゃー うるみど うぅーゆ
(あぁ〜、いまでも ぞっとして身の毛がよだつようだ!)
祖母がオモチャ代わりにすぐ下の弟に芋虫で遊ばせていたことがある。それを見た他の兄弟は っししゃな(汚い)と寄りつかなかった。弟は、あの うぷむす(芋虫)を平気で捕まえて遊べる反面、蛙には過剰反応するのである。
家族のなかでも芋虫派と蛙派に分かれ、蛙嫌派の言い分は蛙の肌のヌルッとしたところや姿格好が許せないらしいのだが、私には理解できない。それぞれの言い分は”なんだそんなことが”と思うぐらい大したことではないが”嫌なものはいやだ”としか説明のしようがない。また、不思議に芋虫と蛙の両方がだめだという者は私のまわりには居ない。
生物に対する嫌悪感は学習によるものだという人もいるが、私は本能的なものが関係しているように思う。少しは馴れで克服もできそうだが、馴染むには相当な努力を要する。しかし、「一寸の虫にも五分の魂」小さくとも侮れない地球の生き物である。
かなり古いが、剣豪の月影兵庫(近衛十四郎)は猫、旅ガラスの焼津の半次(品川隆二)は蜘蛛が大の苦手という設定だったテレビドラマ「素浪人月影兵庫」を思い出す。強さと弱さのギャップに愛嬌を感じる作品であった。
ところで貴方は芋虫派!蛙派!
宮古んつ(みそ)で麻婆豆腐
松谷初美(下地町出身)
東京の我家の冷蔵庫には、宮古の母手作りの んつ(味噌)が いつーまい(いつでも)入っている。
麦麹と大豆でできている宮古んつは、赤味噌のような感じで色が濃い。内地の味噌も使わないではないが、たち汁や魚、貝の味噌汁などには、だんぜん宮古んつのほうが んまーんま(おいしい)
宮古んつは、昔は、親戚、近所総出で5月か6月ごろ作っていたそうだが、んなまー(今は)、麹菌が手軽に入るのでいつでも作れるのだそう。いろいろな味噌がお店で簡単に手に入るようになっても、母は毎年自分で作っている。それを私は帰るたびに、分けてもらってくるのだ。
このあいだ、冷蔵庫の調子が悪くなり、中の整理をしたら、なんと3〜4年前のものと思われる宮古んつがでてきた。おごえ!開けてみると、黒々としている。へぇ、こんな風になるんだー。舐めてみると、お、んまーんま(おいしい)さいが〜。
あ、中国の調味料「テイメイジャン」に似ているかも。と思った私は、
この味噌を使って麻婆豆腐を作ってみたのだった。
<宮古んつで麻婆豆腐の作り方>
◆材料
油(少々),ごま油(少々) | しょうが(ひとかけ) | 豚ひき肉(100グラム) |
豆板醤orキムチ(少々) | 宮古んつ(大匙2) | 砂糖(小匙1) |
スープ(トリでも豚のゆで汁でも可 150CC) | しょう油(少々) | 豆腐(木綿でも絹でも上等 1丁) |
ねぎ(少々) | 片栗粉 | 水 |
(1)、しょうがを細かく刻み、油で炒める
(2)、(1)に豆板醤(又はキムチ)、宮古んつ、砂糖を入れ炒める
(3)、(2)にひき肉を入れ炒める
(4)、(3)にスープと豆腐を入れて火を通し、しょう油を少しかける
(5)、(4)にねぎを入れ、水でといた片栗粉でとろみをつけるぐつぐつ煮たら最後にごま油を ぴっちゃ(少し)たらす
宮古んつの麻婆豆腐、いやはや我ながら上出来!(笑)すでに作っている人は多いかもだけれど、まだの方、つふぃみーるよー(作ってみてね)
このあいだ、母に宮古んつがいい色になっていておいしかった話をしたら、「うりゅーばー ばきんつ てぃど あずさーい(それは、発酵味噌と言うんだよ)」と言われた。「ばきんつ・・・」初めて知った言葉だったけれど、なんだか んきゃーんぬ(昔の)人たちの生活に少し触れたようなうれしさがこみ上げた。昔の人は、ばきんつでどんな料理を作ったのだろう。今度聞いてみることにしよう。
