くまから・かまから vol. 183

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 こんにちは〜。んにゃ、11月やー。
 秋も徐々に深まってきて、読書の秋、メルマガの秋。
 第1木曜日、「くま・かま」配達で〜す。

『みばかす゜、みばかり』について

アモイ(平良宮原出身)

 宮古の方言で「みばかす゜」という言葉があり、よくつかわれる。
 
 「みばかす゜」という言葉の使われ方としては、家(やー)ーゆ みばかす゜、ぱり(畑)ゆーみばかす゜、やらび(子供)ゅーみばかりゅーり、牛すぅ みばかり、などと使う。
 
 「みばかす゜」を日本語に訳したらどんな意味だろう?
 
 下地一秋著、《宮古群島語辞典》によれば、「mibakaru(見、計る)面倒をみてやる、世話をする。善いように処置する。」とある。
 
 みゃーくん 農業ゆ っしうーぴすとぅぬ なかんな まいにつんだかに ぱりゅーみばかりまーりゅー ぴすとをー だう、(宮古島で農業をしている人の中には、毎日のように畑を見回っている人は多い)
 
 そういう人の畑の作物は手入れが行き届いていて、作物の育ちもよい、一方、あまり「みばかり」がされていない畑は、雑草が生い茂り、作物の出来がよくない。その畑が知りあいの畑だったりすると、「あば!かまぬおじーや、やみどぅーべーやー。」(あら、あそこのおじーは病気でもしているのかなー)などと畑の主の健康状態が気になったりする。
 
 宮古島の基幹産業であるサトウキビはあまり世話のかからない方の農作物だと思うが、それでも、みばかす゜かたんゆり(世話の仕方によって)大きく反収が変わってくるという話をよく耳にする。農業では「みばかり」は、非常に重要な要素なのである。
 
 ただし例外もある。うちの家の周りの畑のゴーラ(苦瓜)は、あまり「みばかり」をしなくても自生する植物のように、勝手に生えて勝手に実をつけている。
 
 隣の人から、のーてぃが うわたが ぱりんな うぬすく ゴーラぬなり ふぁーいゆりゃー?(何であんたなんかの家の畑にはあんなに苦瓜が実って 食されているか?)と聞かれた母は、「ばんたー ぱりゅー あばらし うーきばどぅ あんちゅーさーい」(うちらは 畑を野放しの荒れ放題にしているから そうなっているさー)と言って得意げに笑っていた。
 
 うちの周りの畑に自生する作物とは、ミニトマト、トウガラシ、パパイヤ、ナス、琉球冬がん等である。勝手に生えては実をつけ、食卓に並ぶ、本来の自生ではないが、その理由はたぶん2つ。
 
 1つは以前に植えていた作物の実が熟して、種がそのまま根付いてしまう。苦瓜の実をほっておくと、熟して黄色くなり、中の種が梅干しかと思うほど真っ赤な色に変わる。その種が発芽し、実をつけるのである。
 
 もう1つは生ゴミを畑に捨てているために捨てられた種が発芽する場合もある。自生でちょっと困るのは生える場所を選べないことと、計画的な数量生産ができないことである。
 
 ゴーラのツルなど、畑の真ん中に広がり、しかもいっぱい実をつけている。畑全体を耕運機で耕そうとして、考えてしまった。漉いてしまうにはもったいないので、そこを残して耕して、ちょっと変な耕し方になってしまった。
 
 うちの畑に自生している野菜をみて、野菜造りは簡単だ!と思いこんでいたのだが、実際に自分で野菜を植えてみて、その難しさを思い知った。失敗した例として、
 
 「キャベツ」葉がだいぶ成長したが、害虫に食われて葉は穴だらけでちゃんと育ったのはほんのわずか、
 
 「レタス」葉がでて育ってくれたのだが、ぐるぐると巻いて呉れるはずのレタスの葉はぐんぐんと上に一直線に延びてしまい、葉タバコのように葉を1枚1枚むしって収穫、人に聞いてみると、時期が早かったんじゃないの?との事。
 
