みなさん、こんにちは〜。
がんずうやしー うらまずなー。(お元気でいらっしゃいますかー)。 きゅうぬ くま・かまぁ ゆんむぬやまかさどー(読み物たくさんですよー)。ぷじ ぬかーぬか ゆみふぃーさまちーよー(どうぞ、ごゆっくりとお読みくださいね)。
台風4号(投稿)
伊良部在住 ア、イラブyouさんより
去年の夏に植えたさとうきびは発芽してやっと地表から頭をもたげたところ に超大型台風14号の襲来で完全に埋まってしまい、農家は窒息状態のキビを丁 寧に芽掘りをして息を吹き返させた。その後さとうきびは農家の努力に報いん とするかのように見事に成長して今年は豊作を予兆していた矢先のことでした。 予想だにしなかった6月初旬の大型台風4号は、成長半ばのさとうきびの成長点 をへし折ってしまい、生命を維持するために側芽を発生するも成長点の折れた きびはそれ以上の伸張は望めない。
葉タバコも順調な降雨に支えられて豊作が期待されていました。乾燥機の能 力を100%以上もUPするために早植えと遅植えに分けて植えるため最後の収 穫は6月中旬を目途にして葉タバコで最も多くお金の取れる合葉、本葉の収穫 に勤しんでいる矢先のことでした。台風襲来前に大急ぎで収穫すも間に合わず 3〜5割は畑に残ったまま暴風雨に吹き曝されてしまいました。風で千切れた葉 っぱを一円でも金にならないものかと思い拾い集めて乾燥してはみるものの売 り物になる訳は無し。
風で飛ばされないようにビニールを剥ぎ取られた裸同然のハウスの中では、 ゴーヤーは勿論、なびゃ-ら(へちま)も壊滅状態。マンゴーも未熟のまま枝 から切れて売り物にならないもの多し。
このように自然災害の多い台風銀座で生きる宮古の農家は大変だと言いなが らも宮古の経済は第一次産業の農業で成り立っている、といっても過言ではな い。旱魃が無かったら、台風がこなければ、といういわゆる「たら、れば」論 は甘えでしかなく、それらを現実のものとして捉えて生活してきた宮古農家の スピリットには見習うべきものがたくさんある。
かじふつ(台風)なんてへっちゃらだ。
ネーミングの達人
かい(伊良部町出身)
那覇の新都心に「あぱらぎ歯科」という看板を見つけた。宮古の人なら、す ぐにピィーンとくる。宮古の方言で,きれいだとか美人のことをさす。あぱら ぎみどぅん(美人)、あぱらぎにしゃい(美青年、ハンサム)などと使ったり する。「ここの歯科医院に来たら、あぱらぎになるよ 」という意味だと思う が、中で働いている方もそれなりにあぱらぎであって欲しい。
宮古でネーミングの天才だなあと感じるお店に、「のむら」がある。知る人 ぞ知る、宮古の老舗レストランである。「ずぅ、のむらんかい(さあ、のむら に行こう)」今でも挨拶代わりに、宮古の人に長年愛されているレストランだ。 「のむら」そのものは経営者の姓からとっただけで何の変哲もないのだが、の むらが本店以外で経営している店の名前が面白い。
かって、下里公設市場の前に「ふぁいみぃーる」という、ファーストフード 店のようなお店があった。宮古の方言で食べてごらんという意味。「食べて美 味しかったら、またおいでね」。そんなニュアンスが込められていた。
城辺線には「ばっしらいん」がある。忘れられないという意味。「一度食べ たら、ここの味は忘れられないよ。何回でも行きたくなるよ。さあ、おいで」 というような感じかな。以前、歯科医院のスタッフで院内旅行に宮古を訪れた。 「ばっしらいん」という言葉はどんな意味だろうかと興味をそそられたらしい。 歯科医院のスタッフらしく、「ばっし」は抜歯、「らいん」は線ということか な?(英語と日本語がいり混ざっていることに気がつかない)直訳すると、抜 歯線。さしずめ、歯を抜くべきか抜かざるべきか、の基準線という意味になる らしい。
横浜の鶴見で、叔母がスナックをしている。店の名前は「がじゅまる」。が じゅまるは沖縄のいたる所で見られる常緑の高い木だ。老木になると、ひげの ような気根を出して、どっしりと立っていて、風格や品格を感じさせるものが ある。叔母がこの名前にしたのは、故郷に対する思慕ということもあるが、異 郷の地でどっしりと根を張って生きてきた自分自身に、この木を重ねるところ もあったのではないかと思う。
