MENU
宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
宮古島方言マガジン「くまから・かまから」

くまから・かまから vol. 229

2021 5/08
メールマガジン
2010年10月7日2021年5月8日

こんにちは〜。
きょうは、全国的にぞーわーつく(良い天気)のところが多いようですね〜。秋のひととき、くま・かまでお楽しみ下さい〜。

目次

ふらふらフラダンス

あば本舗(下地・上地出身)

人は誰でも年をとる。若い頃は自分が40代になり50代になり年をとっていく事は、とても想像できなかった。しかし、時は残酷にもゆっくりと確実に刻まれていくのだという事を実感する今日この頃。

そう、年を追うごとにお肌はたるみ、頭には白いモノが目立つようになる。50代前後になると、めまいや頭痛の更年期症状も重なり、どぅぬ うまやん かまやんしー き゜むまい いみーいみ なりぴす゜(体はあっちこっち痛み、気持ちが小さくなっていく)。急に立ったり素早く動いたりという当たり前の動作も、若い頃と違ってそう簡単にはいかない事に気づいて愕然とするのである。

中高年の悲哀をネタにする、綾小路きみまろ氏の爆笑漫談。これまで他人事のように、笑って聴いていたが、最近では うりゃ ばが くとぅうどぅ あす゜っし゜うす゜さいが(それって、私の事そのまんまじゃないの)と認めざるを得なくなった。

あんしーかんしーぬ(そんなこんなの)中高年人生を楽しく健康的に過ごすにはどうすれば・・・と真剣に模索?する毎日。うりゃーあらん かりゃーあらん(これじゃない、あれじゃない)とアンテナを張り巡らせる。

そんな時である。公民館のサークルでフラダンスを踊る方々の姿に惹きつけられた。以前は、私に限ってフラダンスなど一生踊ることはあるまいと思っていたが、そんな事は言っていられない。気取っている場合じゃないさいがーと自分を叱咤しつつ教室を覘いてみた。

すると、明るいハワイアン音楽にあわせて大勢の女性たちが腰を振りふり踊っている。みなさん、振り付けを間違えたりしながら和気あいあいと楽しそうだ。公民館という場所も気取りがなくて気に入った。しかも、激しい動きは少なく膝を軽く曲げた姿勢でのダンシングは、有酸素運動に近い。ううむ。スポーツオンチの私にはピッタリかもしれない。その気になった私は早速入会申し込みをした。

メンバーの年齢は30代から70代と幅広い。最初はキョロキョロしながら見よう見真似で踊ってみる。ちょっと恥ずかしいが、フラダンスのゆったりしたメロディと華やかな振り付けに身を任せていると、身も心も軽くなってくるから不思議。

一時間半のレッスンが終わったら、手作りのお菓子とコーヒーで軽くお喋りタイム。お菓子の作り方を教えあい、揃いの衣装を作る相談で盛り上がる。ささやかだけれど、何ともいえない充実感と幸せに包まれるひとときである。これまでの私の人生には登場することのなかった、ある意味豊かで贅沢な時間を過ごさせてもらっているのかもしれない。

さて、今日は一週間に一度のレッスンの日である。うまやん かまやんてぃ みーまい っふぁーっふぁしー うりってぃまい(あっちが痛いこっちが痛いと、めまいでふらふらしていたのに)踊っていると何もかも忘れてしまう。

いい年したオバサン達のダンスなど、誰にも見向きもされないかもしれないが、本人達は大いに楽しんでいるからこれでいいのだーと開き直っておこう。

あの頃の宮古テレビ(2)

松谷初美(下地・高千穂出身)

さて、アナウンサーの仕事である。

その頃(1982年)、宮古テレビにはアナウンサーは3名しかいなかった。先輩の向山晃さんと池村恵子(現在、友利恵子)さん。私。

向山さんは、内地出身。アナウンス養成学校出で、宮古テレビでは、本格的なアナウンサーの最初だったと思う。宮古出身の恵子さんと私は、アクセントをよく直された。(余談だけれど、恵子さんと私の実家は、すぐ近くで小さいときからよく知っているねぇねぇであった。まさか同じ職場で働くことになるとは!)

