こんにちは〜。
桜の花が咲きそうだなーと思っていたら、寒が戻ってきてぴしーぴしぬ東京です。うわがとぅくまーのーしーがらー?(あなたのところはいかがですかー?)
vol.144お送りします〜。 個性豊かな話し、味わってくださいね〜。
ぶーぎ 薙ぎ
神童(平良市出身)
「キビ倒し」は誰が言い出したことなんだろう?方言を直訳してもキビ倒しにならんぞ。多分、沖教組が生み出した造語だな。
曰く。
今日から方言は禁止です。じゃー ぶーぎ薙ぎはなんと言えばいいかあ?ぶーぎはキビだから良いとして、薙ぎは薙ぎ倒すの意味だから、でも、薙ぎって暴力的だから倒すだけを採用しましょう。沖教組だし。解りましたか?友利君!ってな もんだな。きっと!
ここ、30年くらいで収穫の方法が変わったのがキビだな。あまりにも変わりすぎ!
ざっと書いてみるか。
まず、覚えている頃のキビの収穫方法。小学校くらいまでだから1960年代だはず。
えー、まず「すぅらうち」をしませんでした。
すぅら打ち。すぅらは天辺という意味です、はい。打ちはバッティングではありません。松井秀喜となんの関係もないです。多分、討ちが正しいんだと思う。すぅら討ちね。江戸時代なら「手討ちに致す。そこへ直れ!」などと言われたりするんだな。蕎麦屋の親父に言われたらなんてことないけど、武士に言われると嫌だろうな?
親戚、仲のいい隣組による ゆいまーる(互助会)おおよそ弁当のなかった島尻集落。昼飯は畑の隅で炊事。お釜造って薪くべて米炊いて。で、ややもすると ぱーがら(枯れ葉)に火が燃え移り隣の畑も含めて3町歩くらい丸焼け。こうなると ゆいまーるどころじゃなくて。燃えてしまったキビでも蒸発するのは水分だけ。という理由で乾燥する前に村人総出で焼けたキビの収穫。全員煤だらけになりながら。
こういうときは役所からも応援がきたりするんだな。口の悪い島尻住民は「ぶーっぎぅぎゃー まーし すてぃばどぅ んみゃーすかーさいが!」(キビは もやしてしまったほうが(応援がくるから)楽でいいな!)と、言ってたりしてたな。
復帰前は、労力の少ない母子家庭の畑に琉球政府の援農隊が派遣されてた。珍しいから同級生全員で見学にいったものです。はい。近づきすぎると政府の役人に怒鳴られたりしてさ。
実はこの援農隊。一部の人の模範になるくらいの面々。と言うのも、刑務所に収監されている模範囚。ね、一応、模範になってるさ。で、この模範囚が逃亡しないように看守が畑の端で監視してるんだ。
模範囚は幌付きのピカップ(ピックアップ)に乗せられてやってくる。もちろん荷台に積み込まれて。畑に到着次第、看守に手錠を解いてもらって作業に入る。服装がすばらしい。チャップリンの服。縞縞の囚人服。作業が終わると整列させられて一人ずつ順番に手錠をかけられピカップに積み込まれて去っていく。悪いことするとあんなになるよ!よく、言われた。子供達は子供達で、人を殺したかねー?違う、泥棒だはずよ!などと妄想を膨らますのだった。
おっと、収穫の方法だったな。いつまでも囚人に囚われてちゃいけないな。ん、変か?
