こんにちは〜。きょうから5月ですね。
宮古は、すだーすかじ(涼しい風)が吹いていますよ〜。 まずは、んなまの宮古のぱなす(話)から。
宮古のかざ(香り)が届きますように〜。
んなま(今)の宮古〜初夏はサルカの実がつく〜
カニ(平良・西里出身)
カニどー
宮古島の初夏にはサルカの橙色の実がつきます。昨日(4月26日)夕方、犬の散歩で今年もサルカの実をみたくなり、はやる心を抑えられず近くの公園にいってきました。
2年ぶりの小さな森はかなり変化していました。この森は私の定点観察の場所でもあり、数か所にサルカの木があるのを知っています。
つる植物が多く伸びてきて一見戸惑います。(宮古方言では戸惑うことを「どぅまーびる」「みまぎる」とか言います)そんな中で探すこと10分ぐらいで「サルカケミカン」そう「サルカ」の橙色の実を見つけました。
昨年は宮国と入江の途中の南岸海岸沿いで見つけたことを思い出しました。こうして1年に一度は実がなる時期に「サルカの実」を確認できることは私には最高の楽しみです。
私は43歳の時に(今から14年程前)、伊良部島にこのサルカの実を探しに行きました。確か5月の連休の時です。涼しい南風に吹かれて伊良部島を自転車で一周しました。なかなか見つかりませんでしたが、最後に白鳥岬からフナウサギバンタに向かい、そしてバンタを過ぎた地点で道路の脇にこのサルカの実を見つけたのです。この時は感激しました。なにしろ写真でしかみたことがなかったからです。この写真は「伊良部の自然 植物編」という書に載っておりで、とても綺麗な実でしたので何としてもみたいものだ・・・と追っかけていたのです。
認識というのは不思議なもので一回わかると次から次へと見えてくるものです。宮古島のどこそこに自生しているのが今や手に取るようにわかるのです。そして12月には小さな白い花を咲かせ、いち早く春を知らせる使者でもあることに気づきました。そんな思い出深いサルカの木の実なのです。
昨年の今頃、連休で宮古島にあるすべての白浜を歩き終えました。大学1年の時から始めたプロジェクトが完成したのです。37年かかったことになります。私の頭の中には宮古島の殆どの浜の姿がたたみこまれたのです。 一つ一つの浜の姿はそれぞれ特徴があり味わいがあります。
この連休にもそのうちの一つの浜を選び渚を歩き回ってみたいものです。今回からは再確認の歩きになります。
初夏を迎え昨日(4月26日)はサンコウチョウの鳴き声も聴けました。おそらく大野山林ではアカショウビンの声も始まっていることでしょう。オキナワテイカカズラの花も咲きだしました。可憐な黄色い花をつかせるソウシジュの花もそろそろです。それからこの時期にはモクモウの花も咲いております。
こうして初夏を迎えた宮古島は梅雨へと移行し、植物は天からの贈り物(雨)を貰い、森の緑色は濃く深まっていきます。
◇あの話をもう一度
神童(平良・島尻出身)
「ぴんぎ(逃亡)孔雀」(vol.124 2006/5/18)
連休明けの本日(8日)。一件の電話が入った。平一小学校から孔雀が逃亡。逃亡直後、校舎屋根まで舞い上がり、近所の医院屋上へ飛翔。困り果てた校長が電話をしてきた。
当方、担当でないものの連絡を受け、担当部署に報告。とりあえず平一小学校校門で担当職員と待ち合わせる。待ち合わせの後、担当職員は校門前から逃亡。現場には、通報を受けた宮古署の警官が2名。1名は孔雀のそばで逃亡孔雀を監視。もう1名は地上でうろうろ。
警官から質問を受ける。何か、捕獲する道具を持ってきましたか?俺に訊くんじゃねーよ!逃亡した担当に訊いてくれ!警官が提案する。サッカーゴールのネットを外して押さえ込むのはどうでしょう?はーーっ!相手は屋上の手摺りにいるんだぜ。どうやって被せんだよ?パーマンを呼べ!当方が提案する。警察の組織力をもって奴を小一時間程追い回せ。如何に鳥でも疲れるだろう。却下された。
とりあえず、警官、校長、当方の3名で屋上へ向かう。現場周辺では、隣のアパートの屋上から新聞記者が2名。カメラを構えている。肝心なときに同僚のK.takanoriがいやがらねえ!
監視役の警官は、どこで調達してきたのか?捕虫網を手にしている。直径約20cm。巨大なハエというか、なびがーす(蝉)しか捕れねーだろ。それじゃーよ!
