くまから・かまから vol. 211

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 2010年、明けましておめでとうございます〜。
 今年、初めての「くま・かま」お届けしま〜す。盛りだくさんの内容ですよ。
 ぬかーぬかお楽しみくださいね〜。

子供時代のお正月

あば本舗(下地・上地出身)

 私が小学校〜高校時代を過ごした昭和30年〜40年代の宮古。何もかもが便利な今の生活からは程遠い、貧しく質素な暮らしだった。
 
 台風銀座の島での厳しい暮らし。アメリカ支配下でB円からドルへ、ドルから円へとくるくる変わる紙幣と世相。大人たちは、んにゃ!(大変)としながらあの時代を わい!(えいっ!)と生き抜いたに違いない。けれど、何も知らない子供たちは無邪気だった。
 
 お正月になると、お年玉をもらえる嬉しさで隣近所や親戚の家を訪ね歩いた。お年玉といっても、5セントだったり10セントだったり、わずかなお金だ。だけどもらえると あてぃ ぷからすかりば ぶどぅりまーりゅーたー(あんまり嬉しくて小躍りした)
 
 4〜5歳年上の世代になると、現金ではなく、エンピツ1本かノート1冊だった。各家々では、訪ねてくる子供達のためにエンピツやノートを準備していたらしい。
 
 そして子供達の遊びも手作りのおもちゃが多かった。男の子は、カンけりやコマ回し。お正月になると凧を作って飛ばし高さを競い合った。
 
 正月近くになると我が家の兄達も、凧を作り始めた。竹を細く切って骨組みを作り糸で結ぶ、その上から障子紙を張って凧糸を結び完成だ。そして正月の朝、大勢の男の子たちは海岸近くで自慢の凧を高々と上げる。たくさんの凧が、風を受けてびゅんびゅんと不思議な音を鳴らしながら飛んでいたのをよく覚えている。
 
 女の子は、持っている中で一番上等な服を着て精一杯のおしゃれをし、いつもの遊びに興じた。自転車のチューブで作ったゴム飛び、ゴム毬つき、あと輪ゴムをよじってジャンケンを続ける遊び。ケンケンパー(どんな遊び方だったか忘れてしまったが・・・)
 
 最近テレビを見ていたら、数年前に内戦があったヨーロッパ地域への取材番組が放映された。戦争の陰が色濃く残る瓦礫近くで元気に遊ぶ子供達の笑顔。その子供達は、何とカンけりやゴム飛びをして遊んでいる。
 
 あがぃー やらびぱだぬ ばんたーとぅ ゆぬぐーさいが!(あぁ、子供のころの私たちと同じだ!)貧しかった時代の宮古で、手作りのおもちゃでイキイキと遊んでいた頃をありありと思い出す。
 
 子供はいつの時代でも社会や大人たちの希望なんだなぁ、とテレビを見ながら胸が熱くなった。

『冬の夜の小さな音楽会』〜混声四部合唱『一粒の種』より〜

菜の花(伊良部町仲地出身)

 昨年の12月19日、私と夫は初美とMotocaさんと東京駅で待ち合わせをした。その日は千葉の茂原市で「冬の夜の小さな音楽会」というチャリティーコンサートがあり、茂原合唱団「四季」の皆さんが「一粒の種」を合唱するということで招待を受けていた。
 
 しかも、合唱編曲をされた遠藤謙二郎先生が、なんと!私たちを会場まで案内してくださるという。あっがいたんでぇ〜!だいずぷからすむぬどぉ〜!(うわぁ〜、びっくり〜! すごく嬉しいことだね〜!)携帯電話という現代の代物のおかげで、待ち合わせ場所に全員が無事に揃い、茂原目指して ぞぅ!いかでぃ(いざ!行かん)
  
 東京から茂原市までは一時間ちょっと。東京から離れるにつれて車窓の景色が変わっていく。その日は天気も良く、てぃんなおーおー(空は青く)っすうふむ(白い雲)までがポカリポカリ・・・。
 
 窓からの風景を見ながら、私はちょっとした修学旅行気分・・・いや、すでに前夜から遠足気分状態で睡眠不足とのばぁだ・・・。車中では遠藤先生がいろんな話題で楽しませてくれたおかげで、あっという間に茂原に到着〜。
 
 駅から会場へはタクシーで移動した。コンサート会場の入り口には小さなバイオリンが飾られた案内板があり、音楽会の雰囲気を醸し出していた。お客さんも次々と会場に入ってきた。ちょっとドキドキ・・・。
 
