くまから・かまから vol. 217

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 こんにちは〜。
 きゅうから4月やー。 桜もくまかま(あちこち)咲きだして春ですね〜。
 さー、今回も、みやこー、みやこをお届けですよ。お楽しみください!

宮古島今昔物語(ニャーツ編)

あすなろ(平良・東仲出身)

 今は昔。ぴさら(平良)の北東にニャーツという処ありけり。
 
 今回は「みゃーくずま(宮古島)んなま(今)んきゃーん(昔)ぱなす(話=物語)」です。
 
 現在の、北小学校の学区は(東川根・高阿良・旭・仲保屋・荷川取・仲屋・保里・下崎・成川・下屋・北四・張水・根間)の13自治会で構成されています。あがす゜がーに(東川根)に属するニャーツは、平成2年4月北小学校から東小学校に分離されます。昔は、(添道)も北小学区でした。
 
 私は、高阿良の ぼーちらやらび(ガキ大将)でした。常に低学年の やらび(子供)達を引き連れ、遊び呆けていました。おかげで、顔の前後が区別できないほど真っ黒。インド人もビックリです。
 
 高阿良の子供達は、ニャーツの集落にある種の憧れを抱いていました。未知の世界に対する憧憬です。ニャーツの入口は、現在のNTTの裏道りでむす゜かがー(盛加河)に通じる道でもあります。むす゜かがーを右手に見て、左折します。その道はなだらかな下り坂ですが、子供たちにとっては意外と急勾配でした。途中から右へカーブし、又直線へと戻ります。
 
 坂を下りきるとそこはサトウキビ畑、子供達をやさしく迎えてくれます。その下り坂の左端は、ポー(クロイゲ)の木が垣根を形づくり、その下は崖の様相を呈していました。子供達は、5ミリにも満たない小粒のポーの実を、手の平いっぱいになるのを待ち切れず口の中へ放り込みます。
 
 ニャーツに入っていくと、鼻にツーンとくる馬小屋の匂い。広々とした家々の佇まい。それだけで、子供達を興奮させるのに充分です。高阿良の風景とは趣を異にします。ニャーツには、同級生の あぐ(友達)が二人いました。
 
 O君とM君です。彼等は普段控えめで目立つ事はありません。しかし、小学校での菜園作りになると主役に躍り出ます。野菜作りはお手の物です。草刈りに使う鎌を砥ぐ時も、近くにある石の破片をさり気なく拾い、『砥石』に変身させます。その切れ味は抜群です。遊ぶ事しか能の無い我々には、彼等は大人びて見えました。ニャーツには、現在、居酒屋「ニャーツの里」がありそのオーナーはO君です。
 
 夏休みの事です。「こらー!うわたー のーゆがしーうりゃー!」(こらー!お前たちは何をやっているんだ!)大きな怒鳴り声。子供達は、一目散に ぴんぎ(逃げ)ます。足の速い私は、捕まる事はありません。要領の悪い子や、低学年の子供達は大変です。
 
 「おい、ヒコ坊、誰が捕まったかねー。ワーワー泣いているのは誰かねー」と私。「うわたが、俊ちゃんさいが」(お前の弟の俊ちゃんだ)とヒコ坊。あいつは昔から要領が悪いからなー。軽口を叩いている場合ではありません。悪ガキどもはトマトを盗みに行き、弟が捕まってしまったのです。
 
 とりあえず、ヒコ坊と私は高阿良の陣地まで戻る事にしました。他の子供達も、三々五々戻って来ました。やはり、俊ちゃんがいません。どうにも弟が気になります。皆で恐る恐るニャーツの入口へと引き返します。先刻まで泣きわめいていた俊ちゃんが、ニコニコして坂を上って来ます。ランニングシャツの前が完熟トマトでこぼれんばかりです。
 
 「のりゃ、うりゃ?」(どうしたの?)と聞くと、自慢げに「おじさんがくれた」とのたまう。「二度とこんな事をするんじゃないぞ!」「ン」「ンじゃないハイだろう」「ハイ」とのやりとりがあったと言う。子供達は、物欲しげに彼の後をノコノコついて行くしかありませんでした。
 
 この様な出来事を、宮古の昔の「諺」では何と言うのだろう。『宮古古諺音義』の分厚い書物も手に入った事だし、ゆっくり調べる事にしよう。
 
 『今昔物語集』に「馬ドロボー」の話が出てきますが、ニャーツでは「トマトドロボー」の話でした。
 
 それにしても、ニャーッの変わり様は、まさに「今は昔」。帰宮の度に、あの坂道をあるいてみる。ポーの木は見当たらない。崖の下は公園に変貌した。あの懐かしい馬小屋の匂いも50年前の彼方に消えてしまった。

地域性

神童(平良・島尻出身)

 すま、じぇーーんぶしまい17,000町歩の ばんたがみゃーくずま。あっすぅが、いみかりゃーまい、うながどぅーどぅ きたちむぬ!
 
