こんにちは〜。初夏のような陽気が続いている東京です。
宮古ではもうすでに海開きも終って、夏びゃーやー。
今回も暑くて熱い宮古のぱなす(話)が、やまかさどー。
vol.194、始まり、始まり〜。
我らの余興に愛を込めて
Motoca(平良出身)
びきどぅん が たうきゃー(男性がひとり)、ワゴンを押してステージに登場する。ワゴンの上には んな たうきゃー ぬ びきどぅん(もうひとりの男性)が乗っている。ステージの中央で止まると、ワゴンを押していた方は見えないポンプを押し始める。するとそれに合わせて、ワゴンの上にいる方が、ながーなが の(長〜い)バルーンをふくらませ始める。
ひとつ、バルーンの口が結ばれると、みどぅん(女性)が たうきゃー、流れている軽快な音楽に合わせてスキップしながら舞台袖から現れる。そのまま舞台中央でバルーンを受け取り、少し端に寄って、なにやら風船をひねり始める。ふたつ目の風船の口が結ばれると、んな たうきゃー ぬみどぅんが(もうひとりの女性が)反対側の舞台袖からスキップしながら現れ、同じように中央でバルーンを受け取り、彼女もまたそれをひねり始める。
3つめのバルーンがふくらむと、ひとり目が出たのと同じ舞台袖からまた みどぅんが たうきゃー、姿を現す。彼女はバルーンを受け取って舞台中央で風船を輪状に結びはじめる。こちらは、淡いピンクの風船だ。
やがて、先に登場した ふたーず ぬ みどぅん(二人の女性)は、なにやら小さくまとまったバルーンを手に、舞台中央にやってくる。3人目が作ったバルーンの輪の左右に、手にしたものをくくりつける。
ひとつは黄色のバルーンでできたプードル。もうひとつは、緑色のバルーンでできたダックスフンドだ。2匹の いんがま(犬)が、くくりつけられるのを待って、バルーンの輪を作っていた彼女が、輪の頂上をぐいっと曲げる。輪がハート型になる。さらに、輪の中で向かい合った いんがまの鼻先にある、バルーンの結び目どうしをきゅっと結びつける。ハート型の中で、2匹の犬がキスをしている作品ができあがる。
3人はそれを一度高く掲げてみせると、ステージを下り、正面に向かって歩いてゆく。その先には、この日結婚式を挙げた、新郎新婦が座っている。彼らに、その作品を届けるのだ。
その頃、ステージに残った びきどぅん ふたーず(男性2名)。うちひとりが直径7〜8センチのボール3つでジャグリングを始める。時々ボールを膝の下にくぐらせたりして、喝采を浴びている。
そこにもうひとりが、いろんな大きさのボールをトスする。ハンドボール、バスケットボール、バランスボール・・・。ジャグリングは続けられる。どう見てもアンバランスなものが宙に舞っているのに、表情ひとつ変えずに彼はジャグリングを続ける・・・。
3月の半ばの日曜日に、高校時代の親友が結婚式を挙げた際、その披露宴の余興として、そんな出し物をやった。題して「まるい形に愛を込めて〜バルーンアート&ジャグリング〜」。新婦の高校の部活仲間代表としての出演だった。
この出し物、ちょっと変わってるでしょう? 実は、このメンバーのうちの一人、見事なジャグリングを皆の前で披露した友人が、大学時代に大道芸サークルに入っていたのだ。その彼の指導あっての余興だった。
たびたび全国のメディアでも紹介されるが、沖縄の結婚披露宴は余興が多い。どの結婚式場にも、余興のための立派なステージがある。緞帳だって付いている。そこで新郎側・新婦側双方の親戚代表、友人代表、同僚代表らがつぎつぎに、歌、踊り、楽器演奏、コントなど、様々な芸を披露する。ういがどぅ(これこそが)、披露宴のメインイベント!といっても過言ではないはずよ。
実は私、披露宴の余興をやるのは初めてだった。事前の仕込みも含めてすべてが初体験である。ひとつひとつが楽しくもあり、想像もつかない本番のことを考えては勝手に不安になっていたりもした。前置きが長くなりましたが、今回は余興本番までの舞台裏をご紹介しましょう。