逃亡犯を見てみる。2m程のフェンスのてっぺんに止まり、人様を見下ろしている。睥睨だ。鳥のくせに。焼き鳥にすんぞ。このやろー!奴が止まっているのは、屋上に設けられたクーラー室外機の2mのフェンス上。フェンスのドアを開いて途方に暮れている警官が約1名。そっと近づく。
当方、サングラスなので奴は警戒心ばりばり。そうだ。鳥は目玉に異様な警戒を示すのだ。飛行機だってジェットエンジンの真ん中に目玉書いているし、船だってそうだ。それと、鳥の目は視界がほぼ360度。地上部分にに関しては、ほぼ180度だ。と、思う。だって、鳥は下を見る時、首を傾げるじゃないか。
警官に指示を出す。こいつはサングラスが怖いから今、びびっている。注意力をこっちに向けておくから奴の背後に回り込んで尾羽を掴め!なのに、孔雀にびびって警官が近寄れない。孔雀ごときにびびってんじゃねーよ!大丈夫だ。鳥はほぼ下を見てないから早く掴め。警官反応しない。じゃー、その腰の鉄砲で孔雀を撃て!喉まで出かかる。
背の低い警官がそろりそろりと孔雀の背後に忍び寄る。当方は、孔雀を引きつけるため奴とにらめっこ。遂に、背の低い警官が孔雀の尾羽をゲット!しかし、90cmもある尾羽の20cm部分を鷲づかみ。暴れる孔雀。引き吊り落とせ!でも、悲しいかな。背が低いために孔雀の尾羽をたぐり寄せられない。だーかーら、背の高い警官が行け!って言ってんのによ。
必死に暴れるぴんぎ孔雀。しかし、警官も必死だ。外さない。孔雀はフェンス反対側に宙づり。尾羽がごっそり抜けて、孔雀はフェンスの向こう側に落ちた。追いかけんかよ!警官2名呆然。大きな鳥は、ある程度の助走がないと飛び立てない。今なら間に合う。フェンスの下の隙間30cmから反対側に入り込み奴を追い詰める。助走して飛び立とうとするも、距離が短いので壁にぶちあたる。室外機の配管が錯綜する現場で奴をゲット。尾羽はほとんど抜け落ち残ったのはたったの2枚。捕獲ついでに、当方、膝をパイプに強打。右半月板が激痛。労災だな!
実は当方、過去に飛び立つ前の鳥を手で掴んだ経験を持っている。時は1980年代初頭、場所は天下の大東京上野動物公園内広場。
展示ケースに収まったパンダを見て土鳩に餌をやっているとき、ふとこの鳩を捕まえて見たい衝動に囚われた。そして目星をつけたターゲットが餌をついばんでいるときを見計らってダッシュ!
一斉に飛び立つ大勢の鳩に目もくれず標的をロックオン。そして両手でキャッチ。あれだな。目標を設定するって大事な。
んでも掴んだはいいけどその後がすげえ恥ずかしい。なぜか注目の的だったりする。あのときの連れが誰だったか思い出せないけど内地の鳩はその気になれば捕まえられるんだなと納得したことを思い出す。
捕獲後、警官に孔雀を引き渡す。捕獲のどたばたでサングラスがない。現場に散乱する大量の羽の中だ。警官が探すのを手伝おうとする。いや、おめーらは来るんじゃない。絶対サングラスを踏みつけるから!
地上に降りると新聞記者がインタビューしてきた。
「見事な捕獲劇でした。今までに孔雀を捕まえたことがありますか?」
あのね、どこの狩猟民族かよ?アボリジニーか?
お土産に尾羽を2枚もらってきた。90cmもあるぞ!
編み物
R(平良・西里出身)
私の年代だと母親が作った(もしくは誰か他の人かもしれませんが)レース編みの敷物が家に一つはありませんでしたか?丸い形をしたパイナップル型の模様が入ったものをよく見かけたと思いますが、どうでしょうか?
