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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 123

2021 5/01
メールマガジン
2006年5月4日2021年5月1日

こんにちは〜。 連休真っ最中ですねー。いかがお過ごしですかー?
今月14日は母の日ですね。くま・かまでは一足早く、 「あんな(母)への手紙」という特集を組みました。
vol.123 どうぞお楽しみください。

目次

あたらす あんなヘ(愛する母ちゃんへ)

ワタリマリ(上野村出身)

もう一週間電話がありません。
だれか話し相手が来ているのでしょうか?
もしそうだとしたら、会話の中身はなんとなく想像がつきます。

今日の相手は誰ですか?
すずめさんのようですね?
あんなは軒下に腰掛けて目は閉じたまま首を傾けて、
ゆっくりと話かけてるんでしょう?

はあい うっさ゜がま すうざいー うわたあや どぅっすさあんーなうがないい かまんかい くまんかいちい あっぴい まありゅうさあ
(ねえすずめさんたち、いいわねあなたたちは。お友達皆で連れ添って、あっちこっちあそびまわって)

ばが どぅっさあ んんーな うらん んざんかいが ぴーたががら お父ゆ あびらばん かなす ふっふぁう あびらばん あたらす んまがう あびらばん ういたありゃうらん 神棚ぬ 中んかい んーなぴりっち ばぬうちゃあーん さびすうさびす すうみゅうさあ(わが友は皆いないわよ。どこへいったのやら・・・お父を呼んでも、いとしい子を呼んでも、かわいがっていた孫を呼んでももうその人たちはいない。神棚の中にみんないってしまって、私だけに悲しい思いをさせてさあ)

あにむぬぴすとぅ のうちが あんちぬ さびす んまりゅう すうたあがらい。あがいー んぬっつばあ あたらかっふぁあにゃあん。(まったくもう、どうしてこんな生まれなんだろう?もういいさ、命はおしくはないよ)

聞いているのか、いないのか・・・
もうとっくに、すずめたちの姿はいなくなったとういうのに、盲目の あんなにはわからないわよねえ。ほらもう目からは涙がだだあと流れているでしょう?まえかきでその涙を拭いて、ひとつ大きくため息をついて、
さあ今度は自分への励ましの歌にしましょうよ

♪嵐も吹―けば、雨もーふうるう〜っちい(っと)んまりやう ふっふぁう なすっち うりゅう んつかに だまがりっちうぬわーびん こうさんまい だまがりっち ぴいとぅとぅぬ つきあいまい うむうがあにゃん しいらるだな どぅごうーどぅごう ちゃあんううたあさあ なう 哀れな人生があーたーがらい じんがまぬ ぴーちゃゆるみがまっしいき゜いたあ やさきん みいや やうわっしい また、奈落ぬどん底 のーぬ ばつぬが あたりゅうがらい(障害を持った子を産んで、その子をそだてるのに苦労したのに、その上貧乏で人との付き合いも思う通り行かなくって、心苦しかったなあ。ふう、どんな哀れな人生だったんでしょう。お金に少し余裕が持てて、さあこれからだというときに・・・目の病気をわずらって、また奈落の底だよ。何の罰があるって言うのだろう?)

あんな、罰など当たっていません。
これでもかこれでもかと、襲いかかってくるその不幸を、あんなは
見事に乗り越えているんですもの。
逆に兄がいたからこそ、乗り越えられたのでしょ?
あれほど兄を大事にし、何よりも誰よりも兄を守っていた
あのきりっとした あんなの顔を幼いころから見て育った私には
それが罰だとは思えない。必死で生きてたんだから。
罰を受けたとしたらしょんぼりしちゃってて、私の目に映った
あの強くてやさしい母は今頃どうなっていたんだか・・・

さあ、そろそろ洗濯物とりこんで、3時のちゃあにしてくださいな。
水屋の中に芳子さんが作ってきたカステラがあるんでしょう?