 (島全体の面積が170平方キロメートルに満たない我が宮古島。狭いながらも地域性が存在する。)
 
 まずがあーてぃ しらびみーだかぁ ならん!
 
 (つぶさに例をあげて検証しよう。)
 
 まず ばが んまりずまぬ すまず。ぴさらがみゃあ 2里ばかあい。のーし かんがいりゃあまい 3里てぃや にゃーん!くぬ 2里てぃぬながさあ のーばいぬ むぬが?
 
 (まず当方の出身地である島尻。首都平良までの距離が約8km。ざっと計算しても10kmに足りない。この一桁の距離が何を意味するのか?)
 
 すまずぴとぅてぃ あっしゃあまい ばかむぬぅあらだ ういぴとぅんみすが くるまぬ あいかすぬ にふかあ。たるてぃや あっさんすぅが自転車ばかあいぬ ぴゃあさぬ むぬぅまい うぃ!
 
 (島尻の人々と言っても主にご高齢の皆さんであるが車の運転スピードが異常に遅い。誰とは言わないけど20km/hのスピードを誇る強者も存在する。)
 
 あし くないがたがみ ぬぅーいむぬぅてぃや ばしゃどぅやりたいば。ばしゃんつきゃあ ぴゃあーかすが じょうぶんにばゆ。かさまっさぬ!
 
 (まあ、な。ついこないだまで馬車が交通手段だったものな。馬車より速ければいいんだもんな。迷惑な話ですな!)
 
 んな ぴてぃーつぬ かいまたあ ぴさらがみゃあ 3里。差ーぬどぅちょうど1里。
 
 (片や隣村である狩俣。平良までの距離は12km。10kmの大台を超えている。)
 
 くぬぅ ふたあーつぬぅ ぶらくぬ あいきんつぬどぅ ぱなりんつ。
 (この二者が利用する道路が県道大浦ー池間線。)
 
 すまずぬ ぱいかたし ぱなりんつん ちゃありば すまずんみや にふかあ。かいまたぴとぅや ぴゃあかあ。しってぃどぅ まなつまふかあなぎんどぅ んがってぃ っすばあだらが。
 
 (島尻集落の南で県道に合流するのであるが、島尻と狩俣の4kmの差は計り知れなく島尻は遅い、狩俣は早いという状態で平良に向かって走る。なので、野田集落手前の直線で追い抜きにかかる。)
 
 っしぃばどぅさい 明智がま。ぬーだまふきゃあなぎん かんぬぅ うーだらが。かまあ んがぎゃあまい じょうぶんすがどぅ んつぬぅ さかまあしゅうさあや。まふきゃあぬ みーらいん あやあすき んつさいが。
 
 (するとだね、明智君。野田集落手前に観音様が祀られている場所があるだろ。あるのね。そこは追い越しOKなんだけど道路が縦方向に馬の背になっていて直線なんだけど前方の見通しのきかない危険道路となっているさあね。)
 
 あいっかあ くぬぅくとぅ っすさんむぬぬきゃあぬどぅ んきゃあんから すんきゃあぬ じこー っしゅうてぃぬばあ。

 (結局、この県道のからくりに気づかずに過去に3件の交通死亡事故が発生している。)
 
 んーんな すまずぴとぅぬ わざ。どうろーを つふゅ おきなー県やんぎゃあならんどーてぃぬ きいろおぬ せんゆ ぴかだかあ ならんすがや!ぴゃあまりよ うきなあーけん。
 
 (原因のほとんどが島尻。道路管理者は道路の縦断を変更して整備を行うか、追い越し禁止の黄色線表示を延長すべきなんだけどな。人命がかかってるし。急げよ、沖縄県!)
 
