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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 143

2021 5/03
メールマガジン
2007年3月1日2021年5月3日

こんにちは〜。きょうから3月ですね!
きょう高校の卒業式があるところも多いでしょうか。 今回は、そんな話しも。
まずは、昭和の頃にちょっとタイムスリップ。ひゃーうぃごー(欧米か!)

目次

親父のお土産

アモイ(平良市出身)

あれは昭和44年の私が中学3年の時の事だった。2〜3年位前から毎年愛知県へ季節工として行っていた親父が、不可思議な電気製品のお土産を買ってくれたのだった。大きさは今で言えば10インチのノートパソコン位のもので、平置きで、上面部分の中央から前は平たくて、後ろの部分は枕のように盛り上がっているのだった。

何だろうと思ってガチャガチャとスイッチを押していると、中に入っていた長さ10センチくらいの四角いものが飛び跳ねてきた。あれ、壊れたかな?と思ってびっくりしていると、親父が現れて「んじんじ うりゃーうわたんなっさいん」(どれどれ これはあんた達にはわからんさ)と言って、飛び跳ねた物体を、ガチャガチャしまいこみ、スイッチを操作すると、いきなり歌が流れてきたのだった。

それは、生まれて初めて見る松下が初期に発売したカセット式のテープレコーダーだったのだ。それまでテープレコーダーと言えばオープンリール式の大きい物しか見てなかったので本体の小さいのにびっくり、カセットテープの小ささには面喰らったものだった。あっば、うぷががまなー?(こんなちっちゃいの)

中がどうなっているか不思議だった。出始めのカセットはラジオも無く音はモノラルで含みが有って音質が悪く、オープンリールの音にはだいぶ劣っている感じだったが、そのコンパクトさや扱いやすさは画期的だった。

当時学校で入っていた演劇クラブで日曜日に練習があったときに、少し自慢げに学校に持ち込んで、台詞などを録音してみたのだった。ほとんどの人が「あば、うりゃーばんなー?どぅが くいや あらんにゃーんしどぅうーば」(あれ、これは俺か?自分の声じゃないみたーい)というような感想を言っていた。

いま思えば、当時のテープレコーダーの音質の悪さのせいはまちがいないのだが、スピーカーから自分の声をきく事もあまりなくて自分の声をまだ知らなかった事も一因ではなかったかと思う。それにしてもその時のテープレコーダーを保管しておけば希少価値としてプレミアがついたはずなのになー・・・ああー残念!

当時の宮古島では、季節工として本土へ働きに行く人がだんだん増えて、農家の大部分の親父や農業しーにん(青年)達は夏場は季節工へ行き、冬場はきび倒しをしながら失業保険をもらうのが流行となっていた。

隣の先輩の親父は神奈川県に季節工として行き、お土産として、ちょっと大きいスピーカと一体型のプレーヤーを買ってきたのだった。先輩は自慢げに、「はーいアモイ、ばんたが おとーが、ずみぎプレーヤがもー、ないちから かいきしうきば、ききすがくーよー」(ねーアモイ、うちの親父が素敵なプレーヤーを内地から買ってきてあるから聴きに来いよ)と呼ばれて聴きに行った。

早速当時のレコードを掛けて聴かされた。西郷輝彦の「君だけを」だったような気がする。音楽が始まって、「あば、高音ぬ ずみがまやー」(おー高音がよく出ていていい音だなー)と言ったか言わないで聴いていると、西郷輝彦の声がちょっと軽く聴こえて、声が高めで、妙にビブラートが効いていておかしかった。

内地からのプレーヤーが変とも言えずに聴いていると、先輩も「ぴーったがま ぴゃーむぬ やーばやー」(ちょっと早いよね)と言ってレコードを変えて聴いてみてみてもやはり音が高くてちょっと変だった。「あすぅがー 音ぬ ぴーった たかいやーすぅが ずみやー」(しかし、音がちょっと高いけどなかなかいいねー)と言う事で終った。

原因は日本に2種類ある電力会社の周波数〔単位はヘルツ(Hz)〕の違いによるものだった。当時は関西地区と関東地区の周波数の違い(関東は50Hz、関西は60Hz)などまったく知らず、最近のようにインバーターなどという周波数の調整機能もついていないため、関東地区からのオーディオ製品はそんな事態が発生していたのだった。

