こんにちは〜。8月になりましたねー。くま・かま読めば、夏バテしらず〜。
201回目のくま・かまお届けでーす。
来たーーー!マンゴーの季節
R(平良西里出身)
昨年、一昨年と不作だったマンゴーの、今年は、大当たり年のようです。まさしく「来たーーー!」という感じでしょうか。沖縄県内、やまかさ(多く)の広告を見かけます。
先日、宮古島に行った際にも くまかまん(あちらこちらに)「マンゴー」のノボリを見かけました。マンゴー出荷のために飛行機の臨時便を出しているとも聞きました。
宮崎県は、知事のPRもあり、宮崎県産マンゴーの知名度を上げましたが、宮古島のマンゴーは根強く、ブランドイメージを守っているように思います。確かに、県内のマンゴーを食べ比べると宮古島産マンゴーの方がんまーんま(おいしく)感じます。
かれこれ20年前、当時の平良市から生まれた地である下地町へ移り住んだ父が、庭にマンゴーの木を植えました。まだまだ宮古島でのマンゴー栽培が根付いていない時期でした。既に子どもたちは独立し、宮古島を離れていました。
庭のマンゴーの木は、1本から始まり2本、3本・・・と増えていきました。実ったマンゴーを収穫する喜びを考え、にんまりしている父の姿が想像できます。
「マンゴーが実ったら送ってやるからなー」と言って、父は、子どもたちに1本5千円づつの出資をさせ、その木に出資をした子どもの名前を書いた看板をつけました。りんご生産農家の販売手法として聞いた話ですが、そのマンゴー版で、「おじーのマンゴー」といって、当時、新聞の取材も受けていました。
夏休みに子どもを連れて帰省すると、すとぅむてぃ(朝)一番にすることは、実って落ちたマンゴーを拾うことです。カゴを持ってハウスの中に入り、身を屈めてサイズいろいろの完熟マンゴーを拾います。テーブルに並べ、マンゴーの数を数えるのが楽しかったな。
そして午後には、これは長女へ、これは・・・へ、これは千葉に嫁いだ四女へ、・・・と箱詰めして宅急便で送ります。私の嫁ぎ先の両親には、りっぱな形、大きさのマンゴーをいつも送ってくれました。
今年のように大豊作の年には、道行く人へ販売もして、「肥料を買う分、稼げたさー」と言って、喜ぶ父でした。
我が家へ届いたマンゴーは、大小さまざま。小さいまま熟したマンゴーは、小さいながらマンゴーの甘みをたっぷり含んで、しっかりとマンゴーの味を主張しているように感じました。
当時、父とマンゴーの話をしたと聞いた来間島の砂川さんが作っている「楽園マンゴー」は、有機JAS認定1%未満の超希少なマンゴーとして今では有名になっているようです。
父が亡くなり、「おじーのマンゴー」が宮古島から送られてくることはなくなりましたが、市場ではあまり見かけない小さなマンゴーを見つけると実家の庭で実った鈴なりのマンゴーを前に笑う父の日焼けした顔を思い出します。
マンゴーを買って食べてみるものの、やはり父が作ったマンゴーが一番おいしかったと思う今日この頃です。
ゆーくいあやぐ(穣乞い綾語)菜の花流どぅかってぃ解釈
菜の花(伊良部町仲地出身)
7月18日。東京・青山にある草月ホールで「宮古の神歌と古謡」が謡われた。故郷、伊良部島の佐良浜地区の ゆーくいあやご(穣乞い綾語)も、会場に響き渡った。
そのとき、遠い記憶が目を覚ました。やらびぱだ(幼少時)御嶽で聴いた、神願い・祈りの調べに心が揺さぶられ感動を抑えることができなかった。
