こんにちは〜。あがいたんでぃ、まいにつあつむぬやー。(あぅー、毎日暑いですねー)
今号は、楽しい話題が満載のくま・かまどー。
くま・かまを読んで暑さを吹き飛ばしてくださいね〜。
新しい県立博物館と方言のナレーション
クイチャーマン(下地町那覇出身)
沖縄の復帰30周年記念事業として建設が進められている「沖縄県立博物館・美術館」が、今年11月1日に那覇市おもろまち3丁目(那覇新都心地区内)に開館する。
地上4階、地下1階。一般駐場140台、駐輪場25台だという。場所はサンエー那覇メインプレイスの西側に隣接している。現在、首里城近くの琉譚(りゅうたん)池の傍にある県立博物館が移設される。
県立美術館は、これまでなかっただけに美術・工芸関係者にとっては「あてぃぷからすむぬ!」(とてもうれしい!)ことだろう。
新しい博物館の展示では「海と島に生きるー豊かさ、美しさ、平和を求めて」というメインテーマを掲げ、首里の博物館の約2倍の常設展示場が確保され、「通史的な総合展示と自然史、考古、美術工芸、歴史、民俗の5つの部門展示」をするという。
さて、その常設展示に関連して、私が ゆなぱふつ(与那覇方言)で3分間ほど参加する機会があった。
沖縄県教育長から届いた依頼文書には「総合展示の中心に配置する全長13メートルの琉球列島の地理模型では、島嶼(筆者註:とうしょ)県の特性を伝えるため各地域・島の個性や特徴を示すために各シマの言葉をナレーションとして組み込んだ映像資料を製作し、島の魅力を伝えたいと考えています。」と書かれていた。
担当者からは「各島とも、参観者の選択によって3分間程度の映像が大型画面に出ます。画面の下の方には共通語の説明文が出ますが、音声ではその島の方言によるナレーションとして流れる仕組みです」と説明があり、事前に共通語の説明文が送られてきた。
宮古諸島に関連するテーマは「水とくらし」と設定され、「宮古諸島のすがた」「島の成り立ちと水」「水と人々」「地下ダム」「これからの水」の5項目、十数コマの映像で構成される内容である。
ナレーション原稿の長さは約450字。宮古島の自然(地理・地層)の紹介から入り、昔から干ばつや水不足に悩まされてきた宮古島の人々の生活を振り返りつつ、現在では大型地下ダムができて水に恵まれるようになったと伝える。
しかし、先人たちの水に対する思いや苦労を忘れてはならない。それは沖縄の人々と共通の歴史であり、環境を考える上でもたいへん重要だからだ、と締めくくる。これで約3分間である。私はその原稿を ゆなぱふつに訳して方言原稿に仕立て、声に出して練習した。
6月下旬、録音の本番では取り直したりして20分ほどかかった。それでも担当者には「これまでの収録では、一番短時間でスムーズでした」と言われた。城辺出身という録音スタッフの青年は「与那覇の方言は自分たちの言葉とずいぶん違いますね。それにしても、宮古方言のナレーション、初めて聞きましたが、ずみ(上等)でしたよ」と話していた。
「くま・かま」のみなさん、のーばしーがらいら(いかがでしょうか)。
11月以降の訪問スポットに県立博物館・美術館を加えたくなりましたか?琉球列島の地理模型の前で「宮古島の紹介ボタン」を、ばっすぅだなしーうしみーるよー(忘れないで押してみてね)
<参考> 沖縄県立博物館・美術館に関する情報は下記まで。
http://www-edu.pref.okinawa.jp/kensetsu/index.html
メキシコ四方山話 (投稿)
山雀タヌキさんより(下地上地出身東京在)
うかーす かまーた やいば、メキシコやー。(ものすごく遠いな、メキシコは)
9ヶ月ばかーい、すぐとし メキシコん うたいば、(9ヶ月ほど、仕事でメキシコにいたので)うぬとき ぬ ぱなすがまを ぴーちゃ かきみゅーでぃ。(その時の話を少し書いてみたい)
メキシコんな、うきなーぴっとぬど むちゅーい。(メキシコには、沖縄移民が多い)
あが、うたいやーぬ とないどゆ、“びきやらびがま”ぬ、うたいだら。(私が住んでいた隣に、“男の子”がいました)
やーぬ まいん、ビールがまを ぬみーうたいときん、うぬ“びきやらびがま”ぬきし、(家の前で、ビールを飲んでいたらその男の子が来て)「はぽねす?」てぃー きき きすたーだら(「日本人?」かと聞いてきた)
「んーな、ばや、はぽねす」てぃー あいいっがーてぃど(そうだよ、「私は日本人だよ」と答えたら)“びきやらび”ぬ、「ばが、おとーや、うきなーはぽねす」やっすがてぃーあいぱずみたー。(男の子が、私のお父さんは、日本人で沖縄出身だと話し出した)
英語とスペイン語ぬ チャンポンぱなしい ういっがーてぃど、(英語とスペイン語のごちゃ混ぜで話をしをしていたら)“びきやらび”ぬ あんな まい いでぃきし、ぴーちゃ ぱなすたー。(男の子のお母さんも出てきて、しばらく会話をしました)
んなまー おとーや 離婚ぬしー、カナダかい ぴりゆーう。(今は、お父さんは離婚して、カナダに行っている)びきやらびがまー、あんなが再婚すたい あらーぬ おとーと、みどんっふぁがま と、まーつき すみゅてぃ ぱなしうたい。(男の子は、おかーさんが再婚し、新しいお父さん、妹と一緒に住んでいると話していた)
メキシコぬ、いなか がまん、ウキナーふぁがまと、いでーり、(メキシコの片田舎で沖縄系の子供に出会えるとは)ちきゅうや、すまむぬやいば。(地球は狭いね)
みゃーくふつ 掛け合い?
