こんにちは〜。
4月になりましたね〜。新年度がスタートしましたが、ぱだーぱだうらまずなー(お元気ですか)?
くま・かまも14年目のスタートです。vol.313 お楽しみくださいね〜。
ウォーキングの魅力
宮国勉(城辺・西城出身)
関東一円に在住する年代を超えた高校の同窓会にウォーキング同好会があり、活動をしている。年間スケジュールを立て、担当する月の幹事役を決め、月に一回のペースで開催している。実施時期が近づくと幹事長はメールで会員に実施の詳細を知らせ、ウォーキング当日は道案内役を努める。
行ってみたい或いは、気になる名所旧跡などの近くの駅などで集合し、界隈をウォーキングするという形式で行っている。実施後は、参加人数や状況等をメールで皆さんに報告している。更に同窓会の総会で結果と次年度の予定などを配布し、参加を呼びかけて数年間続いている。
ウォーキングに初めて参加した頃は足の裏と、足の指の間が擦れて蛙のお腹に空気を入れたような大きな豆ができてしまった。何のために苦労に耐えているであろうと、苦痛でしかたなかった。あずきまーずゃ まーんてぃ まいやみーんむぬてぃ かまりふさりぃ うずたあ(歩くのはホントに前に進まないものだと飽き飽きしていた)。だんだん疲れもピークに達し腰も重くなってきて、まだ道のりは遠く誰もが無口でひたすら歩くだけの終盤であった。
年の差が一回り位の先輩たちが元気に前を歩く姿に、こちらが弱音を挙げるわけには行かないと自分に言い聞かせながら歩き終えた。先輩たちに歩きながら訊いてみた「先輩方は、足は痛くならないのですか?」すると、靴下を2枚重ねて履いて足の裏の豆対策をし、軍足を履いて指の擦れ対策を講じていると云う。次回からその要領を取り入れて、厚手の靴下を着用したら、なるほど亀の甲より年の功である(失礼)。初めての参加で12kmの距離は長すぎたようである。
そんな新米で消極的な私が2012年の春からウォーキング同好会の代表役を引き受けることになってしまった。「あがんにゃよーい のうてぃーぬばあやば ばぬんかいなずが〜?(あれまー、なんで私に振られるのか?)」と困惑した。しかし、皆さん忙しいようでやらざるをえない雰囲気である。いや断るのが ぎーった(下手くそである)。
代表の仕事の概略としては、年間スケジュールの作成と幹事役の割り振りである。パソコンを使ってコピペすれば出来ることだが、仕事量の増える時期の12〜2月の忙しいなかで計画を立てなければならない。
ウォーキングコースの設定も代表の役目なのだが、地理音痴であることと、電車を使って出歩かない我が身にとっては負担に感じた。特に大きな駅では改札口や出口が多く、待ち合わせ場所に苦労するのも予想していた。何とか2年間をこなして現在では計画を立てる時でも少しは喜びが湧いてきた。代表は自分の好きなコース決めることが出来るので思いがけなく得をした気分である。
ウォーキングをして感じたことは普段何気なく通り過ぎるところでも、新しい発見をする。車の運転に神経が集中している所為も有るが、いろいろ見過ごしているようである。夕焼けが綺麗だったり、山が綺麗だったり、花が綺麗だったりする道だと一段とストレス解消にも役立つように思える。景色の良い道を選び、歩きながらまわりの景色を楽しめるような道だと来た甲斐があったと喜びが湧いてくる。
巨樹に出会うと、その木の生い立ちを考え、種から芽を出し苗木から木になって大木に育つ、一連の事を連想して写真に納める。自然に触れ合った喜びを土産に浮き浮きした気持ちで帰路につくこのごろである。
どこか遠くへ行きたいとか、見知らぬ土地を歩きたいなどの旅行気分を味わうべく名所旧跡をコースに取り入れて目標のひとつにしている。東京都内には、教科書に出てくるような歴史上の人物の名残や足跡が多く存在し嬉しくなる。美しい景色や古跡などに触れることも多く、少しだけ旅の気分を味わうことも出来る。人それぞれに楽しみ方があろうウォーキングに、続けていく魅力の正体を見つけだす努力も欠かせない。
