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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol.125

2021 5/01
メールマガジン
2006年6月1日2021年5月1日

こんにちは〜。 きょうから6月ですね〜。
うちの近所では、この時季、小中学校の運動会が開かれます。 内地のある場所では、伊良部の運動会が開かれたようですよ。
今回は、いず(元気)がもらえる あんちぬ ぱなすから。
あつかー、ぱずみっとー(では、始めますよー)

目次

伊良部のいず(元気)

宮国優子(平良市出身)

私のまわりには、案外伊良部や池間民族の方が多い。友人のほとんどといっても過言ではないくらい親がそこの出身者なのです。市内ふっふぁ(子ども)とは言ってもキラリと光るDNAがまぶしいってば。
 
みんな いずがある感じ。して、よーく見ると、眼光鋭く顔もきれい。どうしてかずっとわからなかったけど、先日、伊良部の大運動会に取材に行って、膝をポンと打つくらい大納得いたしました。 
 
先週の日曜日、神奈川県の都筑区のとあるグラウンドに集まる伊良部の皆さん。500人は軽く超えていたと思う。それも2世3世が だう(たくさん)いて、案外伊良部ふつも上手に使っていた。
 
まずそこで だいず ぴくまりた(驚いた)。私の市内ふつもあんまり違和感がないようで、かっこいいにぃにぃなんかも(ある意味、ハーフというか、ものすごく美しいミックス具合でした)普通に気さくにお話ができた。今の言葉でいえばいわゆるイケメンだと思われます。 
 
  伊良部直送のうず巻きパンを使った(!)パン食い競争に始まり、徒競走は幼児(うちの1歳の娘も参加)から、はてはきっと70くらいだろうと思われる人まで走っていました。走ると必ずもらえるお菓子や洗剤などの景品。それをバンバン振る舞うわけ。なんちゅー太っ腹かよ。 
 
  支部対抗リレーがあるのですが、同じ区間を20代の青年も走り、50代の熟年も走り、小学生も走るという昨今の教育事情も真っ青な素晴らしさ。これでこそ子供は大人にあこがれを持つのだ!(断言)これが一番教育としてはまっとうだと思われる。高校生と中学生が小さな子供たちをおぶったり、あやしたり、だいず かふたきて(抱きかかえて)遊んでいるのを見るのも心を打ちました。これもきっと親と環境がそういう風に育てているんだはずね、上等。 
 
お昼は血合いの豚肉やら鶏のぶつ切りの煮込みやら、あぁそうだ、宮古そばもありました。売店にはブルーシール、雪塩もありました。まるで宮古島に帰った気分でした。それにしてもみんなが笑顔で酒を酌み交わし、リレーに命をかける。そんな彼らを見ていると、人間の根元的な部分を深く意識させられました。だからあんなに いずがあるんだはずね。 
 
あぁ私は伊良部の人と直接関係ないけど、来年も行こう・・・。関係なくても行っても良さそうなので、今度誰かご一緒しませんか?ずぅ〜ら。(行こうよ!)

初めての信州伊那盆地 (投稿)

武島玄正(平良出身)

信州伊那盆地に住んでずいぶん長いこと経った。

30年ほど前、伊豆半島「修善寺物語」の修善寺町の隣町大仁町から地価が5分の1ほど安い信州の造成地を義兄に紹介され購入して、伊那盆地天竜川の右岸段丘(源流を背にして右側)にある集落に移転した。

赤いりんごが枝からぶら下がっているのを見て感動した。パインを知らない人が初めてパインのなり方を見て声を上げるのと同じである。

宮古とも伊豆とも違う信州の暮らしは、初めてのことが多く驚いたり、感動したりの連続だった。

暖房費
8月の異動で薪炭手当てが出て、夏のボーナスが2度出たように感じて喜んだ。伊豆の大仁では風呂が15分から20分で入れたがこちらでは40分も50分もかかった。ストーブは10月から炊き出したら翌年の梅雨まで半年も灯油を炊いてゴーリ(おどろい)た。
 
アカマツとヒノキの2段林
川の源流が花崗岩地帯で砂が真っ白で中州にアカマツとヒノキが生えていた。同時に植えたのに赤松の成長が早いため上木がアカマツ、下木がヒノキの2段林になったわけで、赤松の幹の赤さとヒノキの緑それに砂の白さが映えて美しく感じた。