まず、根っこを鉈でぶったぎって、すぅらのたばりたキビを引き出して適当にうっちゃておいて。後ろから剥葉隊が すぅらとぱーがらを ばっつぁいて(捌いて)。ある程度、まとめると ばら綱(わら綱)で縛って。だから、キビの収穫前にキビを結わえる ばら綱を盛大に製産しなければいけなかったんだ。
つかに(すすき)を取ってきて、棒で叩いて柔らかくして天日で乾燥させて。縄になって。キビ倒しは何ヶ月も前から準備しなければいけないものだったんだ。ばら綱は、25尋(約45m)5¢が相場。その後、機械化が図られるものの時代の波に飲まれて姿を消した。あの人は今?に出てきそうな機械。
機械化と言えば、づーまみ(落花生)の選別機なるものを郡農協が持ってきてデモンストレーションをしたことがあった。収穫の機械でなく乾燥したづーまみの選別。中身が未熟のづーまみは扇風機で吹き飛ばされるという、買い入れ側に有利な機械。よけいなことするんじゃねー!ということからデモの途中で農民が帰りだして。だって、農家は如何に誤魔化して収入を得ようか、と考えてるのに製品にならない品物を明確に選り分ける機械を買えを言われてもな!買い入れ側で買えよ。ねえ!
薙ぎぐなは力仕事専門だから、薙ぎが終われば縛られたキビの束を畑の隅まで担いで。これが一番重労働なんだ。トラック1台分を人力だぜ。主に男性の若者が行うさーね。対して、すぅらうちとぱーがらかき(剥葉作業)は、老人及び女性の担当となる。畑が奥まった場所の場合、更に馬車に積み替えてトラックが入れる通りまでさらに運搬。
今だったら、この時点でキビ倒しは終わりさーね。でも、昔は、ここから更に一仕事。トラックに人力で積み込むんだ。朝一の荷なんて なまじゃーか(超早朝)に積み込み。櫓をくんで二人一組でトラックに放り投げて。トラックの運転手は荷崩れすると困るから刃渡り60cmくらいの大鉈でキビを平坦に整えて。積み込みが終わると総員でキビの縄かけ。せーのっ!せーのっ!で縄を絞めて終了。疲れる疲れる!
その後、櫓による人力積み込みは移動式ベルトコンベアーへ移行して積み込み作業の機械化が図られる。それでも運転手は鉈で束を整えんといけんから相変わらず重労働!積み込み作業はクレーン車を利用することで、運転手を奴隷から解放して、南北戦争は終結する。
当時は、畑に人間以上の荷重がかからないから株立ちが普通。現在は、トラクタやハーベスタが踏み荒らすものだから株立ち絶望。反収減。うーむ。
手刈りは すぅらうちという家内制手工業に若干の改革が行われて薙ぎぐなの労力を減らすことに成功する。クレーン車による積み込みにより、頑なに縄で縛り続けた人々も一山約500kg程度の山を造る方法を受け入れた。これにより、縛る。くんぎる(担ぐ)。という作業が省略された。しかし、運搬はトラクタで行うので株立ちを諦めるという苦渋の決断を迫られることとなるのであった。
当時のきび運搬車両はボンネットの6tトラック。6t車にこれでもかと積み込まれるキビはざっと12t。最大積載量の2倍を積むもんだから、路面のちょっとした段差に機敏に反応してトラックが横転する。トラックの腹の下なんて映画でしか見れないだろ?現在は、11tトラックに7t積み。昔に比べて効率が悪くなっている。先進国の文化って、無駄の集大成みたいなもんだ。
そういえば、縄を使ってキビを結わえていたのは20年前くらいまで。つかに(すすき)を叩くのが面倒くさい人は一計を案じて。道路に敷き並べて通行する車両に轢いてもらうという方法を編み出した天才がいる。こういう人は道路交通法を理解してないからどこにでも敷き並べる。家の前の道路が急カーブなのにつかにを敷き並べて交通事故を誘発する。頭に来た運転手は、つかにの上で急ブレーキをかけてずたずたにぶっちぎってしまうという仕返しをするんだな。トラックの急ブレーキの場合、ずたずたを通り越して、ぷき(粉)状態。縄をなうどころじゃない。長閑じゃのう!
ハーベスタの導入の前に手作業で剥葉するちょっとした機械が使用された時期がある。今もあるんだけどさ。薙ぎ倒したキビを機械に投入する。まずローラがキビを引きずり込み、続いてチッパーが細かく切断。その後、扇風機により ぱーがらが吹き飛ばされて細かくなったキビが出てくるという代物だった。
現在のハーベスタは重量がありすぎて雨続きのぬかるんだ土壌では作業が不可能となる。だから、天気続きの今年は製糖工場の操業期間が短縮されるんだけど、悪天候の年なんてずるずると操業期間が延びるんだな。
ちなみに、宮糖城辺工場は操業期間が延長すると利益はトントン。伊良部工場は減益。多良間工場は増益。という話を聞いたことがある。ほんとか?
