こんにちは〜。 すっかり暖かくなってきましたねー。
がんずぅやしー うらまずなー(お元気ですかー)?
この4月から新しい環境になった方も慣れてきた頃でしょうか。 初めてのことも多く経験していることでしょうね。
さて、今号は「初めてシリーズ」からスタートですよ。
vol.122お楽しみください〜。
はじめての旅 宮古からオキナワへ
ひさぼう(平良市西仲出身)
1956年(昭和31)、小学校5年の夏休みに初めてオキナワに行った。
那覇に住んでいる一番上の姉夫婦一家を訪ねてである。たしか琉球海運の若葉丸だったかと思う。七色の紙テープを引きながら船が桟橋を離れ、海上を流れる曲が「蛍の光」から「軍艦マーチ」に変わって旅は始まった。
初めて乗る船の速いこと。船尾にまわって遠ざかる平良、サッフィ、パイナガマを見送った。砂山と見られる所を確認してから船首に移動すると池間の灯台が驚くほど近くに見えて左から右に移っていった。伊良部の後姿を眺めているうちにこれが船酔いというものか、気分が悪くなって船室に下りたあとは地獄だった。夜が明けて那覇の泊港に着く頃にはゆらゆら幽霊みたいになっていたらしく迎えに来たねーねー(姉)がおどろいた表情を見せた。
あっがいたんでい!のーりゃーんにゃうりゃあ(なんなんだこれは)、陸の人となって早々に目をみはった。タクシー、バス、トラック、米軍車十輪車、あらゆる用途の大型、小型の車が目の前を次から次ぎ通り過ぎて行くのである。こんな光景は、普段、ぬーま(馬)と荷車しか見慣れない目には仰天そのものだった。(当時、平良にはバスは走っていたけどタクシーはまだ見かけなかったと思う)しかも走っている道路がナウサンツではなく、ぴかぴかの滑るような道路である。一号線と呼ばれていた軍用道路に途切れることなく車が縦列で走っているさまは、今まで見てきた宮古の景色とは違う異国だった。ひんぱんに見るアメリカ兵の姿とカーキー色の軍用車がその思いを倍加した。
こうして、はじめて見るオキナワは圧倒的な数の車に対する仰天で始まった。次は驚異的な人の数である。平和通りの人ごみに揉まれながら、二度目のあっがいたんでい!ナニカコレハ!と息を呑んだ。昼間からナンでこんなに人がいるのか?昼間なら宮古の大人は、畑にいるか家の中でハタ織りしているか、外でさやふ(大工)をしているはずである。これだけの大人が昼間から遊んでいて一体どうなっているのか、学校の先生に聞いてみたいと思った。
国際通りに出たときは、今度は人の数ではなく果てしなく続く商店街である。真ん中を通る道路も、下里・西里通りとはケタ違いに広い。しかも今まで見たこともない衣類やら贅沢品があとからあとから目に飛び込んで来る。山形屋デパートに入ったとき驚きは頂点に達した。中だけではない外観、なんと五階ヤーではないか! 二階ヤーしか知らないのにいきなり五階である。屋上まで上がって見下ろしたときはほんとに夢のようだった。学校に戻ったらみんなに話してやろうと思った。
あと強烈な印象に残ったのが、夜のネオンサインである。真の闇、真っ暗な夜を夜と思っている者にとって、赤、青、黄色のネオンサインが数知れなく輝いている夜は信じられないことであった。これが後々妖しげなネオンサインに惹かれて夜な夜な歩き回ることになろうとはその時知るはずもなかった。当時、テレビはまだない。激しく動き回るパチンコ店のイルミネーションが、見ていて最高におもしろかった。これもみんなに話してやろうと思った。
オキナワに来てから妙なことが起こっていた。ていだ(太陽)が西から上がってくるのである。どう考えても、平良だと伊良部の左側から太陽が上がってくるように見えるのである。「オキナワでは太陽は西からあがるのか」と姉に聞いたらそんなことはないと笑っていた。後から知ったことにはこれは方向音痴の症状だった。今でもレストランや飲み屋で途中トイレに立つと、戻ってくるとき自分の席がみつからない。
