こんにちは〜。
宮古よりあつーあつの(暑い)東京です。暑い毎日に清涼感たっぷりのくま・かまはいかが?
vol.225お届けでーす!
すだす かじぬ かぎすま(涼しい風の美しい島)
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
今年の夏は、各地で記録的な猛暑が続いている日本列島ですが、宮古島の夏といえば、燃えるような炎天下の中、涼しい木陰を作ってくれるモクマオウ、ガジュマル等の木々を懐かしく思い出す。
枝を ぴすぅぎ(広げ)、豊かな緑陰の下は ばふーばふーと涼風が吹き抜け、すだーすむぬだった。(涼しかった)。まさに天然のクーラーだった。
ばんた やらびんな(我々子供にとっては)、ガジュマルの きーぬわーう゛ぃ(木の上)は格好の遊び場だった。ガジュマルの大木は、幹はもちろんの事、枝も太く横に張るので、木の上に秘密基地の様な空間が出来る。その空間が何とも心地よいのだ。
平一小学校の正門の石垣沿いには、立派なガジュマルがあって、よくターザンになった気分で枝から枝へと渡り歩いて遊んだものだ。
いんばた(海端)には、たいがい(大抵)防風林のモクマオウの林があって いむ からぬ かじゆ うき(海からの風を受けて) すだすきなり(涼しそうに)なびいていた。海水浴に行くと、モクマオウ林の中で着替えたり休んだりした。
ガジュマルとモクマオウの他にかすかに記憶にあるのがマツギー(松の木)である。マツギーの林は畑と畑の間とかによくあったように記憶している。多分、元々マツギー林だったところが開墾されて畑になり、所々に取り残されてしまったためだと思う。
慶世村恒任著『宮古史伝』によると、宮古島の松木は、明暦元年下地親雲上恵根が上国した際、小松数株を持ち帰り、大武山(野原山)及び島尻後に試植したのが始まりだそうだ。
その後、恵根の曾孫恵通が上国し、時の三司官蔡温に就いて山林や治水について学び『山林真秘』1巻を持ち帰り、宮古島の造林は益々盛んになる。
そして、平良親雲上寛富の頃の杣山帳には、城辺53,282本、下地119,668本、合計272,950本の松木が記録されている。当時、城辺、下地にはかなりの規模の松木林があったことが分かる。
この松木とは琉球松の事である。琉球松は琉球列島特産の松で枝ぶりが美しく、成長も早く経済性に富んでいるという理由で昭和42年に沖縄県の県木として指定されている。
1853年に琉球に来航したペリー提督の琉球島内探検記録『日本遠征記』に収録されているスケッチ(『青い目が見た大琉球』)にも、枝振りも見事な松の大木が描かれている。
王府時代に整備された宿道(今で言う国道)では、道幅が 8 尺(約2.4メートル)と定められていたうえに、道の両側に6尺(約1.8メートル)の幅がとられ、そこに琉球松が植えられ、りっぱな松並木が続いていたそうです。しかし、今ではこの松並木もほとんど姿を消し残っているのは、ほんの一部の区間だそうです。
そういえば、昔は宮古島でも狩俣線や城辺線には、大きな枝振りの一際目立つ松の木が要所要所に立っていたような気がする。もしかしたら、一里塚のように目印として植えた松木だったかも知れない。
今でも、みーゆ(目を)閉じると、やらびぱだの(子供の頃の)あの宮古島の豊かな木々の緑が思い出され すだすかじ(涼しい風)を感じる事が出来る。そして、夏が終わり寒露を過ぎる頃になると、何十万羽ものサシバが空を真っ黒に染め長い旅の羽を休めるため、宮古島の豊かな森に舞い降りて来たのを思い出す。
今宮古島の森林面積は島全体の16.5%だそうだ。畑と宅地が広がる狭い島でこれ以上森林を増やすことは難しいのかも知れないが、まだまだ増やせる余地はあると思う。
にんぎんまい ばたす°とぅす°まい(人間も渡り鳥も)健康に暮らせる、いつがみまい(いつまでも)緑豊かな木々に囲まれた、すだすかじ(涼しい風)の吹く かぎすま(美しい島)宮古島であって欲しいものです。
『島の時間』東京上映!
下地昌伸(シネマパニック宮古島)
皆様「島の時間」という映画をご存知ですか!?
