9月になりましたねぇ。夏の疲れがそろそろ出てくるころですが、みなさん、かーりゃ にゃーだな うらまずびゃー(お変わりありませんかー?)くま・かま vol.59お送りします。
みゃーく んなまずぶん(いまごろ)
さどやませいこ
暑かった八月も通りすぎ、ようやく日差しも和らいできました、と書きたいところですが、ンニィダ(まだまだ)涼しくなってくれません。心から「スダースサー」(涼しいー)と言える日が待ち遠しいです。でも自然は微妙です。立秋を迎えたその日から日差しの色が違うんです。赤から橙に変わりました。(マーンティーベーヤー)(ほんとうかなー)
今年はどうやら豊年のようです。先日の台風11号、12号の影響で適度な降雨もあり、心配された干ばつも解消されました。おばあたちに言わせると「ミャークは神の島だから」ということになります。太平洋戦争の沖縄戦は、本島の地上戦を前に宮古に上陸する可能性が大きかったようです。昭和20年6月半ば頃、宮国の南の沖に十数隻の米船団が宮古を目掛けて艦砲射撃を始めた。ところが、島の日本兵は応戦することなくじっと時期を待った。おじいたちの証言によると、真昼間、約2時間にわたり射撃されたが、諦めて引き返したという。おばあたちは言う。「ミャークは神の島だから、神がしっかり守ったさー」と。
先祖が粟や麦、芋を作っていたころ9・10月は農作業を一休みして収穫の喜びをみんなで分かち合った。ジュウグヤ(十五夜)もそうだった。子供の頃フカギを食べたり、大人に混じって綱引きをしたりしたことが懐かしい。隣近所の子供たちが集まってミニ演芸会を催していた記憶も微かに甦る。久松では今でもジュウグヤの晩、子供獅子舞が部落中を練り歩く。
これから島は各地で様々な祭りが行われ、一段と賑やかになる。
うや っふぁ(父娘)
菜の花
病院という所は ぴるます(不思議な)空間である。患者の数だけストーリーがあり、それは愛や哀しみで繋がりながらドラマのように展開されていくのだ。ケアをする私も、時として患者やきない(家族)の哀しみの同一線上に並ぶことがある。患者の最後の いつ(呼吸)を、最後の鼓動を確認する瞬間、私は白衣の医療者からただの たうきぃ(一人)の ぴとぅ(人間)になり、きない(家族)と共に「その死」を見つめる。
準夜勤も終わりに近づいた頃、ばはみどぅん(若い娘)が うや(父親)のつがい(着替え)を届けにナースステーションを訪れたことがある。預かった紙袋には「仕事で遅くなってごめんなさい。お父さん、早く良くなってね」とのメモが貼ってあった。うや(父)の ぬつ(余命)がどれ程もないことを知る娘の心情を思うと つむ(胸)が熱くなった。
その日彼は「娘が来るから・・・」と どぅ(体)を拭くことも着替えも拒んでいたという。何か感じあうものがあったのだろうか?その翌日、彼は脳出血を起こした。彼は肝臓癌の悪化に伴い、出血しやすい危険な状態にあった。予測はしていたが、人工呼吸でこの世と「ぬつ(命)」をつないでいる彼を見たときは、言い知れない動揺を覚えた。
娘は たぅきぃ(一人)でベッドの傍らに膝をつき、「おとうさん・・」とうや(父)を呼ぶことだけを繰り返していた。彼女の哀しみは、私が父を失った日の哀しみと重なり ぬどぅ(喉)をふさぐ重苦しい塊を何度も飲み込んだ。
私はうや(父)を失う悲しみを、あんな(母)や ねぇねぇ(姉)と かぅだきぃ(抱き合って)分かち合えたが、彼女はたった一人で父親の てぃ(手)を握り締めているだけだ・・・。三年前に癌で あんな(母)を亡くした彼女の心はまだ癒えていないのに、今度は父を失おうとしている。輸液を管理する何台もの機械、呼吸器やモニターに囲まれて膝まづく彼女の姿は、あてぃ つんだらーさむぬどぅ あたー(とても痛々しかった)。
