こんにちは〜。三週間ぶりのくま・かまです〜。 ぞうかりうらまずなー(お元気ですかー)?
今回も、くまかまからぬ ぱなすどー(あちこちからの話ですよー)
お楽しみください〜。
下地中16期生のアメリカ旅行
クイチャーマン(下地町那覇出身)
「11月の大阪では楽しかったですね。Tと私は、本当に行ってよかったと思います。この次は、アメリカのWashington州でぜひお会いしましょうね。楽しみにお待ちしています。」
これは2003年11月、下地中16期生の55歳記念同期会・全国大会が同期生120人中41人の参加で大阪で開かれたとき、アメリカからご主人のTさんと一緒に参加したE子が、同期会の機関誌『あたらっさ』8号に寄せた便りである。
同期会の世話人会では「ちーあら、まーんてぃー すきゃきみゅー(それでは、本当に取り組んでみよう)」ということになり、昨年12月に発行した機関誌10号のトップ記事で「2006年6月にアメリカ旅行を計画 A子、E子とも再会へ」と報じ、1人20万円の経費で参加者を募った。米国にはE子のほかに、ワシントン州の南に隣接するオレゴン州に、米人と結婚したA子も住んでいる。
「まーんてぃー どぅーたーや きゅーどぅ あみりかんけー?(本当に私たちは今日アメリカへ?)」「あんしばゆー。ぷからすむぬいら!(だからね。嬉しいね!)」出発の日、6月14日の夕方、那覇空港に集まった同期生たちは、やや興奮気味に胸のうちを語りあっていた。
顔ぶれは10人。海外旅行の経験が豊富で、今度の旅行の企画と案内役のT君、仙台に嫁いでいるS子とそのご主人、宮古島から参加のK君、沖縄本島からは、G君とその娘さん、それにM君、K子とM子、そして私である。22日までの8泊9日(そのうち2泊は機内)の日程である。
私たちを乗せたチャイナ航空機が、台湾の台北まで1時間15分、そこから11時間ほどかけて太平洋を横断し、米北西部のワシントン州のシアトル空港に到着したとき、A子とE子が出迎えてくれた。(二人は全日程、行動を共にしてくれた)
「まーんてぃーどぅ いる きしにゃーん(本当に、ほら来てしまった)!」夢見心地のような気分でアメリカ大陸に一歩を印し、抱擁を交わして再会を喜びあった。
「Dear A子 and E子 Forever, we are brothers and sisters!」などと書いて持参した横断幕(幅90センチ、長さ2メートル)を掲げて記念撮影。12人の気持ちが一つになった。時差の関係で、14日の夜8時前に那覇を発ったのに、シアトルに着いたのは、アメリカ時間の同日夜7時過ぎだった。12人そろって空港近くのホテルで宿泊、持参した泡盛とアメリカのビールで歓喜の乾杯をした。
二日目から8人乗りのレンタカー2台に分乗、先導車を旅慣れたT君が運転し、後続車を私が運転した。外国旅行が初めての私は、パスポートとともに万一のためにと2600円の手数料を払って国際免許証も取得していたが、最初から運転する羽目になった。A子とE子は、助手席に乗って道案内と通訳に回った。
「あがい、だいずんにゃ!(ああ、大変なことだ!)」とも思いながらも、開き直ることにした。だが、高速、長距離、それに左ハンドルの右側通行のため、最初は手に汗をかき、アクセルを踏む右足首が軽いけいれんと痛みに襲われるなど、慣れるまで半日かかかった。その後は帰国まで約700キロを無事に走り終えていた。
「大都会よりも、アメリカの雄大で豊かな自然を満喫しよう」というのがT君の練り上げた今度の旅行のテーマであった。2台の車は青春時代のフォークソング、夏川りみ、下地勇のCDを流しながらオレゴン州のポートランド、イチローのいるマリナーズの本拠地シアトルの町並みを経て、幹線道路から左右に牧場の広がる平原、残雪の残る山道へ入る。私の車の仙台のご主人はハーモニカが得意で、3本も持参していたので、リクエストして車内で演奏してもらった。童謡や懐メロの演奏にあわせてみんなで口ずさむと、いつしか15歳に戻る。方言と片言英語が歓声に変わる。
海抜4,392メートルのMount Rainier(レーニア山)のあるワシントン州のレーニア国立公園は、旅行の最大の目玉だった。山麓の平屋で木造の山小屋のようなホテルで2泊し、近くのスーパーで仕入れてきたキングサーモンと牛肉でバーベQを楽しんだ。