昨年、ひょんなことから、沖縄市に住む仲村颯悟君という中学2年生と映画を撮りました。
あるきっかけで、映画を撮っている中学生がいることを知り、彼のブログを見てみると、宮古島の風景がUPされているではありませんか。ブログにカキコしてみました。
私「宮古に親戚いるの?」
彼「いいえ、中体連で行きました」
・・・なるほど。(ルーツは宮古島かと思っていたので ぴっちゃがま(ちょっぴり)残念。なんでもつながりを持ちたがる宮古人の悪い癖。)
私「沖縄フィルムオフィスの支援を受けて作った『がじゅまる』見せてほしい」
彼「わかりました。送ります」
後から聞くと、ブログに書き込みしただけの見ず知らずのおじさんに自分の作品を送るのはどうかなと、思ったようだ。その通りです。以後気をつけて。
ほどなく映画が送られてきた。「がじゅまる」
ショックを受ける。しっかりと映画になっている。カメラワークも多少ぶれるが面白い。後で聞いたが、人手が無くて、撮影しながらレフ板も持ったとのこと。そりゃ、ぶれる。
カメラは家庭用の小さなビデオカメラ。でもしっかりと映画だ。キャストも友人たち。友人同士で大人の力など借りず、自転車やバスで移動する。キャストは驚くほど自然な演技。生き生きしている。
夏休みにシネマパニック宮古島で上映させて欲しい依頼するとすぐにOKをもらう。料金はとらずに1日だけ映画館を無料開放する。そのついでに映画を撮らせてあげよう。思いっきり。
撮り終わってからの感想は「思いっきり」とは行かなかった。どちらかというと中学生監督に「あきらめない事」を学んだ。
仲村君一人だけで宮古島に来るのは恐ろしかろうし、撮影をするにもこっちは手伝う気はあっても映画なんて作ったこともない。(映画館は上映場所で製作場所ではないのです。これはみなさん結構混同する)
彼の友人、「がじゅまる」で主役のキジムナーを演じた池味君も同行してもらい、さーっ!映画作りだ!
待てよ!そうだ資金が無い。。。深くは考えない事でいいこともあるが、金は別。JTAに泣きつく。快諾!!二人分の往復券ゲット!感謝!宿泊はどうしよう!?ホテルを経営する観光協会の副会長の泣きつく!快諾!最初から最後まで、何から何まで泣きついた。
こんなのプロデューサーとは言わない。たかりだ!でも、夏休みに映画を作る中学生をみんなで支援してくれた!奇跡の島だ、宮古島。なんだかぴんなぎ(おかしい)人ばかり。
キャストは「がじゅまる」を見せていた私の知人の子供たち。「映画に出てみる?」の問いかけに元気よく手をあげてくれた子供たち。撮影期間は限られている。最初の一人を中心にキャストを組む。男の子はサッカー部つながり。女の子は兄弟姉妹つながり。監督からはメールで指示を受ける毎日。撮影場所は監督の中では決まっていた。来間島。
撮影が台風接近で日程がずれるは、いざ2日後には撮影となっても新型インフルエンザにかかるキャストがでる。やめようか迷った。結局、強硬。地元のスタッフキャストの子供たちも明け方から深夜まで撮影に持ちこたえた。全てをここで書くとあと2000字は必要になるので、ここまでにする。
とにかく、映画は完成した。
小学生の仲間6人のうち、1人が沖縄本島へ転校が決まり、プレゼントを贈るため、島に伝わる伝説の貝殻を探す。という物語だ。
上映は・・・考えていなかった。撮影も連日付き合ってくれたキャストの親御さんたちに集まってもらった。もろもろの事を考えると、たった1回きりの話し合いで、3週間後に決まった。時間が無い。監督には編集を急がせ、マティダ市民劇場で2回の上映をする準備をする。ポスターができたのは上映まで2週間を切っていた。
上映会当日も台風接近。野外のイベントは2日前から延期や中止を決めていた。それでも飛行機がなんとか飛んだので、監督と音響スタッフを務めた池味君がやってきた。
台風の中の上映会に続々とお客さんがやってきた。その数、2回で1500人超!!!
短い告知期間だったが撮影時から宮古の新聞2社、宮古テレビ、琉球朝日放送などなど撮影をニュースで取り上げてくれていたおかげだ。もちろん、スタッフ・キャストの親御さんたちがチケットを売りまくってくれていたおかげでもある。
楽曲を無料で貸してくれたハーベスタのメンバーや追加撮影まで航空券を提供してくれたJTA。車両提供や自宅をロケ現場に貸してくれた方々。宿泊提供してくれたホテル2社、。来間島の自治会のみなさん。教室を貸してくれた来間小中学校。支えたくれた全ての方に感謝感謝感謝!