「がじゅまる」の常連の中に鈴木さんがいる。鈴木さんは、近くにある日本 鋼管で通訳などをしている方だ。そもそも「がじゅまる」に入ったきっかけと いうのも、がじゅまるが何語か突き止めるためだった。通訳という仕事をして いることもあり、語学にはかなり自信があった鈴木さん。だが、自分の持って いるどの辞書にも「がじゅまる」は載っていなかった。もう、こうなったら「 入って聞いてみるしかない」と決心したそうだ。
時々、沖縄本島で車を走らせながら、色んな看板を無意識に見ている。不思 議なもので、数ある看板の中で宮古を思わせるものには、敏感に反応する。 「あばっ」とか「あららがま」とか「わいどー」、経営者は宮古の人だろうと 確信する看板に出会うと、つい笑みがこぼれてしまう。「頑張って繁盛させて ね」と心のなかでつぶやく。
たかが看板、されど看板である。
ミャークフツ講座 雨 編
ひさぼう(平良市西仲出身)
6月にちなんで、雨 のあれこれ。
雨(A ME)を、宮古では、あみ(A MI)と言う。これは、沖縄方言が三母 音(A、I、U)で表現され、EはI、OはU と言う”法則”から来ている。 目(ME)は、み(MI)、声(KO E)は、くい(KU I)と言う具合に。
傘と笠。差したり、かぶったりするものだが、宮古では、どっちも カブル と言う。初めて東京に来た頃、「カサ カブランカ」と、学友に差しかけたら、 「カサブランカ」と聞こえたらしい。その時初めて、傘をカブルと言うのは、 方言だと教えられた。
傘は、みゃーくふつでは、「さな」と言う。
これも東京に来たての頃、山手線で、田端(たばた)駅まで行く用があって、 キップ売り場の駅員に「タバタ」と言ったら、はあ?はあ?と聞き返される。 隣りの友人が笑いながら、「きみのは、バタバタと聞こえるんだよ」と言われ た。アクセントが、後ろに来てしまうらしい。
傘が、はじめて宮古にもって来られた頃、かまくま(あちこち)で、次のよ
うな会話が飛び交った。
くりゅーばー のーてぃ が あずじゃー (これをば何と言うか)
かさ つあ (かさ だって)
かさなー (かさ か)
あし (そうだ)
この「かさなー」が、後ろに移動して「さな」になった。
最後に、<雨ふり>の歌 を、みゃーくふつで
<雨ふり> 作詞:北原白秋 作曲:中山晋平 あめ あめ ふれ ふれ かあさん が じゃのめ で おむかえ うれしい な ピチ ピチ チャプ チャプ ラン ラン ラン (みゃーくふつ) あみ あみ っふぃ っふぃ あんな がどぅや さなあ むち んかいふぃー ぷからす むぬ ビッチャ ビッチャ ジャップ ジャップ ラン ラン ラン
お便りコーナー
長野在住 武島玄正さんより
vol.77読みました。
「ばんたがやーぬつかふ」
私にも祖母がいて、あちこちのウタキへついていった記憶がぼんやりとあり ます。宮崎へ学童疎開に行く小学校3年までは母は機織で忙しく小さい子ども 達は祖母に育てられましたが、呼び名とウタキの関係や決め方について聞くに はまだ幼なかったのだと思います。ゼンゼン スウサッタン。ノガシイ キミ ズタズガマイ(どのように決めたのかもぜんぜん知りませんでした)。本当に 驚きました。因みに私は祖母に「カニ」と呼ばれていました。 「カニおじさ ん」従兄弟に「マツガニ」、同期生に「ニャーツ ヌ カマ」というように今 でも呼び名が生きているのですが、いま私は呼び名で呼ばれることはありませ ん。続編を楽しみにしています。
「シュウ ヌ 1日」
愉快!「グッファ グッファ ティ ニーニヴ バ シイイ ウズ」(ウトウ トと居眠りをしています。)ウトウト=グッファ グッファ ?! グシャン ヌ グッファ グッファ(杖をついているさまをこのように表現し ますよネ)されば ミャーク フツ という感じ。
初美さんの「パリ ン カイ イカダカラー 、、、、」 体が動くあいだは、体は動かすべきだ、と私も考える1人です。
菜の花さんの職業は天職というものでしょうか。ストレス解消をどのように しているのかなーと他人ごとながら考えています。
ばんたがやーぬつかふ(私達の家の近く)3」〔平良市宮原〕 《や―ぬなー(家で呼ばれる方言名)後編》
