こんにちは〜。
宮古では雨が続いていたようですが、植物を潤し、木々も芽吹いてうりずんの季節到来ですね。皆さん、いかがお過ごしですかー?
今回もいろいろなぱなす(話)がいっぱいのくま・かまです。お楽しみくださいね〜。
怪談イベントぬ ぱなす(話)
根間(幸地)郁乃(平良・久貝出身)
宮古で「怖い話」を楽しむ会がしたい!
―そう思ったのは、一昨年、浦添にあるブックカフェで、怪談ナイトに参加したのがきっかけでした。沖縄の伝説や本の朗読、紙芝居など盛りだくさんで、魔除けのサン(宮古ではマータという。ススキなどを輪結びにし、キビなどを植えたあとに、畑にさし豊作祈願をする)や、まーす(塩)入りクッキーのお土産もついた素敵な催しでした。
沖縄では最近、ちょっとした怪談ブーム。あちこちの書店などで、こうした集いが開かれ盛況を見せています。その火付け役となった一人が、小原猛さん。『くまから・かまから』本や『読めば宮古!』も出版している那覇の出版社から『琉球怪談』シリーズを刊行しています。沖縄じゅうを回って聞き取り取材した実話ばかりの “百物語”が好評です。京都のご出身ですが、20年ほど前にしばらく宮古島に住んでいたこともあるそうで、宮古とは縁の深い方です。
さて、先ほどの浦添のカフェで「いつか宮古にも来てください」と声をかけたのが、朗読を担当していたフリーアナウンサー/ナレーターの諸見里杉子さんです。10年ほど前から朗読会「沖縄ボイスラボ」を始め、音声での表現の可能性をひらこうと、意欲的な活動を行っている諸見里さん。彼女の落ち着いたトーンの声が、私は単純に大好きなのです。
今年になり、小原さんの宮古取材に合わせて、書店でトーク&サイン会が開かれることに。しかも小原・諸見里コンビでの開催です。怖い話の大好きな同級生が、自分の喫茶店でもやっていいよ、と快諾してくれたので夜の部のイベントも行うことになりました。
迎えた当日(3月2日)、なんと沖縄本島からの参加者も。会場の書店では、広い絵本コーナーに暗幕を張り巡らせてスペースを用意してくれました。小原さんのトークや、諸見里さんの生の朗読に耳を傾ける来場者の皆さん。夜に来られない怪談ファンのお母さんたちは子連れで足を運んでくださり、小原さんにサインをせがむ子ども達の姿も見られました。
夜は喫茶店で「琉球怪談@宮古島」。お茶を飲みながらのトーク&朗読イベントです。小原さんの新刊や、宮古にまつわる話も含めて数話を諸見里さんの朗読で聴かせ、興味深いエピソードも披露してくれました。
後半では「怪談オトーリ」と銘打って、会場の参加者がマイクを握り、自分や身近な人の不思議な体験談を順番に語りました。宮古で昔から民話の採集活動をしてきた佐渡山政子さんは、その中から怖いお話をいくつか朗読してくれたのですが、一話ごと最後に「うすか(おしまい)。」と差し込む方言が、なんとも良い感じを醸し出していました。お酒なしのマイクリレーでしたが、飛び入り参加もいらして楽しいコーナーとなりました。
あの雰囲気を、会場に来られなかった皆さんにもお伝えしたい!と思っていたところ、当日急きょ沖縄本島から撮影に駆けつけてくれた放送・映像作家の照屋勇樹さんが、インターネットで動画配信している番組『怪談降臨』で特集を組んでくれました。イベント翌日に散策した、片足ピンザゆかりの「がんぐりゆまた」など不思議スポットも登場します。
小原さんたちのお話によれば、宮古には他の地域をしのぐほど数々の不思議な言い伝えが残されており、文献をひもとけば、そうした物語に触れることができるそうです。私も図書館で『宮古島旧記』や『琉球民話集(遺老説伝)』などを借りて楽しく読んでいます。
また機会があれば、こんな催しができたらなあ。協力してくれた地元の友人たち(密かに「宮古島文化部」と呼んでいる)には本当に感謝です。怪談なのに、なんだか、ぷからす〜ぷからすな(とてもうれしい)イベントでした。うすか(おしまい)。
◇あの話をもう一度
マツカニ(上野・高田出身)
「ゆなんだき かにすぅざがま どぅかってぃ解説」(vol.149 2007/6/7)
民謡には意味がまったくわからない言葉や、前後の意味がどう繋がっているのか理解に苦しむものが少なくない。のうてぃぬ ばあ がらあ(どうゆうことなんだろう)と考いやあ みいみい(考えてみたり)・・・。
その昔 即効性の強かった民謡は、祝いの場、遊びの場、恋愛の場等などあらゆる場で様々な歌詞をつけられ、唄われ踊られていたことでしょう。その中で人々の琴線に触れる歌詞やメロディーが長い間に淘汰され、現在の姿で名曲として残っているとおもいます。
今回はそんな香りが漂う「ゆなんだき かにすぅざがま」を紹介します。