♪ここにさーちーいあーり あーおーいいそおら〜っち(っと)目は見えなくても、悲しいことはいっぱいあっても、上をむいてあるこう!ぬくいぬ ふっふぁぬきゃあ んまがぬきゃあ みゅうす゜ぬきゃあん うぬすくちい たかさしいらりい んまむぬぬ数々 服ぬ数々 んちきしとぅらしゅうさ ういちゃあんまいしい ばやあ しあわせさあ。(残りっている子供たちや、孫たち、姪っ子甥っ子たちにすごくかわいがってもらっていて、おいしいものや、たくさんの服を頂いているのだから、それだけでも私は幸せだよね)

弱くても強い我があんな
願わくは、私にもその強靭な精神力が遺伝していますように。

最後になりましたが、あんなー
天国への予約はここしばらく出来ないそうです。
少しでも長く子供たちの支えになってあげてくださいとのことですよ。
特に末娘はいつまでたってもまだ赤ん坊ですからね。

あっかいら んなーる(それじゃ またね)
またさびしくなったころに、お話ししょう。

あんなた が うかぎ(お母さんたちのおかげ)(投稿)

武島玄正(平良西仲出身)

私には実母のほかに「あんな」(お母さん)と呼んだ女性が3人いる。

ひとりは うぷあんな(伯母)である。しゅうやー(父の生家 戦前日本が台湾を植民地にするチャンスに使われた台湾遭難事件の犠牲者の1人馬筆者池村仁屋の生家)の うぷあんな。

戦争中私は姉と宮崎県小林市へ学童疎開した。伯母も福岡で働いていた長男の みずゆみ(新妻)と宮崎県の椎葉ダムの近くに家族疎開していた。父から「子供たちが疎開した。様子を見てくれ」と手紙が行き みずゆみが様子を見に来た。姉があまりにも可哀想な様子をしていたので、先生を拝み倒して うぷあんなたちがいるところに連れてきた。おかげでクリを拾い、カキやナシをもぎ、ヤマモモの実をはじめて口にする宮崎の田舎暮らしを体験した。

それから東隣の家のお母さん かまあんなだ。かまあんなにはいろいろお世話になった。
 
学童疎開から帰ったら祖母、両親ともなくなっていて兄弟4人残された。小学校5年の夏休みに粟の草取りの予定量を済ませ、帰り道暑くてくたびれたので道沿いにあったガマ(横穴)に腰をおろして休んだ。いつの間にか気が遠くなり人事不省になったらしい。通行人に家まで担ぎ込まれた。あがんにゃー ぬ かまあんな あ(東隣の かまあんなは)大切に育てていたバソーギー(ばななのき)を倒して私の額に乗せ熱を冷まして命拾いをした。

サッフィ(近くにあった海辺)に旧日本軍の上陸用舟艇が放置されていて子供たちの遊び場になっていた。マストから飛込みをしていたが船腹の壊れたとげで左足裏を切ってしまった。かまあんなは化膿を止めるためだと思うが、古草履にヤギの脂を乗せ脂が溶けるほど草履をあぶって患部に押し付けた。傷がふさがるまでこの飛び上がるほど熱い荒治療は続けられた。傷跡は今でも残っている。
 
父の妹 みがあんなにも世話になった。
小学校6年のとき台風で家が吹き飛ばされ、住めなくなり瓦葺で馬耕用の馬のいる みがあんなのうちの1部屋を貸してもらい、そこから高校2年まで通学した。7才下のいとこは台湾語が身につき昼寝から目覚めて母がいないと「アブアーラー(台湾語でおかあさん)」と泣き叫んだことも忘れられない。
 
実母は宮古上布の機織で忙しく子供たちの養育は祖母が引き受けていた。祖母は 伊良部尋常小の代用教員から訓導、新里尋常高等小の校長、退職して宮古神社の神主になった自分の弟の奮励努力を目の当たりにして、孫たちを「かくあれかし」と育てたであろう。

祖母と母は台湾に疎開しそこでなくなったが墓がどこにあるか分からない。台湾人に貰われていた弟を引き取りに台湾へ行った兄は知っていたかもしれないが、早死にしてしまい確かめようがない。

逆境に暖かい手を差し伸べてくれたあんなたちはあの世へ行かれたがその恩は忘れられない。そのようなあんなたちを生んだ宮古が忘れられない。

老後はまだまだ先

松谷初美(下地町出身)

母ちゃん、元気ですか?