収益があがったのでDVDを作るとこにした。その数500枚!宮古の学校や図書館や施設に配布した。私たちの大切な記録だ。宮古島の全ての方と宮古島への感謝のしるし。せめてもの。
アサヒビールにこの成果を紹介してくれたのは、友人でミュージシャンの「港大尋」さん。
こうして、多くの人に支えられ、作られた「島の時間」はこの夏、東京デビュー! 皆さん、ぜひとも8月8,9日はぜひともアサヒアートスクエアへ足をお運びください。
「SUPER JULY★地域密着型映画祭」
◆1日目
日 時 | 2010年8月8日(日) 14:10~ |
料 金 | 無料(1drinkオーダー制) |
上映作品 | 「ほんがら」14:10- 監督|長岡野亜(滋賀県近江八幡市島町/89分/2008) 「島の時間」15:50- 監督|仲村颯悟(沖縄県宮古島/約60分/2009) 「船、山にのぼる」 17:00- 監督|本田孝義(広島県灰塚地域/88分/2007) |
上映後トーク | 18:40− 本田孝義(「船、山にのぼる」監督)×加藤種男(SRAP実行委員、アサヒビール芸術文化財団) |
◆2日目
日 時 | 2010年8月9日(月) 14:10~ |
料 金 | 無料(1drinkオーダー制) |
上映作品 | 「ほんがら」 17:00- 「島の時間」 15:50- 「船、山にのぼる」 14:10- |
上映後トーク | 19:00-仲村颯悟(「島の時間」監督)×下地昌伸(シネマパニック宮古島)×藤田知丈(ひょうたんからKO-MA)@ AAF Cafe |
心のバトンはつながった
キムキム(平良・西里出身)
あっという間に時間が過ぎる・・・の「あっという間」が、今年は特にまるふ(短く)感じる。
娘は、ついこの前中学生になったばかりなのに(と思っていたのに)、もう中学3年の夏休み...ただただ楽しい夏休みというわけにもいかない。
入梅の少し前、中学校最後の体育大会(この辺では運動会のことをこう言う)があった。去年から、担任もクラスメイトも持ち上がりで、20代の熱血教師率いる4組の絆は熱く・固い。
私の記憶の中の運動会は、「照れながら踊ったフォークダンス」、結構足が速かった私が、唯一1位を目指せた「100メートル走」、んなままい(今でも)覚えてて踊ることができる「校歌ダンス」ぐらいである。
だが、今時なのか?大和式なのか?ここでのメインプログラムは、「クラス対抗全員リレー」「クラス対抗全員で長縄跳び」。
体育大会に賭ける子供達の意気込みは、半端なものではなく、5月中は毎日、まさに「寝る為だけに帰って来てた」ほど、リレーと長縄跳びの練習・クラスの応援旗作りに明け暮れた。
「クラス対抗全員で長縄跳び」は、クラス目標を60回に掲げていたものの、前日までの練習では、最高13回。他のクラスでは30回を超えるところもあり、伸び悩む記録に担任も体育委員もあせっていたようである。一人でさえ、縄跳びで30回を跳ぶことが苦手な子もいるだろうに、このクラスはあきらめない。
体育大会当日、勝負は、3分間に何回でも挑戦し最も多く跳んだ数で競われる。7〜8メートル程の縄にクラス全員34名が一斉に跳ぶ・跳ぶ・跳ぶ・・・1回目 7回。2回目 2回・・・担任の熱い声援が飛ぶ「何やってんだ〜60回跳ぶんじゃなかったのかよ〜」誰かが縄に引っかかると「ドンマ〜イ」と肩を叩いてやる子、半べそで懸命にジャンプしている子、まるで んきゃーん(昔)の青春ドラマのワンシーンのようだ。親達も祈るように見つめている。
制限時間の3分が刻々とせまる中、4組の記録は、7回目 49回・・・この奇跡のような記録に、泣きながら抱き合って喜び合う子供達、その姿に涙する親達。優勝は1組の50回だった。どの子にも、普段出し切れていない力がある。支えられて出す力があると思った。
「クラス対抗全員リレー」は、その名のとおり速いも遅いもなく、男女関係なく、クラスの作戦とチームワークの競争で全員が100メートルずつバトンでリレーする。
陸上部のエースは、女子をごぼう抜きし大活躍、女子に追い抜かされる男子、なかなか追い抜けない女子、自分が受け取ったバトンを次の人にパスするまでのプレッシャーで走り終わったあと泣きながら応援している子。アンカーにバトンが来たときは、みんなが一丸となって叫んでいた。一番でゴールした。先生が駆け寄ってきた。泣いている。みんなの顔も なだ(涙)でぐちゃぐちゃだ。・・・普段は生意気な娘までも真っ赤な顔をして泣いている。
