こんにちは〜。師走ですねー。
走る足をぴっちゃがま(少し)止めて、くま・かまvol.185お楽しみくださいね〜。
『さいかな』の活躍
松谷初美(下地町高千穂出身)
宮古の家庭で(沖縄全土そうかも)一番活躍しているスライスラーがある。野菜を千切りにするもので、それが「さいかな」だ。キラリーン!
実は、つい最近までこの道具の名前を知らなかった。母ちゃんに聞いたら、「かな、かねー」と話していたが、金物屋に友人が聞いてくれた。
「宮古の年配の人は「さいかな」(あるいは「さいがな」)と言って買いに来るけど、若い人は、「人参をシリシリするもの」と言って買いにくるよー」と話していたそうだ。(シリシリという言い方は、沖縄本島からきたと思うが、スリスリするの意。宮古で言うとガースガース?「人参シリシリ」と言えば、その料理名のことも指すくらいポピュラー)
さて、「さいかな」の「かな」は、金物のかなだと思うが「さい」は、ナンでしょう?細かくするの「細」?分かる方、ならあしふぃーるー。(おしえてくださいねー)
実家にも、何十年も使われている「さいかな」が二つある。細長い板の真ん中あたりが金属になっていて、そこに直径3ミリ〜5ミリくらいの丸い穴が横に4個くらい並び、それが5列くらいあるものである。
「さいかな」は、どんな料理の時に使われるか。
まずは、代表的な「人参炒め」(さっきの人参シリシリですな)これは絶対どこの家庭でも作っていると思う。人参を「さいかな」で千切りにし、油で炒める。しんなりしてきたらダシ(ダシの元でもOK)を入れ、蒸し煮にする。仕上げにしょうゆを入れ、卵でとじる。以上。シンプルだけど、人参の甘みが出て、んまーんま(おいしい)
この人参炒めは、やらびぱだ(子どもの頃)、よく食べていた味なので、学生時代、内地で食べられなくて、かーきていた。寮を出て一人暮らしをするようになったら早速、金物屋に行き「さいかな」を探した。でも、とぅみらいん(見つからない)・・・やっと探し当てたのは、穴の小さいもの。へ?内地の人は、ナニで「人参」をスライスするわけ?(当時はポピュラーな料理だと思っていたのだ)ま、仕方ない、これで作ろう。いつものとは違ったけれど、涙がこぼれるくらい懐かしい味がした。
それから、「まんじゅう炒め」も、この「さいかな」で千切りしたものに限る。(「まんじゅう」とはパパイヤのこと。パパイヤが熟す前の青いのを野菜として食べる。これ沖縄では常識)
ばんたがお父どま(ウチの父上ときたら)「ばやー、かに しー ぴぐむぬしか ふぁーんどーや(おいどんは、「さいかな」で、すったものしか口にせんぞよ)と、のたまうくらいなのだ。
作り方は、人参と同じようだが、卵ではとじない。まんじゅうの他に千切り昆布などを入れても、上等。
それから、我家では、さつまいも(生の)を「さいかな」ですり、水にさらしてアクを取り、油で炒め、砂糖、しょうゆで甘辛くしても食べていた。これも大好きな一品。
別に「さいかな」じゃなくても、包丁で千切りにすればいいさいがーと思うあなた、チ・チ・チ(人差し指を振る)
包丁で切ったものと「さいかな」ですったものとは、味がじぇんじぇん違うのである。味が染みこんでいるというか、なんというか。ともあれ、違うのだー!(ヤケにならんでも)
それにしても、この「さいかな」という道具の出現により、沖縄料理に革命が起きたと言っても過言ではないかも。
誰が発明したのか知らないけれど(たぶん内地から入ってきたと思うが、《内地では、主に切干大根を作る道具として売られているとのこと》友人によると台湾でも作られているらしい)沖縄でこんなに売れるとは思っていなかったはずね。(たぶん、この先も売れ続けると思う)
沖縄でも最初は、切干大根(宮古では、かんぴょうと言う)を作るのに使っていたと思うが、誰かが、人参やまんじゅうもそれでやってみたんだはずね。そしたらそれがすごく美味しい。そしていつの間にか、沖縄全土を席巻した。(私の想像)
おばぁが若いころも使っていたと思うから、テレフォンショッピングもみのもんたの番組もない時代にすごいことではないか。「さいかな」バンザーイ。
そして、ついにここ東京でも「さいかな」を見つけた。わたしゃー、小躍りしたね。実家にあるような、穴の数が多いものではないが、ウキウキである。
人参も新物が出回ってきたし「人参炒め」やるかなー!(腕まくり)
ジョン・万次郎!と風邪の特効薬
神童(平良市島尻出身)
バンジローとお読み頂きたい。
このバンジロー。グワバね。古くから整腸作用があると伝えられている。お腹を下し気味の人には持ってこいなんだけど、そうでない人は強烈な便秘に見舞われる。
奴がこっちを見ている。物陰に潜んで俺の動きを見つめている。俺が動き出した時点で何らかの行動をとるつもりだ。今日こそは言ってやろう。俺を舐めんじゃねえぞ。犬!