今葉タバコの収穫時期だから、だいず ぱんたーぱんたしているはずね。来年には80歳になるというのに、どこにそんな いず(元気)があるんだろうといつも ぴるますむぬ(不思議だ)と思っています。

働くことが生きること。母ちゃんを見ていたらいつもそんなふうに思うよー。結婚して60年近く、家中の誰よりも働いてきたよね。

畑仕事をして、帰ってきても休む暇もなく、ご飯の準備をする。男の人たちは、ゆっくりテレビを見ることができても、母ちゃんは、台所でてんやわんや。なんで女の人だけこんなに難儀をするんだろうと やらびの頃母ちゃんを見て思ったものでした。

中学、高校のときは、母ちゃんによく反抗したっけ。あの頃は、大人が大嫌いだった。大人も やらびの頃があったはずなのに、どうして子どもの気持ちを分かろうとしないんだろう!とね。生意気だったねー(笑)

我が息子の反抗期には、子どもはなんで親の気持ちが分からないんだろうと思ったけど(アハハ、どぅかってぃだね)、自分もさんざん親に反抗してきただけに、そっか、自分もそうやってきたんだと冷静?になるのでした。このときに、やっと母ちゃんの気持ちが分かったかもしれない。

大人になったら、母ちゃんといろいろな話ができるようになって、少しは、母ちゃんの役にたってきたかなと思っています。帰れば甘えてばかりだけど、そろそろ母ちゃんが私に甘えてもいいはずよ。これからは、のんびりしたほうが良いと思うけど、相変わらず、畑仕事も頑張っっているよね。

うちで昔から取っている雑誌「家の光」も読む暇がないからと言って、バックナンバーをたくさん取ってあるけど、「これどうするべきか(つもり)?」と聞いたら「老後のためにとっておいてゆっくり読むさー」って、母ちゃんよー、もう十分老後だと思うんだけど。

でも、100歳近いおばぁがいるウチでは、母ちゃんは、まだまだ年寄りの域にはいかないはずね。上等母ちゃん、老後はまだまだ先だよ。

100歳からが老後と思ってまだまだ現役でいてね。して、仕事だけでなく、グランドゴルフもゲートボールもたくさんやって、いつがみまいがんずぅ(元気)でいてください。

それじゃ、またね。

追伸:油ミソ届きました。母ちゃんの油ミソは、まーんてぃ んまむぬ。 ごはん何杯でも食べられるさ。ありがとう。

かあちゃん

みしん(池間出身

「あがえ!っちゃんふ(いやだ)」(イライラしたときに言います)

台所で皿洗いしているかあちゃんの声がした。

手伝いもしないで、テレビばかり見て、皿も洗わない、むぬまい(ご飯も)つくらない。

ぐちぐち言っている。。これが続くとなかなかおさまらない。

あっじゅ〜い くとう ぬ あたり〜ゆいば なうまい あっじゃいん(言っていることがあたっているだけになにも言い返せない)
ここはひとまず、耳にふた。

「アメリカ〜人のいるところにはいかんよ。」

那覇へ進学が決まり、すま(島)を離れる私に注意。

行かんさ〜。とはいってみたが。

未来を見ていたのか、それとも私をみぬいていたのか。

さすが、かあちゃんの勘。

「捨てないよ!もったいない」

しまった!起きていたか。

2日前から あっちゃして(温めて)ばかりのおかずの残り物

捨てようとしたら何でも取っておくかあちゃんは しっかり見ていた。

リウマチで自由がきかないかあちゃんは起き上がるのもやっと。

今のうちにと、文句を無視してゴミ箱にポイ。

食中毒になったらどうするか、かあちゃん。

久しぶりに開いたアルバムに4年前の里帰りの写真

写真嫌いのかあちゃんはカメラに目をあわせないようにしている。

あっという間に歳を取ったね。

愚痴も、注意も、文句も、元気なかあちゃんの声が聞きたい。

会話がしたい。

家族のために苦労しどうしのかあちゃん。

心からありがとう。

もう一度僕を・・・

ざうかに(平良市宮原出身)