その後、バトンのパスゾーンをオーバーしていたとして、4組は失格となった。4組全員の最後のバトンパスは終わった。「リレーは失格だったけど4組の絆は優勝だよ」担任が子供達にかけた言葉である。
まだまだ、子供達の時代も捨てたもんじゃないと思う。本当に全員がぴてぃーつん なり(一つになって)みんなで走りきったリレーでした。
あんなに声をからして仲間を応援したり、必死に走ったり、ポロポロとなだ(涙)を流して泣いたり・・・全力で、本気で戦った姿をいつまでも焼き付けて忘れないでほしい。良い仲間との出会い、協力し支え合ったりしたことは間違いなく一生の宝。
「お母さん、あの時の絆はね、受験のときまで何倍にも支えになるんだってぇ、先生が言ってた」
悔しいけど、熱血担任には完敗である。
勉強大嫌いの娘も、毎日受験勉強に精を出す熱い、暑〜い「受験生の夏休み」を過ごしている。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
先月26日、東京武蔵野市で行われた「宮古島市ジュニアオーケストラ」のコンサートに行ってきました〜。470名入るというクラッシック専用ホールは やまかさの観客。立ち見の方もいましたよ。
小学生から高校生までのメンバーに、沖縄・東京から応援メンバーが加わり、素晴らしい演奏の数々でした。小さい子どもたちも大舞台にも関わらず堂々とした演奏。いみっちゃの(小さい)指が弦の上を一生懸命行ったりきたり・・・そんな姿を見るだけでもうるうる。1曲終るごとに会場からは、拍手喝采でした。
関東南秀同窓会のコーラスグループ「南秀クラブ」のみなさんや、クイチャーパラダイスの仲本光正さんもオーケストラとコラボし、花を添えましたよ。
事務局長であり指揮を務めた天野誠さんは、コンサートが終わり「たくさんのお客さんに来ていただいて、大変感謝しています。ありがとうございました。子どもたちは響きのいいホールで気持ちよく演奏ができたようです」と話していました。そして「今回、沖縄・東京の子どもたちと共演しましたが、次は、宮古で一緒にできたらいいなーと思っています」とも。
東京から宮古に移り住み、宮古の子どもたちのために一生懸命指導される天野さんご夫妻には、ホントに頭が下がります。
子どもたちにとって まーんてぃ(本当に)貴重な経験だったことでしょう。今後の活躍・活動も楽しみです。
みゃ〜くてれびでコンサートツアーの様子が見られます〜。
ぜひ、ご覧ください。
インサイド 宮古島市Jrオーケストラ 初の東京公演
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/5165/57/
さて、vol.225や のーしが やたーがらやー?
宮古の すだーすかじが感じられるビートルズ世代のサラリーマンさんのお話しでしたね。んなま(今)から300年余り前には、20万本以上のマツギーがあったとは驚き。まーんてぃ いきゃらふ(少なく)なりました。最後のB.サラさんの宮古への想いに「まーんてぃやー」と思われた方多いのではないでしょうか。
宮古を舞台にした映画「島の時間」は、下地さんが中学生監督仲村颯悟君との交流の中で生まれたものだったんですね。映画に対する熱い想いがいろいろなことを可能にし、やまかさ(たくさん)の人々を動かしたんだなーと思いました。東京での上映もちろん見にいくべきさ〜。トークショーも楽しみさいが〜。
キムキムさんの「心のバトンはつながった」、上等ぱなす(良いお話)でしたね〜。クラス全員で力を合わせてやることの尊さ、それに向かって一生懸命励む姿、いいですね。親に完敗と言わせる先生も素晴らしい!今回の経験は、大人になってからも大きな力になること間違いなしですね。
あなたの感想もぜひお聞かせください。
投稿もお待ちしています〜。
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!)
次回は、8月19日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!
熱中症に気をつけましょうね〜。あつかー、またや〜。