くまから・かまから vol. 134

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 こんにちは〜。 すすきの穂が風にゆらゆら。秋ですね〜。
 ところで、去った10月6日の中秋の名月は見られましたかー?
 今回は、数十年前の宮古の十五夜の風景から始まりますよ。 では、ぬかーぬか(ごゆっくり)お楽しみください〜。

じゅうがゆう(十五夜)のあるずたち

ワタリマリ(上野村出身)

 十五夜と言えば、月見団子にススキの穂?
ああーい あらん(いいえ違います)ふきゃぎ(外側に小豆をまぶしたおはぎのような餅)に爆竹でした、私たちの十五夜は。
 
 そしてなんといっても じゅうがゆうぶどぅい゜(十五夜踊り)。月夜の晩のカーニバルがはじまります。タカラジェンヌよろしくミヤクニジェンヌたちの踊りの祭典。
 
 おしろいに、真っ赤な口紅。その口紅が落ちないように、唇をあわさずに口を「う」形にする子供たち。月夜の晩には踊りましょう。と十五夜お月さんもわくわくです。
 
 すとぅがつや、びきやらびぬ つなしいどぅ。(お盆は男の子たちの綱生徒)、じゅうがゆうんな みどぅんやらびぬ じゅうがゆうあるず。(十五夜には女の子たちが十五夜の主人公)
 
 お盆の綱引きを終え、待ってましたとばかりに夜の辻に女の子たちが集まり、踊りや劇の練習に励みます。旧暦8月の満月に間に合わせるためには宿題そっちのけ、テレビあっちいけ・・・。ながいながい じゅうがゆうの始まりです。
 
 満月の夜の中央舞台(公民館)での公演が終わるまで村の夜はあくびをこらえた子供たちでにぎわっていました。
 
 その じゅうがゆうぶどぅい゜を引っ張っていくのが「あるず」たちでした。「あるず」とはリーダー格のお姉さんたち。
 
 年は14〜15歳。十五夜踊りをまかされた憧れの あんがたあ(お姉さん達)です。もちろん中学2、3になれば誰もが あるずになれました。(参加できるのは、幼稚園生くらいからだったと思う。)
 
 あるずたちの仕事は主に ぶどぅい゜(踊り)の指導。選曲をし、振り付けを考え、構成を考え、舞台衣装まで考える。まるで、総合プロデューサです。忙しい。受験勉強よりも忙しい。
 
 またあるずのうちの誰か一人の子の家がその年の ぶたいかきやあ(舞台設営場)になり、選ばれた家は「じゅうがゆうやあ(家)」と呼ばれてその期間はちょとした劇場となったものです。
 
 宮国の中のそれぞれの組「んまぬぱ組」(真ん中組)、「うぷばり組」(最高組)、「あがい゜ざとぅ組」(東里組)、「い゜ざとぅ組」(西里組)、「ぱいざとぅ組」(南里組)に「じゅうがゆうやあ(家)」はあり、それぞれの組での じゅうがゆうぶどぅい゜を終えて、いよいよ中央舞台で競うのです。
 
 じゅうがゆうの流れは、それぞれの組で練習、舞台かけ、衣装集め、「じゅうがゆうやあ(家)」での発表会が2日から3日、そこで評判が良かった(後で書くが投げいれが多かった)ものをもって満月までの3日間、公民館に設けられた中央舞台で発表します。
 
 ぶどぅい゜(踊り)は流行の歌、あのころはといえば昭和の歌。天地真理、南沙織、うららうららうらうらら・・のだれだったけ・・・。あるいは民謡、「十九の春」、「ハイサイおじさん」・・・あるいは劇や歌劇だったり。
 
 あるずたちの指示で各家々から集めてきた一張羅のねえねえたあがふく(お姉さんたちの服)、母ちゃんの着物、お父の背広・・・。舞台衣装に使えそうなものがタンスの中からどんどん出てきます。それをあるずたちに着せてもらって、きれいにお化粧していざ本番。
 
 私が一番よく覚えているのが、もう何年も引き継がれてきたという踊りで、宮城まり子の「ガード下の靴みがき」。♪ああ―かーい夕日がガードをそめてー・・・ぱい゜ざとぅ(西里)の踊り上手といわれていた姉妹がしっとりと踊る姿にみんなが魅了されたものでした。まんまるお月様もうっとりでした。
 