この披露宴で余興をやることが決まってから、真っ先に直面した問題は、事前の練習時間がほとんど持てないことだった。私ともうひとりの内地在住メンバーが沖縄入りするのは披露宴の前日。全員がそろって練習できるのはその一日だけである。そこで、事前に解説DVD付きのバルーンアート入門セット(ホームセンターで千数百円で買える)で各自、ちょっとは練習しておこうということになった。
私も、那覇に行く一週間前にバルーンキットを買った。仕事から帰ったあとに早めに食事やら風呂やらを済ませ、寝るまでの時間を使って練習した。
細長いバルーンをふくらませて口を結んだら、作業開始である。まずはバルーンを一箇所、左手でぐっとつまむ。そのすぐそばを右手でつかみ、くっくっとひねってバブル(小さな玉)をつくる。このバブルの大きさを変えたり、ふたつまとめてさらにひねったり、間に通したり、カーブさせたり、という作業の組み合わせで、いろいろな形ができる。やってみると、なかなか うむっしむぬ(おもしろい)。DVDを見ながらひたすら、曲げたり、ひねったり。余興の練習という以上に、楽しくてはまってしまった。
しかし、バブルのサイズ調整が思ったより難しい。動物を作ると左右の耳のサイズが違ったり、前足と後ろ足の長さがアンバランスになってしまったり、いびつになってしまう。バブルの大きさを直そうとして、ひねった箇所をほどいてやると、ぶずーと音を立てて風船がしぼみ始める。ぴーきた(穴が空いた)のだ。すかさず、隣で見ていた弟から「ぴーぴしゃ!(屁こき!)」と突っ込みが入る。あらん!(ちゃうわ!)。
かと思えば、こんどは、パァン!と派手な音を立てて、ぱずきる(割れる)。バブルに空気をぱんぱんに詰めすぎたり、バブルを曲げる力の加減を間違えると、すぐ、ぱずきる。結構な頻度で だいばん(大きな)破裂音を ばみかし(響き渡らせ)ていた。やってしまってからふと時計を見たら、深夜一時台だったりして。
同居の妹と弟には だいず んぎゃますき(大変やかましい)騒音だったはずね。安眠妨害な姉でした。ついでに近所迷惑でもあったはず。マンションの上階と隣室の皆様も、すまんどー!(ごめんねぇー!)
気がつくと部屋の床の上には、バルーンで作った動物たちが散乱していた。犬にウサギに、キリン、オウム、白鳥、クマ、サル、などなど。あがじゃ、くまー、すきゃーり まっちゃがま・・・あらん、すきゃーり動物園がら?(あらま、ここは散らかり商店・・・じゃなくて、散らかり動物園か?)
いびつな試作品たちを片付けながら、本番までにちゃんとできるようになるんだろうかと不安になってきた。いや、意外と難しいということが先に分かっただけでもいいか。気を取り直して、ZOO・・・じゃなくて、ずー(いざ)、うくなーんかい(沖縄へ)。
披露宴前日の土曜日、昼過ぎに那覇に到着した。それぞれの用事が終わる夕方に集合。教員をしている友人が、勤務先の体育館を練習会場として使わせてくれた。出演メンバー5人が、ここでようやく顔を合わせる。ちなみに全員独身だ(あば?)。
最初で最後の合同練習。まずは簡単に構成を話し合い、それぞれが担当する作品を決める。それから2〜3時間、ひたすらそれを作る練習をした。プードルを作り続ける私。ダックスフンドを作り続ける友人。ハート型を量産し続ける友人。男性陣は私たちの練習につきあいつつ、ジャグリングのネタを詰めていた。
高校を卒業してから、数えるぐらいしか会っていない友人たち。特に、ジャグリング担当の友人とは11年ぶりの再会だった。しかし、そんな長い時間もどこかへ行ってしまったかのように、話は弾んだ。高校の部室に座り込んで、みんなでいつまでも喋っていたあの頃に戻ったみたいな気分になっていた。
最後に体育館のステージで通し練習を行い、解散したのは深夜2時に近かった。
さて、披露宴当日。結婚式が午前中にあり、披露宴は昼過ぎからである。その合間の時間、会場の下見に出向いた。披露宴の会場は準備の真っ最中。会場スタッフがテーブルを整え、花や食器を揃えている。おーい、準備中の会場に入り込んでいいわけ?と躊躇したのは一瞬。よく見ると会場内には余興出演者とおぼしき姿があちこちらに見える。ステージ上で立ち位置を確認していたり、会場からの見栄えや音の響き具合を確認していたり、音響・証明のスタッフと打ち合わせしていたり、準備に余念がない。我々もその中に入り、確認や打ち合わせを済ませ、荷物をステージ裏に運び込んだ。