神女たちの祈りの声は音楽的で、幻想的で、神々しいものだった。謡われる綾語は、ところどころしか聞き取れなかったが、願いに含まれる人の思いが壮大なものであるということだけはわかった。魂に沁みわたるものを感じながら、ゆーくい御嶽にいるような錯覚さえした。
私のおばぁは集落の ツカサンマ(司んま)だった。着物の上から白いカンズン(神衣)を羽おった姿は、子供の私にも神聖なものとして映った。そして、私のお父も胃癌の手術後、集落の ツカサシュ(司主)に選ばれた。平成5年のことだった。
お父の身体を気遣う母ちゃんの心境は、司主に選ばれたお父よりもダイズなものだった。でも、お父は司主の役目を引き受けた。集落のため、島のため、そして、司になる自分の一門のためにと。
三年間の司主の任期が終わるその日、私と姉は伊良部島に渡った。司主として祭事に携わる間に、お父の癌は肝臓に転移していた。手術もできないところに転移がみつかり、どうにもならい状態だった。
御嶽にはトイレもないため、術後でお腹の調子の良くないお父は、朝から水も飲まず食事も摂らず出かけていたという。司の任期が終わった日には、もうお父の体力も病状も限界状態にあった。それでも声を振り絞って、お祝いに集まった方々の前で正座をして挨拶をし、礼を述べた。そのあと倒れるように裏座の部屋で寝込んだ。
母ちゃんは、司の任期が無事に終えられたことに、泣きながら感謝の踊りを踊った。私も姉も泣きながら踊った。
翌日、私は起きていられないお父の姿を後に、何とも言えない気持ちで空港に向かった。離陸の時間が迫ってきたとき、思わず電話をかけた。出たのは母ちゃんだった。「お父にも代わるね」と、受話器がお父に渡される音のあと、聞こえてきたのは号泣するお父の泣き声だった。お父が泣いている・・・。お父の泣き声を聞いたのはこれが初めてだった・・・。
神に仕える司としての仕事。それを成し遂げたお父には、わずかの余力ももう残っていなかった。すぐに那覇の病院に入院し、二ヶ月後には神の世の人になってしまった。
伊良部の冬は、南の島とは思えないほど冷たい風が吹き、底冷えがする。それでも、術後で体力の落ちたお父は裸足になり、長時間の願いや祈りの綾語を神に捧げてきた。太古の昔から島の人々が神に願ってきたものとは、いったいどんなものだろう。今も脈々と願い繋がれる ゆーくいあやご(穣乞い綾語)とは一体どんな願いなのか?お父は司主として、何を神に願ったのか?私の内にふつふつと湧き起こってくるものがあった。
草月ホールから帰宅して手にした「伊良部村史」から ゆーくいあやご(穣乞う綾語)の原歌を見つけた。長々と謡い捧げられる神への祈り。「伊良部村史」には意訳もあったが、その一節、一節を私自身の魂で捉えてみようと、菜の花流に解釈してみた。
(「伊良部村史」に記載されている原歌、意訳は貴重な歴史的資料です。それを念頭におき、あくまでも個人的解釈をしたことをご了承ください。)
※ユークイのアヤグ(その一) (原 歌) ユーンティル、ユーンティル ゆ(穣)を満たせてください ゆ(穣)が充ちますように ムカシヨーヌ、パダカラ、 太古の頃より ユーンティル 世は充ちて ンキャーンヨヌ、ハダカラ、 昔の世より ユーンティル 穣は満つる スタウイヌ、ウホヤグミ、 天地を納める偉大なる ハイ、十二ハウヌ、ミューブキ 十二方位の神のおかげと ハイ、テンガナス、ナーギデ 太陽神の名を挙げ讃え奉る ハイ、クガニンマガ、ミューブキ 月の神のおかげと