お袋と宮古島女工哀史
アモイ(平良市出身)
先月2月に宮古島に帰省した際は、お袋と久しぶりにゆっくり話す事ができた。
今年4月で84歳になるお袋は、現在2つほどムヤイ(摸合)をやっているそうで、そのムヤイの席でカラオケを歌わされたそうだが、伴奏が邪魔でうまく歌えなくて、歌い終わって、「ばーやー 伴奏ぬにゃーだかーんなぴ上手やーすぅがよ、てぃ あす゜し んんーなん あまいらいたーさー」(私は伴奏が無ければもっと上手に歌えるんだけどなー、と言ってみんなに大笑いされたさー)との事だった。
そんなお袋は唄が好きで、たまにサンシンを弾いて歌う事もあり、弾き始めては ちょっと止まって「あばのーしがやーたー、工工四をみーだかーぴすかいんー」(あれどうだったっけ、工工四を見ないと弾けないさー)「んきゃーんな んなぴじょうずやーたー すぅが、んなまーばっしどぅうー」(昔はもっと上手く弾けたけど今は忘れてしまっているさー)と言って工工四を引っ張り出しては再び弾き直したりしているが、人様に聴かせられるかどうかは定かではない。
そして、台所にたつときや畑で仕事をしている時は、伴奏なしで自由きままに気持ちよさそうに唄を口ずさんでいることが多い。
昭和42前後だったろうか?夏場に、石垣島のパイン工場へ出稼ぎした事があった。帰ってきたあとに口ずさんでいたのは、当時流行っていたバーブ佐竹の「女心の唄」だった。聞くと、パイン工場で働いていた女性の間で人気があり、みんなで歌っていたよ、とのことだった。
「♪貴方だけはと信じつつ、恋におぼれてしまったの 心変わりが・・」
お袋の歌を聞きながら、遠く島を離れて異郷の地で働く女性達の苦労や女心の淋しさ、せつなさみたいなものを想像した事を覚えている。
でもお袋にその口ずさんだ唄の話をすると、あんちどぅ やーたーなー(そうだったけ、)と意外にも覚えていなかった。口ずさむ唄も流行を追って色々変わっていったからでしょうか?
そして、民謡などもよく口ずさんでいたものだが、中には私の親友がうちに遊びに来てはよく歌っていた、美川憲一の「女の朝」と言う唄をいつしか覚えて口ずさんでいた事もあった。
先日も食事の支度をしながら口ずさんでいたのだが、気になる唄が2つ程あったので、その唄は何の唄なの?と言う事で訊いてみると、一つは、親父が軍隊に行ったときの唄だそうで、
「♪行き先 北九州 福岡で・・・・・・いやな二等兵にいじめられーー、涙で暮らす日の長さ、」ここだけしか覚えてないさー「んぞーさ、お父が生きずでゅーきゃー、ならいゆーかったんやー、」(残念だよ、父さんが生きているうちに教えてもらえばよかったさー)と「♪琉球少年鑑別所〜〜」などと替え歌のメロディーの定番(元唄は知らない)に載せて唄っていた。
そしてもう一曲は、数え唄だった。これは1番から11番まであり、ほとんど覚えているが、どういうわけか8番だけを覚えていないさーとの事だった。それは「紡績の唄」だった。
「紡績の唄」 1、ひとつとやー、 人に知れたる川の上に 心は名高きめいせいぶ 2、ふたつとやー、 二親はなれてきた以上 2ヵ年おらねば帰られぬ 3、みっつとやー 皆さん私の苦労をみて 哀れな女工さんと見ておくれ 4、よっつとやー 夜は8時に寝かされて 朝は3時半に起こされる 5、いつつとやー いつも厳しい目が回る 台の掃除をしておくれ 6、むっつとーやー 向こうに見えるあの船に 乗っていきたいわが郷よ 7、ななつとやー 長い廊下に散る涙 こうして働く親の為 8、(なぜだか忘れているそうだ。) 9、ここのつとやー ここから私が逃げたなら 孝行の工場長に怒られる 10、とうとうーやー とうとう満期がすみました さよならみなさん我が郷へ 11、じゅーいちとやー 11つくったこの唄を、みなさんさよなら、みな歌へ
