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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 166

2021 5/04
メールマガジン
2008年2月21日2021年5月4日

こんにちは〜。2月も下旬。 ぴしさまい(寒さも)ようやくがまになってきましたね〜。
今回は女性ライターのエッセイあれこれです。
お楽しみください〜。

目次

古い写真

大和の宮古人(城辺長南出身)

先日、親戚のおじさんから(埼玉在住ですが遠い親戚なので殆んど行き来もなく偶然宮古でお逢いする事がある程度のお付き合いでした)46年ぐらい前の実家の周りの(15軒位の集落)おじい、おばー、しいにん(青年)及びおとうたち(お父さんたち)幼児6名の40人程の写真がコピーされて送られてきました。

昔の写真ですし、コピーなので鮮明ではありませんが、顔は識別できます。おじーたちは皆コップらしきものを掲げ乾杯の仕草、若い しいにん(青年)達は腰に手を当てる人、一升瓶で(泡盛でしょう)注いでいる人、皆嬉しそうに微笑んでいます。おばー達は全員着物姿で最前列でお澄ましです。

瓦屋根が写っているので昔の我が家の庭で撮られたもののようですが、定かではありません。私の祖母が45年ほど前に天国に行きましたのでその1年ほど前の写真でしょう。

この写真を見て、とってもショックを受けました。私は祖母の顔を覚えていませんでした。たまたま祖母は眼瞼下垂で眼帯をしていましたので分かりましたが、もし眼帯が無ければ分からなかったと思います。でも他の人は殆んど分かるのです。

親戚の叔父さんからではなく他の人から見せられ、おばーが眼帯が無かったらこの人は何処のおばーか?で終ったでしょう。やまかさ(沢山)可愛がって貰ったのに、色々な所に連れて行ってくれたのにおばーに申し訳ない気持ちで一杯です。

宮古に帰り、遠い親戚のおじー、おばーたちに昔の名前を言うと皆分かるんですよね。(ちなみに私の名前はミガチャンです。最近までこの名前が嫌いでした。でも今は堂々と名のれます。最近では主人も宮古に居る時は呼んでいます)これも祖母のお陰かも。

今度宮古に帰ったときは写真を探し出して飾ってあげたいです。残念な事に私達学童組や若いお母さん達が一人も写っていません。児童は学校だと思いますが、せめてお母さんたちがと思いながら眺めています。

おばー達は殆んど50代の後半だはずよ。でも70代か80代に見えるさー。それだけ昔の人は過酷な人生を生きたんだね。私達の幸せはその上に成り立っているんだ。タンディガータンディ今の宮古、沖縄を見せてあげたいな。

自分もその年代に近づいてみて、ばかむぬ(若い人)から見たら私も同じなんだと・・・・・・・。

感謝な1年になりそうです。

うぷあんな

松谷初美(下地町出身)

先月、ばんたがおばぁ(うちのおばぁ)が入院したので見舞いに帰った。

空港に迎えに来ていた、両親と あみがまぬ ふず(小雨降る)宮古空港から、すぐに病院に向かう。車窓から見える、ぶーぎのばらん(キビの穂)も雨に打たれて、ぴしぎなり(寒そうに)している。

おばぁは、6人部屋の真ん中のベッドの上に座っていた。一時、集中治療室にいたとは思えないくらい、元気そうで、安心する。「初美が来たなー」と言った後、「心配かけて、すみません」となんだか丁寧に挨拶され、おばぁよーと思わず肩を抱いた。

100歳にして初めて(!)の入院に、子どもや孫たちがお見舞いに次々と来る。

孫のA美(私にとっては、いとこ)が来た時、椅子に座っていた、うちの母は立ちあがり、自分の椅子をA美に勧めた。A美は、「なんで うぱあんなを立たして自分が座るべきかー」「して、A美はお客さんさー」「なんで うぱんなが座れえ(座って)」可笑しいやりとりに、おばぁも私も笑ってしまった。

「うぷあんな」とは、直訳すれば「大母」。自分の親の長姉や長兄の奥さんのことをそう呼ぶ。うちの父は、七人兄弟の長男。そこに嫁いだ母は、みゅーず(甥っ子、姪っ子)たちに「うぷあんな」と呼ばれる。いわゆる大伯母である。(「うぷあんな」だが、実際には「ぷ」と「ぱ」が繋がって「うぱあんな」と聞える)