アモイ(平良市出身)
炭焼太郎の子孫は宮古島の歴史を作ってきた大物へと繋がっており、炭焼太 郎を調べると、宮古島の歴史そのものが見えてきて、どうやら宮古島の歴史を 語る上で無くてはならない人のようだ。
炭焼太郎は野崎出身(平良市久松)の野崎仲井里真と結婚し、3人の男の子 と2人の女の子の5人の子供を儲けた。男の子はろくでなしだったようだが、 2人の娘は非常に気立てが良かったそうだ。「鱶(ふか)に助けられた」とい う伝説が伝わっていて、「広報みやはら、第一巻」にはその伝説が掲載されて いる。
その中では親想いの娘達と、たちの悪い親不幸の息子達の様子が語られ、自 分の息子達に殺それそうになった炭焼太郎は危ういところを鱶に助けられる。 息子達は余計な事をした憎き鱶として船を出して退治しようとするが、これを 知った父親が屋根上に上って、棟のエツリを外して左右に振ると一陣の風が起 こって竜巻になり、船もろとも飲み込んでしまったそうだ。そんな事から炭焼 太郎の子孫は鱶を食べないと言い伝えられているそうだ。そして親想いの上の 娘、思免娥(ウムイメガ)が目黒盛豊見親と言う歴史上の人物を生んでいる。 その子孫は、目黒盛豊見親→真角与那常盤→普佐盛→真誉之子→玄雅空広(仲 宗根豊見親)となっており、宮古島を統一し、与那国の鬼虎退治をも果たした あの仲宗根豊見親へと続いている。
一方の下の娘、免娥月(メガツキ)が飛鳥翁を生んでいるので目黒盛豊見親 と飛鳥翁は従兄弟にあたり宮古島の歴史を作ってきた当事者達である事に間違 いない。宮原では飛鳥翁を知らない人はいない?という位有名で、宮原小学校 校歌の2番の歌詞には「不倒不屈の意志強く」と歌われている。「勇姿は虎の 如し、動きは飛ぶ鳥のよう」であったそうだ。その為か、私の家(東瓦原)の 後ろの山の西方には飛鳥翁の足跡と言われる足型に窪んだ岩がある。飛鳥翁は 野原岳から飛鳥神社(直線で約4Km)までをたった3歩で歩いたとされ、そ の時の足跡だと言い伝えられている。
飛鳥翁は後の西銘城主の娘である於母婦と結婚して西銘城の婿となっている。 現在の西銘神社跡を引越して飛鳥神社跡に行ったかどうかは定かではないよう である。史実の中では残念ながら白川浜で石原(いさらばり)城主の思千代( うむちゅ)に頼まれた起目箕殿(うきみぞりとの)との一騎打ちの戦いにて、 だまし討ちにされ殺されてしまったが、その2人もまた、飛鳥翁の従兄弟に当 たる糸数按司に仕返しされ殺されてしまう。飛鳥翁は宮原地区では今でも英雄 として語り継がれている。そして「ウムイメガ」「メガツキ」という女性の名 もしっかり受け継がれてきていたのだ。
宮古島出身の貴女なら、必ずや親戚や隣近所に「メガおばさん」とか「〜〜 メガ」とかのやーぬ名ーのついているおばさんやおばーちゃんがいることだろ う。もしかしたら貴女本人?ちなみにわたしの母は「カニメガ」という。文字 が発達していない昔の宮古島の人達はそんな形で歴史を伝えてきたのであろう か?「カンドゥヌ」の由来は聞きそびれているが、やーぬ名ーの由来はお年寄 りに聞いてみればきっと教えてくれることでしょう。みなさんも聞いてみてく ださいね。
あんちぬばーやーば、あら、あずがまーつきかーしーやーぬ名―ゆ あびら しよー(そんな訳だから、ちょっと味付けをしながら家の名を呼ばせてくださ いね)早口言葉でもよし、ラップに乗せてもよし、クイチャー、寿限無(落語) 調でもよし、好きなリズムで声に出して呼んでみてください。
♪マトゥアザー、カマアザー、カニアザ、ヤマアザ、 ♪マトカニ、マツカニ、マツガニ、ガードゥ、 ♪ユヌシャ、カンドゥヌ、ヤーンブ、タルチャン、 ♪カニメガ、メガアンガ、ユヌスメガー、メガンサ、 ♪メガツキ、メガガマ、メガンマ、ウムイメガ ♪ガバダル、ンマダル、カマドゥ、 カーミ 蛇足♪マスパリ、クマダキ、ワーイワイ。
ガバダル、ンマダルはタルに前置きのついたものですが、ちょっと悪口にも なるのかな?だとしたらすみません。落語では、寿限無という長ーい名前があ りますが、宮古島のやーぬ名ーは短いですね。これで22人のやーぬ名ーが出 てきました。密かに隠していた貴方も呼ばれましたか?
