みなさん、のーしーりゃー?(いかがお過ごしですか)明日はもう夏至。昼間が一番長くなる頃ですねー。宮古はそろそろ梅雨明けでしょうか。
くまから・かまからもおかげさまで vol.30 となりました。たんでぃがーたんでぃ。きょうも最後までおつきあいください。
『「のひなひろし物語」ー飽くまでワタシ的見聞ー』
JANG?JANG?Nanaeさん
復帰直前、琉大生を中心とした「沖縄フォーク村」という音楽集団が結成された。今から30年以上も んきゃーんのぱなす(昔の話)である。
琉球政府立琉球大学美術工芸科に見事一発現役合格した、のひなひろし少年18歳。期待に胸膨らませつつ(たぶん)大都会(?)那覇へと一人旅立ったのでありました。
しかし、学友たちの言葉は全くわからん。だいず!!(大変)人気のない淋しい守礼門の下に、高校時代に覚えたギターを爪弾く孤独な少年がひとり・・。琉大に孤独な少年が多かったのか、単なる世の中の流れか?そして「沖縄フォーク村」結成。まもなく本土復帰。復帰前に3ドルだった下宿代が何故か3000円に跳ね上がったとか。大家のおじいが1ドル=1000円と思い込んでいたらしい。混迷の時代じゃー!
内地では、岡林信康、五つの赤い風船などが活躍した第一次フォーク期が終わろうとしていた頃、佐渡山豊、北炭生、真夜中しんや、のひなひろしが参加する「沖縄フォーク村」もエリックレコードから全国デビューをする。我ら宮古の、のひなひろしのデビューである。(ちなみにデビュー曲は「守礼門」)
復帰一年後には、日比谷野外音楽堂で「あれから一年沖縄フォーク大集会」が満杯の観客の中開催された。ちなみにその楽屋で私は、のひなひろしと初めて顔を会わせました。私、中学生。キャー、歳がバレるー!その頃はサマーキャンプなども盛んに行われたが、しばらくして「沖縄フォーク村」も消えてしまう。
その後、沖縄では「イエローサブマリン」という事務所が設立され、のひなひろし、仲井真淳、名城公子のオムニバスLP「うりずんの島」が発売される。沖縄ではもちろん、宮古でも大ヒット。当時音楽好きの中・高生は全員が持っていたといっても過言ではないのでは。1978年3月に旧平良市民会館で行われたジョイントコンサートの観客数!東京からきた私としては、本当にビックラこきました。
のひなひろしはその後、キングレコードから「うりずんの島(B面:季節はずれ)」で全国デビューをしたものの、結局は本来の希望の美術・デザイン方面を本職に、音楽はライフワークという道を選び、二足の草鞋をはきながら、那覇のライブハウス等で歌い続けること二十ン年。そして40歳を境に、♪僕もいつか帰る ふるさとは宮古♪「さしば飛んだか」♪私もいつかきっと帰るだろう ふるさとのあの島へ♪「芭蕉布の詩」としつくこく歌い続けた気持ちを実現し、宮古島へと戻ったのでありました。
『宮古のことわざ』
〔 夏至ん 雷ぬ多さ 鳴ちかぁ 風ぁ吹かん 〕
カアツン カントゥユム ウプサ
ナイスチカァ カザァフカン
夏至、6月下旬頃、雷が多く鳴るとその年は台風が少ないといわれた。これは長い営みの中から生まれた言い伝え。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
『 雨 』
松谷初美
6月には、やはり雨がよく似合う。何故か、他の月に雨が降ると損をしたような気分になるが、6月の雨は「しょ
うがないか梅雨だから」と許せてしまう。ぴんなむぬ。(変なものだ)
すとぅむてぃ(朝)から降る雨を見ていたら、やらび(子ども)の頃をうむいだしにゃーん。(思い出してしまった)
私が子どもの頃には、今より雨がたくさん降っていたような気がする。なんだか、いろいろなところで水の貯まる音がよく聞えていた。
