こんにちは〜。
宮古は梅雨らしい天気続きのようですね。恵みの雨となりますように〜。
今回の、くま・かまぁ料理のぱなすからスタートです。お楽しみください〜。
島らっきょうの料理法
神童(平良・島尻出身)
まずは、油味噌から。
島らっきょうは泥付きを買います。決してパックに入ってこぎれいななりをしているらっきょうを買ってはいけません。
パックに入っているのは、店頭で販売中に葉が出てこないように軽く塩もみされているからです。泥付きはまず外から皮を剥いていくんだけど、出来るだけ瑞々しい皮が出てくるまで剥いてしまいます。
けちって白くなってきたからいいかな?とかすると、外側の固い皮が食感を損なうのです。
そして大事なことは、葉の部分ぎりぎりまで使うことです。球根部分より球根と葉の間の細長い部分が んまーんま(美味しいのです)、はい。
なので島らっきょうは長い状態となります。皮むき後は軽く塩もみです。
球根の部分が径5mm以上なら包丁の腹で潰して味を凍みやすくします。フライパンに油を張って島らっきょうを炒めます。
焦げ目を付けること大事です!だしの素も大事です。ここんとこかなり大事です。試験に出ます!
だしの素は既に沖縄料理の中枢です。水で溶いた宮古味噌を入れて水分が飛べば完成です。あと、酢少々。
以上、油味噌の作り方です。熱々ご飯にばっちりです。
サービスで塩漬けです。
下処理は一緒で、出来るだけ球根の いみっちゃの(小さい)ものを使います。潰しません。
糖尿病なんか、成人病なんか怖くない!って気持ちで塩をぶっかけて2日後からOKです。二日酔いのお茶漬けにバッチリですが、この塩漬けらっきょうはふかしたお芋とバッチリです。
しかーし!当方はお芋が嫌いなので・・・。
ま、騙されたと思って試してください。
3月11日・旅立ちの日に
キムキム(平良・西里出身)
「旅立ちの日に」詞:小嶋 登 白い光の中に 山並みは萌えて はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ 限りなく青い空に 心ふるわせ 自由をかける鳥よ 振り返ることもせず 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り この広い大空に 夢を託して 今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い力 信じて この広い この広い 大空に
卒業式に歌われる歌も時代とともに様変わりしている。私の世代には定番だった『仰げば尊し』や『蛍の光』は歌われず、最近では、『旅立ちの日に』が、人気のようである。埼玉県市立中学の校長が、崩壊していく学校を立て直すため合唱に力を入れ、自分の定年と同じ年に卒業していく生徒達に、贈る歌として書いた曲らしい。
聴いてみると、私達「仰げば世代」にも何ともいえずノスタルジーをそそる歌である。2011年3月11日は、末娘の中学校の卒業式だった。
やはり、この歌が歌われ、胸が熱くなり、ジーンとなりながら聴いた。末娘は、長女とは12歳の年齢差、学校環境や受験のしくみ、何かと新しくなった学校システムに、迷いながら悩みながらの年間だった。すてぃうきゃーまい ゆぬくと やーすがど(放っておいても同じように卒業できたはず)なのに・・・結構、難儀だった(親の歳のせいか)。
期待どおりに ぼうちらで(おてんば)、人騒がせで、のびのびと どーかてぃに育った娘。3年間のテニス部では、「先輩の教えが絶対」、先輩には従順でとてもかわいがってもらった。左利きのため、指導のできる先輩がいないことを理由に入部を断られたものの、左利きの卒業生を頼って素振りの指導をしてもらい、卒業までには、県大会にも出れるほどになれた。おかげで顔も手足も真っ黒、体操服もいつも真っ黒、高校受験も「テニスができれば」合格できると本気で思っていた!・・・はず・・・。
娘よ、世の中、そんなに甘くないんだよ。受験がせまったある日、ボソッと言った。「お母さん、この3ヶ月で一生分の勉強をしたような気がする」誰に似たのか・・・のうてんき・・・一生のうちに勉強する量は、こんなものか?
果たして、受験も終わってみると、「おまえにぴったりの高校だね」と大絶賛の夫に、うわが ふふぁさいが(あなたの子ね)・・・・と、ぼやく。そんな娘も、友達と先生との別れの日には、大泣きのいじらしさを見せた。永遠の友情を誓い、先生も子ども達も涙で顔はぐしゃぐしゃだった。
午後には、卒業を祝って、友達や先生方、親への感謝をこめて謝恩会が開かれるはずだった。・・・帰宅して少し休憩した時、「震度6」が来た。
1995年1月、阪神・淡路大震災の時、私のお腹の中で、暴れていた子は、2011年3月、東日本大震災の日に、中学を卒業した。忘れる事のない揺れ・不安・パニック。帰宅難民となった夫と娘の帰宅を待ちながら、防災リュックをかかえたままで「卒業おめでとう」「一生、絶対に忘れない卒業の日になったね」と震える声でつぶやいた。
テレビでは、地震と津波の映像が休むことなく映しだされていたが、現実として受け入れる余裕がなかった。おおげさではなく、「この世の終りか?」と思った。それほどの恐怖だった。
卒業の歌のはず・・・「旅立ちの日に」山並みが被災地の山並みと重なり、「飛び立とう 未来信じて」を被災地へのエールとして、私の中の復興の歌として何度も何度も口ずさんでしまう。
『いつもどおり』じゃない東京で
Motoca(平良・下里出身)
きゅうまい ばやー、電灯のきゃーりた 電車ん ぬうり、すぐとんかいぴす゜(今日も私は、電灯の消えた電車に乗って仕事へ出かける)。
あの地震の日から、もう2ヶ月あまり経ったんだね。東京にはもう、余震もほとんど届かなくなった。あすが(でも)あの日以降、どこか現実でない世界に入り込んでしまったような感覚から、私はまだ抜け切れずにいる。
東京の街の風景が、ちょっと ぴんな(変な)ことになっているからだ。いま、地震の影響(津波)の影響(原発被災)の影響(電力供給能力の低下)により、どこもかしこも節電モードなのだ。
いまは駅でもショッピングモールでも、通路の蛍光灯が半分以上 きゃーりて(消えて)いて、なんとなく っふぁーっふぁ(暗々)としている。オフィスも照明を減らしているところが多い。コンビニや薬局もみな蛍光灯を一部消して営業している。夜間営業を停止しているコンビニもあって、驚いた。外の明るいうちは、地上を走る電車は軒並み消灯している。地下鉄の車両もところどころ蛍光灯が間引きされている。エスカレーターやエレベーターを休止している駅も多い。
なんだか、いつまでも非常事態が続いているようで落ち着かない。東京の「いつもどおり」は、一体、んざんかい ぴす゜たがらー(どこにいったんだ)?