私は短大の専攻が広報マスコミ科というところで、授業の中で、ニュースやお話しを読むということもあった。そこで自分の標準語はなんちゃって標準語だったということに気づく。自分ではちゃんとしゃべっているつもりだったのだが、なんとな〜く雰囲気でしゃべっていただけだったのだ。

雨と飴の違いも橋と箸の違いも花と鼻の違いも のーまい すっさったん(何も知らなかった)!私が読むとみんながくすくす笑うのである。先生も容赦がないから、なんべんでもやらされる。違いが分からないからますますドツボにはまる。首をかしげても私の口からは、まともなアクセントは出てこなかった。顔から火がぼうぼうと出るだけ。

忘れもしない、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の朗読。

「ある日のことでございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちをひとりでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。・・・」

ぱずみ(最初)の「ある日」から躓いた。ここは「あ」にアクセントがこないといけないのだが、平板になってしまうのだ。「ある日のことでございます」「ある日のことでございます」「ある日のことでございます」何回リピートしただろう。はぁー?何が違うわけ?

宮古の人がしゃべると、単語のはっきりとした高低さがない。イントネーションが一定のリズムで上がったり下がったりするだけである。して地域によってそのイントネーションが違ってくるから面白い。「携帯電話」、「マイケル・ジャクソン」、「ファミリーマート」長めの単語を言うと如実に表れるので、自虐ネタのように使ったりする。

あ、それから宮古の人は「かきくけこ」が付く言葉を言う場合「かっ、きっ・・・」と力を込めるらしい。ある人が「カツ丼」と紙に書いて「読んでごらん」と言った。自分ではカツ丼と普通に言ったつもりだが、力が入っていたらしい。「やっぱり」と笑った。(その後、私もひとに同じことをやったことは言うまでもない。ホホホ)

横道にそれたが、さすがにこれではいかんだろうと短大2年生のとき、CHK(中央放送研究会)という現役のアナウンサーが講師の養成所に通うことにした。ここでもやはり、出来の悪い生徒であったのだが、開き直りはできたように思う。少しずつアクセントの違いが分かってきた。

さて、アナウンサーとしての最初の仕事は役所からのおしらせ、国映館からの上映告知などだった。(毎週、国映館に撮影用の映画のポスターを取りにいくのも仕事だった)たった数行の言葉をしゃべるにも大緊張をし、声は、くぱーくぱだった(固かった)。アクセント以前の問題か?

仕事に少しずつ慣れてきたころ、向山さんから「今度生放送で、視聴者参加番組を作るのでアシスタントを宜しく!」と言われる。それが今に続く「週刊テレビ アガンニャ」であった。

オゴエ(おっと)、時間がきてしまったさいが・・・。

この話は、また次の機会に。

バトン

R(平良・西里出身)

7月、義理の祖母の25回忌の法要を行った。

お経を唱えてくれた住職は、岡山県出身で、私と友達付き合いが始まりいつの間にか10年以上が経っている。彼は、長女が卒業した高校の野球部の監督でもあり、法要の後は決まって高校野球の話題となる。その日も夏の甲子園行きをかけて行われた県予選の話に花が咲いた。

彼が監督を務める高校は2回戦で敗退したものの、日焼けした彼の笑顔は、清清しい印象を私に与えた。その日は、午後の飛行機で野球部3年生の進学先への挨拶のために上京するということで ぴゃーぴゃー(早々)と腰を上げた。

彼はいつもと違う車で来ていた。聞くと、興南高校との練習試合の際、興南ナインが放った場外ホームランがフロントガラスにあたり割れたので、修理中とのこと。

「興南は強いよー。夏の優勝も夢じゃないよー。」

彼の言葉に、「興南高校野球部 甲子園春夏連覇」への私の期待は大いに膨らんだものの、同時に興南ナインが受けているプレッシャーの大きさが容易に想像できた。

そして、92回夏の甲子園。ご存知のとおり、興南高校は、1回戦から決勝までの12日間、6試合を勝ち進み、見事に春夏連覇の偉業を成し遂げた。沖縄では新聞の号外も出て、興南ナインを称えた。現在、紫紺と深紅の優勝旗が沖縄にある。