カラマツ
信州にはカラマツの天然林があり全国の高冷地に適する木として苗や種が送られていることは知っていた。スギのように成長が早く戦争で荒廃した山を早く緑にしようという目的もあって奨励されたのである。40年たったら板がとれ柱も取れるとの計画であったが、ねじれがひどく板も柱も取れないことが分かり問題になっている。それでも歌に歌われたカラマツの芽吹きはすばらしかったし今でもその新緑を見ると胸がときめく。

山の花
アズマシャクナゲ、ベニドウダン、サラサドウダンにも初めて会った。アズマシャクナゲは大きな蕾がはじけてピンクの花が5個とか6個とか出てくる面白い花で、ベニドウダンとサラサドウダンは鐘形でベニのほうは、黒いほど赤く、サラサのほうは黄色に赤い筋が入り、3種とも群生する性質がありそれが見事で疲れも吹き飛んだ。クロユリには山の避難小屋の点検のとき初めて合った。黒味がかった紫の花で黄色い斑点があり薄気味悪い印象だった。おまけにくさかった。「アイヌの神のタブーだよ」と歌われるがたしかに妖しい雰囲気の花だった。

米
手巻き寿司という食べ方も初めてだった。イモで育ったので米の味に無頓着である。おいしい米を食べて育った人には、おいしくない米がすぐ分かるのだろう。スシご飯を作って海苔の上に乗せ具を巻いて作る米はきっとおいしいのだろうと考えている。
 
ナシは洋ナシ
20世紀や赤ナシのほかに地元で洋ナシと呼ぶナシがある。小禄の米軍基地で雑役夫として働いたとき米軍のメスホールからコーヒーと洋ナシの香りが漂ってきて生唾を飲んで我慢したことのある、あの香りの忘れられない洋ナシもはじめてここで食べた。

初めての食べ物はまだまだある。ワイフの実家がワサビ栽培農家で「ワサビ」をおろして刺身につけて食べたこと、もち米を炊いて団子にして串にさして味噌をつけ囲炉裏で焼いて食べる五平餅、ホオノキの葉で団子を包む朴葉餅などなど。

とー じょーぶん だらー(もうこのくらいでいいね)いつ がみまい ばーやー たびぬ ぴとぅ ゆー
(幾年住んでも客人から抜けられない自分にあきれている)

「ぷどぅき」・・・「自由」

カニ(平良出身)

20歳の頃、民主主義、人権、自由などの抽象的な言葉の持つ意味を考えたことがあった。どれも結構な難問だった。特に「自由」の意味合いが深いような気がした。これは一生をかけて取り組むことかもしれない、そんなふうに感じた。

自由にものを考えてみろ、書いてみろ・・・などと云われても、意外にも自分自身の考えは自由でなく、自分自身の生まれ育った場所での生活・習慣などからもかなりの影響を受け、それに縛られていることが解ってくる。それからその時代の社会的規範、価値基準に沿って自分自身の判断が生まれてきていることも解ってくる。

髪型も服装も個性的で、この方は自由気ままに暮らしているのかなと思い、話してみると、格別皆と変わったこともなく、かえって常識的だったりすることもしばしばだ。

友人が云った。自分自身を裸にして、真っ白にして、総てを取り払って、すべての観念を捨てて、生まれたままの状態で、赤子の目で、世界をみてみたい、人間と接触してみたい・・・と。この友人はそのために修行が必要と云い、ヨガとかインド哲学に取り組んでいた。面白いと思ったが、何年もたった今でも彼は窮屈な世間の常識に囚われた欲張りな暮らしをしている。社会的な地位、学歴・・そんなことに興味がいくようだ。

カニの友人に画家がいた。親友と云ってよいほどにこころの垣根を乗り越えて話をした。彼もまたカニのことを自分の息子に一番の友達と云ってくれていた。話が合った。その方とは僅か半年ばかりの付き合いであった。最初から気が合った。何の抵抗もなくその方とは話ができた。

