くまから・かまから vol. 196

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 こんにちは〜。
 沖縄は梅雨入りをしたようですねー。
 季節の変わりを感じつつvol.196お届けします。ぬかーぬか(ごゆっくり)お楽しみくださいね〜。

着せ替え人形

大和の宮古人(城辺長南出身)

 んざーの みどんやらびも(どこの女の子も)人形が好きだと思う。私も好きだったが今の様な人形が有ったかどうかは分からない。買って貰った事も無いので平良に行くときにはきっと親が玩具屋さんには近づかなっかたかも。
 
 覚えているのは正月近くになるとどこの店先にもタコ糸で編んだ網に入れられた毬が やまかさ(沢山)ぶら下がっていた。いみっちゃぬ むぬから(小さいのから)だいばん むぬがみ(大きなものまで)赤やピンク、青、など、きつぎがら どう やーたー(綺麗な柄だった)

 あらん きゅうや人形の ぱなすや。(違う今日は人形の話だ)
 
 ばんたが まいばらに(我が家の前の家)頭のよい ぞうぎ(美人)5人姉妹がいた。その家の3女と同級生だったから、長女のネーネーは5歳以上年上だったと思う。
 
 そのネーネーが教えてくれた。(作ってくれたと言うか)その頃人気の少女マンガが2誌有った。「少女クラブ」と「少女ブック」だ。その漫画をモデルにして人形を作る。
 
 (余談だが“ちばてつや”が少女マンガを描いていた。題名も覚えている。「1・2・3と4・5・ロク」だ。5人兄弟姉妹と一匹の犬(ロク)の物語だった。ばんたが うやは(私の親は)漫画など買ってくれる余裕はないから何時も まいばら(前の家)に入り浸りで読んでいた。月刊誌しかなかったから毎月待ちどうしかった。)

 
 まず人形を作る。

 厚紙に(ダンボールは無かったからノートの表紙だったと思う)好きな主人公の絵を描く。みぱな(顔)、からず(髪)、うでぃ(腕)。腕は肩から30度ぐらいに斜め下に伸ばす。両足はまっすぐ下に描いておく。(靴はどうだったか?すっさいん)ネーネーが描く人形は目が大きく長い髪はカールしてフワーと肩にかかり可愛い顔をしていた。
 
 出来上がった人形を丁寧に切り取る。本体はこれで出来上がりだ。これに服を描き入れても其れはそれで楽しいが毎日洋服を取り替えたい。
 
 洋服の作り方。
 
 白い紙(昔はノートしかない)を一枚半分に山折りにする。出来るだけ高さが有ったほうが良い。山折り側を上にして置く。その上に人形を置き、首、肩、腕、スカートの長さに印を付ける。ここで丁寧に印を付けないと洋服と本体がずれて失敗する。
 
 外周に線を引き襟ぐりの部分は切り取れるように半円を描く。次にドレス(服)を描き色を塗る。
 
 終ったら両肩の部分は山折りを残したまま切り取る。(二枚重ねたまま)其のままでは頭の部分が入らないので、後身頃の首の部分に縦に少し切り込みを入れる。
 
 人形を入れるときは前後身頃の間から縦の切込みに頭を入れて正面を向かせれば立派な着せ替え人形の出来上がり。
 
 毎日何回でも着せ替えて、破れたら何度でも書けば良い。沢山作り箱に入れて楽しんだ。
 
 あすがど(だけど)、5人姉妹は絵が上手さ、竹久夢二の絵のように、きつぎ(綺麗な)人形やドレスを描くが、ばやー(私は)絵や配色が苦手で私の人形はオカメかヒョットコか?ドレスにいたっては、印の付け方がいい加減で出来上がって見たらドレスと身体がズレてる。「あがい、ネーネー私には作れんよ」と泣きついて作って貰った。
 
 いつの頃からか布切れで人形を作った。頭、両腕、胴体両足と縫って綿を入れて縫い合わせるが多分両手両足は長さが違っていたと思うよ。要らなくなった洋服をこま切りにしてドレスを縫った。今で言うパッチワークでしょうか。ここでも思い知る。デザイナーの素質がからっきし無い。いつも同じ物しか作れないのだ。簡単服かギャザースカートだ。
 
 この遊びも無駄にはならなかった。学生時代は制服がたびたび買えないのでひだスカートは解いてひっくり返し縫い直して着ていた。
 
 夏休みの家庭科の宿題にスカートを縫って入賞したことも有るが、半分は母が手伝った。(先生も気が付いていたさねー)
 
