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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol.108

2021 6/02
メールマガジン
2005年9月5日2021年6月2日

みなさん、こんにちは〜。残暑厳しいですねー。ぞうかり うらまずなー(お元気でいらっしゃいますかー)。
今回は、敬老の日が近いということで、宮古のおじい、おばあの特集です。 どうぞ、お楽しみください。

目次

ばんたが みゃーくずまぬ かなす ういぴとぅぬきゃー

(我らが宮古島の愛する老人たち)

「ウプバーザフナ」=「ボタンボウフウ」=「長命草」・・・この「ウプバーザフナ」を見ると、ある1人の爺さんのことを思い出す。「池田真津しゅう」だ。みゃーくずまぬ ういぴとぅぬことを語るにあたって カニは心に残っている昨年亡くなられた城辺町吉田部落の100歳の池田真津を紹介したい。

この爺さんとは、96歳の時に初めて出会った。町内のゲ−トボ−ル大会で70代、80代のお年寄りを抑えて優勝した化け物爺さんがいる、という話を聞いたのが「きっかけ」となった。何だか会ってみたいな・・・そんな気持ちになった。知り合いの吉田部落の方からこんなことも聞いた。「毎日、牛の草刈りをし、畑に行き、自転車を元気に乗り回してる」「バスで平良の町に買い物にも行っている」「民謡が得意だ」・・・元気なのだ。池田のしゅうはぴんぴんしているのだ。

初めて訪問した日のことを覚えている。笑顔で迎えてくれた。寝たきりのお祖母さんが床に座っていた。家の庭は綺麗に掃除されて、ゴミ一つ落ちてはいなかった。家の中も同様、小綺麗に整理・整頓されていた。自分自身のことはもちろん奥さんの世話まで1人でされていた。「大変でしょう」「自分の彼女だのに・・・はっはっは」照れながら応える可愛らしい爺さんだ。確かに姿・格好は96歳にはみえない。腰は曲がっていない。どうみても70歳代だ。田舎の特に農業をしてきた爺さん達は殆どが腰は曲がって足は、がに股である。池田真津しゅうは腰が曲がっていない。がに股でもない。天真爛漫という言葉がぴったりの爺様だ。

「一番の楽しみは?」「畑に出て汗水流すこと」「土と一緒に『てぃがんまり(手作業)』をすること」「労働することが無心になれる」「何が好きですか」「何でも食べるさ」「昔は野草をよく食べた」「ノビル」「トゥナラ(あきののげし)」「ヤツウサ(よもぎ)」「マージャガパ−(おおばこの葉)」「ンギャナ(にがな)」「ビキマンジュウヌニー(パパイヤの雄木の根)」「いむぎ−ぬ あずむぬ(芋の葉の和え物)」「その中でもノビルやかたつむりを入れた『アージュウシー(粟の雑炊)』が一番美味しかった、今でもあれば食べたいな」「ウプバ−ザフナ(ボタンボウフウ)は、腹の調子が悪いとききざんで食べたよ、魔よけとも言われているよ」・・・いろんな宮古島の野草の話が聞けた。

戦前、戦後の食糧難の時代にも、この池田の爺様ら『みゃ−くぬういぴとぅぬきゃー』は、野に生えている宮古島の野草や珊瑚礁で獲れる魚や蛸、「アーサー(ヒトエクサ)」、「ナチャーラ(海人草)」「ウル(つのまた)」の海藻など、自然の恵みを食料として利用した。秋には「さしば」を捕獲し、良質のタンパク質として、「タカジュ−シ−(鷹雑炊)」を作り利用していた。食用としての自然も多く残っていたに違いない。

野山には宮古島の果物「フニズ(シィクワァサー)」、「ばんちきろう(グァバ)」、「ムトゥビス゜(なわしろいちご)」、「ぽー(クロイゲ)」、「ザウカニ(つるぐみ)」「バンキ(桑の実)」、「ンギヌミ(アダンの実)」など食べられる「なず(実)」が沢山あったことも話してくれた。