ハイ、七七ムイヌ、ウホヤグミ 七杜の偉大なる神々の ハイ、カンパナヲ、ナーギデ 先神の名を挙げ讃え奉る ハイ、ンヌツニーヌ、ミューブキ 命を司る神のおかげと ハイ、ウイラニーヌ、ヤグミユウ 恐れ多き上方の神の(佐良浜の上方=池間島の神のことか?) ハイ、ウホユニーユ、ナーギデ 大世の創始神の名を挙げ讃え奉る ハイ、ナツワ”アニーヌ、ミューブキ ナツヴァ御嶽のおかげと ハイ、ウジャキニーヌ、ヤグミュウ 偉大なおやけ(大宅・富)の神のおかげと ハイ、ムラギニーユ、ナヤギド 豊穣を盛り施す神の名を挙げ讃えよう ハイ、ウヤマタヲ、ナヤギド 祖神の名を挙げ讃えよう ハイ、ナスジャウズ、ウイガミ (善き人を)産む母のうえまでも ハイ、スバナタガ、ウイガミ 若人の上までも ハイ、ダーズニーヌ、ウイガミ 畑の隅々までも ハイ、アウハタヌ、ウイガミ (伊良部村史では「竜の上まで」と訳されています) ハイ、ンツズニーヌ、ウイガミ 道や地の上までも ハイ、ナガブーヌ、ウイガミ 粟の穂先までも ハイ、ヤギタン、ムヤガリー 家々の梁までも富を盛りあがらせ給え ハイ、キタン、ムヤガリー 木のひとつひとつまで富を与え給え ハイ、アガイズマカラガミマイ 東の島からも ハイ、ハイヌムラカラガミマイ 南の村からも ハイ、ニスヌムラカラガミマイ 北の村からも ハイ、ウホヤマトカラマイ 大大和からも ハイ、ナンヨウ、ムラカラド 南洋の島々、村々からと ハイ、タイワン、ウヤキスマカラド 台湾の富貴多き島からと ハイ、ウホヤマヤマ、ズマカラ 豊かな八重山島からと ハイ、バガスマン、ンティフィール (どうぞ)吾が島に(富を)満たせ給え ハイ、インヌユーヌ、ウイユバ 大海の(季節ごとの)豊穣をば ハイ、アウソゥダツカラガミマイ 紺碧色の珊瑚礁の淵からも ハイ、ミジュキダツ、カラガミー 望潮(満潮)からもと ハイ、アッジャバラ、ユシィフィル (島の)周りに寄せてください ハイ、スナスバラ、ンティーフィル 砂浜を満たせてください ハイ、ビキラタガ、ドッマン 男たちに其々に ハイ、ズズザクバラ、イディーキャ 櫂を漕ぐ手にまめができたらば ハイ、カタミバラ、ソイキャー 荷担ぎたこができたらば ハイ、ダーズヌユーヌ、ウイユバー 畑の(季節ごとの)豊作をば ハイ、ブナリャタガ、ドッマン 娘たちに其々に ハイ、カウスバラ、イディーキャー 頭に荷を乗せるたこができたらば ハイ、カミバラ、ソイキャー 頭に荷担ぎたこができたらば スタウイヌ、ミューブキ 天地を納める神により ハイ、十二方のウカギン 十二方位の神のおかげをもってして ハイ、トウテハダ、ウィーフィール 十年先々までも豊穣をもたらせ給え
どぅかってぃに解釈を始めたのはいいけど、訳しているうちに太古の人々の祈りの声が聞こえてくるようだった。あまりにも純粋な祈り、願い。その崇高なまでの一途さ純粋さに、涙がじわじわと溢れてティッシュが手放せない。泣きながら記事を書く破目になるとは思いもしなかった。
小さな小さな伊良部島。宮古の島々。労働と祈りでしか生活する術がない・・・今の時代からはとうてい想像もできない島の生活だったはず。生活の中で神に捧げる祈りの綾語は、自然への畏怖と感謝から生まれた言葉の結集だった・・・。
お父は自分の命を懸けて司を務めた。体力も尽きて逝ってしまったけど、司に選らばれたことをいつも感謝していた。そういう心情になにがさせたのか・・・。私にも少しわかったような気がした。
