こんにちは〜。宮古では梅雨も明け、てぃだーかんかんぬまいにつびゃー(太陽カンカンの毎日でしょうか)
夏と言えば「海」、今回は、やらびぱだ(子どものころ)初めて海に行ったぱなす(話)から、ぱずみっとー。
初めての いむうり(海に行く)
宮国勉(城辺町出身)
ばが やらび かずけー や んざーんかい いきぃまい あずきどぅいきったー(私が子供時分は何処に行くにも歩いていった)
いつがらーん あがにゃー ぬ しゅーが ぬーましい いでぃぴりってぃ(ある時、東隣のお爺は馬で出掛けて行き)、てぃだあ んにゃだうてぃんきゃー むどぅりきすたー(夕刻の日がまだ沈まないうちに帰ってきた)
あすがど さきゃーぬみ びょーい にいにう うんてん ぬーま まかせ(しかし、酒を飲み酔って居眠り運転の馬任せ)、んぎんかい ぴだいんかい どぅや まがずまがずてぃ うりってぃ(右に左に身体をくねらせていたと思ったら)、みーぬまいん つるてぃ ぱりぬ ふさぬみーんかい うてぃ あにぎな にうぶぃ にゃーん(とうとう目の前でスルリと畑の脇の草むらに落馬し、そのまま寝てしまった)
あんちーぬ ぬかーぬかぬ ゆーどぅ やーたー ば(そんなのどかな時代でした)
ばんたが やーから ぱい ぬ いむがみ (我が家から南の海まで)、歩きで約30分と近かった。ぴぃがー ぬ いむま (比嘉の海は)徒歩で約2時間掛り遠かった。
私が6歳位の時、比嘉の海へ ぶざ(叔父)に連れられて連日2日、後を付いて行った。小さいながらもよく付いていくと、いぎゃん(珍しがられる)された。それが初めての いむうり(海に行く)だった。
やっとの思いで いむぬ ぱなむつ(海の崖っ縁)まで辿り着くと いむのかざ(潮の香り)が鼻についた。おー やっと着いたかと思いきや、波の音も聞こえないぐらい すたーら(下の方)に海は見える。海に降りるには絶壁に近い坂を降りなければ成らないのだ。
畦道を茅や木の枝などを掴んで滑り落ちないよう土に尻が付くぐらい腰を落として慎重に降りる。途中には あらかん(カニ)があざ笑うかの如く、すばしっこく穴から出たり、入ったりしてこちらを見ている。下からは吹き上げるような風と遠く波の音が幼心に恐怖心を抱かせる。初めてのいむうりはそんな恐怖と好奇心が入り交じった思いであった。
浜に着いたら、叔父に うわ うぬ いすぬ わーぶん ぬーり うりよー(あなたはその岩の上に乗っていなさい)と竿と餌を渡され、叔父はピシ(干潮時に水面から珊瑚礁が現れる場所、リーフのこと)の方へ歩いていった。泳げないはずの おーみむぬは(臆病な者は)、言われた通りに岩の上で暑さや水の恐怖を忘れて釣りに夢中になった。
餌のアマンのちびぐう(ヤドカリのお尻)を千切って針に付けた。んにゃ だいばん いゆ とらっつゃー(よーし、でっかいのを釣り上げるぞー)と意気込んだ。釣果は岩の廻りにいる同じような色の魚が12匹と大漁、いんぼう(漁師)を目指すのである。そこで、釣りの合間に浮くかどうかいろいろ試したが、うぷそーぬみ すから−すから(海水を飲んで塩辛く)いんぼうの道は諦めるのである。
小学校の4、5年生に成ってからは、ピシまで連れて行ってもらえるようになった。うるばな(珊瑚礁)の上を歩くのだがポリポリ折れて、ぶりんき(躓いて)脚が傷だらけになり、そこに海水が染みる。深いところは大人の背中に乗りピシにたどり着く。
難関を乗り越えた後の、ピシは楽しい、嬉しい、珍しい生き物だらけだ。すきぃ(ナマコ)、ぴしかん(磯にいる毛かに)、あうわみー(イソギンチャク)、蛸など。あじくや(シャコ貝)は、むーぷりゃ(芋掘る道具)で起こして採った。うるばな(珊瑚礁)の上には んきゃふ(クビレズタ又はウミブドウ)、みず(ミル)などの海藻が乗っていた。ふぁいみーる(食べてご覧)と言われ口に入れたが、変な味さいが、今は美味しく食べるがその頃は仕方なく食べていた。
