こんにちは!
今回も、くまかまを開いていただいてたんでぃがーたんでぃ〜。がんずぅーがんずぅっしゅーたんびゃー(お元気でいらっしゃいましたかー)
今回も、いろいろなぱなす(話)が盛りだくさん!
ぬかーぬか(ゆっくり)、お楽しみくださいね〜。
7,000円
神童(平良市出身)
目の前に広がる東シナ海。4km先に孤高する大神島。穏やかな夏の朝の潮風。
朝の散歩で島尻の海岸を散歩する中年K。島尻漁港から1km離れた海岸で光る物体を発見。波間にきらきら輝きながら漂流している。畳三畳程もある物体は、金属のようでいて、しかし、打ち寄せる波間に沈むことなく漂流を続ける。
護岸の上から漂流物を追いかける。幾分、浅くなったところで漂流物を確認するため海水に浸る。漂流物を砂浜まで押し上げ観察する。表面に金属をまとい、内部に断熱材のウレタンが仕込まれている。出勤時間が近い。急ぎ帰宅する。
後日、漂流物を再度確認する。漂流物の一部をこそぎとり、持ち帰る。金属の確認をするため、スクラップ屋の吉展(ヨシノブ)産業へ。「これはアルミ合金です。買い取るから持ってきて!」思わぬ拾得物に頬が緩む。
重量から察するに7,000円の価格になる。折り返し、現場に戻り漂流物を移動。砂浜は護岸で隔てられているため、漂流物を担ぎ上げられない。もとより、人力では無理な作業。干潮時には干潟となるこの海岸で満潮を待って漂流物を移動する。腰まで水につかり、んにゃどーさー!(よっこらしょ!)と力仕事。なんとか、護岸の端まで移動し、消波ブロックに縄で固定する。
漂流物はもしかするとノドン、テポドンの破片かも知れない。心配なので、消波ブロックに固定後、1週間様子を伺う。チョーセン ソーレンソーレンソーレンソーレンソーレン テポドン!ニシン来たかと・・・。唄っている場合ではない!
北朝鮮から何らの連絡もないことから、漂流物をスクラップ屋に売却すべく行動開始。バケット付きのトラクターを現場に移動し、自宅まで持ち帰る。ここで、かすかな疑惑が。もしかすると、航空機の破片?ジュラルミン?
確認のため、海上保安署に電話連絡。有給休暇を取り現場で待機。これでもか。と言うほどの職員が現場に現れる。ここから、受難が始まった。
まず、住所氏名を尋問される。ついで、発見日時、発見場所を細かく質問され、せっかく引き上げた漂流物を発見現場の海域に再移動して、発見の再現写真撮影。保安署員は護岸の上でカメラを構え、発見者中年Kは海水に浸り、指で漂流物を指し示しながら写真を撮影される。ぷだーぷだ(まるで)容疑者扱い。ばが のーゆ あすたーが?(俺が何をしたと?)
現場検証終了後、保安署員が呟く。「最近航空機事故はないしな?」第11管区海上保安庁宮古支店の捜査が終了するまで、漂流物を売却してはならないことが通知された。いきゃがら(めんどくさい)漂流物を発見したことと、すかた(どうしようもない)保安署に連絡したことを激しく後悔する。連絡無しに吉展産業に売っぱらえば、金になったのによ!
海上保安庁宮古支店の懸命な捜査により、漂流物の持ち主がある程度まで特定できた。中年Kは持ち主からの連絡により、またまた有給休暇で現場待機。
現れたのは、はるばる筑波学園都市から、宮古入りした、宇宙開発事業団の面々。公務員はよっぽど暇らしい。漂流物の身元が判明した。
種子島から打ち上げられたH!)型ロケットの ずばに(尾羽)部分と鑑定された。漂流物は、宇宙開発事業団に持ち去られた。
後日、お礼の手紙が配達されてきた。同封されていたのは、H!)型ロケットを模した携帯ストラップ。7,000円がストラップに化けた。確かに、スクラップとストラップは似てるけどさー、携帯を持ってない人には全然必要ないからね!
海水に浸りながら漂流物を移動して。トラクターで引き揚げて。仕事を休んで、真夏の海岸で保安庁職員にこきつかわれて。更に、仕事を休んで宇宙開発事業団の職員応対。
報酬がストラップ?はぁ?てぃまーや まーらん!まーだぐとぅ!(手間賃はない!まったくよ!)