ハーベスタはキビの糖度と関係なしに約2割程度の使用料を徴収され、さらに2割のトラッシュをさっ引かれる。なので、手元に残るのは半額ちょっと。農家は大変なんだぞ。パトラッシュ!
すかすむぬ い?(うその話)
みしん(池間出身カンザス州在住)
アメリカグンカンドリ(Magnificent frigate bird)
名のとおり、グンカンドリの一種で、その中でも一番大きい鳥。成鳥は体長約1メートル、くちばしはするどく先がホックのようになっている。翼をひろげると約2.5メールにもなる。生息地、熱帯大西洋、カリブ海諸島、メキシコ、南アメリカ、南米、ガラパゴス諸島、ルイジアナ州、フロリダ州の海岸沿い。その飛行能力は優れているが、生息地から120キロメートル以内からでることはない。
なうひぃ〜(どうして)アメリカングンカンドリの紹介?
なぜかというとですね、このアメリカグンカンドリを池間小中学校の運動場で み〜たいくとぅぬ ありゆ〜いだら(見たことがあるのです)またまた、作り話か、夢の話と思っている方もいるかと。
本当にこの鳥が一羽、空から舞い降りてきました。大げさにいえば、ウルトラマンの怪獣の一場面のようでもありました。
30年近く前(1978年頃)の話なので、記憶にすこし違いがあるとおもいますが、小学校高学年、運動場で遊んでいると空に黒いビニール袋のようなものが飛んでいました。それが、だんだん近づくにつれてコウモリのような翼をした見たこともない がばしゃ〜〜(大きな)鳥!
それは、翼竜プラテノドンがまだ生きていたのかと思ったくらい。あがい うとぅるすむん!!(大変、こわい!!) はじめて見るそのまっ黒な がばしゃ〜(大きな)鳥は私たちから20メートルもしないところに降りてきて、運動場の土をほじくっていました。おどろいて ひんぎる(逃げる)こども、先生を呼びにいくこども。あのくちばしでつつき殺されるかと、怖くて誰も近づきません。
そのアメリカグンカンドリは、イーノブー(池間湿原)に向かったか、1分もしないうちに飛び去っていきました。
最近、家族と恐竜化石の番組を観ていて、ふと、池間島にやってきたアメリカグンカンドリのことを思いましました。
「そーいえば、池間にグンカンドリがきていたよ。恐竜みたいで、翼がこうもりのようで・・・」
「また うそをついて」と、信じてもらえません。理由は、南米、ガラパゴスから池間島までいくはずがない。。。
池間島にアメリカグンカンドリが 本当に来たのか。いつか宮古島で発見の知らせがないかぎり、すかすむぬい(うその話)のままでしょう。宮古野鳥の会、たよりにしてますよ〜〜。
兄を想って書いた詩
ワタリマリ(上野村出身)
この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。
〜うぱあんなとぼうずがま〜 「ぼうずがま〜ぼうずがま」と さば(ゴムぞうり)をならして うぱあんながやってくる 黒黒とした髪にパーマネント濃いまつげに大きな目 ズボンのすそはくるぶしまで折り上げ さばがまをはき うでを後ろに組んで歩くうぱあんな 体こそ小さいが貫禄十分だ うぱあんなとはボクの義理のおば かんにごうんま(神願うばあさん)でハエたたきの名人 ボクはうぱあんなの家で生まれた そこがやあむとぅ(本家)だった だる〜(ぐったり)として生まれてきたボクを うぱあんなはのうゆがすう?(どうしよう)と嘆いたそうだ ぼうずがまとはボクのこと うぱあんなはボクをそうよぶ 低くて太い声でぼうずがまは何をしているかと聞く ボクの答えも待たずに んまむぬうふぁあっちなまちゅう? (おいしいものでもまっているのかい?) うりきゅうやさたぱんびん (それきょうはさとうてんぷらだよ)といって ボクの口にさたぱんびんを放り込む ボクがいっしょけんめいに食べるようすがおかしいのか なばしぬむぬふぉう?