 「ホウレンソウ」適当に耕して種をまきっぱなしで、みばかりをしなくて、全然発芽してこなかった。
 
 「キュウリ」葉が大きくなりツルも広がり、いよいよ花が咲き、実が成りだすと、赤虫(正式名わからず)が大量に群がり、かたつむりが付いて、葉や花がみるみる食いつくされていく、これはやばいとうこいう事で毎朝晩 虫とり、かたつむり除去などを実行して、なんとか食卓に上がった。そこで母が一言「のーまい みばからだかー ふつんな ふぁーいんどー」(なんでも みばかり をしないと 口には はいらないさー)
 
 なるほど、こんな苦労があるから経費がかかるにも拘わらず、ビニールハウス栽培を採用している農家が多いんだなー、と納得してしまった。
 
 先日、ビニールハウスでマンゴーを栽培している人に聞いた話であるが、ビニールハウスでも害虫は発生するそうで、ほっておくとどんどん害虫が増えてくるそうだ。害虫がつかないようにするには、「みばからだかーならっちゃー」(見回りしないとならんさー)
  人間が作物の周りを歩くだけでも、人間の匂いが作物や周囲にの残り、害虫がその匂いの残っているところには寄り付きにくくなるそうである。「あしばどぅ ぴっちー みばかり まーりゅー てぃぬ ばーさい」(だから、しょっちゅう見回りをして歩いているという訳さ)
 
 野菜の種を蒔いて、芽がでて青々と大きく伸びてくる様子をみるのは気持ちのいいものである。しかし、自然を相手の農業は誤魔化しがきかない。ちょっとでも みばかりを怠ると、いままでの苦労が水の泡となってしまう事が多い。物事はなんでも簡単にはいかないなー。
 
 自生してくれる野菜も気候、時期、場所などの本当に条件の揃ったときの産物であるという事をわきまえて、「みばかり」を怠らないように、少しでも我が家の食卓の自給比率を増やしていきたいと思います。
 
 その為には、時々芽を出してくる自分の怠け癖を駆除する薬を、探す必要がありそうです。

会社紹介 『東栄製作所』

松谷初美(下地町高千穂出身)

 「東栄製作所」は、知る人ぞ知る、鉄骨工事やプレハブ・旋盤加工や板金加工などの仕事をしている会社だ。下地の高千穂(住所は川満)にある。
 
 ばんたが やーぬ つかふがま(うちの家の近く)で、歩いて10分くらいのところにあるが、行くのは初めて。代表の荷川取良夫(59歳)さんに話を伺った。
 
 「東栄製作所」が一躍知られるようになったのは、平成9年、平良市(当時)のマリノベーション計画構想の一環として「鋼製漁礁(スリースターリーフ)」を狩俣の真那津沖合いに設置することになり、その「鋼製漁礁」を東栄製作所が製作した時である。新聞などでも会社名があげられ問い合わせがくるようになった。
 
 「鋼製漁礁(スリースターリーフ)」とは、鋼(2パーセント以下の炭素を含有する鉄のこと)で造られた漁礁(魚類が好んで群集する場所)のこと。
 
 鋼製漁礁の模型を見せてもらった。ジャングルジムのような形をしている。実際の高さは10メートル、空間容積は560平方メートルあるとのこと。それをブロックごとに作り、港で組み立て、船で沖まで運び設置となる。
 
 これが魚の集まる場所になるのかと思うと ぴるます(不思議な)感じがしたが、鋼には、藻や海草が付きやすく魚が集まりやすいそうだ。
 
 鉄と聞くと、海の環境には悪そうと思うのだが、鉄は、自然の中にあるもので(人も鉄分が不足すると病気する)逆に海の栄養になると言う。
 
 市役所にその後の鋼製漁礁のことを問い合わせたところ、「鋼製漁礁は藻や海草がちゃんと付いて、魚が増えていますよ」と追跡調査をしたという方が話していた。
 
 ゆぬぐー(同様)の「鋼製漁礁」は、これまで、県や市、多良間村などの仕事としてすでに40基製作しているそうだ。
 
 東栄製作所ができたのは今から14年前。名前の「東栄」は、飛行場の東(高千穂は飛行場から東に2キロくらいのところにある)で会社が栄えるようにとつけたそうである。「その通りですね」と言うと「いやー、名前負けしているんじゃなかと思ってね」とテレくさそうに笑った。
 