最も印象に残った試合は、準決勝の報徳学園(兵庫)戦だ。5点を先行されて、「これは厳しいかも」と思ったのは私だけだろうか?それを興南は、ひっくり返した。その時、我喜屋監督も「困ったなあ」と思ったようだ。座談会の記事に以下のとおり掲載されていた。

「苦しいと言うより、あらら、ちょっと滑り過ぎちゃったな、転んじゃったなというのが準決勝で5点を先行された時。2点、3点というのはまだしも、連打での5点ですから、あ、これはちょっと困ったなあと思ったんですけど。その時の内外野の普段との違いは、それぞれが孤立状態だったということ。投手、野手が声をかけるわけでもないし、ちょっと途切れているなと思った。そこで、少し声を掛けて行けと。技術的な指示は一切しなかった。」

報徳戦が終わった瞬間、一挙に喜びの叫びが上がった。私は、会社のテレビの前で応援していた面々とハイタッチをして喜んだ。

興南ナインの1日は朝の散歩から始まるという。散歩の後、各自気付いたことを1分間スピーチで話す。1分話せる人は3分話せるようになる。小さな変化に気付くことが状況を知ることに繋がる。それを仲間に伝えることができることで、チームのミスをカバーすることができる。

「ホームランを打ってもベンチでワッショイ、ワッショイする暇があれば、次のバッターにいいアドバイスしろ、と言う。」
「興南はガッツポーズをしないんじゃなくて、それをやる暇がない。」 
「うちの野球は、9回でおわりじゃない。」
「野球を通した社会に通用する人材づくり。」
「高校野球を終えてからの人生こそが本番。」

我喜屋監督の教えを受けたメンバーは、この後、じっくりと幸せを感じることだろう。

我喜屋監督の講演会が昨日、次女が通う中学校で開催された。その時に話された内容は、次のようなことだったと娘が教えてくれた。

・人間、やればできる (頭を使え)
・“根”が大事 (見えないところを頑張れ)
・イヤな事もやり続ければ慣れ、それが当たり前になる

講演後、野球部の2年生が以下の質問をしたそうだ。
 
「精神力を上げるにはどうしたらいいですか?」

・その状況に慣れること
・雑念を消して集中すること

部活でコーチと先輩、先輩と同級生という人間関係に悩んでいる最中の娘にとっても、グッドタイミングでのアドバイスになったようだ。

我喜屋監督の優勝インタビューを覚えていられるだろうか?

「ちびっこ軍団がこんなに大きなことをやるとは思いませんでした。」

「ちびっこ軍団」という言葉が私の耳に残った。本土のチームに比べ、平均身長は、4、5センチ低く、体重は10キロ程下回るという。だから「ちびっこ軍団」?その言葉は、高校生へ向けた言葉ではなく、いみっちゃのやらび(幼いこども)へ向けた言葉のように感じ、私自身、違和感を覚えたのだ。

甲子園の後、我喜屋監督と会食をしたという人から聞いた話がある。報徳学園に5点を先行された時、選手が監督に声をかけたという。

「監督、大丈夫です。球は見えています。」

監督の顔には「困ったなあ」という色が現れていたのか?監督の小さな変化に気付いた選手が、監督へ声をかけた。選手は監督をも孤立させなかった。監督として、自分が教えたことの全てが、凝縮され、結実した瞬間だったのかもしれない。

優勝の瞬間、中学校の野球部の監督に連れられ、我喜屋監督の元に挨拶に来た、まだ幼かった選手たちの顔が想いだされたのかもしれない、とその時思った。

我喜屋監督が中学校の監督から受けたバトンは、そして、次の指導者へ渡されて行く。

今年の夏は、本当に熱く、いい夏だった。

おしらせ

関東宮古郷友会連合会

■第37回 関東宮古ふるさとまつり

今年も、「関東宮古ふるさとまつり」を東京上野で開催します!宮古の かざ(香り)がいっぱいです。友人、知人お誘いあわせの上、ぜひお越しください。たくさんのご来場お待ちしています!