以前は家でダラダラしていたかもしれない時間を、ウォーキングで楽しめたこと、運動できたことの快感は余韻として2〜3日残っている。
生活習慣病などの予防や対策のための手軽な運動としてウォーキングは推奨されている。人が歩けば脂肪燃焼してエネルギーを消費し減量に繋がるはずである。だが、打ち上げの酒が逆効果を招くのは反省しなければと思う。わいわいと仲間との会話が楽しく、知恵をもらうなど参加したことを嬉しく思っている。月に一度顔を合わせて親睦が図れることは同窓会の主軸をなしていると自負している。
ウォーキングと散歩の違いは意識の点で異なるそうだが、考えて歩いたことはない。ウォーキングは景色や天気をそれほど気にせずに、風や雨が強くないかぎりは実施し、心肺機能、筋肉疲労、筋力増強など、身体への効果をもとめ、散歩は、精神疲労、ストレス、気分転換などの効果を期待して行うようである。
当同好会は両方の良いところを取り混ぜたようなウォーキングである。“歩く”のが目的であるのは同じであるが、多人数で歩くこと、目標を定めている点などが特徴であろう。仲間との会話が楽しいことが永続きしている一番の理由である。運動の一種と捉えてウォーキングをするには一人でないと成り立たないような気はする。
ウォーキングは四季により味わい方が違うようである。春は花がある風景を求め、花見をしながら足取りも軽い。夏はウォーキングした後の泡の出る飲み物の方が目的で、厳しい暑さも吹き飛ぶ。秋の紅葉は一段とウォーキングが楽しくなる季節で、美術館巡りなども取り入れ地域文化に触れながら爽やかだ。冬は冷えて体力が必要だが、苦難が大きいほど打ち上げの酒はうまく感じる。どの季節も飲みニケーションで親睦を図ることは変わらないようだ。
草木や花などを観ながらウォーキングをすることは普段の慌しい生活から一瞬開放され自然の素晴らしさを再認識する。それは次のウォーキングへ繋がり、なぜ歩くのかの問いに対する答えとなる。
なるべく一度歩いたコースをダブらないために、何時どこに行ったか、参加メンバーなどウォーキング日誌を付けている。森林浴の出来る公園コースや、街並みを楽しむタウンコース、水を楽しめる川沿いや海・湖などのコースなど偏りの無いコース選びに役立てられる。デジタルカメラは必需品で記憶力に自信のない自分にとって大事なメモ帳である。
トイレ休憩、公共施設やスーパー、コンビニがある道を選ぶのも備えあれば憂いなしで必要なことである。
ウォーキングに持参したいものは、資料、地図、参加者リスト、飴やチョコレート、水分、ティッシュ、ウェットティッシュ、折りたたみ傘、ビニールシート、ビニール袋、デジタルカメラなど。
仲間との親睦を図ること等々良いことずくめのウォーキング。
皆さん、やるなら今でしょう。
◇あの話をもう一度
あば本舗(下地・上地出身)
「うぷあんな(伯母さん)から貰ったねんねこ」(vol.193 2009/4/2)
さて、ぴしーぴし(寒い)だった季節も終わり春が来た。
休みになると いっちゃいでぃ(せっせと)冬物の整理をする日が続く。今年も30年近く愛用している花柄模様のねんねこを、クリーニングに出し終えた。
寒くなると大活躍する私のねんねこは、袖のほつれを幾度も縫い直し、襟は擦り切れ結び紐はいつの間にか無くなっている。今どきホームレスだって着ないかもしれない風格漂う?代物だ。
しかし、とてもお払い箱に出来そうもない。何故なら、20年程前に亡くなった うぷあんな(伯母さん)から貰った大事な物だからである。