今度はまた別のいとこが姉妹で見舞いに来てくれた。おばぁの手を取りさすりながら「おばぁ元気そうで良かったぁ」と言い、「病院にいるほうが、うぱあんなも、安心だねー」と母のことも気遣う。

いとこたちが親しみを込めて「うぱあんな」と母を呼ぶ声が耳に心地よい。

母は病院に来ると、おばぁの髪の毛にスプレーをかけ、櫛で髪を梳く。それが終ると、おばぁの入れ歯を取り、洗面所に行って洗う。

その後ろ姿を見ながら、100歳のおばぁもすごいけど、姑であるおばぁとの長い生活や、うぷあんなとしての役割を果たしてきた、母の人生もまたすごいものがあるなーと、しみじみ思った。

いとこたちが「うぱあんな」と呼ぶのは、よく聞いているのに、今回はなぜか、心にジーンと染みる。

病院の治療と看護とおばぁ自身の力によって、入院14日目におばぁは無事に退院した。

やー(家)に帰ったおばぁは、お風呂も自分で入り、入院前と同じような生活をしているよーと、電話口の母は話す。まーんてぃ いぎゃん(すごい)おばぁだ!

今回は、おばぁのすごさを感じるとともに、嫁や うぷあんなとしての母の姿も焼きついた帰省となった。

生き抜く

菜の花(伊良部町出身)

ヒャ〜ッ!悲鳴とも奇声ともとれる声が ばんみく(響く)中、今日も施設の一日がはじまる。

とぅりーてぃ(穏やかで)まないーてぃ(静かで)ぬかーぬかぬ(落ち着いた)老人像なんて、そんなものには程遠くて、いや、もしかしたら無縁のようにも思える婆やの行動。

明治、大正、昭和、平成と近代日本のどの時代をも越えてきて、んなみ(今)、のーしーがら(なぜか)私の目の前にいるこの婆や。たー くいゆまい つかん(誰の声にも耳をかさない)。常に、常に・・・常にマイペース。よく食べる、よく出す、そしてあまり寝ないというのが婆やの生活パターン。

食後すぐに「ハラヘッタ〜!マンマモッテコ〜!」と叫ぶこともある。「食べたばかりでしょ」とは、第三者の答えであって婆やの本能は やーすむぬ(ハラヘッタ!)と訴えているのだから、かーきて(ハラヘッテ)いるのだ。のーまいしらいん(仕方ない)。温かいお茶とお菓子を手に握らせると、満面の笑みとはこういうものですという顔をする。そう、無垢の笑顔だ。この笑顔に職員は胸キュンとなり、いつの間にか婆やに恋をしていくのだ。

婆やはいつも同じ場所に車椅子で陣取る。たまに誰かがその場所にいようものなら だいず(大変)!青森で生まれたという婆やの言葉は理解不能。何を喋っているのかも分からない。軽く三オクターブはあると思われる甲高い声で言い立てる。婆やの陣地、テリトリーからどくまでその声は続くので、みゃーくふつで直訳すると「うまー あーせきどぅ(そこは私の席よ)かまーんかい ぴり(あっちに行って)」となるのだと思う。

時々静かだなーと思っていると、不意に「サケモッテコ〜〜」とヨーデルのようなハイソプラノが廊下じゅうに響き渡る。慌ててお茶を持っていくと、一口すすって、ペッ!と床に吐き出す。どうも気にいらなかったらしい。「もう少しでご飯ですから」となだめる職員にもチラリと一瞥。婆やに恋する職員にとってこの視線はたまらない。食事時間になると真っ先に配膳して機嫌を直してもらうしかないのだ。

婆やが夜ゆっくりと寝てくれたら、私たちも婆やの寝顔をじっくりと見ることができるのだけど、それままず無理、叶わぬ夢。やっと静まった深夜「ヒャ〜ッ!!」と、火曜サスペンスの事件現場のような悲鳴が響く。

婆やが職員を呼ぶ声だ。急いで婆やの元に行く。大抵「起こしてほしい」or「オシッコ」or「デタ(粗相した)」のどちらかだ。それは婆やの仕草でわかる。分かるようになったということは、やっとがま婆やと相思相愛になった印なのだ。