1 ゆなんだき だきみいぶす かにすぅざがまよ サーサー (ゆなんだきの 抱きつきたい かにさんよ) ッササガヨーヌウ ヒーヤアルガヒー ッサーサ ユイサガユイサ (カタカナ部分はハヤシ 以下省略) 2 いばんつがまんな いでぁいやあ みーぶす かにすぅざがまよ (狭い道で 出会ってみたい かにさんよ) 3 いでょおたりゃまい またまい みーぶす かにすぅざがまよ (出会ったのに またしても 会いたい かにさんよ) 4 のうすぅでぃてぃがうや ゆびがゆうや んみゃまたたんがよ (どうして夕べは来てくださらなかったの) 5 ぴだばんがまぬどぅ うりばんがまぬどぅ あたりうーてぃーよ (当番に当たってしまって) 6 ぴだばんがまや うりばんがまや なーつく゜むぬよ (当番は言い訳でしょう) 7 うわがむてあや ざんざらむちゃや ななぱだつきどぅ にやまちゅたーす゜よ (あなたの為にざんざらもちを 七度もついて煮て待っていましたよ) 8 にやまちゅたす゜すぅが にうさりずんてぃどぅ かうさりずんてぃどぅ ばがふぉーたす゜よ (煮てまっていたけどくさってしまうかもとかびがはえるかもと思って私が食べましたよ) 9 うむうちから にうさりろうまい かうさりろうまい うつきどぅまつよ (思っているならくさってしまっても かびてしまっても置いて待っているものでしょう)
(解説)
1〜3番までと4番からでは少し歌詞のニュアンスが違っています。1〜3番までは女性の憧れの金兄小(かにすぅざがま)が歌われています。たとえるなら下地勇とその女性ファンという所でしょうか。
4番以降は、金兄小(かにすぅざがま)とその愛人(恋人)とのかけ合いになっている。当人達がこのようなかけ合いの唄を作ったとは考えにくく、もてもてだった金兄小をうらやましく思った青年達がひやかしも手伝って、うわさ話をもとに歌詞を作り、歌い足していったのだろうと考えるのはどうでしょうか?
最後の方(10番〜12番。こちらでは長いので省いています)では、日照りの田んぼが雨を待つようにあなたを待っていた。北の海のまかやが風になびくようにどこへいこうとあなたと一緒にと歌われています。
曲調はシャッフルのリズムで軽快に歌われノリノリの曲調です。三線の早弾きの入門にいいと思います。聞いているとジッとしていられなくなると思うよ。ではでは。またんかい。
『与那覇ヨンシー』の新たな息吹
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
『くま・かま』vol.266(https://miyakojima.jp/kumakara-kamakara/vol-266/)で、「在沖与那覇ヨンシー保存会の発足」という題で投稿させていただきました。その後の取り組みの中で、いま「与那覇ヨンシー」は新しい息吹を放ち、ふるさとの伝統舞踊の保存、継承、発展に向けた活動に明るい展望が広がっています。
昨年4月に結成された在沖与那覇ヨンシー保存会(池間好一会長)は、会長をはじめ昭和17年生(70歳)の4人の重鎮が屋台骨となって活動をリードしています。
結成時の年齢構成は昭和21年生、23年生、25年生・・・と続き、最年少は28年生(60歳)でした。「活動の活性化のためにも、ぜひ若者の加入促進を」と「会員のスカウト」に取り組みました。その結果、昭和55年生(33歳)が相次いで4人も加入したのです。
スカウトされた若者の一人は、「宮古に里帰りしていたときに、帰省中の先輩(会員)から空港で声をかけられた」と言います。その若者が同期生数人を誘い、ヨンシーの練習に揃って参加しました。初めてヨンシーを習った若者たちは、踊りが比較的簡単で覚えやすいこと、飛び跳ねる動作など、きびきびした振り付けも若者向きであることを知ります。踊りの魅力とともに、日ごろ同郷の先輩たちとの交流の機会がないなかで、ヨンシーを通じて親睦を深めることの楽しさを感じたようです。若者の中には三線に親しんでいるのもいて「来年からは自分の歌・三線のナマ演奏で踊ってください」という心強い発言も。こうして、練習にも力が入りました。
若いメンバー4人をはじめ15人のメンバーによる初の大舞台となったのは、4月14日に那覇市民会館で開かれた沖縄宮古郷友連合会(古波蔵和夫会長)主催の「第26回芸能まつり」でした。このイベントに向けてヨンシーの踊り方に1ヵ所だけ変化をつけることを会長に提案しました。相談の結果、試みることになり、練習でも重点的に繰り返しました。
ヨンシーを舞台で踊る場合、客席に向かって、2〜3列、横に並んで踊ります。これまでの踊り方は、例えば2列横隊のときは、前列と後列は最初から最後まで同じ位置でした。そのため、後列の人は、顔や踊る姿を客席にはっきり見せることはできないという難点があったのです。そこで、今回、5番までの歌のうち、3番と4番の間に、踊りながら前列と後列を入れ替える振り付けにし、後列の人が最後は前列で脚光を浴びるようにしたのです。このことによって、「踊り上手は前列」「自信のない人は後列」という区別もなくなるため、練習にも全員が真剣に取り組むようになりました。