と言うことで、今年6歳になるも小学校に入学する予定もなく、将来にわたって学歴が全く向上する予定のないうちの馬鹿犬が便秘だ。散歩にいくともよおして踏ん張るものの固すぎて外に出てこない超引っ込み思案・うすんきゃー・ひきこもりなうちの馬鹿犬のう○こ。
必死に踏ん張る馬鹿犬。強烈に痛いらしくぎゃんぎゃん泣きわめく。通りすがりの車はスピードを緩め、近所の主婦は窓を開けて辺りを窺う。飼い主はいたたまれないぞ。
このような話の後で申し訳ないんだけど、風邪の特効薬を伝授しよう。
スーパーで魚のあらを購入し、ガスでこんがり焼いた後、お湯にぶりんかす!塩を入れて醤油、宮古味噌を入れてがんがん煮る。宮古味噌は煮染めても塩辛くならない。また、結構多めに入れても大丈夫。
あとは食べる前にお碗にたっぷりのヨモギ。ヨモギは宮古島では貴重なんだけど内地は線路際や堤防の土手に無造作に生えてるさーね。このみそ汁三食で風邪は治まっていく。味噌は宮古味噌に限ることを付け加えておく。
なお、魚のあらは白身魚に限る。養殖の真鯛のあらが安くていいぞ。
いす゜にゃー(西隣りの家)の母ちゃん
あば本舗(下地上地出身)
職場の放射線科には、毎日様々な検査や治療を受ける患者さんが出入りする。
つい先日。腹部血管造影の検査予定表に「○平○○子」という名前が載っていた。
○平・・・、それは、高校生まで過ごした下地町上地(現在は下地上地)、我が家の いす゜にゃー(西隣りの家)の姓である。私にとって懐かしい響きをもつ名だったが、宮古とは限らないよなぁーと思っていた。
その日、私はたまたまアンギオ(血管造影)室担当になった。入院病棟の看護師に付き添われ車イスで入室して来たその女性は、みぱなぁ っふぉーっふぉしー くぱりている(顔色が暗くこわばっている)。
「気丈な方ですが、不安が強いようなのでよろしくお願いしますね。」病棟の看護師はそう耳打ちして出ていった。
女性は、しっかりした足取りで検査台に上がり横になる。
私は口頭で注意事項や検査についての説明をしながら、手はドクターが検査を始められるよう手早く準備を進めた。短い間に全てのことをさっと終わらせなければいけないのだが、女性はあれこれ質問してくる。
「看護師さん、あの機械は何ですか?検査を受けながら、私もいろいろ見ることもできますかね?もしも気分が悪くなったらどうすればいいですか?」
確かに。緊張が強いせいか多弁になっている・・・。
おごぇ、何かよまずと思った(思っただけです)が、気を取り直してマスクを外し顔を見せながら接することにした。
「ここは機械が多くて殺風景なので少し怖いですよね?」といいつつ、世間話も交えながら進めることにした。
そして「○平さんは、宮古の出身ですか?」と訊ねてみたところ、私は佐敷だけど、主人が宮古の下地出身ですという。え?下地のどこですか?上地というところだと聞きましたよーと思わぬ方向に会話が弾む。
私は、あっ!○平って、じょーがー(屋号)だ!と飛び上がった。そうだ。我が家の屋号は しょうどうやー(昌道という父の名)で、確か いす゜にゃー(西隣りの家)が、じょーがーと呼ばれていた名前だ!