 今では洋服を縫う事も出来なくなった。パッチワークの小物作りで満足している。凝り性で若い頃は暇があると何かしら縫っていた。昔と違うのは今は数種類の新品の布を買ってきて切り刻むのだ。それから縫い合わせる。
 
 主人に、ワザワザ小間切りにしないで一枚の布で縫ったほうが早いのでは?と言われるが あらん ういがど うむっしだら。(それが面白いよ)模様になるさいがよ。
 
 最近は其れさえもしなくなった。針に糸を通すのが大変だからだ。老眼鏡を使うがなかなか通ってくれない。あがい年には適わん。
 
 まいばらのネーネー有り難う。素敵な優しいネーネーで長女の私は同級生が羨ましかった。十五夜には芝居や踊りも振付けて教えてくれて だいず才色兼備な人だった。(姉が欲しくて7男の嫁になった)

心に残る映画

R(平良西里出身)

 私が宮古島に引っ越した昭和47年、宮古島のテレビではNHKしか見ることはできませんでした。しかも番組には時差があり、お昼には、「おはようございます。」の挨拶で始まるニュースが放送されていました。
 
 時代は かーりー(変わり)、宮古島は、今ではケーブルテレビの番組も見られるようになり、ぐーんとチャンネルが増えました。
 
 宮古の実家に帰った際には、私の子どもは一日中、アニメ番組が見られるので喜んでいたほどです。テレビのチャンネルが増えると映画もテレビで観られるようになったので、最近は、映画を楽しむ機会も増えましたね。
 
 そんな中、心に残る映画を3本、挙げるとしたら皆さんは何を思い浮かべるのでしょうか?
 
 現在、就職活動を行っている最中の私の長女が志望しているアパレル企業のエントリーシートに「思い出に残る映画を3つあげよ。」という設問がありました。
 
 いろいろ観ているはずだけど、私だったら・・・
 
 まず挙げるのは、最初に映画館で観た「バンビ」でしょうか。当時、沖縄本島に住んでいたのですが、父が3歳違いのすぐ上の姉と確か、小学生にまだなっていない私を連れて、宮古島の親戚を訪ねた時のこと。
 
 その時泊まった博愛ホテルの娘さんが、姉と私を映画館(どの映画館だったか残念ながら覚えていません)へ連れて行き、ディズニー映画の「バンビ」を観せてくれました。初めて映画館で観る映画に緊張しながらもスクリーンで動く愛らしい動物たちに釘付けでした。今でも「子鹿のバンビ」の歌が歌えます。
 
 二番目には、二十歳の誕生日に見た「E.T.」を挙げましょう。短大2年生の時の夏休み、カリフォルニアにホームステイした際にホームステイ先の家族に連れられて野外で映画を観ました。その時の映画が「E.T.」です。アメリカで大ヒットの最中でした。
 
 まだ日本では上映されていなかったので一足早く観たことになるのですが、私のつたない英語力で理解できた内容は「E.T. Phone Home」ということだけ。私もホームシックにかかっていたのかもしれません。その後、沖縄で再度映画を観て、やっと全体が理解できました。
 
 さて、最後には万人に愛され続ける「サウンド・オブ・ミュージック」で締めましょう。
 
 高校生の頃、宮古島から沖縄本島へ遊びに行き、たうきゃーしー(一人で)映画館で観た映画です。なすきしゃ(末っ子)の私は一人で行動したことがなかったので、高校生になっていたとはいえ、沖縄本島で たうきゃーしー映画館に入るのは、だいず(とても)勇気がいりました。
 
 しかし映画が始まってしまえば、内容に引き込まれ、楽しくて楽しくてしようがありませんでした。内容もよかったのですが、音楽がまた ずみ(最高)で、ミュージカルが好きになったきっかけとなりました。帰りには、レコード店でサントラ版も購入したほどです。
 
 さて、この「サウンド・オブ・ミュージック」の映画には後日談があります。
 
 もうすっかり社会人となり、会社でのキャリアも20年を迎えようとしていた頃、人事異動のため、これまでの分野と全く違う分野を受け持つ関連会社への出向の内示を受けました。
 