だりどぅす!(疲れる!)
宮古方言と共通語と韓国語
ひさぼう(平良市西仲出身)
チョッコン ウドン モグルカ・・・この韓国語、なんとなく意味わかりますか。
「ちょっと うどん 食べるか」だそうです。通りを歩きながら、「この辺でウドンでも食おうか」という場合の「か」の使い方が日本語と同じ。「ウドン」は日韓併合時代の名残。
「ヨージ ジョセヨ」が、「楊枝ください」、「ケーサン ハセヨ」が「計算(勘定)して下さい」。韓国語で何々して下さいという場合には、このように最後が「〜セヨ」になる。「ネー ヨウジ イムニダ 」は、「ハイ 楊枝です」で、日本語の「〜です」は、韓国語では「〜イムニダ」。同様に、日本語の「〜 します」が、韓国語では「〜 ハムニダ」。あと、韓国語のおしまいに「ヨ」を付けると丁寧な印象になるとのこと。新書本を読んでいたら、以上のようなことが書いてある。
これだけ馴染みやすいと、「パンニ ハム ハサムダ」とか「ハム ハサンデ カムニダ ヨ」とか日本語で遊べる。
「韓国語のニュアンスは日本語とそっくりで、文法の九割方は同じだといっていい」とも書いてある。まず、ことばの順序がほとんど同じで、英語みたいに「私は 行く 学校に」などということがない。日本語の順序のままで韓国語になるという。
さらに一番似ているのが「助詞」で、「て、に、を、は」などの日本語の「助詞」に対応する韓国語があり、使い方もそっくりだという。ただ、ややこしいのが、日本語の場合、て(TE)、に(NI)、を(WO)、は(HA)など助詞の発音は一通りしかないのに、韓国語の場合は、助詞の発音が複数になるという。というのは、韓国語が“連音(リエゾン)”するからで、前の音が母音で終わるか、子音で終わるかによって変化するからだという。
ここで、連音(リエゾン)というのは、フランス語で「合体」という意味らしい。要するに、前の語と後ろの語が結合して連続した語になるとき、その「合体」した語はもとの語の発音とは異なるということのようである。この「リエゾン」というのが、外国語では普通の現象で、「リエゾン」がほとんどない日本語(共通語)は世界の中ではむしろ例外になるらしい。
そうすると、くまかま111号で書いた連声(れんじょう)というのが、このリエゾンと同じことだとすると、盛んに“リエゾン”が起こる宮古方言は、この点では共通語より外国語に近いわけである。ちなみリエゾンが最も特徴的なのはフランス語らしい。
宮古方言と共通語の単語の言い方の違いは、よく観察すると、規則的に音が変化しているとか、古い言い方なのだということがわかる。けれども、会話を聞くと、まるで外国語のように聞こえるのは、基本的には、「舌先母音」とか「中舌母音」とかの共通語にはない発音があることの他に、上記の連音化ないしは連声化があり、また「助詞」の使い方は同じでも、言い方が全然違うからではないかと思える。そこで、以下、「助詞」の比較。
共通語 | 宮古方言 | 韓国語 |
---|---|---|
は | 直前の音に同化して変化 | 母音の後ろではヌン,子音ではウン |
を | 直前の音に同化して変化 | 母音の後ろではルル,子音ではウル |
が | 発音はGAで同じ | 母音の後ろではガ,子音ではイ |
の | ぬ(NU)と発音 | エ(ui) |
と | to、ti と発音 | 母音の後ろではワ・ハゴ,子音ではクワ・ハゴ |
に | ん、んかい、んど | エ |
も | まい | ド |
には | んな | エヌン |
まで | がみ | カジ |
(注)to、tiの発音は、英語の「go to school」のtoと同じ ti、は お茶「tea」と同じ
以上のように、宮古方言の「助詞」は、共通語の発音と同じになるものは、一部を除いてほとんどない。これだと韓国語を勉強するかのように、宮古方言を勉強しなければならない。ここで文例を示してみる。
なお、上記のうち「は、を、が、の(ぬ)」については、くまかま本の244ページ以降に載っているので、ここでは省略する。
<と>
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
