こんにちは。
3月11日に未曾有の大地震がおきました。
この地震で亡くなられた方がたのご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。
今回のくま・かまは予定を変更して、東日本大震災の早急の救済・復旧を願ってお送りします。
仙台市の3人の無事を確認
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
11日(金)の午後2時46分、東北で過去最大規模の地震が発生したころ、私は中部国際空港から名古屋市内に向けて車で移動中でした。13日に開かれる宮古民謡保存会名古屋支部の10周年記念発表会に参加するため、正午過ぎに那覇を発ったのでした。
途中、迎えに来てくれて車を運転していた名古屋のMさんに「地震で大きな揺れがあったが大丈夫か」と電話が入り、津波警報も出ていることを知らされました。名古屋市内でも結構揺れたようですが車上のため何も感じませんでした。直ぐにカーナビの画面をテレビ画面に切り替えて、事の重大さを徐々に認識していきました。
仙台市内に嫁いだ中学の同期生の二人の友人の安否が気になりましたので、ケイタイで連絡を取りましたが、繋がらなくなっていました。また、指笛王国の仙台親善大使にも連絡が取れませんでした。
そのうち、沖縄本島や宮古島の友人たちから、三人の安否情報を確認する電話が私のケイタイに次々に入りました。みんな心配してくれていました。私は試しにと、ケイタイでメールも送ってみましたが、すぐには返事がありません。
夜、ホテルの部屋のテレビは、各局とも大津波による各地の被害の映像などを繰り返し伝えています。映画の特撮を見ているかのような錯覚にさえ陥ります。私はケイタイで連絡を試みますがやはりつながりません。不安が募ります。
12日(土)午前11時過ぎ「くま・かま」の初美さんから私の友人たちを心配し無事を祈るメールが届きました。午後4時過ぎ、仙台市若林区のHさんから私のケイタイに無事を知らせるメールが届きました。「16時、やっと電話が通じ始めました。メールがど−っと入りました。ほんの少し海よりの方は大変な犠牲者がでているようで心配です」と綴られていました。
夜、舞台のリハーサルのとき、同期生への対応をお願いしていた那覇のY君から、仙台市泉区のS江さんについては、宮古島にいるS江さんの妹さんの電話が通じて無事であることを確認したと連絡が入りました。
13日(日)午後2時からの舞台発表は予定通り進められました。司会でしたので、冒頭「皆さんと一緒に被災者の方々の無事を祈りながら進行いたします」と断って始めました。
第1部の最後に登場した「みやくエイサー」の演舞の途中で、感動的なシーンがありました。
「みやくエイサー」は、創作エイサーを宮古民謡にのせて踊るユニークな団体。保存会名古屋支部長の息子N君が代表をしており、一昨年の宮古島のクイチャーフェスティバルにも出演しています。ほとんど名古屋の青年たちです。そのN君が「岩手県宮古市でも大きな被害が出ています。同じ宮古という縁で、宮古市の皆様への義援金を取り組みますが、いかがでしょうか」と呼びかけると、会場からは温かい拍手が送られました。
終演後の打ち上げ会の席でも義援金の取り組みは続けられ、合わせて12万8千円余の協力が寄せられました。N君は「義援金は、クイチャーフェスティバルに参加した名古屋のH男君の提案だったのです」とのこと。彼らは、その義援金を届けるタイミングと方法をみんなで考えるそうで「みやくエイサーを宮古市の皆さんに披露して、元気を取り戻してもらえるといいかも」と語っていました。