 仕事の最終目的はこれまでと一緒とはいえ、違う会社で みぱな(顔)も名前も知らない人の中で、もう一度一から始める状況に私はとても臆病になり、「会社をやめなければいけないかもしれない」と思うほど落ち込みました。
 
 そんな沈んだ気持ちを抱えながら家に帰ると、テレビでは「サウンド・オブ・ミュージック」の映画が再放送されている最中でした。
 
 その時の場面は、トラップ大佐に惹かれていく気持ちに気づいた主人公マリアが、大佐の再婚話に傷心のまま修道院に戻った際に修道女がマリアに向けて歌っている場面でした。「すべての山に登れ」というタイトルの歌です。
 
 「行く手に幾多の山があろうともそのすべての山に登りなさい。」
 
 だいばん(大きな)山がまさしくその時、私の目の前にありました。「私もその山を登るための一歩を踏み出そう。」という気にさせられたのは言うまでもありません。(なんとタイミングよく流れていたのでしょう)
 
 今年の3月、娘の二十歳の誕生日に「サウンド・オブ・ミュージック」のDVDを やーでぃ(家族)で鑑賞しました。専門学校の3年次にすんなりと進級できなかった娘のために主人が選んで流した映画です。
 
 「すべての山に登れ」の音楽が流れた時、私の思い出も娘に話してあげました。これからは娘のための音楽となることでしょう。
 
 本土で一人で就職活動に頑張る娘が記載したエントリーシートには、「サウンド・オブ・ミュージック」も記されていました。

砂川恵理歌のゆたしく通信

砂川恵理歌

 ※宮古島出身の歌手・砂川恵理歌さんから心温まる素敵なゆたしく通信が届きました。くま・かま読者の皆さんにもお届けします。


 沖縄からお届け!
 砂川恵理歌のゆたしく通信(^^ヾ vol.20
 
 はいた〜い!皆様こんにちは♪
 沖縄は例年よりもずっと遅れて、昨日やっと梅雨入りいたしました。
 今回もゆたしく通信お届けさせていただきます。
 少しだけ、おつきあいのほど、ゆたしくうにげーさびら(^.^)/~~~
 
 シングル「一粒の種」を発売してちょうど3か月が経ちました。
 今も毎日毎日新鮮な気持ちで「一粒の種」と向き合っています。
 
 毎度この通信でもお知らせさせていただいている通り、発売と同時に
 「Smile Seed Project」というプロジェクトを始めました。
 
 これは、「一粒の種」を携えて、病院や老人保健施設、学校などを訪問してミニコンサートを行い、ひまわりの種をプレゼントするプロジェクトです。
 
 今日のお話は、その13回目、老人保健施設にお邪魔した時のお話です。
 
 入居している方、デイサービスを受けられている方など約100人の利用者の方、スタッフの方と一緒に「一粒の種」はもちろん、民謡なども交えながら楽しいコンサートの時間を過ごしました。
 
 30分ほどのライブが終わってお別れのご挨拶をしているとき、一人の車いすの女性が挙手をされました。請われたので、マイクをお貸ししました。その女性の言葉をぜひみなさんにお伝えしたいと思っています。

 『私は、半身麻痺で、ここにずいぶん長いこと暮らしているけれど自分が、老人ホームで暮らしている、ということや、病気のことが今まで全く自分で受け入れられなかったです。でも、今日この歌を聴いていて、気が付きました。私にはまだ目もあるし、耳もあるし、口も動くし、頭も働いています。私の胸の中に凝り固まっていたものに種が届きました。私に生きる意味を教えてくれてありがとう』

 私が一番近くで聞いていましたが、感動と衝撃で鳥肌がたち、涙が抑えられなくなりました。ありがとうございました。としか言えませんでした。

 あんなにたくさんの人の前で、泣きながら、感情的に、必死に、身ぶりを交えてお話をしている一生懸命さとその言葉の重さに、心が震えました。

 この経験は、ここ数日、たびたびラジオや取材などでもお話させていただいていますがこのできごと以降、私のなかで「一粒の種」という曲の大きさと存在の意義がまた大きく変わりました。

 宮古島の諸先輩方から私が受け継いだ、ガンで亡くなられた方の遺言をもとにしてできた「一粒の種」は逝く人から残される者へのメッセージですが、それだけではないものを、この日はっきりと感じました。

 それは、すべての人の胸にある、大事な大事な宝物―大切な人だったり、思い出だったり、それは、もちろん人それぞれとは思いますがその「大切な何か」それこそが一粒の種でもある、ということです。