どうしてこんな唄を知っているか?戦前(昭和16年前後)にさー、宮古島にも紡績の出稼ぎの募集があって、増原部落の同世代の友達3人が出稼ぎにいったさー。その中の誰かに教えてもらったはずだけど、誰だったか覚えていないさー?との事だった。
3人のうち2人は出稼ぎから帰島してからはあまりいい人生ではなかったそうです。その一人、平良チヨ(漢字不明)さんと言う方は、「むどぅりってぃから5年ばかーす゜あとぅん のがらーやんぬ つき すににゃーんさいがよー つんだらーさ 」(戻って5年くらい後に原因不明の病気にかかって なくなったさー かわいそーさー)松原チヨ(漢字不明)さんと言う方も、不幸にして同じくらいの時期にお産で亡くなったさー、との事だった。もう一人の方は現在那覇に住んで居られるそうです。お袋はこの唄を歌う時3人の事を思い出すそうです。
明治から第2次世界大戦頃までの紡績といえば女工哀史、女工哀史といえば「野麦峠」という映画がありました。私は映画を見てないですが、みなさんは見ましたでしょうか?
その中でもかなり劣悪で過酷な労働環境が出ていた事とおもいます。伝染病や結核なども流行って感染して若くして病死した人も多かったようですね。
そして女工哀史は本土の話だと思っていたのだが、調べてみると奄美大島や沖縄本島からも出稼者が多かったようで、『沖縄女工哀史』という本が出版されているそうです。(既に絶版)当時は沖縄というだけで本土の人から差別もひどかったのではないでしょうかね。宮古島から出稼ぎに行った人はいったいどの位いたのでしょうか??
沖縄での過酷な労働関連では、「糸満売り」という漁村への人身売買が有名ですが、「糸満に売り飛ばすぞ」と親に怒られる時は怖かったですね。この糸満売りの話は遠く鹿児島県内にも知られていたそうで、知り合いの鹿児島の人から、子供の頃は親から「糸満に売り飛ばすぞ」と怒られて恐ろしかったよ、と言う話を聞きました。
紡績の唄をネットで検索してみると、2つほどありました、そのうちの一つ「女工小唄−近江絹糸の数え歌」の歌詞の内容が似ていました。3番はそのまま同じでした。出所は一緒で地区や歌う人達によって詩が変わったと思われます。メロディーは一緒かどうかはわかりません。
話を聞いた後でメロディーも教えてもらい一緒に歌いました。3人の増原乙女の過酷な労働に耐える姿や、若くして亡くなられた2人の乙女のはかなさなど、6番位になると、なだがまぬ いでぃでぃーてぃ うーたー(涙がでそうになりました)
そして若くして亡くなられたお2人のご冥福を祈らずにいられませんでした。私もなんとか覚えたので時々歌ってみたいと思います。
ちょっと待ってくださいよ、自分の事など比較してはならないですが、そんな俺も中国へ出稼ぎしている身なんですよね・・・。お袋も年だし、早いとこ10番の歌詞を歌いたいかなー。
おしらせ
松谷初美(下地町出身)
くま・かまライターのマツカニさんこと棚原芳和さんが地元(神奈川県相模原市)の公民館のまつりで唄・三線を披露するそうです。一緒に出演するのは、娘さんの里香さんと同じ宮古島出身の松原さん、他、マツカニさんの三線教室のみなさんも予定されているそうですよ。お近くの方(もちろん、そうでない方も!)ぜひおでかけください〜。
■大野台公民館まつり 第32回こもれびコンサート 「沖縄の心 唄三線の世界」〜ここは沖縄?会場に琉球の風が吹く〜
日 時 | 2008年 3月15日(土) 午後5時30分開場 午後6時開演 |
