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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 347

2024 7/15
メールマガジン
2015年9月3日2024年7月15日

こんにちは〜。
9月になりましたねー。季節の変わり目ですが、ぱだーぱだうらまずなー(お元気ですかー)?
vol.347お届けです。お楽しみくださいね〜。

目次

みゃーぐん(宮国)の今昔

ワタリマリ(上野・宮国出身)

実家の壁には相変わらず「命名」の札がぺたぺたと貼られている。色あせた札の主はもうとっくに大人になり、わが人生を謳歌している。その上から真新しい札。生まれたばかりで、なーつき°(名づけ)祝いをしたばかりだろうか?みゃーぐん(宮国)の名字らしき名字ではないので、母親はきっと、みゃーぐんで生まれてそだって内地か うき°なー(本島)に嫁いだんだろうな・・・と思いつつ、久々の実家で今回は母と むぬゆん(おしゃべり)しながら昔を懐かしんだお話です。

むかしむかしその昔から みゃーぐんは部落内の結婚が当然のように言い伝えられてきた。「すまゆみ(島嫁)」「ぷかゆみ(外嫁)」との言い方があったが「すまゆみ」とは部落内同士での結婚、「ぷかゆみ」は、みゃーぐん以外から嫁いできた、あるいは嫁いでいったことの意。

「すまゆみ」が基本だと母は言う。なぜか?ありー(それはねえ)すまぬはんえいさあ。うつざぬ うぱあさ うりゃだから(部落の繁栄のためだよ。親戚はたくさんいたほうがいいねぇ)

じゅんーじゅんぬ みゃーぐん んまりぬどぅ んなまー うらんにばどぅ みゃーぐんふつ まい すたりゃー ぴい ぴい ううさ(生粋の宮国生まれがいないから宮国ことばも衰退していってるさあ)

母はやっぱり昔の人だ。自分たちが守ってきた部落内の御嶽や古い歌、を受け継いでほしいと思っている。少し排他的かもしれないし、部族意識が強いかも?

んきゃーんないら、ばが んみーっちゃぬ ぱだんな すまぬ みむどぅんぬ むらーっちい ぷかずま から きいかあ すまぬ しいにんぬう きゃーや すまんかい ぱいんつんたちい がんじゃーしい ぱいやさじゃーん ちいなーどぅ ううたーざー あしばどぅ みゃーぐんゆみう むらっちぬくとぅ なまやっすむぬあ あらったんちんだら(昔はね、私が小さい頃だけど、部落内の女性と結婚しようと よその部落から来ようものなら、青年たちが部落に入る入口で 行く手をふさいで入れないようにしたんだよ。宮国から嫁を貰おうということは大変難しかったんだよ)

ようするに、みゃーぐんという部落は非常にプライドが高かったそうだ。だからよその男に嫉妬やねたみもあったのだろうと想像する。博愛の精神やみががま御嶽やもっと昔は津波などで部落の住民は気持ちを一つにして何事にもとり組んできた。下地村から分村する前も、新里、宮国、野原はうぷすま(大きな部落)として栄え、そのプライドが受け継がれてきたのだろう。

実際母は、みゃーぐんないつばん(宮国は一番)と自慢する。のーゆすうばん?(何をしても?)んさあ(そうだよ)と確信に満ちた表情をするいやいや少しは謙遜しなくては・・・どこの部落もそうだって。

嫁の話に戻ろう。じゃあどうやって結婚にこぎつけたのだろう?ありー(んーそうだねぇ)かりゅうまい んば、くりゅうまい んば、ばが うむうぴとぉ かいちゃーんち なきいちゃーん うっつかあ しかたないちい あきらみい ぴらっさあらん(あの人もいや、このひともだめ 私が思うのはあの人だけと泣いてばかりいたのだから。それじゃあ 仕方なかろうと 諦めて嫁がせたんじゃないの?)

おお!愛は勝つ。親が決めた部落内結婚に異議あり!との革新的な女性も私の先輩にはいたんだ。小さい頃、遠いところ(といっても ゆなぱやぬざき°(与那覇や野崎)などだけど)へ嫁いでいった親戚がいるとちょっと鼻が高かったような思いをしたのを思い出した。

それを母に話すともうその頃は「ぷかゆみ」はそんなに珍しいものでもなかったとのことだが、ここ最近では「すまゆみ」をもらうのは逆にめずらしいではあるが、なんだかうれしくなると言っていた。

最近も一組 ようい°(お祝い)があったそうだ。母の実家は、みゃーぐんの あがい°ざとぅ(東里)、嫁いできたのは西里(い°ーざとぅ)。それはそれでまた同じ里じゃないところに嫁ぐので葛藤があったそうだが、あんたなんかは かまーぬ(遠い向こうの)内地にいってしまったねと言われると、あしばゆう(だからよ)と答えるほかなかった。