※歌の引用:『伊良部村史』昭和五十三年四月一日発行
発行者 川満昭吉 / 発行所 伊良部村役場
お便りコーナー
前号へのお便りを紹介します。
vol.200のしりとりクイズには、12名の方が応募してくださいました。みなさん、ありがとうございました。12名のみなさんのメールは有難い言葉もいっぱいで まーだ ぷからすむぬでした。たんでぃがーたんでぃいら〜。その中からお二人のメールを紹介しますね。
サリーさん(埼玉在住)
■創刊200号 おめでとうございます。
いつも楽しみに拝読させていただいています。埼玉在住のサリーです。
小学6年生から中学2年の二学期まで上野に住んでいました。ちょうど沖縄が復帰してから3年経った頃だと思います。当時、上野中では初めての本土からの転入生だった私を先生も友達もとても温かく受け入れてくれました。真っ黒に日焼けし、方言をべらべらしゃべっていた私は『宮古の人かと思ったよ〜』と言われると嬉しくなったものです。
そして今年の11月には上野中卒業30周年の同窓会で宮古に帰る予定です。
今回、張り切ってしりとりに挑戦してみましたが解らない、思い出せない『みゃ〜くふつ』が沢山ありました。
神奈川に住む新里と宮国出身の同級生や平良に住む同級生と狩俣出身のご主人様にメールで教えてもらいながら何とか全部埋まりました!
教えてくれた同級生とまた盛り上がるためにも上等商品が当たりますように♪
これからも楽しく懐かしい話題を楽しみにしています。
キムキムさん(平良出身・千葉在住)
■くま・かま200号おめでとうございます。
素敵な仲間と解説のいらないみゃ〜くふつで語り合うとてもいい時間・空間だと思います。宝ですよね。
家族が多い我が家では、晩ご飯のあとは、パソコン争奪戦がすごく、んにゃ〜速くメールしないとマンゴーをのがしてしまう〜。
3.【にーまず(城辺長南にある地名)】
くま・かま200号より
西城長南の地名です。字は根間地と書きます。あがず(東)にーまず、ぱい(南)にーまず、にす(北)にーまずがあります。「根間の主」の土地だった事から名前が付いたそうです。(大和の宮古人)
にーまず・・・・・・ああ なつかしい・・・母の生まれ故郷です。小さい頃はお盆といっては、にーまずに、みーにつといっては、にーまず夏休みも、お正月も、にーまずに連れて行ってもらいました。大和の宮古人さん、“なんだか親戚のような気がする〜”
今回は、誰にも、聞かず、自分だけで解いてみました。私の宮古方言力も、まだまだいける?力だめしのいいキッカケになりました、ほんとに、ありがとう。お疲れ様です。
しりとりクイズ正解と当選者のみなさん
松谷初美(下地町高千穂出身)
先ほども書いたように今回、12名の方(宮古出身5名、内地出身7名)から応募がありましたが、その中で、7名の方が全問正解!5名の方は1問だけの間違いでした。(濁音や長音、破裂音、中舌音など微妙な言い回しの違いなどもありましたが地域差がありますので良いことにしました。)
掲示板では、すでに正解と当選者の発表しましたが(いつもは次号で発表となるのですが、今回マンゴーの時期が終ってしまうので、早めの発表となりました。)掲示板を見てない方もいると思いますので改めて、発表しますね。
して、問題は20問のはずなのに、21問あったさねー。応募してきた方から言われて気がついた次第です。まつがいどー。
さー、あなたはどれくらい分かりましたか?
