こんにちは〜。
いやー、早くも12月。ぴゃーむぬやー。
今回も、みやこ〜みやこの話、お送りしますよ。お楽しみくださいね〜。
叶えたい ばがいみ(私の夢)
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
小学生の作文の表題みたいで恥ずかしいですが、今回は「私の夢」について話してみたいと思う。かなり妄想が入っていますので、あまり真剣にならずにお付き合い下さい。
宮古島の代表的な農作物といえば、さとうきびに葉たばこ。近年は、マンゴー栽培農家も増え、これまでの状況に若干変化の兆しがみられますが、依然としてさとうきび、葉たばこが基幹作物であることに変わりは無い。私は以前からこの2大作物に代わるものはないかあれこれ妄想してきた。
まず、フランスのワインのように、原料から製品まで地元で一貫して生産出来るようなものがよい。そうすれば、地元で新たな雇用が創出できるし島の新しい産業になる。そして考えたのが「香りの産業」、香水の生産である。
何年か前に、くまかまの掲示板でカニさんが「にふにず(和名:モロコシソウ)」のかざについて書き込んでくれたのがヒントになった。「にふにず」のかざ(香り)はマムヤが愛用していたという。
この「にふにず」の かざをベースにした香水を、文字通りパリの宮古(都)のブランド香水として製造販売する。香水の名前はずばり「マムヤのかざ」だ。伝説の美女「マムヤ」の哀話とともに売り出せばきっと売れるに違いない。
宮古島では、もう一人伝説の かざ(匂い)の持ち主がいる。ユナンダキカニスザガマ(與那武岳金兄小)だ。カニスザガマは稀にみる好男子でユナンダキ村だけでなく、近隣の村々の しょじょがま(乙女達)を夢中にさせたという。そして、そのカニスザガマの身体からは常にいい匂いが漂っていたという。そのいい匂いのカニスザガマに一目でも逢いたいと、仕事の帰り道であるピンフ岳の測道には乙女達が待ち伏せしていたと民謡「ユナンダキカニスザガマ」には歌われている。
「マムヤのかざ」と「カニスザガマのかざ」をセットで売り出せば、もう最強の美男美女の香水として大ヒットするパズ。「カニスザガマのかざ」には夜香木をベースにするとしよう。
香水は様々な香料エッセンスを調合して作る。噂によるとかの有名な香水には、隠しエッセンスとして糞の匂い成分が微量ながら配合されているらしい。いい匂いのエッセンスをより際ださせるためのテクニックらしいが、あの気高く上品な香りの裏にこんな事実が隠されていたとは すさったん(知らなかった)。
早速このテクニックに習い、ばんたが(我らが)「マムヤのかざ」にもくーすふぁや(木登りトカゲ)の糞尿匂い成分を僅かに混ぜるとしよう。こうすることによって、めっきり数が減ってしまった くうすふぁやの保護、繁殖にも貢献する。一石二鳥と言うわけだ。
「マムヤのかざ」に続く美女シリーズ第2弾として狩俣の「イサミガのかざ」を発売しよう。ベースエッセンスは月桃。この頃には会社も有名ブランドとして成長しているから、イメージタレントには女優の仲間由紀恵を起用し、イメージソングは勿論、あのミャークフツシンガー下地勇にお願いしよう。
私の妄想が暴走し始めたので、もう一つの夢「コーヒー栽培」の夢を語って終わりにする。
コーヒーは、中南米や北アフリカなど、熱帯地方の寒暖差のある高地での栽培が適しているが、ネットで調べてみると、沖縄でも既に自家栽培し自家焙煎している農園があるのでこれは実現性の高い夢である。
宮古島は緯度的には亜熱帯に属し全然問題は無いのですが、適度な寒暖差を生む高地が全くない真っ平らな島なので、低地でも良質な実を付ける品種の開発が先決である。宮古島でのコーヒー栽培の成功の鍵は品種改良にあるといえる。
私は大のコーヒー好きで、一日に5〜6杯飲む。コーヒーが好きになったのは、会社の旅行で行ったハワイで、コナコーヒーに出会ってからである。当時は、コーヒーの知識など全くなく(恥ずかしながらコナコーヒーと粉コーヒーを混同していた)、コナコーヒーの深いコクと香りにすっかり感動し魅せられてしまったのである。
そして、いつしか、宮古島でもコーヒー栽培が出来ないものかと思い始めたのである。コーヒーも原料から製品まで一貫して製造するのが理想である。ハワイのコナ島のように素晴らしいコーヒーが出来れば、大規模なコーヒー農園を造り宮古島の新たな産業として多くの雇用を生み出すことにもなる。
いつの日か宮古島の「マムヤ」、「イサミガ」、「カニスザガマ」が有名ブランド香水として定着し、宮古島産のコーヒーを飲みながらくつろげる日が来ることを夢見て私の妄想を終わりにしよう。長々と最後まで私の妄想にお付き合い下さり有り難うございました。
宮古のしりとりは終わらない
さどやませいこ(城辺・新城出身)
ある晩のことです。孫のマモルくんが、カマおじいに「しりとりごっこ、しようよー」とねだりました。おじいは「ん、ん」と言って、マモルくんと向き合いました。「誰から先に言うか」と、おじいが言うと、「ジャンケンで決めよう」とマモルくん。最初はぐー、じゃんけんぽん。おじいの勝ちです。
おじい「じゃー、湯のみ」
マモルくん「ミカン」
おじい「んきゃふ」(海ブドウ)
マモルくん「?、布団」
おじい「んき」(神酒)
マモルくん「?、きりん」
おじい「んとぅび」(野イチゴ)
マモルくん「?、びん」
おじい「んなだ」(未だ)
マモルくん「?、ダイコン」