帰りはあの崖を登って帰るのだが途中で何度か休み、振り返って息を整えては未だかと思いながら先を急いだ。また、今まで見えていたピシ(リーフ)も海の中に消えて、波も高くなり満潮である。
帰ってからの楽しみは拾った貝、釣った魚の夕食である。魚は煮魚がほとんどだったが、貝類は子供が焼いて食べた。しかし、すぴあ(宝貝)などは玄翁で割って食べるが、下手をすると、とんでもない処まで跳んでいった。貝の中にはあまり美味しくないやつがいて んぎゃ ぴゅうてぃぬむぬまい あーたー あすが んなまー ふぁいみーぶすむぬ(苦くてベロが痺れる?感覚のものも有った、しかし、今では食べてみたい)
サザエみたいな大きな貝殻は目方でお金になったので焼くと値打ちがないから茹でていたと思う。買い取った貝殻はたぶん碁石の白石やYシャツのボタンなどになったのではないかと思う。鮑だとその内に、まんじゅう(パパイア)の種取り用に使われて、水タンクの上などに置かれていた。
<いむかいぬ すこーず(海に行く準備)>
いむうり(海に行く)は準備が大切で、道具作り、餌の準備など、いむうりの日が決まったらみんな大忙し。集まって道具の準備、うわたがやーんな ピズん なずぎむのう にゃーんな(あなたの家に針に成りそうな物は無いか?)。子供用の蚊帳の骨がピズ(ヤスの針)に、トラックのチューブはそれのゴムとなる。そうやってあらゆる物が利用されて いむうりの すこーず をした。
前日の夜は、あまんとり(ヤドカリを捕り)に暗くなってから いんばた(海辺)に行き、アマン捕りをする必要がある。海辺の畑の一面に月の明かりに照らされてうごめくアマン達を拾い上げて一斗缶の中へ集める。月の光だからハッキリ判らなくても動きでアマンを掴んできた。次の日は大半が殻のない裸アマンに成るが腐らないかぎり餌として大丈夫。成るべく手頃な大きさを集めるのだが、焼いて食べると薬になるので大きい物も集めた。
<豆腐と母>
ぱい ぬ いむ(南の海)は うぷすぉ(海水を)汲むために行く、つまり仕事である。豆腐を作るのに欠かせないニガリの替わりに海水を汲みに行く訳である。いつも台所には一升瓶に入った海水が置いてあった。ぱいの海は太平洋側で波が荒く、余程干潮して溜め池のように水たまりが出来ないと水にも浸れないので。海の近くまで辿り着くと潮の匂いがプンプン匂った。
はーい あつゃ いんむうりが ちー(おい 明日 海に行こう)と母が父にせがむことが多かった。母は泳ぎが得意で うぷすぉ ふむ(海水を汲む)に行っても、着たまま飛び込んで犬掻を披露した。農家の主婦の唯一のレジャーだったようで「ちいー(行こう)」と返事がくると嬉しそうであった。遊びは にす ぬ いむ(北の海)と決まっていた。北の海は東シナ海側で、うるばな(珊瑚礁の岩)には海藻、蟹、雲丹、貝類、鮹、小魚など生物の宝庫であった。
最近帰省して魚の気質も変わったのを感じた。珊瑚礁の廻りで小魚と遊んでいたら、脚のスネをグンマグンマ(コンコン)と何者かが悪戯しているようだ。よーく観察してみると、っふうるく(黒いウロコ)と呼ばれる真っ黒いやつが攻撃してくるのだ。縄張りを守るために攻撃してくるらしい。昔はそんなやつではなかったのに、今は魚も性格が変わってボーチラ(悪童)に成っている。
ばんたがやーぬ あず(我家の味)5【たち汁】
松谷初美(下地町出身)
「たち汁」とは、簡単味噌汁のことである。私が子どものころは、どこの家庭でもよく作っていたと思う。んなまー のーしーがら(今は、どうでしょう)?
お椀に削ったカツオ節をひとつまみ、そこにスプーン一杯の味噌を入れ(一人分にしては大目かなと思うくらい入れるのがコツ)、あつーあつぬ(熱々の)お湯をそそぐ。ういだき(それだけ)簡単だらー(でしょ)?