その頃には、すでに水道は引かれていたけれど、雨水はいろいろな方法で貯められていた。ウチにはコンクリートで作られたタンクがあって、お湯を沸かすのはいつもそこの水だった。
タツ(家畜小屋)の屋上にも雨水が貯まるように、周りを囲んであった。屋上に行くのに階段はなく、自分で梯子をかけて上るかまたは、タンクによじ登り、そこからタツの屋上に渡る。まだ小さい頃は、足をコンクリートですりむきながら、必死に登った。水がひざくらいまである屋上で水浴びをしながら「げんごろう」を追い掛け回して遊んだものだった。
またこの季節は、んーな(かたつむり)の時期でもある。んーなは、かわいいね。というぱなす(話)ぁあらんどー(ではないよ)んーなは、豚のエサになるのだった。学校から帰ると、煮た鍋いっぱいのんーなが置いてあって、殻から身を取り出すのが私の仕事だった。古くなった箸の先を尖らせて、身をぐーっと差込み取り出す。そうそう、サザエを食べるときみたーいね。結構時間のかかる作業だった。今はもうそんなことをすることもないはずねー。
今宮古の実家では、ステンレスの丸いタンクが置いてある。今年の梅雨は、ステンレスの中を満たしただろうか。
『ミャークフツ方言講座 悪口編』
アモイ
- やかざまーりゃ =??鉄砲玉みたいな人
- うふたら =??甘えん坊
- ゆーさだりゃ =??根気のない人
- くなしゃ =??めそめそする人?
- ばかすきぬまり = 変な人
- しちぶ =??足りない人
- ぬっちがー = のろま
- がぎす = けち
- うぷだらか = 大うそつき
- んまつまー = 無鉄砲な人
- ふすぅぐどぅん =??糞愚鈍
- ぬーまざき = 酒癖の悪い人
- ぴゃーすぱい = おだてに乗る人
- さきふぁいや = 酒飲み
- やなざいんまり = ずるがしこい人
- あすぷぶりゃ = 遊び人
- みーちゃぎんまり = みっともない人
- うぷまーんちゅ= かっこまん
- あやすきんまり = 怖い人
- だすぶに = いつも疲れたような人
- どぅーかってぃんまり = 自分勝手な人
- っしゃなぎぴぅすとぅ?=?汚い人
- ぷりっざぎんまり = 阿呆みたいな人?
- すぷたりゃ = 汗でよれよれの格好の人
(例)
父は「ちょっと隣にいってくるから」とでていったきり夕方まで戻ってこなかった。そんな時、母は必ずこう言う。
「あがい ばんたがお父や のーしぬ やかざまーりゃ がらやー」
(まったくうちのお父は、なんて鉄砲玉みたいな人なんだー)
『編集後記』
松谷初美
最後まで読んでくださって、たんでぃがーたんでぃ!私の場合「ふすぐどぅん」で「しちぶ」で「ゆーさだりゃ」で、ごめんなさい。他にもいっぱいあるけど、かんべんして!
Nanaeさん、「のひなひろし物語」ありがとうございました。まさに私の高校時代ですよ。市民会館も行ったし、家も見に行ったしよー。宮古の人でこんなすごい歌を歌う人がいるんだと感激しておりました。日比谷音楽堂の「あれから一年沖縄フォーク大全集」のことは、初めて知りました。盛り上がりようが分かりますね。
さて、のひなひろしさんは、宮古でNanaeさんが経営する「JANG?JANG」というライブハウスで歌っています。この夏には、初のソロCD「もうひとつのうりずんの島」が発売される予定との事。また、郵政省から発売された『復帰30年記念ハガキ』にのひなひろしさんの描いた「東平安名崎」「ドイツ村」が採用されたということです。
これからもますますのご活躍を期待していますね!
問い合わせ先 :「JANG?JANG」09807?3-8668
次回は、7月4日の予定です。では、また次回。