 子供たちのもうひとつの楽しみが「なげいれ」。お菓子やお金を包んで舞台に投げ入れる、ようは見物料のようなもの。ぶんみゃー(公民館)では3晩の間、踊りは競われるので、その投げ入れによって、どこどこの組が多い少ないの成績発表みたいなものを出すのでした。で、投げ入れは立派な収入源にもなっていたのです。
 
 「じゅうがゆう」を無事終えての最初の日曜日はご馳走日です。投げ入れで集まったお金で買出しをしてじゅうがゆうやあ(家)にみんなが集まり食事会をするのです。たいていは、ばら寿司とジュース(あるいはゲンキヨーグルト)でしたが、あのころのばら寿司は運動会と遠足、十五夜くらいでしたので、ご馳走中のご馳走だったのです。ああ、目を閉じれば寿司用のお皿とお箸とジュースのコップをぶら下げて、じゅうがゆうやあ(家)に急ぐ子供たちの姿が浮かびます。
 
 このようにして村の十五夜は子供たちのカーニバルでした。それも子供たちによる、子供たちのための大イベントだったのです。
 
 ですからその中心となる あるずの力は相当なもので、大人顔負けのたくましさがあったように思います。食事会の食材を平良の市場まで行って買出ししたり、舞台つくりの段取りをしたり、舞台化粧の世話までします。
 
 大人たちは静かに見守り、(もちろんうるさい人もいる)子供たちから声がかかれば惜しみなく手伝う。じゅうがゆうやあ(家)の人たちも家がしっちゃかめっちゃかになるのを覚悟の上で提供する。それはそれで子の成長の印でもあったのですから。そしてまた、そうした縦のつながりの中から子供たちは多くのことをに学んでいったように思います。
 
 娯楽が多様化した現代、素朴なお祭りは残念ながら消えてしまいましたが、何よりも今、こうしてあの頃を思い出しつくづく豊かな気持ちになれること、そのためにあの十五夜はあったのかなと遠い昔のあるずであるミヤクニジェンヌは今年の十五夜を眺めていたのでした。
 
 月夜の晩には踊りましょうといつか誰かを誘ってみたいものです。

早く飛ばせ!

神童(平良市出身)

 所用で那覇へ。同僚のK.takanoriと。
 
  那覇の泊にある取引先で用事を済ませ、本日の日程は終了。早、陽は慶良間諸島の彼方に没し、夕闇が辺りを覆っている。
 
 川沿いの道を夜風に吹かれながら、宿舎へ向かう。宿舎でシャワーを使い、慰労会の居酒屋へ。二人で、しみじみ飲んで二次会へ向かう。
 
 目的地は、桜坂にある、ニューハーフの店「あっちゃん」。午後11時営業開始のあっちゃん。看板は灯を落とし、寂しげに街灯に照らされている。しかたない。まだ9時半だもの。
 
 河岸を換えよう。なじみの餃子屋に向かう。メニューがギョーザだけの変な店。ところがぎっちょん!生憎、閉まっている。こと、ここに極まれり。行き場を失う。どうしよう?
 
 よし!後輩の運慶の従兄弟と関係ない快慶洋子に電話を入れる。今、桜坂にいるんだけど、近くにいい店を知らないかい?矢玉のように返事が返ってくる。ついでに、旨い餃子屋も教えてもらう。
 
 教えられた店に入り、泡盛を注文する。店のおつまみメニューは全て缶詰。店主に断りをいれ、教えられたギョーザ屋にギョーザの出前をお願いする。30分後、ギョーザが届けられた。快慶洋子の話では、兎に角、ニンニクがでかいとのこと。
 
 なじみのギョーザ屋もニンニクをすり下ろさず、3mmほどのさいの目切り。届けられたギョーザは一人前8個。二人前なので計16個のギョーザがカウンターの皿に並べられた。さっそくタレに付けて一口。ん?ニンニクが入っているぞ。それもひとかけ丸ごと。いいねえ!明日は誰も近寄らないぞ。きっと。K.takanoriと二人で16個のギョーザを片づける。さ、あっちゃんへ行こう。
 