今、世界遺産に指定されている中城城址は、そのころ遊園地と動物園であった。観覧車と二人乗り飛行機がぐるぐる回る風光明媚な子供の天国だった。太平洋が見える側の林が動物園になっていて、ここで初めてらくだ、ペンギン、七面鳥を見た。熊もいたかも知れない。ひつじがンメエーと鳴くから、あば!と珍らしかった。
1956年8月6日、待ちに待った日がやってきた。「美空ひばり沖縄公演」である。国際通り沿いの国映館を長蛇の列が取り囲んで、通りにはカタカナのコの字を縦にした歓迎門が蘇鉄の葉で造られていた。美空ひばりが19歳のときである。いつもスクリーンで大きく見ているから舞台でリズムをとりながら歌っている姿がやけに小さく見えた。時代劇のお姫様とか鞍馬天狗の杉作役で馴染んでいたから、白いドレス姿がなんともハイカラで天使のようだった。「私は街の子」かなんか歌っていたと思うけど、どんな曲を歌っていたかは思い出せない。
はじめてのオキナワは見るもの聞くものすべてが新しいことの連続で目をみはったままだった。この体験があったのではじめての東京は、電車と線路がめずらしいくらいで大都会のショックはそれほどなかったように思う。
再び中学一年の時に来たときはアメリカの34代大統領にも出会った。アイゼンハワー大統領(35代がケネデイ大統領)である。60年安保反対のデモがあまりにも激しく羽田空港に降りられなかった大統領専用機が急遽オキナワに着陸したのである。一号線で米兵のカービン銃が林立するなか、オープンカーに乗った大統領のヤカン頭があっという間に通り過ぎたのを見たのだった。
オキナワと宮古の距離は海上300キロと言われる。格差は大きかった。
国際通りは戦後10年間の復興ぶりがめざましいことから“奇跡の一マイル”と称され、アスファルト化された最新の道路は、復帰前の本土のレベルをはるかに超えていた。
宮古島から来た小学五年生はそれらを何も知らないでただただ驚いて見ていたのだった。
ぶーき゜なき゜(サトウキビ刈り)
あば本舗(下地出身)
何年か前に観て、気にいった映画に「深呼吸の必要」がある。
宮古島で撮影された―というチラシで読んで、最初は一体どういう内容なの?と思った。うぷいき゜ゆばー のーしぬばーんが っすてぃーぬぱなすびゃー? みゃーくんかい いきってぃどぅ うぷいき゜すゆ っすてぃーぬ 映画びゃーいら?(大きな息はどういう時にするか、という話なのか?宮古へ行って、大きな息をするという映画なんだろうか?)ぶーき゜なき゜(キビ刈り)の話と知って、ぴんなぎ(不思議)テーマだなぁと心の中で呟いた。
今は桜坂劇場に変わった桜坂オリオンの映画館。平日だったせいか、客は半分しか入っていなかったが、後味さっぱりの清々しい映画だった。都会から南の島に ぶーき゜なき゜(サトウキビ刈り)のバイトにやってきた若者7名が、とてつもなく広いキビ畑を一ヶ月かけて刈る、というストーリーである。雇い主であるおじぃとおばぁと共に、来る日も来る日も ぶーき゜(サトウキビ)と格闘する。そして、彼らはいつしか自分自身で色んなことに気づきはじめる。
私は映画を観ながら、子供のころに見た宮古での様子を思い出していた。宮古にいたころ、親戚や近所のぶーき゜なき゜(キビ刈り)を手伝う母や兄に連れられて、ぱり(畑)によく行った。いわゆる、ゆす゜まーる(本島でいう、ゆいまーる)である。
近所や親戚の共同体が、助け合ってぶーき゜なき゜(キビ刈り)を進めるシステムが、しっかりと活きていたのだ。現在は、機械化が進んだせいもあって各家庭単位で細々と作業していると伝え聞いた。
