こんにちは〜。 沖縄は梅雨入りしましたねー。
すぷーすぷ(湿っぽく)しているかねーと思ったら昨日は梅雨の中休みだったようですね。
さ、くまかまも、五月晴れスカッといきますよ〜。
vol.124お楽しみください。
ぴんぎ(逃亡)孔雀
神童(平良市出身)
連休明けの本日(8日)。一件の電話が入った。平一小学校から孔雀が逃亡。逃亡直後、校舎屋根まで舞い上がり、近所の医院屋上へ飛翔。困り果てた校長が電話をしてきた。
当方、担当でないものの連絡を受け、担当部署に報告。とりあえず平一小学校校門で担当職員と待ち合わせる。待ち合わせの後、担当職員は校門前から逃亡。現場には、通報を受けた宮古署の警官が2名。1名は孔雀のそばで逃亡孔雀を監視。もう1名は地上でうろうろ。
警官から質問を受ける。何か、捕獲する道具を持ってきましたか?俺に訊くんじゃねーよ!逃亡した担当に訊いてくれ!警官が提案する。サッカーゴールのネットを外して押さえ込むのはどうでしょう?はーーっ!相手は屋上の手摺りにいるんだぜ。どうやって被せんだよ?パーマンを呼べ!当方が提案する。警察の組織力をもって奴を小一時間程追い回せ。如何に鳥でも疲れるだろう。却下された。
とりあえず、警官、校長、当方の3名で屋上へ向かう。現場周辺では、隣のアパートの屋上から新聞記者が2名。カメラを構えている。肝心なときに同僚のK.takanoriがいやがらねえ!
監視役の警官は、どこで調達してきたのか?捕虫網を手にしている。直径約20cm。巨大なハエというか、なびがーす(蝉)しか捕れねーだろ。それじゃーよ!
逃亡犯を見てみる。2m程のフェンスのてっぺんに止まり、人様を見下ろしている。睥睨だ。鳥のくせに。焼き鳥にすんぞ。このやろー!奴が止まっているのは、屋上に設けられたクーラー室外機の2mのフェンス上。フェンスのドアを開いて途方に暮れている警官が約1名。そっと近づく。
当方、サングラスなので奴は警戒心ばりばり。そうだ。鳥は目玉に異様な警戒を示すのだ。飛行機だってジェットエンジンの真ん中に目玉書いているし、船だってそうだ。それと、鳥の目は視界がほぼ360度。地上部分にに関しては、ほぼ180度だ。と、思う。だって、鳥は下を見る時、首を傾げるじゃないか。
警官に指示を出す。こいつはサングラスが怖いから今、びびっている。注意力をこっちに向けておくから奴の背後に回り込んで尾羽を掴め!なのに、孔雀にびびって警官が近寄れない。孔雀ごときにびびってんじゃねーよ!大丈夫だ。鳥はほぼ下を見てないから早く掴め。警官反応しない。じゃー、その腰の鉄砲で孔雀を撃て!喉まで出かかる。
背の低い警官がそろりそろりと孔雀の背後に忍び寄る。当方は、孔雀を引きつけるため奴とにらめっこ。遂に、背の低い警官が孔雀の尾羽をゲット!しかし、90cmもある尾羽の20cm部分を鷲づかみ。暴れる孔雀。引き吊り落とせ!でも、悲しいかな。背が低いために孔雀の尾羽をたぐり寄せられない。だーかーら、背の高い警官が行け!って言ってんのによ。
必死に暴れるぴんぎ孔雀。しかし、警官も必死だ。外さない。孔雀はフェンス反対側に宙づり。尾羽がごっそり抜けて、孔雀はフェンスの向こう側に落ちた。追いかけんかよ!警官2名呆然。大きな鳥は、ある程度の助走がないと飛び立てない。今なら間に合う。フェンスの下の隙間30cmから反対側に入り込み奴を追い詰める。助走して飛び立とうとするも、距離が短いので壁にぶちあたる。室外機の配管が錯綜する現場で奴をゲット。尾羽はほとんど抜け落ち残ったのはたったの2枚。捕獲ついでに、当方、膝をパイプに強打。右半月板が激痛。労災だな!