【クイズ正解】
(1) 5. みなか(庭)
(2) 10. なびぱんびん(宮古版 お好み焼き)
(3) 17. ぬうま(ぬーま)(馬)
(4) 22. みぱな(顔)
(5) 26. なば(垢)
(6) 32. すかま(仕事)
(7) 53. みーにつ(命日)
(8) 55. すだ(すた)(舌)
(9) 64. んみゃーち(いらっしゃいませ)
(10)74. んーぶ(へそ)
(11)79. にす(北)
(12)104. びきどぅん(男性)
(13)110. だらか(嘘)
(14)116. ぱう(蛇)
(15)121.ばかむぬ(若者)
(16)125.うぷに(大根)
(17)150.わーぶに(豚骨)
(18)171.うぷぐい(大声)
(19)181.ずなん(次男)
(20)185. まずむぬ(妖怪)
番外
(21)197. まっふぁ(枕)
「すかま(仕事)」が一番難しかったようです。
【当選者の皆さん】
おめでとうございます!
(正解者が多かったので、抽選させていただきました。)
1位(2名)(マンゴー&パーントストラップ)
gaugauさん
さとみさん
3位(4名)(島バナナ&島パイナップル&パーントストラップ)
安里隆さん
サリーさん
葉月さん
祐子さん
7位(5名)(宮古そば&パーントストラップ)
キムキムさん
KMさん
久松アンガールズCさん
武島玄正さん
仲里繁さん
★クイチャーマンさん(パーントストラップ)
(クイチャーマンさんは全問正解でしたが、読者のみなさん優先にと ゆずってくれました。)
皆さん、ご応募ありがとうございました!
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
やっとがま梅雨明けしたところもあるかと思ったら、宮古は雨が降らず、地下水の貯水量も だいず いきゃらふ(だいぶ少なく)なっているようですね。台風が近づいているようなので、水不足解消となると良いですが農作物への被害がないこと願っています。
前号で、初めて「みやこふつしりとりクイズ」をやりましたが、皆さんに楽しんでいただけたようで、やってよかったなーと思っています。次は300号か!?
賞品は、宮古の宣伝もかねて島特産のものにしました。「オキナワ宮古市場」http://www.miyakoichiba.co.jp/ にお願いして、送ってもらいましたが、玉元社長が、だいず上等ものを選んでくれて、当選者のみなさんから、うれしい書き込みがたくさんありました。玉元社長!お世話様でした。神童作「パーントストラップ」も だいず喜ばれました〜。隠れ?ファン多し!
さて、vol.201 のーしが やたーがらやー(いかがでしたかー)?
20年前、宮古のマンゴーがこんなに有名になるとは、想像もしませんでした。栽培している人も珍しい中で、Rさんのお父さんは、子どもやんまが(孫)たちのために、マンゴーを栽培されていたんですね。家族思いのお父さん、お父さん思いのRさんの気持ちがたくさん伝わってきました。愛情がプラスされた、極上のマンゴーだったことでしょうね。
菜の花のお父さんのツカサを務める姿は壮絶なものがありますね。それを見つめてきて、また、おばあはツカサンマをしていたという環境の中にいて彼女の感性なくしては書けない「ゆーくいのあやぐ」の解釈だったのではないでしょうか。神に対しての敬虔な気持ち、願い・・・おばあたちの祈る姿が目に見えるようでした。
菜の花の解釈は、最初、7月21日に掲示板に書きこみされましたが、リズミカルで言葉が分かりやすく、すごく良かったので、ぜひ、メルマガでもとお願いしました。
サリーさん、キムキムさん、宮古の思い出話もありがとうございました。クイズも楽しんでいただけたようで、ぷからすむぬです。今後とも、くま・かまのこと宜しくお願いしますね。
あなたはどんな感想を持ちましたか?
今号の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー。
私ごとで恐縮ですが、7月4日に病気療養中だった義父が亡くなりました。vol.195で「義父の入院」を掲載した際はお見舞いメールや励ましの言葉をいただいて、ありがとうございました。今ごろ、体の不自由を感じることもなく、義母におみやげ話をたくさんしていると思います。
今回もしまいがみ ゆみふぃーさまい、たんでぃがーたんでぃでした。
次号は8月20日(木)の発行予定です。
きょうも、かぎぴかず(佳き日)でありますように〜。がんずぅかり、うらあちよー(お元気でー)
あつかー、またやー。