学校の体育館の半分以上はあると思われる広さの会場には、円卓が がふ(びっしり)と並べられていた。200人ほどの規模になるだろうか。そういえば、沖縄式の披露宴って、人数がものすごく多いんだ、ということを思い出した。えー、うすきな ぴとぅぬ きゃぬ 前ん立ち(これだけの人たちの前に立って)余興をやるわけ、私ら。だんだん緊張してきた。しかし沖縄在住の友人にいわせると「これはまだ少ない方」とのこと。
そして披露宴が始まった。私たちの出番は早めの方だったので、乾杯をしたあとすぐにステージ裏に移動した。ステージの裏で円陣を組んで、小さな声で気合いを入れた後、本番に望んだ。
練習ではなかなかうまくいかなかった、プードル。ぴーきるなよ、ぱずきるなよ、と頭の中でずっと唱えていた。幸い、風船は割れることもなく、バランスもいい感じで、無事に完成した。あとで写真を見たら、私の顔、緊張でだいず引きつっていたけど・・・。
ジャグリングは大喝采を浴びていた。さすが元・大道芸サークル。えげー、なーにが「久しぶりにやるから心配」かよ。だいず、見ーずみ(見応え満点)さいが。
ジャグリングが終わる頃、新郎新婦にバルーン作品を手渡しにいった我々女性チームもステージに戻る。そして最後に、用意していた横断幕を広げる。横断幕に書いた新郎新婦へのメッセージを、皆で読み上げたところで、おしまい。
すべてうまくいった。緞帳が下りるまでずっと聞こえていた拍手が、嬉しかった。
結婚式の余興といえば、歌かダンスである場合が多いので(伝統舞踊などもカッコイイのですが)、こういう大道芸的な出し物は異色であったと思う。でもそれが逆に、インパクトになったと思う。
「とりあえず、新郎の同級生チームには勝ったよな。」打ち上げで、そんな話になった。そうだ。沖縄の披露宴の余興は、まるで勝負事なのだ。いかにして披露宴を盛り上げるか、競っているような気がするのだ。
伊江島の伝統舞踊を披露した新郎の親戚一同。ハーモニカを演奏した元気な80代のおじぃ。新郎も飛び入り参加した、新郎の友人たちのダンス、声楽の道に進んだ我らのもう一人の部活仲間による、ア・カペラのアメージング・グレース。どれもこれも本当に、素晴らしかったのだ。そこに参加した私たちにとっても思い出深い披露宴だった。
高校時代からの付き合いがあるこの仲間うちから、ようやく一人が結婚した。さあ、次は とーいりゃー(誰かな)。がんばろうねー、んなだ独身の どぅすぬきゃ(まだ独身の同志たち)よ。して、誰かが結婚するときはまた、んーなし うがなーり(みんなで集まって)、余興をやろう!
下地勇さんの曲、岩崎宏美さんが歌う!
松谷初美(下地町高千穂出身)
深夜のNHKラジオから岩崎宏美さんの澄んだ かぎーかぎぬ(きれいな)歌声が流れてくる。
♪風が止んで 雪が溶けたら
埋もれていた道も
春の光に 包まれて
歩く私を 待っている
新たな一歩を踏み出すこの季節にぴったりの曲「陽射しの中で」のフレーズだ。この歌を作ったのが ばんたが(我らが)下地勇さん。
あの岩崎宏美さんが下地勇さんの作った曲を歌う!?びっくりするやら、うれしいやら、感激するやら。
勇さんは、岩崎宏美さんと同じインペリアルレコード(テイチク)に所属していて、岩崎宏美さんがアルバムに入れる新しい曲を募集していることを知った。「採用されないかもしれないけれど、岩崎宏美さんに聴いてもらえるだけでもうれしい」と、「希望が湧いてくるような曲」というアルバムのコンセプトを元に「陽射しの中で」作り、デモCDを送ったのだそう。
「僕は舞い上がっていました。なんてったって、NHKしか映らなかった時代の、島の僕らのヒロインなんですから」
その曲が岩崎宏美さんの制作ディレクターの方に気にいられ、そして、最終的には岩崎宏美さん本人が決め、アルバム「Thanks」(5月20日発売予定)の中に収められることに!