レーニア山には中腹まで車で行き、登山道の入り口から雪山登山を試みたが、ジョギングシューズのため、転倒者が続出、大事をとって往復1時間半で下山することにした。山頂は霧のため眺めることはできなかった。下りる前に「ぜひ、これだけは実現したかった」というM子の提案で、みんなで「ふるさと」を斉唱した。彼女もハーモニカを始めたというので、二人のハーモニカと、私の指笛の伴奏で大きな声で歌った。私は初めて雪の上でクイチャーを踊ったが、足をとられて仕方がなかった。
途中、E子の家にも立ち寄り、美味しいカニのパーティーをした。ご主人も昼休みを利用して職場から戻り、旧交を温めた。A子のご主人は2泊3日をみんなと共に行動した。私たちは、前記の横断幕を2枚用意してあったので、マジックインクで寄せ書きをして、それぞれのご主人が一緒のときに贈呈式をし、その場でクイチャーを踊った。
シアトル沖をクルーズ船で遊覧したときは、アナウンス嬢の許しを得て、甲板の上で宮古島から来たK君と「イチロークイチャー」を踊った。結局私(たち)は、旅行中8回クイチャーを踊った。それは笑顔と元気の供給源であったように思う。
いみゅーみーゆーにゃーんしーぬ(夢でも見ているような)思い出深い旅の、別れの合言葉は「次は2年後の還暦に、宮古島で会おうね!」であった。
ミャークフツ講座 感嘆詞編
松谷初美(下地町出身)
宮古の感嘆詞は、言葉のうしろに「い」や「が」や「んにゃ」をつけたり、同じ言葉を繰り返したりして、その度合いを強めるのが多い。
ミャークフツ | 意 味 |
---|---|
いー(息をはく) | ああ、そういえばー。ああー、そうなのー。 |
いー(息を吸う) | 非常にびっくりしたときなどに |
あばっ | あれ?少しびっくりしたり、疑問に思ったとき |
あばあばあば | あれれれ?驚きながらも感心して |
おごえ | 少し驚いたとき |
おっごえ | 強く驚いたとき |
あがい | ああ、もう |
あがいいー | ああ、ホントにもう |
あがいたんでぃ | びっくりやら、なにやら、なんてこったー オーマイゴット! |
あがんにゃ | まぁ、大変 |
あがんにゃよーい | これは大変だ! |
うば | おや? |
うばい | すごいねー、感心だねー。 |
うばいがうばい | へぇー度、感心度が強! |
あ、今気がついた。みゃーくふつの感嘆詞は、あ行が多い?いー、まーんてぃー!
信州伊那盆地の四季 (投稿)
武島玄正(平良出身)
長年住んでいる信州伊那盆地は、冬は気温がー11度くらいに下がり、夏は30度以上になって宮古より気温が高い日もある。違うのは朝と日中の気温の差と湿度の低さである。
朝は長袖、日中は半袖、晩には長袖が必要である。東と西に2000メートル級の山があり、そこは亜寒帯気候で高山植物が分布し、平地は標高が700メートルで冷温帯の植物が分布していて植物の種類が豊富である。
春は雪解けを待っていたように植物たちがいっせいに芽吹き、山菜が取れる。フキノトウ、ゼンマイ、ワラビなどなど。コシアブラが熊の好物でトウフノキということ、ワラビ、ウド、タケノコがイノシシの好物、普通ミズナというウワバミソウがノウサギやシカの好物であることもはじめて知った。動物が食べて危険でないことを知った人間はそれを真似て食べるようになったのではないかと思う。動物が食べ残したものを人間は食べたわけだ。人間が欲張ると動物は食べるものがなくなるわけ。
梅雨の前に我が家では味噌作りが大仕事だ。味噌屋の味噌を買って食べていたが、どこでできたかわからない大豆が心配で地元産の大豆で自家用味噌を作ることにした。麹は麹屋さんに米を持ち込むことになっている。大豆を慎重に煮てつぶし、麹に混ぜて寝かし秋になると使えるようになる。
梅雨に入ると小梅、中梅、大梅の順に梅が収穫され、梅漬けや梅干つくりの時期になる。信州では漬けられるものはつけて保存する慣わしがあり梅もパリパリ付けが主流だったが健康によろしいということで最近梅干も作る。
以前那覇市小禄のホテルの食堂で梅漬けを見つけ「梅漬けがある」と手を伸ばした。「梅干を頼んだらこんなものが送られてきて捨てようかどうしようか迷っている」と従業員が言うので「とんでもない。出しておけば食べる人がいるはずだ」とやり取りしたことがある。
宮古では「リンゴはいいから梅干にして」と梅干が好評である。梅雨の時期は猫の額ほどのカフツ(敷地内菜園)にトマト、ナス、キュウリなどを植える時期でもある。