 出迎えてくれた合唱団の篠崎正利団長さんは、相変わらず ゆがいな(愉快な)ことばかりを(世間一般的にはいわゆるオヤジギャグという)口にするので少し緊張が解けていった。
 
 ここで内緒話をしてしまうと・・・初めて団長さんに会ったとき、「もばら合唱団」と言われたのを「野ばら合唱団」と聞き間違えて、なんとステキな名前の合唱団だろうと思いつつ・・・でも、目の前の ゆがいな(愉快な)おじさんを見て「野ばらですか?!」と聞き返した。「いえ、茂原です」と言い直され、おっちょこちょいの自分を自分で笑い一人ウケていた。茂原市も初めて訪れるところだけど、千葉の花は菜の花だと知り、茂原市を勝手に身近に思う単純な菜の花であった。
 
 いよいよコンサートがはじまった。
 
 プログラムが進んでいき、茂原合唱団「四季」の皆さんがステージに並んだ。女性陣は真っ白なロングドレスに身を包み、男性陣は黒のスーツに黒の蝶ネクタイという出で立ちだった。「四季」の皆さんがステージに整然と並び、楽譜を手にしている姿を目にした時、これから歌われる「一粒の種」に思いを馳せた・・・その瞬間!ピアノが奏でられ、聞き覚えのある前奏が静かに会場に流れだした。
 
 「一粒の種」の歌詞が厳かに会場に響きだした。歌う人のそれぞれの思いを含んだ声と声との重なりは、高く低く、重く静かにゆるやかに・・・。島の砂浜に寄せては退(ひ)き、退いてはまた寄せてくる なむ(波)のように、うねりながら会場に迫ってくるのを感じた。
 
 私は大人の混声合唱を生で聴くのは初めてだった。人の くい(声)が美しい調べとなって響くのに心を揺さぶられた。そして、「一粒の種」が初めて訪れる茂原の地に今、蒔かれているというその瞬間に涙が止まることがなかった。私の横では初美もMotocaさんも泣いていた。なんだか嬉しかった。ありがたかった。すごく幸せに思った。
 
 ピアノが最後の音の余韻を残して合唱は終わった・・・。静寂を破るような拍手を耳にして、はじめて自分が息を止めていたことに気付いた。会場の感動を一緒に吸い込むように大きく息を吸った。
 
 人はどこかで人に出会う。人は人生の途中でいろんな出来事に合う。そして、人の思いが強く深いものであったとき、偶然であれ、必然であれ何かが生まれる。「一粒の種」の詩が生まれた時もそうだった。
 
 歌にして生命を吹き込んでくれた下地勇さん。
 生命の種を蒔き続ける(歌い続ける)砂川恵理歌さん。 人の思いが凝縮される合唱編曲にして下さった遠藤謙二郎先生。「一粒の種」を歌う茂原合唱団の皆さんの様々な思いも凝縮されていることを体中で感じた。みんなの思いが「一粒の種」の中に在る。
 
 自由に飛んでいき、いろんなところで根を下ろした「一粒の種」を聴くたびに、どれだけの言葉を並べても表わしきれない感謝と感動とが私を包む。
 
 折しも7年前の12月19日、私は夜勤への出勤直前に卵巣破裂を起こした。緊急手術で腺癌の疑いと診断され、翌年の2月には都内の癌専門病院で再手術を受けた。結果は良性であったが、この体験は「生」と「死」は一対であり、いつも自分のすぐそばに置かれているものであることを教えてくれた。
 
 あれから12月19日を私は「再生の日」と呼び、生きていることへの感謝の日とした。偶然にもこの日に「一粒の種」の合唱を聴くことができたことにも意味深いものを感じる・・・。
 
 「一粒の種」にたくさんの感謝をこめて、心から すでぃがふ〜!(ありがとう!)