あの頃、味噌は、それぞれの家で作っていたから、他の家との味の違いは、味噌にあったのかもしれない。考えてみたら、よその家で「たち汁」を飲んだことがないんだよね。なんだかとってもプライベートなひっそりとした飲み物だったような気もする。
カツオ節削り器で、カツオ節をガースガースと削り、母親手作りの赤みそを入れる。お湯をそそぐと、カツオと味噌の混ざりあった、かばすーかばす ぬ かざ(良い匂い)が立ち込める。なんともいえないホッとする味だ。
一人で家にいるときや、食べるものがないとき、感冒をしたときなど、よく作った。
最近、職場に弁当を持っていくとき、サランラップにカツオ節、味噌、ネギ、アーサの乾燥したものをひとつまみいれてバージョンアップ版を持っていく。マグカップにそれらを入れてお湯をそそいで出来上がり。やっぱりその匂いにそそられるのか、「それいいねー」と皆に言われる。
そういえば、このごろ宮古に帰ったときでも「たち汁」を飲むことは、なくなっているなー。今度帰省するときは、久しぶりに、ばんたがやーぬあずぬ(我家の味の)カツオ節と味噌だけのたち汁を作って飲むことにしよう。
宮古産のカツオ節に、母ちゃんの味噌。だいずシンプルだけど、今考えると、ものすごくぜいたくな味さいがやー(なんだね)
愛すべき西辺のおばあたち (投稿)
須藤豪秀(北海道出身平良在)
北海道生まれで、宮古在住8年目になる須藤といいます。
以前、仕事していたときに、西辺、佐良浜の人たちと接することが多く、私の「スマフツ」は市内に住んでいながら『池間民族語』になっています。そんなときに出会った愛すべきおばぁを紹介します。(宮古出身ではないので、聞き取りが間違っているところがあるかもしれません。ご了承ください)
わが愛すべき西辺のおばあたちは、豪快で固定観念というものが一切ない(!)行動をモットーとしているらしい。(おばあごめんね、愛してるよ。)
介護の現場で会った、80代のツルちゃんおばあもその1人だ。
ここは市内の、目医者。彼女は佐良浜に生まれ、嫁入りで西辺にきた。おばあは、共通語が話せない世代だ。
「ばんちゃあ、んめ、くーさーひーってぃ、ふふぁうば4名ばかい なしーあたい。ずなんぎゃ、くぞ− すににゃーんすうが、んーでぃ、あきら?まいど、んなまーやみーういすがどぅい、じゃうとうさーみ。ふふぁんみぁ、んなないよ」
(ウチはもう、苦労してね。こどもも4人産んださ。次男は去年死んでしまったけど・・・。そう、あきらよ(あれも)今は病気しているけどね、みんな上等な子供さ。みんなね)
「あすがいら、んなままい かわらんてぃぬ ばーど。んーよ。なおゆがてぃ?しぇいかつがさーみ。ぶとぅぬどぅ じゃおびと やてぃがー、きないまい じゃうとうだら。ばや、むいとんみゃ、あいど あらっだんにゅ。ぶとぅやナハんかい はいってぃ、とずぶとぅない、ばんちゃ すてらいたいてぃぬ ばーさーい。」
(だけどね、いやいや今も、変わらんてことよ。そうだよ!え?何がって?生活がだよ。旦那がいい人であれば、家庭も上手くいくだろうね。(でも)私なんかホント、そうじゃなかったのよ。旦那は那覇に行って(別の人と)夫婦になって、私(たち)はすてらてたってことさあね)
夫は那覇で新しい女を捜して、自分は捨てられた?
「ハイゆ。ばが妻んないよ、てぃあしてぃが、ばんまい、えー、てぃあいたいゆ。」(そう、(旦那は)「おい、俺の奥さんになれよ」といったから、ウチも「ハイ」って言ったのさ。)
それなのに、とおばあはいう。
なんとも時代を感じる、このさっぱりした西辺的な返事。会話のシンプルさの中に哀しみがにじむ。
尚、ここは市内である。市内のセレブなおばさんたちは、共通語だけをしゃべる。おばあと同年代でも。
だが、ディープな声で、フルパワーの方言を機関銃のごとくしゃべるおばあは、市内ではとても目立つ。いつのまにか皆が聞き耳を立てて、観客と化していた。池間民族は声が大きい。とても大きいからだ。
いいところで、看護婦さんが順番だからとおばあを呼んだ。あーあ、もっと聞きたかったなと思ったのはオレだけではなかったろう。
『まーんてぃ、んめ、じゅんばんや後ん、ないどーい?』
(あーあ、もう、(診療の)順番はあとになっちゃったよねえ)
みんな爆笑した。
おばあのハートは、太陽よりも大きいはずだ。
おばあも笑っていた。
(※文中の名前は仮名になっています)
◆西辺のおばあの大らかさ、愛らしさに胸がキュンとなりますねー。須藤さんのぬふーぬふぬ(温かい)まなざしも伝わってきました。それにしても、ネイティブではない須藤さんの西辺ふつに、だいずびっくり!ほぼ完璧ではないでしょうか。
