こんにちは〜。朝晩涼しくなってきた宮古です。 がんづぅかり うらまずなー(お元気ですか)?
vo.419 お届けです。ぬかーぬか ゆみふぃーさまち〜
“しーしゃがうがう”と娘
Motoca(平良・下里出身)
十五夜といえば、お月見におだんご?それとも、綱引きや ふかぎ(小豆をまぶした餅)?あらん(いえいえ)、ばんたが ぴさら(われらの平良)では、十五夜といえば「しーしゃがうがう」である。十五夜の晩、やらびぬきゃ(こどもたち)が近所の家々を回って獅子舞をする。獅子舞を舞ってもらった家の者は、しーしゃ(獅子)の口にお小遣いを入れてやる。由来は詳しくは知らないが、厄払いの獅子舞と、そのお礼のやりとりのように思える。
今は女の子も参加しているようだが、ばんたがやらびぱだ(私たちが子どもの頃)までは、しーしゃがうがうは男子だけの行事だった。十五夜の晩に楽しそうに近所を回るクラスの男子たちがうらやましく、いつも指をくわえて見ていたものだ。
嫉妬心激しい私と妹に、父が何度か、法事の時のお菓子箱とオードブルのビニール風呂敷で、しーしゃをつくってくれた。その時の ぷからす(嬉しい)気持ちを忘れられず、大人になってからも私はよく、十五夜の前後にお菓子の空き箱で いみっちゃぬ(小さな) しーしゃがうがうを作っていた。しかしさすがにここ数年は娘の相手にてんてこ舞いで、すっかり工作から遠のいていた。
今年の十五夜の日、ティッシュ箱がひとつ空いた。ちょうど赤い箱。これは、しーしゃをつくるしかあるまい。久しぶりに心にボフッと火がついた。定規で箱の上下真ん中に目印をつけてカッターでぐるっと切り込む。一面を残し、そこを真ん中から折れば、パペットのようになる。上にする面は少し工作をして、鼻先も段差ができるようにする。
その様子を、もちろん黙っては見ていないのが、何でもやりたい期の3歳女子である。私の工作に気づくやいなや目をキラキラさせて「やる!」と近寄ってくる。えーと、ちょっと、まちうりよ(お待ちあれ)! 大急ぎで両目と鼻のパーツを描き、裏に両面テープを貼って、はさみで切り抜く。娘には、その目鼻をしーしゃの顔に貼り付けてもらった。さすが3歳児!任せると、まるで正月の福笑いの様相になる。こっち、こっちと誘導してどうにか、しーしゃの みぱな(かお)が整った。あとは、前歯の代わりに白いマスキングテープを貼ったり、たてがみの代わりに白いビニール袋をくくりつけたりと細かい部分を足して、完成!
はい、しーしゃがうがうだよ、と口をカパカパ動かして娘に見せると、にひ〜とあまい(ニヤリと笑い)、さっと持って行ってしまった。自分でしーしゃの口を開けたり閉めたりしながら「しーしゃがーがー!しーしゃがーがー!」と、繰り返している。しーしゃ片手に ばじゃらばじゃら(どたばた)と足も忙しく部屋の中を あす゜きまーりて(歩き回って)いる。おぉ、うむっしぎーさいが(楽しそうじゃないか)。
しばらくすると戻ってきて、机の上にとんと置き、こんどはお菓子やおもちゃをせっせと、しーしゃの口に入れてやっている。なにやら話しかけながら食事のお世話をしているようで、もはやペットである。うぅむ、しーしゃがうがうのなんたるかは、また来年作るときに、ならーす(教える)ことにしよう。
お月見とおだんごだけじゃない十五夜の楽しみ方が、ちょっとでも彼女の視界をひろげてくれるといいなぁ、と密かに思っている。あっ、ちなみに、ちゃんとおだんごも作りましたし、ベランダごしにお月見もしましたよ。しーしゃまい まーつき(しーしゃも いっしょに)!
