こんにちは〜。9月になりましたね。
今年の夏は台風が少なく、集中豪雨があちこちで発生するなどぴんなぎ(変な)気候でしたが、ぱだーぱだーうらまずな?(お元気ですかー?)
秋の文化の匂いも漂いつつ、vol.179お送りします!
文化について思うこと
宮国優子(平良市出身)
辞典を調べるとズラズラと出てくる、一言で表せない言葉ー文化。だいず意味が すっさいん(分からない)。
「人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア」なんだそうです。
私は秋もこないのにサシバも飛んでいないのに、文化に傾倒中です。えぇ、もちろん宮古や沖縄の文化に!
ものすごく学術的なものから、そうでないものまで。私の心を揺さぶりまくりです。みんなが文化だと思っていないものまで文化なのかもしれない、とまで思いつつ。
例えば、若い人のイベントや買い物や料理や、生活の一部のようなことも全部歴史であり、文化だと思うのです。ここまで言い切れるほど、妄想爆発中。
書きたい事がありすぎて、また書くことになりそうですが、今日はさらっと。
先日、通っていた昭和女子大学の「女性と経済」の松田宣子先生という方とお茶をしました。先生は御年70ウン才だと思うのですが、海外在住時に戦争になり、一年かけて日本に戻られたそうである。幼かった弟や妹はその際に亡くなったそうです。「あぁ、イヤだな、無駄だな、戦争って」と私は涙した。
その先生がおっしゃったのが「宮古上布を母からもらって、今も大事にしている」ということでした。 私はそういう所に文化の根源があると感じる。個人の思いや歴史の中に。
そしてそこにちゃんと私たちの宮古が生きている。当時の宮古が生きている。そして、まだ生き続けている。自分は何も関係ないし、織ってもいないのに、誇りのようなものまで芽生えました。プリムヌだはず。
もう怒濤のように、勉強心に火がつきます。20年早く気づきたかったけどさー。
先日、法政大学の沖縄文化研究所の講座を受けてきました。その日は、酒井正子教授の「歌掛けの諸相;八月踊りとエイサーを例に」と永瀬克己教授の「祈りの空間―御嶽の空間構成について」の二本立て。だいずうっむしそう(すごく面白そう)でしょ。
酒井正子教授は「南島の夏正月」がテーマです。沖縄でいうと浜下りですね。徳之島に何十年も通って集められた資料満載の授業でした。1989年前後の映像と歌の読み解きでした。まるでアフリカの部族顔負けの太鼓のリズムと掛け合いの歌が印象的だった。踊りも宮古のクイチャーに似ているところがあり、ちょっときました。
おごえ、やっぱり同じ文化圏さいが。でも、宮古の方は、歌や歌い方がシンプルになり、踊りがダイナミックになっているかも。
永瀬克己教授の授業は、これもまたおもしろかった。御嶽は様々な形があって、結界がそれぞれにあり、それをイビというらしい。その造型は美しいものもあって、ため息が出た。
永瀬教授はアメリカのナントカという方式を使って、その建築物の動き?みたいなものを図柄化してあった。他のところと比べて、宮古はもう本当にシンプル!ある意味、島民性が如実に出ているってば。
頭の中で不可解だった点と点が結びついて、薄くだけどつながった。宮古の文化は、どこの文化と比べても負けず劣らず豊穣だ。
日々、いろいろな連絡が入る。最近では宮古の「ぐるグル」さん。
新しい宮古密着情報サイトで、これからは紙での動きもありそう。
他の人からも新しいサイトを作るべく動きがある、とのご連絡も。これは内地連動型だ。
個人的には、私が待ち望んだフィルムコミッショナーの動きもある。
それから東京では「沖縄ドキュメンタリー映画際」が行われ、宮古の祭祀についての貴重な映像が鑑賞できる。