捕獲後、警官に孔雀を引き渡す。捕獲のどたばたでサングラスがない。現場に散乱する大量の羽の中だ。警官が探すのを手伝おうとする。いや、おめーらは来るんじゃない。絶対サングラスを踏みつけるから!
地上に降りると新聞記者がインタビューしてきた。
「見事な捕獲劇でした。今までに孔雀を捕まえたことがありますか?」
あのね、どこの狩猟民族かよ?アボリジニーか?お土産に尾羽を2枚もらってきた。90cmもあるぞ!
草刈り坊主(牛の鳴く夜に)
アモイ(平良市出身)
昭和40年前後の小学校から中学校にかけた子供の頃は気がついたら毎日のように家畜の草刈りが義務のように課せらていた。ただいつもやっていた草刈りなのに何歳の頃からちゃんとした草刈りができたかは覚えていない。
兄弟や近所の子供達もまったく同じような状況であったので隣近所には草刈り仲間がいっぱいいた。草刈りも季節によって刈りやすかったり、刈りにくかったりと違いがある。もっとも草刈りのしにくい時期は草が伸びない冬場の11月から3月頃迄と夏場に旱魃などがある時期だ。
冬場の1月から3月はキビ倒しが始まり、ぶーぎぅぬすぅら(キビの葉)で間に合わせるために草刈りはほとんどしなくてよくなる。その代わりキビ畑から家まで馬を出してキビのすぅら(キビの葉)を運ぶ事になる。草刈りは男の子の仕事なのだ。畑仕事を手伝う女の子は多かったが、鎌をもって草刈りにいく女の子はほとんど居なかった。みどぅん やらびぬきゃーや ふそーまい からだな みゃーすきやー、あがーい、ばんまい みどぅんかい んまりったんがらー(女の子達は草刈りもなくて楽そうだな、あー俺も女の子に生まれてればなー)と思ったものだが、女の子も家事手伝いも多く楽ではなかったのかも?
私は芋の炊き出し以外は台所手伝いはほとんどした覚えがない。男の子と女の子の役目はしっかり決まっていた。腹が減って食事はまだかまだかと台所でうろうろしていると、親父から「びきどぅんな、とーうわ んなたたん」(男は台所には立つな)と怒られたものだった。
我々男の子は学校から帰ると、仲間を誘い合って草刈りにいくのだ。鎌をとぅす(砥石)で研いで、簡単な切れ味テストは親指の腹を刃に垂直にあてて、なでて音を聞くのだ。切れる釜は「グースグース」てぃがまーしぬ いい音ぬ いでばーだら(というようないい音がでる訳さ)究極の切れ味チェックは親指の爪に鎌の刃をあててぶら下げてみる。切れる鎌の刃は爪に切れ込んで落ちないのだ。刃の先端の方にぶら下げても落ちない鎌は最高の切れ味だ。そのせいで、右親指の爪はいつも鎌の刃の切れ跡が何本か残っていたものだ。ちなみに切れない鎌の事は「ふちぱがに」とか「ぽーきいさ゜ら」と言う。さーて切れ味を確認していざ草刈り坊主達の出陣だ。
草刈りに行って困るのは、鎌をどこに置いたか探せなくなるときだ。草を束ねるときは必ず鎌を置いてからやるので、その時に草の中にまぎれてしまい、なかなか探せないときがあるものだ。たまには鎌をしっかり手に持っていながら、ばが いさ゜らー んざんかいが ぴぃーたー?(俺の鎌はどこへ行った?)と騒ぎ出す人もいて、てぃーん むちうーむのー のーりゃー、むのみーん ぷりむぬさいが(手に持っているものは何なのさ、物を見ない阿呆さいが)と言ってみんなに笑われてしまうのだ。それから、鎌が古くなってて、木の枝などを切ろうとして鎌の柄が折れてしまう事もあり、これはお手上げで家で修理するしかない。
草刈り坊主達は遊び盛りの子供であり、時々草刈りを忘れて遊んでしまうのだ。鎌を投げて木に刺す競争をしたり、鎌をくるくる何回回せるかを競ったり、木に登ってぶら下がって鉄棒の真似をしたり、バンチキローやザウカニやイチゴ(バンシローやグミや野いちご)などの山の実とりに夢中になったりして、日が暮れてから慌てて草を刈り始めるのだ、暗くてよく見えないから手当たり次第の草を ぽーき(鎌にスナップを聞かせてり取る方法)て束ね家路につく。
