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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 153

2021 5/03
メールマガジン
2007年8月2日2021年5月3日

みなさん、こんにちは〜。暑い日が続きますが、がんずぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?
台風5号が本州のほうに向かっているようです。進路にあたるところは、お気をつけくださいね。
台風銀座と呼ばれる沖縄・宮古では、台風の話題いろいろありますねー。
今回は、台風の話から、ぱずみっとー(始めますよ)

目次

台風の過ごし方

R(平良出身)

「本島3年ぶり直撃」の新聞見出しで始まった台風4号は、沖縄本島と周辺離島を約24時間暴風域に巻き込み、九州本土へ移動しました。

今回は、沖縄でも やまかさ(多く)の負傷者が出たくらいの「大型で非常に強い台風」でした。(台風銀座の沖縄では、台風の過ごし方をわかってかあまり負傷者が出ないとのイメージを持っていました)

会社から前日午後11時に「明日は出社に及ばず」の連絡が入っていた私は、思わぬ4連休がスタートしました。農家の皆さんには大変申し訳ないのですが、「台風が来る」との思いでワクワクするのは私だけでしょうか。

前夜は、ベランダに置いてある物を中に片付け、車庫のシャッターを降ろすだけではありますが、台風対策を済ませてやすみました。いつもの休日感覚で ぬかーぬか(ゆっくり)と目覚めると、既に外には台風が来ており、我が家のアルミサッシの窓に圧力をかける風が吹き荒れていました。

午前3時頃には停電になったようでした。ここしばらく台風も素通りした程度だったので停電も久しぶりでした。我が家は、電気が止まると家の中の水道・風呂の湯・電話も使えなくなります。加えて携帯ラジオも故障していたことがその時わかり台風の情報も入らない状況でしたが、そんな「台風での不便な時間」は、家族と楽しく過ごした小さい頃を思い出させてくれました。

あれは、私が宮古島へ引っ越した年(昭和47年頃)のことだったと思います。何度も行っては来る来るした台風がありました。その時大人たちは生活のいろいろな工夫を子どもだった私に見せてくれました。

海側にあった台所が水浸しになり使えない状態になれば、ガス・コンロを風呂場に移動し、ローソクの明かりの下、冷蔵庫の中の残りものでのメニューを考え作りました(我が家の定番は、ポークと卵でしたね)。少しの無駄も省けるように何をするにも一つの部屋で家族が過ごしたので、台風の時は家族団欒がそこに凝縮していました。トランプやゲームをしたり、食事をしたり、時には うとぅるすぱなす(怖い話)を聞かせてもらったり。扇風機が動かないので一晩中、母がうちわを動かしてくれていましたっけ。

「映画館は自家発電があったので、台風下でも映画を観て楽しく過ごしたこともあったよね」と今回の台風状況を本土からメールで知らせてくれた姉の話もありました。2階が座敷の映画館が当時あったことを姉は覚えていましたが、私は残念ながら ばっしにゃーん(忘れています)

現在大阪にいる長女と以下のようなメールのやりとりもしました。

私:Sub 【台風】 「大型台風4号が間もなく最接近。学校も会社も休みになりました。」(台風が吹き荒れる外の様子を携帯電話の画像に納め添付)

娘:Sub Re:【台風】 「まじかー!羨ましいなー!!」

親元はなれて過ごす長女にも台風のイメージが家族団欒と繋がっていることを期待しています。

台風奮戦記

アモイ(平良市出身)

 今年の宮古島の夏は暑く、旱魃の様相で農作物への影響も心配されるところのようである。過去何度か宮古島へ行く度に雨風に見舞われ、雨男と呼ばれている私としては今が雨男としての本領を発揮する正念場なのに残念ながら宮古行きの予定がたたない。

思えば高校3年生だった昭和47年の夏に雨男の原点はあのときかな?とこじつけたくなる出来事があった。

高校生が金の卵と呼ばれ集団就職がまだ続いていた頃、其の年の沖縄の本土復帰を契機にパスポートが必要ないということから、本土の企業と学校(高校)とがタイアップして、夏休みを利用して会社へ実習に行く制度がはじまった。

企業が提供する会社の実習生募集案内をみてそれぞれが希望する会社を選んで、憧れの本土へ行く事になった。私が選んだ名古屋の電気会社には出身校の宮古工業から2人、宮古水産から2人が一緒だった。