かあちゃん、がんずうさちい、うらます゜な
(かあちゃん、お元気ですか)

かあちゃん、苦労ばかりかけて、ごめんね。

僕が生まれた頃は、家は貧乏でお金はもちろん、食べるものもなかったと、聞いています。それでも、かあちゃんは、僕たち四人の男の子を、ちゃんと育ててくれました。まあんてい、たんでいがあたんでい(本当に、ありがとう)

人には言えない、語り尽くせぬ、苦労があったと思います。土地もなく、畑もないから、おとうが、さやふぶい(大工仕事)で作るお金でなんとか、生活しながら、荒れた山を買い、二人で切り開いて畑を作る。50年も、そうやって来たんだね。そんな苦労も知らないで、わがままなぼくを叱ってください。

かあちゃんは、鉄人です。トライアスロン大会の、優勝はかあちゃんあなたです。親孝行しなければ、いけないと思いながら、何年たったんだろう。まあんてい、すまんどう、かあちゃん(本当にごめんね、かあちゃん)

かあちゃんも、もう、七十歳になりますね。僕が、孝行するまで長生きしてくださいね。

かあちゃんの、口癖「ばあや、ふふぉばあ、なしうかんゆ(私には、子供は、いないよ)」この、言葉を聞くと、たまりません。

きっと、かならず、かちゃん孝行するから、長生きして待っててください。そして、もう一度、僕を生んでください。

かあちゃん、ありがとう。

おしらせ

  久しぶりにアガイダンディーズ(ざうかに&マツカニ)のライブが行われますよ〜。連休最後の日、民謡で楽しみませんかー?ぜひ、足をお運びくださいねー。

 ●アガイダンディーズ@わしたショップ大和店

日 時2006年5月7日(日)午後2時〜
場 所わしたショップ大和店(神奈川県大和市深見東1-2-36)
http://www.washita.co.jp/info/shop/yamato/index.html
入 場無 料 

編集後記

松谷初美(下地町出身)

全国的に、ぞうわーつき゜(良い天気)の連休のようですね。東京もさわやかな天気となっています。

今回は、母の日にちなんで初めて「あんなへの手紙」というのを企画してみました。身近な存在であるだけに、手紙にして想いを伝えるというのは結構難しく、最初はライターのみなさんもなかなか筆(キーボード?)が進まなかったようです。

手紙だったり、詩のような感じだったり、思い思いに書いてもらいました。のーしが やたーがらやー?

昔の母ちゃんたちは本当に つぅーばーで(強くて)、しなやかで、たくましいですね。懐の深さも実感します。

子どものころは、怒られるのが嫌だったのに、大人になると、怒ってほしいと思うことありますね。バカなことをしているなーと思っても、大人になると誰も怒ってくれない。怒られることの有難さ、親の愛情の深さが、しみじみ分かります。

武島さんは、戦争でお母さんを亡くされて、周りの心優しい、たくさんのあんなたちに手をかけてもらったんですねー。周りの方たちの情の深さが き゜むん(心に)染みました。投稿たんでぃがーたんでぃ〜。

今月14日は母の日。手紙で想いを伝えるというのはいかがでしょうか?

今号の感想、ぜひお聞かせくださいね。掲示板やらばんメールやらばんお待ちしています!

次回は、5月18日(木)の予定です。どうぞお楽しみに〜。
では、楽しい連休をお過ごしください〜。あつかー、またいらー。

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