(なんというたべかた?) といってはボクのまねをしてヒッヒッとわらう ボクもまたわらう うぱあんなとボクとは大のなかよしだ がさがさの手でボクのほほを撫でては ちっあいきみいる(さああるいてごらん)とか ぱりんかいいかじ(はたけにいこか?)とか かまたーぬやらびぬきゃあとぅあすぴがちい (向こうにいる子供たちとあそびにいこう)とか ボクをすっかりその気にさせて ヒッヒッとゆかいそうにわらう それから ボクにキビたおしは終了したので 終了ようい(お祝い)をするだの たくさんキビ代が入るから こうす(おかし)をかってあげるだの いろいろと楽しい話をしてくれる その声のトーンといいリズムといい ボクにはとても気持ちよく響く うぱあんなは時々機嫌が悪くなる さば(ゴムぞうり)のおとがいつもと違う いつものように のうゆがしっしゅう(何してる?)とくるが ボクの呼び名はぼうずがまから かたぱむぬやいづむぬ(不具)に変わっている ふすぅだすからん(愚か者)のボクに 不満をいってもしかたない かわりにボクのことを嘆く つんだらーすきむぬ(かわいそうだな)とか のうちぬんまりやうふっふぁ (どうして変わった生まれ方なの)とか うわうばあのうゆがすう(あんたのこどうしようか)とか ボクは怒ったような悲しいような目をうぱあんなに向ける ありいうぐりいなう?(あらま怒ったの) まつがいまつがい(ごめんごめん) おおきな目がボクをのぞく ボクを不機嫌にして どうやら自分は少し機嫌が良くなったようだ ちいらぱりんかい(さ、はたけいこう)とさばをはく いつものように手を後ろに組んで いつものようにさばをならして帰っていく こんな関係はボクとうぱあんなだけのもの うぱあんな、またんみゃちいら!(またいらしてね) 幼い妹が大きな声で見送る 月日が流れ うぱあんは隠居のばあさんになり ボクのうちにもすっかりこなくなった かんにごうもせず畑にも行かず ハエだけをねらっていると妹が教えてくれた ぼうずがまーぼうずがま もう一度呼ばれたい 低くて太い声でボクを呼んでほしい ボクは ぼうずがまと呼んでくれる うぱあんなが大好きだった
出版祝賀会報告とお礼
松谷初美(下地町出身)
去った3月4日の かぎぴかず(佳き日)に、宮古のレストランクールで行われた『くまから・かまから』出版祝賀会は、たくさんの方の参加で、だいず盛りあがりました。
みゃーくぬ うまかまから また うき゜なー やまとぅぬ うまかまから やまかさぬ ぴとぅぬ うがなーりふぁいーさまい まーんてぃじょうとうぬ ようずになりました。たんでぃがーたんでぃ!!(宮古のあちこちから又沖縄、大和のあっちこっちからたくさんの方が集まってくださって本当に上等なお祝いになりました。ありがとうございました!!)
参加できなかった方たちも、会場に想いを寄せてくださったようでうれしかったです。お祝い、メッセージ、花束もやまかさ届きました。ありがとうございました。
初めての出版祝賀会だったので、どういう形にしたらいいのか、皆目分からなかったのですが、読者のみなさん、ライターのみなさん、その家族のみなさん、友人、知人、本を作ってくれたボーダーインクの新城さんたちとこの喜びを分かち合いたい、楽しい時間をすごせたらいいな・・・をコンセプトに進めました。
会の雰囲気は、長机にパイプ椅子、昔のお祝いのイメージで、折り詰めかっぱえびせん、紅白のまんじゅう!