それだけではなく、NHKラジオの人気長寿番組「ラジオ深夜便」の「深夜便のうた」(4月〜6月放送分)にも選ばれたのだ。
両方の ぷからす(うれしい)ニュースを聞いた勇さんは「夢じゃないだろうか」と、とても信じられない気持ちがしたそう。そして「岩崎さんの声になって『陽射しの中で』の音源が届き、何度も、何度もくり返し聴きました」と話す。
この曲が「ラジオ深夜便」で流れるまでに、そんな経緯があったとは、正直びっくりだった。頼まれて提供したと勝手に想像していたのだ。勇さんの素直な喜びがひしひしと伝わってくる。
いろいろなことに挑戦し努力をすることを怠らない勇さんだからこそ、そこから生れる歌には、しなやかな強さがあり優しさがあるのだろう。「陽射しの中で」の詞にもメロディにもそんなものを感じる。
「5月20日のリリース日には、親にプレゼント用のCDを買いに行こうと思います。」勇さんは最後にそう話した。
♪春のせせらぎ 同じ景色でも
流れる水は 新しい
「陽射しの中で」を聴いていると 岩崎宏美さんの清々しい声がストーンと届き、だいず心が軽くなってくる。日々いろいろなことがあるけれど、さー、頑張っていこう〜。
「陽射しの中で」ぜひ、あなたも聴いてみてください。
※♪の部分は、「陽射しの中で」作詞・作曲下地勇 より抜粋。
伊良部高校と春高バレーと
菜の花(伊良部町仲地出身)
3月20日。春高バレー開会。
この日、伊良部高校は第一試合で日大山形と対戦することになっていた。あそぅが(しかし)、チケットをまだ手にしていない私と夫。すとぅむてぃ しゃーは(朝早く)からまるでなんかのスイッチが入ったように、超スピーで支度して出かけた。
渋谷駅から歩いていくことにしたが、進行方向が同じ人は んーな(みーんな)代々木体育館に向かっているようでつい早足になる。
会場に着くと、おごえ〜!(ありゃ〜!)なんともすごい行列!体育館をぐるりと囲んでいる!試合観戦に間に合うかね〜と、やきもきしながら並んでいると雨まで降ってきた。おまけに風も強くて ぴしーぴし(さぶっ)。やっとがま伊良部の知人、初美とも合流でき、チケットも手にいれた!あがい〜!うむやすむぬ。(ふ〜!やれやれ)
しかーし、開会式で会場は満員のため入場規制がかかった。アガイ、また並ぶことに。雨で服はビショビショ。手は冷たく、ぴしさしぃ(寒さで)ぱんだる(鼻水)まで出てきた。でも、そんなのどうってことないほどに、つむや どぅかどぅか(心はドキドキ)。
前日、NHKで伊良部高校バレー部の番組放送を見ていたこともあって、伊良部の子どもたちに わいど〜(がんばれよー)と声援を送りたい気持でいっぱい。並んでいる列からも、伊良部高校を激励する声があちこちから聞こえる。見るだけで間違いなく宮古人とすぐわかる。とにかく絶対性をもってこの人は宮古人です!と認識できるのだ。郷里意識の強さではぴさらずま(宮古本島)は一番!いらう(伊良部)は最も一番!
ようやく会場に入ることができ、いざ!伊良部の応援席へ。赤い布に「伊良部高校」と書かれた幟が目についた。席に座るまでに、たくさんの同窓生や知人にも会った。久しぶりに会うので ぷからっさ〜(嬉しくて)、懐かしくてもう つむぷからすむぬ(胸がいっぱい・心から嬉しい)。はしゃぐわ、笑うわ、抱きつくわでみんな大興奮。あ、特に私?!