親父は家の中にいながらも子供達の草刈りの事はかなり気にしていて、見ていないときでも、草を下ろしたときの音でどの位の草を刈りてきたのか判断するのだ。そこでわれわれもたくさん刈りてきたように出来るだけ音を大きくするのだ。くんぎ きずたー ふそー(背負ってきた草を)まるで柔道で背負い投げをするかのように、たやーいし わーぶから まーらし ずーんかい だっふぁ、てぃー たたきつき(精一杯 上から回して地面にダッファ!とたたきつけて下ろすのだった)。「いふたばすが刈り きすたりゃ−?」(いく束かりてきたの)兄貴が答える「ばーや−んんたばす、アモイや いつたばす」(俺が6束でアモイが5束)と言って安心させるのだ。
しかし、牛や馬は正直なのだ。刈りてきた草は食べられるのはほんのわずかだ。あとは かりふさ(枯れた草)なので食べないのだ。夜中に腹が減った馬や牛は訴えるのだ。馬はそれほどうるさくないからいいのだが、牛はたいへんだ。「ンモー、ンモー」と連続で鳴き出すのだ、あば、はーい、うわたー ふそーばー あずきでぃすたーなー、(あれ、おまえら草はあげてあるのか)と言われて夜中に草を上げにいくのだが、もうあげても無駄な事は百も承知なのだ。正直な牛にいくら枯れ草をあげても鳴き声はやむどころか、ンモー、ンモーだけでなく、甲高くメロディーかあるいはしゃべっているかと思えるほど、「ンモーーーーウ〜〜〜。ンモーーイヤ〜〜」と部落全体に響き渡るほどエスカレートしてしまうのであった。あーあ、こちらも泣きたいよー、我々草刈り坊主は夜中の家畜の鳴き声には敏感に反応するのだ。
親父をうまく音で欺いたと思った背負い投げの効果も夜鳴き牛の前では役に立たず、枯れ草を刈りて来た事がバレバレになるのだ。いまかいまかと生きた心地がしないままびくびくしているところへ「くぬ、がきすぬきゃーや、うわたーぱーがろーどぅ ふさてぃー かりきすたーなー うきる」(このガキどもめ、お前らは枯れた葉っぱを草として刈りてきたのか、起きろ)と夜中にも拘らず親父にしこたま怒られ、兄貴から順に骨が折れるか思うほど叩かれる事になる。しかししばらく経つとまた同じ事を繰り返したりして、打たれ強い子供となり親父のストレス解消に一役かってたかも知れません。今度帰省したら神棚の父に聞いてみたいとおもいます。
ありたっけの喜び
松谷初美(下地町出身)
公共図書館で臨時職員として働いて10年余り。
んなまずぶん(この時季)には、初めて図書館に足を踏み入れる いみっちゃぬ(小さな)お客様が結構いる。お母さんやお父さんに連れられてやってきて、本屋とは違う図書館を初体験する。最初は、「これ買ってー」と本はお金で買うものだと思っていた子どもたちもやがて「借りる」ということを知っていく。
本の楽しさを知ると夢中になって読む。図書館に入ってくると、目的の場所に一目散にかけていって、本を選び、じーっと食い入るように見ている子もいる。本の世界に入り込んでいるその姿にはなんとも言えないものがあり、図書館員は遠くからそれを眺め、心の中でにんまりする。
かながいぬ(このあいだの)日曜日、5歳くらいの びきやらび(男の子)がお父さんとおねえちゃんと一緒に来館した。読みたい本を探したあと、男の子はひとりで自分の本を持ち、カウンターに来た。緊張した面持ちで、「貸してください」と利用カードを出した。そこからはもううれしさが隠せない。彼は、自分ひとりの力で初めて本を借りるのだ。カードを出し、貸し出しの処理をしてもらう。そのひとつひとつがとてもうれしくて、笑みがこぼれ、体が浮き立つ。「○日までにお返しください、どうぞ」と本を渡したら、ぴょんぴょんとび跳ねて体中からありったけの喜びがあふれ出た。