こんな結婚式のような祝賀会も珍しいそうで、これまで多くの出版祝賀会に出席したきたという新城さんも驚いていました。(そりゃそうか!)
会は、川満しぇんしぇーの司会で始まり、松谷の挨拶、宮古観光協会藤村会長の祝辞、読者の与那覇淳さんの乾杯の音頭と続きました。そして会食へ。
折り詰めの中身は、ちょっと豪華に(伊勢エビ、豆、パパイヤの炒めもの、和え物、アオサやごーらの天ぷら)今では、折り詰めのスタイルはほとんどないのだそうです。
さて、次は、ライターみなさんの自己紹介、ボーダインクの新城和博さんの挨拶(花束贈呈)、内地読者代表で葉月さんが挨拶して下さいました。
そして、ステージに移り、菜の花の「一粒の種」の朗読、マツカニ&菜の花の歌・三線。宮古読者代表で砂川健次さんの挨拶。
その後は、かつ吉さん、こーちゃん、のひなひろしさん、下地勇さん、狩俣政作さん、かつぼーのステージで大盛りあがり。勇さんのステージでは、早々に踊りだす方が。勇さんの「初美!ワイドー!」のエールがうれしくてありがたくて胸がいっぱいになりました。
フィナーレは、かつ吉さん、勇さん、マツカニさんの三線に菜の花の三板にのってクイチャー!喜びを踊りで表すことは、ホントに気持ちのいいことですね!して、踊っているときは、気が付かなかったのですが、後ろのほうでもほとんどの人が踊っていたんですね。あとから写真を見てびっくりでした。
会場には、終始、会を盛り上げようとする気持ちがあちこちにあふれていて、本当にうれしかったです。励みになりました。
参加してくださったみなさん、参加できなかったけど応援してくだったみなさん、挨拶をしてくださったみなさん、出演者のみなさん、音響ののぶさん、みはるさん、クールの小林さん、この会を支えてくださったみなさん(葉月さん、さとみさん、なおこさん、祐子さん、マサくん、律っちゃん、真知子家族、美沙子夫婦)本当にありがとうございました!!
そして、ライターのみなさん、お疲れさまでした!!
皆様、今後とも「くま・かま」のことどうぞよろしくお願いしますね。
祝賀会の様子をホームページで写真で紹介しています。
ぜひ、ごらんくださいね。
ホームページトップ
http://kumakarakamakara.hp.infoseek.co.jp/
祝賀会の模様
http://kumakarakamakara.hp.infoseek.co.jp/syuku.html
編集後記
松谷初美(下地町出身)
感動的な日があっても、何があっても、時は過ぎ、日常がやってくるんですねー。そして、くまかまの発行日も容赦なく?来るのでありんす。
でも、この月二回の発行こそが、くまかまの姿。これができるということが大切なことであり、本当にありがたいことだなーと思います。
きゅうまい ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃどー。
さて、 vol.144 や のーしがやたがらやー?
「ぶーぎ薙ぎ」は、またまた神童ならではの話が満載でしたね。キビ倒しの変遷から昔の出来事まで(模範囚のことは初めて知りました)事細かに・・・。神童は やらび(子ども)の頃から経験値のレベルが非常に高かったんだはずね〜。
みしんさんの話し、びっくりすると同時にへぇーと思いました。ホントに映画のワンシーンのようですね。子どもたちの驚きの様子も伝わってきました。どなたかこの鳥について分かる方がいらしたらぜひご一報くださいね。よろしくお願いします。
ワタリマリの「兄を想って書いた詩」は、久しぶりの登場でした。うぱあんなの深い愛情とお兄さんの想いが伝わってきますねー。去った13日は、お兄さんの十三回忌だったそうです。「南に向かって手を合わすため、外に出てみると大きな星が光り輝いていました。無性に兄に会いたくなり涙が止め処もなく出てきました」ワタリマリのメールより。
今号の感想もどんないお寄せくださいね。
首をながーながしー待っています!
次号は、三週間後の4月5日(木)の予定です。どうぞお楽しみに!
がんずぅやしー うらあちよー(お元気でー) あつかーまたいら!