こんにちは。
台風19号による被害の大きさに言葉を失うばかりです。 そちらは大丈夫でしたか?
今回はお二人から台風関連のお話をお届けです。
ぬかーぬか ゆみふぃーさまち(ごゆっくりお読みください)
台風、んにゃじょうぶん(もういらないよ)
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
台風19号は東日本で大きな被害を与えました。長野県では千曲川の氾濫で流域の広い範囲で甚大な被害を被ったようだが、長野市に住む友人は被災しなかったようです。「こんなことは生まれてはじめて」と、台風のすさまじさに驚愕していました。日本列島はどうなってしまったんだろう。
その友人曰く「宮古島は台風に慣れているだろうから」確かにそうですね。住宅はほとんどがコンクリート建てだし。山も川もないから土砂崩れとか川の氾濫もないから。
ばがうむうつか(私が思うに)宮古の住宅の移り変わりは、大きな台風ごとに変わってきたのかな、と思います。特に1966年の第二宮古島台風コラ、その2年後宮古島台風デラの来襲。立て続けに大型台風に襲われた宮古の人々は、これまでのような住宅の建築様式では、んぬっつぁつんむたいん(生命すら保てない)と危機感を持ったに違いありません。
1959年に航空機内から撮影した宮古島の写真が沖縄県公文書館に残されているが、それによると上空から見る宮古島の住宅はほとんどが瓦葺きです。1959年といえば第一宮古島台風サラが記録的な被害をもたらした年です。その後に台風コラ、デラに襲われ住宅はしだいに瓦葺からコンクリート建てに変わっていくのです。
我が家でも台風デラの直後に新築してコンクリートの建物にかわりました。私が父親を誇りに思うことの一つに、人生で二度も住宅を建て替えたことがあります。思うに最初は茅葺から瓦葺に。これは私の記憶にないので台風サラの前なのか後なのかわかりません。んなま うむうつかー(いま思えば)生存中に聞いておけばよかったな、と思います。
私は40代で新築したが、つくってみて思うことはあれをこうすればよかった、の反省点が半端ないのです。あすがどぅ(しかし)、鉄筋コンクリートならぬ借金?コンクリートをもう一度建て替えるなんて、のーしー かんがいりゃーまい(どう考えても)無理な話です。
いま、宮古で台風のときに恐れるのは停電とスーパーで品物がなくなることでしょう。停電だといろいろ不便です。クーラーが使えなくて、むっちゃむっちゃてぃーぬ (ムシムシの)暗い夜を過ごすことに。洗濯もままならない、冷蔵庫に冷凍保存していた食品も無駄になります。スーパーでは台風接近の前に人々が押し寄せて品薄になってしまいます。台風後も貨物船の入港は遅れがちでしばらく島は食糧不足になります。離島苦という言葉がよみがえります。
去る9月5日に宮古を襲った台風13号の最大瞬間風速は61.2メートル。これは私が把握している限り宮古における観測史上5番目に強い台風です。大きい順に1966年の台風コラが最大瞬間風速85.3メートル、1968年のデラが79.8メートル、2003年の台風14号が74.1メートル、1959年のサラが64.8メートルです。
台風は、んにゃじょうぶん(もう、いらないよ)。台風銀座の別称はもういらないよね。
台風19号で被災した東日本の皆さんにお見舞いを申し上げます。そして、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお悔やみ申し上げます。
◇あの話をもう一度
松谷初美(下地・高千穂出身)
「とぅびゃす」vol.399 2017/11/2
知り合いと方言の話をしている中で「ぴずき」という聞いたことのない言葉が出てきた。
それは、松の木の根っこに、松脂が固まった部分のことで、とてもよく燃えるのだという。昔は燃料として使っていたとのこと。「ぴずき」とは「火付け」という意味か?