◇あの話をもう一度
カニ(平良・西里出身)
「ミャークヅツの由来について」vol.109 2005/10/6
ミャ−クヅツは毎年8月下旬から9月にかけての甲午(きのえうま)の日から3日間行われます。午の日に行われるのは、南を意味する午の方角が豊漁豊穣の源である ゆー(富)が送り出される方位だからです。南は、うまのはゆーぬぬすと呼ばれる ゆーをもたらす男神のいる重要な方位なのです。ミャークヅツの主役は男のひとたちになっているのは、豊漁豊穣の神が、ゆーをもたらす「男神」だからとカニは考えています。
1637年に施行された人頭税制で池間島の人の生活は急変しました。これまで食料としていた穀物・生活必需品や海産物を人頭税をして納めなければならなくなったのです。貧しい人々は裕福な人々の夕食後の残り物の「物乞い」をしたり、畑仕事の加勢の代償に「芋」の葉をもらい、茹でておにぎりにし、子カニと食べていました。
こんな話しが池間島には伝えられています。
ある凶作の年の冬、ある家の主人は1本の銛(もり)を持って「アダンニー」と呼ばれる地の畑へと出ていった。この畑の穀物が何者かによって盗まれているところを銛(もり)で捕まえようと思ってのことであった。時間が過ぎて1人の人影が懸命になって畑の作物を刈り取っていた。「こんちくしょう」といい、主人はその盗人をめがけて銛(もり)を背中に放った・・・。銛(もり)は命中した。「あが〜」その声は聞いたことのある声だった。「ばが かなしゃがま〜」(私の愛する娘よ)娘は息途絶えた。狼狽した父親は涙した。
人頭税が生んだ悲しい池間島の物語で、似たようなことが生きるために日々行われていたとのことです。そのような苦しめられた生活苦の中で凶作が7年も続きました。池間島の人々は、子供を身売りしたり、奉公にいかせたりしてなんとかやりくりしていました。
そんな地獄の生活が続いた後、8年間もの豊作に恵まれました。島人は、これまで、身売りや奉公で島を出ていった子供らを呼び寄せることができました。島の人たちの喜びは、想像を絶するほどの喜びだったということです。
こんな生活ができたのは、その当時の池間の主「仲保屋の主」の「徳」のいたすものだと「喜びと感謝」の表現としての あすぅーび(行事)を計画したとのことです。「ミャ−クヅツ」の始まりは、1773年の収穫の終えた秋季を選んだとのことです。ミャ−クヅツはこの世の正月として、人々は豊作を喜び、神に感謝の祭りを捧げます。これがミャ−クヅツの基本であり、ミャ−クヅツは収穫祭でもあります。
「ミャ−クヅツ」ぬ あーぐ
1 みゃーくづっちゃ たーが にだたがよ
(ミヤークヅツは誰が根立てたのか)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
2 なかふぅやぬ いきましゅーが はだんどぅよ
(仲保屋の池間の主の頃に)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
3 うふぅゆぱい てぃだゆぱい しゅーやりばよ
(大世栄え 太陽世栄える 主だから)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
4 るくがつぬ つつんなかん うさみてぃよ
(6月の月中頃には納めて)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
5 ますどぅりゃー がうどりゃー しゅーてぃ うさみてぃよ
(桝で取り 合で取り 集めて納め)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
6 なんかだき やうかだき あすぱでぃよ
(7日も8日も遊ぶよ)
うやき ゆなうりゃがよ(富貴 裕稔れ)
その他、ミャ−クヅツには、多くの(13の)クイチャーあーぐが歌い踊られます。その中には、小走りに走りながら踊る「アニガマヤ−」もありますよ。カニは池間島のクイチャ−は大変好きですね・・・。
(参考図書)
1.「ミャ−クヅツ」 前泊廣実 著 HOST・M企画
2.「沖縄 宇宙」 松居 友 著 洋泉社
3.「池間島の民謡」 前泊徳正 著 HOST・M企画
まんじゅう
松谷初美(下地・高千穂出身)
実家に、まんじゅうぎー(パパイアの木)がある。台風24号、25号が去った後も実が落ちることもなく、なかなかの根性だ。ここ2〜3日で黄色くなってきた。