そして、すでに終わってしまったけれど、菜の花さんが職場で行った沖縄をテーマにした納涼祭。これはもうなんと言うか「ズミ!」の一言。
これを文化と呼ばずしてなんと呼ぶんだろう。この草の根ぶり。「相互の交流によって発展してきた」ものを文化と呼ぶのなら宮古の文化はまたひとつひとつ階段を上っている。宮古で生活している、文化を守っている人たちに、だいばんエールを送りたい。
だいず、ひとりで鳥肌ってば。東京にいても、私の周りは緩やかに宮古に包まれている。
あば、全然、さらっとじゃなかったな。んびゃーいん。
靴ぬどぅにゃーん(靴がない)
クイチャーマン(下地町那覇出身)
「今回の件では、大変ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げるとともに、今後同じことが起こらないよう、酒類品質評価会の際には靴箱に氏名を貼ることとします。」職場のパソコンのメールボックスの中に、このような私に宛てた文章が残っている。
毎年一度泡盛の品質を評価するための会合が開かれている。沖縄の泡盛の生産者が製造販売している酒を店頭から仕入れ、銘柄が判らないように同じ容器に入れ、番号を付けて並べる。そしてその道の専門家や愛好家らによって、香り、風味、のど越しなど泡盛の品質が採点・評価され、結果が生産者に伝えられ、生産者は品質の改善などの参考にするという。浦添市内にある評価会が開かれた建物の3階が私の勤務する事務室で、玄関の靴箱は共用である。
「っぐ? ばが くつぬどぅ にゃーん!」(おや?私の靴がない!)その日、仕事の帰りに、玄関の靴箱(一人一足ずつ、独立した小部屋になっている)の中に入れておいた私の靴が無くなっているのに気づき、同僚たちに聞いてみたが心当たりの人はいなかった。私は仕方なく残っている靴を履いて帰宅した。
ふたきな とぅみれーどぅ っすぱず(すぐに見つかるはずだ)と思ったが、意外な展開が待っていた。
あんしーやっかー、かりたーがどぅ、評価員ぬきゃーぬどぅ まつげーにゃーんぱず。(そうであれば、あの人たちが、評価員たちが 間違えたはず)と察した私の同僚が、評価会の事務局を担当した別棟のTさん(男性職員)と連絡して調べてもらった。
Tさんは私のところに来て、私の靴の特徴を聞き、うまかまんけー(あちこちに)問い合わせた結果、一週間後「犯人」は東京にいるらしいことが判った。
「すみません、二人の人が、自分が間違えたかもしれない、と言っているので写真を撮らせてください」Tさんは、ケイタイの付属カメラで私が履いている「犯人の靴」を撮影して、二人に送って見てもらった。
ところが、二人とも、ケイタイぬ写真しーや、っさるん(ケイタイの写真では判らない)という返事だったそうだ。その数日後、2足の靴が東京から届いた。このなかに私のものがあれば幸いということだった。
私は玄関に並べられた2足の靴を眺め安堵した。その中の1足は間違いなく私のものであった。
主人の足を離れ、無理やり「犯人」と一体にされて上京し、心細い思いをしながらも希望を捨てずに、救助を待っていたはずと推し測りつつ、十日間の旅を終え無事に帰郷した靴を両手で撫でてやった。
Tさんも、やれやれという表情で「真犯人の靴」と、自分も犯人かもしれないと名乗り出た、心やさしい、あるいは心もとない?人の靴を持ち帰った。私はTさんにもお礼を述べた。彼は何も話さなかったが、“なんで俺がこんな難儀をしなければならないんだ”と内心腐っていたはず。それでも、丁寧に冒頭のメールを送ってくれたTさんは立派である。私と彼は初対面であった。
おそらく、十数人の評価員の中に東京から来た人が複数おり、そのうちの二人が、評価後の懇親会で飲み過ぎたのだろう。
あんしばどぅ ばがくっつぅ まつげーふみってぃめー、っさだなしーやーんけー ぴーたーてぃーぬ ばーぱず(だから、私の靴を間違えて履いたあとも、気づかずに家に帰ったということだはず)。