「池田しゅう、民謡は何が好き?」「何でも歌うさ」「にすんなーつきー」「まつぎがぱーや」「あぱらぎみどぅむま」「とうがにすざ」・・・「何かひとつ歌いませんか」・・・池田しゅうは「あぱらぎ みどぅむま」を歌った。最高だった。100歳の池田しゅうの「あーぐ」を聞けたことは、最高の喜びだった。こんなふうに年をとりたいものだ。「あるがままに」「なるがままに」「ゆがいなに(愉快に)」・・・それが池田しゅうの人生観だった。

3年前に奥様が先立った。49日が済んだ頃に、1人で寂しいかも、と思い訪ねてみた。思いの外、元気そうで以前よりも更に若々しく見えた。「池田のしゅう、寂しくはないかい」「わっははは、これで正々堂々と浮気もできるさいが〜」・・・頼もしい言葉だった。

100歳を迎え、部落の方たちは「あやかり」と池田のしゅうを訪れていた。カニも銀杯で池田のしゅうから「あやかり」酒を注いで貰い飲み干した。

100歳の暑い夏の日に池田のしゅうを見に行った。家にはいなかった。道路端の畑で「北海道産の赤豆」を収穫していた。野良着を着て、『てぃがんまり』をしていた。「カニ、てぃがんまりゃー ふつがんまりよっさ ぞうむぬどーや」(カニさん 手で作業することはお喋りよりは上等だよ)と日焼けした顔で笑いながら話した。「ありがたい言葉だった」・・・「黄金言葉」だった。

昨年の10月頃、池田のしゅうの家に遊びに出かけたが、家は閉まっていた。何度も行くのだが、やはり家の戸は閉じたままだった。気になり近所の方に聞くと、何でも風邪をこじらせて入院しているとのこと、見舞いに行かねば・・・と思いながら、1カ月が過ぎた。池田しゅうは帰らぬ人となった。仕事を終えて、線香をあげに池田しゅうの家を訪問した。長男が沖縄市からいらしていた。最後の状況を聞いた。池田しゅうは死ぬ直前まで意識もあり、1人でトイレにも行っていた。誰にも迷惑もかけずにポックリと逝ってしまった。

「カニさんのこと よく話していた 父を可愛がってくれてありがとう」と長男が話してくれた。嬉しかった。カニのこと、覚えてくれていたんだ・・・。

100歳の宮古島の老人との出会いは素晴らしかった。「ありがとう 池田のしゅう」・・・南天の夜空には「ながいぬつぬぷす」=「カノープス」=「長命星」が煌々と輝いていた。「長命草」「長命星」を見ると何の欲もない「ありがまま」「なすがまま」「ゆがいな」池田のしゅうの顔が浮かんでくる。素晴らしい「ばんたがみゃ−くずまぬ かなす ういぴとぅぬきゃ−」・・・。

最後に池田しゅうが歌った「あぱらぎ みどぅむま」を「みゃーくずまぬ ういぴとぅぬきゃーんかい」(宮古島のお年寄り達に)贈る。

 「あぱらぎ みどぅむま」

サ−ヨ−イ−(さ−よ−い)
あぱらぎ みどぅむま(美しい女は)
だきゅーすが むぬよー(抱いた男のもの)
ちゃばんぬ さきや(茶碗の酒は)
むちゅーすが むぬよーいー(持つ人のもの)
んきゃぎゅーとぅりー まーん(召し上がって)
ぴゃーくや むつなか(100歳を人生の半分として)
まうう"ぁり さまちよー(長生きなされ) 

ぴんぴんおばあ

さどやませいこ(城辺町出身)

うちの母は数え83歳、大正女です。17年前に夫を見送り独り住まいですが、とにかく動くことが好きで、いまだ持って1週間のスケジュールはいっぱいです。

月曜日はデイサービス、火曜日はサンシン教室、水曜日はグラウンドゴルフ、木曜日はエトセトラと、昼間はほとんどうちにいません。

そんな母ですが、70歳に大病を患い、もう少しで父を追うところでした。胃癌末期です、と医者に宣言されたときには頭がくらくらしました。でも、本人には胃潰瘍と告げ、琉大付属病院で大手術をしました。そして本人も未だにそれを信じています。