 つぎゃあ せいじょうなぎ。ぐすくべぬ Aこーぷんまい ぴさらぬかねひでまい のうにゃーん ぱなりゃあ うらん。あんちぬ ばあやしぃ いぴなーりゃ にふかりゃあまい じょうぶんぱすさい。すぴーど違反や あらんしゃくんみや んーんな せいじょうなぎぃん くまりぴぃ。
 
 (もう一つの地域性が西城。城辺の中心地Aコープに近く、平良の大手スーパー金秀にも近い。これらの理由から、さしてスピードをあげて移動する必要性を感じない西城部落民の運転速度は遅い。島尻ほどでないにしろ遅い。平良方面から出勤する場合、制限速度の40km以下で走っている車両は西城集落に吸い込まれていく。)
 
 また、せいじょうなぎから いでぃーぬ くるまあ ぬっちがぬっちてぃ Aこーぷん ぱぃっし ぴぃ。
 
 (一方、西城集落から合流した車両はのろのろ運転のまま、城辺Aコープへと消えていく。)
 
 ばやあ すかまぬどぅ ぐすくべやあば すとぅまちなぎん ぴさらんかいし あいきゃあみいーんすが くいまい また だいずてぃんだら。
 
 (こちとら職場が城辺なので朝の出勤時に平良方面へ向け走ったことは無いんだけど、このルートも大変らしい。)
 
 月ん一回ぬ しぇりぬ ばーすんど んにゃてぃだら。いつまいや 40kmばかあいし あいきぬ くるまぬどぅ あたらか うっすぅ ぬーしぃうーば まさりどぅ にふかーてぃんだら。しってぃどぅさあや ぐすくべぬ けんどうや じぇーーんぶ んぎゃあならん んつやりば。ぬばりぐすがみ まふきゃあや うすぅぬくるまやしい ながあながぬぱれーどしぃ あいきゅうっつぁ。っしってぃ くぬ うっすぅぬーしぃぬ くるまぬ すぐちびがまあ ならんてぃんどー。うっさぁ ぷりうぬやあば んざんうりゃあまい ゆすぱいゆ まりゅうさい。のーがら あみびゃあん?てぃ うむいばどぅ ゆすぱい。あがんにゃよおい!
 
 (特に月に1度の牛の競り市の日がひどいらしい。普段のろのろ運転なのに加え、商品としての子牛を荷台に積み込んだ車両は異常に遅いらしい。しかもさあね。城辺線は嫌がらせのようにほぼ全線が追い越し禁止。トップは子牛の車両が野原越しまでの距離を後続車を引き連れながら移動していく。)
 
 島尻及び西城の住民は県道を走ることを禁止するべきだと思う。 

がばんま(曾祖母)

大和の宮古人(城辺・長南出身)

 ばんたがーやー は 早婚ぬ かけいゆ(我が家は早婚の家系だ)(現在はそうでもない。息子に限らず甥っ子、姪っ子とも晩婚で困っている)
 
 両親の結婚前には曽祖父や祖父は若くして亡くなっていたらしいが、びきどぅんな おとうが たふきゃーしって、あとぅ みどぅんてーが(男は父が一人だけで、あとは女ばかり)4世代が同居していた。
 
 がばんま(曾祖母)、みゃあんま(祖母)、叔母さん3人、かあちゃん(母)と7人働き者ばかりで畑仕事も男のように どぅみかして(突っ走って)いたから びきどぅん(男)兄弟が居なくてもおとう(父)は困らなかったと思う。
 
 両親も早婚で20才の頃には兄が生まれていた。兄を筆頭に男4人女3人が2年おきに生まれる。私達が学校に入る頃には叔母たち3人も次々と嫁いで行き、祖母2人と母の3人になった。
 
 かあちゃん達は畑仕事が忙しく子供が生まれてもお乳をあげる時しか子供は抱けなかったそうだ。乳児は祖母が、幼児は曾祖母が面倒見ることになるゆえに私と弟は曾祖母に育てられたようなものだった。
 
 名前無しの私達二人に やーぬなー(家の名)を付けてくれたのも がばんま(曾祖母)だったそうで、他の兄弟には、やーぬなー(家の名)は付いていない。それなのに、付けてくれた経緯も分からず本人を目の前にして嫌だ嫌いだと怒ってばかりの罰当たりな私だった。(「ミガチャン」という やーぬなーを現在は気に入っている)
 
 寝る以外は何処に行くのも3人(がばんま、弟、私)一緒だったし、私が知っている親戚は がばんま(曾祖母)の身内だった。現在でもそこのおじい、おばあたちは やーぬなーを云うと覚えてくれる。
  
 70代前だった筈のおばあは右手に ぐしゃんを(杖)つき、左手を腰において、前かがみに ばじゃみきて(忙しそうに)歩き、ばんたが ふたーす゚は(私達2人は)んにゃどうさーさーと(一生懸命に)追っていた。
 