いつまい(いつでも)うなーどぅゆ(自分を)丸ごと出せて、また受け止めてくれる郷里の人々の温かさったら。伊良部に生まれてよかった〜と、思いつつコートを見たらば!練習中の伊良部の子どもたちの姿が!
あがい〜!まいふかぬきゃ〜〜!(あ〜!なんていい子たちよ!)ダメです。無理です。泣いてしまいます!まだ試合も始まっていないうちから、破裂しそうなくらいの感動に みーまい つむまい(目も心も)うるうる状態。
試合が始まると、日大山形の選手は背が大きくて、伊良部の選手が小さく見える。大丈夫か?!伊良部・・・。すこしがま不安になる。
でも、伊良部の選手はそんなこと少しも気にならないという勢いで、サーブやアタックやブロックで一点一点と勝ち取っていく。うりゃ〜!ひやさ〜!あた〜〜っく!
試合を見ながら、私の心もコートの選手たちと共に闘う。手が痛いのに気づいて自分の手を見ると、祈りのポーズでしっかりと手を組んでいる。しかも指が手の皮に喰い込んでいるじゃないか〜。痛いはずさ〜。緩めれどまたしっかりと握られるこの手。点を取るごとに、指笛が響き、パーランクーが打ち鳴らされ、人の歓声と拍手が湧き起こる。私の鼓動もパーランクーより早打ちされる。涙を拭ったり拍手をしたりともう大変。ダイズ大忙し。
こうして試合は2ー0で、伊良部高校が勝利を手に第一戦突破した。応援席のあちこちでは喜びの踊りを踊る姿が見えた。私も自然と手足が動いて踊っていた。人はあまりにも嬉しいと、じっとしていられないのだとつくづくと感じたさ〜。
会場の出口にたどり着くまでにも、知り合いの顔が見えるたび喜びの声を交わす姿があった。どの顔もどの顔も皆笑っていた。うれし涙を浮かべていた。そんな光景に、なんとも言えない満ち足りた気持ちで会場を後にした。本当に最高の一日だった。
翌日は夕方から東京の駿台学園との対戦。行かんとならん!そんな気持ちで会場に向かった。さすが、東京の高校だけある。選ばれし勇士が集う学園なのか、昨日の日大山形よりも背が大きい選手が目立った。
その大東京の高校生相手に、小さな小さな伊良部島の子どもたちが挑むのだ。自然環境には恵まれていたって、練習環境的には決して恵まれているとは言えない伊良部島。しかし、アララガマ精神を目でみるような粘りの試合だった。
結果は2ー0で負けてしまったけど、試合に向かう気持では負けていなかった。勝ちたい!勝って帰るんだという思いが、応援席にいる観客にもビシビシと伝わってくるものがあった。
試合終了を告げるホイッスルが鳴ったとき、応援席の人々は誰が声に出したわけでもないのに全員立ち上がった。選手たちの大健闘に心からのうぽーぷぬ(大きな)拍手を送った。感動をありがとう!伊良部の子どもたちよ、よく頑張ってくれてありがとう!また来年、このコートにおいで!また応援をさせてくださいね。
やーんかいぬ んつ(帰り途は)つむがまらさ(悔しさ)よりも、良く頑張った子どもたちへの感謝の気持で んてぃーんてぃ(一杯)だった。やらびぬきゃーはぁ(子どもたちに)なろう(学ぶ)勇気、ひたむきさ。みんなひっくるめて感謝をした。大都会の高校生に互角で挑める伊良部の子どもたちを誇りに思った。
東京出身の夫が、私以上に伊良部の子どもたちを褒め称えることも嬉しかった。それを言うと、「あ、俺、東京出身だった。今、気づいた・・・」って〜。もう遅いよ。
宮古の風が吹いている。〜生活雑記、もろもろ〜
宮国優子(平良下里出身)
『読めば宮古!』をまとめていたとき、お気楽な私は内輪の文集作りのノリで「宮古、おもしろい」と狂喜乱舞していた。発売してから、読んでくださる方がたくさんいることに驚き、うれしいというより躊躇してしまいました。
前後して私は初めての妊娠・出産・育児で日々まともなフォローが出来なかったことを今でも心残りに思っています。「かないむぬ」(何でも器用な人)から一番遠い私にはすべてが手一杯。なんであの宮古のおばぁたちのゆるやかな子育てのDNAは受け継がなかったのか恨むくらいでした。毎日やってくる初めての経験に始終カリカリしっぱなし。神経質で感じ悪い人だったと思います。関係者の皆様、すいません。今更だけど。でも、今もだいず短気だけど。
私の人格まで変えた娘がおかげさまで小学校に入学しました、だいずやっと。当時、個人的に宮古フィーバーだったので、「ひらら」と名付けた我が娘。毎日少なくとも十回は泣いているという、この親にしてこの子ありの一風変わった色黒の娘に育ちました。