年齢は生きていたら65歳だ。彼は貧乏な生活をしていたが、自分自身の幼い頃の夢の実現に向かって生きていた。宮崎県の小林で生まれ、えびの高原で育った。

彼の小さい頃の夢はこうだった。「アフリカ大陸で動き回る生き物を描いてみたい」・・・確かフランスあたりの画家で、キリンやライオンなどの絵を描く画家にあこがれていた。その有名な画家の画集を見せて貰った。まったくその方の描く絵と似ていた。彼の夢はすでに実現していたかもしれない。

こんなことも話していた。人間は皆1人1人がみている世界が異なっている。皆、自分自身の遺伝子に組み込まれている情報を自然に発現しようと生きている。より自然に生きているのは、自然界の動植物たちだ。彼らは人間みたいに欲とか固定観念とかに束縛されずに、あるがままに、そのままに、遺伝子情報を発現しているだけなのだ。何のストレスもなく、唯、自らの遺伝子情報に従って生きているだけなのだ・・・。

人間も本来は自らの持っている遺伝子情報に従って生きようとする「いきもの」だ。だが、現在ある社会の規範や常識と呼ばれる考えに縛られたりする。それから生まれた環境からの制約、両親との衝突、学校への反発、社会への反抗、いろんなことがあり、だんだんとストレスを浴びるようになる。自分自身の好きなように生きていこうとするが、多くの制約があり、それが実現できずに大きなストレスを浴びているのだ。

子供らが登校拒否したり、いろんな凄まじい事件を引き起こしているのは、彼らの遺伝子がこの社会に適応せずに、自己発現ができずに、強いストレスを浴びている可能性が高いのだ。自分自身の遺伝子が、そして存在が危機を迎えたときに必死になり反抗する。その現れが登校拒否という行動を生んでいるかもしれないのだ。彼らは遺伝子情報の通りに生きたいだけなのかもしれない・・・そんなことを語っていた。

そんなときにオオゴマダラと云う名の蝶々が海の中を泳ぐマンタやエイのように、羽を広げてゆったりと伸び伸びと舞っていた。遺伝子情報に組み込まれたままに生きること・・・そんなことが自由なのかもしれないとカニはふと思った。

人間社会には多くのストレスがあり、我々はその社会的なストレスの中で生きているともいえる。時代を遡ってみよう。宮古島では1600年代から1900年の始めの頃まで人頭税という鬼畜生と呼ばれる課税制度があり、特に農民は苦しんでいた。

この税の取り立てにより、男は粟を作り粟俵にして何俵も納めねばならず、女はブ−を紡ぎ、布を織りそれを納めねばならなかった。宮古島の自然環境は厳しく、大干ばつあり、大型の台風ありで毎年、毎年が豊作ではなかった。それでも税の取り立ては容赦なく厳しく行われた。自分たちで作った農作物を食べることさえできない状況も生まれた。朝から晩まで仕事をして、身体を酷使した。男は40〜50歳にして、現在の70〜80歳の老化した体つきになっていった。腰は曲がり、皺は深くよぼよぼの爺さんになった。かなりの身体的ストレスを浴びた状況であった。

宮古島の海は青くて綺麗だ。世界中で一番綺麗かもしれない。奇跡に近い色合い、青い色を持っている。その色にロシアの言語学者・ネフスキ−も感動した。黒潮が生んでくれた濃紺やコバルトブル−の色合いだ。そんな素晴らしい自然の海や自然の豊かな生き物を存在すら知らずに朝から晩まで働いた農民らがいた。そんな素晴らしい海の色合いを見て死を考えた若者らがいた。

悲しんでばかりはいられない。
こんなア−グ(歌)・保良の子守唄も生まれた。

汝(うっう゛ぁ)ぬ 父(あさ)や んざいかいが
汝(うっう゛ぁ)ぬ 母(んま)や ずまんかいが
天太(てぃだ)たふま 上たふまてぃど
うな取(とぅ)いが ぴずたず

(お前の父はどこにいった、お前の母はどこにいった、上役人を殺害するために毒魚取りに行った)

こんなところに宮古人の反骨精神・アララガマをみる。この精神は、耕さずしてむさぼるもの、他人の苦しみに対して何ら感受を欠落させたものへの拒否の現れである。そして権力で束縛してくるものへの抵抗であり、自由を求める民衆のこころでもある。