「いかいようや うとぅるすむぬやー(胃潰瘍は怖いねー)」と時々思い出したように話す母の側で、私たち兄弟は目配せしながら「まーんてぃー(本当だねー)」と苦笑しています。癌も恐れをなしたうちの母は、孫や曾孫たちに自分のことを「ぴんぴんおばあ」と呼ばせています。

私が、母を認識したのは、中学生の頃からです。幼い頃、我が家は農家でした。母は一日中働き詰めで、私が目を覚ますと既に母の姿はなく、夜は寝てしまってから帰るのか、あまり母親を意識したことがありませんでした。いつも側には祖母がいて、当然この人が母親だと思っていました。それくらい、影の薄い存在でした。小6の2学期に平良に転校してからは、祖母は他界し、ようやく母を認識することができたのです。

農業で4人の子を育てるのは大変だと悟った両親が平良のイリザトで始めたのは、飲み屋のBARでした。これまで、農業しか知らない母の大変身でした。数人の女給さんを雇っての水商売。午前の2時、3時まで働いて、朝は6時に起き、私たちに朝ご飯を作って食べさせ、学校に送り出していました。性分は変わらず、一日中動き回るものだから、本番の夜のお仕事になると、カウンターの中で居眠りしていたそうです。いつも「ママー、ビールが足りないよー」と女給さんたちにはっぱをかけられていました。

60歳で「ママ業」を引退し、父と二人、静かなニャーツ(東仲宗根)で暮らし始めましたが、父は古希を迎えてその年に永遠の旅に。それからは独り暮らし。近くに長男夫婦もいるのに、「ばやー、たうきゃーぬどぅ、きらく(私は独りが気楽)」とかいって、ガンバッテイル。そして、長寿大学とかいう有名大学で教えてもらったといって、「お年よりはピンピン・コロリが一番よ」といって2歳半の曾孫に自分のことをぴんぴんおばあと呼ばせている。       

カニガマシュウ と カニガマヤー

ひさぼう(平良市西仲出身)

カニガマシュウというのは、父方の祖父の名前である。今、存命であれば、1860年の生まれだから、145歳になる。これだけの開きがあるのは、父が七男一女の末子だからで、うちの家族では、父以外その面影を知らない。

カニガマシュウという呼び名が、そのまま、カニガマヤーという屋号になって、今に引き継がれている。

宮古の場合、人は死んだら神様になるから、祖先の名前は、神様の名前でもある。本家の神棚に祀られている神様は、カニガマシュウ夫妻から順に数えると、6神になるらしい。本家の うぷあんな(長男嫁)が、さとうたき(里御嶽)のサス(神女)を長年つとめていたとのことで、その複数の神様のことをよく伝えている。
 
それによると、いちばん古い2神は、狩俣出身の みどぅん(女)と島尻出身の びきどぅん(男)の神様で、その二人の間に びきうう”ぁ(男の子)が島尻で生まれ、その びきうう”ぁが、野原越出身の みどぅんと結婚して、カニガマシュウの妻 ニイサ(ばんたが んま(私達の祖母))が生まれたとのことである。

カニガマシュウの家系はというと、その やーむとぅ(実家)が、がばんまやー(古い実家)とも すがまやーとも呼ばれ、家の うたき(御嶽)が、あだんだき(集落の名)の里御嶽ともなっているところから、祖先は、下地の洲鎌集落から来たのではないかと推測されている。

以上のことは、ぴさら(平良)の郊外に位置する「添道」集落のひとつである あだんだきの、”村建て”の歴史を物語っているようでもある。これらを、平良市役所の戸籍資料で調べると、カニガマシュウとニイサ、それぞれの父母の名前は、確認できるけれども、これより古い祖父母からは戸籍資料がない。したがって、私の父母から数えると3代目までしか、さかのぼれない。宮古の戸籍(平民)は、大方このあたりが限度らしい。