お茶を飲みすぎた日は「デタ」サインが増える。フロアでストックされている予備のフトン全部を、一晩で婆や一人で使ってしまったこともある。紙オムツという近代文明の代物を婆やは気にいらない。寝ている間にそ〜っとそ〜っと紙オムツを敷いても、当ててもすぐに外し「くぬひゃ〜!(こんなもの!)」とばかりに投げ捨てる。深夜の部屋で紙オムツが宙を舞う。その投力はすごくて、何メートルも先まで飛んでいくので感心して見とれることもある。思わず拍手したことも・・・。

もうすぐ100歳になる婆やには「寿命」という概念を感じない。婆やの生命のエネルギー、その逞しさにはただ感動するばかり。施設の行事で節分の豆まきに参加した婆や。その豆を見つめる眼差しを見て婆やが100粒の豆を要求したらどうしよう・・・ちょっとだけ本気で しわ(心配)もしたくらい。

婆やの一人息子は婆やより先に逝き、息子の嫁は脳梗塞で不自由な身体になってしまった。でも、婆やはそんなことは知る由もない。婆やは幸せなんだろうか?毎日を施設で過ごすことをどう思っているんだろうか?私が婆やに代わって考えたところでどうなるものでもないと知りつつ、考える。

認知症の婆やにとっては、地位とか名誉は何の意味をもなさない。過去も過去であり、婆やが生きてきた道程として存在するけど、過去も今もただ一人の自分として存在するのみ。それが婆やの全てなのだ。多くを望まず、無欲に、命尽きるまで生ききるために生きる婆や。私たちは婆やが一日を元気で過ごせることを考えればいい・・・。婆やの一日を預かる私たちが、婆やの幸せに繋がりたいと思ったら傲慢だろうか。

誰もがいつか迎える「老人としての己の日々」。人生最期をどう生きたいか、今から考えておくことは自分の人生にどれだけ責任を持つかということなんだろうなーと思ったりする。

私よ!ういぴとぅ(老人)になったらどう在りたい?好きなものを食べ、好きなことをして、好きに生きよう!

では、誰かの手をかりることになったら?
そうだねぇ〜、どうしようねぇ〜・・・。あがい!のーんまいならん!(アララ!どうしようもない!)

宮古出張体験記

Motoca(平良出身)

社会人7年目。事務職の私はこれまで、会社の外で仕事をする機会など皆無だったのだが、生まれて初めて出張というものをすることになった。しかも行き先は、宮古。里帰り出張だ。もちろん実家泊。

年明けから、勤務先の技術系社員から宮古のことを何度か質問されたり、資料を見せてもらったりしていたので、ああ、宮古での仕事があるんだなーとは思っていたのだが、ある日「こんど宮古での仕事があるので、一緒に行ってちょっと手伝ってくれませんか」とのお誘いをいただいた。おごえ、何というすてきなお話。きゃっ!ぜひ行たいです!さーりいきふぃーさまち(連れて行ってください)!

そんなわけで、2月某日宮古へ旅立つことになった。宮古での仕事で使う文房具や図面を大きい紙袋に入れ、持っているけどほとんど使ったことのない自分の名刺を鞄に突っ込み、小さな旅行荷物とともに、いざ出発。宮古に行くだけで半日仕事なので、着いた日はそのまま実家へ。

いきなりですが、宮古はだいず寒かった。小雨の東京から、ぬふーぬふの(暖かい)宮古を期待して行ったのに、つうかじぬ ふき、ぴしむぬどぅ やーたん(強風が吹き、とても冷たかった)。

宮古ではコートを着て回るつもりなんかなかったので、見栄を張って上等コートを着て帰った。しかし、この寒さ、上着ぬ にゃーだか、んびゃーいん(上着がなければやってられん)。自分のコートはやっぱり着たくなかったので、母のジャケットを借りました。ごめん、母よ。ちょっと上等ジャケットだったはず。

それから、室内も寒かった。宮古の家は、基本的に暖房がない。実家のエアコンも、冷房機能しかついていない。寒さのあまり、家の中で ぴんなー(変な)ダンスを ぶどぅいて(踊って)いたのは私です。体を動かしたら体温が上がるかねーと思って。家族に白い目で見られました。ダンスの効果は、なんずー(いまいち)でした。当たり前か。

メインの仕事は、宮古に到着した翌日でした。東京から来た我々と、地元の皆さんを交えて話し合い。標準語と宮古訛りが飛び交う。そんな中にいると、仕事だ!という緊張感の中にああ、宮古だ!っていう喜びがじわっとわき上がってくる。