子どもにとって、自分ひとりでできた喜びというのは、この上ないものらしい。これまで両親やお姉ちゃんがやっているのを見て、いつか自分もひとりで借りたいと思っていたのだろう。見ているこっちも ぷからすーと(うれしく)なった。(おめでとうと握手をしたいくらいだった)
やらびぱだあ(子どものころは)、うれしいことも悲しいことも体中で表していたものが、大人になるとだんだんとそれをしなくなる。それが大きくなるということかもしれないが、このごろ、そういうのはつまらないなーと思うようになった。
宮古の人は、泣くことも笑うことも怒ることも あにぎな(そのまま)ストレートに出すことが多い。私もホントにそうだ。喜怒哀楽の激しさを嫌だなーと思っていたこともあったが、それはまんざら悪いことではないかも!?とこのごろ思う。
先の男の子も喜びが体中を満たし、とても生き生きとしていた。大げさかもしれないが、こういう喜びは生きる力になると思う。
図書館で子どもたちがそういう体験をしていくのは、本当にうれしいことだ。いみっちゃやらばん(小さくても)立派なお客さん。これからもたくさん図書館に来てねとバイバイをした。
郷里の先輩に学ぶ
菜の花(伊良部町出身)
四月のある日曜日、会いたいと思っていた方に会うことができた。
「宮古古諺音義(みやここげんおんぎ)」の著者である新里博氏とその奥様である。
新里氏が講師を務める「渋谷書言大学講座」の野外学習に誘っていただいたのだ。待ち合わせ場所は渋谷駅のモアイ像前。思わず「アモイ像ですね」と言って訂正された。どこかで聞いたことのあるネームだったので間違えてしまった・・・
当日、待ち合わせ場所に着いたものの、こっちから来るかねー、あっちかねー。どんな感じの方かねーと会える嬉しさと緊張でじっとしていられない。とうとうモアイ像を一回りしてしまった。電話では何度も話しているが、会うのは初めて。私だという目印に新里氏から頂いた本を持ってモアイ像の前に立った。横目でモアイ像の目を見たら笑われているようだった。
前方から夫婦と思われる年配の男女がまっすぐに私の方へやってきた。女性に声をかけられ(わー。電話の声と同じだ〜)とぷからすーとなった。奥様の「電話で話しているせいか、初めて会う気がしない」との言葉と、やぱーとの笑顔に私の緊張も解けていく。イメージ通り、相手を安心させる雰囲気の奥様だった。新里氏も描いていた通りの いらうみぱな(伊良部顔)で、どっしりとしたものと暖かさを感じさせる方だった。
次々と集まってくる受講生に混じって、山手線沿いにある六義園へ向った。受講生が電車に乗るのを手伝いながら、(平均年齢は幾つくらいになるんだろう。若くないことだけは確かだなー)とか考えていた。話の端々にも年配者としての重みのある言葉が感じられる。老人施設で働く私にとっては、むしろ自然体で接することができ、会話も弾んだ。
目的の六義園に着くと、まだ花のない藤棚の下に一行は陣取った。新里氏より六義園の由来や、万葉の歌について講義が行われた。背筋を伸ばし、朗々と説明をする新里氏。冷たい風が吹く中、静かに聞き入りながらメモをとる高齢の受講生。新鮮な光景であった。
園内を巡りながら、立てかけてある和歌の間違いを指摘したり、さりげなく次々といろんなことを教えてくだっさりと、まるで歩く古語辞典、歴史辞典のようだ。万葉の言葉、そして日本語という言葉に対する熱い思い、博識さに私はただ感銘を受けるばかり。何を言われても頷くばかり。新里氏は伊良部出身であり、私は同郷に生まれたという偶然に感謝せずにはいられなかった。
新里氏の話によると・・・勉強したさに14歳の時、一人で東京目指して船に乗ったとのこと。伊良部島の ふなうさぎばなた(船を見送る岬)で、たびす゜ぱい(旅栄)を祈って母親や姉たちが船が池間島を回る頃、かがり火を焚いて船を見送ってくれたという。その灯りのことを今でも忘れることができないとしみじみと話してくれた。