私の母は、毛糸やレースでの編み物をよくやっていました。当時流行っていたと思われる機械編みも得意だったと思います。
我が家の子どもたちが いみっちゃの(小さい)時に着た服を収納してある衣装ケースの中に緑色の手編みのチョッキが一緒に仕舞われています。そしてお揃いの長方形のはずが台形になってしまっているマフラーも残されています。
それは私が小学3年生の時に母が作ってくれたチョッキです。マフラーは、その時、母に編み方を習って私が編んだものです。母が編んだチョッキの編み目は かぎっちゃ(綺麗に)揃っていますが、私の初めて編んだマフラーは、編み進めるとどんどん小さくなり、台形になってしまっているのです。笑えますよね。
母はその時、一緒にかわいい帽子も作ってくれましたが、残念ながらそれは残っていません。
チョッキと帽子、そして私が編んだマフラーが仕上がった翌日、その3点セットを私は意気揚々と学校に着て行きました。しかし、そんな嬉しい気分が一転することが起こりました。
学校からの帰り、当時私は那覇に住んでおり、バス通学をしていたのですが、バスの中で眠ってしまい、乗り過ごす直前で目が覚め、慌てて降りて、なんと帽子を車内に ばっして(忘れて)しまったのです。
母がバス会社に問い合わせてくれたのですが、帽子は、見つかりませんでした。そんな思い出とともにチョッキとマフラーは、衣装ケースの中でんなままい(今も)眠っています。
それから40年余。目下の私の趣味は、編み物です。上の子が大阪で仕事に就き、下の子も高校生になったので自分の時間を持てるようになったら無性に編み物がしたくなり、近所の雑貨屋さんで開かれていた講習会に参加して久しぶりにまた始めました。
大阪にいる娘は、私が編んだマフラーをしてくれています。(今ではすっかり私もまっすぐに編めるようになっていますのでご心配なく。)
1月に娘がすまなそうな声で、私が作ったマフラーを居酒屋に忘れたら無くなってしまったと電話してきました。私は、先の思い出があるものですから、1週間で同じ形のマフラーを編みあげ、娘に届けました。
母が棒編みの編み方を教えてくれた時に、「最初の目は編まずに目を移すだけの方が端は綺麗に揃うからね」と言っていました。このコツは、編み物の本に書かれているのを見たことはありません。
棒編みの最初の目を取る時は、いつも母がそばにいるように思います。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古は今、ゴウラ(苦瓜)や冬瓜が旬で、んまーんま(美味しい)!して、あちこちから貰うので、家の中、外でゴロゴロころがっています。有りがたや。
先月20日は、「第30回全日本トライアスロン宮古島大会」が開かれました。去年はあいにくの天気でスイムなしのディアスロン大会となったようですが、記念すべき第30回大会は、ぞうわーつき゜(良い天気)となりました。でも選手にとっては暑さとの戦いとなりました。冷たい水などを頭からかぶる選手が多かったです。
トライアスロンを見るのは2度目ですが、知り合いが出るのは今回が初めて。いろいろな場所で応援しました。場所によっては、応援している人が誰もいなかったり、2〜3人という場所もありました。賑やかばかりではないんですよね。応援する人に、選手の皆さんが手を振ったり、「ありがとう」と応えてくれる。それがうれしく、また応援を続ける。お互いが力をもらっている感じがしました。
知り合いは残念ながら完走はできませんでしたが、(ラン30キロ地点前でタイムアウト)あきらめず走り続ける姿に感動しました。
今回の大会には、1531人が出場し、1303人が完走したということです。1531人の選手のみなさん、ご家族、ボランティア、関係者のみなさん、本当にお疲れ様でした!
4月27日は無農薬栽培の「奇跡のりんご」で知られる青森の木村秋則さんの講演会がマティダ市民劇場であり、行ってきました。淡々とお話される木村さんでしたが、ゆるぎない信念を持って行動している様子や話される内容にぐいぐいと惹きこまれていきました。(私が思い煩うことは、なんと小さいことかよ)強い人は、やぱーやぱ(柔らかい)ですね。
講演の後は、宮古総業実業高校の環境班のみなさんの研究発表(地下水保全を目的に作られた、バイオ・リンについて)もあり、これもまた素晴らしいものでした。木村さんに高校生が質問をする場も設けられ、いろいろな質問に木村さんは真摯に答えていました。そして高校生たちをすごく褒めてました。
宮古では時に東京でも行けないような講演会や催しものがあります。会場までもそんなに時間がかからないので、上等ーと思います。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
カニさんの話は、4月27日に掲示板に書き込みされたものです。追加してメルマガ掲載となりました。ずーっと観察をしているカニさんだからこそ、サルカの実にもいち早く気付くのでしょうね。細やかな宮古の自然が伝わってきます。掲示板の写真も合わせてご覧くださいね。
神童の「ぴんぎ孔雀」の話はもう8年も前なんですね。うぷあまい(大笑い)をしたのが、なんだかついこの間のよう。反響もたくさんありましたね。再掲載にあたり、東京で鳩を捕まえた部分が追記されました。今後も何か捕まえる気がするのは私だけじゃないはず。やっぱり狩猟民族!?
Rさんの編み物の話を読んで、うちの母もよく編んでいたのを思いだしました。同じような方多いのではないでしょうか。Rさんはお母さんがしてくれたことを今度は娘さんにやっているんですね。マフラーの暖かさは格別だはず〜。内地の寒さも乗り越えられますね。
【訂正とお詫び】
前号(vol.314)掲載、アモイさんの「最後の入学式」の中で宮原小学校の現在の児童数が11人になっていましたが正しくは12人でした。訂正してお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。掲示板での書き込みもお待ちしています。
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい、すでぃがふー!
(最後まで お読みくださり、ありがとうございました!)
次号は、5月15日(木)発行予定です。
がんずぅ や しー(お元気で)、上等の毎日でありますように!あつかー、またや〜。