先輩がどこからか聞いてきたらしく、かりゃーあんちぬ ばーっざー、(あれはあんなわけだそうだ)と教えてくれて、部品を交換っすつかーのーすでぃすっざ、(すれば直るそうだ)との事でひららの電気屋へいって部品を交換してきたというのだった。

直った後に聴かせてもらったのだが、まだちょっと高音に聞こえていたような気がしたものだったが、先輩をがっかりさせてはいけないので、あがい、んなまがみゃー まーんてぃ ずみだら、(おー、いまだったらもう最高だね)。と言う事で一件落着したのであった。

季節工として出かけていった宮古島の親父達は手持ちのお土産だけではなく、色々なお土産話も持って帰ってきていて、酒ざーではそんなお土産話で盛り上がったりしていたものだった。

その中には「やましたか?いいえ木下です」と当時から宮古では有名な方言失敗談から武勇伝などもありました。

名古屋へ行ったある親父は「あんたえらいやろう」とよく誉められ、うれしくなってもっと張り切って仕事をやったそうですが、その意味が「あんた疲れるでしょう」というような意味だと知ったのはだいぶ後からの事で、「ないちぴすとんどぅ だまさいゆーきぅす だら」(内地人にだまされたんだよ)と笑い飛ばしていた。

それにしても、あの時、最新のオーディオ機器としてお土産にもらったプレーヤーやカセットデッキのたぐいも今ではCDやDVDへととって変わり、箪笥の奥にしまってあるドーナツ盤やカセットテープも、ゆくゆくは、棺の中に入れられるのを待っているだけなのかもしれませんですね。

ばんたがやーぬつかふ16

Motoca(平良出身)

ー木の上、塀の向こうー

子どもの頃はとにかく、高いところにばかり登っていた記憶がある。

小学校では、休み時間や放課後は大概ガジュマルの木の上にいたし、そうでなければジャングルジムか何か、遊具の上にいた。

がっしりとした大きな幹の、登りがいのあるガジュマルが平一小(平良第一小学校)にはたくさんあった。運動場の真ん中に寄り添って立つ二本のガジュマル。幼稚園と運動場を並木になって仕切るガジュマル。図書館の裏には幹が斜めで登りやすいガジュマル。新校舎の裏にあるコンパクトなガジュマル・・・。

樹の上は、友達と鬼ごっこをして遊ぶ場所であり、親友と内緒話をする秘密基地であり、ひとりで読書をしたりぼーっとしたりする場所でもあった。

下校時は、正門からではなく塀を乗り越えていくことが多かった。登れさえすればそれで良い。Motocaと煙は高いところが好きなのだ。

実家は、幼稚園側の塀を越えて北西に2ブロック目の通りにある。一方通行の、幅の狭い道だ。前比屋(まえぴや;マイピャー)と呼ばれる内会(区域)の中にあった。

実家のある通りには、教員の家が多かった。うちの両親もそうだったし、小学校4〜5年生の時の担任の家もある。現役教員のみならず、母がかつて教わった先生の家もあった。そこは市街地の住宅街だった。学校のガジュマルのような、大きな木は少なかった。

それでも私は登っていた。
塀の上、屋根の上、登れるものは何にでも。塀を伝って、同じ通り沿いにあるいろんな家の庭によく入り込んでいた。現在はいくつか取り壊されてしまったり、空き家になってしまったりしたお宅もあるが、実家のある通りの家の庭のつくりは、私が宮古を離れた当時までの状態であればほぼ完璧に知っていた。

近所の同じ年頃の友達と、通りいっぱいを使ってかくれんぼや缶蹴り鬼などもやった。近所の家の庭に隠れるのだ。ときどき、庭にお邪魔した家の扉が突如ガラッと開いて、

「はいっ!のーしぅーりゃーっ!?」
(こらっ!なにしてるんだ!?)

と怒鳴る怖いオジィ(オヤジ?)が登場したりもした。もちろん、ジャジャーッとぴんぎ(一目散に逃げ)た。あっがじゃ、うとぅるす(ああ、おそろしい)。

まあ、今思えば、私らが悪い。大概の場合、家の主が大事に花を育てていた花壇に踏み込んでしまったり、ドサクサにまぎれて植えてあった芋(まだ小さいやつ)を抜いてみたり、さらに逃げる途中につまづいて鉢植えやプランターをひっくり返したりしていたのだ。どう考えても怒られて当然だ。あがいー、ごめん!