宮古出身だけど、人生の半分近く宮古を離れている私。宮古に住んでいる皆さんから、今の宮古の話を聞く。私より年上の皆さんだから、私の知らない んきゃーぬ ぱなす(昔の話)もしてくれる。私も、外から宮古を見て思うようになったことを語る。

自分が一度関わってみたかった「みんなで宮古のことを考える」という作業。私は今、その仕事を手伝っている!!この日は、まーんてぃ ぷからすむぬどぅ やーたん。(本当に幸せでした)

仕事の後は、そのまま週末まで休暇を取って、2日ほど宮古でのんびり過ごしてから東京に戻った。少し晴れ間ものぞいたりしましたが、私の滞在中はほぼ、ぴしーぴし(寒冷)の宮古だった。

週明け、出社したらいきなり、方言通訳の仕事が待っていた。宮古での会合で発表されたものの中に、2ヶ所ぐらい宮古口の文言があったのだ。それを聞き取って、訳してほしいと頼まれた。難しい言葉ではなかったけれど、方言に興味を持たなければ、きっと解らないままだったはず。ぴぃっちゃがま やすがどぅ(ほんのちょっとですが)自分の趣味がこんなところで役に立ってよかった。

方言通訳した翌日、今度は「キャッチフレーズを、提言書(会合のまとめ)の表紙にひと言、方言で入れたい」と、担当者から依頼が。こういった感じのことを方言に訳してもらえますか、と数案もらったのですが、共通語の文を宮古口には直訳できない〜。「今日中に」っつぁ、んにゃさいが(「今日中に」だって、大変だ)!

通常の仕事を側に置き去りにして、昼中ひたすら悩み、どうにか夕方までに3案ぐらい考えて渡してきました。楽い作業でした。しかし、こんなに、いーばー(いい思い)していていいのかしら。・・・たまには、いいはずね!

これからこの仕事をどれだけ手伝えるかと言うことも、これがどんな結果になるかということも、しばらく楽しみです。さて、どうなることやら。

編集後記

松谷初美(下地町出身)

♪じゅうるくにつ ぬ あぎぱんびん あつこーこーてぃ ふぁーばーーや(ジュウロクニチのてんぷらをアチアチ、ハウハフとたべたいな〜)

明日は、じゅうるくにつやー(十六日祭 あの世のお正月ですね)うまかまの(あちこちの)お墓の前で、親戚一同が集まって賑やかになることでしょうね。

上の歌は、宮古のわらべ歌。やらびぱだ(子どものころ)よく歌いました。マイ・ベスト・オブ宮古わらべ歌です。「わらべ歌百選」に選ばれてもいいはずよー(そういうのがあるのかどうか、分からんけど・・・)子どもの心情がよく表れている上等歌じゃないかねーと。

明日は、ぞうわーつき゜(良い天気)になるといいですね。帰れないので、南に向かって手を合わせたいと思います。

さて、vol.166や のーしが やたーがらやー。

大和の宮古人さんの「古い写真」、46年前に近所のみなさんが40名も写っているというのは、珍しいのではないでしょうか。すごいですね〜。繋がって今があることの大切さが、こちらにも伝わってきて、ぬふーぬふの(温かい)気持ちになりました。

お年寄りのいる施設は、大変なことが だう(たくさん)あると思うのに、菜の花の働く施設の湿り気のない、カラっとした明るさ、いいですね。お年寄りのパワーもさることながら、そこで働く人たちの姿勢や想いがそれに繋がるのかなーと思いました。

Motocaさんの初めての出張(しかも宮古!)、宮古と関わることの喜びや宮古での様子がよく伝わってきましたね〜。確かに、家の中まい寒い。さー、どんな仕事の出張だったのでしょうね。近いうち、私たちも知ることになるかもしれませんね。

皆さんからの感想を首を ながーなが(長ーく)して待っていますよ〜。
ぜひ、メールか掲示板の書き込みで。よろしくお願いします。

次号は、3月6日(木)の発行予定です。どうぞお楽しみに〜。
春よ、来い、ぴゃーぴゃーてぃ くー(早く、おいでー) あ、スギ花粉は、いらないけどよ。
きょうも ぞう(良い)一日でありますように。あつかー、またいら!

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