こんにちは〜。6月になりましたね。
ナビガース(クマゼミ)が鳴いて、梅雨が明けたような天気と暑さが続いている宮古です。
んなま(今)の宮古とんきゃーん(昔)の宮古を織り交ぜての、お届け。お楽しみくださいね〜。
たてぃだてぃ(いろいろ)さたぱんびん
松谷初美(下地・高千穂出身)
さたぱんびん。(沖縄本島で言うところのサーターアンダギー。「さた」は砂糖(黒砂糖)。「ぱんびん」は、天ぷらの意)。50代以上にはソウルフードのひとつだと思う。
私にとって、おばあやーのおばあが作る、黒砂糖がたっぷり入った、あう”う”ぁー あう”う”ぁーの(油っこい)さたぱんびんが一番心に残っていて、懐かしの味である。しかし、おばあが亡くなって久しく、あのさたぱんびんの味も幻となってしまった。
さたぱんびんは、昔は何か行事がある時に家で作るもので、買うものではなかった。家庭によって味に違いがあったと思うが、小麦粉、卵、砂糖(黒砂糖)だけで作るシンプルなものだった。
それが今では、サーターアンダギーとして全国に知られ、その味や形はバラエティにとび、コンビニ、スーパー、土産物屋など、どこでも売られるようになった。
気になって、うまかま(あちこち)見てみた。まずは味の種類。生地の中に、野菜や果物などが入っているの多い。種類をあげてみる。
プレーン、かぼちゃ、人参、ごーら(ゴーヤ)、トマト、マンゴー、バナナ、リンゴ、夏みかん、ゴマ、ピーナッツ、珈琲。
中でも、かぼちゃ味は大人気のようで(うちの父も大好きである)、いろいろなところから売り出されている。珍しいものは珈琲味で、インスタントの珈琲(と思われる)がパラパラと入っていて香ばしく、んまーんま(美味しい)。
それから、形。直径2センチくらいの いみっちゃの(小さい)ものから、直径10センチ以上はありそうな だいばん(大きな)ものまである。(大きいのは中まで火を通すのが大変。揚げるには熟練の技が必要だ)又、丸い形ではなく俵型や細長いかりんとうのようなもの、油が少なくカリッとしたものなど、たてぃだてぃ(いろいろ)。
卵を使っていないものもあって、卵アレルギーのある人も大丈夫なものもある。いやー、びっくり。こんなにあるとは。
実は私は、さたぱんびんを作ったことがない。あ、あるか。さたぱんびんの素のような粉を使って作ったことはある。それなりに形にはなった。しかし、一から作ったことはないので、挑戦してみようと思う。おばあが作ってくれた昔ながらのものも作ってみたいし、自分なりのオリジナルなものも作ってみたい。
まずは、お父から黒砂糖の作り方を習おうかな。(そこから!?)
◇あの話をもう一度
ひさぼう(平良・西仲出身)
「宮古方言で最も難しい発音」vol. 126 2006/6/15
国語辞典は通常、あ(A)から始まって、ん(N)で終わる。ところが、まだ終わらないで、見出し語で数えて19語載っている辞典がある。 下地一秋の『宮古群島語辞典』である。
その見出し語の頭文字は、i(い)が Iの上に「・」が1つであるのに対し、Iの上に「・」が2つ付いている記号(中舌母音)で載っている。ここではこの記号が書けないので、代わりに「I”」で表記する。以下その19語の内、いくつか拾い出してみる。なお、「1拍」「2拍」はその発音の長さを表わしているつもりで私が勝手に付けたものです。
1、 I”: → 叱る。 1拍
2、 I”I”a → 父 ( 農民語 )。 2拍
3、 I”I”ara → 鎌。 3拍
4、 I”: → 要る。 1拍
5、 I”I”irU” → 入れる。 3拍
( U”は uの上に・2つ )
6、 I”: → いひ、飯。 1拍
7、 I”I”O: → 借りる。 3拍
8、 I”I”a:su → 貸す。 4拍
9、 I”I”u → 魚。 2拍
10、 I”:kuja → 乞食。 3拍
問題は、この「I”」の発音である。なお、ここでの発音表記はすべて『宮古群島語辞典』によるものであり、その発音は、この辞典の説明によると宮古島平良市内語(旧士族語)とのことである。私は平良市西仲で農家出の両親のもとで育ったけれども、この辞典を読む限り、使う言葉の違いはあっても、士族、農民に発音の違いはないように思える。
さて、「I”」の発音である。ニコライ・A・ネフスキーの『宮古方言ノート』(沖縄県平良市教育委員会2005年3月31日発行)では、これを「Z」で表記している。
「叱る」→ Z: 「鎌」→ ZZara 「魚」→ ZZu など。
ためしに「I”」が、ことばの後ろに来る場合を比較してみる。
共通語 | 宮古群島語辞典 | 方言ノート |
---|---|---|
蝿 | paI” | paZ |
折る | buI” | buZ |
神願い | kam nigaI” | kam nigaZ |
頭 | kanama(r)I” | kanamaZ |
これでみると、ネフスキーは、「I”」を単に「Z}と別表記しているだけなのか、それとも別の音として聞いているのか未だよくわからない。
次に、語尾が共通語でイ段の場合とウ段の場合とで宮古方言を比較してみる。
ここで問題です。次の二つのことばの語尾発音は、宮古方言では同じか、違うか?