キュウリは成績がよく、もう10本以上も収穫し、味噌をつけて丸かじりしている。トマトはいまのところ元気だが病気にかかりやすい。完熟トマトの味が忘れられないのでお盆前まで大切に育てる。開花したドクダミを刈り取り、梅雨の晴れ間を縫って干し保存しドクダミ茶にする。これも重要な我が家の仕事。
夏はトウモロコシとカボチャが楽しみである。専業農家の義兄が君たちの分だと作ってくれてありがたい。食べ切れなければ冷凍して後でスープにする。
秋はリンゴ、真っ赤なあの美しいリンゴが枝にぶら下がっているのを見ると頬が緩んでくる。道から手を伸ばせばすぐにでも取れそうだがリンゴ農家の苦労を思えばそんなことはできない。
リンゴは完熟するとへたのまわりにひびが入って規格外に落とされてしまう。これを選果場で安く手に入れ知人に送る。完熟リンゴを割るとヘタの周りがあめ色になっていておいしい。「腐っているのではないか」と宮古から言われたので「それは蜜だ」と説明したら「宮古ではそんなものは悔しいけど手に入らない」と喜ばれている。
冬、寒さは厳しい。10月ころから梅雨明けまでストーブは片付けられない。あさ10℃未満で日中は20度を越す日があるが、この温度差が果物の色と甘味に影響があるそうだ。
無積雪期は山へ行き、高山植物との出会いを楽しむが、冬はもっぱら薪ストーブ用の薪作りに精を出している。おかげで家の周りは薪で囲まれている。この薪ストーブのおかげで2階は室内温度が氷点下に下がらず、寒さに弱い植物たちの避難場所になっている。
寒さのせいだと思うが、骨の痛みや筋肉痛を訴える人が多く整骨院の看板が沖縄の舞踊研究所の看板ほど目立つ。
寒いときは「冬の間は宮古へいって住みたいね」「だけど家を空けると冷えて植物が持たないね」「しょうがないね」と宮古行きをあきらめている。みゃーく んまり さい(宮古生まれです)。
母ちゃんの涙の祈り
あば本舗(下地出身)
あれはもう13年も前。
当時、東京へ転勤した長兄の家(本島中部)に、母ちゃんが住んでいたころ。庭の木は、手入れが行き届かずに伸びっぱなしになっていた。なかでも、長兄が植えていった3本のワシントン椰子は、屋根を飛び越えてどーんと聳え立ち台風のときなど、びゅんびゅん揺れる。隣家の窓ガラスに椰子の葉が当たる音がして、いつか迷惑をかけるのではと不安だった。
母ちゃんは、「あがぃんにゃ かじぬふきばどぅ とぅなす゜ぬやーぬガラスゆ ばりすてぃっかー のーがすぅでぃ てーどぅ うぬすくしばっすゆー」(あぁ〜、風が吹くと、隣りの家のガラスを割っちまったらどうしようーと凄く心配するんだよ)と、口癖のように言っていた。
そのころ、三男兄が突然の病に倒れ帰らぬ人になってしまう。ショックのあまり寝込んでしまった老母。庭に咲く花や空を飛ぶ鳥を見ては涙し、ラジオから流れる歌を聴いては なきーちゃーなうたー(泣いてばかりいた。)
そんな時、近くの緑化センターから、ワシントン椰子を譲って欲しいという話がもちこまれた。どうやら街路樹に適した大きさに成長しているらしい。この木をもてあましていた私たちは、喜んでこの話に乗った。
ある時、友人に何気なくこの話をした。すると、友人は急に真剣な表情になり次のような事を話しはじめた。「椰子の木は、歌にもあるように遠くの海を何千キロも旅して、自分の根付く場所を求める生命力の強い木でしょ。だからもしも切ったり場所を移したりする場合は、ちゃんと説明して木にも分かってもらったほうがいいそうだよ。」まーんてぃびゃーいら?(ホントかしら?)と思いつつ、木に祈り説得する方法を教えてもらう。
1.移動する日の朝、水、酒、塩を準備する。
2.木の周囲に、水、酒、塩を順番にかけ清める。
3.移動する理由を木に話し、木のこれからの幸せを祈る。
私は、この仕事を兄の死で、だりている母ちゃんにしてもらおうと考え付いた。あんすぅが んまぁーてぃどぅ あす゜さ゜でぃびゃーいら?(だけど、嫌だと言うかなぁ?)早速、手順を説明すると・・・。しーみゅーでぃさーい(やってみるよ)という前向き?な返事が返ってきた。やれやれ。
そして、いよいよ業者さんが椰子の木を掘り起こす日。私は、今頃は母ちゃんが祈っているころかなぁと思いながら仕事をしていた。その日の夕方行ってみると、空に高々と伸びていた3本の椰子は姿を消している。母ちゃんに きゅーや のーばしーやたりゃー(今日はどうだった?)とたずねてみた。すると、なだーだだだだ(涙をぼろぼろ)しながらいきさつを話し始めた。