さて、カニガマシュウのことである。生まれたのが、万延元年(1860年)というから、本土は、”幕末”であり、坂本竜馬、勝海舟、西郷隆盛らが、活躍していた時代である。宮古島はというと、まだ「人頭税」で苦しんでいる。

とにかく、働いたらしい。農具を枕にして寝ているという評判がたつ程、昼夜働いたらしい。人頭税との関わりを計算してみると、廃止されたのが、明治36年(1903年)だから、その当時、43歳である。そうすると、15歳から28年間、人頭税のもとで、農業をやっていたことになる。荒れ地を、次々に農地化していったというのは、43歳以降のことかと思われる。亡くなったのは、1926年8月、66歳である。

カニガマヤーは、別名、カーラヤーとも呼ばれる。集落内で、いの一番に赤瓦の家を建てたのが、その由来とのことである。

うぷあんなの話によると、嫁に来た1910年当時、本家の農業は、いも類、さとうきび、粟、麦、水稲、大根、フダンソウ、豆類、豚、ヤギ、馬等の「有畜産型複合経営」だったらしい。その後、カニガマシュウは、耕地、宅地など、自分で築いた財産を、子供全員に平等に分け与えたという。末子ながら、私のおとうもその恩恵に与っている。

飛躍するけれども、カニガマのカニは、おそらく鉄のこと、それにつながる鍛冶、農具のことである。宮古の農業は、鉄具の伝来とともに、”突然に”始まったものらしい。これらを宮古にもたらした人々が、宮古のあちこちのうたき(御嶽)に祀られている。途方もなく永かった宮古の石器時代を、五穀豊穣の社会に導いてくれたものは、まさにこのカニであったろう。ただ反面、これがまた武器をつくり、階級社会をつくり、人頭税社会をも生み出した。カニガマシュウのことを想うとき、とりとめのないこんな遠い宮古の歴史を考えたりもする。

タンディ トートガナス カニガマシュウ。

以上は、本家のカニガマシュウの曾孫が、編集した「かにがまやーの沿革誌」に拠る。

カナおばぁ

松谷初美(下地町出身)

ばんたがカナおばぁや(うちのカナおばぁは)98歳。腰は曲がっているが、耳も目もまだまだ大丈夫。がんずぅ(元気な)おばぁだ。

おばぁは、昔の人にしては背が大きい。(若い頃は160センチ近くあったと思う。)手も足も大きく、頑丈さを表しているようだ。

おばぁは、カザンミ(下地町高千穂)で生まれ育ち、カザンミの人と結婚した。よそに住んだことはなく、旅行もほとんどしたことがないので、98年のほとんどを自分の家の半径4〜5キロの世界で生きてきたことになる。

私は、おばぁから んきゃーんぱなす(昔話)を聞くのが大好きだ。この夏帰ったときも、おばぁぬ ゆかーらんびじい(横に座って)、おばぁの若いころの話を聞いた。

「おばぁは学校には行ったの?」「尋常小学校んかいどぅ 行き゜たーさい。うぬ あとぅんな 13歳〜15歳がみ、清春(近所の子の名前)が むずあんがー どぅ すたーさい(その後には、13歳〜15歳まで 清春の子守り姉をしたさー)」

「あしてぃ(そして)、17歳〜19歳がみゃー、燐鉱(りんこう)ぶいゆどぅっすたー(燐鉱の石を掘る仕事をしたさー)」 宮古に燐鉱石(リン酸カルシウムを多量に含む鉱石)があったとは、すさったん(知らなかった)!山中(やまなか)部落の御嶽から東に行ったところに、燐鉱山があったらしい。「さっずぅ かっふ゜ぃんーむ むちーいき゜たー(手ぬぐいをかぶって、芋を持って行った)。1日ぱたらき、40円ぬ ぶいどぅ やたーすぅが ばやーになーり ぱたらき゜たいば 1日42円むろーたーどー(1日働いて40円の仕事だったが、私は、一生懸命働いたから42円もらったよ)」