部落の真ん中あたりはまだ昔の面影が残る家が懐かしくひっそりと建っている。空き家も多いそうだ。反対に外周には新住人の立派な家が増えた。人も家も外へ外へと向いているのだろうか?だからといって母が言う「部落が繁栄」しない事は決してないが(それどころかえらい発展です)生粋の みゅーぐんふつがしゃべれるのも我々の世代が最後になるだろうと思うと、ちとさみしい。

宮古空港の食堂。姉妹4人が定食をいただきながら、ぞおぅぞおぅうぬ(グットな)みゃーぐんふつが飛び交っている。ちなみに上二人は「すまゆみ」。とても心地よく、どの言語よりもずみ!だと思ったが、イントネーションなどは韓国語にもにてない?んーんぬぱず(似ているはず)。

ところで、実家から上野村誌をよっこらしょと担いできた。創立10周年と40周年記念誌だ。結構興味を引く。分村したりくっついたり過去現在未来宮古島の歴史はこうして受け継がれ引き継がれていくんだなぁ。先人達がものすごく偉大に思えてきた。

◇あの話をもう一度

クイチャーマン(下地・与那覇出身)

「かーてぃぎーぬ なす゜(モモタマナの実)」vol.231 2010/11/4

9月の終わりごろ、散歩で浦添市美術館の裏手の、かーてぃぎー(モモタマナ)の並木の下を通ったとき、熟して黄ばんだ実が落ちているのを見つけ、拾って鼻に近づけてみた。

かばすかざ(香ばしいにおい)は、およそ50年ぶりに体験する懐かしいものだった。実を持ち帰り、食卓に置き、辺りに香りが漂うのを楽しんだ。香りは、サトウキビやマンゴーにどこか似ている。

やらびぱだ(幼少の頃)、与那覇のわが家の北側300メートルほどの海岸端にある泊御嶽(とまりうたき)に、うぽーぬ かーてぃぎー(大きなモモタマナ)があった。秋になると友人たちとその御嶽に行き、熟した実を棒で突いたり、木を揺すって落として集めた。その実を食べるためである。

熟した実の薄皮を、ぱーしー(歯で)むき、果肉を食べる。美味だったと記憶している。やーっさーしーうーたー(ひもじくしていた)少年たちにとっては、自然の恵みであった。

御嶽の木の実を取って食べると、バチが当たるかもしれないとの恐怖心もあったが、食欲がそれを上回ったのだ。果肉は2,3ミリほどで、食べ始めてほどなくすると硬いタネに歯が当たる。そのタネを硬い石で割って、中にある白っぽい種子を取り出して食べた。石で思い切って叩くと、種子は潰れて石の粉と混じり合ったりしたが、それらを選り分けて口に入れた。

台風14号が接近して北上した翌日、ビニール袋を手にしてモモタマナ並木まで行ってみた。ばが うむいゆーたー にゃーん(私が思っていた通り)、ましぇーんぬ なす゜(たくさんの実)が風に吹かれて落ち、地面のところどころに寄り添うように並んでいた。色づきや形を見定め、大粒で熟したものを二十数個拾った。

1キロほどの重みに手ごたえを感じ、それらを透明のプラスチック容器に入れて食卓の中央に飾るように置いた。妻には私のモモタマナ物語を説明したが、沖縄本島北部の東村で育った妻は「食べたこともない」と言い、関心を示さなかった。

10月最後の日曜日、果肉と種子を食べてみることにした。一番大きくて肉付きの良い実を選び、長さと重さを測り、写真も撮った。横が75ミリ、幅が49ミリ、胴回りは広いところで170ミリ、重さは50グラムであった。実の形はラグビーボールに似ているが、扁楕円形で両端は、とぅんがりどぅうー(尖っている)。

心をときめかせて作業に入る。まず、熟れすぎたバナナの皮のように黒ずんだモモタマナの実の皮を、包丁でむいたあと、果肉を薄く削り、口の中へ。目を閉じて舌の上で転がし噛んでみた。それは、弱い甘味と渋味が半分ずつで、記憶にあるような、美味しさではなかった。

二片を食べて、あとは包丁で削って捨て、タネを家の外で叩き割り、薄茶色の種皮を被っているアーモンドのような白い種子を確認。写真に収めてから食べてみた。種子の味の記憶はほとんどなかったが、コリコリと軟らかい歯ざわりで淡白な味だった。今も泊御嶽に かーてぃぎーはあるだろうか。確かめる機会をつくりたい。実がなっておれば、もう一度食べてみたい。