父親に訊いてみたところ、うちあたりでは「とぅびゃす」と言うとのことだ。「とぅびゃす」?火とはぜんぜん関係のないような言葉だが、どうしてそう言うのか知らないとのこと。
「昔は、うぷに山(大野山林)によく取りに行ったよ。松の木の根に傷がつくと松脂が出てきて根っこに付く。それを切ってきて燃やして、灯りに使ったさ。いざり(漁り)に行く時は、サトウキビを絞ったあとの搾りがらを30センチくらいに切り、数本揃え並べて、その上に「とぅびゃす」を数個置いてその上からまた搾りがら数本乗せ、綱で巻いて松明(たいまつ)のようになるからそれを持って行ったよ。2時間くらいはもったはずよ」とお父。
思い出した!そういえば、宮古方言研究会(通称:新里教室)の新里博先生が、松明(たいまつ)は たいうまつ(束火)と関係があるのではないかと話されていた。「宮古方言に関する小論集」にそのことが詳しく書かれている。(P145〜P149)そして、最後に、「松の古木の切株に松脂が染み込み、べっこう色になったものを・・・とぼし(灯)/トボス/[tobosi]と言っていることにも留意すべきであろう」と書いてある!そっか、伊良部で言う「とぼす」がうちのほうでは「とぅびゃす(灯)」なのだ。納得。
お父は続ける。
「隣のおじいが、いざりの名人で、まいのいん(前の海、川満の海のこと)に付いて行って習ったさ。おじいは、海の中のことをよく知っていて、さーさー(さっさ)と歩いて行くけど、自分は、うとぅるす かいば(怖いから)岩に沿って歩いて、おじいが見えなくなると、おじい、おじいとだんばん(大きな)声で叫んで必死に付いて行った」
「それから、何度も海に行って、自分でも捕れるようになった。あっずぅ(アイゴ)とか つぬがん(カニの種類)を捕ってきたけど、覚えているか?」
「覚えているよー」と私。「朝起きたら、むいぞーき(竹で編んだ丸く浅いかご)の中にたくさんあったよね。あの魚の味とカニの味は、ばっしらいんさー(忘れられないさー)」
「とぅびゃすで思い出したけど」とお父。「ウギャスギー(モクタチバナ)の枝を乾燥させたら、よく燃えて、火持ちがいいよ。夜は熾火にして土をかぶせておいて翌朝、また使ったさ」
「とぅびゃす」や「ウギャスギー」を燃やしていたのも、昭和5年生まれの父が若い頃の話だ。私が子どもの頃には、ランプや電気を使うようになっていたから、松明を自分で作っていたとは、まったく すっさったん(知らなかった)。
んきゃーん(昔)の人たちは、島にあるものをフルに活用して生活してきた。その知恵と工夫たるや本当にすごいなーと思う。そして、言葉には語源があり意味があるんだなぁとしみじみ。
松の葉に包む心
根間(幸地)郁乃(平良・久貝出身)
この夏、東京に行ったときのこと。
初めて会った方に「宮古島から来ました」と自己紹介すると、ふたきな(即座に)「ああ、いまバブルで有名な!」と返されてしまった。ちょっと面食らった。
確かに、最近の宮古は、これまでとはだいぶ変わった形で報道されている。手つかずの自然が残る人情の島といったイメージから、リゾート開発で急激に変貌を遂げる島。そして軍事化に揺れる島として・・・。なんだかとても複雑なのである。好況に沸くといわれる宮古島暮らしの若者をテレビが取り上げたりしているが、実際のところ、だいたいの島の人たちはそんな空気とは無縁に地道に暮らしている。
東京から帰ってすぐに台風15号が本州に上陸し、千葉の房総半島を中心に だいばん(大きな)爪痕を残した。停電復旧に長い時間がかかり、損壊した家屋で不便な暮らしをやむなくされている人たちがいる。ニュースなどで見て胸が痛んでいたとき、知人からある話を聞いた。
その方の千葉在住のお友達が最近宮古島出身の男性と入籍した。台風対策のため必要なものを買い出しに行くと、夫がかなりの量を買い込むので不思議に感じたずねたところ、ご近所の高齢世帯の飲料水や日用品も買っていたのだという。台風前の対策をしているときにご近所さんと会い、そのご家庭の暴風対策をしながら御用聞きをして、配って回ったのだそうだ。「うちの地元(宮古)では普通のことだけど、やりすぎなのかな?」と気にしていたそうだが、ご近所さんにとても感謝された。奥さんのほうも「こんな素敵な旦那を育ててくれた沖縄ありがとう」と惚れ直したという。
