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くまから・かまから vol. 222

2021 5/08
メールマガジン
2010年6月17日2021年5月8日

こんにちは〜。
梅雨入りしたところが多いようですが、お元気ですかー?くま・かまもたまにはしっとりと(?)いきますかね。
vol.222 ぱずみっとー(始めますよ)

目次

おとう

大和の宮古人(城辺・長南出身)

今年の5月に父の13回忌を終えた。

ばんたがおとうは一言で云えば、働き者、ヘビースモーカー、さきふゃい(大酒飲み)。(3言か)

頑固で怖い人だった。しらふの時は無口だが、さきゅー ぬんつきゃあぴぃとぅぬどぅ かーす°たー。やどぅゆんにゃいつうまいどぅやーたー。(お酒が入ると人が変わった。夫婦喧嘩は日常茶飯事)

夕飯時に居ない時は必ず飲んで帰宅する。私達兄妹は早々に夕飯を済ませ、毛布を頭から被って寝た振りをした。泥酔して帰ったおとうは座って体を揺らしながら文句を並べて怒り狂っていた。殆どが子供達に向かっての不満だったが。

翌日、記憶が有ったかどうかは定かでないが2〜3日間は酒飲みには行かず食事も家では取らなかった。(何処で食べたか分からないが母の実家かな)

やどぅゆんの時は大きい声が出るのに普段は小さく口の中でボソボソと呟く。聞き返そうものなら逆に隣近所に聞こえるような だいばんくいで、(大きな声で)「のうゆが ききゅうが」(何を聞いているか)と怒る。父が話すたびに聞き逃さないようにビクビクして うとぅるす むぬだった(怖かった)

食事のときが一番怖かった。兄弟7人、静かに短時間ですませた。たまに食事中に外出から帰宅した時など、たとえ食べ始めたばかりでもご馳走様と立った。父の目に付かないように目立たないようにと其ればかり考えていた。

あすがど ばやー びきちゅやーたーば すぐ すたぬ うとぅとぅまーつき びぃゆぅてぃー おとうんにゃ かふぅてぃ つつきなーううてぃ いざぃうーたー(だけど私はお転婆で、直ぐ下の弟の側に座っていて父に隠れて突きあって怒られていた) 

兄弟全員の一番の楽しみはおとうが偶に沖縄に出掛ける時だった。この時ばかりは、嬉しさの余り喧嘩したり叫んだり、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。かあちゃんにゃ いざだな だまっち みゆうたー(母は怒らないで黙って見ていた)

だが帰る日の朝になると次第に憂鬱になり誰かしらが「おとうや きゅうどぅ、やーんかいきすや。かまんてーが うらばーや」(父は今日帰って来るね。ずーとあっちに(沖縄)に居てくれれば良いね)と呟いていた。

去年沖縄在住の叔母と話をした。私が小さい頃、帰省した叔母に、おとうが沖縄に出た時は一日でも長く沖縄に引き止めてくれと頼んだらしい。事情を知らない叔母はその事が忘れられずに居ると理由を聞かれた。説明すると驚いていたが、お腹を抱えて大笑いしていた。

成人してからも恐怖心は取れず、帰郷したときでも出来るだけ顔を合わせないようにした。1週間いても一言も口を利かないまま戻った事もある。

父も父なりに悩んだと思うが子供の頃の父の怖さが脳裏から離れず側に行けなかった。今思うと叩くわけでもないのにどうしてあそこまで恐れ慄いたのか不思議でならない。

60歳で大病を患い入退院を繰り返した。年に2〜3回は顔を見に帰ったが見舞いに行っても病室に5分とはいなかった。話題も無く黙って座っているのが苦痛に感じて洗濯物とベッドの周りを片付けると又来るからねと急いで帰った。

嫌いな父だが一生にたった一度プレゼントをした。退院祝いに新品の乗用車を送った。ピックアップトラックしか乗れなかったので乗用車を運転することもなく一生を終えるであろうと想像できたからだ。

しか〜し、考えの甘いこの私は、オートマをプレゼントしてしまったのである。マニアル車しか見たことのないおとうは心の中では、ぷりむぬ(バカ者)と思っていたはずだが何も云わず嬉しそうにしていた。