味覚が優れている人は足の感覚が劣っているかもしれないと考えながら、私は下地勇さんのアルバムの中に「サバぬにゃーん(Lost my sandal)」という楽しい歌があるのを思い出していた。
ボーンタのある風景
アモイ(平良市出身)
今年の3月だったか、宮古島に帰省して実家でのんびり過ごしている時の事。
突然北の方から「バラバラバラバラ」とかなりうるさい音が聞こえてきてその音がだんだん近づき、「あば、のーぐとぅりゃー?(なんだ、何が起きた?)」とびっくりするほどの低空でヘリコプターが真上に現れたかと思うと、その黒い機体の腹をみせながら、野原岳に向かってまっすぐ飛んでいった。
なるほどあそこには自衛隊のヘリポートがあるのか、ヘリコプターが遠ざかって野原岳の中へと消えていく様子をながめながら、ふと家の正面に見えていた景色がだいぶ変わってしまっているのにびっくりしてしまった。
昔(35年位前)は実家の正面に広がっている風景は、当時米軍基地だった野原岳の2個のボーンタを中心としたボーンタのある風景だった。野原岳とは宮古島のほぼ中心にある海抜108.3メートルの小高い丘で、そこに米軍基地があったのだ。
その基地の中にあって通称「ボーンタ」と呼ばれている建物は、ウエスタンハットのようにツバつきで、丘の上に丸く浮かび上がっているようにそびえたっている。まるで上側が丸くなった巨大なアイスクリームのような感じである。建物の中には通信用のレーダーなどが入っており、それにテントをかけるように、丸く覆って白い屋根になっている。
「ボーンタ」てぃや のーしぬ いみぬが あーがらやー?、ぱぎ かなます゜ゆぅどぅ あーやらんな、(ボーンタとはどんな意味がある?丸坊主の頭の事をいうはずだよね)
ボーンタの地上からの高さは普通の建物なら3階建て位の高さになるだろうか、宮古島のちょっとした小高い場所や遮るものがない場所であれば、たいていの場所から見えるので、自分の居場所の確認ができるシンボル的な建物だ、観光客のみなさんも、もしも宮古島でドライブ中に迷う事があれば、ボーンタを捜してみるとよいでしょう。
ボーンタの屋根については風速100メートル級の台風でも耐えられるほど頑丈にできているという巷の噂があった。しかし昭和41年に85.3メートルを記録した「コラ台風」のときに2つあったボーンタの屋根は飛ばされ右側の屋根は完全に吹き飛ばされて中のレーダーがむき出しになったのだ。それを例にだして、コラ台風の風速はボーンタの屋根を吹き飛ばしたのだから、実際には100メートルを越していた、という話をする人もいたものだ。
中身がむき出しになったときの景観は味気ないものだった。当時は実家からはそのボーンタのひさしに人が上っているのも見えて屋根が少しづつ修復されていく様子も見えていたものだ。
当時米軍が使用していた基地はいつ頃自衛隊に引き継がれたのかは知らないのだが、今では完全に自衛隊の管理となっており、宮古島には米軍基地は完全に無くなっている。そしてこれもいつの事かしらないのだが、2つあったボーンタは1つしか残っていないのだ。
つい先ほど聞いたばかりで、真偽のほどは確かめていないが、こんな話を小耳にはさんだ。
近来の通信技術の進歩で、以前のボーンタの中にある大型の通信設備がなくても、その通信機能以上のものを確保するのは容易であるので、2つのボーンタを取り壊そうという計画があったそうだ。
しかしそれを聞いた上野地区の人達が、ボーンタを全部取り壊してしまうのは困る、なぜならボーンタは昔から宮古島の中心にあって、シンボル的な存在なので、なんとか1つだけでも残せないか、と言う話を受けて残してあるのと言うことである。東京タワーの無い東京を想像するようなものだ、とはちょっと言い過ぎだろうか?