14日(月)の午後5時過ぎ、那覇空港に着き、帰りのタクシーに乗っているとき、仙台親善大使のIさんからも、無事を知らせる電話が届き、喜び合いました。大使も何回も電話したが繋がらなかったとのことでした。
16日(水)の出勤前、仙台の二人に様子を尋ねるPCからのメールを試しに送信しました。夕方帰宅すると二人からの返信が届いていました。
仙台市若林区のHさんから
「元気ですよーー。電気、水道は使えますので、大丈夫です。テレビが見えるようになって、ごくごく近くで大変な事になっていて絶句です。我が家は避難することも無く、あと2週間分の食料もあるので、被災した方々に申し訳ないくらいです。地震直後は往来を車が走っていましたが、ガソリンの供給が出来なくなって、今は静かです。地震後2晩我が家で過ごしたM子さんが先ほど、ダイエーで2時間並んで買った野菜を届けてくれました。すぐ近くに住んでいますが、水道がダメだそうでお礼に?シャンプーをしてあげました。沢山の同期生の皆さんからもご心配いただきましたが、元気ですので、よろしくお伝えくださいね。皆さんも何時どこで災害が起こるかわかりませんので、どうぞ備えをしておいてくださいね。」(後略)
仙台市泉区のS江さんから
「こんにちは。メール届いておりますよ。このたびはご心配おかけしました。ご承知のとおり我が家及び家族ともども無事でしたのでご安心下さい。海岸から直線で約10キロほど離れておりましたので・・・。電気がやっと通じましたが水は未だです。近くにいる息子のアパートで先ほど洗濯し、水を貰って帰宅したところです。いろいろとご心配をして頂きありがとうございました」(先ほど電話したら、15日は水の配給のためにご主人が6時間も並んだとのことでした)
以上の経過のように、私の関係者はみなさん無事で、お元気そうです。んにゃ あてぃうむやすむぬ(とても安心しました)。未曾有の自然災害に遭われた皆様にお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
不自由な避難生活を続けている皆様の不安や健康への影響、原子力発電からの放射能被害の拡大、余震など、なお気がかりですが、一日も早く安心して生活できるようになることを祈らずにはいられません。
こぶしの花咲く日を願って
菜の花(伊良部町仲地出身)
3月11日14時46分、三陸沖を震源とする巨大地震が東日本を襲った。マグニチュード9.0!そんな値これまで つっちゃーみーん(聞いたこともない)!
毎日のように報道される被災地の被害の惨さには言葉を失い、今なお多くの方の安否確認が出来ていなくて、増えていく死者の数にもやりきれなさで胸が締め付けられる。一人でも多くの方の無事と、少しでも早く被災地に救助と救援の手が届きますようにと祈るばかりである。
地震のあった日、休みだった私はデパートで買い物中だった。突然床が揺れ、そのうち止むと思ったが、止むどころか揺れはますます激しくなり、いきなり店内が停電になった。暗い店内、止まない揺れ。子どもの泣く声が聞こえ、ざわざわと店内に不安の声が広がった。
店員が大きな声で駐車場へ続く通路へと案内し、私は通路に一番近いところにいたため、店内からどっと押し寄せてきたお客さんに押し出されるように駐車場へと移動していった。あと2メートルもあれば駐車場への入り口というところで、パンッ!パンッ!パンッ!と、音と共にガラス戸が割れ、粉々になったガラスが飛び散った!