 そこだけの話しを聞くと順風満帆にやってきた感じがするが、それまでが大変だった。
 
 荷川取さんは、19歳で内地に渡り、季節工から始め、後に鉄工所や自動車の部品などを造る会社に勤め、その後、横浜の町工場で旋盤工として入社し、金型や精密板金の技術を習得した。
 
 内地に来た最初の10年は、方言まじりでしかしゃべれなかったから言葉では苦労したそうだが、内地に慣れてきたころ、横浜で多恵子さん(沖縄本部町瀬底島出身)と出会い、結婚。二男二女に恵まれた。
 
 横浜の工場を27歳でまかされるようになったが、45歳で転機を迎える。かわいがってくれた社長が亡くなったのだ。宮古に帰省するたび、宮古の海の かぎさ(美しさ)や ぬかーぬかぬ(ゆっくりーとした)時間の流れを感じ、いつかは帰りたいと思っていた。これを機に宮古で鉄骨の仕事をしようと決心する。
 
 多恵子さんにどう話そうか、反対されたら・・・と思ったそうだが、多恵子さんはあっさり「いいよ」と答えたそうである。
 
 こうして平成6年、荷川取さんは45歳で宮古に帰ってきた。
 
 まずは、生まれ育った家の近くで製作所を たうきゃーしー(ひとりで)建てることから始めた。従業員は多恵子さんひとり。
 
 最初の仕事は、製糖工場の壁のトタンの張替え。「高所恐怖症だけど、どんな仕事も引き受けないと次に繋がらないと思って必死でやったよ」多恵子さんのほうも見よう見まねながら一緒に働いたそうで(奥さんは高いところは平気とのこと)「あの時は、女房に助けられたよ」と話していた。
 
 訥々としたしゃべり方から荷川取さんの温和な人柄が伝わってくる。
 
 仕事の依頼も少しずつ増えていき、現在は従業員も6名に増え、アルバイトも使うほど大きくなった。
 
 夏にお邪魔したときは、製糖工場の集塵設備工事のためのダクト(送風管)を造っているということだった。完成間近の だいばん(大きな)ダクトが製作所の横に置かれてあった。
 
 時には、多良間や西表までも出張するという ぱんたーぱんたの(忙しい)日々だが、仕事以外では、マラソン大会に出たり、釣りをしたりしているとのこと。
 
 多恵子さんは馴れない土地、友人もいないところでの子育てで最初は大変だったが、今では友人も増え、宮古の生活を楽しんでいるそうである。
 
 荷川取さんは、「宮古に帰ってきて本当に良かったと思っているさ」と日焼けした顔をほころばせた。

「東栄製作所」
 沖縄県宮古島市下地川満1273−5
 電 話 0980−76−6410
 FAX 0980−76−6580
 代表 荷川取 良夫

南半球オーストラリアの旅

宮国勉(城辺町出身)

 今から2年前の2006年12月11日(月)〜16日(土)までの6日間、南半球のオーストラリアを夫婦で旅行した。
 
 カンタス航空で10日21:30に成田を出発して次の日の現地時間朝7:00にブリスベーンに着いた。オーストラリアの時差は1時間なので約9時間のフライトである。時差が少ないので体調はすこぶる良いようだ。
 
 冬支度で出てきたがオーストラリアの12月中旬は真夏であった。空港の駐車場の周りに黄色い可憐な花を付けた、たまうぎー(ハマボウ)が街路樹として植えてあり、昔の宮古島を思い出し懐かしく思った。気候も初夏の宮古島によく似ているような気がした。
 
 12月11日(月)、日本人客8人ほどが現地ガイドの阿部さんに迎えられ、マイクロバスで空港からそれぞれのホテルまで送られた。車中で結婚式を明日に控えている若い2人が紹介され、皆が祝福の拍手を送った。
 