私は彼女のゆかーら(傍)に立ち、やらび(子ども)をあやすように肩を なでぃ(さする)以外何も出来なかった。むぬぬぴてぃーつまい(ことばのひとつも)いでぃやくん(出てこない)・・・。
ベッドを みーりば(見れば)長く伸ばした髭が更に伸びている。「お髭はおとうさんのトレードマークね」と何気に呟いた私に、意外な返事が返ってきた。うなぁどぅしぃや(自分では)剃る力もなく、剃ってくれと頼まれていたが仕事が忙しくて剃ってやることもできないでいた・・・と。不意に私の内で力が湧いた。この みどぅんやらび(娘)に父親の髭を剃ってもらおう!娘として父親のために出来ることがまだあった!この ぱなす(会話)から生まれたケアに喜びさえ感じた。娘と看護者ですぐに髭剃りを始めた。髭がそり落とされた顔は55歳という年齢より ばはーばは(若々しく)微笑んでいるかのようにさえ思えた。「いつもの お父さんの顔」そう言って娘はまた泣いたが、少しだけ落ち着いたことが感じ取れた。
脳出血は止めることが出来ず、数日後、彼の心臓も最後の鼓動を刻み停止した。一瞬、病室の時間も止まった。それから後は、哀しみだけが部屋中に広がっていく・・・。
私は、患者や家族にとってはただの他人にすぎない。しかし、ひとつの場面の中に居合わせることで、人の愛の深さや哀しみや生き様、死に様と向き合う。私も人間。時としてその場から離れてしまいたいほどの虚無感に襲われることもある。だが、この仕事を選んだのは他ならぬ私自身なのだ。その場に踏みとどまり、患者や家族に「関わる」ことへの責任があるのだ。医療機器から解放された彼は本当に安らかな顔をしていた。
両親を失ったまま、これからを生きていくこの娘がどうぞ強く生きていけますようにと願いながら父娘を見送った。
お店紹介11《珈琲豆屋 豆房(ばんぼう)》
松谷初美
「豆房」は、今から10年前の1993年に開店した珈琲の専門店である。西里通りの「沖縄ツーリスト」の横にある。
店主の上地直樹さんは、もともと実家が、沖縄上島珈琲(UCC)の代理店をしていたこともあり、一年間沖縄のUCCで勉強をして宮古に戻り、「豆房」をオープンした。
観光客が増えてきた宮古島において、ひと味違う珈琲を置きたいと考えていた上地さんは、ハワイのおみやげにフレーバー(風味、香り)珈琲があることを知り、宮古でもおみやげ品として出せないものかと、ぶーき゜(さとうきび)のフレーバーを思いついた。
お菓子などに使う、黒糖の香料では、うまく珈琲にのらなかった為、試行錯誤の結果、二年の歳月を経て、ぶーき゜の糖蜜を泡盛でのばし、ぶーき゜の香りの原料を作るのに成功する。
私はこの夏初めて このぶーき゜のフレーバー「さとうきび畑の香風」を飲んだが、ぶーき゜の甘い香りが漂い、珈琲の香りとすごくマッチしていた。黒砂糖や、洋菓子、和菓子と何にでも合ってとてもおいしい。
そして、この他にも、ぶーき゜とキャラメルのフレーバー「うーじ&キャラメルの香り」や「紅芋」、「パイナップル」など沖縄らしい味にこだわって、フレーバー珈琲の種類を増やしている。このシリーズは、琉夏香風(るかコーヒー)と命名され、観光客にも人気である。中でも、私は「うーじ&キャラメルの香り」が一番の気に入りで、このところよく飲んでいる。とっても上等。
沖縄本島で行われている「離島フェア」において、「さとうきび畑の香風」は2000年に、「うーじ&キャラメルの香り」は、2003年にそれぞれ優良特産品の優秀賞を受賞している。
それから、先月末から関西で行われた沖縄物産展にも出品し、好評を得た。