友人 と 居酒屋に行く | あぐ to 居酒屋んかい 行く |
これ と あれは同じだ | くい to かりゃあ 同じ |
彼は何 と 言っているのか | かりゃあのお ti が あんじうりゃあ |
ここに来い と 呼んでいる | くまんかいくー ti ど あびりうず |
<に>
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
三時 に おいで | 三時 ん くー |
あっち に 行け | かま んかい ぴり |
家 に 居る | やー んど うず |
有名人 に なる | 有名人 んど なず |
犬 に かまれる | いん んど っふぁいず |
<も>
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
キミ も ボク も | うう”ぁ まい ばん まい |
キミ も 行くのか | うう”ぁ まい 行かでいなー |
誰 も 知らない | とー まい っさん |
どうして も | のーしー まい |
<には>
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
ここ には いない | くま んな みーん |
私 には わからない | ばん んな っさいん |
彼(彼女) には 勝てない | かい んな 勝たいん |
<まで>
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
三時 まで に 来い | 三時 がみ ん くー |
ここ まで おいで | くま がみ くー |
どこ まで も ついておいで | んざ がみ まい まーつきくー |
<係助詞>
最後に、宮古方言の特徴として挙げなければならないものに「ど」がある。古文の「ぞ」にあたる係助詞で、発音は、英語の「Do you know ?」の「Do」と同じ発音である。
共通語 | 宮古方言 |
---|---|
私は 日本人 | ばー やー 日本人 |
私が 日本人 | ば が Do 日本人 |
私が 行きます | ば が Do いかでい |
これが いい | くい が Do ます |
神 が 知っている | かむ ぬ Do っしうず |
海 が 荒れている | いむ ぬ Do 荒りうず |
家 に 居る | やー ん Do うず |
有名人 に なる | 有名人 ん Do なず |
犬 に 噛まれる | いん ん Do っふぁいず |
ここに来い と 呼んでいる | くまんかいくー ti Do あびりうず |
これは要するに、(2)われ ぞ 日本人(3)われ ぞ 行く (4)これ ぞ よし(5)神 ぞ 知る(6)海 ぞ 荒る (7)家に ぞ 居る(8)有名人に ぞ なる(9)犬に ぞ 噛まれる(10)ここに来いと ぞ 呼んでいる のような言い方をしているわけで、“古語の宝庫 宮古方言”の面目跳如な例かもしれない。
今回は、韓国語との比較で、宮古方言と共通語の違いが明確になった。すなわち、共通語の「助詞」は、は(WA)でも、を(WO)でも、に(NI)でも発音は、一通りしかないのに、宮古方言の「助詞」はいろいろに変化する。韓国語と様子が似ている。そして、世界の言語の中では変化するのが普通なので、変化しないのはむしろ変らしい。
#引用韓国語:大野敏明 著 『日本語と韓国語』 文春新書
お店紹介25 《沖縄そば専門店 和(かず)》
松谷初美(下地町出身)
東京八王子市にある「沖縄そば専門店 和」は、宮古下地出身の渡真利朗男さん(53歳)ご夫妻がやっているお店だ。昨年9月に開店して1年。地元のお客さんで連日賑わっている。
お店は八王子市役所から車で2〜3分のところにあり、6台の駐車スペース、入り口の屋根にはシーサー。ここは沖縄?宮古?と錯覚してしまいそうな雰囲気だ。
店内に入ると、沖縄民謡が流れ、左側にカウンターとテーブル、右にはゆかに(板の間)の座敷が広々とある。テーブルの上には、黄色と赤のうみす(箸)にクース(泡盛の中にとうがらしが入った調味料、本島ではコーレグース)、ティッシュの箱。やっぱり、宮古さいがー。