 翌日、再び取引先に顔を出し、那覇での日程を終了した。泊高橋の取引先のビルを出て国道58号を空港向けに歩く。
 
 突然、K.takanoriが不調を訴えた。脂汗をかいている。重度の二日酔いだ。58号沿いのコンビニローソンに入り、ソルマックを服用する。タクシーを使い、那覇空港に到着する。タクシーの中でも苦痛を訴えるK.takanori。
 
 搭乗手続を済ませ出発ラウンジ。盛大に脂汗をかくK.takanori。もはや喋ることもできない。ボーディングブリッジをよろめきながら機内に到着。最前列が指定席だ。
 
 忙しく動き回るスッチーが異変に気付く。
「お客様、如何されました?」
 血の気が失せ、あせだらだらのお客様 K.takanori。
 
 「具合が悪いようでしたら、出発ラウンジの医務室で休まれてはいかがですか?」むっとした表情でスッチーをにらみ返すK.takanori。あば!んぎゃます ねえねえが。じんぬぅ ふぃーっちゃー んざからーんかい ぴり!あんちぃ うむいゆーぎ みぱな。(おろ!うるさいお姉さんよ。お金あげるから どっか行って!と思っていそうな面だ。)スッチーは怪訝な表情を浮かべながら通り過ぎる。
 
 しかし、別のスッチーが現れ、同じ内容を繰り返す。曳きづり降ろすつもりだ。またしてもスッチーをにらみ返す。離陸時間が経過した。なんとしても具合の悪いお客様K.takanoriを降ろしたいスッチー。
 
 手を換え品を換え人間を換え、必死の曳きづり降ろし工作。繰り返される説得工作にK.takanoriが切れた。「あがいぃー のーやらばん じょーぶんにば ぴゃーまり とぅばしぃ!(なんでもいいから、早く飛行機を飛ばして!)」
 
 スッチーは説得を諦め、予定より遅れて飛行機は那覇空港を飛び立った。機内でも軽く目を閉じ、かすかに呻きながら苦痛に耐えるK.takanori。スッチーが何回となく様子を見に来る。
 
 宮古空港に到着。
ぴくぅとぅーまい すーん(動くこともできない)K.takanoriのアタッシュケースを抱え先に降りる。ナメクジが這うような足取りで到着ロビーに現れたK.takanori。のろのろしながら、しかし、大急ぎでトイレへ。嘔吐!テロリストならぬゲロリストK.takanori!
 
 そのまま、病院へ向かい医師の診断が下された。ギョーザのニンニクの摂取過多。3日間、勤務を休んだ K.takanori。俺は、なんともないんだけどな!
 
  実は、K.takanoriが便所に行ってる間に餃子を3個ほど移動したんだ。K.takanoriの皿に。
 
 なので、当方の餃子摂取量は5個。片や、K.takanoriの摂取量は11個。結論は、この餃子は9個以上食べると危ない!ということだな。毒餃子かよ?前もって教えてくれよな。快慶洋子!

ミャークフツ講座 とぅゆむ(響む)編

松谷初美(下地町出身)

 「とぅゆむ」とは、鳴り響くという意味。
 「とぅゆまし(鳴り響かせて)」のように使ったりする。
 
 例えば「うわが あーぐぅ みゃーくなぎ とぅゆましよー」と言えば、
「あなたの歌を宮古のいたるところ隅々まで鳴り響かせてね」という感じだ。
 
 「とぅゆむ」は、それだけだと動詞だが、いろいろな言葉の後ろにくっつき、名詞を作り出しているようだ。『宮古群島語辞典』下地一秋著の中から書き出してみる。
 
 例えば「雷」。みゃーくふつでは、「かんとぅゆん」というが、これは「神」と「とぅゆむ」がくっついて「かんとぅゆん」なのだそうだ。空で神様が鳴り響いている!?
 
 それから「やどぅゆん」。「やどぅゆん」とは、ものを投げたり、壊したりというようなものすごい喧嘩のことを言うのだが、これは、「家が響む」=やーとぅゆむ で「やどぅゆん」になるそうだ。家が鳴り響くとは、言いえて妙だなーと感心する。(昔の親たちはよく やどぅゆんをした。ホントに耳をふさぎたくなるほど、鳴り響くのだ)
 