 海外旅行は大勢の現地ガイドさんにバトンタッチでお世話になるのが多く、今回は総勢12人の世話になった。ホテルに着くと女性の田中さんにその日のスケジュールを説明してもらい、その後に江尻さんがマイクロバスでパラダイス・カントリーへ案内した。
 
 この公園はコアラを抱かせるのがウリなようで、40分待ちの長蛇の列だ。私はパスして、我が家の アンガ(妻)を残し、植物などの写真撮りを選んだ。そろそろ合流する時間だろうと引き返し、数人待ちで順番がやって来たのでコアラを抱いた妻の隣で写真に収まった。大勢に抱かれたコアラはストレスが溜まったらしく生まれつきの猫背が尚一層丸くなっていた。
 
 今度は羊の毛を苅るイベント、英語でしゃべりながらのバリカンさばきは鮮やかで、その都度、中国語、韓国語、日本語の訳がなされる。それだけアジア民族の旅行客が多いようだ。
 
 小屋の中に色々な中古車や廃棄したような馬車が置いてある。特に面白く見たのは4倫の荷馬車で昔ながらの木製の輪に帯鉄を巻いた車輪、ふんだんに鉄の金具で補強した荷台、トラックと同じ板バネのスプリング、舵取り部分も木造である。
 
 3つ目のイベントはカウボーイ姿での牛追い、羊の追い込み、ブーメラン、鞭使いなどカントリーパラダイスだ。
 
 公園から戻り、ゴールドコーストの夜景を観ようと高層ビルに登った。そこは海辺に高層ビルが立ち並ぶ絶景、しばし異国の夜を楽しんだ。帰りは食事の出来る店を探しながらホテルも近いので歩くことにした。
 
 道沿いの海鮮料理屋に大きな65$のロブスターが食欲をさそった。生ビールとロブスターを注文し贅沢な食事、あがい んまっふぁ にゃーん(あっ 美味しくない)。思ったより味が薄く当てが外れてしまった。南半球の星空を眺めながら浜辺を歩き22:30にホテルへ着いた。
 
 12月12日(火)、朝食後タクシーでシーワールドへ行き観覧車からの南太平洋を臨み景色を楽しんだ。その後イルカのショー、水上スキーなどのアクロバットを楽しみ12:00で公園から海岸縁を散歩することにした。
 
 見馴れない植物が やまかさ(沢山)他に懐かしいオオハマボウ、ショウジギーなどが自生しており、白い砂浜が延々と続く。宿泊先ホテル近くの高層ビルは直ぐそこに見えるのだが、ホテルになかなか着かない。
 
 んにゃだいず(ああ、大変なことに)。前日のあのロブスターのお蔭なのかアンガの体調は最悪らしい。クタクタになりながら15:30にホテルに到着した。しかも、この後17:00からは土ホタルを見に行くツアーが待っている。
 
 あば、あに やーんぷがまう みーってぃー うもーん あんちーばかーず ぶがりゅうーたー(ホタルごときを観なくても良いさあ、と思うぐらい疲れ切っていた)。ホテルに到着しシャワーの後は二人ともバタンキューであった。目が覚めると先ほどの気持ちとは違い、浮き足立って迎えのバスを待った。
 
 夕方からバスで1時間かけて森に見に行くのである。やーんぷ やーばふぁっふぁ ならでぃかー みーらいんば(ホタルは暗くならないと見えないから)。18:30にどしゃ降りの山林に到着し、雨カッパと懐中電灯をもらい、カッパカッパと林の中を谷底の方に向かって降りること20分、洞窟に到着した。雨はいつしか止み洞穴の上部にくっついて青く光る やーんぷ(ホタル)は星空を思わせるような光景だ。 
 
 草むらにも光る物が見えたので写真を撮ろうとしたら注意されてしまった。この虫はデリケートなので光などの刺激を与えたら死んでしまうのだそうだ。頼りにならない我が脳裏に焼き付けることにしたが・・・。旅はデジカメに記憶させるのが一番だと常々思っている。自分の脳みそには専ら味覚、風景、珍しい物など感動したことだけにとどめるためだ。
 