名前の「和」は、二人のお子さんに「和」がついていることからつけたそうだ。
おじゃましたのは、土曜日の昼下がり。家族連れや、若いカップル、作業着姿のおじさん、おばぁちゃん同士など、次々とやってくる。中には、小学生だけというグループも。
メニューは、沖縄そば(380円)安い! ソーキそば(700円)、ゴーヤーチャンプルー(600円)、ラフティ(550円)、ポーク玉子(500円)、島ラッキョウ(300円)、がんずぅセット(カレーと沖縄そば)、うやきセット(焼き飯と沖縄そば)(ともに700円)など等、多彩。
オーナーの渡真利さんは、若いころから飲食店を出すのが夢だった。あすぅが(でも)親や兄弟に水商売はダメだと反対され断念。17歳で上京、数年いてまた宮古に帰ったが再び上京し建築の仕事を始めた。そして、心の隅では飲食店の夢を温めていた。2000年の沖縄サミットに合わせて沖縄料理のお店を出そうとしたが、いろいろなタイミングが合わなかった。
そして、昨年1月、今の土地にめぐりあい、5月には、お店を造り始める。建築の仕事はお手の物。あっと言う間に完成させ、9月にはオープンにこぎつけた。今回も親や兄弟に最初は反対されたが、やり始めたら、物心両面から援助してくれた。「親、兄弟は、ホントにありがたいねー」と渡真利さん。
材料は、沖縄本島や宮古から空輸している。安くていいものを提供したくて、あちこちのそばを取り寄せて試食し、値段の交渉をし、現在のメニューができた。
小、中、高校生たちが来てそばを頼むと、渡真利さんは、ごはんもつけてあげる。「子どものころ、おなかいっぱい食べたくても、食べられなかったからさ、子どもたちが来ると出してあげたくなるんだよね」
安くておいしい沖縄そばが食べたくて、友達同士でお金を出し合っって、食べにくるそうだ。お金がないときは、ひとつのそばを二人で食べたりする光景もあるとか。奥さんの郁子さんは、1円や5円玉を持ってくる子どもたちもいるんだよーと話していた。
安くておいしいだけではない、お店の空間にある、優しさやゆったりとしたものがお客さんを惹きつけているようだ。
渡真利さんを親しみをこめて「おやじ」「おやじ」と呼ぶ子どもたちは、大人になっても、きっと、このお店のことを忘れることはないでしょう。
うわまい(あなたも)、おいしい沖縄そばを食べてくつろぎませんか?お近くに行かれる際は、ぜひ、いきみーるよー(行ってみてくださいね)
《沖縄そば専門店 和》
場 所 | 東京都八王子市横川町105−77 |
電 話 | 042−627−6755 |
営業時間 | 11時〜22時 |
店 主 | 渡真利朗男 |
店休日 | 正月のみ |
宮古島のテナガエビ
カニ(平良出身)
カニは石垣島の白水川の上流で渓流登り(沢登り)をするのがいつの頃から楽しみになった。短い足を精一杯伸ばし、頭をひねりながら足場を確保し、ひとつひとつの岩を越えていくときのスリルは、ストレス解消にもなった。なによりも楽しい自然の遊びだった。
今から12年頃まえの平成6年頃のことである。この頃、妻の実家・ヤンバルにも、ここ石垣島の白水川でも川エビがいることが羨ましかった。自然のいきものが生き生きとしている・・・そんなことは何でもないようなことだが、その土地に住む人間のこころの豊かさを示しているような気がした。緑の少ない砂漠な様な土地には寂しさが漂っている。
子供らを連れて、ヤンバルに行き、爺さんらと一緒にエビ採りしたときの、子供の目の輝きはいきいいきとし、それはもう何物にも例えられない宝物に出くわした時のような、明けの明星のような瞳をし、煌々と輝いていた。
そうやって自分の生まれたところの動植物が、生き生きとした自然のままの状態で残され、それを子供らが学び、郷土の故郷の自然を知り、その自然から多くの富を得て、生活に生かしてきた祖先の姿を思い浮かべるときに、またその厳しい自然環境と闘いながら向かい合って生活してきた先祖の姿を思い浮かべるときに、自ずと自らの故郷に誇りと愛着を持ち、生きていくのができるのではないかと思う。そして故郷の言葉、民謡などの伝統芸能などにも自ら愛着が湧いてくると思うのである。
石垣島の白水川の上流でテナガエビの抜け殻を見たときに感動した。どうやってこの長い長い手は、抜け殻からでていったんだろうか・・・