「おじいと結婚したのは、21歳の時だったかねー。ぶーき゜も作っていたけど、野菜や芋を ぴさらがみ(平良まで)売りにも行った。車まい にゃーんにば かなまずん にーや かみー あす゜きーまーす゜たゆー(車などないから、頭に荷物を乗せて歩いて回ったよ)。大変だねーと言ってたくさん買ってくれる人もいて、助かったよ」

「まいぬ いん かいまい かんふんが ゆーどぅ いき゜たーどー(前の海(川満の海のこと)にも カニをとりによく行ったよー)。ぱき゜しー さどぅりー、かんかいあたずつかー ぱき゜ぬ ういびしー ぱさみ とぅずたー うむっしむぬがまどぅ やたす゜(足で探りカニに当たったら足の指ではさんでとった 面白いものだったよー)」おばぁは、かんふんの名人だったそうで、家族の間でも語り草になっている。

「ばんたーあんちーどぅ きすたさい(私達はそうやってきたさー)。今の時代からは考えられないけど、ぴとぅんまいよーん助きらい、あんちぬくとおばっしらいんさー(人にもよく助けられたから そんなことは忘れられないよ)

おばぁは、今回も心に残る話をいっぱいしてくれた。私も自分のやらびぱだ(子どもの頃)のことを思い出した。おばぁは、私が小さい頃、宮古民謡や唱歌をたくさん歌ってくれた。特に「ばんがむり」は、よく一緒に歌ったのを覚えている。

おばぁは、私が子どもの頃から、何も変わらないように思う。私が幼いときは、まだ50代だったのに、当時からおばぁ然としていた。欲がなく、自然のまま、女性としてもひとりのシマの人としても、自分の役割を十分に果たしたという満足感がおばぁを「おばぁ」にしたのかなーとこの頃思う。

おばぁは、東京に帰る私や曾孫の手を握り「元気でいなさいよー、元気でいればまた帰ってこれる。がんばりなさい」と言う。ここ2年余りの間に、自分の娘、息子を亡くしたおばぁのこの言葉の意味は深く、私の心にズシリと届く。

最近は、悲しいことが続いて大好きな歌も歌わなくなったおばぁ。もう少しで100歳。100歳のお祝いの時には、まーつき(一緒に)昔のように歌を歌おうね。いつーがみまい お元気で。

古希祝い

ア、イラブyou(伊良部町出身)

「人生七十、古来稀なり」とは杜甫の有名な言葉である。

平均寿命50歳の時代には70歳まで生きる人は、極めて稀であると言うことから出来た言葉で伊良部では70歳の記念に「古希祝い」が盛大に行われる。

数え年の場合、正月を迎えると一つ年を重ねます。つまり12月までは69歳だった人が正月元旦には70歳になることから、昔は各字公民館で70歳以上の方々を集めて集落毎に盛大に敬老会が行われ、正月元旦は敬老会ということで決まっていました。

また新しく70歳になられた方々は、夫々のご家庭で古希祝いと称してお客さんを招待して祝宴が開かれるので正月元旦はお正月どころの騒ぎではなかった。そこで何とかお正月と敬老会を分けて出来ないものかということから、正月に行われていた敬老会を役場主催で前年の敬老の日に挙行する事になり、その結果伊良部では数え年69歳に古希の祝いをするようになっている。

昔は「古来、稀」であった70歳も平均寿命80歳代の今日では、「70、80は働き盛り」という言葉があるように、しーにん(青年)、しょじょがま(うら若き女性)、かと見紛うほど若々しく古希のお祝いをするので、「がんぞぅさのあやかり(健康のあやかり)」祝いと、なっている。

「んまりゃーぴとすま、そだっつあ、ななすま(生まれは1つの島 育ちは7つの島)」と全国各地で活躍している子供、婿、嫁、孫たち全員が帰省して数百名のお客さんを招待し、中央公民館で父または母の古希祝をする。祝宴は両親を先頭に子供や孫たちが揃っての入場に始まり、全員の紹介、お祝いにはつきものの「かぎやでぃ風」で開宴、主催者挨拶は長子の役目、来賓祝辞、乾杯の音頭と続き、その間の余興は数ヶ月前から練習していた演技の発表会である。