悲鳴と共にまた店内に引き返していく人の群れに、夢か現実か?と茫然とした。携帯で震源地三陸沖震度7マグニチュード8.8(その後9.0に訂正)という事態を知り、急いで家族に無事確認のメールを送信したが返事がこない・・・。
見ると床に手を突いたまま動かない若い女性がおり脈拍を取る。顔色は悪いが、返事はしっかりできている。店員が救急車を要請しようとするので、緊急事態発生時の救急車の要請は安易にしないほうが良いと制した。恐怖でショック状態になっているが大丈夫であることを告げ、女性が落ち着いたのを確認し、揺れも止まったので急いで駅へと向かった。電車は止まり電光掲示板は表示がないままだ。
家に帰らないと!施設へ行かなくちゃ!気持ちが騒ぐ。
そのとき、70代くらいの女性に声をかけられた。私と同じ駅へ向かうというので、一緒にタクシー乗り場へと急いだ。普段は溢れかえるほどのタクシーがいるのに一台もいない。待つ人だけが長蛇の列をなし、バスも留ったままだ。最後の手段は自分の足での移動だ!女性に歩いて帰ることを告げると、一人なら怖いが一緒なら歩くと言いだしたので二人で歩きだした。
目的の駅までは徒歩1時間余り。目に着いた自動販売機から熱い飲み物を二つ買い一つを女性に飲むよう伝えた。ショックを受けたときの人の身体は循環が悪く体温も下がる。喉が乾いていなくても温かい飲み物を摂ることは大事だ。
年配の女性はショックのせいかよく喋った。私の家の隣の家の話がでたときには驚いた。なんと!16年前、私の家のすぐ傍のアパートに住んでいたという!おごえ〜!!何と狭い人の世かさぁ!お互い急に身近な人に思えて歩く足も軽くなった。
途中でタクシーからお婆さんを引っ張り出そうともがいているお爺さんを見かけた。看護師であることを告げ、タクシーの座席から車いすへと移し、そのタクシーに乗り目的の駅へ着いた。女性と分かれて急いで自宅へ戻り、家が無事なのを確認するとそのまま施設へと向かった。
施設も停電になっていたが、誰一人として怪我も異常もなく無事との報告を受け心から安堵した。
私の管理するフロアは4階と5階で、揺れも大きかったはず。重度の認知症のお年寄りの多くは、普段は本能的で咄嗟的な行動が多く、目が離せない。そんなお年寄りたちが、静かにじっとしているばかりか、職員を労わっている姿を見ると胸がいっぱいになった。
触れあうことはショックや恐怖を和らげる効果があるので、背中を擦ったりハグしたりしながら たうきーたうきー(一人ひとり)に声をかけた。私の頭を撫でたり、頬を擦ってくれるお年寄りもいた。恐怖やショックは、時間をおいて後から現れることもあるので、今後もしっかり看ていかないと!
職員にも声をかけた。災害時や緊急時には誰かが指示をすることで、落ち着いた行動がとれるという。災害時対策の確認をし、あとは暗くならないうちにと職員全員で働いた。
電気が復旧し入所者が寝はじめたのを確認して、帰宅したら一日の終わりが迫っていた。家族も皆無事に揃った。長い一日だった・・・。
多くの老人が入所している私の職場。余震が続くたびに気持ちが落ち着かず不安が募るが、被災地はこんなもんじゃないのだ!そう思うと、自分の立ち位置を揺るがしては、被災地で耐えて頑張っている方たちに申し訳ない!入所しているお年寄りの一日を守る仕事をきちんとしていくことが今は大事なことだと思えてくる。
高台に建つ施設の窓からは今年も花を付けはじめたこぶしの樹が見える。
♪こぶし咲く あの丘 北国の あ〜北国の春♪
不意に、千昌男が故郷を歌った「北国の春」の歌詞が浮かんだ。私の思いなど被災地の被害の凄まじさの前では欠片ほどのものに過ぎないだろうが、それでも限りの思いを込めて祈る。
今は瓦礫の山と化した被災地の大地に、必ずこぶしの花咲く日がきますように!
