こんにちは〜。
11月になりましたねー。3週間ぶりのご無沙汰です。 ぱだーぱだ うらまずたーなー(お元気でしたか)?
vol.444お届けです。お楽しみくださいね〜。
宮古島二泊三日の んびゃーいん(耐えられない)旅!
宮国優子(平良・下里出身)
お久しぶりです。宮国です。先月、宮古島に二泊三日で行ってきました!まるで、夏日だったので、松谷さんの半袖の宮古上布ワンピースがぴったりの季節でした。あー楽しかった!
前提として、いつも、日々、バタバタ暮らしています。一向に暇にならないのは貧乏暇なしだからだと思います。フリーランスなので、時間は自由になるけれど、それだけ成果や仕事の質に敏感になってしまうということもあります。ある意味、東京にいるときは、始終緊張してるのかもしれません。
そういうときに、宮古島に行くと、弛緩します。気候のせいもあるとは思うのですが、多分、一番は子どもにもどっているというか、宮古の景色がどんどん変わろうとも、人や心根があまり変わらないと感じる物事に遭遇するからでしょう。
宮古で出会ったそんなあれこれ、を今日は書きたいと思います。
下地島空港に迎えに来てくれたのはTさん。同伴のMさんの やーでぃ(家族)のような人だ。あまりにも元気そうなので、うらやましいと思いながら島をめぐる。その日は、Tさんの手作りの家で、もちろんTさん手作りの夕食会となった。宮古版トムソーヤかもしれない。
Tさんは「生活は楽じゃないけど、なんとかなってるさ」と笑っていた。それは多分Tさんの人徳によるものだと思う。
島に着くと、wifi乞食の私は、いつも常駐しているカフェRadixがある。今回も席に座る前にUSに会った。東京出身にもかかわらず、すっかり島の母ちゃんになっていた。私と ゆぬぐー(同じ)で行ったり来たりしているので、違う角度から宮古を語るので、楽しく、興味深い。入れ替わりで移住してきたMさんが入ってきた。教育や宮古島の将来について話す。宮古の保護者には、きっと話が伝わらないことも多いだろうな、と思う。島は急激に都会になっているからだ。島の普遍的な教育の価値というものが、島の智慧、文化、心根に根ざしているというのは私たちの共通理解だ。
さて、街なかにあるカフェRadixなのだが、私は長時間仕事をしていて思うのだけど、Radixはカフェのようでカフェではない。情報が交流、集積していく。そこには、オーナー夫妻の「宮古的な場作り」が成功してるとも言える。こういう民間の文化の場は、私たちが子どもの頃から多かったように思う。私は、毎度仕事を持って帰ってきているので、実家より長くいるかも、笑。
この島旅のあいだ、宮古に里帰り在住しているM下さんが運転を買って出てくれた。お願いしていないにもかかわらず、Radixにあらわれてくれた。そこで、同級生のYと宮古島ブランドの話をしながら、来年のプランをたて、ニヤニヤしていました。
その後、Radixから、宮古島市の文化祭に行ってきた。真ん中でワークショップが行われていたり、ボードに自由に絵を描いてもらうような試みがされていた。同級生がいて、彼女と多分初めて出会う子どもたちやおじいちゃんたちが楽しそうにおしゃべりしながら描いてことは、あぁ、島らしい幸せのかたちだなぁ、と思った。
同級生が「優子にずっと渡そうと思って渡せなかったさー」と言って素敵な絵をくれた。これはFBを通して、私が彼女の才能を大絶賛したので、描いてくれたもの。東京に帰っても、仕事場にいつも見える場所に飾ってある。
池間島のミャークヅツにもカレンダーを買いに行った。ここでもいろいろ思うことがあった。池間島のカレンダーを買うことで、池間のこどもに奨学金が出る仕組みになっている。中心になっている前泊さんともお会いできてよかった。島対応は温かいし、周りの人のにこやかさも感動的だった。私は小さなふ頭に腰掛け、遠くから眺めた。神歌を聴きながら、かなりノスタルジーな時間だった。池間のひとじゃないのに。
その後、宮古島市の未来創造センターを訪ねました。今回の島嶼学会の会長が偶然にも私がいつもお世話になっている、沖縄文化研究所の所長の中俣先生だったからです。中俣先生とMさんに、この場所が宮古病院の跡であることを話した。島の人たちは、総意として、命の次に智慧、次世代への教育を選んだのかもしれない、と私は思っている。施設は賛否両論みたいだが、私が宮古にいたらきっと毎日通う。
その後、リトケイさんと中俣先生、Mさんらとご飯からディープな夜飲みへと向かい、家にたどり着いたのもつかの間、目が覚めたら、飛行機の40分前だった・・・・。母の友人に送ってもらい、なんとか間に合った。
そして、まさかの飛行機の中で、多摩美のゼミ生を連れた金子遊さんに出会い、成田から東京まで熱く語りながら帰ったという・・・あまりにも濃すぎの旅でした・・・。んびゃーいん(耐えられない)!