練習の成果を発揮し、1400人の観客を前にした芸能まつりの本番でもこの「隊列の入れ替え」はすんなり成功しました。ちょっとした工夫とは言え、長いヨンシーの歴史の中では画期的な出来事でした。客席からの大喝采を受け、楽屋に戻ったメンバーの表情は達成感にあふれていました。
現在、毎月5千円の会食と積立の「ヨンシー模合(もあい)」をし、情報交換と交流を続けながら「ゆなぱいき、かまぬ人とまーつき、ヨンシーゆ ぶどぅす゜ぶすむぬいら」(与那覇に行って、むこうの人と一緒に、ヨンシーを踊ってみたいものだね)「そのうち那覇まつりにも出て、国際通りでヨンシーを踊りたい」「まーんてぃー」(そのとおり)」などと、近い将来の夢を語り合っています。
2年後に結成50年を迎える在沖与那覇郷友会の役員が、積極的にヨンシー保存会の会員にもなり、一体となってヨンシー保存に尽力していることもありがたいことです。伝統芸能を守るのは簡単なことではありませんが、ヨンシーの楽しさを若い人たちに伝え、次の世代に引き継ぎたいと思います。
おしらせ
池城かおり(平良・下里出身)
みなさま、ごぶさたしております。
毎度、自分の好きな図書館の話題ばかりで大変恐縮です。
このたび、図書館好きが高じまして、自分で小さな図書室を開くことにいたしました。名前は「ありんこ文庫」です。0歳〜10歳くらいまでのお子さんに人気の絵本を所蔵しています。
本日(4月18日)の正午より、オープンいたします。
ご利用案内はこちらです。
ありんこ文庫(宮古島)
http://arincobunko.blogspot.jp/
ありんこ文庫を作りたい、と思ったのは2012年の6月でした。こうしてオープンの日を迎えることができたことは、ひとえに宮古島の子どもたちを想ってくださる多くの方々のおかげです。重ねてお礼を申し上げます。
地域のみなさんに喜ばれる場所に育てたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
中断していた伊良部大橋の工事が再開され、16日に中央部分の架設工事が無事に終了したようですね。開通は2015年1月の予定だそうです。くま・かま掲示板http://6005.teacup.com/kumakama/bbsではカニさんがその工事の模様の写真を投稿しています。ぜひ、アクセスして下さいね〜。
今度の日曜日、21日には、「第29回全日本トライアスロン宮古島大会」が開催されますね。たくさんの選手に関係者、ボランティアと、当日は、宮古が熱気に包まれますね。くま・かまライターのアモイさんもボランティアとして参加すると話していました。暑すぎず、上等の気候だといいですね。成功をお祈りしています!
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
沖縄では、怪談ブームがおきているようですね〜。郁乃さんのコーディネートで実現した宮古でのイベント。盛り上がりが伝わってきました。怪談オトーリは宮古ならではですね。みなさんの話聞いてみたかったです。動画も見てその雰囲気をダブルで味わいました〜。
今回の「あの話をもう一度」は、マツカニさんの民謡解説をお送りしました。(一部加筆しています)宮古民謡の詳しい解説書は少ないですよね。三線を習っている方、民謡に興味のある方にもとても役だつと思います。マツカニさんならではの解説。唄を聴きながら読むのもおすすめ!
クイチャーマンさんが「在沖与那覇ヨンシー保存会の発足」の話を書いたのはちょうど一年前のことでした。あれから若い人の参加もあり、芸能まつりでの大成功、素晴らしいですね。島の伝統芸能を愛し、大切にしていこうという気持ちも だいず伝わってきました。国際通りで与那覇ヨンシーが見られる日も近いかもしれませんね。
かおりさんの「ありんこ文庫」は、きょうオープンですね〜。おめでとうございます!かおりさんの情熱にはほんとに頭が下がります。「ありんこ文庫」(すてきな名前ですよね)は子どもたちにとって、心満たされ、喜ばれる空間になること間違いないでしょう。心よりお祝い申し上げます。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。投稿もお気軽にどうぞ〜。
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は、5月2日(木)発行予定です。
あつかー、また うぬときゃん いら!がんずぅかり うらあちよ〜(お元気で〜)。