震災における役立ち情報
Motoca(平良・下里出身)
前回のくま・かまでクライストチャーチの地震のことを書いたのに、そのショックも冷めやらぬうちに今度は日本で地震、そしてあり得ないほどの大きな津波が・・・。書いているうちに静岡でも・・・!あがいーあがい、どこを向いても き゜もをやます(心を痛める)ことばかり。自然とはこんなに恐ろしいものなのか。
東京は、普通の生活に戻れそうで戻れない状態だけど、まだまだ大丈夫。被災されたみなさんや、大変な中どうにかこうにかして世の中の活動を止めないように頑張っている方たち。ばんまい、まきらいんどー(私も負けられません)。
役に立ちそうな情報を掲載しているウェブサイト(ホームページ)一覧を作ってみました。ぜひご活用ください。
■ ポータル(総合情報)
・Google Crisis Response
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)http://goo.gl/saigai
⇒災害に関する情報(注意報・警報、災害掲示板、避難所や給水・炊き
出し情報などへのリンク一覧)
・SAVE JAPAN【東北関東大震災】エリア別救済支援情報サイトhttp://savejapan.simone-inc.com/index.html
■Twitterで情報発信
・朝日新聞社会グループ
http://twitter.com/Asahi_Shakai
⇒(1)被災地の方向けの情報(ライフライン、避難所生活のアドバイスなど)、(2)被災地以外でできる支援(寄付、ボランティアなど)
■ 消息情報
・Google Japan
Person Finder (消息情報): 2011 日本地震
http://goo.gl/sagas
⇒検索データベース
避難所名簿共有サービスhttp://goo.gl/ganbare
⇒各避難所の避難者名簿を写真撮影したもの
・赤十字ファミリーリンク・ネットワーク
日本:東北地方太平洋沖地震 2011年http://www.icrc.org/web/doc/siterfl0.nsf/htmlall/familylinks-japon-jap
■医療情報
・応急手当web(北海道医師会)
http://www.hokkaido.med.or.jp/firstaid/
・体と心にかかる負担を軽減するために
災害後に知っておきたいメンタルケアまとめ
(@IT自分戦略研究所)
http://www.atmarkit.co.jp/news/201103/14/mental.html
・災害時のメンタルケア
http://juicylab.blogspot.com/2011/03/blog-post_13.html
(ブログ「水の反映」http://juicylab.blogspot.com/ より)
■最後に:
世界中の人々が、日本のために祈ってくれています。
・世界中から寄せられた日本への祈り – Pray for JAPAN
写真:http://matome.naver.jp/odai/2129988433846418301
メッセージなど:http://matome.naver.jp/odai/2129992696546766901
だから、みなさん、あららがまど!(負けないで!)
そして、わいどー!(頑張りましょう!)
気持ちは被災地に
松谷初美(下地・高千穂出身)
3月11日、地震のあったこの時間、自宅から二駅離れた場所で兄のnaichar-shimaと待ち合わせをしていた。兄からは、ぴっちゃ(少し)遅れるという連絡があり、ひとりでカフェにいたところ、地震がきた。
すぐおさまるだろうと思っていたらグラグラ揺れがとまらない。ただごとではない揺れに多くの客が外に。そこに兄も来た。電車から下りたばかりだという。カフェに一旦戻ったが、すぐに帰ることにした。
駅前は、やまかさ(たくさん)の人だかり。近くにはイトーヨーカドーもあり、そこからの買い物客や、卒業式があったのか、着物やスーツを着た若者たちもいる。電車はストップし、タクシーに並ぶ列がアッと言う間にできた。
前に並んでいた人に「○○駅行きの人いませんか?」と声をかけられ、知らない人同士3名タクシーに乗り、無事帰宅した。
帰宅後すぐ職場(図書館)に向かうも途中の踏み切りが開かず断念。後から聞いたところによると本が落ちただけで誰にも怪我がなかったとのこと。安心した。