誰に教わって練習したのか満足そうに大事に乗っていた。追い越しもせず制限速度の40キロを頑なに守り、父の後ろには長い列が出来ていたも我関せずだ。一度だけ私の運転で助手席に乗った事があるが追い越したとたん女の癖に生意気だと怒り心頭になり二度と乗らなかった。

手術後やる気をなくしたのか畑を見回る事もせず、寝たり起きたりを10年ほど続けてこの世を去った。私たちがもっと上手に外に連れ出して楽しみを与えていれば或いはまだ元気に生きていたかも知れないと思う時もあるが誰にも出来なかったので仕方が無い。私達全員が未だにトラウマを抱えている。

大きな後悔がある。入院中に孫の結婚式があった。5百人以上も客を招待しながら父に見せてやれなかった。宮古での結婚式は初めてのことで皆がパニックになり父を迎えに行く事を忘れてしまったのである。夜中に気が付いたが後の祭り。翌朝ご馳走を持って行くと、ばたふさりて(腹が立って)いた様だが黙って耐えていた。一日中待っていただろうと思うと今でも可哀想でならない。

今は兄と二人で神棚に鎮座して皆を見下ろしている。家族に何事もなく過ぎていく時は「とうとくがなす ぷからすむぬど」(何事も無いから嬉しいよ)と感謝している母だがチョットした事が起きようものなら「二人してそこに座っていて何をしているかよまず?ふふぉうまい まぐぬきゃーゆまい ぞうきゃーにゃーん みーだかーならんどう」(子供や孫たちを事故のないように見守らなければいけないよ)と朝から写真に向かって怒っている。きっと男は辛いと苦笑している事だろう。

古謡が繋ぐもの

菜の花(伊良部町仲地出身)

6月11日、NHK総合テレビで「故郷想う 歌の旅 〜SAKISHIMA meeting古謡コンサート」が放送された。

この日は午後から夜勤だった。午後3時15分からの放送だから、少しは見ることができるかな〜と、出勤準備を済ませてからソワソワしながらテレビをつける。放送時間になった!「お〜!でた、でた!」下地勇さんと新良幸人さんが映る画面を見てつい くいぬ いでぃ(声がでてしまう)。

古謡「野崎トーガニー」は、勇さんの んまりずまん(生まれた集落に)んきーんかぁ(古くから)唄い継がれているものだという。しかし、唄えるのは地元の与那覇金吉さん たうきー(一人)であり、唄い継ぐ後継者は たるまい みーん(誰もいない)とのことだった。

宮古の方言、とりわけ生まれ育った久松の古き方言で歌う勇さんである。「残さなければ消えてしまう古謡がたくさんある。何とかひとつでも残さなければ・・・」との思いが画面からも伝わってきた。

与那覇さんは「野崎トーガニー」の唄が生まれた場所に勇さんを案内する。そこは久松の海岸近くにあり、岩から岩へと渡り行き、覗き込んだ岩場の奥から湧き出る小さな水源だった。普段は海水下にあり、引き潮のときにしかこの水は汲めないという。この「野川」の水は、日照りが続く時期には集落の人々の生活の水、命の水だったという。

水道の蛇口を捻ればいくらでも水がでてくる現代と違い、引き潮のときに、しかも岩場を渡って水を汲みに行かねばならない集落の人々。その苦労はたやすく想像できる。

受け継ごうとする勇さんの思いに対し、ありったけの心を込めて唄の手ほどきをする与那覇金吉さんの姿からは気迫すら感じられた。伝え手である与那覇さんの唄に対する思いは、厳しさとなって次々に勇さんに投げかけられた。継ぎ手である勇さんは、唄の真の意味は何かを魂で感じなければ到底唄えないという覚悟で臨む。二人の思いが重なり合いひとつになっていく様子が画面からもひしひしと伝わってくる・・・。目が離せない。

そして、いよいよ勇さんの故郷久松に古くから伝わる古謡「野崎トーガニー」を披露する日がやってきた。

薄明かりのステージ中央で目を閉じ、故郷へ、祖先へと思いを馳せるかのように厳かに唄う勇さん。その声が会場を包む様子が画面いっぱいに写されていた。流れる涙を拭きもせず、身動きもせずにじっと聞き入る びきどぅん(男性)の姿もあった。