日 時2010年10日31日(日)
午前11時30分開場 正午スタート
場 所上野水上音楽堂 03−3828−9168
地下鉄 湯島・上野御徒町
JR 上野駅・御徒町駅
入場料前売り3000円  当日券3500円
内 容なりやまあやぐ大会
ミャークヅツ
棒踊り
多良間獅子舞
多良間組踊演奏
宮国クイチャー
棚原芳和(上野郷友会)
下地与那覇ヨンシー
その他各郷友会の指定席あり
申 込・各郷友会事務局
・関東宮古郷友会連合会事務局
(クイチャーパラダイス内 03−3982−2446)
主 催関東宮古郷友会連合会

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

4日の夜、宮古の震度4の地震・津波注意報には、びっくりでしたね。くま・かまの掲示板では、神童から「宮古は無事です!」の書き込みがありました。何事もなかったようで、何よりです。

翌日、母ちゃんに電話をしたら「長いこと揺れていたから心配だったよー。その後はなかなか眠れんかったさー」と話していた。震度4よりも大きく感じたようだった。しかし、倒れたり、落ちてくるものもなかったようなので、良かった、良かった。

さて、vol.229、のーしが やたーがらやー?

あば本舗さんの「ふらふらフラダンス」では、共感するところが、だう(いっぱい)でした。あがい、私もこのところ疲れが出ると眩暈が・・・。「フラダンスなど一生踊ることはあるまい」と思っていたのが「何もかも忘れてしまう」ほどとは!リラックスして楽しんでいる様子が伝わってきましたね〜。

「あの頃の宮古テレビ」のつもりが、なんだか、アクセントの悪戦苦闘編になってしまいました。すみません。次は大丈夫だと思います。たぶん。

沖縄にとって今年の夏は、ホントに熱い夏でしたね。Rさんの話からその後の反響の大きさも分かりました。タイトルに悩んだそうですが“誰もが「バトン」となって受け継がれており、また誰かの「バトン」を繋いでいる”“「かりゆし58」の「オワリはじまり」という歌を聴きながら纏めてみました”ということでした。

今年も「関東ふるさとまつり」が開かれますよ〜。郷友の皆さんはもちろん、宮古が大好きな方たちの来場もお待ちしています!ばんたがマツカニ(棚原芳和)さんも出場です!うがなーり(集まって)お越しくださいね〜。

きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!)

あなたの感想もぜひお寄せください〜。

投稿まい まちうんど〜(待ってますよ〜)

次回は、10月21日(木)発行予定です。
がんずぅやしー うらあちよー(お元気でお過ごしください)あつかー、またや〜。

メールマガジン
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
  • くまから・かまから vol. 228
  • くまから・かまから vol. 230