そんなある日のこと、宮古島から宮古毎日新聞の記事が届いた。平成6年の頃である。八重山商工高校教諭・東田氏が宮古島の地下水のことを書いていた。その中に城辺の福北海岸近くのヌグスクガ−(野城泉)のことが書かれていた。ヌグスクガ−の湧水出口にテナガエビが生息していた、という記述をカニは見逃さなかった。
その年の夏休みにヌグスクガ−に子供と出かけた。いたいた。テナガエビがいた。コンジンテナガエビだった。大きさで30cmはあった。テナガエビは日本列島にも少なくなり、元来日本に生息していたテナガエビは外部から持ち込まれたアメリカザリガニに、その環境を奪われていった。高知の四万十川流域などには今も生息しているようだった。
ヌグスクガ−でテナガエビをみたカニは嬉しくなり、その日、幾つかの北海岸沿いの湧き水を見て歩いた、テナガエビを見ようと回ってみた。白川田の湧き水の河口にも、長間のカ−にも、真謝漁港近くの湧き水にも、数カ所でテナガエビを見つけた。恵源ガ−と呼ばれる水路で子供が嬉しそうにコンジンテナガエビを手づかみしながら遊んでいた。カニも喜んだ。
北海岸沿いにはコンジンテナガエビが多く生息し、南の咲田川流域にはミナミテナガエビが生息していた。宮古島の湧き水を全部調べてみようを思ったが、旧盆や正月ぐらいにしか帰省しないので時間がなかなかとれなかった。
平成10年に宮古島に戻ることができた。この幸運には神様に感謝した。さあ、調べてみようと思った。カニは23年前、伊是名島で仕事をしていた。島の人達と夜、海の浅瀬でしばしばエビ採りを楽しんだ。昼間はなかなかみえないエビの姿は、夜になると目が光っているので、いくら砂地に隠れても見つけることは易しかった。そのことをヒントにし、夜な夜な宮古島の湧き水を調べて歩いた。楽しかった。あ、いるいる、こんなところにも、あんなところにも・・・
くまんまい、かまんまい、うまんまい、あがいたんでぃ、さずぬど うぱ-た うずさいが ・・・うりゃ んにゃ だいず ぷからすむぬ−・・・。
(ここにも、向こうにも、そこにも うわー、エビが たくさん いる・・・ それは もう すごく うれしいことだー・・・)
こんなこともあった。
宮原地区の土底(ンタスク)という土地の湧き水を調べているときだった。小さな小川の土手に隠れるようにミヤコサワガニがいた。土手に穴があり、そこが住み処になっていた。そんな環境がサワガニには必要だった。ンタスクの湧き水は畑の地から、そのままわき出ていた。ンタスクンミのニス(北)側にある畑の地から滲んでくるような、しみ出てくるような清水だった。サズ(エビ)を探した。コンジンテナガエビがいるかもしれない、そんな気持ちで探した。これまでみたこともない小さなエビが多数生息していた。おや、こんな小さなエビもいるんだ・・・1cmほどの大きさの可愛らしいエビであった。
西原のフズンミ近くのカ−では山の上なのに、そこにもエビがいた。コンジンテナガエビだった。沖縄本島のヤンバルや石垣島のテナガエビは川と海がつながり、両方をいったりきたりしている生活史を持っていた。宮古島のテナガエビは、一見海とは繋がらない陸の中の湧き水口やウリガ−と呼ばれる湧き水環境に生息しているように思えた。宮古島独自の環境だ。特に陸地の畑の真ん中から湧き水がでているところもあり、そんなところにもテナガエビが生息するのを見るに付け、陸封化された淡水池で、独自の進化をしてきたいきものであるような気がしてきた。
このことは、宮古島のテナガエビが世界中でここだけに生息し、進化してきた生き物である可能性が高く、宮古島の貴重な財産であると思われた。これは凄い・・うりゃ− んにゃ だいずなくとぅ・・・
そんなことを考えていたある日、琉球大学の大学教育センタ−・非常勤講師の藤田喜久氏が、宮古島の湧き水を調査し、そこに生息するエビ、カニ類が22種類(平成17年7月現在)がいることを発表し、宮古毎日新聞にもその一部を紹介した。