でもその場で怒られるだけだった。親や学校に話が行って、あとで怒られるということはなかった(気付かなかっただけかも知れない)。私らも懲りずに何度も同ようなことをして、何度も同じような目にあった。

宮古にいた頃はおとなしい子だった、と自負していたが、思い返してみたら相当のぼうちらやらび(わんぱくな子供)だ。撤回して、反省します。そして、そんなトンデモナイ子供時代を温かく見守ってくれた、ご近所一帯の寛大な大人たちに感謝します。

たんでぃがーぁ、たんでぃ。

家の中の神様 〜 ゆーぬかん(福をもたらす神様)〜

松谷初美(下地町出身)

それぞれの家によっても違うと思うが、ばんたがやー(実家)には、いくつか神様の棚がある。

その中のひとつ、「ゆーぬかん」は、一番座の うまぬぱー(南の方)にあって、毎朝、おばぁが たちょう(お茶を供えること)をしている。

ばんたがやーぬ ゆーぬかんのかんたな(神棚)には、木箱があって、我が家に ゆーをもたらす「牛の角」が収められている。

これは、おじいが青年の頃、草刈をしていて なーます(畑と畑を区切っているもの・境界線)で拾ったものだそうだ。おじいは25歳でおばぁと結婚したが、その牛の角は、実家に置いたまま新居を構えた。

あるとき、おじぃは、腹痛がずっと続き、あれこれ手を尽くしたが、治らないので、かんかかりゃー(神願いをする人)の家に行った。

かんかかりゃーは、「(おじいは)持ってくるべきものを持ってきていない。それを持ってきたほうがいい」と言ったそうだ。

おじぃはあの牛の角のことだと思い、実家に行って取って帰り、自分の家の ゆーぬかんとして祀った。

おじぃの腹痛は、それで治まったのかどうか、おばぁはもう記憶が定かじゃないそうだが、そのときから牛の角は我が家のゆーぬかんとしてある。

牛の角は、年に一度お正月のときだけその箱から出される。床の間に飾られ、その横には塩が盛られる。そして、正月の初めてのお客さん(男性に限られ、とても大切なお客さんで縁起をもたらす人とされる)にその角でお酒を飲んでもらう。それはとても厳かに行われ、子ども心にも浮かれることができない雰囲気を感じていた。

やらびぱだ(子どもの頃)からその角のことは見ていたが、そういった経緯があり、意味があるものとは、最近が知ったことだ。おじぃやおばぁの精神に少し触れたような気がした。

ゆーぬかんに何を祀ってあるかはその家庭によっていろいろあるようだ。ちなみに親戚のおじさんの家のゆーぬかんは、つが(升)だそうである。

卒業

R(平良西里出身)

沖縄県の県立高校では、毎年、3月1日に卒業式を行う。
25年前の今日、私も、宮古島の高校を卒業し、その数週間後、進学のため島を離れた。きょうだいが、そうだったように「私ももう宮古島に戻らないのだろうなあ」と思い、飛行機から見えた宮古島の風景に「さようなら」と告げていた。

私が卒業した高校は、当時、家政科2クラス、商業科2クラス、普通科8クラスの合計、12クラスあった。それからすると生徒数は、一学年450名は超えていただろう。普通科も前半クラスと後半クラスに分けられ、顔も名前も分からずじまいで3年間を過ごしてしまった同級生もいる。

まだ、メリケン粉投げが禁止されていなかった時代で、式が終わり校門をくぐる頃には、制服は真っ白になっていた。その姿の滑稽さとは裏腹に友と別れる寂しさが募り、また、親元を離れて過ごすこれからの生活を考えると笑えない心境で、顔は なだ(涙)で濡れていた。卒業式後の記念写真には誰の顔にもそんな表情が残されている。

