残暑お見舞い申しあげます。旧盆ももうすぐですね。お盆の準備なのでいそがす(忙しい)毎日でしょうかねー。きゅうや、お盆の頃のぱなす(話)からどー。
「ばっしらいん(忘れらない)餅の味」
アモイ
高校生のころ親父にバイクを買ってもらった。通学、遊びと何処へ行くにもバイクは離せなくなっていた。30年前の宮古島といえばアスファルト舗装の道は大きなメーンの通りくらいで、枝道は殆どと言っていいほど舗装されていなかった。そんな宮古島の道路を親友を乗せて、いすんかいあがすんかい(西へ東へ)走り回ったものだった。そしてよく転倒したのだったがその中でも次の3つは鮮明に覚えている。
転倒その1
バイク購入直後、上野方面へ遊びにいったかえりにナウサンツ(砂利道?)にハンドルを取られ転倒、2人ともすり傷程度でたいした事はなかった。後ろに乗っていた友人曰く、「たやーいだし運転っすぅら」(力を入れて運転してよ)
転倒その2
学校の帰り、途中から雨が激しく降ってきた、さーてぃやーんかいてぃ、うすんーてぃがまーしースピードいだし、(はやく家に着こうと屈みながらスピードをあげた)鏡原のバス停近くの下り坂にさしかかった。すると、いきなり目の前にバスがいた、そう思えた。バスは停留所から走り出し加速途中でスピードは出ていなかった。おっとあぶないとブレーキを踏むとバイクはスリップして転倒、後ろの親友と私はバイクを飛び越えるようにバスの右側からバスを追い抜きながら、まるでスケートリンクに転倒した選手のように座ったまま50メートル位すべってバスの前の道端の草の上でとまった。バスの運転手もびっくりしてバスを止めた、2人とも幸い怪我一つなかった。あすがど、バスぬなかぬぴすとんみーらいぱずかすかーたー(だけど、バスの中の人達みんなに見られて恥かしかった)友人いわく、「あば ばんたー運ぬどぅあーやー」(俺たちは運がいいな)
転倒その3
この時はあつーい夏の日だった。何かの後の帰りだった、ふたーすがみ、んにゃてぃーっすきゃーだり、やーすーやーすうーたー(2人ともとても疲れ気味で腹もすいていた)そんな時走っていた道路がまたでこぼこで凹凸が激しかった。私のハンドルを持つ手に力がはいらない、案の定、ハンドルを取られて、草むらの方へ転倒してしまった。スピードは出していなかったので2人とも怪我はなく、そのまま草むらで寝てしまいたいような気分だったが。するとなんと目の前においしそうな食べ物がおいてあるではないか、「あば、んまくぎふぉーむぬぬどぅありゅーやー」(お、おいしそううな食べ物があるな)と言って2人で顔を見合わせバイクを起こすのも忘れてむしゃぶり食った。それは、お盆の送り火の後に外に出すお供え物だったのだ。ゆにくぬたばすたばすてぃぬむつぬうかーす、んまむぬやーたー(きな粉をまぶした餅がほんとにおいしかった)友人曰く、いいばーどぅかいーりゅーきすやー(良かったな転倒して)
もうすぐ旧盆(8/21?23)がきます。今時は送り火の後にお供え物を外に出しても拾って食べる人がいるか分らないが、あの時の餅の味は今でも忘れる事ができない。
「宮古のことわざ」
〔 脱 殻 忘 し 蝉 〕
スディグルバッシガァス
蝉(せみ)は、脱皮して生まれ変わるがその脱(ぬ)け殻(がら)のことを知らない。人間も意外と受けた恩を忘れている場合がある。こうした恩知らずをいましめる言葉だ。
『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より
「ミャークフツ講座 汚い(?)編」
松谷初美
- ふす(糞)
用法:「ふすーふぁい」(直訳:糞を食べろ)
あかんべーのように相手にやりかえす時に使う。 - ぴー(おなら)
用法:「ぴーふさり」(おならくさい) - ぱんだる(鼻水)
用法:「ぱんだるゆ かみ」(鼻をかめ)
昔、母は子どものぱんだるを口で吸ってきれいにしてあげていた。 - ゆすぱず(おしっこ)
用法:「ゆすぱず しーくー」
(おしっこしておいで) - さみ(鮫肌)
用法:「さみがーふなた」(鮫肌(皮)の蛙)
どんな時に使うんだと言われても困るんだけど・・。 - ふふぁい(肥料)
用法:「ふふぁいゆ ぽーり」(肥料を放れ)
もちろん、ぱり(畑)に。
「半径50メートルの夏休み」
宮国優子
東京の小学生はだいっず(とっても)忙しいと思う。塾やお稽古事、レジャー、旅行、話を聞いているだけでそのハードスケジュールよ?、聞いている方がダリる(疲れる)。それは自分のダルー(怠けた)な宮古の夏休みの想い出がベースになっているので、比較するのは失礼だはずだけど。