場 所 | 大野台公民館(神奈川県相模原市) |
チケット | 前売り 600円 当日 700円 |
出 演 | 棚原芳和、吉田里香、松原秀徳 他 |
曲 | 「芭蕉布」「涙そうそう」「童神」「伊良部トーガニ」 「クイチャー」他、盛りだくさん。 |
問合せ | 大野台公民館 042−755−6000 |
編集後記
松谷初美(下地町出身)
宮古では、寒緋桜が咲き出したようですね〜。(カニさんが掲示板でおしえてくれました。写真付きです。見てね)今年は、宮古もことのほか、ぴしーぴしの(寒い)日が続いたようなので、満開の寒緋桜は、見る人の心を和ませていることでしょうね〜。
そして3月1日は、沖縄県立高校の卒業式でしたね。(宮古では5校)卒業生のみなさん、おめでとうございます!今年は、農林高校と翔南高校の最後の卒業式でもあったんですね。(この春から二校は統合して「宮古総合実業高校」になるとのこと)私たちのころは、水産高校と農林高校でした。なくなるのは、淋しいですが、新しい高校のスタート祝いたいですね。(みゃーくぷとぅさん、掲示板での情報たんでぃがーたんでぃでした)
掲示板でいろいろな情報が書き込まれるのは、まーんてぃ ぷからすくとぅ(本当にうれしいことです)。そして、メルマガの感想の書き込みも(メールも!)ありがたく、うれしく読んでいます。たんでぃがーたんでぃ〜。
さて、今回のくま・かまも幅広い内容だったと思いますが、のーしが やたーがらやー(いかがでしたか)?
ビートルズ世代のサラリーマンさんの「サニツの風景」は、干潟で思い思いにのんびりと過ごす人たちの様子が うぷす(潮)のかざ(香り)とともに伝わってきましたね〜。「海の豊かな環境があればこそ」の言葉は、まさにその通りだと思いました。以前、与那覇湾の淡水湖化計画なるものが出たときがありましたが、そうならなくてホントに良かったと思います。
宮国勉さんのエッセイを読んで、以前読者の方が「どくとるマンボー(北壮夫さん)のようですね」と書き込んでくださった時がありましたが、ホントに宮国さんは虫博士!あすぅが(でも)芋虫が苦手だったとは!宮国さんの意外な一面でしたね。私は芋虫とも蛙とも遊べましぇーん。うう、さんぎぬど(鳥肌が)・・・。
紡績工に行った女性たちの話と歌、初めて知りました。切なくて哀しいお話しですね。同じ集落でしかも友達となると、お母さんがいつまでもばっしだな(忘れずに)歌う気持ちが分かりますね。同じ宮古の女性として知っておかなければいけない話だなーと思いました。そして、海外で仕事をしているアモイさんのお母さんへの思い、まなざしにもジーンと。。
マツカニさんが出演するコンサート、ばんまい みーが いき゜がまた(私も見にいくべき〜)。それにしてもこの活躍、ぷからすむぬ(うれしい)ですね〜。マツカニさんは、「みなさんに楽しんでもらえるコンサートにしたい」と話していましたよ。チケットのお申込はお早めに!
今号の感想もぜひ、お聞かせくださいねー。バックナンバーでごらんの方は、下のほうに感想を書き込むことができますので、良かったら書き込みしてくださいね〜。もちろん、掲示板でもメールでも大歓迎です。よろしくお願します。
それから、6月には、父の日にちなんでの特集も考えています。お父さんへの思いやお父さんの姿など、うわまい かきみーじゃーんな?(あなたも書いてみませんか?)投稿をお待ちしています。
次号は、3月20日(木)の発行予定です。あ、ぴんがん さいがやー(お彼岸ですねー)そんな話もあるやなしや。どうぞお楽しみに〜。
きゅうまい ぞう(良い)一日でありますように。あつかー、またいら!