ところで、宮古の人たちは、いつからが(いつ頃から)珈琲を ぬんぱずみたーがら(飲み始めたのだろう)。戦後は、アメリカ輸入のインスタントコーヒーが主流だった。本土復帰(1972年)の少し前に、宮古で最初の喫茶店「珈琲園」で焙煎された珈琲が初めて出されたようだ。そのすぐ後に、上地さんのお父さんがUCCの代理店を始め、焙煎された珈琲を販売するようになると喫茶店もどんどん増えていき、珈琲を飲む人たちも増えていった。
私が子どもの頃、ばんたがやー(私達の家)には、輸入物のインスタントコーヒーしかなかった。「やらびぬ ぬんつかー ぷりむぬんどぅ なず(子どもが飲んだらバカになる)」と言われていたから、初めて口にした時は、おずおずと飲んだものだった。
一杯の珈琲を入れ、それを飲むひとときは、とても至福の時だ。忙しいときこそ、そういう時間を持ちたいなと思う。
「豆房」では、フレーバー珈琲以外にも、一般的なモカ、キリマンジェロなどの珈琲も購入できる。
さ、ぱんたーぱんた(忙しく)している あなたも お好みの珈琲一杯いれませんか。「豆房」は、あなたの珈琲ライフの役に立ちます。いきみーるよー。(行ってみてね)
《珈琲豆屋 豆房(ばんぼう)》
平良市西里236
電話:0980-72-0300
店主:上地直樹さん
平良港が宮古圏域に果たした役割について(貨物輸送)前号のつづき
神童
手術は9時に始まった。親戚一同ロビーで待機。
浦添在住の叔母は自宅から朝食用に大量のおにぎりを持参していた。ここから妹の暴走が始る。夕べのグルクンが戻ってきたのだ。妹によって広げられたグルクンの皿は長い輸送時間により甘酢あんかけが流れ出し、つかんだ手がたちまち あんだらけの代物に成り代わっていた。病院の待合ロビーに揚げ魚とあんかけに使用された酢の臭いが たちこめている。10何人も集まった一同の誰一人として手を出さない。1匹ずつ片付け始める。苦痛だ。誰か食うのを手伝ってくれよ。渦高く積み上げられた小骨の山の出現でグルクンは無事に片付けられた。結局おにぎりを食う暇はない。
気持ち悪くなったので、食後の冷たい飲物を買うため自動販売機に近づくと妹が声をかけてきた。「お茶はあるよ」妹は、はるばる宮古島からお茶を持参していた。妹が件のキャスター付きのバックをゴソゴソすると、2リットルのペットボトルが4本も出てきた。バックが重いはずだよ。してコップは、んじか(どこか)。あるはずもなく、仕方なく2リットルのペットボトルでらっぱ飲み。
しばらくすると、またしても妹がバックをゴソゴソし始めた。 嫌な予感がする。次に妹が取り出したのは、食パンだった。それも厚切りの業務用。焼いてあるはずもなく、もちろんバターもジャムもない。サンドイッチにする具もない。素うどんならぬ素パンだ。これは苦しいぞ。何が苦しいといって味がついてない上にパサパサしているので飲み込めない。殺す気か。またしても、ペットボトルをらっぱ飲み。
試練は続く。午前10時を回ってひととおり むぬばなす(世間話)も収まった頃、叔母は持参したせんべいの袋を広げ始めた。ここで妹が取り出したのはスーパー「かねひで」のビニール袋に入ったバナナだった。3〜4kgはあるのではとのバナナの量である。バナナは真ん中の部分で馬鹿丁寧に斜めに切られていて切り口が っふぉーふぉ(黒く)変色している。皮は黄色い面積より黒い面積が多い。発酵まじかだ。
今度ばかりは、絶対に手を出すまいと心に誓う。犠牲者は叔母だった。しかし叔母はバナナを食べ終えるとティッシュとバナナの皮をバナナ入りの袋に入れてしまったのである。結局、バナナ入りの袋はゴミ袋と勘違いされ、次第にゴミが集積され13時ごろ、バナナが見えなくなった。