収穫時期の ぶーき゜ぱり(キビ畑)は活気に満ち溢れた場所だった。刈る、集める、トラックまで運ぶ、それぞれの役割が決められていて作業はダイナミックに手際よく進んでいく。そばで見るだけでもわくわくしたし、ぶーき゜(キビ)の爽やかな香りが周囲に漂っていた事を覚えている。
とはいっても、ぶーき゜なき゜(キビ刈り)は、決して楽な仕事ではない。しかも毎年、収穫前に台風が襲ってきて壊滅状態になることもある。農家の生活は昔も今も厳しい。でも、私の脳裏にしっかりと焼きついているのは、大人達の大きな声で笑い合う楽しそうな様子である。映画にもあったように、キビ畑で弁当を広げ皆でワイワイいいながら昼食を食べ、さんじちゃー ゆ んーなしー んまぎなり ぬみうたー(三時のお茶を皆で美味しそうに、飲んでいた)そんな大人たちの様子は、辛い農作業をしているようには見えず うかーす みじゃーす(凄い素晴しい)遊びに興じているように子供の私の目には映った。
ネットを検索してみると「深呼吸の必要」が、都会の若者たちに感銘を与え強い支持を受けている事が分る。この映画のメッセージを、若者たちがちゃんと受け止めていることが判って胸が熱くなった。
そして、私は宮古のぶーき゜なき゜(キビ刈り)を思った。宮古の吹き抜ける風。澄んだ空気のなかで、いきいきと楽しげに働いていた あんがたー(姉さんたち、おばさん達)や あじゃたー(兄さんたち、おじさん達)厳しい農作業を皆で力をあわせて、毎日 あまいがつな んにゃがまと(笑いながら、えいやっと)働いていたなぁ。
時は流れたが、きっとその営みは今も続いているはず。普通の日々の中にある幸せや、黙ってお互いを思いあうことの大切さ。目の前のことに一生懸命に打ち込むことの尊さを、いつまでも輝かせていて欲しいと願う。
深呼吸をしてから またひとつ故郷の大切な光景を胸に刻もう。すぅーはー。
冤罪
神童(平良市出身)
釣りが好きだ。インブリだ。4〜5年前、餌にするヤドカリを探して池間島へ向かった。夕刻6時半狩俣集落を通過する。みのる食堂前に人だかり。なにかの事故らしい。
池間島でヤドカリを探し、7時頃に狩俣集落を通過して砂山ビーチへ向かう。途中、大浦湾近辺でサイレンを鳴らした猛スピードのパトカーとすれ違う。砂山ビーチに付く頃には陽もとっぷり暮れて懐中電灯の灯りでヤドカリを探す。背後に人の気配を感じて、冷や汗をかきながら振り返ると警官二人が立っていた。
早速、職務質問。今、どちらから来られました?狩俣方面からです。狩俣は何時頃、通りましたか?6時半と7時頃です。免許証を出して下さい。住所氏名をしつこく訊かれる。電話番号をメモされて、ようやく解放された。
狩俣の事故は軽貨物車での老女ひき逃げ死亡事件。車両の色は白。時間帯は午後6時半。つまり、事故直後に狩俣集落を通過したことになる。宮古署のパトカーは、砂山ビーチへ向かう当方の車両を見かけ、赤色灯及びヘッドライトを消して音もなく忍びより、逃亡の可能性ありとのことで、パトカーに乗員1名待機、外2名で当方を職務質問したのだ。
冤罪はそうやって発生するものなのだ。冤罪のメカニズムを見いだした気分になりながらも一抹の不安が。
翌日、荷川取漁港から渡船に乗って平良港下崎北防波堤まで釣りに出かけた。日頃の行いと釣りに対する真摯な姿勢及び釣り師の腕が味方して大漁だ。クーラーボックスを渡船から降ろして一服だ。ふと、漁港入り口の道路をみると、パトカーがモクマオウの木陰で身を潜めている。明らかに張り込みだ。真っ青になったね。
漁民の話では漁港内にひき逃げ車両が駐車しているので、犯人が現れるのを張り込んでいるのだという。こと、ここに極まれり!冤罪だよ。
その日のうちに犯人は逮捕された。俺じゃなかった。ほっ!