勇さんの唄声を聞いていると、不意に与那覇さんが案内したあの海中に真水の湧く「野川」が浮かんできた。今日(こんにち)その「野川」が枯れてしまっているのなら、「昔を偲んで」とか言えるかもしれないけど、んなみがみまい(今この時までも)こんこんと水が湧き続けているのだ。

んきーんかぁ(古から)湧く水は、集落の人々の命を今日へと繋げた水でもあるのだ。夏の日照りの日、喉の渇きにむずがる やらび(子供)をあやしながら、「そーぬ(潮が)ぴしりば(引いたらば)んまーんまぬ みずゆ(おいしい水を)ふむきいかでぃいら〜(汲みにいくからね)なふなよー なふなよー(泣くなよ 泣くなよ)」と話しかける母親の声が聞こえる・・・。

病の床に就く親に「ぬがわぬ(野川の)みずゆ ぬみー(水を飲んで)がんずぅん なりさまちよ(元気になってくださいね)あんな(お母さん)(うや)(お父さん)」と、潮の引くのをじっと待ち、岩場を渡って汲んできた水を飲ませる子の姿が見える・・・。

勇さんの唄を通して、聞こえるはずもない先人たちの声が聞こえ、見えるはずのない先人たちの姿が見える不思議な錯覚・・・。先人たちの乾きを癒し、命を繋いだ海の中に湧く真水。その水を讃えて唄う「野崎トーガニー」。

古謡は先人たちの魂から発せられたものであり、現世(いま)に繋げ未来に繋ぐことで、勇さんは命と唄とをそのままひとつにして継いだ・・・。気がつけば、かまずゆ(頬を)なだぬ(涙が)さらさら〜てぃ(はらはらと)なーりぃいふ(流れていく)。

自分の存在は先人たちから継がれて此処にある!
のーしいぬばぁがら(どういうわけだか)そんな境地になった。

とっくに出勤時間が過ぎ、遅刻〜!と あわてぃがいらくで(慌てふためいて)家を出たが、職場に向かう足も軽やかになっていた。

ざす゜んみ人間の鎖(ずぶぬれ人間の鎖)

あば本舗(下地・上地出身)

実は去年から自治会の役員として地域活動デビュー中である。と書くと、のーがらー ずみーずみ き゜かりーがらまい っさるんすぅが あんしーまい あらんゆ(何だかかっこ良く聞こえるかもしれないが、実はそうでもない)持ち回りの順番なので、断るわけにはいかないのだ。

活動してみて初めてわかった事だけれど、自治会には様ざまな呼びかけや案内が持ち込まれる。県民大会や普天間基地包囲行動への参加呼びかけもそのひとつだった。

今、沖縄は基地の移設問題で大揺れに揺れている。自治会の集まりでもよく話題になる。5月16日の基地を包囲する人間の鎖を成功させようと役員達が熱く盛り上がる中、 あみぬ っふぃうりば いき゜ぶっふぁ にゃーんゆ(雨が降っているから行きたくないなぁ)と口に出す勇気はなく・・・。

「あなたも行くでしょ?」と聞かれ「あぁっ?は、はい、もちろん参加します。」と慌てて返事した私であった。

このところ例年にない大雨が続いている沖縄地方。案の定、当日16日も朝から大雨洪水注意報の土砂降り。午後1時、私たちは町が準備したバスに乗り込み現地へと出向いた。

雨ガッパを二重に着こみ雨靴を履いての重装備?である。降りしきる雨の中、宜野湾市へと向かう車は大渋滞。そして基地のフェンスの周囲に大勢の人びとの姿が見えてきた。

各市町村の幟(のぼり)があちらこちらではためいている。そのなかには宮古島市の旗もあった。沖縄の北から南から集まってきている事がよく分る。

個人参加らしき んまっふぁ(親子連れ)もとても多い。多分、普天間基地周辺に住む宜野湾市民なのかなぁ。ざす゜んみ(ずぶ濡れ)の子供たちとその手をしっかり握る若い母親や父親の姿は、とても印象的だった。