 ムササビなどが囓ったと思われる種の付いた松の枝を拾い持ち帰ってきた。すると、レストランでアンガは非難の嵐、ドライバーのオジサンもダメだし、2回目のイエローカードを貰う羽目になってしまった。しかし、周りの皆が写真を撮り盛り上がった、其れ観たことかと思ったがやはり捨ててきた。んぞーさぬ まつぎーぬいだ!(もったいない松の木の枝!)。
 
 12月13日(水)今日はハードな移動日。3:30にホテルから空港へガイドの根本さんに送ってもらいブリスベーン空港に4:40到着。ブリスベーンを6:00に出発し90分でシドニー空港へ。シドニーから9:40発の便で3時間かけて砂漠の真ん中にあるエアーズロック空港に11:30に到着。
 
 飛び立って窓から下界を見続けるが、何処までも赤い土が続き、道らしき筋と水が流れただろう筋や窪地などの模様が浮世絵風に見えた。時折その筋に沿って草の種が流れて生えただろうと思われる僅かな緑があるだけの土地。およそ3時間かけて眺めてきたが同じ景色が続く広大な砂漠を越えてきた。
 
 エアーズロック空港に到着しタラップから降りると、砂漠のただならぬ熱風が吹いてくるので動揺する気持ちを抑える。最果ての土地に着いたような不安を感じる私、反面、気にならない様子のアンガ。シドニーを飛び立ってから着くまで緑のない処がほとんどだったが空港の周りにはチョボチョボと申し訳程度の樹が生えており生き物も居そうである。
 
 片言の日本語でアンドレさんが迎えてくれて、ホテルには車で15分と掛からない。ホテルでは奥さんのリカコさんが流暢な日本語で、この後のスケジュールなどの説明がされて部屋に向かった。
 
 休憩もそこそこで熱風のなか、見晴らしの出来る丘へ登りウルルを間近に見て感動する2人であった。草むらから毒蛇でも出てこないか気にしつつ歩いていたら、モクマオの木の上に冠が付いたモヒカン頭で目の廻りが赤い鳩が留まっていた。
 
 マウントオルガとエアーズロック夕日見学ツアーが午後3時半から日没まであり、ガイドはジョンさんとリーさんの二人。そのうちの一人は出会った鳩の鶏冠に似たヘヤースタイルだ。
 
 エアーズロックの実名はウルルと呼ぶらしい。ウルルは砂漠の真ん中に直径約1キロメートルの一枚岩が地上から約350M飛び出している。近くにあるカタジュタは卵形をした大小(直径約200〜500メートル)の一枚岩が5,6個も転がっているように地上に飛び出して不思議な姿を見せている。傍に崩れて転がってきた岩や足元の地面などをよく観察すると中に玉石が混合されたコンクリート塊のようだ。
 
 ウルルと夕日の眺めのよい場所に移動して、ウルルの色の変化や砂漠の夕日が沈むのを見ながらワインを飲む洒落たイベントに暫しご満悦。アンドレさん、リカコさん夫婦、バスの運転手にガイドのジョンさん総勢30人程度のコンパである。
 
 12月14日(木)今日はオプションでキングスキャニオンまで行き岩山を抜って歩く、リークウオークが組み込まれている。周りの2,3ケ所のホテルを廻りツアーの客を乗せて総勢20人程、いよいよ出発である。
 
 ガイドがバスドライバーと自己紹介、続いてバスではシートベルトを締るようにとの諸注意。コアラをひいたら罰金が科せられ、届けでなければならない、カンガルー等も飛び出すので急ブレーキを掛けることがありシートベルトをするように説明された。
 
 最初は窓の景色を見ながら砂漠の夜を楽しんでいたが、途中からは にうたーにうた しーうつかー(眠たくて、ウトウトしていると)急ブレーキ。おい!運転手何やっているか、まったく!ガイドさんはカンガルーが飛び出してきたからよー、馬の親子が横切ったからよー・・・なんと到着まで5,6回、その都度 のーりゃー! カンガルー ぬど ぴーがいうー・・・(何か!カンガルーが潰されているよ〜)。死んでいるのだからもっと前から見えそうなものをと思いつつも、仕方ない。早朝の4:00にホテルを出発し、あがいたんでぃ 3時間かかって麓のステーション(軽食レストラン)に7:00到着。ステーションで1時間以内に朝食を取り20分で登山口まで移動する。
 
