こんにちは。師走になりましたねー。
12月と聞くだけで、なんだか 気持ちがぱんたーぱんたになりますが、ここいらでちょいと なかゆくい、くま・かまでお楽しみください〜。
刻んだもの
宮国勉(城辺町出身)
子どもの頃、兄と夕方買い物をして帰ることがあった。通りがかりに父親が子供を怒鳴っている場面に出くわした。なあ、あんなに怒られているよ、私らはそういうこともなく良かったなあと兄が言った。私は「そうだね!」と同調した素振り。あすがど かあちゃんからあ ういがぶん ぃずざいだら(だけど、母からはその分まで、怒られるではないか)。ばんばかーずべー うわ ちょうなんやーば(俺だけかなあ!あなたは長男だからね!)と思う次男坊の僻みが頭を出した。
父とは高校進学のときの数少ないやりとりぐらいで、褒められることも無ければ怒られることも殆ど無かったように思う。あさんまー やらびぬ ぎつぎょうゆ っすうまどー にゃーったん(父親は子供の世話をしている暇はなかった)。
父は縫い針を焼き入れして研ぎ、サランニャギー(オキナワツゲ)で印鑑を彫り、近所にも頼まれるほどだった。まいばら(前の家)の塀は東方がスマトゥズギー(ゲッキツ)、南方はサランニャギーの生け垣で、そこから印鑑の材料を調達していた。
サランニャギーは実の形が楕円形で先が曲がった脚が3つあり、厚紙などの上に載せ、口や指で振動させて倒れるまで勝負して遊んだ。スマトゥズギーとは相撲取りの木の意味であるが、何故そういう名前が付いたかは分かりません。
木の幹や枝の格好などには動物やなにかの形にしたいと思う物を見つけることがある。頃は中学1年生の夏休みだったように思う、当時は草刈りが日課であった。草刈りに出かけ根元の姿かたちが面白く創作意欲が湧くバンチキラギー(グアバの木)を見つけた。バンチキラギーには美味しい実が成ることを思うと切り倒すには忍びなく思ったが、切り倒すことにした。
早速家に戻りノコギリを持ち出し切り取ってきた。立てたり寝かせたり、自分が横向きになったりして眺めているうちに馬を彫ることにした。決断は早いが途中で放り投げるのも早い性分であった。途中で投げ出さないで完成を見るまで頑張るぞと自分に言い聞かせた。ましてや、あの貴重なバンチキラギーを犠牲にしたのだから。
んざんが びずぃ すぅでぃがら(どこで座って作業しようかな)と考えるともなく、涼しく風が通り抜ける東側の縁側で彫り始めた。簡単な胴体、足、尾の部分から始め、頭を残してだいたい出来上がった頃にザクリと左人差し指に彫刻刀が刺さってしまった。痛さより血を見たショックで泣き疲れてそのまま寝てしまった。
目を覚ましてびっくり、そこに馬だと云った覚えもないが馬の頭部を父が手際よく仕上げてくれているのだ。あば おとうまい ぴょうすーんな ばがしわぉまいどぅ っしとぅらす ぷからすさー(あれ、父もたまには俺の心配をしてくれるのか、嬉しいなあ)。
しかし、あの頃は決して嬉しさを表現する子供ではなかった。かえって あがいー かなまずや んなぴ−ちゃ うぽぉーぷ つふぃばどぅ ぞうかーたや あらん(あれ、頭をもう少し大きくしてくれれば良かったのに)と思うのであった。後になってだが、くぬっふぁー だいずどー まあんてぃ(このガキはほんとに大変なヤツだ)と我ながら反省。
指は痛いけれど心の奥に刻んだ代償は尊い物であった。指には今も痕が残り心の代償と連動している。指を犠牲にして創った力作は宮古を離れるとき持ちだしてきた。ところがその土手っ腹に蜂が穴を開けてしまった。蜂までもが創作に加った有り難い馬、今は んざんかい ぴずたーがら うらん(何処に行ったのか所在はわからない)。
ミャークフツ講座「ん」はすごいのだ 編
ひさぼう(平良市西仲出身)
詩人の谷川俊太郎に、次の言葉がある。
・「ん」という音が好きだ。力がこもっているくせに軽みがある。「ん」という字も好きだ。大地に足を踏んばっていて、しかも天へと流れている。
・ <ん>はおそらく母音の<あ>などと並んで、私たちが生まれてからもっとも早く声にする音のひとつだろう。そのせいか<ん>は体の感覚と切り離せないあるあたたかみを感じさせる。