おじい「んびゃーいん」(たまらない)
マモルくん「ン?もうわかんないよー」
おじいは「どうだ、まいったか」といってお腹をかかえて笑いました。こうして、二人の夜は更けていきました、とさ。
あば〜宮古な〜
キムキム(平良・西里出身)
山崎豊子が書いた『運命の人』の中に「あば〜宮古な〜」の一節がでてくる。嬉しくもあり、とても不思議でもある。
家族、誇り、一生を賭けるつもりだった仕事、「沖縄問題」で記者生命を断たれ、すべてを失った男が、死に場所を探して流れ着いたのが伊良部。亡き父が、まだ小学生だった男に「伊良部ちゅうとこは、まるで竜宮みたいにええとこや。いっぺん連れてってやりたい」と。
東京で青果商だった父親は台湾でバナナの買付けの帰路の船で宮古の野菜の買付けをし、殊の外、伊良部を気に入っていたらしい。50歳にして人生を捨てた男は、伊良部で天与の大自然の恵みと島の人々の素朴な心に癒され再起していく・・・という話なのだが・・・。
本旨とは離れて、この男が読んでいたのが「宮古研究−ネフスキー」。ニコライ・ネフスキーはロシア人で、宮古方言の研究者である。宮古方言を流暢に話して宮古の人達を驚かせ、トーガニを聞いたその場で完ぺきに再現して歌い、記録したという。
「ハイ、優子、ばんたがミヤークてぃやまーんてぃ国際派さいが〜」
(優子さん、私達の宮古って、ほんとに国際派なんだね)
「宮国優子のあららがまパラダイスコラム 思えば宮古」(あんちーかんちー)http://akmiyako.ti-da.net/e2632156.htmlで、優子さんの語る宮古とドイツの繋がりをとても興味深く読んだ。
今度は、伊良部とロシアの繋がりである。この話は、結構知られていて、すでにご存知の皆さんかと思いますが、世間知らずの私は、恥ずかしながら・・・知らんかった・・・。
ぴさら(平良)の漲水石畳道から漲水御嶽へ下る通りに「ネフスキー通り」がある。ネフスキー通りは長さ約90メートル。ロシアと宮古の両方に「ネフスキー通り」があるらしい。2002年、平良市制55周年記念事業の一環で、ネフスキーの業績は末永く後世残すべきとして顕彰碑も同石畳上方に併せて建立されたらしい(あがい、これも知らんかった)
伊良部の佐和田に滞在し、聴き取り調査による研究だというから「偉人」とは、難儀を知らん まいふか人のことなのかもしれない。
ネフスキーが佐和田生まれの村人から聞き取ったという「トーガニ」のひとつがこれだ。
むまんな みしゃーみーん (母にも見せたことのない) ばたぬ なか ヨー (腹の中を) あさんな みしゃみーん (父にも見せたことのない) やいが すく ヨー (心の奥底を) ぅう"ぁん やたりゃーどぅ (あなただから) あたらすぃ かなしゃん やたりゃーどぅ (かわいい愛しい人にだから) あきみしーにゃーん (開けて見せたのだ)
#『宮古のフォークロア』ニコライ・A・ネフスキー著より
夜更けてひそかに会いにきてくれる愛しい娘を、こがれて待つ男の情愛を詠んだ恋歌だという。
時代は、「大正」。ヤマトからはるばる沖縄、宮古、伊良部まで幾度となく通いミヤークフツ(宮古方言)を紙とペンで学ぶネフスキーの思いは「いったい何だったんだろう」ばんたが宮古に「何を見たんだろう」
宮古に生まれ育った私は、ヤマトに嫁ぎ、ミヤークを遠く思うとき、宮古に何を見、何ができるか。・・・秋の夜長にかなすーかなすー・・・宮古の街並を思い出して、一人ウルウルしている。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
先月27日〜29日まで、宜野湾の沖縄コンベンションセンターで、恒例の「離島フェア」が行われ、大賑わいだったようですね。
宮古からは、24の事業・団体が出店したとのこと。宮古スピリッツの作者:LEEさんの、宮古産の蜂蜜販売や、なんと神童作のパーント(実物大)は、オークションに出品され、8000円の値がついたそうです。石垣の方が落としたとのこと。宮古毎日新聞(11月29日付け)には、司会の方がパーントを持っている写真が大きく出ていました。LEEさんの蜂蜜も やまかさ売れたそうですよ〜。宮古の元気な話題を見聞きすると、こちらまで元気をもらいますね。まーんてぃ 皆さん、すごいです!
さて、vol. 209 のーしが やたーがらやー?
もしかしたら、将来「離島フェア」に出されるかも!?と思われるものが、ビートルズ世代のサラリーマンさんの「叶えたい ばがいみ」に出ていましたね〜。まーんてぃ 宮古は宝の山だはずよ。にふにずを使った「マムヤのかざ」使いみーぶすむぬ〜。
さどやませいこさんは、久しぶりの登場でした〜。民話を聞いているような風情の「ん」のしりとりでしたね〜。まーんてぃ「ん」のつく言葉は、いったいいくつあるのかね〜?「ん」は続くよ んざがみまい(どこまでも〜)。
キムキムさんがネフスキーの存在を知り、宮古を想う気持ちが深まる様子が伝わってきましたね〜。ネフスキーの宮古方言に対する研究の深さを知ると、宮古の人はアイディンティティを揺さぶられる気がしますね。それにしても、今話題の本『運命の人』に宮古の伊良部の話がでてくるとは、すっさったん!ゆまだからー ならんさいが〜。
あなたの感想まい ぜひ、きかしふぃーさまちよ〜。
次回は、今年最後。12月17日(木)発行予定です〜。
うぬ ときゃがみ がんずぅやしー うらあちよ〜。(その時までお元気で〜)あつかー、またや〜。