宮古島出身者に「モモタマナ」のことを聞いてみると、80歳になる城辺・新城出身の男性は、見たこともない、あれは宮古にはないと言う。伊良部・佐和田出身の80歳の男性は、自分たちは「こーたぎー」という。御嶽や海岸、墓地などに生えていた。割って種子は食べたが、果肉を食べた記憶はないとのこと。沖縄出身の先輩に聞いたら「あれは臭くて食べられないよ。コウモリのえさだよ」と笑っていた。地域によって、反応はさまざまである。

糸満市の平和祈念公園内の「平和の礎」の周辺には、モモタマナが植えられ、四方に水平に伸びる枝と大きな葉は夏の日差しをさえぎり、重宝な木陰をつくっている。このごろは、学校の運動場や公園などでもよく見かける。秋に紅葉し、冬は落葉して枯れ木のようになる。今帰仁村今泊公民館前の巨木は県の文化財に指定され、樹齢300年以上、樹高18m、胸高周囲4.5mもあるというから、いきみーぶすむぬ(行ってみたいものだ)。

モモタマナは別名コバテイシ(枯葉手樹)。沖縄の古文書『球陽』に「枯葉手樹」と書かれているという。学名はTerminalia catappa。英名はTropical almond , Indian almond。葉を発酵させ、健康茶としても売られているとのこと。日本では、沖縄、小笠原諸島に分布。沖縄の方言では「クヮーディーサー」「クファディサー」などという。琉球古典音楽のなかに「踊こはでさ節(ウドゥイクファディサーブシ)」というのがあり、華やかな「四つ竹踊」はこの曲で踊られる。
 
しらびみーっかぁ、うむっしむぬ(調べてみると面白い)。

下地の集落のあだ名

松谷初美(下地・高千穂出身)

宮古の人は、あだ名つけ名人だ。人にはもちろん、集落にまであだ名がある。ばんたが(我が)下地にも、んきゃーん(昔)から言われている各集落のあだ名がある。

その名前は、やらびぱだ(子どもの頃)から耳にしていたが、意味まではよく分からなかった。旧下地町の『町制二十周年記念誌』にその由来が載っていたので、抜粋して紹介します。

下地には、洲鎌、上地、与那覇、嘉手苅、入江、川満、高千穂、来間の集落があるが、あだ名があるのは下記の5カ所。名前の横にあだ名をつけました。

【洲鎌(すがま)】・・・すがま ばりたぐ(洲鎌割桶)
洲鎌は、千人原を誇るほど繁栄していたそうだが、マラリアが流行り、死者が多く出て、集落を維持することができなくなり、一時上地の管轄に。しかし、その後、散在集落の縁故者などを集めて現在の洲鎌を再興した。古老によると「洲鎌とは縮小した島(スガム島)の意を遇した名称である」らしい。あだ名の「ばりたぐ」とは、桶が割れているの意。集落が四散した歴史を物語っている。

【上地(ういづ)】・・・ういづ んたがみ(上地土甕)
上地北部のカナエダ丘陵地区の各集落は期限が古く、この辺り一帯は、田の上(タニー)と称していた。いつの頃から上地という名称に変わったかは不明ということだが、西暦1663年初めて上地与人を置いたことが記録されているので、その頃、田の上部落を合併して上地村を創設し、下地の反対を取って(上地)と改称したのだろうと書かれている。あだ名の「んたがみ」とは、田の上集落と合併し上地の今日まで相変わらず田畑に下り立って泥まみれになり、耕作一点張りの勤勉な上地村民の姿を言ったものだろう。ということだ。確かに上地出身の友人のお父さんは、あだ名そのままに、ぱりすぐと(畑仕事)に一生懸命な人だった。

【与那覇(ゆなぱ)】・・・ゆなぱ あうう”ぁがみ(与那覇油甕)
西暦1365年頃、平良の東川根一帯にあった与那覇原、川根原が仲宗根集落の豪族目黒盛との戦いに敗れて住民は離散したが、残った人たちは、野崎の浜から船に乗って逃げ、与那覇の西浜に上陸。これらの人々が開拓をし邑建てしたのが与那覇の起源だそう。あだ名の「あうう”ぁがみ(油甕)」は、口舌に油脂を塗ったようにおしゃべりで言葉の言い回しが巧妙である与那覇村人の特性を表しているとのこと。また、ゆなぱふつ(与那覇方言)は、柔らかい抑揚があり、滑らかだからという説も聞いたことがある。クイチャーマンさんの方言はまさにそうですね。