私の夏休みは、虫取りをして、昼寝して、海で泳いで、釣りをして、昼寝して、たまに塾に行って、昼寝して、恐ろしいことに子供同士で焚き火とかして。ああ、どぅぐりーだけど(情けないかな)おおかた友達と遊んだ事としか思い出せない。親は忙しかったので、私たち三兄弟は近くのふっふぁ(子供)と一緒にニホンザルの群れのように林を駆けめぐっていた。文章にすると自然とたわむれる子ども達のようで美しいが、実際は、ねえ・・・(ため息がでるほど)汗ドロドロ雑菌だらけの真っ黒のおぞましい野人たちでした。いわゆる宮古ふつでいうフッフシャだったのですね。
ある台風一過の翌日、いつも遊んでいる林の一部がちょっとした沼になっていた。広さは20メートル四方くらいで深さは1メートルほどだったと思う。茶色い沼の出現に「プールさいが!」と私たちは狂喜乱舞した。近くから木材を運んでイカダらしきものを作り、日が暮れるまで沼に飛び込んで遊んだ。今思えば半分くらいが泥で、大人なら眉をひそめるであろうほど不衛生極まりなかった。でも子ども達はみんな真剣にバカンス気分、トムソーヤ気分だったのだ。まず自分たちで遊びを作らないと遊ぶものがないという環境だったからだ。
振り返ってみると、それはとても贅沢かもしれないと思う。自然と時間と遊び仲間はイヤというほど手元にあった。いや、それしか無かった。でもだいたい毎日原始人のように楽しかったし、私にとってマテリアルな(物質的な)満足は大人になってからでも全然遅くなかった。
「子供時代を過ごすなら、昔か?今か?」ときかれたら、考え抜いても、一巡しても、何故か汗ふさりた(汗にまみれた)方を選んでしまう気がしている。格好良くないし、ひんすーっぽいし(貧乏くさいし)、半径50メートルの夏休みだったけれど。それにあのくらいの汚さ(不衛生さ)なら今でも戻れる自信がある!というか、今はなんだか戻りたいゆー・・・。
「えー、宮古で一席」(投稿)
あったぼうさんより
えー、みやーくふつの話題で、しばらくおつきあいの程を願っておきますが、あたくしは、宮古を離れて、もう40年になるんですがな、それでもちゃんとその、ちゅうぜつおん(中舌音)てんですか、かなま゜(頭)、うとうが゜(あご)、ぱき゜(足)と、字で書けない宮古の音が、発音できる。不思議なもんですな。朝から晩まで、親からみゃーくふつを浴びせられてあいじゃよーあいじゃ、と育った脳の中にちゃんと、場所がとってあるんですな“宮古の座”とでもいうような。
そんなわけで、普通語を覚えるのは、小学校に上がる頃で、「あんなー、靴をふみたい(はきたい)から早く買ってくれろ」、「あがい、うんこをまりたい(したい)」、「しえんせいが、あびりて(呼んで)いるよ」こんな段階をへながら、ふつう語に慣れていったものです。あたくしの言語歴(?)はてえますと、北小から平良中に行って、3年のとき那覇に転校、ここで最初のカルチャーショックを受けたんですな、なにしろみんながしゃべっていることが分からない、「りとー(離島)」、(まーくんちゅ(宮古人)」、「ぬーわからんぬー(何も知らん奴)」さんざん罵倒されてそれでも、1年たたないうちに、一緒にしゃべれるようになっていた。だから、言葉なんてえのは、“浴びる”に限りますよ。んなわけで、高校まで那覇にいて、それから東京に来てそのまま居ついてしまった、とこういうわけです。
で、東京てえのはこれは、いなかもんの吹き溜まりだからして、「お国はどちらで?」と問えば、くまからかまからの答えが返ってくる。人口5万の宮古でさえ、ちょいと離れると、ことばが違うのだから一体全体、方言というのはいくつくらいあるのか、なんてなことは本当は、誰もわかってないんでしょうな、なにしろ脳の中のことだから、のーまいしらいん(どうしようもない)
※あったぼうさん、あてぃどぅ うむっし!(すごく面白い!)みゃーくふつ落語家誕生か!?投稿、たんでぃがーたんでぃ。
「編集後記」
松谷初美
子どもの頃のお盆の楽しみは、のーしーあいじゃーまい(何といっても)送り日にお供えのものが食べられることでしょう。宮古の仏壇には所狭しとお供え物が飾ってあるからね。さとうきび、すいか、アダンの実、バンチキローりんご、なし、ぶどう、まずごーすなどなど。それらがご先祖さまを見送った後に食べられるのだから、夜遅くて眠くても、わいーっとなー起きておったさ。今の子ども達はもう、ふぁいふくりて(食べ物に不自由がなくて)いるからさじぇんじぇん食べようとしないってよ。幸せなのか不幸なのか、分からんねー。
決して豊かじゃなかった子ども時代、でもお金では買えないものがたくさんあったねー。私も戻りたいゆー。あの頃の夏休み。
皆さんからのご意見、ご感想、投稿、くびゃーながーながしー(首を長くして)お待ちしています。
次回は、9月5日の予定です。あつかー、また。