すとぅむてぃぴゃーし さきがまとぅ みずとぅ まーすぅゆむち きーんかいかきがつな あてぃつんだらーすかりば ばや なきどぅうたー(朝早く酒と水と塩を持って木にかけながら、あまりにも木が可哀想だったので、私は泣いていたよ)
うわたーや うまんうりゃーまい あてぃしばかりば んなぴ じょうとぅな とぅかまんかい ぴりよー(あなた達は、ここにいても狭いのだから、もっといい場所にいってね)んじゃんかい いきゃーまい ぷじ んーなん あたらっさーしらいるよー てぃーどぅあす゜たーゆ(どこに行っても、どうか皆に愛されてちょうだいねと言ったよ。)
そんな様子を見ながら思った。あの時彼女は、年老いた自分を置いて逝ってしまった息子のことを想いながら、椰子の木に話しかけていたんだろうなーと。何でか分らんが、祈りのあと泣き暮らしていた日々から落着きを取り戻した。私は、母ちゃんの気持ちが天国の秀坊(兄)に絶対に伝わったんだと勝手に思っている。
あれから月日は流れ、私たちはようやく立ち直りつつある。時は悲しいことも嬉しいことも全て包み込んで、今日も静かに通りすぎていくのだ。
沖縄本島の中南部の道路に、街路樹の見事な椰子並木がある。そこを通るたびに、空にそびえる椰子の木を見上げながら、母ちゃんの涙の祈りを思い出す。
くま・かま本 ~先行予約のおしらせ〜
松谷初美(下地町出身)
ジャンジャカジャーン!
くま・かまの本『宮古島方言マガジン傑作選 くまから・かまから』がいよいよ今月中旬発売になります!
あがい、まちかねさせてしまいましたねー。
でもその分、だいず上等本に仕上がっていますので、みなさん、ゆみふぃーさまちよー(読んでくださいねー)。
これまでの「くま・かま」の中から選びに選びぬいたものが、がふっ(ギュッ)と詰まった本となっています。
この本を発行してくださる出版社「ボーダーインク」さんでは、発売を前に先行予約を受け付けするそうです。先行予約された方には、送料無料の特典付き。「ボーダーインク」のホームページからできますよ〜。予約のページでは、本の表紙、掲載される内容なども知ることができます。表紙は、あるライターのやらびぱだ(子ども時代)のレトロな写真です。さぁ、とーが写真がらやー?(誰の写真でしょう) あててみてね。
くま・かまのホームページのトップにも本の表紙を掲載中〜。
著者の皆さんには、献本がありますので、お待ちくださいね〜。
では、「ボーダーインク」のホームページんかい、GO!
編集後記
松谷初美(下地町出身)
台風3号が近づいてきているようですね。宮古に電話をしたら、まだ何も影響でていないよー、ぞーわつく゜(良い天気)と、のんびり話していました。ゆっくりと進んでいるようですが、お気をつけくださいねー。
さて、今号、のーしがやたーがらやー?
クイチャーマンさんは、アメリカ旅行から帰ってきてすぐ、書いてくださいました。同級生との再会の喜びとアメリカでの初体験の様子などが、ほかほかに伝わってきますね。太平洋をも越える同級生の絆は、まーんてぃ つぅーむぬー(強い)と思いました。
武島さんの住んでいる信州伊那盆地は、宮古とはまったく反対のようなところですねー。四季のいろいろな表情の中でイキイキと暮らす武島さんの姿が見えるようです。んなま どぅがーうーとぅくまん(今自分がいるところに)足をしっかりつけて暮らすことの大切さ。おしえられます。
あば本舗さんの語るような筆致の中からあふれでる、お母さんの想い、胸に響きますねー。人はどんな悲しみをも抱えて生きていかなければいけないんですね。椰子の木に語りかける言葉に なだーだだだだ。。
久しぶりに単語のミャークフツ講座をやってみました。日本語訳は、どうもすっきり、ぴったりきませんねー。んー、むでぃかーす(もどかしい)単語の講座は、今ネタがつきぎみです。何かいいアイディアがありましたら、ぜひおしえてくださいね。よろしくお願いします。
暑い夏に熱いくま・かまの本、発売(7月中旬ままーず)です。メルマガとはまた違う味わい。ぜひ、楽しんでくださいね〜。何度読んでもかまりんよー。ご期待くださいね。
次回は、7月20日(木)の予定です。どうぞお楽しみに〜。
あつかー、またいら〜。