高校卒業後は、その殆どが進学・就職と沖縄本島や本土への進路を決め、数名のみが宮古島に残ったと思われる。

その後、大学を卒業し先生になったり、役所に職を求めたりと宮古島に戻った同級生もいるが、その多くは、戻っていない。私もそのうちの一人。

私は沖縄本島で就職し、その後、結婚したが、仕事を続けたため、宮古島に帰省するといっても1年に1回程度、せいぜい2〜3日と短い間の滞在であった。そんな ぱんたーぱんたぬ(忙しい)日々はまだ続いているが、18年前、1ヶ月余の期間、宮古島で過ごしたことがある。それは、長女出産のためで、「里帰り出産」をしたのだった。両親が健在の頃の話である。

初めての出産は、何がなんだかわからない状況で迎えたが、出産後は、毎日通って入院している私の面倒をみてくれる母にとても感謝した。親への恩を初めて感じた瞬間だった。

当時の宮古病院は、かなり古く、また暗いイメージでパイプベッドが設置された大部屋は、だいず(とても)殺風景だったが、我が子と過ごす空間は、暖かい空気で包まれている気がした。 

  生まれてきた娘があまりにも可愛いくて、「かあちゃん、なんで赤ちゃんはこんなに可愛いんだろうね」と聞いたところ、返ってきた答えはこうだった。

「(赤ちゃんは、)神様だからさあー」
・・・納得。それ以外に答えはないと思った。

美しくなるようにとの願いを込め、主人と私はその子に「綾(あや)」と名づけた。娘は、歌と踊りを得意として成長してくれたので、有り難い事に私ができなかった親孝行を「おばあちゃん孝行・おじいちゃん孝行」としてやってくれた。

その娘も、今日、高校の卒業式を迎える。
4月からは、大阪の専門学校に進むことが決まっている。

先日、母の声の いみ(夢)を見た。
娘の入学式の会場から宮古にいる母に電話をしている私がいて、その電話の向こうから「まいふか(よくやったね)、おめでとう」と言ってくれている母の声だった。
今では聞くことのできない母の声だった。母は、電話でいつも「いずゆいだし、さーてぃがんばりよー(元気を出して一所懸命頑張りなさいよ!)」と私にエールを贈ってくれていた。

25年前に私を見送った母の心境を今、私も感じている。私も旅立っていく娘のこれからの生活の無事と成功を願って止まない。

綾、卒業、おめでとう。

編集後記

松谷初美(下地町出身)

梅の花は満開、桜のつぼみは大きく膨らんでいる東京です。みゃーくあ のーしーがらやー(宮古はどうでしょうか)?

きょうは、ちょうど3月1日。沖縄は、県立高校の卒業式ですね。ホントにこの年になって、自分の子どもが巣立つ時になって、親の気持ちがしみじみと分かりますね。当時のお母さんの気持ちに思いを寄せるRさんの話しに、気持ちが重なる方も多かったのではないでしょうか。私もジーンと心に染みました。

アモイさんは、久しぶりの登場でした。
懐かしい話がいっぱいでしたね。あの頃の匂いまでもしてきそうな感じがしました。季節工という言葉も久しぶり。お父たちも何をおみやげにしようかあれこれ考えて買ったんだはずね。ばんまい(私も)自分の声を初めて聞いたときは、びっくりでした。物の移り変わりは激しくて、時代がよく分かりますね。まーんてぃカセットテープなんかはどうなるべきかね?

子どもは、なんであんなに高いところが好きなんだろうね。Motocaさんの話しを読んで、そういえば、そうさいがーと思いました。して、平良の子どもも意外にぼうちらやらび!?(笑)閑静な住宅街に やらびたが(子どもたちの)声が響き渡っているのが聞えるようです。やっう”ぃおじい(怖いおじい)いましたよね〜。

家の中の神様は、他にも「まうがん」や「うかまがん」などもあります。また、おいおい書いていけたらなーと思っています。

今度の日曜日は、いよいよくまかま本出版祝賀会!
100名余りの申し込みがあり、ぷからすーとしていますたんでぃがーたんでぃ〜。
司会は、川満しぇんしぇーがやってくれることになりました。ますます盛り上がりそうな予感どーや。楽しい、ぷからす会にしたいと思っていますので、みなさん、どうぞよろしくお願しますね。

今号の感想もぜひぜひお寄せくださいね〜。
まちーうらっとー(お待ちしています)!

次号は、3月15日(木)の予定です。どうぞお楽しみに!

さ、宮古に帰る準備をしないと〜。あつかー、んにゃ、またいら!

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