新里氏は現在82歳。今でこそ、飛行機だ携帯電話だインターネットだと、島との距離感をあまり感じないが、今から68年前(おごえー!そんなに前だったんだよねー)たった14歳の少年が小さな島から東京目指して船に乗り、今生の別れの思いで火を焚いて船を見送る母と姉たち。そんな場面を想像しただけで胸がジーンとしてくる。
新里氏は、時代の流れの中でいろんな仕事をしながら学び続け、56歳の時に大学院を出たと淡々と話した。「宮古古諺音義」の本を出すまでには、三十余年もの年月をかけて研究をしてきたとのこと。
帰りの電車の中で新里氏にそっと聞いてみた。「その向学心の元は何だったんですか・・・」新里氏は前を見据え、きりっとした表情で答えた。「何か言おうとしても、学がなければものが言えない時代だった。小さな島の出身者なら尚更ですよ。私たちが今、学んでいることは先人達の残した知識です。一人の人間が一生かかっても学べる量はそのごく一部に過ぎません。勉強しないということは先人たちが残した財産を無駄にしているということです。一生勉強。これが私の考えです。」
あがい〜!耳がいたーい話だぁ。新里氏の学問に向き合う姿勢を目の前にして、ぱずかすむぬ〜(恥ずかしい)。学ぼうと思えばいつでも、どこでも情報は だう(たくさん)あるのに、それを見ようともしない。だいず なまだん(すごく なまけもの)自分を反省した。新里氏に会えたことで、私の内に何かがちょっと芽を出した。学ぼう。習おう!そんな気持ちにさせられた。
ところで・・・さぁ、何を学ぼうかねー。何を習おうかねー・・・。
<プロフィール>
新里 博(あらざと ひろし)
1923(大正12)年伊良部島長浜生れ
東京都立大学附属高等学校を経て
國学院大学文学部文学科卒業(国語学専攻)
國学院大学大学院日本文学研究科博士前期課程(国語学専攻)修了
文学修士
國学院大学大学院日本文学研究科博士後期課程(国語学専攻)
単位取得修了
東京都教育庁生涯学習情報システム登録講師
渋谷書言大学主任講師 上代文学会会員
著書:「小倉百人一首新注釈」「宮古古諺音義」ほか
おしらせ
新城和博(ボーダーインク)
●沖縄県産本フェア IN 東京関連イベント
38号をもって終刊した沖縄発のコラムマガジン「ワンダー」 終刊のニュースに、作家の亀和田武さんが「旅行ガイド本ではなくワンダーから島唄・沖縄音楽・料理・おばぁ・路地など知らない沖縄を教えてもらった。ありがとう」というコメントを朝日新聞に寄せてくださいました。
感謝の気持ちをこめ、沖縄に関心をもつ人、初めて沖縄にふれあう人、みんな集まって沖縄県産本をもっともっと知ってもらえるようなイベントが東京で開かれます。ふるってご参加ください!
(1)沖縄県産本フェア
25社、2000冊の沖縄県産本を展示販売! ワンダーのバックナンバー、沖縄戦、基地、島唄、うちなあぐち、料理、祭り、民間信仰、民話、文学、紀行文、三線、エイサー、古典音楽、組踊、自然、歴史、写真集などの豊富な品揃え! そして島唄の県産CDも充実のラインナップです。
期 間 | 2006年6月5日から1カ月間 |
場 所 | ジュンク堂書店池袋店4F (豊島区南池袋2-15-5、電話03-5956-6111) |
交 通 | 池袋駅 |
(2)沖縄県産本トークセッション「コラムで知った!? 沖縄・オキナワ・うちなー あれこれ」
なぜこんなにも気になってしょうがないのか!?
愛すべき沖縄のすべてと本作りの魅力について、語り合います。
亀和田氏絶賛の「ワンダー」創刊準備号から終刊号までのあれこれも聞けるはず。沖縄通にはたまらない!