私には、母の姉にあたる うぷあんな(伯母さん)が二人いた。両人ともすでに故人だが、親戚思いの き゜むかぎ あんがたー(心優しき女性たち)で、皆から慕われていた。
長女の方は、平良市(現・平良)に住んでいたので、ぴさらのうぷあんな(平良の伯母さん)、次女の方は、夫が郵便局長だったため、郵便局のうぷあんな(郵便局の伯母さん)と呼ばれた。
郵便局のうぷあんな(郵便局の伯母さん)は、大正生まれで生まれも育ちも下地の上地。夫も上地の びきどぅん(男性)。郵便局に勤めていた夫は、定期的に県内各地へ転勤になった。
そして、うぷあんな(伯母さん)も転勤に伴い くまんかいかまんかい(あちらこちらへ)住まいを変えなければならなった。最終的には那覇市の安里に落ち着き、晩年は西原町に住む母と私のところにもよく遊びにきてくれたものだ。
30年前、看護学校を卒業し就職したばかりの私は、よく風邪をひき体調を崩した。ねんねこは、そんな私を心配した彼女が那覇市安里の大道市場から買ってきてくれたのである。
当時、看護師としての自信や覚悟が足りなかったピヨピヨの私は、不安と緊張で押しつぶされそうだった。早く辞めてしまいたいと、毎日なきーちゃーなうたー(泣いてばかりいた)。
そんな時、うぷあんな(伯母さん)が届けてくれたオレンジ色の花柄模様のねんねこ。何も言わずに置いていった彼女の無言の励ましが嬉しかった。ぬふーぬふの(暖かい)ねんねこは、沈んだ私の心をどれだけ軽くしてくれたことか。
84歳で亡くなった うぷあんな(伯母さん)は、ずみぎっすぅぎぃ(かっこいい白髪)の あぱらぎ(素敵な)おばぁだった。
いつーまい ぬかーぬかしー すなかぎーぬ あんが やたん(いつでも穏やかで品の良い女性だった)。
夫に早く死なれ んにゃがまてぃ(大変な思いで)4人の子供を育てていた妹(私の母)を励まし、物質的にも精神的にも支えてくれた恩人でもある。そして、プレゼントされたねんねこにも、私の看護師人生をずっと応援してもらい励まされてきた。
気がつけば自分も年をとり、叔母さんとして甥っ子や姪っ子の面倒を見る側である。今頃になり、彼女たちが やまかさ(いっぱい)の愛情で見守ってくれていた事をやっと分るようになった。
あんがたーん ましゃーん あたらっさぁ しらいたいにゃーんしぃ(伯母さんたちから、たくさん可愛がってもらったように)私もまた甥や姪に優しくしようと思う。
あたらか(もったいない)
松谷初美(下地・高千穂出身)
実家暮らしも一週間が過ぎ、だんだんと生活も落ち着いてきて、両親の生活の様子も見えるようになってきた。
先日、黒砂糖を割る作業を父がしていて、(父は黒砂糖を自分で作る)母はそれを受け取っていた。その時、黒砂糖のかけらが地面に落ちた。すてぃる(捨てれ)と父。私は落ちたものを拾い躊躇なくゴミ箱へ。
それを見た母は「あたからやー。んきゃーんやつかー あらいまい どふぉーたー。まーんてぃ、んなま の ゆぬなかあ のーゆまい あたらかてぃ うまーん。だいずな ゆぬなかやー(もったいないねー。昔だったら 洗ってでも 食べたよ。本当に今の世の中は 何でももったいないと思わない。大変な世の中だね)」
昔は、自分たちで黒砂糖を作り売っていた。それで生活をしていたのだ。それを思えば考えられないことなのだろう。
母のあたらか精神はいろいろなところに表れる。なんでも取っておくのだ。正月の鏡餅(スーパーなどで売っているもの)に付いているプラスチックのみかんでさえ、何個もとってある。洋服もそうだ。先日、タンスの中を片づけていたら、母のズボンがいっぱいでてきた。ゴムが伸びて、何かの紐をつけてあるのもある。母ちゃん、これはさすがに着ないでしょ。捨ててもいいんじゃない。
「あば、あたらか のーすってぃ(あれ、もったいない。何をするの)ゲートボールにつけていくさー」えー、まーんてぃなー(本当ですか)!?