那覇へ着くと台風の影響で本土行きの船が一日延期になった。思えばここから既に苦難の旅の序奏に入っていた。

一晩をどこかで泊まらねばならず、同じクラスのN君の姉がコザにいるという事で、H君、T君、私の3人がついていった。夕食になると、N君の姉はどでかいステーキをテーブルに並べ、度肝を抜かれた。感激しながらご馳走になり、一晩泊めてもらったのだった。

翌日夕方、那覇港から船に乗ってその翌朝神戸港に着いた。それぞれの会社の人達が迎えに来ていた。我々は名古屋の電気会社への実習で、迎えにきた人事担当の人に連れられ、新大阪まで車で行き、そこから新幹線に乗せられ名古屋駅まで行った。

車内弁当を買ってもらい、食べながら初めて乗る電車に、電車とはこんな感じなんだ、と体験していたが、帰りには夜行列車だったので、新幹線が特別な電車である事はその時に知ることになる。

電気会社で2週間の実習を終えると、帰りには各地の会社へ分かれた我々実習生は神戸駅に集められ、そこから夜行列車で西鹿児島駅まで行き、一泊して船で那覇港へ向かうという予定で、船で那覇港をでてからは予定通りの日程で進んでいった。

那覇に着いて一泊して宮古へ戻る予定だったが、ここから放浪の旅が始まるのだった。台風が接近していて、翌日の宮古島行きの船が欠航になりそうだとの情報が入った。

翌朝、付き添いの先生から、「台風が接近していて船が欠航になった。船がいつ出るかわからないので、親戚や友達などが居る人は各自で行って泊まって下さい」と言われ、ほとんどの人が滞在先を目指して散っていった。

そんな中で、行き先のまだ決まらない人が残っていた。例のコザに行った3人(H君、T君、私)ともう一人、別のクラスのS君が加わった。
「ばんたー んざんかいが いかでぃ」(俺たち、どこへいこうか?)などといいつつまだ4人には焦る気持ちはなかった。

私は西原におじさんが居るので一人で行って泊まれない事もなかったが、仲間をほうって一人で行動するわけにも行かず、取りあえずみんなでおじさんの家に行って何人か泊まれるかどうか聞いてみよう、という事でバスで行ってみた。

久しぶりに会うおじさんは訪問を歓迎してくれた。おじさんは当時新発売だった500mlのホームサイズのコーラの瓶を出してきて、これ見たことある?すごいだろう、と自慢げにコーラをコップに注ぎつつ話をつないでいた。

しばらくすると奥にいたおばさんがでてきて「アモイ君、今晩泊まっていけるんでしょ?」と言って呉れたのだが、おじさんが間髪いれず「なんで、これなんかは団体行動しているのにが、一人だけ泊まるわけにはいかんさー」と口をはさんだ。泊まる場所がない、という切羽詰った気持ちはまだ無いのと「一人だけ泊まる訳・・・」と言うおじさんの言葉に「ウンウン」と肯いてしまっていた。

台風が近づいているという事であったが、雨風はまだ無く、なぜか奥武山球場付近をぶらついていた。周辺は公園となっており、夕方までぶらぶらしならがら夜はそのまま芝生の上で野宿した。

まだ薄暗い翌日の朝方、けたたましいパトカーのサイレンの音で起こされた。改装中の奥武山球場の切符売場付近でやくざの抗争と思えるような大人数での喧嘩に警察が駆けつけていたもののようだったが、遠めにみていたので真相はわからなかった。

公園にはトイレや洗面所があったので、顔などを洗う事もできて天気さえよければ野宿にはいい場所であった。H君の従姉妹が小禄にいるという事で、みんなでそこに行ってみる事にした。

すると中から出てきたのは可愛い女の子だった。T君はその子に一目ぼれしたようで、しばらくの間、嬉しそうに立ち話をしていた。しかし、いくら一目ぼれでも泊まれるのはH君だけなのだ。「あがい、かいがみゃーぞーぎみどぅんがまぬまいん とぅまり すぅんざやー」(あー、あいつはあんな可愛い女の子の所に泊まれてうらやましーなー)といいながら、我々3人は重い足取りでそこを離れたのだった。

午後過ぎに沖映通りの旅館に泊まっている引率の先生の所へ行ってみると、泊まる場所の無い我ら3人の事を知った先生は、那覇の近くから宮工に赴任していた安里校長先生に連絡を取った。

校長先生は実習生が台風で足止めになっている事情を知ってたようで、話が早かった。部屋が空いているので泊めてくれるというものだった。3人でバスでそこに向かうと校長先生が向かえてくれた。着いたのが夕方で、早速風呂に入れさせてもらい、さっぱりした気分でいると、やがて夕飯が運ばれた、料理の盛り付けは豪華だった。こんな料理を食べていいのか?と心配するほどだった。朝も食事がでてきてホテル並みのもてなしだった。