宮古島産椿で油とお茶を生産

松谷初美(下地・高千穂出身)

 「この椿の油は、料理に使ってもよし、傷や火傷にもよく効くんだよ」
 
 油の瓶を見せながら、自信たっぷりに話してくれたのは「宮古椿の会」事務局長の下地徹さん。
 
 「宮古椿の会」(来間清典会長、会員23名)は、2006年に結成され、宮古に んきゃーん(昔)から自生する「ヤブツバキ」を街路樹や防風林として植えたり、その葉や実などを利用した製品作りに取り組んでいる。
 
 現在、ヤブツバキは、植物園の近くや上野などに数万本植えられているそうで、椿の会では宮古を椿いっぱいの島にしたいと精力的に活動中だ。
 
 ヤブツバキは2月に花を咲かせ(今この時季、蕾が膨らんできたところだそう)その後、実をつける。この実から油がとれるということだ。実の収穫は、9月上旬〜10月上旬ころ。
 
 油を作るようになって3年。最初は、島でサトウキビの搾取機でしぼっていたが効率が悪いため、鹿児島にある製油所にお願いしたところ昨年は一昨年の3倍の量(約100リットル)ができたという。和紙を100枚重ねてじっくり濾過したという椿油は、かぎっちゃぬ(きれーいな)薄緑色をしている。
 
 そういえば、うちのおばあも椿油を からず(髪)につけていたなー。この油も からず(髪)によし、肌によしと言うことだ。私もつけてみたが、サラサラ〜として、それでいてしっとり。上等だよ〜。
 
 また、ヤブツバキの葉を焙煎した「椿茶」も3年前に販売されて、話題を呼んでいる。
 
 城辺には、「ちゃーやま」と呼ばれる 椿の木が やまかさ(たくさん)自生しているところがあるそうで、「たぶんお茶にして飲んでいたんじゃないかなー。緑茶もツバキ科だからね」と下地さん。
 
 椿にはアレルギーを抑える作用と炎症を抑える作用があるという研究発表もあり椿茶の効用に期待を寄せている。
 
 「椿を植えて緑を増やすのはもちろん、椿の花も楽しんでもらえるような場所も作っていきたい。そして、宮古の椿を使った製品を広めていきたい」と下地さんは熱く語った。
 
 椿油と椿茶は「次郎工業」内にある「合同会社みやこ椿会」で求めることができる。

宮古島市平良字東仲宗根491 電話:0980-72-3334

幻の成人式

大和の宮古人(城辺・長南出身)

 あれから40年。3回目の成人式を むかいってぃど ううすが(迎えようとしているが)毎年1月になると出席できなかった成人式の苦い思い出がよみがえる。
 
 成人式は東京の看護学校に行っている途中で迎えた。その頃の給料は7千円位だったが、宮古への仕送りと生活費で殆ど飛んでいった。(病院の寮に住んでいたので住居費はいらなかったが一応女性なので身の回りや食費に消えた)
 
 振袖は、田舎から出てきた人だけ、足りない分を職場で立て替えてもらって買う事になった。(毎月給料の中から千円ずつ返済した)着物及びもろもろ一式3万弱だった事を覚えている。

 関東出身者は親が用意した人が多く、高価な着物だったが、沖縄出身者は贅沢は言っていられないし、振袖が着れるだけでも ぷからすむぬどやーたー(嬉しかった)。着物の良し悪しは、のぅまいすっさったんすがせー(なにも知らなかったけどね)
 
 職場の役付きの方の奥様が まーつき いき ふいたーゆ(付き添いで行ってくれた)。1グループ3人ずつに分かれ、奥様の行きつけの渋谷の東急デパート本店に決まった。当日は渋谷駅ハチ公前で待ち合わせて本店に向かう。
 
 奥様が、今で云うセレブだったことから呉服売り場には係りの人が数人待っていた。予算は前もって連絡済みのようで、きらびやかな振袖が何組も広げてあり、振袖が何たるかも分からぬまま次々に反物を体に掛けられて鏡の前に立たされた。
 
 どれが良いか聞かれても私に分かるはずもなく、ただただ戸惑うだけだった。友達に助けを求めても すっさーんふい(しらんふり)。しびれを切らしたその奥様に、早口のざーます言葉でまくし立てられると(ざーます言葉も初めて聞いてビックリした)ますます萎縮して決められなくなった。最後には好みなどはどうでも良くなり、早く決めなければとの思いだけで次に見せられた品を「これでいいです」と答えてしまった。
 
 着物が決まれば其れにあわせて帯や小物を選んでくれる。ハイ、ハイ、と答えるだけで他人の物を選んでいるような気さえした。後は出来上がりを待つだけとなった。
 
 1月に入ってから問題が2つ出てきた。(その頃の成人式は1月15日と決まっていた)一つは住民票ぬどぅ いださいや うらったん(住民票が出されていなかった)。(その時は分からなかった)
 