これらのエビ・カニ類のうち、実に12種は環境省や沖縄県班のレッドデ−タブックに掲載されている稀少な種であり、さらに2種のエビ類は新種であった。この時代に新種のいきものが宮古島の地下水環境から見つかったのだ。凄いことだ。宮古島のエビ・カニ類は、地下を流れる川で、密かに生きていたのだった。その一部は湧き水の入り口付近に顔を出していたのだった。藤田氏が宮古島のエビ・カニ類を調査しようと考えたきっかけは、大和井(ヤマトガ−)でみたテナガエビだった。
昨年の7月に藤田氏の講演があったので、カニは受講した。その時の内容をノ−トにまとめたので、ここに紹介する。
(講義ノ−ト)
★湧水に暮らすエビ・カニ類
1.オハグロテッポウエビ | 薄暗い洞窟の地下水域に生息している 環境省レッドデータブックでは絶滅危惧I-I類 |
2.テナガエビ ・コンジンテナガエビ ・ヒラテテナガエビ ・スベスベテナガエビ ・オオテナガエビ ・ミナミテナガエビ ・チュラテナガエビ ・コツノテナガエビ ・ウリガ−テナガエビ* | 「地表水」に生息 「地下水域」足の2番目が長くなる *眼が小さい(地下水域に生息) 新種(2005年7月12日に発見) 「マクロブラキウム ミヤコエンスMacMacrobrakium Miyakoense Komai&Fujita」 |
3.ヌマエビ類 ・ミナミオニヌマエビ・・・① ・サキシマヌマエビ・・・② ・オニヌマエビ ・トゲナシヌマエビ ・ドウクツヌマエビ・・・③ ・アシナガヌマエビ・・・④ ・ヒメヌマエビ属の一種・・・⑤ ・チカヌマエビ・・・⑥ | 2cm〜3cmぐらいの小さなエビ ①地表水 ②地下水域 ③地下水域のヌマエビは眼がみえない ④ウリガ−(降り井)やドゥガ−(洞井)などの地下水域に生息眼が退化 ⑤新種 ⑥地下水域のヌマエビは眼がみえない |
4.カニ類 ・ミヤコサワガニ⁑ ・オオヒライソガニ ・ヘイトリオカガニ ・オカガニ ・タイワンベンケイガニ | ⁑Ia類 宮古島だけ絶滅のおそれ 地表水 |
★生活史と食性・・・生物個体が出生して死亡するまで生活過程と何を食べているか
1.一生を淡水で生活する・・・ミヤコサワガニ・・大きな卵を少数生む稚ガニ
2.残りのエビ・カニ類は、海と湧き水とを行き来する(生活史のある一時期を淡水域あるいは海で生活する)・・・このことを両側回遊と言う脱皮・成長は海?小さな卵・・ゾエア幼生(親と異なる姿)エビゾエア→エカポディド→成体カニ ゾエア→メガロパ→成体
★面白い・興味ある話し
内陸にある湧き水にテナガエビがいる
海に湧き出ているカ−(ニスヌカ−)にテナガエビがいる
湧き水が地下で海と繋がっている・・・水位が変移する
宮古島の古い時代に海に埋没しなかったのではと思える淡水性の生物がいる↓
・ミヤコヒキガエル
・ヒメヘビ
・カワアナゴ・・・眼が小さい(地下水域)オオウナギ ヒルミミズヤエヤマイシガメ食べ物はドロ、木の葉、同士(共食い)
以上が講義ノ−トです。今回、くまかまに紹介しました。宮古島にはこのように地下水環境に多くのいきものが生息していることを知り、その小動物たちの住む環境も考えていけるような、そんな宮古であって欲しいからです。
サシバの休む木々が少なくなってきました。森林の占める割合が16%と県内では最も低いです。復帰の頃は30%が森林だったそうです。今のままでは砂漠化していきます。緑溢れる、自然の豊かな宮古島であって欲しいです。透き通った湧き水・清水がコンコンと宮古島の地下を流れ、いつまでも多くのテナガエビを始めとする、地下水環境で生息するいきものが生き、そして繁栄していって欲しいものです。
今回、カニはそういう気持で「宮古島のテナガエビ」というエッセイを書いてみました。
下地勇さん CD発売のおしらせ
松谷初美(下地町出身)
下地勇さんの新しいCD「ATARAKA」(アルバム)と「アタラカの星」(シングル)がIMPERIAL RECORDS より9月27日全国発売されるそうです。アルバムは、去年の「開拓者」「また夢でも見てみるか」以来、約1年ぶり。
今回も多彩なアーティストをゲストにいろいろなジャンルの音楽にみゃーくふつをのせて勇ワールドをさらに広げています。
「アタラカの星」は、壮大なイメージの広がる曲です。「「アタラカの星」とは、“かけがえのない星”という意味で、“広大な砂漠を自分と一頭の馬だけで、新しい夜明け、平和、大切なものを見つけるためにどこまでも歩きつづける・・・”」そんなイメージで作られた曲だそうです。聴いたあとも、胸深く余韻が残ります。