誰からとも無く言い出した。「だいず、あんちなー世話んなりゃーならんやらん」(こりゃまいったなー、これ以上世話になるのはいかがなものか)3人とも気持ちは同じで、校長先生一家の気持ちは有難く、ほんとに感謝はしているが、貧乏慣れした田舎者の我々にはそのもてなしが返って負担となったのだった。出かける振りして出て行くことにした。

しかし、出てきたところで相変わらず泊まる場所がある訳はなく、国際通りでぶらぶらしていた。雨風はまだそれほどでもなかった。夕方になり、「きゅーや んざんが にうわでぃ」(今日はどこで寝ようか?)といいながら探し歩いていると、牧志小学校にたどりついた。

学校に入り込んでうろうろしている間に、しだいに雨が強くなってきた。教室に入ろうと思ったが、鍵がかかっていて入れない、探し回った結果、階段下が雨が入らず程よい場所だった。そこでダンボールなどを探してきて寝床をつくり、寝ていたが、夜に入ると台風がもっとも接近していると思われ、雨風が強くなり、階段下まで吹き込んできた。濡れないように有り合わせの板などで囲いをつくりながらなんとか一晩をやりすごした。

長い夜が過ぎた翌朝は台風一過の天気となっていた。旅館に戻るとようやく船が出港する事になり、なんとか宮古にたどり着く事ができたのだった。

夏休みが終わり学校が始まると、担任の先生が、「校長先生から預かったとよ」と言って靴下だったか歯ブラシだったか持ってきた。(私が忘れたものだった)先生から渡しがてら皮肉の混じった冗談を言われたのだが、なんて言われたかは思い出せない。

本土の会社に実習に行ったものの、会社の実習よりも那覇での放浪の体験の方がより実践的な内容となった。

実はこの一件は最後まで一緒に行動したT君が「実習体験記」というタイトルで全校生徒の前でリアルタイムに近い内容で発表し、大喝采を浴び話題になったものだった。

宮古にいるT君に電話してその原稿が残ってないか聞いてみると、「あんちぬ んきゃーんぬ むぬがみゃー、にゃーでぃ、あすぅがーたいがいうぶいどぅうーさーい」(あんな昔のものなんか 残ってないさー、だけどが、大体は覚えているさー)という事で記憶をすり合わせながら書いたものである。

夏休みの思い出(2) 18歳の水着

Motoca(平良出身)

これは上京してからの話。
大学生になって初めての夏休み、部活仲間で伊豆大島に旅行に行くことになった。島だ! 海だ! 泳ぐぞ! ということで、女子同士で水着を買いに行った。

今なら絶対買わないと思うけど、10代だったので若気の至りかな〜。あの・・・「タンキニ」っていうんでしょうか・・・ビキニよりも、んなぴっちゃ(もう少し)布の量が多いやつ・・・。そういうのを買いました。

夜、母に「おなか出すタイプの水着買っちゃった!」と電話で報告。返ってきた答え。

「ばたぶーがなあ?」(おなかぽっこりの人が?)

おいよ! 18歳のあぱらぎみどぅん(=美女;自称)にあんなに言うか、普通!! それとも、うぷばたやらび(=大腹童、つまりズングリムックリの子供体型)だとでも思われていたんだろうか。・・・あがい、図星。

母は会話の勢いで言ったに違いないのだけれど、「ばたぶー」を真に受けてしまった私は、気が気じゃなかった。本土の友人達の手前、沖縄にいた頃の海水浴と違って、水着の上からTシャツを着るわけでもない。真っ昼間に、水着一丁でGo!だ。

でも買ってしまったものは仕方なし。これを着るしかない。とりあえず、合宿の日まで(約10日ぐらい)毎日腹筋背筋することにした。あと、水着になったら意識的に腹をへこませ続けるという方針で乗り切ることに決定。

しかし、海水浴の当日、驚愕の事実が発覚。
水にはいると筋肉がゆるむ。腹筋、役に立たない。なんだか、必死での抵抗もむなしく、パンツ部分のゴムの上に日焼けしたことのない白い肉が、ぷよーん。そのとき撮った写真にばっちり記録されている。合掌。