・ 人間がいきむのを<うーん>と書くが、あれは実は<んんん>ではないかと私は思う。そういえば<ん>は漢字の<人>に形が似ている。私たちの体の中のエネルギーを、<ん>ははからずも象徴しているのかもしれない。
『「ん」まであるく』谷川俊太郎著より 抜粋
次は、くまかまvol.111 ワタリマリさんの「ボクのことば辞典」から。
「ん・ぐ」は水
「あー」は食べ物の催促
「ん・ま」は食事とかあちゃんとに使い分け
「ん」は了承
「ん・ば」は拒否と否定
「いーえ〜」は怒りと喜びに使い分け
この「ボクのことば辞典」を読むと“郷愁”にも似た感じがにじんでくる。
知ってのとおり、ミャークフツには「ん」から始まることばがたくさんある。が、これは“日本語の常識”からは、はずれている。「日本語には、<ん>から始まることばはありません」のである。「しりとり」も「ん」で負けになる。<ん>に対応する漢字もないらしい。<ん>は、人間が生まれてからもっとも早く声にする音・・・なら、<ん>からはじまることばがないのはヘンではないか。別の音になっているのではないか。
1、返事、肯定の<うん>という書き方はこれは実際は<ん>であろう。<む><むむむ>という書き方も同じく<ん><んんん>に思える。ローマ字で、U、M、N、で表わせる音は互いに通じるのではないか。
2、いも(芋)は、ミャークフツでは<ん>だけれども、助詞の「は」と「を」の使い分けで判断すると、「いもは、主食です」「いもを、掘って来い」はそれぞれ、「んーま、主食」「んーむ、ぷりくー」と言うから、この<ん>は、M である。(犬は、<いん>と言うけれども、「犬は、ほえる」「犬を、連れて行け」はそれぞれ、「いんな、ぷいどす」「いんぬ、さーりーき」と言うから、この<ん>は、N である。
話がそれるけれども、日本語の<ん>には四種類あるといわれる。<3年3組3番>を声を出して発音してみると同じ<ん>でも口の中の様子が違っているのがわかる。ただ<ん>の発音は、微妙な違いを入れれば五つも六つもあるような気がするし、個人差もあるように思えるからこれは数えるのはむつかしい。
3、「んーぬ うるし(荷を降ろせ)」「んーぬ かたみる(荷を担げ)」というように、ミャークフツでは、荷(NI)は、<ん(N)>と言う。もっと興味あるのは、日本の古いことばでは、「土」のことは、<に>と言ったらしい。ミャークフツでは、土は、<ん た>と言う。<に>が<ん>になっている。
4、東京にいく。東京にいる。下に降りる。3時においで。親に似る。これらの<に>は、ミャークフツでは全部<ん>になる。<似(NI)ているネー>は、<んーんーだネー>である。
5、日本語の「い(I)」で始まることばは、ミャークフツでは<ん(N)>で始まることばになるのが多い。
いま(今)→ ん なま |
いまだ(未だ)→ ん なだ |
いのち(命)→ ん ぬつ |
いきむ(息む)→ ん くむ |
いねつき(稲つき)→ ん なつき |
いなびかり(稲光)→ ん なびかず |
6、<んにゃ だいず>、<んにゃ どお んにゃ>、<あが んにゃ よーい>、などのこの<んにゃ>というのはなんだろう。
いよいよ、ますます、などを意味する<いや(弥、いやいや(弥弥)>から来たことばらしい。神主がハタキを振りながら、「イヤ栄エ、イヤナントカタマエ」とか言っているあのいかめしい言葉である。 i ya ⇒ i Nya⇒ N nya という変化であるらしい。したがって、この<んにゃ>も「い(I)」が<ん(N)>になっている形といえる。
7、<あが んにゃ>の<ん にゃ>、<あか んば>の<ん ば>もやはり、おなじことがいえそうである。すなわち、<あがんにゃ のーしが すーでい(しまった どーしよう)>の<ん にゃ>、は<い な(否)>の変化と思われるし、イヤだ!を意味する<あか んば>の<ん ば>は、<い や(嫌)>から来ていると思われる。