反骨精神だけではない。あららがま精神だけではない。宮古島の民衆は束縛されながらも自由に恋愛し、クイチャ−を踊り、夜な夜な自由な即興のア−グを歌い踊り楽しんだ。

クイチャ−の歌は最初の方だけはきちんとした歌詞があるが、その後は即興で歌をつくり歌い踊った。村のあにがまたー(姉さんたち)、あざがまた−(兄さんたち)は円陣を組み丸くなりサシバが舞うように巻き踊りを踊った。最初は男が歌った。続いて女性が歌った。ゆがいな歌詞で歌った。時代を風刺して歌った。面白いので繰り返し歌った。続いて即興で面白可笑しく男が歌った。大声で笑いが起こった。「ばかすき。んにゃだいず」といいながらあまいばらい歌い踊った。次から次へと楽しい即興のクイチャーあーぐが続いた。夜更けまで、ゆ−がま−す(一晩中)、歌い踊った。

あたらすあざがまぬどぅ ぶどりうず
(素敵な兄さんが踊っているよ)

ずみぎあにがまがどぅ  なゆりどぅうず
(愛らしい姉さんが 踊っているよ)

ば−や うう゛ぁんかい ぷりにゃ−ん
(私はあなたに惚れてしまった)

ずーゆが ずー いばんつがまから あすぴが ず−
(さあさあ 行こう 狭い道から遊びに行こう)

ばんたが いでぁ−いや かむまい ぷからしゃ
(私たちの出会いは神様も喜んでいるよ)

こんなふうに男と女の自由な恋愛も始まった。しま(村)の ゆまた(四辻)はクイチャ−という自由なこころを表現する場でもあった。皆は生き生きとしていた。こころは自由で皆即興詩人であった。たまには「あ−ぐぱが(音痴)」「ぶどずぱが(踊りが下手な人)」もいた。また、彼女(みゃ−らび)にふられた「いすぱぎにしゃい」もいた。人頭税の苦しい時代にも自由な遊びこころを持った民はいた。カニはそう思う。

明治26年に鬼畜生税・人頭税を廃止するために宮古島の農民代表、ウプド−カマとボラモウスの2名、それに中村十作、城間正安らの、あわせて4名は宮古島を東京に向けて命がけの旅をした。自由への旅だったとも云える。翌年、彼ら4名は漲水の港に戻ってきた。宮古島の農民らが人頭税石(ぶばかりいっす・賦計り石)のある漲水の砂地で歓声をあげて踊り始めた。解放への喜びを身体全体で表現した。「ぴゃるみずぬくいちゃ−」が生まれた。激しく飛び跳ねた。皆で大合唱した。喜びに満ち満ちしていた。

ボラモウスが うちな−やまと ぬ−りいみゃばよ やいやぬ・・・
ウプド−カマが うちな−やまと あがりんみゃばよ やいやぬ・・・

明治36年に人頭税は廃止された。宮古島の農民らは自ら汗水出して得た富をあたりまえに自分のものとした。そんなあたりまえの時代が訪れた。ようやく民衆のこころに「自由」という言葉が染みついてきた。「自由」と云う言葉は抽象的概念である。近代的な言葉かもしれない。世界中のどの国でも最初は王様がいて王国があって奴隷みたいな人らがいて、多くの束縛があった。「自由」という言葉は、昔は生活に馴染まなかった。「自由」という言葉が登場してきたのは近代になってからである。

しかし、皆のこころにはいつの世にも自由な精神があった。時代を風刺する自由な精神があった。

カニはみゃーくふつで「自由」という言葉を捜した。「ぷんだい=わがまま、好き勝手」「どぅかってぃ=自分勝手」「うむがにゃ−ん、うむがまーん=思うがままに」・・・カニの思う自由とは異なっていた。

『宮古史傳』(慶世村恒任著)に「ぷどく」=解く、という言葉が出てきた。この「ぷどく」は、事物の事情内容に精通し其れを漏れなく取り計らうとの意であった。縛られた縄を解く、縛られた鎖を解く・・・解放するとは、単に身体的に束縛されたものを解くだけではないとのことだ。

つまり真の解放とは「事物の事情内容に精通し其れを漏れなく取り計らう」ことにより可能となるとのことである。「ぷどく」は動詞なので「ぴどぅき」=「解放」=「自由」とカニは自分のこころに刻んだ。