 バスの中でリークウオークについての説明がなされ、2通りの中から自分の体力に会わせて選ぶ事になるのだ。もし水分不足で倒れたり、骨折して動けなくなる事態が起きるとヘリで病院まで3時間かけて運ぶことになると、脅しにも聞こえる話だ。しかも自己責任である念書まで書かせてからのツアー参加なのである。
 
 一つ目は平坦な山裾を歩く1時間ほどの楽なコース、二つ目は、山間を3時間かけて5.6キロ歩くコースである。アンガは怖じ気付いて、辞めると言い出す始末。あがい うわ ういがたみんど きすたーやあらんなあうまがみ きしってぃがみ(あれ!あなたはその目的で来たのではないのか?ここまで来て今更・・・)と説得。バス会社から配布される一人当たり水2リットル入りの水筒をもらい、他に2リットルを持参してのリークウォークに挑戦した。
 
 最初から150段の階段を上り、5.6キロを歩くのだが、私たち夫婦が最後尾である。やっとこさ登り、息も整えきれないうちにガイドのミッシェルさんの説明が始まった。
 
 この辺の岩は鉄分を多く含んでおり、時が経つと赤く変色する。今剥がしたばかりの石の表面を見せて、白いことを確認させた説得力のある説明だ。廻りを見渡し、あんちー(あ、そう!)と、なるほど周りは赤い岩ばかりである。
 
 その岩の隙間から這い出たような木がまばらに生えている風景が続いている。山頂をおよそ60分歩いたところで岩に模様があり、それを指してクラゲ、三葉虫、波の化石で、ここは何億年前には海だったとの説明。
 
 なんで水紋が化石に成ったのかは疑問も残った。やがて谷間に差し掛かりソテツ、ユウカリ、ガジュマル、日焼け止めになる木など水溜まりができそうな低い処に茂って生えている。水下の方には水たまりがあり鳥の声も聞こえ砂漠であることを忘れる。3時間歩き水の全てを飲み干したが尿も出ないし汗も大してかかない。 ぬんたー みっざっ んざんかいがぴずたーがら!(飲んだ水は何処へ行ったやら)。
 
 下山してステーションに戻ると、丁度昼時になり、飲んだ冷たいビールが忘れられない。1時間ほどの休憩の後、バスに揺られてエアーズロックのホテルに帰るのだが、朝も早く、山歩きでは疲れ、ビールに腹一杯は睡魔との戦いのはずが車窓からの景色に夢中になった。
 
 点々と生える木々の葉は細いのが多く、草も棘のような細いまばらに生えた平野が続き遠くにはキングスキャニオンのような岩山がかなりの長さ続いていた。山火事も多いそうで焦げた木々が面影を残していた。
 
 12月15日(金)、ホテルを4:50出発して5:40にウルルに着き朝日に照らされる瞬間を待ち構える。ウルルがよく見える席を取りホテルから準備されたコーヒーとおにぎりを食べウルルの色の変化を楽しむ趣向である。
 
 空が明るくなって黒かったウルルのシルエットが鮮やかな赤に染まり荘厳な姿に見える。撮影する瞬間なのだがカメラがエラーを起こしてしまった。あば、あば、とメモリーを取り替え焦る私であった。旧式のカメラに大容量メモリーを入れて、再生したのが原因であるので枚数を多く持参したことが幸いし難は逃れた。
 
 いよいよウルルの山登り、距離が約500メートル、角度はおよそ30度、鎖が一本頂上まで張ってあるだけ。50才過ぎのオジサンにはちょっと厳しいのではないかと今度は私が二の足を踏んだ。登り始めてすぐに雨が落ち始め直ぐに止んだものの滑落を心配した。しかし、錆びた鋳物の上を歩くような感触で滑りにくく危なさを感じない岩なのだ。途中座って休憩していると上の方からコンパクトカメラがカラカラと音を立て転がり落ちた。転がり落ちるときは人間はどうなるのかと嫌なイメージが頭をよぎった。
 