今後も期待していますよー!投稿たんでぃがーたんでぃでした〜。(松)
映画館風景
ビートルズ世代のサラリーマン(平良出身)
先日、映画を見に行った。平日の最終上映という事もあり、観客は僕を含めてたった2名という超寂しい状況で、せっかくの映画もいまいち楽しめなかった。混み合うのも嫌だけど、お客が居ないというのがこんなにも張り合いがないものだとは思わなかった。映画を劇場で見る魅力の一つは、皆で感動を共有するという一体感を味わうことでもあるのかなと、ふと思った。
そこで、僕が中学生、高校生当時(1960年代)の宮古の映画館の風景はどうだったのか思い出してみた。映画は大体、親しい友達同士2、3人で連れ立って見に行ったが、僕は一人で行くのが好きだった。友達と行った時は椅子に座るが、一人の時は大体立見である。何故だか知らないが当時はそれが当然だと思っていた節がある。
宮古の映画館はまず騒々しい。映画館に行くと必ず誰か知り合いがいる。知り合いを見つけると手を振って叫ぶ。「はい みーこ。あんたなんかもきていたなー」とか「あがい、あんたなんかこそなにか。行かんといっていたのに」とか、そして時には「さっき あんたなんかの かーちゃんがさー 映画館でうちのみーこに会ったら 帰りに市場に行って かまぼこを買って来いといってたさー」こんな風に思いっ切り私的な会話が うまかまから(あちこちから)飛び交い、実にやかましい。
ベルが鳴って館内が暗くなるとさすがに静かになるが、それもつかのま、予告編になるとまたざわつく。本編が始まってようやく落ち着くのである。たまに、フィルムが切れて映写に手間取っていると「あがい、なにをしているか」「ぴゃーかり うっざしら(はやく映せ)」と文句が飛び交ったり、催促の指笛がピーピーと鳴ったりする。大体、こんなような風景だったように思う。
宮古の人は感情移入の激しい人が多い。特におばぁ達は、芝居好きが多く沖縄芝居を通して年季が入っている上、感情表現もストレートだから映画やテレビに向かって本気で怒り、笑い、泣く。僕のおばぁなどはよくテレビに向かって、弱いものいじめをする悪人に対しては「ししゃな すなしすてぃる(ひどい、殺してしまえ)」と叫んだり、そして悪の手からヒロインを助け出すシーンでは、ヒーロー登場に「ヒーヤサッサ」と踊り出していたものだ。
ある時、国映館に映画を見に行った。それは、B級コメディー西部劇だったように記憶している。(どーいう映画だったか題名も内容はほとんど覚えていない)。その時は なんのばーか(どういう訳か)同級生のS君と隣合せになった。
S君はマカロニ・ウエスタンが大好きでよく映画館で一緒になった。しかし、隣の席で まーつき(一緒に)見るのは初めてだった。映画が始まって、僕はS君がかなりの あまいぶり(なんと訳せばいいのか?一応「笑い上戸」を当てておくか)なのを知った。うぷぐい(大声)で いひーがあはーと(これも一応「アッハハハ」と訳す)笑うのである。
笑うのはいいが、笑いながら僕の膝を叩くのである。これには困った。あまりにも痛いので笑いそうな場面に来ると、さっと膝をかわしたりするのだが、今度は肩を叩かれる。結局、映画に集中できず、何を見たのか分からないまま映画館を後にしたのでした。
上京して間も無い頃、有楽町で映画を見たとき観客の上品さに驚いた。ジョージ・ハリソンが主催した「バングラデシュ・コンサート」のドキュメント映画だったが、観客は音楽映画なのに寝ているのかと思うぐらい静かなのである。そして、映画が終わって席を立とうとした時である。客席から一斉に拍手が沸き起こったのである。「おごえ(ビックリ)」である。さすが都会は、観客も上品さいがと、あまりにもミャークと違う観客に驚いたものである。しかし、後にも先にも、会場で拍手が起こった映画を経験したのはこれだけである。
最近は、テレビやDVDに押されて、映画館に出掛ける人が少なくなっているという。そんな中、ばんたが(我等が)宮古では、映画館「シネマパニック」が復活し頑張っている。この前、インターネットでブログを見ていると、宮古の「シネマパニック」の事が書いてあった。
・・・宮古島に旅行中、台風で足止めをくってしまった。なにもする事がなくて、たまたま島で唯一の映画館に入ったが、劇場もきれいで、なによりガサゴソお菓子を食べる騒音も無く、ゆったりと気持ち良く見ることが出来た。東京と同じ封切り映画を南の果ての小さな島で見る事が出来て感激したと・・・の感想が書かれていた。