あば本舗(下地出身)
やらびぱだ(子供の頃)、周りのおとなたちが、軽快な ういずふつ(上地言葉)を駆使して相手を ばたふっちたり(からかったり)煙にまいては笑いあっていたのを思い出す。
これは、誰でも聞き覚えのあるポピュラーな みゃーくふつの掛け合いかもしれない。
お題 「う”わ いふつ?(あなたは何才?)」
ユヌスカニ:はーい、ぶじゃがま。う”わ くとぅすしー いふつんが なずたりゃー?(ねえ、ぶじゃがま、君は今年で幾つになったんだい?)
ぶじゃがま:うゃあーい、あがずにゃーぬ ミガあんがとぅ ゆぬぶーりゃさーい!(ほら!東隣の家のミガ姉さんと同い年だよ)
ユヌスカニ:あんっかー、ミガあんがぁ いふつんが なりゃー?(だったら、ミガ姉さんは幾つになるの?)
ぶじゃがま:あんしば、ばんとぅ ゆぬぶーりゃゆ〜(だから、俺と同い年だよ〜)
ユヌスカニ:やりば、ミガあんがぁ いふつがゆ〜??(だからミガ姉さんは幾つなのさ〜?)
二人の会話はこうして延々と続くのでした。
終わり。
宮古島ネイティブスピーカー
ひさぼう(平良市西仲出身)
ラジオもないテレビもない、そもそも電気がない、そういう時代にことばを覚えた ばんたんな(我々には)ミャークフツ(宮古方言)がすべてだった。
私の場合、そのミャークフツは、おしえた母親が添道(そえどう)育ちだったから添道伝来のピサラフツ(平良方言)だった。
当時、共通語のことは、ふつうご(普通語)と言って、自分の回りの子供は、ほとんどが方言で育って、学童になってはじめて、「ふつうご」に慣れた。
だから、初めのころは“方言直訳型”と言っていいようなことば使いになった。それは方言の世界にどっぷりつかっている大人も同じで、その頃は、小学校に通ったことのない がばしゅう(老爺)、がばんま(老婆)がまだ多かった時代である。
母親は尋常小学校には通ったらしいから、一応「ふつうご」は使えた。ただし、“方言直訳型”である。どういうものか、以下、「もしも何々だったら・・・」式に書いてみる。
1.旅館の接客係りだったら
はい んみゃーち
いま お茶をもってくるから そこにすわっておれ
して あんたなんかは どっからきたか
わざわざ こんなところにきても なんにもないよ 見るものは
こんなにして 遊んで回っておって なにをしているか 仕事は
2.スチュワーデスだったら
ウーロン茶とりんごジュースとコーヒーがあるけど
なんにするか ウーロン茶・・・か
あんたは疲れているんだのにな
りんごジュースのほうが あまくて上等だよ
これを飲んで だまって寝ておれ
3.デパートの店員だったら
いぎー あんたには それは似あわんよ・・・
これを着(つ)けてみれ
見てみれ はい あっがいがま じょうとうさ こっちのほうが
4.リハビリ指導員だったら
はい かんち かんちと 腕を動かしてみれ かんち かんちと
・・・なんでわからんか あんたは
してこんどは えっと 足を曲げてみてみれ えっと
5.食堂の店員だったら
これをば ゴーヤーとは 言わんよ 宮古では
宮古では ゴーラと言うさ
テレビなんかでも ゴーヤと言っているけど
なんで これがゴーヤか ゴーラだよ これは
まつがったら ダメさ
6.バスガイドだったら
はい みんなで右を見てみれ 違うさ・・・
わっちが 右と言ったら
あんたなんかは 左を見ないと 合わんよ
して あの小さい島をば池間島といって
長いほうをば伊良部島というよ
池間島はこっちと橋でつながっているから
今からこのバスも 行くべきさ
今日は天気がいいから 景色もじょうとうよ
あんたなんかは いいばあさ
7.看護婦だったら
そこに 長んびて はい お尻をだしてみれ
今から 坐薬の入れかたを おしえるから
手をこんなにして うしろにまわして して
指で薬を持って ぐうぐうと 押していたらさ
変なになってくるところが あるから そこだと思って
ぐうーと なかーまで押して 入れれ
要するに、乱暴というか、断定的というか、命令調というか、ていねいな言い方ができていない。あるいは、へりくだるというのがない。方言の調子が、そのまんま「ふつうご」に出てしまう。
たとえば「食う」ということばについては、「食べる」「食べます」「食べなさい」「いただく」「いただきます」「めしあがる」というような使い分けが共通語ではできる。