水着はそれ以降ほとんど着ることもなく、実家の引き出しに眠っている。しかし、あのころは真に受けていたけど、今に比べたら18歳の私は全然ばたぶーじゃない。今なら、ばた(おなか)だけじゃなくって背中だってぶー!だ。というわけで、あの水着を着ることはもう永遠にないでしょう。

年末にガラス拭きに使ってから捨てようっと。

スーパーはなちゃん

菜の花(伊良部町出身)

人間って何歳まで がんずうしー(元気で)いられるんだろ・・・。思わずそんなことを考えさせる んま(おばあちゃん)が私の勤める老人施設にいる。

100歳を超えて、まさい がんずう(なおも元気)。この んま(おばあちゃん)を私は「スーパーはなちゃん」と密かに呼んでいる。

のうぬが(何が)すごいかって・・・食欲、会話、態度・・・とにかく、 はなちゃんの んずくとぅ あすくとぅ んーな(言うことやること全てが)すごいのだ。はなちゃんがもうすぐ101歳になるということも だいずだら(すごいことだ)。

はなちゃんは洋服というものに馴染みがないので、つん(着物)の下に着る肌襦袢に、茶羽織を着せないと機嫌が悪い。機嫌が悪くなると んみゃだいず(そりゃあもう大変)。職員は誰であってもめちゃくちゃ叱られる。

叱り方もすごい。ごもっともで、道理を得ていて、それでいて何だかよく分からないが、私たちはひたすら「すみません・・・」と謝りたくなる。平謝りしながら着替えをさせ、靴を履かせ、車椅子を押す。それでも気がすまないはなちゃんは「いやっ!もうこんなのいやっ!!いやっ!!」100歳の くい(声)とは思えない。身体は いみーみやすぅが(小さいのに)なんと たや(力強く)、なんという いず(パワー)。私たちはその声にすら感動してしまうのだ。

時々、エレベーターに乗ってどこかに行こうとするので感動している場合じゃないこともある。そんなときは、はなちゃんの機嫌が一発で直る奥の手がある。 それが、こーす(お菓子)。

日頃からお菓子が大好きなはなちゃんは、食事のすぐあとでも、深夜でも、明け方でも職員にお菓子をねだる。そのねだり方がまた ずみ(最高)車椅子を職員の近くまで移動してきて「ちょっと、ちょっと!」と手を叩く。「私、なんだか胃の調子が悪いのよ。甘いものかなんかちょっとでも食べたら良くなるんじゃないかと思うのよ」新人職員が「胃の調子が悪いんじゃ食べないほうが・・・」と返すと、はなちゃんはチラッと上目使いに見て「あんたじゃダメだわ。誰か他の人呼んでよ」と。

はなちゃんの具合はお菓子を食べたら直ぐに良くなるんだよね。ほんとに具合が悪いときは、具合が悪いとも言わず、じっとベッドに横になっているからすぐ分かる。

時々、食事のときのエプロンのたたみ方が悪いの、人を見る目つきが悪いのと、みどぅんぬきぬ(女同士の)熱き戦いが起こる。はなちゃんが参入すると更に熱くなる。100歳のパワー炸裂。だてに100年生きてきたわけじゃない。はなちゃんの心臓大丈夫か?!と心配にもなるが、人間 の生活とは、おーやー(ケンカ)もあれば笑いもあって当たり前。みんな数時間後にはケンカしたことも忘れ、初対面のように礼儀正しく挨拶するので、ストレス発散と思って止めないこともある。

はなちゃんの かまず(ほっぺた)はもちもちしていて気持ちがいい。ひっぱったり、撫でたりする私の てぃ(手)をポンポンと叩いて、並びの良い新しい入れ歯を見せてにーっと笑うはなちゃん。

スーパーはなちゃんが何を言っても、何をやっても許せてしまうこの気持ちって・・・アガイ〜!まーんてぃ(ほんとにもう〜!)かなすーかなすぬ(愛しい、愛しい)スーパーはなちゃん。

今日も朝からはなちゃん事件勃発だけど、のーまいならん!(どうしようもない)はなちゃんは地球に迷い込んだ宇宙人で、とぅす(年)のとり方がわからないにちがいない。真面目にそう思う今日この頃・・・。

新里教室のお知らせ

菜の花(伊良部町出身)