降る雨は冷たかったが、会場全体に静かな熱気と皆の強い決意が感じられた。会場周辺には、係りらしき若者達がマイクを持って大きな声で指示している。

「まだ繋がっていない場所が何箇所かあります。皆さん、もっと奥へ移動してください!」

「どんどん広がって、手を伸ばしてー!手持ちの傘やタオルも使ってくださーい!」

包囲行動は3回実施。1回目午後2時=数箇所で繋がらず失敗。2回目午後2時30分=基地周囲を人間の手で包囲成功。繋いだ手を高々と上げる。あちこちで拍手と歓声が沸き起こった。3回目午後3時=2度目の包囲成功。何度も何度も喜びの歓声とウェーブが起こる。

こうして、包囲行動は何とか終わった。雨ガッパを二つも着込んだが、中は ざす゜んみ(ずぶ濡れ) んにゃどーさー(もう大変)と自宅に戻る。熱いシャワーを浴びショウガ湯を飲んでやっと生き返った思いがした。

あれから普天間の問題はTVや新聞に頻繁に取上げられるようになった。そして首相は鳩山さんから管さんになったが、のーぬが かーりゅうがらかーりゅうらんがら むす゜とぅっさるん(何が変わったのか変わっていないのか、ぜーんぜん分らない)

ニュースを目にするたびに思い浮かぶのは、あの日会場に集まった人びとの真剣な眼差し。

そして忘れられないのは、横殴りの雨が目に入るのも構わず小さな手を高々と掲げていた子供達の姿。

かぬ やらびぬきゃーぬ うぷいふなす゜まんきゃー のーまい しわーにゃーん まーんてぃーぬ みるくゆーやしー あらしふぃーるよー(あの子供たちが大きくなるころには、何も心配もない本当の豊かな世の中になりますように―)と願わずにはいられない。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

6月15日は、旧暦の5月4日。各地でハーリーが行われ、熱戦が繰り広げられたようです。沖縄地方はそろそろ梅雨明けですね。

島田紳介さんの番組「紳介社長のプロデュース大作戦」の影響で、宮古が注目を浴びていますが、私も最近、こっちの友人、知人から宮古のことをよく聞かれます。息子も、友人たちに宮古に帰ったら民宿見てこいよと言われているらしい。宮古の話題が やまかさで ぷからすむぬ!

して、パニパニJrが歌う「宮古まもる君のうた」は番組の中でも紹介され、その着うたが沖縄音楽の携帯サイト「沖縄ちゅらサウンズ」で連続三週一位を獲得したそう。(6/11日付け宮古毎日新聞より)すごいですね〜。今後もますます注目されそうですね。

さて、vol.222や のーしが やたーがらやー?

大和の宮古人さんのお父さんの話は、あの時代の父親像を表している気がしますね。ばんたが(うちの)おとうも やどぅゆん おとうでした。なにがそんなに やどぅゆんをさせたのかね。まずと思うのですが・・・。それにしても大和から車を送ってあげてすごい親孝行ですね。お父さんは、きっと想像以上に ぷからすだった(うれしかった)ことでしょう。

勇さんの出演したNHKの番組私も見ました〜。古謡を歌い継ぐということは、菜の花が書いているように先人たちの魂と命を繋ぐということ。勇さんの歌声は、まさにそんな感じでしたね。「自分の存在は先人たちから継がれて此処にある!」と菜の花が思ったことが、まさに与那覇金吉さんが伝えたかったことかもしれませんね。

あば本舗さんが参加した「人間の鎖」は、内地のメディアでも取り上げられていましたね。ご覧になった方も多いと思います。実際に参加したあば本舗さんならではの手触りが感じられたお話しでしたね。あば本舗さんは「あの日の空気がいろんな方がたに少しでも伝わればいいなぁと思います」と話していました。

あなたの感想ゆまい きかし ふぃーさまちよ〜(聞かせてくださいね)一番下のほうにある、評価のアドレスをクリックするとコメントを書くこともできます。よかったら書いてくださいね。

きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!)

次回は、7月1日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに〜。
うぬときゃがみ がんずうやしー うらあちよ〜。(その時まで、お元気で〜)
あつかー、またや〜。

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