みなさんからの「沖縄について」の質疑応答も大歓迎。
講 師 | 亀和田武(作家・コラムニスト) 新城和博(ボーダーインク編集者) |
日 時 | 2006年6月22日(木)午後7時から |
場 所 | ジュンク堂書店池袋店4F喫茶室 (豊島区南池袋2-15-5) |
入場料 | 1000円(ドリンク付き) |
定 員 | 40人 |
※ジュンク堂書店1Fサービスカウンターおよび電話03-5956-6111で予約受付が必要です。
お早めに!
(3)沖縄県産本ライブ・宮古編
「下地勇/心のうた オール・ミャークフツ・シンガーの原点 トーク&ライブ・サイン会」
故郷・沖縄県宮古島の風景をミャークフツ(宮古方言)で歌うシンガー・ソングライター・下地勇。 ボーダーインクから発行された初のアーティストブック『下地勇/心のうた』も好評発売中です。
本の発行を記念して、ライブとトークショーを行います。宮古の方言、暮らし、歌をはじめ、下地勇と本書編集担当の新城和博氏が、本ができるまでのエピソードや秘話を披露します。
あなたもきっと宮古島に、下地勇にはまってしまうはず!
日 時 | 2006年6月21日(水)午後6時30分(6時開場) |
場 所 | 丸善丸の内本店3Fセミナールーム 千代田区丸の内1-6-4オアゾ 電話03-5288-8881、丸の内本店和書グループ |
定 員 | 100人 |
※要整理券先着100名様に丸の内本店和書売り場各カウンターにて配布いたします。(電話でも受け付けしているとのこと)
ブックフェア同時開催……6月5日から7月2日まで丸の内本店3Fミュージアムゾーンにて「沖縄〜音楽とカルチャー」フェア開催。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
東京も梅雨入りか?というほど、あみちゃーん っふぃゆー(雨ばっかり降っています)。
さて、vol.124 や のーしが やたーがらやー?
神童の孔雀捕獲物語、笑えますねー。突っ込みのするどさとオチのつけどころは天下一品さね。宮古の二つの新聞にもこの模様は載ったようなので、ご存知の方も多いと思いますが、当の本人からの話は、また格別なものがありますね。新聞記者のみなさん、神童の周りを張ると、うむっし出来事に出合うこと請け合いです。尾行する価値あるはずよー。
「ふそーかりくー(草を刈っておいで)」と、お父が息子たちに言っていた言葉は、私の耳にも残ってますねー。いきむす(家畜)の世話は、ホントに大事な仕事でした。アモイさんの草刈りの話で、一気に昔にタイムスリップ。鎌の切れ具合のチェックのやり方など、懐かしく感じた方も多いのではないでしょうか。それにしても草刈の話だけで、こんなに多くのことが語れるのだから、昔の少年たちはすごいですね。牛の鳴き声もリアルに聞こえてきそうでした。
新里博氏著の『宮古古諺音義』は、すごく素晴らしい本ですが、菜の花の新里博氏の紹介を見て、「やらばどぅ(だからか)」と納得しました。学ぶことへの意欲はすごいものがありますね。新里氏とのぬふーぬふぬ(温かい)交流から、菜の花が刺激を受けた様子がよく伝わってきました。「勉強しないということは先人たちが残した財産を無駄にしている」という新里氏の言葉、しっかり胸に焼付けたいと思います。
新城さん、おしらせ たんでぃがーたんでぃ〜。
くま・かま本でも大変お世話さまです。ぺこり。
亀和田氏の朝日新聞での紹介記事は私も読みましたよ。トークショー楽しみです。下地勇さんの本ができるまでのあれこれも興味しんしん。ライブもあるとは、これはもうぜったい行くべき!
人数制限があるとのことなので、ご希望の方は、今すぐジャッと申し込みしたほうが良さそうですよ。
しまいぎー ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜(最後までお読みいただいて、ありがとうございました)
今号の感想もぜひお寄せくださいね。お待ちしています!
次号は、6月1日発行予定です。不安定な天気が続いていますが、
体調くずされませんように!あつかー、またいらー。