◆鳥(イ段) と 取る(ウ段)
◆隣(イ段) と 探す(ウ段)
◆年(イ段) と 取る(ウ段)
『宮古群島語辞典』では、「鳥」「隣」「年」の語尾音は「I”」で表記され、「取る」「捜す」のそれは「u」の頭に「・」2つ(ここでは「U”」で表わすことにする)で表記されている。つまり表記上はそれぞれ別の発音のようになっている。
ところが下地一秋は「宮古語の中舌母音はI”とU”との中間音であるが、便宜上iの中舌母音をI”、uの中舌母音をU”で表記した。」と解説している。つまり、ここでの答えは、「表記は別でも発音は同じ」ということになるから、次の「I”」と「U”」の発音は同じということになる。なお、(r)は無声化を意味する。
イ段 | ウ段 | |
---|---|---|
鳥 と 取る | tu(r)I” | tu(r)U” |
隣 と 探す | tuna(r)I” | tumi(r)U” |
年 と 取る | tusI” | tu(r)U” |
ここで、ドウカッテイに(自分流に)発音を説明してみる。
◆ i の発音 → 舌先は、前下歯にしっかりつく
◆ Z の発音 → 舌先は、上下の歯の隙間で摩擦音を出す
◆ I”あるいは U”あるいはまたその中間音
→これがむずかしい。まず、ん(N)を発音するときは力む感じになり首の動脈が浮き出るように、この場合も血管が浮き出る。Zの場合は出ない。舌先は前歯には触れない。Zの音を出しながら“チーズ”をもっとこわばらせた口の形にする。
自分で発声してみて最も難しいと思う宮古方言の発音はこの「中舌母音」(最近は宮古語の中舌母音はまた別だとのことで「舌先母音」と言うらしい。中舌母音というのは、「い」を発音するときと、「う」を発音するときの舌の位置が違うことから、「い」でもない「う」でもない舌の位置はそのまん中あたりということで「中舌」といっているらしい)である。そして、い(i)とI”を発音する「魚のウロコ」→「I”I”u nu(の) i(r)I”ki」、これが発音できたらホンモノだと思う。
余談ながら、ことばの発音は、舌と歯と唇の絶妙な動きで生まれる。そしてことばは、この運動が楽な方向に変わっていくものらしい。たとえばP音 → F音 → H音 という歴史的変化も、ぱ ぴ ぷ ぺ ぽ、という口の動きよりも、は ひ ふ へ ほ、と言うほうがずっと楽だからに違いない。
また、(魚の)ウロコ という共通語が生まれてくるためには、ウロケ、ウルコ、オロコ、オロケ、イリコ、イリキ、イーキ、イラギ、イラ、ヒレ、コケ、コケラ、コケザ、ハダ、サメ、ツー、ソブ、ゼンゴなど全国各地の方言が母体として、土壌としてあったわけである。
思えば、おとうさん、おかあさん、ごちそうさま、ありがとうございます等、人工的な「共通語」がつくられたのは明治時代であった。これらは当時の文部省がつくった「人工語」だったのである。それまでは、各地の方言が、自然な話しことばの「日本語」であった。
これらのことから、宮古方言を考えると、イズウ(I”I”u)は、ある地方に行けば、イユ になり イヲ になり、あるいは、ウオになる。同じように、イズキ(iI”ki)も、イリキ になり イロコ になりウロコ になる。
最も難しい発音と思えるこの宮古方言「I”I”u nu i(r)I”ki」は、ハイカラにすれば「うお の うろこ」になる。
船の別れと五色のテープ
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
「売り渡したわが子を見送るような心境だった」。伯父は当時をこのように振り返ったという。
いまから、かれこれ50年前。50年も前の話だから、んきゃーんばなす(昔話)だね。三つ上のいとこは集団就職で本土へ渡った。沖縄が米国の施政権下にあった頃で、中学を卒業したばかりのいとこはパスポートを携えての旅立ちであった。
当時(昭和40年頃)は、中学を卒業すると内地の会社に集団就職する人たちが多かった。高校に進学したのはクラスの半分もいたかどうか。職種は紡績関係(愛知方面)が多かったようだ。いとこも、紡績会社に就職が決まり、宮古を発つことになった。
6年生の私は、かあちゃんさーらい(母に連れられ)、ぴさら(平良)の漲水港でいとこを見送った。「漲水港」と呼ばれていた一帯は、いまでは埋め立てられ名称も「平良港」に変わっている。漲水港の桟橋は、いまの第三埠頭の一部に吸収されているが、その桟橋の表面は浮き彫りのように名残を今にとどめている。当時は貨客船の「宮古丸」と「八潮丸」が宮古−那覇間を運航していた。