現在実家からはその1つしかないボーンタの屋根の白い部分がかすかに見えるだけになってしまった。30数年の間に少しづつ森の木が伸びて視界が遮られボーンタが隠れてしまったのだ。森の緑が見えるのは悪くはないが、それでも以前のようにボーンタが見えないのは物足りなくちょっと寂しいものだ。
実家の真上に現れたヘリコプターの音は「うるさい」を通り越した大きな騒音だった。それ以来真上に現れた事はほとんどないようで、問題にもならないが、沖縄本島には今尚米軍基地が多く、基地問題は沖縄本島の基地周辺に住む人々にとっては大変な問題となっている。
騒音や墜落の危険性等々早急に解消しなければならない問題なのだ。ただ、皮肉ではあるが、そんな問題を抱えながらもその一方では基地の存在や建物がその地域のシンボル的な存在になってしまったりしている事もありえるのだ。
中国では日中戦争で現地の人達に多大なる被害を与えてしまっているが、そんな中で、現在でも旧日本軍が残していった建物や鉄道などがそのまま利用され地域の人々の生活を支えている例もいくつかあるようだ。
沖縄の基地問題も、早く過去の問題となり、ボーンタの話のような思い出話ができるような日が来るよう願いたいものである。
おしらせ
■「琉球民謡伝統協会 神奈川支部 第二回芸能発表会〜咲き誇る 唄 三線の花〜 」
菜の花(伊良部町出身)
くまかまライターのマツカニさんが教える、三線教室の第二回発表会が行われます。
日 時 | 2008年9月21日 日曜日 開場/16:30 開演/17:00 |
会 場 | サン・エールさがみはら 神奈川県相模原市西橋本5丁目4番20号 TEL:042−775−5665 |
アクセス | 京王相模原線、JR横浜線、JR相模線「橋本駅」南口下車 (駅より800m) |
料 金 | 前売り券/1500円 当日券/2000円 |
チケット購入 お問い合わせ | 棚原民謡研究会 事務局 042−733−5437 046−207−4318 |
一部は三線教室の生徒による、唄 演奏。二部は沖縄から来られる琉球伝統協会の方による 唄 演奏 踊りとなっています。
当日は、三線のほかに琴や二胡、太鼓も混じります。会場には琉球音楽の花が咲き誇ることでしょう♪
お時間のある方は一緒に楽しみませんか?!
■【沖縄ドキュメンタリー映画祭】
法政大学沖縄文化研究所 もりもと
こんにちは。新里先生の方言教室でお世話になっているもりもとです。前回はお休みしてしまいましたが、この場を借りてイベントのお知らせをさせてください。
法政大学沖縄文化研究所では、この秋【沖縄ドキュメンタリー映画祭】を開催します。
久高島イザイホー、奄美、南米移民、先島の祭祀、戦争体験・・・ほか、様々な角度から沖縄を記録した珠玉の映画を集めました。また、映画上映の後には、シンポジウムや特別講演も企画しています。映画監督や研究者を交えて、是非会場のご意見も聞きたいと思います。
本映画祭はどなたでもご来場いただけます。特に東京在住の沖縄ご出身の方、沖縄に関心のある方に観ていただけると嬉しいです。
10月11日は、宮古の映像もありますし、シンポジウムには宮国優子さんにもご参加いただく予定です。「くま・かま」の皆さんのご来場お待ちしています!
ちなみに映画祭のテーマは『世(ユー)を見る、繋ぐ。』です。皆さんは「世(ユー)」という言葉に何をイメージするでしょうか・・・?!
【沖縄ドキュメンタリー映画祭】
日 時 | 2008年9月20日(土)、9月21日(日)、9月23日(火) 10月4日(土)、10月5日(日)、10月11日(土) 10月12日(日)、10月18日(土) ※10時開場(9/23のみ13時開場) |
申 込 | 不要。当日会場にて受付ます。※前売りはありません。 |
料 金 | 一般 1000円(資料代、運営費として) 学生は、学生証提示で無料です。 座席は、自由席です。 |
場 所 | 法政大学 市ヶ谷キャンパス内 さったホール及び、S407教室 |
上映作品 | 全25作品!! |
詳 細 | 詳しくは、映画祭ホームページをご覧下さい☆ http://www.hosei.ac.jp/fujimi/okiken/top/top-index.html |
◆10月11日(土)の内容は次のようになっています。
10:30〜 『ナナムイ ― 第2章 ユークイ編』(79分)
- 休憩 -
13:00〜 『竹富島の種子取祭』(55分)
14:10〜 『石垣川平のマユンガナシ』(39分)
15:00〜 『ユークイ〜祈りの島 宮古・池間島』(25分)
15:30〜 『島語り 島の声〜ユークイの島2001』(27分)
16:10〜 『島語り 島の声 〜狩俣の祭祀は今』(18分)
17:00〜 シンポジウム
【変わりゆく島−祭祀の記録から】(タイトル仮)
司会:得能壽美(沖縄文化研究所研究員)
パネリスト:
北村皆雄(ヴィジュアル・フォークロア代表)
新里光宏(宮古テレビディレクター)
比嘉豊光(琉球弧を記録する会代表)
宮国優子(『読めば宮古』編者)
奥浜幸子(宮古郷土史研究会会員)
多くの皆さんのご来場お待ちしています!