そして、なんと「パイレーツ・オブ・カリビアン」の最新作を見るためもう一度宮古島を訪れるつもりだと結んであった。映画を見るためだけ!に宮古に行く(?)。僕はなんとも不思議な気持ちになった。映画ファンもいろいろである。
どうやら宮古の映画館風景も、僕等の頃とは違う風景らしい。今となっては、あの当時のわいわい、がやがやの映画館風景は懐かしい思い出である。願わくば時代は変わっても、映画館は多くの人で賑わっていて欲しいものである。もっかの悩みは、観客席に僕一人だけという悪夢のような状況を恐れるあまり、先日以来劇場から足が遠ざかりつつある事である。
新里教室のおしらせ
菜の花(伊良部町出身)
今月も新里博先生による「みゃーくふつ講座」を行います。
宮古の古い諺を中心に、言葉の語源・基礎文法・発音表記などの学習を行います。諺に含まれる意味の深さは「人生哲学」そのもの。
さらに、宮古方言が「上代倭語」であることを学術的に学ぶ絶好の機会にもなると思います。私たちの祖先が、太古の昔使っていた言葉を一緒に見つけませんか?目からうろこ・・・鳥肌に冷や汗・・・きっと暑さも吹っ飛びますよ〜(笑)
お時間のある方はどなたでも自由にご参加下さい。
日 時 | 2007年7月15日 日曜日 13時〜16時半 |
場 所 | 渋谷リフレッシュ氷川(渋谷駅より徒歩10分) 東京都渋谷区東1-26-23 (03-5466-7700) 2階会議室(申込代表:渋谷書言大学) |
内 容 | 宮古古諺を学ぶ |
申 込 | 菜の花まで nanohana617@hotmail.com |
多くのご参加お待ちしています。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
先日(7月1日)、関東下地郷友会の総会&懇親会が新宿で行われ行ってきました。今回は、受付の手伝いを ぴっちゃがま(少し)30名余りの参加で、久しぶりの再会を喜ぶ、ぷからすみぱな(うれしそうな顔)があちこちで見かけられましたよ。
懇親会では、ばんたがマツカニさん(どぅかってぃ民謡解説でおなじみ)が来てくれて、三線、歌で盛り上げてくれました。最後のクイチャーでは、初めて参加したという二世の方(20代)も まーつき(一緒に)踊って、だいず、楽しかったです。
関東には、宮古の各地域(平良、城辺、上野、伊良部、多良間)の郷友会や宮古高校の同窓会(関東南秀同窓会)などがあります。各地域ごとにあるというのが、宮古さね。すごいなーと思います。でも、参加しているのは、ほとんどが40代〜70代。どの会でも、ばかむぬぬ(若者たちの)参加を呼びかけていますよ。機会がありましたら、ぜひ!
さーて、vol.151 のーしが やたーがらやー(いかがでしたか)?
いつもは、動植物についての話が多い、宮国さんですが、今回は海のぱなす(話)でした。6歳の宮国少年が2時間の海への道を必死に着いていき、宝の海を実感していく様子が伝わってきましたね。改めて、宮古の海の素晴らしさを実感しました。
「たち汁」は、地域によっても言い方が違って、下地勇さんの歌には、「たてぃんす」として出てきますね。まだ飲んだことがない方、つふぃみーるよー(作ってみてね)
久しぶりに投稿作品も掲載できました。
投稿作品が送られてくると、ほんとにうれしくて、スキップ、スキップ、ランランラン〜と踊りたくなります。今後もお待ちしていま〜す!
ビートルズ世代のサラリーマンさんの「映画館風景」は、現在と、昔の風景が流れるように映されている感じがしましたね〜。宮古の映画館風景では、そうそう!そんなだったよねーと思った方も多かったのでは?映画館の空気まで伝わってくるようでした。
長い間、NHKしか映らなかった宮古。映画館へ足しげく通った人は、結構多いかも。思い出も やまかさ(たくさん)あるはずね〜。今度映画特集をするのも、うむっし(面白い)はずーと かんがいやーみーみー(考えてはみるみる)しています。あ!と思い出した、あなたぜひ、投稿を!
新里博先生のみゃーくふつ講座は、日本語の勉強にもなります。内容が だいず深いです。なかなかこういう授業は受けられませんよー。ぜひ、ご参加くださいね。早めにお申込を!
今回の感想もぜひぜひお寄せください〜。
まちうんどー(待っていますよー)
最後までおつきあいいただいて、たんでぃがーたんでぃでした!
次回は、7月19日(木)の発行予定です。あ、もうすぐ夏休みさいが。
みなさん、夏バテなどしませんように〜。あつかー、またいら〜。