そこには男兄弟がたくさんいて、うちの兄達と うかーすきなり(とっても)仲が良かった。
検査を受ける女性は、じょーがーのお嫁さんだったのである。
「○平さん、私は子供のころご主人の実家の野菜を食べて大きくなりました。言葉に尽くせないくらいお世話になりましたよ。」と躊躇なく話しかけた。女性のほうも固まっていた表情が柔らかくなり、旦那様との馴れ初めを話し出す。
「最初は私の実家から反対されたけど、主人の優しい人柄を分ってくれてねえ。」二人で下地や上地の話に夢中になり、気がつけば検査のことをすっかり忘れていた。
その様子を遠くから見つめていた担当ドクターは、「あのー、もう検査を始めてもいいですか?」と苦笑いしている。
検査はスムーズに終了し、女性は病棟へと戻っていった。
後片付けをしながら、子供のころを思い出し胸があったかくなるのを感じた。くまかま vol.93(2005年2月3日発行)の「ばんたがやーぬつかふ12」に書いたように、貧乏だった我が家族を当たり前のように守ってくれた隣近所の人びと。
特に数年前に亡くなった いす゜にゃー(西隣りの家)の母ちゃんが、本当の親子のように優しくしてくれた事を決して忘れたことはない。それなのに今まで何の恩返しもできず、一度もお礼さえ伝えていなかったことがずっと胸に引っかかっていた。
けれど、思えば叶うというのはこういう事だろうか。
あの日、偶然に検査を担当したその女性は何と、いす゜にゃー(西隣りの家)に縁ある人だったのだ。
その人を通して懐かしい じょーがーの母ちゃんに会えた気がして、だいず ぷからす(とても嬉しい)気分に浸れた私であった。
新里教室忘年会のお知らせ
菜の花(伊良部町仲地出身)
今年も残すところあとわずかとなりました。早いですね。
今年も恒例の新里教室忘年会を行います。
「宮古上布」についての講義のあと、食事会となります。
日 時 | 2008年12月21日(日曜日)13時より |
場 所 | 渋谷リフレッシュ氷川 2階会議室 (03−5466−7700) |
会 費 | 2500円〜3000円予定(弁当・飲み物・会場費含む) |
申 込 | 菜の花(nanohana617@hotmail.com) 松谷初美(kumakama@mbp.nifty.com) |
一年間講義してくださった新里博先生と、資料作りをしてくださる奥様へ感謝を込めて皆で一緒に学習できた喜びを、分かち合える時間にしたいと思います。
新里教室に興味関心はあるけど参加するきっかけがつかめずにいる方にはお勧めです。
尚、お弁当の用意がありますので必ず申込みをお願いいたします。
多くの参加をお待ちしています。
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
日に日に、日が陰るのが ぴゃーふなり(早くなり)、冬が近づいてきていますねー。
11月上旬に、叔母(母の妹)が亡くなり、宮古に帰っていました。夏に会ったときは、普通に元気だっただけに、何だか信じられない思いです。
でも、悲しいことがあったその後も、こうやって当たり前のようにメルマガの原稿を書き、ごはんを食べ、仕事をし、普通に生活している。
12月1日(月)付けの宮古毎日新聞に神童が「『おくりびと』観た!」と題して、映画「おくりびと」のことを書いていましたが、私も観ました。
この映画は、亡くなった人を棺に入れる前に、きれいに拭き、着替えさせ、化粧をして、納棺することを職業(おくりびと)としている人の話である。最初はこの仕事の意味が見出せなかった主人公も、徐々に、この仕事に誇りを持つようになる。お作法のようなきれいな手さばきは見事だ。この映画のすごいところは、食べることも死ぬことも同列に描かれているところだと思う。チキンをむしゃむしゃ食べるところに私は感動する。人とはそういうもので、「生きる」というのはそういうことかと思った。親子の関係など、感動の話も。「シネマパニック宮古島」で12月12日(金)まで上映中との事。まだの方ぜひ。
さて、今回のくま・かまぁ のーしがやたーがらやー?
この間、宮古に帰ったときに、まんじゅう炒めを食べ、つくづく「さいかな」は、すごいぞと思い「『さいかな』の活躍」を書きました。あなたの家に「さいかな」はありますか?
この時季、感冒をしている人が多いみたいですね。神童の「ジョン・万次郎!と風邪の特効薬」は、夏に掲示板に書いてくれたものですが、神童の「魚のあらの味噌汁」はぜひお勧めと思い、メルマガでも掲載しました。
あば本舗さんの思いがけない出会いの話し、気持ちがだいず伝わってきて、ジーンとしました。そして、vol.93(2005年2月3日発行)の「ばんたが やーぬつかふ」http://www.melma.com/backnumber_33637_1630629/の話も思い出しました。こちらも合わせてお読みくださいね。いす゜にゃー(西隣りの家)の母ちゃんもこんな風に書いてくれて、きっと喜んでいるんじゃないでしょうか。
新里教室の忘年会、初めての方でももちろんOKです。楽しめること間違いないですのよ、お気軽にご参加くださいね〜。まちうんどー。
今号のあなたの感想も、ぜひお聞かせくださいね。
次号は、12月18日(木)の予定です。
今年もいよいよ残り、わずか。元気に年を越しましょうね〜。
あつかー、今年最後のメルマガ発行日、18日に〜!