 その為に宮古島出身の人全員に式の通知が届かなかった。市役所に通知が届かない旨電話した。(東京23区以外の市)市の職員に「通知のハガキがなくてもいいから直接会場に行くように」と言われた。(この事では後に大変な問題が持ち上がってしまった。)
 
 余談ですが、昔は看護学校に行かせて貰う代わりに卒業後2年間の御礼奉公なるものが存在した。続けて勤めていても良かったが、他の科に興味があり異動した。市民税もきちんと納められていたのでまさか住民票が無いとは思いもせず、転出手続きに行った。ところが転入の届出がしていないと云う。そこで初めて成人式の通知が届かなかった原因に気が付いたが、後の祭り。
 
 住民票が無いのにどうして市民税が徴収されるのかきいた市職員の返事は、従業員の多いところは纏めて届けてくるので受け取るだけ、細かい事はいちいち記載しないとの返事だった。(まーんてぃべーやー、んなままい ぴるますてぃど うむいうゆ(本当かね。現在でも不思議に思っている)。
 
 宮古に問い合わせても宮古からは転出届けが出ているとの返事。就職のときに事務所に提出した後、紛失したらしいが7年も経過しているのでどうしようもなかった。
 
 幸いにも役場に叔父が勤めていたお陰で裁判所に書類を提出し厳重注意と罰金を払って復活してもらった。でもそれだけでは終わらなかった。それから5、6年後、結婚もしていたが、最後の年の税金が8百円未納だから払うようにとの連絡が宮古を通して届いたのには呆れ返ってしまった。(余談が長くなってすみません)
 
 2つ目は、美容院に予約が必要だとは知らなかったこと。関東出身の友達に着付けと髪のセットの予約を入れたほうがいいのではと教えられて急いで予約に行った。が、直前の予約では最後の方になった。それだけでなくご丁寧に友達5人で同じ美容院に予約を入れてしまった。着付けに時間がかかるとは思いもしなかったからだ。
 
 私の番が回ってきたときには式開始時間は過ぎ、全員が終わった頃にはすべての行事が終わっていた。取り残された5人は初めて着る着物に悪戦苦闘しながら出かける元気もなくスゴスゴ寮に帰った。
 
 こうして私の成人式は振る袖を着て、帰るだけで終わってしまったのです。20歳にもなっていたのに、余りの無知さに恥ずかしいやら悔しいやらで忘れられない1日となりました。
 
 美容院から寮に帰る約30分間だけの振袖。その振袖も2度と着ることも無く現在も母の箪笥の中に眠っているが思い切って捨てることもパッチワークに使う事もできずに帰郷したときに広げて眺めている。

『はじめまして絵本プロジェクト2009』御礼

はじめまして絵本の会 池城かおり(平良出身)

 くま・かまの皆様、あけましておめでとうございます。
 
 昨年はブックスタート企画「はじめまして絵本プロジェクト2009」へのご協力をありがとうございました。
 
 おかげさまで宮古島市在住の0〜3歳150名の子供達に楽しいひとときとともに絵本を贈ることができました。   
 
 会場の様子はこちらのブログでご紹介しています。

 このプロジェクトが子どもたちと地域・家族の絆を深める機会の一助となりましたら幸いに思います。重ねて、ご支援いただきました皆様に御礼申し上げます。

おしらせ

棚原芳和さんCD『宮古島発』を発売

 ばんたがマツカニさんこと棚原芳和さんの、CD「宮古島発」が昨年暮に発売になりましたよ〜。
 
 「宮古島発」は、アモイさんこと狩俣恵吉さんが、宮古在のジョルジュさんの歌「島人賛歌」に心打たれ書いた詞に棚原さんが曲をつけたもの。ふるさとを想う気持ちが歌われています。
 やさしいリズムにのって宮古まで届けられるような棚原さんの歌声。ジーン き゜む(心)に響きます。
 
 「南十字星」も遠くからふるさとを想う歌。娘さんとのハーモニーも聴きどころです。
 
 民謡「平安名の真津小」は、宮古民謡の中でも棚原さんの好きな曲だそう。あまり知られていないがいい歌なので、ぜひ、知って欲しいという思いを込めて収録したそうです。
 
 ぜひ、手にしてくださいね。

1.「宮古島発」詞:狩俣恵吉 曲:棚原芳和 補作詞・編曲:徳嶺勝也
2.「南十字星」詞:徳嶺勝也 曲:棚原芳和 編曲:徳嶺勝也
3.「平安名の真津小」宮古民謡
 
ジャケット写真:「てぃだぬすま宮古」
 
定価:1000円

 現在店頭販売はされていませんので、下記までお問い合わせください。
 
 棚原芳和 Mail:golly21@mail.goo.ne.jp

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 2010年ももう1週間が過ぎましたねー。きょうは七草粥を食べるという方も多いでしょうか。
 