ミャークフツを含めて、いわゆる「琉球方言」には、「ん」から始まることばが多い。そして、これらは日本の古い時代のことばの名残りだといえそうである。ここで、ではどのくらい古いかが問題になる。
今の日本語の原形は「弥生語」だと言われるけれども、歴史時間の長さからいえば、縄文時代が圧倒的に長い。2千年に対して1万年である。それがなぜ「縄文語」ではなく「弥生語」かといえば、ももともと「文字」を持たなかった日本が「漢字」でもって自身のことばを表現するようになり、「しゃべることば」を「書かれたことば」「読むことば」で体系化して、それを「日本語」と称しているからにちがいない。
漢字を持たない「ん」は除外された。しかし、ことばは「文字」からうまれたのではない。「身体」から生まれた。
#参考書:「宮古群島語辞典」下地一秋 著
宮古からなくなったもの・風景
松谷初美(下地町出身)
◎ ゆーふるやー(銭湯)
かつては、宮古にも数軒の ゆーふるやーがあったという。
私は下里通りに入る、ゆまた(四つ角)の近くにあった ゆーふるやー
ちっちゃい頃行った。
◎ 港から荷物を運ぶ馬車
港からマクラム通りの坂を上ってくる馬車、なんか風情があった。
◎ 頭にものをかみた(乗せた)母ちゃんたち
ばんたがおばぁも母ちゃんも、頭に芋をかみて(乗せて)平良まで売りになー行っていたそうだ。
◎ 公民館の幼稚園
今は小学校に併設されているところがほとんどだと思うが、私のやらびぱだは、地域(私の場合、高千穂)の公民館が幼稚園だった。一応、コンクリートで作られていたが、窓ガラスもなく、雨や風が吹けば中まで入ってきていた。
◎ 貸し本屋
平良に住んでいる従姉妹の家の近くに貸し本屋があった。従姉妹の家に遊びに行ったときは、必ずここの貸し本屋で少女マンガを借りて読んだ。
当時、世の中にこんな便利なシステムがあるとは驚きだった。
◎ 袖をぱんだる(鼻水)で、かぴかぴにしたやらび(子ども)
昔は、ポケットティッシュなんてなかったし、ちり紙を持って歩くということもなかった。ぱんだるは袖で拭くものだったのである!?
◎ 十五夜ゆかに(舞台)
十五夜になると、子どもたち(女の子)が集落の真ん中あたりで歌や踊りを披露した。そのための舞台。その日がくると近所の大人の人たちが、にわか舞台を作ってくれた。現在の十五夜では、シーシャガウガウは、残っているようだが、歌や踊りの披露はやっていないようだ。
どぅかってぃ解説 多良間シュンカニ
マツカニ(上野出身)
今回は宮古と石垣島ほぼ真ん中に位置し独特の芸能文化が花開く島、国指定重要無形民俗文化財の、8月踊りでも有名な多良間島の「多良間シュンカニ」を取り上げたいと思います。
この歌は、首里から来た役人の赴任先の妻が、主を想って歌った唄です。
1. 前泊(まいどぅゆます゜)道(んつ)がまからよ マーン 下(う)りゆ坂(ざかま) すぅうゆずからよ スゥーリ 主(しゅ)が舟(ふに)迎(んけえ)がよ スゥーリ すが下(う)りよ (意訳) 前泊の小さな下り坂を下り主の船を迎えに すがの浜にいきますよ 2. 片手(かたてぃ)ゆ しーや ぼうずがま さうきよ マーン 片手(かたてぃ)ゆ しーや瓶(びす゜ん)ぬ酒(さき)むちよスゥーリ 主(しゅ)が舟(ふに)うしゃぎがよ スゥーリ すが下(う)りよ (意訳) 片手では子どもの手をもう一方の手には 瓶の酒を持って迎えにいきます
1.2番だけを見てみると るんるん気分で主の舟を迎えに行くように思われます。しかし3番以降の歌詞からすると、与那国島の「どぅなんスンカニ(与那国ションカネー)」がそうであるように、任期を終えた島役人を見送る絶望的な悲しみのうたのようです。