この まんじゅうぎーは、自然に生えてきたもので今年の7月ごろから実が食べられるようなり、実家と我が家の食卓によくのぼった。この夏の野菜の たかだい(高い)だったこと。もとから宮古では夏に野菜は少ないのにさらに品薄状態。そんな時に大いに活躍したのがまんじゅうだった。
宮古で、まんじゅうは熟して食べるよりも野菜として食べるほうが多い。生の青いものを半分にし、それをまた半分。さいかな(スライサーの一種)でシリシリし、豚肉と人参とこんにゃく、シリシリしたまんじゅうを炒める。少し歯ごたえが残る程度に炒めるのも好きだが、くたっとしたものもまた、んまーんま(美味しいい)。
今年はたくさん生ったので、漬物にも初挑戦した。皮をむき、中の種を出し、一晩水につけてアクをとる。それを薄く刻んで、塩もみし、お好みで砂糖、酢をいれて一晩おけば、翌朝には食べられる。今、もっぱら弁当に入れる漬物はこれだ。
母は、まんじゅうを太目に切り、小豆をいれて煮たものをよく作った。ホクホクした味わいで美味しかった。また、んきゃーんな(昔は)茎も食べていたそうで、石灰であく抜きをして、お祝いごとによく食べたと話していた。
さて、黄色くなってきた、まんじゅうである。果物?として食べるのは、久しいので楽しみだ。まんじゅうを食べやすい大きさに切り、そこにレモン(あれば宮古産のレモンが美味しい!)とはちみつを入れ、冷蔵庫で冷やして食べるのがお気に入り。
まんじゅうには、消化酵素も含まれ栄養価も高いとのこと。食べないのはもったいない。内地で買うと高いので、ぜひ、沖縄や宮古にいらして食べてみてください。
さ、実家のまんじゅうはもうすぐ食べごろだ。台風にも倒れず、実も落ちなかったことに肖(あやか)りて、食べるとしよう。
お知らせ
■第13回宮古島市民総合文化祭
明日10月19日(金)〜21日(日)まで、第13回宮古島市民総合文化祭展示の部他がJTAドーム宮古島で開催されます。今年は、児童生徒の部との共同開催、また、第24回宮古地区中学校総合文化祭も同時開催されます。
華道、盆栽、書道、美術、文芸、民芸、織物、写真、生活文化などの他、児童生徒の自由研究や工作、中文連の各中学校(16校)の学校毎の展示、また、ワークショップのコーナーや飲食コーナー、舞台では、こどもシアターや方言部会。又、クイチャーやエイサー、獅子舞、バイオリンの演奏やフラダンスなど多彩な演目が予定されています。また、同じ期間中、オープンアトリエ宮古島2も開催。20日(土)には、バスによる史跡めぐり、マティダ市民劇場では「音楽祭」が開かれます。
19日の10時からJTAドーム前面広場でオープニングセレモニーが行われますが、セレモニー終了後に花鉢のプレゼントの引換券を先着100名様プレゼント!
これまでにない宮古島市民総合文化祭をぜひ、ご覧ください。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
10月も半ばを過ぎると、暑さもどこへやら。涼しく、時には肌寒くなってきました。そろそろ衣替えを考えなくてはと思っているところです。
10月8日に行われた「第43回関東宮古ふるさとまつり」に行ってきました。宮国優子さんと まーつき(一緒に)司会をしました。だいず、楽しい時間でした。2年前よりも人数は少なかったのですが、大盛り上がりでした。ありがとうございました。菜の花は、宮古島市文化協会の方言大会のDVDの販売もしてくれ助かりました。B.サラさんやふくうさん、ふなそこさん、Sさんにも会いました〜。皆さん、たんでぃがーたんでぃ〜〜。
さて、今回の くま・かまぁ のーしがやたーがらや?
Motocaさんのお嬢さん、シーシャにはまったようですね。さすがMotocaさんのお嬢さんだけありますね。お嬢さんと良い時間を過ごしているのが伝ってほんわか〜としました。来年には、もしかしたら自分で作っているかもしれませんね。
あの話をもう一度は、カニさんのミャークヅツの話をお届けしました。ミャークヅツの由来や内容がよくわかりました。掲載当時に読んでいた時よりも、今だから分かるというのもあり、とても勉強になりました。今年のミャークヅツは、今月下旬から行われるようです。
実家の庭には、特に植えたわけでもないのに、自然とまんじゅうぎーが毎年のように育つ。今年もたくさん実をつけたので、いっぱい味わった。そして、昨日見たら色づき始めている。青くても、熟しても んまーんまのまんじゅう。もうしばらく楽しめそうです。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。
次号は、11月1日(木)発行予定です。
きゅうまい、上等な一日でありますように。
あつかー、またいら〜。