自分自身が自由になるためには自分自身の遺伝子に組み込まれてきた歴史を知らねばなるまい。ル−ツを捜さねばならない。どうしてこのような考えをしているのか、どうしてこのような行為をとるのか、みゃーくのことを深く知らねばならない・・・学習して行かねばならない・・・そんなことをカニは考えている。

それは「ぷどぅき」への憧れかもしれない。長い長い道のりが見えてくる。てぃんぬにー(地平線)へ続いている一条の道がある。その道をカニは学習者として歩んでいきたい。先輩らが残してくれた財産に目を通すだけでも「んにゃ」としている。しかし、それを乗り越え、「ぷどぅき」を得て何かを創造してみたい。「いー」=「エイ」は海の中をゆったりとのんびりと泳いでいる。そんな感じが多分に自由なのかもしれない。ゆとりがあり、ユ−モラスで、肩がこらない・・・そんな感じが「ぷどぅき」かもしれない。

「ぷどぅき」・・・良い響きだ。

お便りコーナー

東京在住 広島出身 風人さんより

「あんなへの手紙特集」

vol.123の「あんなた が うかぎ」武島玄正さんの投稿が、印象に残りました・・・。
 
当時の時代背景や、台湾と琉球と大和の関係のこと・・・島の複数の“あんなた”さんに見守られ、島が子供を育み、守っていたんですね!!

宜野湾市在住 屋宜さんより

「お腹いっぱい」

松谷さん、お久しぶり〜。
 
vol.124、神童さんの「ぴんぎ孔雀」の「その腰の鉄砲で孔雀を撃て!」大笑いです!!!この神童さんの文才と言うか普段あり得ないような体験談は毎回毎回笑わせてくれますね〜
 
朝から会社でお腹一杯です、ごちそうさまでした>神童さん(^^)

イラウピンザさんより

「感謝状」 

くまかまに投稿される皆さんのエッセーが回を重ねるごとにすばらしさを増すので、最近は発行日?が待ち遠しくなりました。

今回は特に松谷さんのエッセーがほのぼのとして読む人の心に清涼感を与えてくれたのがとてもよかった。

このごろは出版ブームで宮古関係の本もたくさん出回っているので、くまかまのエッセーも是非本にして欲しいものだと、ひそかに期待しています。皆さん本当に有難う。 

名古屋在住 んみゃーちおじさんより

「vol.124感想」

vol.124楽しく読みましたよ〜  たんでぃがーたんでぃ。

「ぴんぎ孔雀」  神童さん
私も新聞で写真見ました!まーんてぃ神童さんには愉快な事件が起こりますね!また おもしろ・可笑しく伝え下さり楽しい限りです。今度はどんな事がおこるか?それも楽しみです!
 
「草刈り坊主」  アモイさん 
アモイさんの幼い頃の様子が伝わり、当時の御苦労が覗えました。
私の小学校の頃は、漁師町でしたので貧困もあり、小学生の頃ですが同級生の女の子の中には赤ん坊の妹を負ぶって学校に来てました。授業中におむつを替える光景もありました。いじめもなくみんなで赤ん坊をあやした思い出があります。遠く離れたところでお仕事頑張ってみえるアモイさんには幼い頃の「苦労」が「肥やし」になって立派になられているかも知れません。今度帰省されたら「神棚のお父さん」にお礼も忘れずに・・・。
 
「ありったけの喜び」  初美さん
図書館に本を借りに来た子供達に笑顔で接する初美さんのやさしい「みぱな」が目に映る様です。これからもありったけの笑顔で接して下さい。
 
「郷里の先輩に学ぶ」  菜の花さん
あがい! 新里博先生にお会いしたとの事。
「宮古古諺音義」は3年間悩み・・・昨年やっとの事で購入しました。
少し難しすぎますが、時々、時の経つのも忘れて読みふけってます。同じ言葉でも宮古島の言葉は地域によって微妙に違う。また発音記号で声に出したりもしてます。先生の「島」を発つ時の気持ち・・・「あららがま」も感じました。菜の花さんに芽ばえた「ヤル気!」何がでるか楽しみです。ワイドー菜っちゃん!「アモイ像」!にはつい笑ったさね!

おしらせ

宮古島市企画政策部企画調整課より

みなさん、がんずぅやしー うらまずなー(お元気ですかー)?