 山の上には水溜まりがあちこちに在り、その一つにカブトガニが棲息しているのだ。砂漠の岩の上に水生動物が棲んでいるのは不思議なことだ。しかもカブトガニがだ!私がカブトガニと思うだけですが。
 
 登ってからも結構なうねりがあり、惰性を付けないと登れないほどである。今度は降りる心配をして途中で引き返した。しかし、下りは案ずるほどではなかった。8:30には下山しウルルの山裾の洞窟に昔の記録として残っている原住民アボリジーニの落書(失礼)を見学。ウルルを下から見上げると結構雨は降るようで、水が滝のように流れた跡が鉄さびを思わせる黒い筋として残っている。
 
 ホテルへ戻り、約1時間でシャワーを浴びエアーズロック12:20発の飛行機で3時間後にはシドニーである。
 
 シドニーのホテルへは17:30にチェックインできた。夕食をしながらオペラハウス見学に浜辺に行くと目前に大きなアーチ橋、ハーバーブリッジである。時間が経ち夜のオペラハウスを見学していると、「沖縄の方ですか?」と可愛い女の子が二人。お国訛りは隠せないらしく遠くオーストラリアまで来ても見破られるとは。あんちー 私も親父が沖縄だと、そんなことで、在住の長谷川さん&瀬川さんと知り合った。
 
 地元の最新情報を手中に出来、イタリア料理の店で夕食を共にすることになった。そのあとホテルへ12:00に戻り話が3:00まで続いた。ホテルなのにタクシーを待つ客の行列が出来て1時間待ち、ホテルから二人を見送り朝が来ていた。旅の嬉しい出会いが沢山の南半球であった。
 
 12月16日(土)今日は昼食まで自由行動なのでハーバーブリッジを渡り散策することにした。ハーバーブリッジは高速道路で脇は歩道で、何人ものジョギングする人達にすれ違った。
 
 真下は港にオペラハウスが突き出すように建ち、水上を行き交う舟、帆船など絵になる風景だ。近くにはおみやげ屋が立ちならび朝から賑やかだ。ここは昨夜きたイタリア料理の店だね、もう少し先に行ってみようかなどとだいぶ歩いた。スプレーペンキで素晴らしい絵を描いているお兄さんを見学し手際のよさに職人を感じた。
 
 今日は市内観光ツアー、ガイドは大崎さんでセントメアリーズ大聖堂を皮切りにオペラハウス、ミセス・マッコーリーズポイント、ニューサウス・ウエールズ州立美術館などがコースに含まれている。
 
 ミセス・マッコーリーズポイントは何処かのオジサンが絶景だと褒めたハーバーブリッジと海に浮かぶオペラハウスが収まる撮影ポイントである。
 
 最後のウエールズ州立美術館はアボリジーニの絵柄が堪能できる美術館だが、45分間で鑑賞して出る約束で入場した落ち着きのない見学であった。珍しく撮影が許された美術館なので後で何を見たかはデジカメを頼りなのである。名のある作品が多数展示されており機会があれば再度訪れたいと思った。
 
 ツアーは街のど真ん中のココスで解散し、純白の大きな花を付けたタイサンボクのある公園からホテルまで二人で散歩した。
 
 ホテルのチェックアウト手続きを19:00に済ませ、最後の現地ガイド杉山さんにシドニー空港へ向かいオーストラリアを後にした。
 
 機内で今回の旅やオーストラリアの事など振り返ってみると日本、さらには宮古島の土地は小さいけど、みずぶたーぶた(直訳:実入りが多い、利用出来る土地が広い)との印象が強く残った。オーストラリアは草原が広がっているかと思いきや、殆どが人の住めない砂漠である。日本の21倍の広さがあるけれど国土のほとんどが砂漠で覆われているため、人口の多くは沿岸部に集中しているようだ。
 