《お問い合わせ》
法政大学 沖縄文化研究所
〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1
TEL: 03(3264)9393
FAX: 03(3264)9335
メール: okiken@s-adm.hosei.ac.jp
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
先週の金曜日8月29日、朝の人気テレビ番組「はなまるマーケット」に下地勇さんがゲストとして出演しましたね〜。みーですたーな(ごらんになりましたか)?
ゲストのコーナーに出演かと思いきや、レギュラーの方たちと まーつき(一緒に)最初から最後までの登場!こんな出演は番組でも珍しいパターンですよね。もうずっと画面に釘付けでした。(笑)それにしても、司会の薬丸さんや岡江さんと並んで映っているのが夢のよう。勇さんの活躍は、まーんてぃ ぷからすむぬですね。
番組の最後には、くま・かまで菜の花が書いた「一粒の種」を元に作られた歌が披露され、心をこめて歌う勇さんの姿に、胸が熱くなりました。「一粒の種になりたい」と亡くなる直前に話したひとりの患者さんの言葉を詩にして蒔いた菜の花から今度は勇さんの手によって、残された人への愛あふれるメッセージとなり、全国に蒔かれました。患者さんのご家族はもとより、たくさんの人の心を癒したことでしょう。
菜の花の書いた「一粒の種」はバックナンバーや本で読むことができます。vol.71(2004年3月4日発行)、本『くまから・かまから』には、148〜149ページに載っています。 その後のことを書いた「『一粒の種』それから」vol.161(2007年12月6日発行)もどうぞ合わせてごらんくださいね。バックナンバーは、http://www.melma.com/backnumber_33637/ です。
それから勇さんは、11月26日の「はなまるコンサート」にも出演するそうです。すごいですね〜。詳しいことは10月3日の「はなまるマーケット」の番組内で発表があるとのこと。要チェックですよ〜。勇さんの今後の活動にも目が話せませんね。
さて、vol.179は、のーしがやたーがらや?
宮国優子さんの文化の話し、とても分かりやすくて面白かったですねー。こんなにいろいろなものが内地でも宮古でも発信されているんですね。「相互の交流によって発展してきた」には、まーんてぃ納得です。沖縄・宮古の文化・研究に深く関わっていく優子さん。数年前に『読めば宮古』や『書けば宮古』をまとめた時からそれは始まっていたのでしょうね。優子さんの今後の活躍も楽しみです。
クイチャーマンさんの「靴ぬどぅにゃーん(靴がない)」ぱなす(話し)、靴の旅物語、楽しかったですね(失礼)。しかし、近所まで旅する靴はあっても、東京まで運ばれ戻ってきた靴はそうないでしょうね。毎日履く靴は自分の分身のようのもの。戻ってきて良かったですね。それにしても、よくサバがなくなったり、靴がなくなったり、そしてそれが歌にもなるというのは、沖縄独特?
アモイさんの「ボーンタのある風景」。同じような思いを持っている人は、結構いるのではないでしょうか。ぬばり(野原)に近いところに生まれ育った私にとってもなくてはならない風景です。アモイさんが書いているように、悲しい過去があってもその建物が愛され、大事にされていくということありますね。中国でそれを見て感じてきたアモイさんならではのお話しで、基地のところの話でも、その通りだなーと思いました。
菜の花がおしらせした「琉球民謡伝統協会 神奈川支部 芸能発表会」は、去年も大盛況でした。今年もいろいろな趣向が凝らさせるようですよ。もちろんマツカニさん、菜の花も登場です。歌・演奏・踊りの素晴らしさが体感できると思います。みなさん、ぜひ足をお運び下さいね。
法政大学沖縄文化研究所のもりもとさん、「沖縄ドキュメンタリー映画祭」へのおしらせ、たんでぃがーたんでぃ〜〜。こんなにもたくさん沖縄の映画が見られるとは大変貴重ですね。10月11日は私もぜひ行きたいと思っています。優子さんは、パネリストですしね!楽しみです。もりもとさんは、「どの作品もクオリティの高いものばかりです。ぜひ、多くの方に見てほしいです」と話していました。みなさんもぜひ〜。
今号のメルマガ、そろそろ失礼しましょうね。 しまいぎー ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃでした。
ご意見、ご感想、ぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待ってますよ)
次号は、9月18日(木)の予定です。どうぞお楽しみに〜。
きょうも一日、かぎぴかず(良い日)でありますように!あつかー、またいら〜。