それでも、最近はだいぶマシになった。3月は暖房に使う電力もあったので、今よりも消されていた電灯は多かったし、早じまいする店も多かった。計画停電の影響もあって電車のダイヤは毎日変更されるような状態で、運行本数もさらに少なかった。
駅にはいま「節電対策ダイヤ」と書かれた時刻表が貼り付けられている。通常の8割程度の運行本数に抑えているのだそうだ。けれど、通勤時間を心配することはもうなくなった。ゴールデンウィークからは特急列車の運行も再開され、んなぴっちゃ(もうちょっと)で、もとどおりになりそうだ。
時間の経過とともに、街には少しずつ灯りと活気が戻ってきて、ちょっと安心している。一時は多くが きゃーりて(消えて)いた街頭の照明もまた次第に増えてきて、んなまぁ また がじゃがじゃーてぃど なりき゜たー(いまはまた賑やかになってきた)。デパートや駅の通路の照明は、まだ少し薄暗いが、消灯する場所を時々入れ替えながら、暗さを感じにくい、ちょうどよい落としどころを探している感じがする。
あ、そうか。「いつもどおり」は必ずしも「もとどおり」じゃないかもしれない。いま、生活が不便にならず使用電力を抑える方法をみんなで見つけ出そうとしている。くいまいならん、かいまいなんずー(これもダメ、あれもイマイチ)なんて言いながら試行錯誤している段階だ。そのうちきっと、節電しつつも不便を感じない生活方法が見つけられるはずね。それが新しい「いつもどおり」になれば、ういがど上等さいが(そっの方がいいじゃん)・・・。
きゅうまい ばやー、電灯の きゃーりた 電車ん ぬうり、すぐとんかい ぴす゜(今日も私は、電灯の消えた電車に乗って仕事へ向かう)。
薄暗い電車の中にいると、自然と目線は外へ向く。梅、桜、スミレ、つつじ、ハナミズキ・・・。冬の終わりから春、そして初夏へ向かう季節とともに、窓から見える花は移り変わってきた。
何があっても季節は「いつもどおり」にやってくる。その風景を眺めながら、人間の生活の「いつもどおり」について、この頃ぼんやりと考えている。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
台風1号が発生し、1号そうそう宮古島に上陸?と しわ(心配)しましたが、大したことなく過ぎていったようで、うむやすむぬ(安心)。
前回のくま・かまは、子どもの日の発行でしたが、5月5日付けの宮古毎日新聞に1965年から2011年までの宮古管内における15歳未満の やらび(子ども)の人口の推移が載っていました。
なんと、1965年の やらびの数は、30.212人!(おごえー、そんなに やまかさいたんだねー。ちなみに総人口は69.860人。(国勢調査より)半分近くが子どもですね)そして、今年2011年は、9.132人だそう。40数年前の3分の1以下。この数字にもまたびっくりでした。ホントに いきゃらーいきゃら(少なーく)なっているんですねー。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
神童が自身のブログで、島らっきょうの油味噌を作った話を書いていて、あまりにおいしそうだったので、くま・かまでも紹介させてもらいました。重要なポイントがいくつかありましたね。宮古みそと島らっきょうの相性はバッチリ。島らっきょうと宮古みそが入手できたら、ぜひ、お試しあれ〜。
3月11日のその日は(当たり前ですが)人によって様々な日だったんですよね。キムキムさんは娘さんの卒業式だったとは。そして震度6!という、ありゃーみーん(かつてない)地震。その日一日のキムキムさんの様子がありありと伝わってきました。「旅立ちの日に」の歌を通して、娘さんへの想い、被災地への想いも。
Motocaさんの話、今の東京の様子をよく表していますねー。Motocaさんと同じ気持ちだーと思われた方、多かったのではないでしょうか?私も、日常の意味や当たり前がシフトしていこうとしている今この時を生きていることをしみじみ感じます。Motocaさんは、この様子を残しておこうと写真も撮っているということでした。下記のサイトで紹介しています。ぜひ、ごらんくださいね〜。http://goo.gl/photos/JDdVZkIsyb
今回の感想、ぜひお聞かせくださいね。
投稿も いつーまい(いつでも)熱烈歓迎中〜。
きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!)
次回は6月2日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!うぬときゃがみ、がんずぅかり うらあちよー(その時までお元気で)!
あつかー、またいら!