やーぬなー(家での名前)、「カニ」(投稿)
ア、イラブyouさん(伊良部出身)
伊良部では鉄はカニで、鋼もパガニと言う。
男の子が生まれると、鉄鋼のように強靭な肉体の持ち主になるように、との願いを込めてやーぬなーを「カニ」という童名(やらびなー)を付けた。そのため、「カニ」という名前が多く、同名を区別する為には「カニ」の前に屋号をつけて、「○○カニ」とか「○○屋のカニ」と呼んでいる。
特に伊良部字国仲ではそれが最も顕著で、名前を知らない先輩に会ったとき等、「カニアザ」というとほとんどが当たりという具合に「カニ」が多い。中には本名よりも屋号のついた、やーぬなーの方が知られていて、お祝いの案内状など本名の傍らに童名を添え書きする。「やうう”ぁカニ」という名前のアザがいるが名前からすると、やうう”ぃ(恐い)強面のアザを連想させられるが、なんのなんの、優しい柔和なアザで、伊良部では「やうう”ぁカニアザ」を知らない人はいない位に有名である。
ある結婚披露宴の余興での事。新郎新婦の出会いを寸劇にしていた友人二人は佐和田の浜でデートしているとの設定であった。
新婦役:○○さん、佐和田の浜はいつ見てもきれいねー。 私とどっちが綺麗?
新郎役:そりゃー、もちろん決まっているサーヨー・・・。
しばし佐和田の浜(客席)を眺めていた二人
新婦役:あら!カニさんがたくさんいるわ。
新郎役:そうねー。んなかだーカニもいるね。みーがなカニも、 おもやしゃカニもいるね。
新婦役:○○カニもいるわよ。
新郎役:あれは毒カニだから止しておこう。
即興にしてはあまりにも見事な二人の会話に客席は噴き出してしてしまったものだった。
私の祖父も「カニ」という童名のやーぬなーで呼ばれていて、82歳まで生き、当時としては長命だった。くまかまライターのカニさんも頑健な体つきでスポーツマンだったとか聞いています。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
宮古では、22回目のトライアスロン大会が23日に開かれるんですね。今回もまたいろいろなドラマがあるのでしょうね。去年見た光景が頭に浮かんできます。選手のみなさん、関係者のみなさん、頑張ってくださいね。まだ生で見たことない方は、ぜひ、一度ごらんになることお勧めします〜。
さて、vol.122 のーしがやたーがらー?
宮古から初めて沖縄本島に行ったひさぼうさんの経験は、まるで自分もその場にいるかのような感覚でとてもリアルでしたねー。驚きもとまどいも息づかいも伝わってきました。宮古との対比もだいずうむっし。あたりまえですが、つくづくと自分たちは時代の中を生きているんだなーと思いますね。
映画「深呼吸の必要」話題になりましたよねー。私はまだ見ていないのですが、あば本舗さんのを読んで興味ががぜん湧きました。機械化が進んで ぶーき゜なき゜の風景も変わっていくのでしょうが、一本、一本、手作業でやってきたこと、昔は隣近所、皆で助けあってやってきたことなど、ばっしんようん(忘れないように)したいですね。
ライトを消し音もなく近づくパトカー。モクマオウの木陰で身をひそめ、張り込みをする警察官。ジャラリーン、まるでサスペンスドラマさいが!神童は、いろいろな経験をするなーと思っていたけれど、そんなこともあったとは!その日のうちに犯人が捕まってよかったね。しかし、おまわりさんを見ると、何も悪いことをしていないのにドキっとするのは、なんでかね?
「やーぬなー」にはいろいろありますが、男性の名前で「カニ」は、上位にくる名前でしょうねー。うちの近くにも「カニアザ」と呼ばれているおじさんがいますよ。カニはカニでもいろいろなカニがいてうむっしですね。ア、イラブyouさん、楽しい投稿たんでぃがーたんでぃでした〜。
今号のご意見、ご感想、ぜひお寄せくださいねー。
「初めてシリーズ」の投稿もまだまだ受付ています。それから、「あんな(母)への手紙」への投稿もぜひぜひ。1200字以内で、今月末まで受付中です。ぬぶいや ながーながしー まちうらっとー(首を長くして待っていますよ)!よろしくお願いします。
今号まい ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ でしたー!
次回は、5月4日(木)発行の予定です。あつかー、またいら〜。