んなまからまい だいばんくいしい、や―ぬ名ーゆ あびりいかだからーな らんさいが、(これからも大きな声でやーぬ名ーで呼び続けないといけないね) エチケットとして年上の人(若い人はないよね)を呼ぶ時は必ずや、アザ、オ ジ、オジー、アンガー、オバー、などの敬語つけて敬う気持ちで呼びましょう。 大勢の人前で大声で呼ばれると照れ臭くて怒られるかもしれませんが、きっと 大声で返事するでしょう。
ばんなー(俺か?)くまどーっ(ここだよ)、のーりゃー(なんですか)、 のーがー(なんだよー)ぴすとぅぬなーゆかってぃんあびすなよー(人の名前 を勝手に呼ばないで)
※参考文献「広報みやはら」『シギラの月』藤川桂介/著
お店紹介17《カフェ カラカラ》
松谷初美(下地町出身)
「カフェ カラカラ」は、平良市大浦に去年11月にオープンしたばかりの お店だ。平良市内から狩俣方面に車を走らせると、左手に大浦湾が見えてくる。 そして右側に目を移すと黄色い建物、そこが「カフェ カラカラ」。
オーナーは、神戸から宮古へIターンしてきた、山下英さん、ユキさんご夫 妻。シュノーケリングを趣味とするお二人は、10年前に宮古に来て以来、すっ かり宮古の海に魅せられた。一番最初の来島は、3泊4日の予定のはずが、英 さんは結局12日間もいた。レンタカーを返えす際、宮古を7周(つまり約70 0キロ走った?)したことになりますね。と言われたとか。それから毎年宮古 に通い、宮古で店を持つことが夢になった。そして2002年の6月に今の大浦の 土地に出会い、縁があって8月には購入。11月には、1年がかりとなる手作 りの店作りが始まった。
店は、宮古にある材料だけでやろうと決めた。柱や梁は今では見かけなくな った木の電信柱。場所(もちろん宮古の地名)を示すプレートがそのまま電信 柱にはついていてそれがまた上等っ。店内には、宮古トラバーチンで作られた テーブルや琉球松の手作りイスもあり、とても良い雰囲気をかもしだしている。 足元を見れば地面には んーなぐぅ(砂)が敷き詰められている。海をイメー ジした店つくりをしたかった英さんのアイディアだ。また店内には、2m40 cmの大きな水槽がある。これは神戸から運んできたもので、中には、カクレク マノミやチョウチョウウオ、スズメコバルト、イソギンチャクなどがいる。時 季によっても魚の種類が違うそうでいろいろな魚が楽しめそうだ。
天気の良い日は、テラスでの食事が気持ちいい。私はそこでお勧めのオリジ ナルカレーを食べた。スパイスがたくさん入ったサラサラのカレーだ。暑い宮 古にはぴったりのカレーでとてもおいしかった。その他、三種類のスパゲッテ ィやサラダなどがある。これからの季節はマンゴージュースもお勧め。食後に 食べた紅芋アイスがまた格別においしかった。一個一個包装されたものを神戸 から輸送してもらっているそうで、新鮮そのものだ。
いんかじ(海風)を受けながらのテラスはとても心地良い。テラスのテーブ ルは琉球石灰岩を削って作ったもの。イスはこちらはモクマオウの木でできて いる。ガジュマルの周りが石のカウンターになっているところもあって、すだ ーす(涼しい)風がなんともいえない。この時季は大浦湾に沈む夕日を眺める のもおいしいごちそうだ。
向かいにある大浦湾では、今、ハマグリやムール貝のような貝、エビなどが とれ、大潮の時などはにぎやかだ。「カフェ カラカラ」では、キャンプもで きるので、泊まりながら海を楽しむこともできる。バーベキューもOKだそう。
また夜はイルミネーションで彩られ、昼とはちょっと違う顔になる。お酒も あり、お誕生会や模合、忘年会や新年会などにも利用されている。