家に戻り、テレビをつけると、想像を絶する地震、津波。のーしぬばーが(どういうこと)あまりのことに言葉にならない。こんなことがおこっていいものだろうか。岩手の宮古市も・・・。宮古市は宮古の多良間村と姉妹都市だ。なんてこと。
地震直後には、なかなか携帯が繋がらなかったが、徐々に繋がるようになり、あちこちに連絡を入れたり、心配の電話が入ったり、夜遅くには、関東のくま・かまライター全員の無事を確認した。息子は家にいて無事。夫は電車が開通するのを待って夜中の3時過ぎに帰宅した。
11日以来、ずーっと地震情報を流し続ける、テレビや新聞にクギつげになっている。次々に街を飲みこむ大津波。避難所で命があっただけでもと涙する女性。幼稚園バスの中で変わり果てた姿の子どもと対面するお母さん。瓦礫の中を息子さんの名前を叫びながら歩くご夫婦。やっと繋がった電話でお父さんと泣きながら話すお嬢さん。一生懸命救助・支援活動をする方々。96時間ぶりに救出の男性。自らも被災している中学生たちがみんなのためにと「がんばろう」と書いた紙を貼る様子。涙なしでは見られない。
安否が分からなかった、東北に住むくま・かま読者の方や、クイチャーマンさんの友人たちが無事なことが次々分かり、胸をなでおろした。
宮古島市の下地敏彦市長は、市のホームページにおいて「東北地方太平洋沖地震について市長メッセージ」の見出しでメッセージを載せている。
「宮古島市ホームページ」http://www.city.miyakojima.lg.jp/site/view/index.jsp
今、日本中、世界中の人たちが、被災地のみなさんに気持ちを寄せている。自分の仕事をしながら自分の役割を果たしながら、それでも気持ちは被災地に寄せ、自分にできることを探している。
被災地では新しい命が生まれた様子が放送されていた。
これから全ては、明るい光に向かって進み、心穏やかな日々が早く訪れますように願ってやみません。
無事を祈っています
根間郁乃(平良・久貝出身)
被災された皆さま、日本各地で地震に遭った皆さま、揺れの中で大変な思いを味わい、いまも心細い日々を送っていることと思います。
遠く宮古島にいる私たちも、ニュースで岩手県の「宮古」という文字を目にするたびに同じ名前を持つ島の者として、いつも胸が痛みます。
ただただ、皆さまのご無事を祈っております。
この海と空が本州、そして世界につながっていることを思いながら。
遠くから応援しています
しまこ(カルフォルニア在)
地震のニュース、あまりの恐ろしさに涙うるうるしてます。掲示板で皆さんが無事、と書いてあったので、一安心。
こちらの金曜朝のニュース、NHKのニュースでMIYAKOと聞いた息子は大パニック!すぐに説明し落ち着きましたが。募金活動が始まってます。
あまりお役に立てませんが遠くカリフォルニアからお祈りしてますね。
大津波
神童(平良・島尻出身)
だいばん なんん やーでぃゆ さーりぃ ぴらいたー 東北なぎぬぴとんみ。うわたー 偉い。かぬ やなんどる うぷすから いきでぃうーば。
(大津波で家族をさらわれた東北の被災者の人たち。貴方たちは偉い。あの泥だらけの波から生還してるんだから。)
なんん さーりぃぴらいたー やーでぃや かんぬ 選びぃ さーりぃいきたりばどぅさーや。うわぁが てぃーゆ たなぎたりばど ながさいたーってぃ あてぃくと どぅーゆ しみぃんなよ!
(波にさらわれた家族は、神が選んで連れて行ったので、貴方が手を放したから津波に呑まれたと自分を責めてはいけない。)
うわたー かぬ なんから いきでぃうー くとちゃーしまい 偉い。いきでぃうー くとちゃーんしまい がんばりどーてぃ っすぁいどうー。
(貴方たちはあの波から生き延びていることだけでももの凄いことだ。生き延びたことだけでも 頑張っていると理解する。)
また、なんん さーぴらいたー やーでぃや んざがらーんいきでぃ 避難しゅーぱずやーば ぬーずんゆ してぃや ならんどぉ。
(また、波にさらわれた家族は どこかで避難してるはずだから 最後まで望みをすててはいけない。)
やがてぃ わーつきぃまい ぬふーぬふーなりぃぴぃーがまたやーばんなぴっちゃがま わいてぃ うりぃふぃーさまち。
(やがて気温も上がって 暖かくなるはずだから もう少しだけ 希望を持ち続けて欲しい。)
わいどぉー!