この記事を書いた人

松谷初美のアバター 松谷初美

関連記事

  • くまから・かまから vol.447
    2019年12月19日
  • くまから・かまから vol.446
    2019年12月5日
  • くまから・かまから vol.445
    2019年11月21日
  • くまから・かまから vol. 444
    2019年11月7日
  • くまから・かまから vo.443
    2019年10月17日
  • くまから・かまから vol.442
    2019年10月3日
  • くまから・かまから vol.441
    2019年9月19日
  • くまから・かまから vol.440
    2019年9月5日
アーカイブ
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月
  • 2018年4月
  • 2018年2月
  • 2018年1月
  • 2017年12月
  • 2017年11月
  • 2017年10月
  • 2017年9月
  • 2017年8月
  • 2017年7月
  • 2017年6月
  • 2017年5月
  • 2017年4月
  • 2017年3月
  • 2017年2月
  • 2017年1月
  • 2016年12月
  • 2016年11月
  • 2016年10月
  • 2016年9月
  • 2016年8月
  • 2016年7月
  • 2016年6月
  • 2016年5月
  • 2016年4月
  • 2016年3月
  • 2016年2月
  • 2016年1月
  • 2015年12月
  • 2015年11月
  • 2015年10月
  • 2015年9月
  • 2015年8月
  • 2015年7月
  • 2015年6月
  • 2015年5月
  • 2015年4月
  • 2015年3月
  • 2015年2月
  • 2015年1月
  • 2014年12月
  • 2014年11月
  • 2014年10月
  • 2014年9月
  • 2014年8月
  • 2014年7月
  • 2014年6月
  • 2014年5月
  • 2014年4月
  • 2014年3月
  • 2014年2月
  • 2014年1月
  • 2013年12月
  • 2013年11月
  • 2013年10月
  • 2013年9月
  • 2013年8月
  • 2013年7月
  • 2013年6月
  • 2013年5月
  • 2013年4月
  • 2013年3月
  • 2013年2月
  • 2013年1月
  • 2012年12月
  • 2012年11月
  • 2012年10月
  • 2012年9月
  • 2012年8月
  • 2012年7月
  • 2012年6月
  • 2012年5月
  • 2012年4月
  • 2012年3月
  • 2012年2月
  • 2012年1月
  • 2011年12月
  • 2011年11月
  • 2011年10月
  • 2011年9月
  • 2011年8月
  • 2011年7月
  • 2011年6月
  • 2011年5月
  • 2011年4月
  • 2011年3月
  • 2011年2月
  • 2011年1月
  • 2010年12月
  • 2010年11月
  • 2010年10月
  • 2010年9月
  • 2010年8月
  • 2010年7月
  • 2010年6月
  • 2010年5月
  • 2010年4月
  • 2010年3月
  • 2010年2月
  • 2010年1月
  • 2009年12月
  • 2009年11月
  • 2009年10月
  • 2009年9月
  • 2009年8月
  • 2009年7月
  • 2009年6月
  • 2009年5月
  • 2009年4月
  • 2009年3月
  • 2009年2月
  • 2009年1月
  • 2008年12月
  • 2008年11月
  • 2008年10月
  • 2008年9月
  • 2008年8月
  • 2008年7月
  • 2008年6月
  • 2008年5月
  • 2008年4月
  • 2008年3月
  • 2008年2月
  • 2008年1月
  • 2007年12月
  • 2007年11月
  • 2007年10月
  • 2007年9月
  • 2007年8月
  • 2007年7月
  • 2007年6月
  • 2007年5月
  • 2007年4月
  • 2007年3月
  • 2007年2月
  • 2007年1月
  • 2006年12月
  • 2006年11月
  • 2006年10月
  • 2006年9月
  • 2006年8月
  • 2006年7月
  • 2006年6月
  • 2006年5月
  • 2006年4月
  • 2006年3月
  • 2006年2月
  • 2006年1月
  • 2005年12月
  • 2005年11月
  • 2005年10月
  • 2005年9月
  • 2005年8月
  • 2005年7月
  • 2005年6月
  • 2005年5月
  • 2005年4月
  • 2005年3月
  • 2005年2月
  • 2005年1月
  • 2004年12月
  • 2004年11月
  • 2004年10月
  • 2004年9月
  • 2004年8月
  • 2004年7月
  • 2004年6月
  • 2004年5月
  • 2004年4月
  • 2004年3月
  • 2004年2月
  • 2004年1月
  • 2003年12月
  • 2003年11月
  • 2003年10月
  • 2003年9月
  • 2003年8月
  • 2003年7月
  • 2003年6月
  • 2003年5月
  • 2003年4月
  • 2003年3月
  • 2003年2月
  • 2003年1月
  • 2002年12月
  • 2002年11月
  • 2002年10月
  • 2002年9月
  • 2002年8月
  • 2002年7月
  • 2002年6月
  • 2002年5月
  • 2002年4月
  • 2002年3月
  • 2002年2月
  • 2002年1月
  • 2001年12月
  • 2001年11月
  • 2001年10月
  • 2001年9月
  • 2001年8月
  • 2001年7月
  • 2001年6月
  • 2001年5月
  • 2001年4月
  1. ホーム
  2. メールマガジン
  3. くまから・かまから vol. 229

© 宮古島方言マガジン「くまから・かまから」

  • Presented by 宮古島.JP
  • Cooperate with 宮古島文化協会
  • Powerd by ONEsta
目次