入学式当日、私は娘が泣かないかとハラハラしながら感動の涙を流すわけでもなく、つい仰々しい「君が代」に過剰反応してしまいました。悩んで歌えんかった・・・。平一小を思い出そうとしたけど、暑かったな、くらいしか思い出せません。あと。靴下がフリフリレース(母の趣味)でかゆかったことくらいしか・・・。でも校歌は踊り付きでまだ歌える。
娘の通う小学校は一学年二十人足らず。今年度は珍しく二十五人という多さ。児童数は区内で一番少ない。雰囲気としては西里通りに小学校がポンとある、というのをイメージしていただけるとうれしいです。(実際はそんなものはありませんが)。この規模が平一小出身、一学年三百五十人だった私にはなんとなくうれしい。
高校の時、小さめの中学校から来ていた人たちの横のつながりが強固だったのに感動したからだ。平一小、平良中は仲が悪いとは思わないけど、あそこまでの全体的なファミリーなつきあいはなかったように思う。やっぱり くきーくきー(生意気、気取り屋)な所はあると思うのです。うちの娘も若干 くきーくきなので、この小さな小学校で幸せになってほしい。
そして、今、この にうだる&だる(ねぼすけ&なまけもの)と二重苦の私が早朝にお弁当を作っています。放課後は学童に行かせているのですが、色々かってがわからん。そりゃそうだ、私たちは高校生のときは家でご飯を食べ、シャワーまで入ってきた人種なのだ。弁当なんか作ってられるかーと暴れたいです。いいえ、実際暴れてます。
加えて宮古関連が異常に忙しいのです。「どうしたか?宮古島!」と叫びたくなるほど。春高バレー、環境モデル都市、ダイビングフェア、各郷友会などなど、春はいろいろ動き出す季節なのか?去年はだいずひまだったのに。
国交省の「島の宝100景」に伊良部佐和田の民間ジェットパイロット訓練空港「下地島空港」が選定されたし、七月に行われる「東京の夏音楽祭」では宮古島からの総勢二十人が神歌、古謡、アーグ(綾言)の歌声を東京に響かせる。盛りだくさん宮古島。まじで、今までにないおごぇ級。
ユニークだなぁと感じるのは「祭祀」や「言葉」の東京での注目度。都会の人は精神的に宮古に魅入られ、心で宮古島に旅をしている。そんな風に感じる瞬間がある。「宮古独自の精神性が人や時代をつなげていく」新しいうねりを感じる。ただの南の島・宮古島ではなく、人が暮らしと祈りがいっしょくたの島。その精神性は今、この時代だからこそ求められているのかもしれない(かなり妄想)。私はそのことを感じる度に体中から熱いものがこみ上げてくる。
同時に取材先で『読めば宮古!』を読んでくださった方に多く会うようになった。島を訪れた時に運良く(悪く?)購入してくださったようだ。あの本を作っているとき、私たちが考えていたのは「宮古の人が思う宮古のおもしろさを書いておきたい」ということ。生活や風俗よりも書き手のつぶやきがメインだった。宮古へのラブな気持ちでしかなかった。愛憎込みでという側面もあるけれど、これも宮古の精神性から遠くはないと思う。
皆さんが口々に言う。「宮古は熱い!」と。宮古にしかない「何か」を感じてくださっている。宮古を優しいまなざして見つめている。宮古人としてはなんだか だいずどぅぐりーなので、お茶を濁すけど。いや、印象としてはひっくり返しているかも。市内ふつでしゃべってもいいかなーとついついガードが甘くなる。ちなみにもっとディープな宮古を知ってもらうために『くまから・かまから 宮古島方言マガジン傑作選』をおすすめしてます。
題名を繰り返しますが、日々、私のまわりは宮古の風が吹いています。
春高バレーで伊良部高校が東京の有名校に負けた直後にご父兄に電話取材を行った。「全国の晴れ舞台に出られた息子たちを誇りに思っています」と話してくれた。負けた理由をあれやこれや分析せず、ミスをなじらず、その親御さんは「すごい子どもたちでしょう」と言わんばかりだった。これからもずっと支えて行く、と話してくれた。
私は携帯電話を握りしめたまま、百人近いプレスが集まる場所で不覚にも泣き出しそうになった。「泣いてばかりの娘は小学校で大丈夫か?」が悩みの種だった私は、親の無償の愛をこのタイミングで知ること、まわりのたくさんの人に支えられて娘が健やかに育っていること、瞬時にいろんな思いが頭を駆け巡った。「子どものありのままを認める、応援して行く」未熟な私にはまだまだ出来そうで出来ない・・・大きな反省点。今思い出しても涙が出そうになる、あのご父兄の声はしっかりと子どもたちを見続けてきた声だった。いつか私も彼らのようになれるのだろうか?