宮古に住んで一年余り、近所に知り合いもたくさん増え、ご夫妻はとても楽 しそうだ。店内もまだまだいろいろな手作りのものが増えていく予定だとか。 行くたびに新しい発見が待っていそうですよ。
ドライブがてら、ぜひ、いきみーるよー(行ってみてね)。
《カフェ カラカラ》
〒906-0004 沖縄県平良市大浦130-32
店主:山下英さん
電話:0980-73-8385 営業時間:11時〜22時
HP http://www.miyakokarakara.com
メルアド:yama19@pearl.ocn.ne.jp
アメリカみゃーくふつ (投稿)
東京在住 山雀タヌキさんより
チョット変わった宮古方言に、英語から転化した「アメリカみゃーくふつ」 があります。沖縄本島には相当数あるようですが、宮古では次の1語だけしか 思い浮かべることができません。
「ゴーシタン」は「後ろに進む」との意味となります。 語源は英語の GO ASTERN(ゴー アースタン)です。アメリカ人の発音で は、「アー」が抜けて、「ゴー スタン」に聞こえるため、これが訛って「ゴ ーシタン」に変化したものと思われます。
宮古では、「車をバックさせなさい」と言う意味で、「クルモ ヲ ゴーシ タン シル」などと使います。
英語の「GO ASTERN」と言う言葉は、「後進する」との船舶用語です。船の ブリッジ(船橋)からエンジンルーム(機関室)への信号として使われていま す。例えば、「FULL ASTERN」とは「全速後進」との意味になります。
沖縄本島のアメリカフツは、外間守氏著の『沖縄の言語史』によれば、ケロ シン(kerosene 石油)、シシグレー(cigarett タバコ)、ガード(guard 門番)など数多く見られますが、現在の日本語に転化した英語が多いとの印象 を受けました。
宮古では米軍が少なかったせいか、英語からの転化は少ないようです。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
しまいぎー(最後まで)読んでいただいて、たんでぃがーたんでぃ。今回の くま・かまは、7名の登場で盛りだくさんでした。のーしがやたーがらやー? (いかがでしたでしょうか)。
メインライター以外の方からの投稿も多く、ぷからすむぬでした。ア、イラ ブyouさん、武島玄正さん、久しぶりの山雀タヌキさん、たんでぃがーたんで ぃ。台風4号の被害は、相当なもののようですね。お見舞い申し上げます。 アメリカみゃーくふつは、ばやー のーまい っすさったん。(私は、何も 知りませんでした)。でも、ある40代の男性は、そういえば使っていたなー と懐かしそうに話していました。言葉はいかようにも変化するものなのですね。
ひさぼうさんの「カサ カブランカ」、私の中で大ヒットです。ああ みゃ ーくふつは、なんて素敵なんだ。かいの「ネーミングの達人」もみゃーくふつ の魅力が満載でした。
アモイさんの「ばんたがやーぬつかふ」は、ひとつの地域から浮かびあがる 宮古の歴史、庶民のやーぬなーの流れが今に繋がり、興味深く読まれた方が多 かったのではないでしょうか。武島さんの やーぬなーも22人の中に入ってい ましたね。
次回はまた別の地域の「やーぬつかふ」を紹介します。お楽しみに!
さてさて、今号のご意見、ご感想、お待ちしています。それから、投稿もど んない受付中。宛先は、くま↓がみ。(こちらまで)。
次号は、7月1日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。