先月は台風接近のため「新里教室」は急遽お休みさせていただきました。せっかく参加申し込んでくさった方には、大変申し訳ありませんでした。

8月は夏休みの予定でしたが、新里先生は休み返上で宮古方言講座を講義してくださるそうです。

今回はネフスキーや「さやたながみち(佐和田長道)」などについても、おもしろい資料を用意してあるそうです。どんな講義になるか楽しみですね。 

日 時2007年8月19日
日曜日 13時〜16時半
場 所渋谷リフレッシュ氷川(渋谷駅より徒歩10分)
東京都渋谷区東1-26-23 (03-5466-7700)
2階会議室 (申込代表:渋谷書言大学)
内 容宮古古諺を学ぶ
申 込菜の花(nanoahna617@hotmail.com) または、
松谷初美(kumakama@mbp.nifty.com) まで。

暑い夏に負けないパワーを手に入れたい方、宮古マジックにすでに罹っている方どなたでも参加自由です。

たくさんの方の参加をお待ちしています。

編集後記

松谷初美(下地町出身)

宮古では、なかなか雨が降らないみたいですね。まーんてぃ しわやー(本当に心配ですね)

先月の26日、東京は新宿にある伊勢丹(デパート)で開かれていた「第13回めんそ〜れ〜大沖縄展」と「オリオンビアフェスタ・イン・イセタン」に行ってきました。

沖縄の物産展は東京のデパートでは、もうなじみの深いもの。(私が東京に来たころ(23年前)には、想像できなかったけどねー)6階の沖縄展では、沖縄の食べ物、飲み物、化粧品、CDなどさまざまなものが販売されていて、ばんたが宮古からは、くまかまのお店紹介でもお伝えしたことのある「宮古木工芸」の与儀栄功さんが、三線を売っていました。内地で三線に興味を持っている人は、ホントにやまかさいるそうでこの日も、興味津々のお客さんが集まっていましたよ。

して、屋上のビアフェスタでは、沖縄のアーティストの皆さんが日替わりで出演していて、この日は、下地勇さんも登場しました。「我達が生まり島」「おばぁ」「世持つ雨」や民謡などを披露して、指笛、声援、拍手喝采でした。東京の大手のデパートでみゃーくつの歌が流れるとは、感慨深いものがありますねー。そして、内地でも勇さん人気や まーんてぃ うかーすむぬどー(ほんとにすごいですよ)

みすちゅーしゃ(混ぜごはん)とアーサの天ぷらとアセロラジュースとマンゴーアイスを ふぁい(食べて)、ばたまい(お腹も)、き゜むまい(心も)、いっぱいになって帰ってきました。沖縄は遠くないかも?

さて、さて、vol.153です。

今まさに台風ばんず(時季)。宮古の人で台風のことを語れん人は、いないはずね。

Rさんが書いているように、台風が来ると、なんでか、ワクワクするんですよねー。いろいろなことが不自由なんだけど、やーでぃ(家族)がひとつになる幸せ感も味わった気がします。Rさんの娘さんにもその幸福感きっと、受け継がれていますよね。

アモイさんの足止めの経験も、またすごいですねー。
高校生が内地に実習へ。という話は、すっさったんすぅが(知らなかったですが)、その貴重な経験をも ふっとばす強烈な経験だったんですね。沖縄での うつざ(親戚)の家の話や、校長先生の家での話など、高校生の目に写った、新鮮な驚きや不安などが伝わってきました。

台風経験まい いろいろやー(ですね)

Motocaさんの「ばたぶー」笑ってしまいましたねー。宮古の子どもは水着のままでは海で泳がないから、内地でが水着デビューとなるんだよねー。20代、30代の ばたぶーなんてまだまだかわいいものですよ、Motocaさん。ホントのばたぶーを経験するのは、んなまからさーい(今からさー)(笑)

菜の花の老人施設での仕事は、まーんてぃ大変だと思うけれど、暗さや湿っぽさがなく明るくていいですよねー。スーパーはなちゃんがのびのびがんずぅ(元気)なのは、本人の性格もあるのでしょうが、施設の役割も大きいんだはずね。それにしても、看護師という仕事は、菜の花にとって、天職なんだろうなー。

二ヶ月ぶりの新里教室。また面白い講義が聞けそうですね。お時間のある方、ぜひ参加してくださいね〜。

今号は、のーしがやたーがらやー(いかがでしたかー)?
あなたのご意見、ご感想まい きかしふぃーさまちよー(聞かせて下さいね)待っていますよー。投稿まい いらー(もね)

次回は、8月16日(木)の予定です。
宮古に、さーと雨が降りますように、クイチャーを歌い踊りましょうね〜。ニノヨイサッサイ、ヒヤサッサ、ハイハイ!上等ぬ あみがもー ふらしふぃさまずよーん(上等の雨を降らせてくださるように)!あつかー、またいら〜。ヒヤサッサ。

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