その他にも、琉球音階にのせたノリノリの曲や心躍るタンゴ調の曲、しみじみとする曲などなど、満載です。ぜひ、お聴きのがしなく。
■「ATARAKA」 10曲 2500円
■「アタラカの星」 3曲 1000円
勇さんのホームページは、ぶとぅとぅず(おとつい)、リニューアルされました!ますます ずみ!なサイトになっています。新曲の視聴や、楽曲の解説などもあります。いきみーるよー(いってみてね)
アシバ祭のおしらせ
東京沖縄県人会青年部より
第21回アシバ祭を東京中野の北口広場で行います。今年のテーマは、「ヒヤミカセ御万人(うまんちゅ)の思い」です。
アシバ祭は、東京沖縄県人会青年部の主催で、年に一度秋分の日に開催しているお祭りです。名前の由来は沖縄方言の「遊ぼうよ」の「アシバ」と東京近郊に出てきた沖縄出身の青年たちの「足場」を築いていこう、という2つの意味からきています。
「アシバ祭2006〜ヒヤミカセ御万人(うまんちゅ)の思い〜」
● 2006年9月23日(土)秋分の日
● 中央線中野駅北口広場にて
● 11時スタート!
●エイサー三線はもちろんですが、今年は石垣から「MO/TO」、宮古から「下里コウセイ」、奄美から「実奄」と、離島も制覇しております。そのほか琉球舞踊もありと、充実した内容になっています。
●屋台では沖縄おでんに沖縄そば、ソーミンチャンプルーにヒラヤーチ。おやつにドラゴンフルーツジュースやブルーシールアイスクリームなど、暑いのか寒いのか分からないラインナップです。因みにアルコールは、オリオンビールとシークァサーサワー、泡盛にラムなども販売しています。
● 詳細は、ホームページをご覧ください。
アシバ祭サイト http://ashibasai.hp.infoseek.co.jp/
たくさんのご来場、お待ちしています。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
昨日、路地に彼岸花の赤い花が咲いているのを見つけました。そういえば、もう ぴんがん(彼岸)なんですねー。宮古では、アカハラダカがやってきたそうですね。朝晩の気温もだんだん下がってきて、ゆっくりと秋に向かうんですねー。
さて、vol.132 のーしがやたーがらー(いかがでしたかー)?
今回も、楽しい話、ためになる話が 満載だったと思います。
ホントに神童の周りには、まーんてぃなー?と思うような話があふれていますね。ちなみに中年Kは神童ではないそうです。神童の本名を知っている人は、本人のことだと思った人が多かったはずね。実は、ばんまい(私も)。(笑)
ひさぼうさん、久しぶりのミャークフツ講座でした。以前から続いている「助詞」についてのお話でしたが、今回は、韓国語も入っての解説。日本語と韓国語の文法が、9割がたも似ているとはびっくり!うむっしで(面白くて)、ユニークで飽きないひさぼうさんの講座でしたね。
沖縄そば専門店の渡真利さんは、下地の大先輩。明るくて、バイタリティのある生き方にすごく感銘を受けました。私も、ぴっちゃやらばん(少しでも)見習いたいものだなーと思いました。
宮古の湧水に住むエビやカニがこんなにも豊かにいたとは、すさったん(知らなかった)!しかも宮古固有のものもあるとは!カニさんのを読むとまだまだ知らない宮古のことがやまかさあるんだなーということを実感します。しかし、絶滅の危機にさらされているのもあるんですね。小さな生き物たちが、いつまでも良い環境で生息できるように願わずにはいられません。貴重な講義ノートもたんでぃがーたんでぃでした!
アシバ祭、私はまだ行ったことないのですが、とても楽しいお祭りのようですよ。去年に引き続き、ばんたが ざうかにこと(下里晄晴)さんも出場するそうです。さぁー、んーなしー ずぅ(さぁ、みなさんで行こう)
今号の感想もぜひお寄せください〜。掲示板や、メールで受付中〜。まちうんどー(待っていますよ)ー。
きゅうまい、皆様にとって、上等一日でありますように!
次号は、10月5日の予定です。あつかーまたいらー!