しかし、妹はまだまだあきらめない。次に取り出したのは林檎だった。それも大きめの林檎。妹によって、バックから1個ずつ取り出された林檎は最終的に8個だった。果物ナイフがないため、妹の指示により丸かじりをする一同。手術室の待合ロビーでりんごを丸かじりする一団。 異様だ。手術は19時頃に無事終了した。
だけどさー、なんで那覇にいくのにあんなに荷物を持つわけ。お金は荷物を減らす為に発明されたんだぜ。あなたの廻りにもこんなオバタリアンはいませんか。
ミャークフツ講座 代名詞編
松谷初美
- <人代名詞>
- ばん(私)
- うう”ぁ(あなた)
- かい、かり(彼)
- ばんたー(私達)
- うう”たー(あなた達)
- かいたー(彼達)
- たー(誰)
- <指示代名詞>
- くま(ここ)
- うま(そこ)
- かま(あちら、むこう)
- くぬ(この)
- うぬ(その)
- かぬ(あの)
- あんちー(あんな)
- かんちー(こんな)
お便りコーナー
神奈川在住 マリーnさんより
<vol.58を読んで>
神童さんの「平良港が宮古圏域・・・」は、タイトルで社会的なものかな?と、読んで吹きだしてしまいました。(笑) お会いしたことがあるせいか余計うむっし(面白い)です。続きが気になりまーす。
宮古方言はフランス語などに聞こえたりと不思議です!!(下地勇ライブで方言を外国語風に話したりしますね) 最近テレビでフランス語の発音を聴いただけで、宮古方言を連想してしまい笑ってしまうことがあります。
宮古方言のメルマガで八重山方言も紹介されてますね〜数年前に生の黒島方言を聞いたことがあり、ぱ行ば行の発音多かったことを思い出します。
埼玉県在住 funasokoさんより
<麻姑山書房>
毎回くまから・かまからをお届けいただきありがとうございます。
「麻姑山書房」私も宮古へ行った際必ずといっていいほど立ち寄るお店です。なんともいえない雰囲気が漂う店ですよね。大好きです。
私も宮古の歴史、風習などに関するものや南方系の魚、漁業関係の資料をあさっています。伊良部漁協発行の記念漁業史を入手できたのはちょっと嬉しかったな。
また「コミックおきなわ」のバックナンバーも随分とそろえましたよ。初美サンとことうちの本棚には同じような本が並んでいそうですね。
※マリーnさん、funasokoさん、お便りたんでぃがーたんでぃ。宮古出身ではないお二人が宮古との関わりを楽しんでいる様子が伝わり、ぷからすむぬ(うれしいです)。今後ともよろしくお願いしますね〜。
編集後記
松谷初美
9月になりましたね。せいこさんの「みゃーく んなまずぶん」にもあるように今月は じゅうぐや(十五夜)がある。昔の人たちは、自然に対する感謝や畏敬の念が生活の一部として常にあった。今年の、じゅうぐやは、そんなことを考えながら月を愛でたいと思う。
菜の花の 味のある いらうふつ(伊良部方言)が、優しく響く病院のぱなす(話)いかがだったでしょうか。
神童の「学校がない」は、しばらくお休みして、単発のものを続ける予定です。神童ワールド今後もお楽しみに。
ホームページでもお店紹介(写真入)をしています。合わせてご覧ください。
先月の8月23日、東京でオフ会をしました。過去最高の21名の参加でした。会場となった「ちむ屋」は、宮古への熱い想いでいっぱいでした。そして、まーんてぃ(本当に)くま・かま(あちこち)からの参加で、ぷからすー ぷからす(大変うれしい)な気持ちでいっぱいになりました。メンバー一同感謝です。たんでぃがーたんでぃ。
皆さんからのお便り、いつーまい(いつでも)受付中。ご感想、ご意見をお待ちしています。よろしくお願いします。
次回は、9月18日の予定です。あつかー またやー。