話によれば、その方のお年頃は三十代半ばくらいだろうか。だとすると、十代頃に、あの台風14号(マエミー)に遭った世代だ。もの凄い被害を受けながらも懸命に復旧作業にあたり、支え合う大人達の姿を見ていたのだろう。私にこの話を教えてくれた知人は「地域が育んだ優しさは住む場所が変わっても生きるんだなと嬉しくなりました」とメッセージをくれた。
宮古には「ぴとぅぬ くくる を まつぬぱーんどぅ つつまりぃ(人の心は松の葉に包まれる)」という先人の教えがある。佐渡山正吉先生の著書『沖縄・宮古のことわざ』によれば、人は昔からさまざまな人情の交流のなかで暮らしてきており、身も心もつかれはてたときに、例えば針のように細い松の葉で包むようなささやかな気持ちであっても、心にしみるほどありがたいものだ―という。
派手できらびやかだけれども、ぷか(外)からやってきた泡(バブル)は、いつか消えてしまう。けれど、吹けば飛ぶような松の葉に包まれた人の情けというものは心から消えずに、誰かの人生をずっと励まし続ける。宮古もバブルの島ではなく、人情の島であってほしい。
観測史上まれにみる大型台風となった令和元年第19号。その接近中に、沖縄の人たちは、インターネットを通して、かつて台風銀座と呼ばれた地元での教訓や災害時の生きる知恵を伝えようと様々な書き込みを行っていた。それを見て、ここにも松の葉に包まれるような人々のさりげない優しさがあるなあと、き゜む(心)が ぬふーぬふに(温かく)なった。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
台風15号で甚大な被害があったばかりだというのに、19号による広範囲に渡っての想像を超える被害。のーてぃまいあっざいん(言葉にならないです)被害に遭われた皆さんにお見舞い申しあげます。そして、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
第14回宮古島市民総合文化祭を今月25日(金)〜27日(日)までJTAドーム宮古島で開催します。児童・生徒の部、一般の部、中学校総合文化祭(展示)の部と まーつき(一緒に)開催します。作品展示の他ワークショップや飲食コーナー、ステージもあります。1日いても、3日間通っても飽きない文化祭です。どうぞ、まるごと体感してください。島外にお住いの方で、この期間宮古にいらっしゃる方は、ぜひ、文化祭ものぞいてみてください。会場は空港のすぐ つかふがま(近くです)。まちうんどー(お待ちしています)
前号でもお知らせしましたが、くま・かまの発行元である、melma!が、来年1月でサービスを終了するそうです。くま・かまは、今後どのようにしていくか、あれやこれや思案中です。決まり次第、お知らせしますね。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
淳さんから、早速台風お見舞いのお話が届きました。ニュースに心を痛めているのが伝わってきます。台風銀座と呼ばれた宮古。人ごとではないんですよね。まーんてぃ んにゃ(本当にもう)台風や じょうぶん。
あの話をもう一度は、「とぅびゃす」についてでした。日々の生活の中で忘れ去られていく、使われなくなっていく みゃーくふつ。その言葉の背景にあるものも残していけたらと。
郁乃さんの「松の葉に包む心」の話、ジーンときました。ことわざにある、人の気持ちの話と今回の台風での宮古の人の動き。そして、今の宮古の現状と郁乃さんの想い。共感した方、多いと思います。「バブルの島ではなく、人情の島であってほしい」のことば、まさにと思いました。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待っていますよ〜)
投稿もお気軽にお寄せください。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー。
(今回も最後までお読みくださりありがとうございました)
次号は、三週間後の11月7日(木)の発行予定です。
うぬとぅきゃがみ がんずうやしー うらあちよー(その時までお元気で)
あつかー、またいら〜。