 成田空港に12月17日(日)朝の6:00に到着した。が、私が駐車場の預け入れ書類への記入ミスが判明、予定の到着日より1日早く着いたことになるらしい。お蔭で駐車料金を3500円余分払うはめになった。ま、無事に帰還したことで良いことにしよう。

おしらせ

WEBマガジン「あんちー かんちー」創刊

D介@モリヤダイスケ

 「5分で判る宮古島のイマ!」、「来て見たくなる宮古島」をキーワードに、観光情報や旅のヒント、アイランドライフから島の出来事まで、こだわりのあれやこれやを、なんやかんやと宮古島からお届けする、ライト感覚な宮古島発信のWEB MAGAZINE 『あんちー かんちー』を創刊しました。
 
 [ あんちー かんちー] 宮古口(みゃーくふつ〜島言葉)で、「あれや、これや」という意味(意訳)です。
 
 創刊号は、「ミヤオマモル君 コンプリートガイド」。その後「第3回なりやまあやぐ大会」や「ミャークヅツ」「島尻のパーント」などを紹介しています。最新号は11月4日発行「第7回クイチャーフェスティバル」です。写真をふんだんに入れて紹介しています。
 
 ぜひ、アクセスして宮古島のイマを感じてください。

 宮古島発信!WEBマガジン 『あんちー かんちー』
 http://miyamaga.ti-da.net/
 更新日:毎週 火・金曜日更新
 企画編集:myArk (D介@モリヤダイスケ)
 発行:てぃーだブログ(株式会社 シーポイント)

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

 去った日曜日(2日)に宮古では「第7回 クイチャーフェスティバル2008」が開催されましたねー。会場にはたくさんの みーぴと(観客)が うがなーり(集まって)大盛況だったようですね。
 
 私は、みゃ〜くてれびのインターネット生中継で見ましたよ〜。うかーす みーずみむぬ やたん(すごい見応えがありました)
 
 似ているようで似ていない、各地域の伝統クイチャー。同じ円陣の中で男女違う歌、踊りがあるところもあり、高く飛んで大地を踏みしめる踊りありで、素晴らしかったです。宮古は深いですね。
 
 創作のクイチャーも芸能の部も いろいろあって楽しめました。
 
 あすが、まーんてぃ うかーす便利な世の中やー(それにしても、本当にすごく便利な世の中ですね)。世界中の人が、同じ時間に宮古の「クイチャーフェスティバル」を見られたわけですからね。うばいがうばい。
 
 宮古テレビさん、ネット中継ありがとうございました。そして、クイチャーフェスティバル実行委員の皆さん、関係者の皆さん、たんでぃがーたんでぃでした!

 さて、今回のくま・かまのあれやこれやの ぱなすっさ のーしがやたーがらやー?
 
 アモイさんの「みばかす゜」の話し、面白かったですね。農業をしている家ではよく耳にし、使いますね。ばんたがやーまい ゆぬぐー(我家も同じです)。お母さんの言葉は、実感のある含蓄のある言葉で納得!
 
 今回は、お店紹介ならぬ、会社紹介をしました。「東栄製作所」さんには、忙しいところ快く取材に応じてくださり、ありがとうございました。こういう仕事があるとは!新鮮でした。鉄骨工事等ご用命のある方はぜひ。
 
 宮国勉さんのオーストラリアの旅は読んでいる人をその場に誘ってくれる詳細な楽しい旅行記でしたね。植物に目が行くのも宮国さんならでは!最後、沖縄の人と知り合いになって朝までというのも旅の醍醐味ですね。
 
 D介さんからのおしらせは掲示板でもありましたが、宮古島発信!WEBマガジン 『あんちー かんちー』は みーですたーなー(ごらんになりましたかー)?宮古の今を広く、深く知ることができます。ぜひ、アクセスしてみてくださいね。
 
 そして、あなたの感想もぜひ聞かせてくださーい!

 しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜。(最後まで読んでくださり、ありがとうございました〜)
 
 次号は、11月20日(木)の予定です。
 あつかー、また うぬ ときゃん いら(では、その時にね)!がんずうかり うらあちよ〜(お元気で〜)