3. かぎ旅(たびす゜)ぬ あやぐどぅ すぅうずよ マーン ちゅらゆ旅(たびす゜)ぬ 糸音(いちゅに)どぅ すぅうずよスゥーリ 糸(いちゅ)ぬ上(うい)からよ スゥーリ ちゃ かりうしよ (意訳) いい旅路になるよう唄いましょう 航海が安全であるよう 4. 東(あがす゜)ん立つ 白雲(しらふむ) だきよ マーン わあらんゆ 立つ ぬり雲(ふむ)だきよ スゥーリ うぷしゃなり わあらだよ スゥーリ主(しゅう)がなすよ (意訳) 東方に立ち昇る白雲のように偉大な人になって下さい 5. 島(すま)わーらば 島(すま)とぅぱい わーりよ マーン 国(くに)ゆわーらば 国(くに)とぅぱいわーりよ スゥーリ うぷしゃなり わーらだよ スゥーリ 主(しゅう)がなすよ (意訳) 島と共に国と共に栄えて大きな人になって下さい 6. 片帆(かたふん)持つば 片目(かたみ)ぬ涙(なだ)うとぅしマーン 諸帆(むるふむ)持つば 諸目(むるみ)ぬ涙(なだ)うとぅしスゥーリ 主(しゅう)が船(ふに)うしゃぎでぃよ スゥーリ かなしゃよ (意訳) 舟の片帆が揚がれば片目から諸帆が揚がれば両の目から涙があふれ出る 7. 戻(むどぅる)る 道中(んつなか)んなよ 又(また) 降(ふ)らん 雨(あみ)ぐりゃ わーら上(うい)どぅ 立つ雨(あみ)ぐりゃあ あらん うえんまぬよ スゥーリ 目(みい)ぬ 涙(なだ)どー (意訳) 道中で雨が降るとすればそれは私のなみだです
残された彼女は再婚もできず、回りからはさげすまれたそうです。この唄の悲痛な感じがわかる気がしてきます。曲調はかの有名な下地勇さんがライブでしみじみと歌い上げるのを聴いて感動したかたも多いと思いますが、ゆったりとした名曲です。与那国のそれよりは多少明るいと思います。
それにしても、名曲といわれてる唄は、ゆっくりなのに 難しいものばかりです。この「多良間シュンカニ」も例に漏れず習得し難い唄のようです。私の場合、三線もその日その日でポジション(勘所)が微妙に変わりどこを押さえても合ってるような日もあれば どこを押さえても狂ってるような日もあり、なかなか大変です。
ぴたやいばどぅ あんちうーぱずやっすぅが あららがま んなまからだら
(下手だからそうなんだろうけど、なにくそ これからだぜ)
編集後記
松谷初美(下地町出身)
陽が暮れるのが ぴゃーぴゃーとなって、東京では、午後4時を過ぎるともう薄暗くなってくる。宮古に6時ころ電話をしたら、んなまどぅ(今)陽が沈もうとしているさーと話していた。宮古で言う夕方の時間と東京の夕方の時間は、1時間半くらい違うはずねー。
前号(vol.112)では、発送が遅れてごめいわくをおかけしました。発行元のmelma!でサーバーエラーがあったということでした。再発行のあと、最初に発行したものが届くという、ぴんなぎ(変な)形になりましたが、そういう理由でしたので、ご了承くださいね。申し訳ありませんでした。
きゅうまい しまいぎー ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃいらー。
(きょうも最後まで読んでくださりありがとうございました)
宮国さんの話、刻まれたのは、馬だけではなかったんですねー。何気ない日常の中にある幸福感が漂って、やぱーやぱ(優しい)な気持ちになりました。
ひさぼうさんの「「ん」はすごいのだ編」は、本当にすごいのだ。「ん」のすごさにいろいろな角度からせまり、また順を追っての説明が分かりやすいですね。「言葉は、身体から生まれた。」まさにみゃーくふつにはそれが詰まっている気がします。
前号のみしんさんが書かれたものに刺激され、「宮古からなくなったもの・風景」というのを考えてみました。他にもいろいろありそうですよね。あなたも考えてみませんか。そして、ぜひ投稿してくださいー。自分の生きてきた時代が見えてくるかもよ!?
「多良間シュンカニ」、いい唄ですよねー。でもなかなか7番までの唄を聴くということはないですよねー。表現豊かな歌詞と自らも三線を弾くマツカニさんならではの話、お楽しみいただけたと思います。
さて、今号の感想もぜひお寄せくださいねー。投稿作品も まちうんどー。あて先は、↓こちら。
ぱんたーぱんたの日々、どうぞ がんずぅやーしーうらあちよー
(忙しい日々、どうぞお元気でお過ごしください)
あつかー、またいらー(では、また)
次号は、12月15日(木)発行予定です。