母が「あたらかー」と取っておいてくれたものに本がある。20年ほど前に実家を建て替える時、あんたの本がたくさんあるから、持って行ける物は東京に持って行けと言われた。お気に入りのものだけを取り、残りは、捨てていいよと言ったのだが、何冊か残しておいたらしい。
数年前、その本を母の部屋で見た時はびっくりした。しかも、取っておけばよかったと悔やんでいた本(『ぼくは12歳』岡真史著)があるではないか。驚くやらうれしいやら。表紙を見るだけでも泣きそうになった。他にもコバルト文庫や高校の古典の教科書などもあった。
母は私のためにも「あたらか」精神を発揮していたのであった。ありがたや。
最近は、昔の写真を見るのも好きだそうで、アルバムが置いてあるところに椅子を持ってきて座り、ひとしきり見ている。
母にとって、関わってきたものは、「あたらす(愛おしい)」もので、それを捨てるというのは、よっぽどのものでない限り、考えられないことなのかもしれない。それが母の生き方なのだろう。
母が望むようにしていればいいと思いつつ、さすがにプラスチックのみかんは捨ててもいいかなと思っている。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古に帰ってから初のメルマガ発行です。
宮古は、暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい毎日です。空にはガイチンが鳴き、月見草が風に揺れています。晴れていれば満天の星。宮古にいるんだなーと実感します。昨日は旧暦の3月3日。浜下りの日でしたね。近くの川満の海に寄ったら、アーサを取っている女性の方が何人かいました。風物詩ですね。潮の香りがすごく良かったです。
夫は毎日、葉タバコのパリに行っています。んにゃ いろー ふふぉーふふぉ(もう色は真っ黒)。マスオさんも板についてきました!?(笑)
私は先日、根間(幸地)郁乃さんに誘われて「ただのかよ ときわの木エッセイ集出版記念コンサート」に行ってきました。さどやませいこさんにもばったり会って、まーつき(一緒に)楽しみました。すごく良かったです。
また、兄たちのライブにも行きました。ざうかにさんも出ましたよー。毎週水曜日の「うさぎや」のライブも頑張っているということでした〜。
毎日がいろいろなことで過ぎていきますです。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
内地にいて高校の同窓生仲間とウォーキングを楽しむというのはいいですね。宮国さんがだんだんとはまっていく様子、楽しまれている様子が見えるようでした。くれぐれも泡の出る飲み物を飲みすぎないようにしましょう(笑)
あの話をもう一度は、あば本舗さんの登場でした。何度読んでも ぬふーぬふの(暖かい)気持ちになりますね。30年近くも着続けて、伯母さんも天国で喜んでいることでしょう。双方の深い気持ちが伝わってきました。
母と話をするとよーく「あたらか」という言葉が出てきます。それはたぶん私たちだけでなく、自分にもいいかせているんじゃないかなーと思ったりします。やらびぱだ(子どもの頃)は右の耳から左の耳だった言葉が今胸にストンと落ちます。
貴方の感想もお寄せくださいね。
掲示板での書き込みよろしくお願いします。
どうぞお気軽にご参加くださいね。まちうんどー(待っています)!
最後に残念なおしらせがあります。
くま・かま読者で、投稿もしてくださったり、オフ会にも参加してくださったりしていたπ里生さんが4月1日お亡くなりになりました。昨日手を合わせてきました。病気療養中だったということです。昨年11月の棚原民謡研究会の発表会も見にきて下さいました。とても残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。π里生さん、これまでたんでぃがーたんでぃでした。
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい、すでぃがふー!
(最後まで お読みくださり、ありがとうございました!)
次号は、4月17日(木)発行予定です。
がんずぅかり うらあちよー(お元気でいてくださいね)
きょうも佳き日で!あつかー、またや〜。