桟橋の入口には小さな売店があり、そこで母は五色の紙テープを買った。五色の紙テープは乗船するいとこに渡され、いとこは乗船するとデッキから紙テープの先端を持って、残りの巻きを桟橋に立つ母と私の方角をめがけて投げた。
テープを拾い、自分と船との距離をはかりながらテープを巻き戻して、巻きの穴に両手の人差し指をいれた。トイレットペーパーのホルダーのような格好だ。あの頃は今のようなロールのトイレットペーパーもなかったが。まーだ、んきゃーんぬぱなすやー。(本当に昔の話だね)
五色のテープの波で船体は隠れるほどに。とうとう出航。船は よーんなー(ゆっくり)と桟橋を離れていく。送る人、送られる人の名前を呼び合い、別れの言葉が船上と桟橋で交わされる。船からは「蛍の光」のメロディが流れ、いやが上にも惜別の気持ちが高まる。
船の離岸するスピードはそれほど速く感じられないが、テープの巻きはあっという間になくなり、人差し指には芯だけ残った。つぎつぎとテープは海水に浸され、まもなく船側をなでるようにひらめいた。五色のテープの波が幾重にも船体を彩った。
岸から離れた船はしだいに遠ざかり、互いの名前を呼び合う声も頼りなくなった。そこで、これまで後退で離岸していた船は前進方向へ向きを変えた。その瞬間、「ボォー」と汽笛が鳴らされた。岸の見送る人たち、船上の人たちはこの汽笛の音に導かれるように声をさらに張り上げ互いの名前を呼び続けた。外洋へ滑るように進んだ船はいつしか遥かかなたに消えていった。
若くしてふるさとを離れ、のーまいすさん(まったく知らない)土地で言葉や生活習慣の違う本土の人たちのなかで、孤独感と郷愁の念にかられた日々。金の卵と称され日本の高度成長期の生産の歯車に組み込まれた15歳の乙女に、その後、のーしぬ(どのような)苦難が降りかかったのか、知る由もない。
今では幸せに暮らしているいとこと数年ぶりに電話で話す機会があり、あの漲水港の別れの話をしたときに、当時の伯父の気持ち「売り渡したわが子を。。。」を知った。ところで、あのときの漲水港に伯父の姿があったのだろうか。今度、いとこに会うときにじっくり語り合うことにしよう。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
5月29日〜31日まで、宮古の絵画サークル「二季会」の展示会が花ギャラリー「TOMOE」で開かれ、行ってきました。13人の作品、個性あふれる30点が展示。のひなひろさんやさどやませいこさんの作品もありましたよ〜。とても素敵でした。掲示板で、絵が得意なタイラーも二季会展の感想を書いていますので、こちらもご覧くださいね。それにしても、宮古には、絵が上手な人が多い気がします。
5月30日と31日には「宮古島ミュージックコンベンションin20015」がトゥリバーで行われました。こちらも昨年に続き行ってきましたよ〜。下地勇さんはシマブクレコード(島袋優さんとのユニット)、Sakishima-Meeting(新良幸人さんとのユニット)で出演。久しぶりに「AKIKAN」、「周回遅れのランナー」「「ジャズィーミャーク」など聞きました。皆さん、ズミ(最高)!最後は「カーチバイ」で盛り上がりましたよ!
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
宮古に住むようになって早一年余り。さたぱんびんの種類が たてぃだてぃ(いろいろ)あるのにびっくり。貴方のお好みのものはありましたか。他にこんなものもあるよーとか、これが んまーんま(美味しい)だよなどありましたら、ぜひ、教えてくださいね。
ひさぼうさんの方言講座は、まーんてぃ面白いですねー。分解して、展開して、みやこふつの中心部分にコツンと当たる感じ。いつもすごいなーと思います。今回も声に出して読んだ方、多かったことでしょうね。何度でも読み直したいものだなと思います。
淳さんの漲水の桟橋での見送りの様子。50年前とは思えない、今、目の前に見えているかのような描写でしたね。それだけ、印象深く残っているのでしょうね。お父さんの気持ちもいかほどだったかと思います。そんな んきゃーん(昔)があっての んなま(今)ですね。
貴方はどんな感想を持ちましたかー?ぜひ、お聞かせくださいね。
掲示板での書き込みもお待ちしています。
投稿まい いつーまい(いつでも)受付中。まちうんどー。
今回まい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
次号は6月18日(木)発行予定です。
がんづぅかり うらまちよー(お元気でいらしてくださいね)あつかー、またや〜。