昨年10月の宮古島市誕生に伴い、新しい市の歌を制定することになり、広く歌詞を募集することになりました。

遠く島を離れてもずっと宮古に想いを寄せていただいている宮古ご出身の皆様、並びに日頃から宮古にご厚意を寄せていただいている皆様方にも、新しい宮古島市の歌づくりに是非ご参加いただきたいと思います。

◆「宮古島市の歌 歌詞募集のおしらせ」〜宮古島市の歌を作詞してみませんか!!〜

宮古島市の誕生を記念し、新市のイメージにふさわしく誰でも気軽に口ずさめる市の歌を公募し、宮古島市のシンボル歌として広く活用していきます。

・宮古島市をイメージする自作の未発表作品で、1番から3番までの歌詞。
・指定または、宮古島市ホームページからダウンロードした応募用紙を利用してください。市販の原稿用紙可。
・どなたでも応募可。一人一作品に限ります。
・最優秀賞(1点)20万円

・応募、問い合わせ:〒906-8501 沖縄県宮古島市平良字西里186番地
宮古島市 企画政策部 企画調整課 市の歌担当
電話:0980-72-3751(内線256) FAX:0980-72-3795

※応募用紙は、市役所のホームページからダウンロードしてご利用ください。
応募作品を やまーかさ まちうんどー。(たくさんのご応募お待ちしていま〜す!)

宮古島市役所ホームページ
http://www.city.miyakojima.lg.jp/site/view/index.jsp

編集後記

松谷初美(下地町出身)

上野の新里では、ツマグロゼミが鳴きだしたそうですね。(宮古毎日新聞に載っていました)私は、この がーす(蝉)を実際に みーたーくとぉーにゃーんすぅが(見たことありませんが)、だいず緑色の ずみながーすですね(なんだか、仮面ライダーにも んーんー(そっくり)で、かわいいがま)。レッドデーターブックにも載る貴重種だとか。

さて、今回のくま・かま、のーしがやたがらやー。
読み応え、ばっちりだったのではないかと思っています〜。

伊良部の運動会の賑やかな声、大きな あまいぐい(笑い声)が聞こえてきそうな優子さんのお話でしたね。まーんてぃ参加したーくなりました。あんたもいくべき!?

武島玄正さんは、掲示板の書き込みで、いつも、信州伊那盆地の気温、天候、身の回りの自然のことを一番最初に書いてくれます。宮古を離れ、伊那盆地の生活をしっかり営みながら、やはり、宮古のことを忘れない武島さんの気持ちがにじみでていましたね。

読み応えのあるカニさんの「ぷどぅき」・・・「自由」でしたねー。
遺伝子と自由の関係、先人たちの自由な心・・・いつでも変わらない、カニさんの ぬふーぬふぬ(温かい)視線の核を見たような気がします。カニさんの目は、見過ごしてしまいそうなところまでも届き、スポットを当ててくれますね。そして、宮古の良さを やまかさ気づかせてくれます。自由で、やぱーやぱぬ(柔軟な)カニさんならではのコラムだったのではないでしょうか。

お便りをくださった、風人さん、屋宜さん、イラウピンザさん、んみゃーちおじさん、たんでぃがーたんでぃ〜。みなさんがくま・かまを堪能してくださっているのが、よく伝わってきました。見えない相手を前に原稿を書き、でもそれが確実に読まれているという実感が持てるのが皆さんからの反響です。今後ともどうぞよろしくお願いします。掲示板にもやまかさ、感想をいただきました。たんでぃがーたんでぃ〜。
くま・かまの本はただいま、ボーダーインクで制作中です〜。発売日が決まりましたら、おしらせしますね〜。

最後の「おしらせ」にあった「宮古島市の歌」、みなさん、ぜひ応募してくださいね〜。読者のみなさんやライターのみなさんの中には、作詞するのが好きな人、得意な方も多いんじゃないでしょうか。どんな歌が決まるのか、だいず楽しみです。

最近は、「くま・かまでおしらせしてください」と、くま・かまを宣伝の媒体として考えてくれる読者の方が増えて、ぷからすーとしています。みなさんのお役に立ちたい「くま・かま」です。どうぞ、どんない使ってくださいね。

今号の感想も、まちうんどー。よろしくお願いします。

次号は、6月15日(木)の予定です。
あつかー、またいらー。

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