【川満(かーんつ)】・・・かーんつ あかいん(川満赤犬)
宮古各地に按司や殿が出て、土地人民を領有し争闘を繰り返していた時代に既に川満付近には諸集落が開けていたという。喜佐真の城、目利間の城、川満原、浦の島、美の島等に関する史実が多いのはこれを物語っている。「かーんつ あかいん」と言うのは、その昔、喜佐真城守護の為、数匹の赤色猛犬を備え、往還の人々を悩ませたというところからきているとの事。以前、あかいんとは、キャンキャン吠えるという意味からと聞いたことがあったが、ぜんぜん違っていてびっくり。あかいんの話は、『下地町の民話』の中にも入っていて、喜佐真按司が平良の仲間按司の妻を無理やり自分の妻にしたことから、怒った仲間按司が、おにぎりに髪を入れ、七匹のあかいんに次々食べさせ、吠えなくさせ、喜佐真按司の家に入り、妻を奪い返したという話も載っている。

【嘉手苅(かでかり)】・・・かでかり かどむちゃ(嘉手苅角もちや)
記録によれば現在の嘉手苅は、西暦1714年戸口過剰の与那覇と宮国から分村。移住させられ創建したのだそう。その後、疫病のため戸口が減少する一方のため、上原に全戸引っ越しを断行したが給水の不便を厭い、移住後4、5年で又元の場所に戻り現在に至っているということだ。「かどむちゃ」というのは、強制移住させられた当時から上原移転、嘉手苅復帰などの幾多の苦難を嘗めさせられる中に自然と理屈っぽくなって何ごとに対しても理屈をつけたがる性格に陥った住民の姿を風刺したものであるという。

以上が5カ所のあだ名である。あだ名は、その集落の人の性質や個性の事を言っているのだと思っていたが、集落の由来や、またその姿などを表しているのもあり、意外な驚きであった。

他の集落のあだ名がなぜないのかは分からないが、この5カ所のあだ名のことは、つとに有名だった。(現在では知る人は少ないかも)いつごろからそう 呼ばれるようになったかは不明だが、相当古いような気がした。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

8月26日〜28日まで すとがつ(旧盆)でしたね。我が家もお供えものを やまかさ(たくさん)して、あの世にいるおじい、おばあを迎えました。迎え日に、かびじん(紙のお金)を間違えて焼いてしまうという失敗(誰も違和感なくやるって、どゆこと?笑。本来は送り日にやります)もありつつ、台風で食糧品が品薄になるのでは?という心配もありましたが、何とか間に合わせることができて、うむやすーうむやす(安心)して終わりました。

8月30日は、毎年恒例、くま・かまオフ会@宮古をざうかにさんがライブをしている「一魚一会」というお店でやりました〜。お盆で帰省していたくま・かまライターのマツカニさん、宮国優子さん、菜の花。それから、大阪に住んでいる宮古出身の読者Yさん。ATALASネットワークで講演などをしている辻先生、D介さん。さどやませいこさん、ひでおさん、ざうかにさん、神童、タイラー、與那覇淳さん、13名が うがなーり(集まり)再会を喜びあいました。一年に一度のオフ会ですが、仲間てぃ まんてぃ ぞうむぬやー(仲間というのは本当にいいものですね)皆さん、ご参加たんでぃがーたんでぃでした。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

ワタリマリとお母さんとの むぬゆん(おしゃべり)タイム。上等やー。「すまゆみ」「ぷかゆみ」という言い方があったとは、すさったん(知りませんでした)。でも、違う集落の人と結婚するのは大変だったという話は聞いたことありますね。時代が変わっても宮国の人たちは、みゃーぐんを大切に思い、誇りに思っている事も伝わってきました。

クイチャーマンさんの かーてぃぎーの話しは、印象深く残っています。読んでからというもの、かーてぃぎーがよく目に入るようになりました。今この時季は、青い実をたくさん付けています。かーてぃぎーについてはその後もいろいろと展開していますよとクイチャーマンさんは話していましたので、今後の話もどうぞお楽しみに!

下地の集落のあだ名については、調べていつか掲載したいとずーっと思っていました。今回記念誌で見つけることができたので、さっそく。昔からのあだ名を知ることは、歴史を知ることでもあるんですね。宮古の他の地域でも、いろいろなあだ名が残っていると思います。よろしければ、ぜひ教えてください。よろしくお願いします。

貴方の感想もぜひお寄せくださいね〜。
掲示板での感想もぜひぜひ!
これまでのも読んでいますよー。たんでぃがーたんでぃ〜。

きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!)

次号は9月17日(木)発行予定です。
お互い、身体には気を付けましょうね〜。あつかー、またやー!

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