こうして遠く離れていても宮古に感動して取材し、悩んでいる時には宮古らしいご信託を授かる私。どれだけ宮古の神様から愛されているんだろう、とうぬぼれてしまいます。
神様、早く宮古に呼んでくれ〜。でも、その前に宮古の風がどれくらい東京に吹くかをしっかり見据えるからね〜。
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
宮古では、今度の日曜日19日に「第25回全日本トライアスロン宮古島大会」が行われるんですね。もう、25回目とは。やぐみくとやー(すごいことですねー)。今年もいろいろなドラマが繰り広げられることでしょうね。
さて、今回のくま・かまは、女性ちゃーん(だけ)の登場でしたが、のーしが やたーがらやー?
Motocaさんの結婚式の余興裏話、楽しかったですねー。沖縄の結婚式を見たり、聞いたりしたことない人は、だいずびっくりだったのでは?演芸会か!?くらいのノリです。それにしても、バルーンとジャングリングの余興とはすごすぎです。会場のやんやの喝采も聞えてきそうでしたね。まーんてぃ余興や競争ぱず。沖縄の人はこうやって芸を磨いていくのかも。
下地勇さんの活躍の幅にはいつも驚かされますが、今回の岩崎宏美さんが歌うことについても だいずびっくりでした。その経緯などを聞かせほしいとお願いしたところ、心よく受けてくださいました。感謝です。勇さんは今、島袋優さんとの新ユニット「シモブクレコード」のアルバムを制作中とのこと。6月3日発売予定だそうですよ。こちらも楽しみですね。
宮古の人は熱いと言われますが、さらにその わーび(上)をいくのが、菜の花が書いているように伊良部の人たちです。団結力も つぅつぅで(強く)、人情も火傷しそうなくらい厚くて熱い。宮古をギュっと凝縮したような濃厚な島です。菜の花のふるさと伊良部への想い、島の子どもたちへの想いが伝わってきましたね。私も応援に行きましたが、選手たちの頑張りは、本当に感動ものでした。
「“ばんがむり”と“お下がり”」の話しを優子さんが書いてくれたのは、今から4年前(vol.95 2005年3月3日発行)でしたねー。あの頃、2歳だった“ひららちゃん”がもう一年生になったんですね。子育てをしながらの東京の生活と宮古のことがシンクロして、最後の部分にジーンときました。あして、まーんてぃ「宮古の風」吹きまくりさいがね〜。ぷからすむぬ〜。さー、また んーなしー「東京の夏音楽祭」んかい、ずぅずぅ!優子さん(新聞では菊地優子)の取材記事は、宮古毎日新聞のホームページで見られます。ぜひご覧くださいね。
今回も、しまいぎー ゆみふぃーさまい たんでいがーたんでぃ〜〜。
(今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました)
あなたの感想もぜひお寄せくださいね。
次号は三週間後、5月7日(木)の発行予定です。どうぞお楽しみに。
あつかー、また うぬときゃん いら!