子供達にとっては人生70年の風雪に耐えてきた両親への感謝の念も込められていますので、笑いあり、時には涙を誘うような場面もあったりで演出にも工夫を凝らすなど、70歳を節目に行われる古希祝いは慶びのお祝いです。

中学校を卒業して30年目に行われる同窓会、45年目の還暦には修学旅行よろしく団体旅行で童心に還り、そして古希祝いでは長年連れ添った相方に感謝しながら子供達から祝福を受ける。如何に医学の進歩で人間の寿命が延びたとは申せ、若々しく古希の祝いが出来るのは至福以外の何ものでも無いそうです。最近は米寿のお祝いも多くなってきました。あやかりたいものです。

伊良部とーがに(伊良部謡(よう))の一節を紹介します。

やいやー、酒飲みゃがまーまい、八十八歳(やーそやーつ)よー
飲まんそまいー、同(ゆぬ)八十八才―
飲みやうといどういらー、八十八才の願いどうそうでよー。
 
(意訳)
酒を飲んでも飲まなくても同じく88歳を迎えるならば
お互いは飲んで88歳を迎えようではないか。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。 

くまかまの皆さん、わいてぃー がんぞぅーからまちよー。
(お元気でいて下さいねー)

編集後記

松谷初美(下地町出身)

今回は、宮古のおじい、おばぁを特集してお届けしました。 のーしが やたーがらー(いかがでしたかー)?

今回の特集は、5人のメンバーでお送りしました。
カニさんは、くま・かまの掲示板でよく宮古のお年寄りについて書かれていますので、今号にもぜひとお願いしました。100歳の真津おじいとのふれあいに心が和みますね。(おしらせ:みゃーくふつの「ん」の音には口を開けたままの「n」と口を閉じる「m」がありますが、カニさんは(m)の発音には、「む」と表記しています。)
ア、イラブyouさんには、宮古の中でも盛大に行われる伊良部の敬老会について書いていただきました。様子がよく伝わったきたのではないかと思います。 お二人とも最後に歌がつきましたが、まーんてぃ みゃーくぬ あーぐぁーあずーあず上等いらー(本当に宮古の歌は、味わい深くてとってもいいねー)。宮古のおじい、おばあたちと民謡は、深く関わっていることも分かりました。ありがとうございました!

せいこさんとひさぼうさんは、自分と繋がりのある、お母さんとおじいさんのことについてでした。ぴんぴんおばぁと呼ばせるお母さん素敵ですね。ひさぼうさんのおじいちゃんは、何と1860年生まれ。幕末のころと今が身近なものとして繋がった感じがします。

宮古のおじい、おばぁたちは、本当に がんずう(元気)だ。過酷な島で暮らしながら、また厳しい時代を生きてきながら、苦労があまり顔に出ていないように思う。

さて、今年は19日が敬老の日ですが、宮古の70歳以上の方がどれくらいいる
か、各市町村に問い合わせしてみました。
平良市=4.577人(男 1.836人、女 2.741人 8月末現在)
城辺町=2.084人(男 862人、女 1.222人 9/14現在)
伊良部町=1.451人(男 529人女 922人 8月末現在)
下地町=719人(男 282人 女 437人 8月末現在)
上野村=598人(男 238人 女 360人 8月末現在)
多良間村=223人(男 106人 女 117人 今年敬老の方)
宮古全体=9.652人 

みなさん、敬老の日、おめでとうございます!どうぞ、これからもお元気で長生きしてください。私達もあやかりていきたいと思います。

くま・かまでは、読者のみなさんからの投稿もお待ちしているのですが、なかなか届きませんー(なだ)。
◆ばんたがやーぬ つかふ
◆初めて物語
◆うむっし ぱなす
などなど、首をながーくしてお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。
今号の感想も、ぜひお寄せください。まちうんどー(待ってますよー)。

次号は、3週間後の10月6日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。
がんずうさーしー うらあちよー(お元気でお過ごしくださいねー)。

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