 あと、昔の宮古の勢力者などを「とぅいみゃー」と言うが(目黒盛豊見親や仲宗根豊見親など)、これは「響み親」から来ているという。響む人というのは、一般に名の知れた偉い人に使うのだそう。うや(親)は、尊敬を込めた呼び方。現在漢字では、とぅいみゃー(豊見親)と書くのが一般的だが、「響み親」の字には、名をどこまでも馳せ、鳴り響かせているイメージが湧き、とても納得する。
 
 そして、なんと「とぅゆむ(とよむ(響む))」とは、古語でもあった。国語辞書を引いたら、現在は、どよむ(響む)と読むが、「平安中期までは「とよむ」と清音」と書いてあるのを読んでびっくりした。意味も、現在宮古の人たちが使っている「鳴りひびかせる」という意味になっている。「とよもす」=「とよむ ようにする」とも使うようで、まさに宮古で言うところの「とぅゆます」になる。「とよむ」は、万葉集にも「夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦とよめさを鹿鳴くも」と出ているそうである。
 
 先日、宮古で行われた「なりやまあやぐ大会」のサブタイトルは、「ぶどぅり とぅゆまし 肝心(ツムグクル)─」。(踊り鳴り響かせその心)というような感じでしょうか。
 
 ひさぼうさんがいつも書いているように、宮古には、長い年月を経てもなお んきゃーん(昔)と同じ言葉が残り、そして今なおその言葉を使っっている。そのことを肌で実感するとき、私の心は震え、感動する。

まゆがま(猫ちゃん)日記 〜スパルタ母、豹変するの巻〜

あば本舗(下地出身)

 私は前々から猫を飼いたかったのだが、動物嫌いな母は大反対。しかし、8年前のある日。家にこもりがちな母にとっても、ペットは良い結果をもたらすかもしれないと思い反対を押し切ることにした。
 
 義姉の家から譲り受けた生後3ヶ月のその仔は、まだ乳離れしたばかりの いるやっすそーぬ いみーっちゃぬ まゆがま(色の白い小さな猫ちゃん)名前は「ハナ」と命名した。
 
 あんしぬ いき゜むすゆ やーぬなかん うっき のーばしーが みばからでぃっしゃぁー !ぷじ むちいき゜すてぃくぅー(そんな生き物を家の中で飼って、どうやって世話するというの!どうぞ持っていって捨ててきてちょうだい)案の定、母はそう訴え続けた。
 
 けれど、1ヶ月2ヶ月と経つうちにだんだん様子が変わってきた。最初はあんなに怒って反対していたのに、一生懸命に仔猫の面倒を見始めたのである。ネコのトイレの掃除をしたり餌を与えたりと、毎日ぷからすきなり(嬉しそうに)世話しているではないか。それは想像もしなかった母の姿だった。
 
 彼女の猫に対する気の使い方は、ハンパじゃない。半日ばかり姿が見られなくなると、んじゃんかいが ぴす゜たーびゃーいら?車んどぅふぁーさりたーびゃーいら(どこにいったんだろぅ?車に轢かれたのかなぁ)と、うかーすきなり しわ(ものすごく心配)する。
 
 キャットフードはあきないようにと常に種類を変え、宮古の親戚から送られてきた高級品のなまり節など、ばがふつんな ぴぃとぅふつっちゃちんま ぱす゜ざん(私の口には、ほんのひとかけらも入らない)
 
 ある日、なまり節の血合いの黒い部分を一生懸命に取り除いているので、のーゆがしーゆーりゃー?(何をしているの?)と訊いてみた。するとこんな答えが返ってきた。
 
 あし!ハナぁー うりゅーばー ふぁーんむぬー。あんしば っふおーぬとぅかまゆばー ばがどぅ ふぁいゆーっさーゆー(だって!ハナは、ここは食べないんだもの。だから、黒いところは私が食べているんだよ)私は絶句するしかなかった・・・。
 
 私ら兄妹が子供のころ、食事にケチでもつけようものなら、ふぁーでぃやーんやっかー ぷじ、ふぉーな!(食べないんだったら、食べないでいいよ!)などと一喝するスパルタ母だったのに・・・。当時とのあまりの違いに開いた口がふさがらなかったが、何だか微笑ましい?気もした。動物嫌いで頑固一徹な ういずみどぅん(上地の女)の母をここまで変えるとは!おそるべしハナの力。
 