あららがま
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
3月11日に発生したマグニチュード9.0の巨大地震は、かってないほどの地震津波災害をもたらしている。この文を綴っている今日現在、死者・行方不明者は1万2千人を超えたと報じている。未曾有の大災害だ。
被害は広範囲に渡り、町や村全体が破壊されるというすさまじさだ。テレビに映し出される被災地の惨状には言葉を失ってしまう。海岸から数キロに渡り内陸部にまで被害が及んでいる。津波の凄まじいまでの破壊力だ。
瓦礫の山を目の前にして為す術もなく呆然と立ちつくす人々。連絡の取れない肉親を捜して被災地を彷徨う人々。救援物資も思うように届かない中、避難所に身を寄せている被災者の皆さんの気持ちを考えるといたたまれなくなる。
宮古島には「あららがま」という言葉がある。大きな困難に遭遇したとき、なにくそ負けてたまるかと自らを鼓舞するために発する言葉である。
宮古島は台風の多い島である。過去に幾度と無く大型台風に見舞われてきた。自然の猛威の前にあらゆるものがなぎ倒され破壊される。そんなとき島民は「あららがま!」と叫んで復興に向け立ち上がってきた。
何も出来ない自分ですが、肉親を失い、家屋を失い、何もかも無くしてしまい途方に暮れている被災者に対してこの「あららがま」を送りたい。
被災地に入ったカメラが、瓦礫の中黙々と一人で小屋を建てている被災者の方を紹介していました。皆が入れる風呂場を建てているんだと明るく笑っておられました。確実に復興の槌音が響いています。
どうか強い気持ちと希望をもって、この未曾有の大惨事に立ち向かって下さい!
あらためてこの災害で犠牲になった方々のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈ります。
あららがま!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
11日の地震から、長い長い1週間が過ぎました。それでもまだまだ安否の分からないたくさんの方々がいたり、被災地にも十分な物資が届かなかったり、また福島原発の問題もあり、二重・三重の苦しみを味わっている地域もあります。
心が痛むばかりで何もできませんが、せめて、応援メッセージを送ることできればと今回は内容を変更してお送りしました。
たくさんの海外からの支援もぞくぞくと報道されて ぷからすことですね。くまかまも先ほど紹介したカルフォルニアに住んでいるしまこさん、それからサウスカロライナに住んでいる、ジェニファーさん(宮古方言に興味を持っているアメリカの方)からも励ましのメールをもらいました。ありがとうございました。
今回書いていないライターのみんなも心を痛め、被災されたみなさんのことを想っています。皆で話し合って、今後くま・かまでも何か支援ができればと考えています。
vol.238で菜の花が書いた「一粒の種」のドキュメント映画が上映される「第三回沖縄国際映画祭」ですが、予定通り(3月18日〜3月27日)開催されるそうです。詳細は「沖縄国際映画祭」http://www.oimf.jp/jp/で。主催者側は、お祭り色の強いイベントを開催することに批判があることを承知の上で、お笑いは「人々の顔から多くの笑顔が消えようとしているこのようなときであるからこそ・・・」「被災地へのチャリティーを目的とした映画祭として開催することを決定しました」と発表しています。
まーんてぃ その通りだと思います。被害のない私たちは、自分たちの仕事・役割を粛々とやるが大切なことだと思います。22日には、菜の花こと高橋尚子も映画祭に行くとのこと。お近くの方はぜひ!
それから宮古でもシネマパニックにおいて上映される予定だということです。日にちを確認してぜひおでかけくださいね。
最後に、被災されたみなさんが、心安らかに過ごせる日が一日も早く来ることを心より願いvol.240を終ります。
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
(今日も最後までお読みいただいて、ありがとうございました!)
次回は4月7日(木)。くま・かま創刊10周年を記念して「方言宮古かるた」をお届けする予定です。どうぞお楽しみに!
どうぞ、みなさん、がんずぅかりうらあちよー(お元気でー)
あつかー、またいら!