 麻疹や水疱瘡等、おたふく風邪等で学校に行けないときはゆで卵や あずまーあずまの(甘〜い)葛湯を作ってくれ、食いしん坊の私は病気も良いもんだととんでもない事を考えていた。
 
 その がんずう おばあも(その元気なおばあも)晩年は痴呆症になった。三番座に寝ていたが朝から晩までお腹が空いたと訴えていた。食事直後でもだ。大人が留守の時には蒸したさつま芋や黒砂糖を食べさせてあげたが嫁ついでいる娘達が会いに来ると「今日はまだ何も食べていないよ」と話す。それを聞くたびに悲しい気持ちになった。
 
 このおばあには、後一つ悲しい思い出がある。
 
 今でこそ宮古のお墓は何処も広くて立派だが、昔の農家の墓は粗末のものが多かった。(そうじゃない所は御免ね。立派な所もあったはずね)
 
 我が家も丘の斜面に横穴を堀り蓋がしてあるだけのものだった。(入り口は石で囲まれていて、じゅうろくにつには皆でご馳走を囲んだ)がばんまは元気な頃から孫である ばんたがおとうに「ばが すんとぅきゃんなじょうとうぬ ぱかを つふぃふぃーるよ」(私が死んだら上等な墓を作ってくれ)と話していた。
 
 おとうもその話は忘れなかったのかおばあが寝込んでから だいばんの ぱかを つふたあ。(大きなお墓を造った)そして出来上がった日、寝たままのおばあを馬車に乗せて見せに連れて行った。
 
 私は子供で側に寄れず、おばあの顔は見てなかったが大人たちが口々に「はーい、んま、ぱかーじょうとぅんどぅ つふぁいうーば しゅわすっなよ」(はいーおばあ、墓は上等に出来ているから心配しないでね)と話しているのが聞こえた。私には死んでいいよととれた。
 
 私は うどぅるき(驚いて)母に詰め寄った。「どしてこんな悲しい事をするの」と「年取ると自分が入る墓が心配ってよ、おばあは安心したはずよ」と云われた。痴呆のおばあには皆の話は理解できなかったと思うがそれから暫くしてこの世を去った。
 
 いまでも我が家はこの時の墓だが、行くたび前を通る度にそのときの大人達の話していた事が頭をよぎる。本当に安心したのかね。おばあ。どうせなら痴呆になる前に見せてあげたらもっと安心したかね。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 4月1日。新年度の始まりですね〜。
 高校を卒業して、宮古から うまかまん(あちこちに)飛び出していった若者たちも新しいスタートを切ったでしょうか。大変なことも多いと思うけれど、わいてぃどー!
 
 くま・かまも、10年目に突入です。のーしぬ ぴゃーむぬがー(なんて早いんだー)。これまでと違う何かをやってみようかねーとかんがいやーみーみ(考えてはーみるみる)しています。10年目のこれからも、どうぞ宜しくお願いしますね。
 
 さて、vol.217は のーしがやたーがらやー?
 
 やらびぱだあ(子どものころは)、隣の地域に行くことも冒険でしたよね。あすなろさんが子どもたちを引き連れて、憧れのニャーツへ行く様子にほのぼの。叱りながらもトマトをくれるおじさん。んきゃーんな(昔は)こういう大人がいっぱいいましたね。
 
 神童の車の運転の地域性の話。うむっしでしたね〜。その理由も納得!「地域性」は、掲示板で掲載されたものをメルマガ用に、オールみやこふつで書いてくれました。また違った味わいがあったと思います〜。
 
 神童は、以前「神童の公開してはいけないブログ」というブログをやっていましたが、このたび「神童の公開してはいけないブログ2」を開設。神童の魅力全開です!ぜひ、アクセスしてくださいね〜。

 おばあさんに面倒を見てもらったという人は、やまかさ(たくさん)いてもひいおばあさんに・・・という人は、そうそういないですよね。ひいおばあさんの大和の宮古人さんたちを あたらっさ(大切に)する様子、ひいおばあさんを想う、大和の宮古人さんの気持ちが伝わってきました。
 
 あなたの感想もぜひお寄せくださいね〜。投稿まい受付中〜。お待ちしています!
 
 きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふ〜。
 (きょうも最後までお読みいただき ありがとうございました)
 
 次回は、4月15日(木)発行予定です!
 きょうも上等一日でありますように!あつかー、またや〜。