◇あの話をもう一度
マツカニ(上野・高田出身)
「漲水ぬクイチャー どぅかってぃ解説」vol.37 2002/10/3
<張水のクイチャー>
- ぱるみずぬ ふなつき゜ぬ すなんなぐぬよ(ヤイヤヌ)(ヨーイマーヌユ)すなんなぐぬよ(ニノヨイサッサイ)
- あわんななり くみんななり ぬぅゆりくうばよ あがりくうばよ
- すまんーなぬ みすばらぬ すぅざがまたやよ すぅざがまたやよ
- ぴらとぅらだ かにやうさだ ゆからでぃだらよ らくすぅでぃだらよ
- うがんぐす ふじならびす゜ ぶりなんがまぬよ しるなんがまぬよ
- いとぅんななり かしんななり ぬうゆりくぅばよ あがりくうばよ
- ぶやんまだ かしやかきだ ゆからでぃだらよ らくすぅでぃだらよ
<解説>
宮古には、明治の初めまで260年もの間、人頭税という頭割りの重い税が課せられていました。収めていたのは、粟や米、宮古上布だったようです。しかしそれをきちんと収めるのは、並大抵のことではなかったでしょう。
歌の内容は、漲水の船着場の砂が粟になり米になって上がってくれれば、島中のお兄さん達は農作業しないで楽に暮らせるだろうに。大神島の後方の絶え間なく寄せる白い波が糸になり、カセに掛けられた糸となって上がってくれば島中のお姉さん達は、糸を紡ぐことなく、カセを掛けることもなく楽できていいのに。
のおしい?(どうです?)遊び心満点でしょう?過酷な人頭税に苦しんだ中で生まれたといわれるクイチャーは、老若男女が日ごろの重労働を忘れ、揃って唄い踊り、心の底から楽しんだ歌です。今から百年前、人頭税の廃止の時は、島中で盛大に祝い歌い踊ったそうです。現在も各地特有のクイチャーは、盛んに歌い踊られています。それじゃーまた ニノヨイサッサイ。
おしらせ
今年もクイチャーフェスティバルの季節がやってきました。ぜひ、おでかけください!
■第18回クイチャーフェスティバル
日 時 | 2019年11月9日(土)開場:17時 開演:17時30分 |
会 場 | JTAドーム宮古島 |
入場料 | ベンチ席 1,500円(飲食可)芝生席 1,000円(飲食不可) |
プレイガイド | TSUTAYA宮古島店 |
出演団体 | 多良間文化協会、漲水クイチャー保存会、比嘉民俗芸能保存会、宮国民俗芸能保存会、 夢ステージ、宮古高校軽音楽部、新羅withぶどぅれサンガ、んきゃーんじゅく 【みるく世ぬクイチャー踊り隊】 福嶺小学校、伊良部こども園、いけむら保育園、西城保育園 【賛助出演】あしび芸能座、前里博美琉舞練場 【ゲスト】下地 暁 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
首里城火災のニュースには、本当にびっくりでした。テレビ画面に映っているのが現実なのか、何なのか、茫然としてしまいました。くま・かまの掲示板にも書き込みが寄せられました。収蔵品の運び出しのニュースがありましたが、無事であることを願うばかりです。
10月25日〜27日まで開催した第14回宮古島市民総合文化祭(展示の部他)は、おかげ様で今年も大盛況でした。ご来場くださった皆さんたんでぃがーたんでぃ〜〜。宮国優子さんも(書かれているように)文化祭に来てくれました。クイチャーマンさんも下地フェスティバルに合わせて来島され、文化祭にも来てくれました。まーんてぃ ぷからすぬむ(本当にうれしいことです)。すでぃがふー(ありがとうございます)。文化祭の準備、開催、片付けと怒涛の日々でしたが、やっとがま落ち着いてきました。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
優子さんの旅は、今回も濃密で怒涛の日々だったことが伝わってきましたね〜。それにしても、こんなにも人と繋がる優子さんの凄さよ。文化祭で久しぶりに会った時は、思わずハグしてしまいました。(笑)
あの話をもう一度は、9日(土)に開催される、クイチャーフェスティバルにちなみ、マツカニさんの「漲水ぬクイチャー」をお届けしました。今回、保存会の皆さんが出演しますね。そして、なんとマツカニさんは、演奏をするそうですよ〜。これまた楽しみですね!
城辺地区の「史跡巡り」、だいず楽しかったです。機会がありましたらぜひ、参加してみてくださいね。
クイチャーフェスティバルは、もう今年で18回を数えるんですね〜。素晴らしいですね。実行委員会も若い世代へ継承され、しっかりと繋がれていっていますね。ずぅずぅ みーが いか(さぁさぁ 見に行きましょう)
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待っていますよ〜)
投稿もお気軽にお寄せください。
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー。
(今回も最後までお読みくださりありがとうございました)
次号は、11月14日(木)の発行予定です。
今日も、良い一日でありますように!
あつかー、またいら〜。