しかし方言だと、ふぉお(食う)、ふぁい(食べれ)しか出てこない。ただし、日頃、神様になじんでいる島だから、うさぎる(さしあげる)、んきぎさまず(めしあがる)、んきぎさまち(めしあがれ)というようなことばは、ちゃんとある。が、日常的にたとえば、うちに来た客に食事を勧めるのに「ふぁい」しかないから、共通語にすると「食べれ」になる。
和歌山県の方言には敬語がないというからおもしろい。共通語、日本語の母体は、全国各地の方言だから、一体、共通語はどうやって成立したか、考えれば不思議である。
「おとうさん」「おかあさん」という共通語でさえ明治政府がつくった“人工語”というから、なにが本当の古くて、自然な日本語なのかわかるのはむつかしい。なにしろ、明治になって「ふつうご」「共通語」ができるまでは、書くことばは共通でも、話すことばは各地の方言だったのだから。
「ふつうご」に染まらなかった がばしゅう、がばんまがいなくなった今、土着宮古島方言の話し手は、“不純”な世代になっている。
オフ会@宮古のおしらせ
松谷初美(下地町出身)
お盆で宮古に帰ります〜。恒例の「オフ会@宮古」を開きますので、みなさん、うがなーりふぃーさまちよー(集まってくださいねー)楽しい時間をすごしましょう〜。
日 時 | 2007年8月24日(金) 午後7時〜 |
場 所 | 和風レストラン たまよせ 電話:0980−73−4567 |
申 込 | 8/23日までに 松谷 kumakama@mbp.nifty.com 宛て。 |
編集後記
松谷初美(下地町出身)
宮古には、上等ぬ あみ(雨)が降ったようで、よかったですね〜。ぶーき゜(キビ)の夏植えも始まったようで、うむやすむぬさいがやー。(安心ですね)
梅雨が長かった関東ですが、ここのところ、まいやがぴにつ(毎日)、30度を越して、猛暑が続いています。熊谷では、40度を越えた つぁ(だって)。宮古のほうが涼しいさいがねー。宮古は、直射日光はすごいけど、40度近くまで上がるということはないもんね。みなさん、避暑に宮古にいきましょう。
さて、今回のくま・かまは、のーしが やたーがらやー?しばしの間、暑さを忘れていただけたのでは?と思っています。
県立博物館が新しくなるんですね〜。規模も大きく、内容も多彩になるようで、楽しみですね。して、ばんたが(我らが)クイチャーマンさんのゆなぱふつ(与那覇方言)のナレーションが聞けるとは、ぷからすくとぅやー(うれしいですね)。もちろん行って、ボタンを押すべきさ〜。
山雀タヌキさん、久しぶりの投稿たんでぃがーたんでぃ〜。メキシコで沖縄の子に会えるとは、びっくりですね。山雀タヌキさんは、一年の半分以上、海外で仕事をしているそうです。そこでいろいろな うむっしことを経験されているとか。今後も海外生活での四方山話を書いてくださる予定です。ご期待くださいね。
あば本舗さんのは、いつもとはちょっと違う「みゃーくふつの掛け合い」の話でした。テンポのある漫才を聞いているようで、うむっし(面白い)ですね〜。そうそう、こういう光景よく見ましたよー。昔は、人をからかうおじさんがいっぱいいましたよねー。
ひさぼうさんの宮古のおばさんが「○○だったら」の話は、最初掲示板に書かれましたが、さらに発展。いろいろなパターン、笑えますね〜。まーんてぃ あんなしゃべり方だよね。ぶっきらぼうで、おせっかいだけれど、愛が だう(いっぱい)!でも、こんなしゃべり方は、何十年後かには、なくなっているのかなー。
オフ会@宮古、どうぞお気軽に参加してくださいね〜。申し込み、お待ちしていま〜す。
それから、下里公設市場が9月に閉鎖され、10月には取り壊しされるようですね。とても残念ですが・・・ずっとこのままというわけにもいかないのでしょうね。長い間、お疲れさまでした。40年近く、宮古の人たちにたくさんの物を提供してくれたこの市場に、思い出を持っている方もやまかさ(たくさん)いると思います。よかったら、その思い出を投稿してくださいませんか?
9月13日ままーず(頃)までに送っていただけると助かります。ぜひ、よろしくお願いします。
今号の感想も どんない送ってくださいね。
まちうんどー(待っていますよー)
次回は、9月6日(木)の予定です。
秋は、ぴっちゃなー(少しずつ)、近づいているようですが、残暑厳しい折、体に気をつけましょうね〜。あつかー、またいら!