 話は昨年末に遡りますが、12月20日に、宮古方言研究会(新里教室)の忘年会があり、鴨長明の「方丈記」をそれぞれ自分のところの方言で訳し、発表しました。各地域の方言での「方丈記」は、あずーあずの(味わい深い)ものがありましたよ。宮古方言研究会は、今年も毎月第三日曜日の午後1時〜渋谷リフレッシュ氷川で行われます。興味のある方、ぜひお気軽に参加して下さいね。
 
 同じく20日、教室が終った後、場所を変えて、くま・かま忘年会をやりました。歌に踊りに むぬゆん(おしゃべり)に・・・あっがいたんでぃ、あまいぶりをした忘年会でしたよ。
 
 それから、23日〜28日までは、宮古に帰っていました。年末に帰るのは初めてのこと。晴れもあり、雨もありでしたが、ぬふーぬふでした。ぶーぎのばらん(キビの穂)が満開で、収穫の時期を迎えていましたね。今頃は、キビを積んだ車が行き来していることでしょう。
 
 26日には「たまよせ」で宮古在の読者、ライター、内地からの帰省組でミニオフ会。二次会のJANG JANGを出たときは、午前様でした〜。宮古に帰るとホントにテンションあがりまくりです。

 それぞれ参加してくださった皆さん、たんでぃがーたんでぃ&大変お疲れさまでした〜。
 
 さて、年も明け2010年。
 今年初のくま・かまぁー のーしがやたーがらやー?
 
 あば本舗さんの子供時代のお正月の風景、懐かしいですね〜。ハレとケの違いが一番あった時代だったような気がします。何もかもが新しいようなワクワクした正月。そんな時代をすごせたのは、本当に幸せな事だったと読んでつくづく思いますね〜。
 
 「冬の夜の小さな音楽会」で歌われた「一粒の種」は、まーんてぃ感動的でした。歌が終ったあと、遠藤謙二郎先生と高橋尚子の紹介があり、会場から、だいばん(大きな)拍手がありましたよ。ホントに、この歌に関わった人のいろいろな経験があり、それぞれの想いが繋がっての「一粒の種」なんだなーと思いますね。だからこそ、これだけの力を持っているのでしょうね。
 
 宮古に帰るたび、宮古の人のパワーに情熱に圧倒されるのだけれど、「宮古椿の会」の下地さんの思いも熱いものがありました。宮古産の椿から油、お茶が作られるようになったとは、すごいですよね。もっともっとやまかさ作れるようになって、どこでも手軽に手に入れられるようになるといいなーと思います。取材へのご協力たんでぃがーたんでぃでした〜。
 
 大和の宮古人さんの成人式の話は、時代背景も含め、その状況が手に取るように伝わってきましたねー。読みながら、大和の宮古人さんと ゆぬぐーの(同じ)気持ちになって、なだ(涙)が出てきました。言いたいことがなかなか言えない。知らないがための失敗。宮古から大和に出てきてそんな思いをした人は、やまかさいたのではないでしょうか。

 小さな子どもたちに本を贈る「はじめまして絵本プロジェクト2009」初めての試みで、150名ものお子さんに本が渡ったとはすごいことですね。池城かおりさんをはじめ会の皆さんの熱い思いがたくさんの人を動かしたのだと思います。ご丁寧な報告、ありがとうございました〜。

 マツカニさんこと棚原芳和さんのCD発売、待ってました!という方、多いと思います。古くからつきあいのあるメンバーで作られたCDには、思いがあふれています。ぜひ、聴いてくださいね。
 
 「おしらせ」のコーナー、今年も どんない(どんどん)お使いくださいね。催し物や、商品の宣伝、お店の宣伝、クラス会などなど、のうーまいじょうぶんどー(何でもいいですよー)。利用していただけたら ぷからすむぬ(うれしい)です。(もちろん無料ですよ)
 
 今回も、しまいがみのおつきあい、たんでぃがーたんでぃでした!この1年もどうぞ宜しくお願いしますね。
 
 皆様にとって、ぞうぞうの(良い)1年であります様お祈りしています。
 
 次回は、1月21日(木)発行予定!
 あつかー、また うぬときゃん いら!