 ハナは、いつの間にか家の中に一人で過ごす時間が長い老母にとって、かけがえのない存在になっていたのだ。女手ひとつで育て上げた子供達には見せなかった細やかな愛情と気配り。「ハナちゃ〜ん」と優しい声で猫を呼ぶ母の顔は、大げさだけど輝いて見える。時には、私も一度でいいからあんなふうに やぱーやぱ(柔らかく)呼ばれてみたかったなぁと、ハナが羨ましくなったりもした。 
 
 年をとってから宮古から本島に生活の拠点を移した母にとって、周囲に知り合いが少ない今の住居は、宮古に比べれば孤独な環境である。だからこそ物言わぬ小さな生き物に、これほど心慰められ癒されるのかもしれない。
 
 正直にいうと最も大きな成果は、母娘ケンカが激減したことだった。そんな訳で、ハナは我が家に癒しと平和をもたらしてくれた恩人ならぬ、恩猫なのだ。
 
んにゃ、うかーすき まゆがなす(あぁ、とっても凄い猫様)なのである。

おしらせ

松谷初美(下地町出身)

どぅたっちライブ

 東京駒込にある琉球センター「どぅたっち」で、ざうかにさんこと下里こうせいさんの民謡ライブがあります〜。ぜひ、おでかけくださいね〜。

日 時2006年10月28日(土)午後7時〜
場 所琉球センター「どぅたっち」
電話:03−5974−1333
料 金2000円(ワンドリンク付き)

第五回クイチャーフェスティバル

 今年もクイチャーフェスティバルが来月行われるそうです〜。宮古各地の伝統的なクイチャーや創作クイチャーが見られます。ぜひ足をお運びください〜。

日 時11月5日(日)午後3時30分〜午後8時ごろまで
場 所カママミネ多目的広場
入 場無料
参加団体伝統の部12団体、創作の部15団体
ゲスト国吉源次、長間たかお、大城友弥
主 催クイチャーフェスティバル実行委員会、宮古毎日新聞社

編集後記

松谷初美(下地町出身)

 くまかま本が発行されてから約三ヶ月。いろいろなところで紹介されたり、また、読んでくださった方から感想が届いたり、ぷからすーとしています。ネットをしない方たちも多く手にしてくださったようで、ホントに本にしてよかったなーと思っています。
 
 そしてメルマガ登録者数がついに600名になりました!パチパチパチ。くまかま本作成中は、550名余りでしたので、本を読んで登録してくださった方が多いのかなーと思っています。たんでぃがーたんでぃ〜。
 
 きょう初めてメルマガが届いたという方もいらっしゃるんですよね。初めまして!どうぞこれから末永くお付き合いくださいね〜。新しい方も、これまでの方も、今後ともよろしくお願いします。(なんだか、年始か何かの挨拶みたいになってしまいましたね。(笑))んー、でも まーんてぃどぅ ぷからすかーゆー(ほんとにうれしいのです)ありがたいです。
 
 さてさて、vol.134です。
 
 ワタリマリの上野宮国の十五夜はすごいですねー。組の多さもさることながら、組での発表が終わって公民館で本番とは!宮古の芸能のすごさの根源はこういうところかも!?それにしてもまーんてぃ豊かな子ども時代だなーと思いますね。
 
 神童は出張に行っても、話題にはこと欠きません。して、前の話でもまるで昨日のことのような細かな描写。人間観察、記憶力すごすぎです。それにしてもスチュワーデスも具合の悪いのは、餃子のせいとは思わなかったはずねー。
 
 あば本舗さんのお母さんとまゆがまのふれあい、あば本舗さんの二人?を見つめる優しいまなざし、いいですね〜。まだまだいろいろなお話があるということですので、今後シリーズとして掲載していく予定です。どうぞお楽しみに〜。
 
 あなたの感想、まちうらっとー(待っていますよー)してから、投稿もぜひお寄せくださいー。
やらびぱだぬぱなす(子どものころの話)、今の話、何でも結構です。
よろしくお願いします。

 「訂正」があります。
 前号vol.133のクイチャーマンさんの「下地小の校歌の作曲者はだ〜れ?」   の中で「また大阪に明治6年創立の豊橋市立下地小学校・・・」とあったのは、大阪ではなく、愛知でした。訂正致します。申し訳ありませんでした。

 最近、感冒している人が多いようです。気をつけましょうね〜。
 次の発行は11月2日の予定です。あつかーまたいら〜。
 きゅうまい、上等一日でありすように!