 うたとして一粒の種を届けるということは、その種に光や水をあげること。日常の生活のなかで忘れてしまっていたことを立ち止まって気づいていただけるようなその役割を、中島正人さん、高橋尚子さん、下地勇さんから受け取ったのかな、と感じている今日この頃です。

 この女性にとっての「一粒の種」は、今生きていることであり明日がまたあることなのかもしれないです。そして「歌い手としてこの曲を一人一人に丁寧に届けていくこと」それこそが歌手砂川恵理歌にとっての一粒の種でもあるのだと。

 健康な30代の私には、まだまだ理解ができていない、ことも多いのかも知れません。でもあえて、そう言って歌っていきたいと思いをあらたにいたしました。

 この歌を歌い始めて、たくさんの方からのお便りをいただくようになりました。正直、曲も詞も書いていない私には、お恥ずかしいことにこの歌の大きさに、圧倒される日々を過ごしてきたことも事実です。

 生きることを教えてくれてありがとうなんて、とても身に余るお言葉を頂戴しましたが、私のほうこそとっても大きなものをいただいた経験でした。なんだか、私のような若輩者が、熱く説教じみてしまいましたが、、、、

 また気持ちをあらたに「一粒の種」と歩んで行こうと思った一日でした。

 では、また次回のゆたしく通信まで!
 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
 
砂川恵理歌

 ※ゆたしく通信は、デビューのころから、お世話になっている関係者の皆さんにお送りしているメールです。

おしらせ

松谷初美(下地町高千穂出身)

「福祉ネットワーク 一粒の種〜遺言から咲いた命の歌〜」放送予定!

 2月6日にNHK沖縄で放送された「ドキュメント沖縄『一粒の種』」は大反響を呼び、3月17日には総合テレビで全国放送されました。
 
 放送後、たくさんの感動が うまかま(あちこち)で花開いているようです。恵理歌さんの通信にあったように、コンサート活動でもさまざまな反響があるんですね。まーんてぃ、この歌の力はすごいなーと思います。
 
 そして、こういった反響から、あらたに番組が制作され、NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」で特集されるそうです。この歌ができるまでの経緯やその後の広がり、砂川恵理歌さんの活動などが出るとのこと。ぜひ、ご覧ください。
 
 「福祉ネットワーク 一粒の種〜遺言から咲いた命の歌〜」
 
 6月4日(木)20:00〜20:29放送予定

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

 宮古では、しばらく雨が降らなかったようなので、梅雨入りして、農家は、うむやすーやす(安心)していることでしょうね。
 
 今年は、葉タバコの生育も格別良いようで、だいばん(大きな)台風がこなければいいなーとうちのお父は話していました。
 
 さて、vol.196は、のーしが やたーがらやー?
 
 「着せ替え人形」は、みどんやらびにとって楽しい遊びでしたね〜。物のない時代は、ホントに工夫をして遊びましたよね。大和の宮古人さんの出来事を通して一つの時代の流れを見ているようでもありました。また、素敵なネーネーが つかふ(近く)にいたことの幸せを今しみじみ感じているのも伝わってきました。
 
 心に残る ばっしらいん映画ありますねー。Rさんのを読んで私も、親元を初めて離れた学生時代「サウンド・オブ・ミュージック」に元気づけられたことを思い出しました。Rさんが勇気をもらった映画から今度は娘さんが・・・。上等映画は時代を越えていいものですね。娘さんは、ご両親の愛情とともに、心に残る映画となったことでしょうね。
 
 砂川恵理歌さんの「ゆたしく通信」に感動し、くま・かま読者のみなさんにも届けたいと思いました。恵理歌さんには、転載を心よく引き受けてくださって感謝いたします。「一粒の種」を聞いて「種が届きました」という方の話に目頭が熱くなり、恵理歌さんのこの歌に向き合う、真摯で素直な気持ちに心が ぬふーぬふ(温かく)なりました。6月4日の放送が楽しみです。
 
 今号、あなたはどんな感想を持ちましたかー? ぜひ、お聞かせくださいね。メールでも掲示板でもどちらでも結構です。まちうんどー。
 
 しまいぎー ゆみふぃーさまい ぷからすむぬやたん!
 
 次号は6月4日(木)の発行予定です。どうぞお楽しみに〜。
 あつかー、またいら!